今回は、クックビズ株式会社の藪ノ賢次氏にお越し頂きました。
「食に関わる、あらゆる制約を解き放つ。」をミッションとして掲げ、 "人"を起点に食に関わる新たな領域にも積極的に事業を展開。
飲食業界の変革を支援し、上場を果たされたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。
なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。
■経営者インタビューメディア「経営ノート」
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サマリー
クックビズ株式会社の矢部賢次社長は、自身の起業までの経歴を振り返ります。大学卒業後、彼は起業を決意し、インターネットを活用したサービスを提供し始めます。藪ノ賢次氏は、携帯販売代理店としての経験を通じて自らのビジネスの基礎を築き、クックビズの設立に至るまでの過程を語ります。彼は飲食業界の求人サービスの重要性に気づき、そのニーズに応じたビジネスを展開していく背景が詳しく説明されています。
矢部社長の紹介と幼少期
社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、クックビズ株式会社代表取締役社長 矢部の賢次様でいらっしゃいます。
まずは、記憶の本をご紹介させていただきます。
大阪府ご出身、2004年に大阪府立大学工学部卒業後すぐに起業、いくつかのサービスの立ち寄りを経験、
2007年にクックビズ株式会社を設立、代表取締役に御就任なさっていらっしゃいます。
2017年には東京証券取引のマザーズ市場、現グロス市場に上場を果たされている上場企業の社長様でいらっしゃいます。
矢部の社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
最初のご質問ですが、ご出身は大阪府ということで、小学校時代はどんなお子様でいらっしゃいましたでしょうか。
小学生は、私は大阪府の堺市というところ出身なんですけども、南大阪ですね。
堺市はソフトボールという野球の下投げですよね。
あれがめちゃくちゃ流行っているエリアでして、本当に誰もがソフトボールをするみたいな感じの小学校だったんですけども、
私も多分に漏れずソフトボールを朝から晩までやって、本当に6年間それにどっぷり使って、
しかもピッチャーで4番だったので、めちゃくちゃものすごい練習をして、
実際堺市で優勝したこともあったので、一番大きな大会ですね。
一番本当に小学生の時頑張っていたのはソフトボールでしたね。
じゃあ、ちっちゃい頃は大谷翔平選手みたいな感じでいらっしゃいました?
そうですね。私、ちなみに今192センチなので、大谷翔平とほぼ同じ身長で、
体重は彼はすごく大きいんですけども、体格は一緒なので、すごく注目して見てますね。
小学校の目立つ少年というか、リーダーみたいなそんな感じの少年になっちゃったんじゃないですか?
そうですね。本当に勉強も好きで、スポーツも大好きで、小学校時代は本当にものすごい楽しく過ごしてましたね。
中学から大学時代の挑戦
中学時代はどんなことをして過ごしたと思いますか?
中学は逆にソフトをやりすぎたので、野球には行かずに、ちょうどその頃Jリーグが始まりましたので、サッカーにいきなり転身をしましてですね。
サッカーって本当にやってる方は分かるんですけど、小学校とか幼稚園ぐらいからやらないとなかなかうまくならないスポーツで、
一転ずっと補欠みたいな感じですね。中学、高校はずっとサッカーしてたんですけども、なかなかレギュラーにもなれず、すごくその時は悔しい思いをしましたね。
なるほど。でも高校もやられたとか、サッカーはお好きでらっしゃったんですか?
サッカーはすごく好きでしたね。
なるほど。ポジションはどの辺をやられてらっしゃったんですか?
ポジションはフォワードで、背が高かったのでずっとヘリングをしてました。
なるほど。高校時代はどんなことをして過ごしたかと思いますか?やっぱりサッカーばっかり?
そうですね。サッカーをしてて、サッカーと恋愛と本当にすごくシンプルというか、音楽もすごく好きでしたので、サッカー、音楽、恋愛みたいな感じで、すごく青春はしてました。
ご身長があらゆる話でございましたので、恋愛の方も表になったんじゃないかなと思うんですけど。
いや、そこはそうでもないですけどね。ただ身長はすごく大きかったですね、ずっと。
ありがとうございます。勉強の方はいかがだったんですか?
勉強は、中学までは本当に大好きで勉強してたんですけども、やっぱり新学校に行くと、上には上がいるので、高校に行くと、
もういきなり落台生になって、高校でもサッカーはやっぱりレギュラーじゃなかったので、
高校とかその後の大学とか、この辺りの老人も知るので、この8年間は僕は暗黒時代って呼んでるんですけど、
あんまり目が出なくて、あんまり人生としては停滞気味の品称でしたね。
大学は大阪府立大学校のことなんですが、その前に老人というお話が今ございましたが、
あの地域で、京大とか同志田大学とかそっちの方に行きたいとか、大阪大学に行きたいとかそういうのはあったんですか?
大阪大学は受けて、私理系だったので大阪大学の工学部に入りたかったんですけど、それも受験で失敗したので、
それで大阪府立大学の副理工学科に行ったんですけども、そういうのもあって、学生の後半時代は結構、なかなかうたつが上がらなかったっていう記憶はありますね。
なるほど。でも大阪府立大学の理系でいらっしゃるので素晴らしいんですけども、
大阪府立大学に選んだ理由というのが何かございましたら教えていただきたいなと思うんですけども。
今年は3つ上に兄貴がいまして、2人兄弟なんですけど、年が近いとすごく兄貴にも憧れてまして、
サッカーしたのも、もっと言うとソフトボール、サッカー、あと数学とかですね、あと車とかですね、
そういういろんな影響をやっぱり兄から受けてまして、
兄貴が理数系だったので、勝手に数学とかが得意だとかっこいいのかなと思って、そっちの道に進みましたね。
なるほど。ありがとうございます。大阪府立大学時代の思い出なんてございますでしょうか。
どうなんだろうな。でもアルバイトがすごく、当時も今も流行っていると思うんですけど、
すごくアルバイトがあったりとかして、
早く社会に出たかったのもあるかもしれないですけども、なかなか勉強と老人もして、
不大にも入ったので、しばらくは公私望校にも入れなかったので、なかなか勉強と老人もして、
バイトばっかりしてた思い出がありますね。
何か面白かったバイトなんてございましたか。
面白かったバイト、でもその塾講師は、もちろん教えるのが仕事で、
教えるのが仕事で、教えてくれるのが仕事で、
あの頃の塾って本当に情熱的で、今もそうかもしれないですけど、合宿に行くとみんな声を出したり泣いたりという感じでですね、めちゃくちゃ盛り上がるんですよね。
そういうのが大好きなんですよね。
だから塾講師の仕事は本当に大好きで、ずっと続けて、4年間続けて、今ももう人に教えるのとかはすごく好きだし、
教えるのが大好きなんですよね。
あと説明も結構分かりやすい。それはまあお世辞かもしれないですけど、結構話すのとか説明するのとか、
まあ社長オリエンテーションというのを毎月やってるんですけども、
新入社員の課題ですね。それもすごく2時間、楽しませながら会社のことを理解していただくっていうのを、今も自分でやってるんですけども、その時間は本当に私も大好きで、
そういうのが大好きなんですよね。
本当に自分の仕事の中でもすごくやりたいと思うんですけど、
自分の仕事の中でもすごくやりたいと思うんですよ。
本当に自分の仕事の中でもすごくやりがいがあってですね、すごく楽しいですし、その辺の説明するとか、人に伝えるとかっていうのは、
アルバイトに明け暮れてた時の塾講師の仕事が今でも役に立ってるなと思うことはありますね。
なるほど。塾講師が社長のマネジメントに生きてくると、こういう感じでございます。
そうですね。
ありがとうございます。
起業の決断
ここからが本題と言いますか、一番お聞きしたいことになってくるんですが、大学卒業後すぐに起業ということで、就職をしようとは思われなかったんですか。
そうですね。やはり中期に行って、大学卒業後に仕事をしようとは思われなかったんですけど、
大学院に行くのもちょっと準備不足だし、就職活動してもなかなか、4大出るとやっぱり営業の仕事ができなくなってしまうんですよね。
大学院に行くのもちょっと準備不足だし、就職活動してもなかなか、4大出るとやっぱり営業の仕事ができなくなってしまうんですね。
大学院に行くのもちょっと準備不足だし、就職活動してもなかなか、4大出るとやっぱり営業の仕事ができなくなってしまうんですよね。
自分の理数系のスキルを特性とかを活かせるのかなっていうふうに思ったときに、なかなかこの社会を出て自分が活躍できるイメージがなかったので、
だったら一層自分で会社をやった方が、同じ苦労をするんだったらいいんじゃないかなというふうに思ってですね。
と言いますのも、私の父親が社長ではなかったんですけども、町工場を兄弟で経営していて、
たまたま私の住んでた実家から歩いて200メートルぐらいのところにあったので、毎日のように工場に遊びに行ったりとかしてですね。
私からすると親戚のおじさんが社長だったんですけど、そこでその社長の暮らしとかと自分の家の暮らしの差とかですね。
いろんなことを子供ごっこの中から経験して、社会には本当にいろんな、悪く言うと格差ですけども、よく言うとチャンスというかですね。
本当に立場が違うだけで、人生が大きく変わっていくのを親戚とかとの付き合いを通じて、間接的にすごく感じたので。
最初はそれを勉強の方に情熱を向けてたんですけども、やっぱり彼らは経営者として成果を出していて、それを横で見ていて、
ちょっとずつ親戚のおじさんでもできるんだったら、自分でもできるかもしれないということでですね。
非常にその起業とか経営が子供の時にすごく身近にあったので、いきなり起業したというちょっと無茶な起業人生ですね。
なるほど。ありがとうございます。
ご両親とか今の話で言うとご親族は割と賛成側というか感じでしょうか。もしくは大学の先生も賛成って感じでしょうか。
大学はほとんど行ってなかったんで、勝手にって感じだったんですけど、親はすごく心配はもちろんしますよね。
親父は四男だったので、普通の同族経営という平社員だったので、息子がそんなことできるわけないとかですね。
母親もどっちかというと公務員とか大手企業に就職してほしいっていう、ザ教育ママみたいな感じだったので、
家族で唯一応援してくれたのは兄貴で、兄貴は今もサラリーマンしていて、ずっと新卒で入った会社で何十年も働いてるんですけども、
私とは完全に正反対の人生を歩んでるんですけど、僕はケンジって言うんですけど、ケンジは言い出したら聞かないから一回やらせてみたらみたいな感じで、
あと背中を押していただいたので、それで母親も、じゃあ起業するんだったら、親元にいて起業するなんて甘いから社会に出なさいって言われて家を追い出されてしまって、
一人暮らししながらその一人暮らしのマンションの一節で起業したっていうのが最初のスタートですね。
なるほど、ありがとうございます。一番最初の起業はどんな事業だったんでしょうか。
最初はやっぱりインターネットは例明期だったので、インターネットを使って何か販売したいなということで、ちょうどその頃携帯電話の会社が月額定額サービスみたいな無料通話の先駆けのようなサービスがスタートしまして、
それが2005年とか6年ぐらいだったんですけども、それをCMか何かで見てですね、これは何かその頃って通話量ってすごい高かったので、これは何か自分の周りとかいろんな人が欲しいんじゃないかということで、
そういう代理店ですよね、代理店業からスタートしまして、インターネットでそういった携帯の情報とかをどんどん発信していって、今でいうSEOの最初の頃ですね。
ビジネスの基礎とクックビズの起業
集客をして契約を取って手すりをいただくっていうような、在庫を抱えなくてよかったので、自発注しながら納品するとか、見積もり出すとか、契約書を送るとか、基本的な商売の基礎というか、そういうのを携帯販売の代理店業で学んで。
そこで最初の本当の問い合わせのホームページも自分で作りましたし、送付する資料も自分で作ったりとか、それを自発注する仕組みとかも自分で作って、一人社長として本当に問い合わせから納品までを自分で経験して、そこでかつインターネットを使ってそれを集客をしていたので、
そこで大体の仕事の基礎というか、そういうのを外ずつ学んでいったっていう感じですかね。
なるほど、ありがとうございます。携帯の代理店以外にはどんな商売を、クックビズさんを立ち上げる前までに。
前は、例えばそのときパソコンも例明記だったので、パソコンの講師派遣みたいなですね。これは結構人材サービスにちょっと近いかもしれないですけども、講師派遣と言いながら僕しかいなかったので、自分が教えに行ってですね。
そのおじいちゃんとかにパソコンを教えて、教えるのが好きってさっきご説明した通りなんですけど、そういうふうに教えてパソコンのスキルを上げていくようなお手伝いをしたりとか。
あと当時、携帯ってストラップをつけるのが流行っていたので、ストラップとか充電も今ほど持ちが良くなかったので、携帯充電器とかストラップとかそういうアクセサリー商品を、ECサイトを立ち上げてどんどん売っていったりとか、
Eコマースみたいなことも少しかじって勉強したりとか、いろいろ手を出して、たまたま携帯を販売納品していたBtoBのお客様で、料理系の専門学校があってですね。
そこと出会って、僕携帯売ってるんですけど、他にもいろんな事業したいんですよねって言ってたら、そういった今のCookbizにつながるような仕事の相談っていうのを徐々に受けるようになって、そこから少しずつスタートアップしていったっていう感じですね。
なるほど。Cookbizさん、創業するにあたったら、思いついたっていうよりはニーズがあってそれにだんだん寄っていったみたいに近いんでしょうか。
そうなんですよね。専門学校に何度も携帯を納品するのに走ししげく通ってるとですね、いろんな話を聞いていて、その専門学校は大阪にもちろんあったんですけども、大阪だと大体関西から来る人もいれば、中国四国地方あたりから下宿して来る人もいるんですね、一人暮らしして。
そうすると、大体生徒数の半分ぐらいが関西以外の出身の方で、近くの寮とかアパートに住んで一人暮らしするわけなんですけど。
下宿してる方からすると、家の近くのコンビニとか派遣スタッフとかで食いつないでるんですけど、学校からするとやっぱり料理に関係するアルバイトをしてくれた方が、今で言うインターンみたいなんですね。
そういう経験があって就職するのと、全くそういう経験がないまま、学業として勉強して、実務を知らずに、調理実習とかはすると思うんですけど、リアルな飲食店で働かずに就職するとミスマッチにもつながってしまうので、なんかその辺困ってるんですよねっていうことで言われたので、
じゃあ私が近隣の飲食店の求人集めてきましょうかみたいな感じで、集めてきた求人をペタペタ学校の掲示板に貼っていって、それを見て生とか応募するとか、そういう今の原型のようなサービスが出来上がって、お客さんである飲食店に人を紹介すると、いくら払えばいいのみたいな感じで言われて、この商売になるんだみたいな感じですね。
すごい私、人材サービスって言葉も知らなかったので、知らずに派遣とかアルバイトとかは言ってたんですけど、自分はユーザーとして言ってただけで、裏側の仕組みはあんまり無頓着だったので、これがみんなが言ってる人材サービスなのかみたいな感じですね。
調べていくと、免許を取ったらこういうことがちゃんと商売としてできるんだなみたいな感じで、後付けでいろいろことが気づき始めて、飲食の人材サービスをやってる人はほとんどいなかったので、これすごい面白いんじゃないかみたいな感じで、専門学校のお悩みというか課題を聞いていく中で、ビジネスの可能性というかシーズというか種みたいなものを発見して、のめり込んでいったという感じなんですね。
なるほど。なんかこう、飲食店の求人募集のやつをペタペタ貼ってるなんて、リアル媒介ビジネス。
そうです、はい。学校の掲示板みたいな感じ。今もね、スーパーとか行くと貼ってるとこってあるじゃないですか。
あんな感じからスタートして、土日とかも求人みたいですよって学生さんに言われたんで、じゃあインターネット使おうかみたいな感じでサイトを自分で作ったりとかしながら、もっと本格的に作ろうということで知り合いのエンジニアに頼んだりとかしながら、今のサイトの原型ができてきたんですけど、
本当にゼロから自分で作っていって、途中で人材サービスって気づいて、慌てて免許取るみたいな感じだったので、本当にゼロから生み出したっていう感じが私としてはすごくしてて、だからクークビズにはものすごく愛着があるんですけども。
飲食業界の求人サービスの展開
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。
21:06
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