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2025-02-26 13:42

第423回 杉村明紀氏(株式会社ブルームダイニングサービス代表取締役社長)【前編】

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今回は、株式会社ブルームダイニングサービスの杉村明紀氏にお越し頂きました。

 

親族が経営する愛知の飲食企業で調理、接客からマネジメント業務、購買業務、開発業務などを経験。

2011年大手某ラーメンチェーン店に入社し、上場・M&A・JVなどを経験後、ブルームダイニングサービスに参画した経緯から、経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

https://keiei-note.com/

 

■WizBiz社長塾

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サマリー

杉村明紀氏は、株式会社ブルームダイニングサービスの代表取締役社長に就任するまでの経歴や愛知県での学生時代、飲食業への転職の経緯について話します。特に、COO時代の業態開発や事業戦略に関する経験が強調されています。杉村社長は、事業方針や成長過程についても語り、ラーメンチェーンでの経験や経営の葛藤に焦点を当てながら、成功の秘訣を明らかにします。

杉村明紀の経歴
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社ブルームダイニングサービス代表取締役社長 杉村明紀様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
1979年、愛知県生まれ、大学卒業後、物理系の企業に就職。
その後、新造学が経営する愛知の飲食企業で、調理・接客・マネジメント等を経て、COOになっていらっしゃいます。
その後、大手・大ラーメンチェーン店に入社。上場・円満店などなどを経験。
2020年には、株式会社ブルームダイニングサービスに専務取締役としてご入社。
2021年には、代表取締役社長にご就任されていらっしゃいます。フランチャイズ本部の社長様でいらっしゃいます。
杉村社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は愛知ということで、小学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか。
あのそうですね、よくある普通の外で遊ぶのが好きな元気な少年だったと思います。
ガキ大将とかそんな感じでいらっしゃいますか。
いえ、そんなこともないですね。どちらかというと小学校2年生から剣道道場を通ってまして、剣道とかスポーツに夢中になるような記憶です。
なるほど、運動神経も良くて、そんな感じでいらっしゃいますか。
運動は得意だったと思います。
なるほど、ありがとうございます。中学も愛知県でいらっしゃいますか。
そうですね、はい。
中学時代はどんな子として過ごしたなと思いでございますでしょうか。
特に思い出があるといえば、やっぱり小学校から続けてた剣道をずっと夢中になってまして、竹内大会で優勝したりとか、道場も当時3つ通ってまして、毎日部活やって、月から日曜日まで剣道の道場全部通って、そういう中学時代を過ごしました。
なるほど、運動神経も良くて真面目でと、こういう感じの中学生でいらっしゃいますでしょうか。
真面目ではないんですけど、勉強もそんな得意な方ではなかったんですけど、剣道の方だけ頑張ってやって、部長とかも経験させていただきました。
なるほど、ありがとうございます。高校も愛知県内でいらっしゃいますでしょうか。
そうですね、はい。
高校ではどんな子として過ごしたなと思いでございますでしょうか。
高校はですね、続けてた剣道を1年生の時にやめてしまって、やっぱり結構友達と遊ぶ方に夢中になってました。
なるほど、どんな遊びをしたなと思いでございますでしょうか。
そうですね、バンドやったりとか、やっぱりファッションとかもすごい好きだったので、よく友達とショッピングだったりだとか、そうですね、街中で遊んだりしてましたね。
じゃあ楽しい思い出がいっぱいでいらっしゃいます。
どうだったかな、印象残るような思い出はないですね。
飲食業への転職
なるほど、ありがとうございました。大学はどちらに住んでいましたか。
名古屋ですね。
大学ではどんな子として過ごしたなと思いでございますでしょうか。
いや、遊んでばっかりでしたね。
どんな遊びをしたなと思いでございます。
やっぱりお酒飲める年になったので、夜な夜な友達と街に繰り出して、そうですね、よくある遊んでる大学生でしたね。
ある意味、大学生らしい大学生でいらっしゃったということですね。
そうだと思います。
ありがとうございます。大学卒業後は物流系の企業に御就職となったんですが、物流系の企業を選んだ理由なんてございましたでしょうか。
そうですね。その学生時代にアルバイトしていた、アパレルの先輩がアパレルのアルバイトをしていたんですけど、そこの先輩が転職されてですね。
その物流会社にいらっしゃって、ふらふら遊んでるぐらいだったら、うちでやらないかというふうに声をかけられて、初めてそこで就職しました。
なるほど。物流系の企業での思い出なんてございます。
部活みたいでしたね。やっぱりチームワークでやる仕事だったので、非常に社内も皆さん仲良くしていただいて、チームワークで仕事をするっていうことをすごい学んだ気がします。
なるほど。ありがとうございます。その後、親族の方がご経営する愛知の飲食店に導入者になったんですが、これはどういった経緯で導入者になったんでしょうか。
結構親戚業だったんですよ。
事業承継の問題で後継者がいなかったんですよね。直系の後継者が助系だったので、僕がやっぱり男子なんで、やっぱり通いでもらわなくちゃ困るって言ったところで、
言い方悪いんですけど、半ば強引というか、そういう感じで飲食の仕事をすることになりました。
杉村社長様としたらちょっと嫌だなみたいな感じでいらっしゃいますか。
そうですね。僕はもともとこれを言っていいのか分からないんですけど、飲食業が興味がないというよりは嫌で、苦手だなと思ってたんですよ。
なので学生時代も飲食店でアルバイトした経験は全くなくてですね、何も知らない状態で、その仕事をやることにやっぱり不安もありましたし、もともとやりたくてやった仕事ではないというところのスタートだったので、非常にちょっと葛藤した時期でもありましたね。
なるほど。ありがとうございます。しかしながらCOOということで事業責任者、実質の社長だと思うんですが、になられていらっしゃるんですが、これはいつかそうなると思ってご入社されてるんで、すんなりと受け入れられたものなんでしょうか。
やらざるを得ないなと思ったんですよ。結構事業規模も大きい会社だったんですよね。
愛知、岐阜、三重、静岡含めて東海圏で100店舗以上展開している会社だったので、飲食店の仕事を知らない僕からしたら、やっぱり現場から入ってですね、とにかくやるしかないと、家のことも紐づいてくるので、やらざるを得ない状況でやっていったっていうところですね。
COOをやってた時の思い出なんてございますでしょうか。
そうですね。やっぱり社員さんであったり、非常に仲がいい環境だったので、タムメンバーといろいろ事業に対して戦略練ったりだとか、いろんな業態を展開している会社だったので、いろんな業態を開発したりとか、店舗展開していくとか、そういったところで徐々にこういう仕事にもやりがいというのを感じてくるようになって、
夢中になったっていうような記憶はあります。
新業態開発なんかも関わったんですか。
そうですね。新業態は特にたくさん、私自身も開発に従事ましたね。
何業態ぐらい開発されたんでしょうか。
何業態、覚えてるだけでも10業態ぐらいはありますね。
そうですね。相当勉強になったんじゃないでしょうか。
そうですね。やっぱり普通の一般入社の方が経験する内容とは全く違うので、やっぱり後継者として入社しているので、その分はやっぱりいろいろ会社も私に対して教育を含めて投資していただいたので、そういう業態開発であったりとか、普通なかなか社員さんがキャリアを組まないとできないことも早い段階で経験させていただいたので、一番今でも財産としては残ってますね。
ありがとうございます。
その後、2011年に大手棒ラーメンチェーン店にご入社なかったんですが、これはどういった経緯でそちらに移られたんでしょうか。
そうですね。やっぱり同族経営でしたので、いろいろちょっとやっぱりしがらみもあるわけなんですよね。
経営方針と葛藤
当時もやっぱり仙台の事業方針と私の事業方針がやっぱり違っていたりとか、当時はですね、マーケットがやっぱりシュリンクしてると特に言われてたんですよね。都心会議っていうキーワードがすごい流行ったんですけど、今で言う例えば名古屋市だったら郊外ではなく、やっぱり名古屋市の駅の中心部であったり、東京、大阪っていったようなビッグシティに対してのマーケットがやっぱり今後集中されていくだろうと。
というところで、やっぱり生き残っていくためにはそういったところのエリアを出展していかなくちゃいけないという私の考えではあったんですけど、仙台の方針としてやっぱりその都会産経のドミナントだけにこだわりがやっぱりありましたので、そこでやっぱり意見の相違であったりだとか、いろいろ私もこう考えて、そういったまず会社での何て言うんですかね、そういう葛藤と、
あと個人としてですね、私も仕事しながらいろいろ会社でも投資していただいてたので、いろんなビジネスセミナー、経営スクールとかこう通わせていただいてたんですよ。その時にきっかけとしては大手の会社さんの課長さんとか部長さんと一緒の勉強会に参加したことがあってですね、そういうスクールに。
私は経営のトップとしてやってるんですけど、そういう課長さん部長さんの方が自分より全然スキルも知識もあったんですよね。それをすごい私の中で、何て言うんですかね、自分は全くできてないっていう。
そこにちょっとこのままだとダメだなって、やっぱりぬるま湯だなっていう。自分が今外食の仕事をやってきた中で本当に一般入社してどこまで通用するのかっていったような考えもこの2つがやっぱりきっかけとしてはあって、一度やっぱりこの同僚企業を続けていくってことはやっぱり長い人生考えたときにそれが本当にいいのかどうなのかっていうことを改めて自問自答をした上で、周りはすごい反対されましたけど、
私はちょっとやっぱり同僚企業を出るっていうことを選択したっていうのがやっぱりありましたね。
ありがとうございます。ラーメンチェーン店さんまではどんな仕事をしてどんな思い出があるなんて覚えてらっしゃいますでしょうか。
ラーメンチェーンの仕事は当時はまだ未上場の会社さんだったんですけど、全国に今から展開していくっていったようなフェーズ。海外も一部だけちょっとテンポあったんですよね。
そこも創業者の社長がいらっしゃったんですけど、プロ経営者の方を招いて組織改革をして、今から上場していこう、事業拡大していこう、海外もどんどん増やしていこうっていうタイミングではあったんですよ。
その中でそのラーメンチェーンの会社ではいろいろ経験させていただいて、私もやっぱり一般入社で入ってどこまでできるかっていうのを試したくて、その結果いろんな領域の仕事をやらせていただくことになったんですよね。
それがやっぱり今につながってるなっていうふうに思ってます。そこがやっぱり思い出ですね。
その会社は上場なかったんですか。
2回経験させていただきましたね。当時だと当初マザーズ、その後当初一部っていうところで、事業もそうですね。私は10年間いたんですけど、60店舗ほどだったものが280店舗まで成長して、今もその業界ではリーディングカンパニーとしてやってるんじゃないかなというふうに思います。
ある意味杉村社長様がそちらのラーメンチェーンにご入社されたから上場できてきてると、そんな感じでいらっしゃいますね。
全然違いますね。もちろんそのきっかけにはなったかもしれないんですけど、いろんなメンバーいましたので、その各セクションのメンバーと一緒になんとか形になったんじゃないかなというふうに思います。
なるほど。ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長肉インウィズビズはここまで。また来週。
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