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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、リニューアルブル・ジャパン株式会社代表取締役社長 眞邉勝仁様でいらっしゃいます。
まずは、経歴のほうをご紹介させていただきます。
1990年、マサチューセッツ州立大学計画部を卒業後、リーマンブラザーズ、バークレイズ、証券など外資系金管で証券化業務に携わられられました。
その後、アメリカの運用会社、財政ジャパン代表取締役社長に御就任。
その後、東日本大震災をきっかけに、2012年にリニューアルブル・ジャパン株式会社を設立、代表取締役社長に御就任なさっていらっしゃいます。
そして2021年には、東京証券取引をウロー市場、旧マザーズ市場に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
眞邉社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。眞邉です。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
東京ですね。東京で生まれましたけれども、ただ両親、鹿児島県の薬島というところの出身で、家業活動部社なんですけど、
通常、九州で私は長男なんですけど、長男で生まれたら家業をつくのは当たり前なんですけど、裏切ってですね、証券業界に入ったという経歴です。
なるほど、なるほど。お父さんもお母さんも悲しまれなかったんですか。
ちゃんと弟がつきましたから大丈夫です。
弟にはもう頭が上がらないという。
なるほど、そうでございますか。小学校時代はどんな少年だったのか、お思いでございますでしょうか。
両親が田舎育ち、海とかの育ちだったりとかしたので、よく自然のところに連れて行ってもらって、
今だと埼玉県のほうの川とかに行って、川で魚を釣ってハンゴスイハチャンしたりとかですね。
帰りに競り取って家に帰ってきてとかですね。あと冬になると山芋を掘りに行ってたりとか。
あとだから子供なんでクワガタ取りに行ったりとかもしてましたけど、そういう自然に触れてずっと過ごしていたということを覚えてますね。
じゃあ割とアウトドア派というか。
アウトドア派と言うとそうでしょうね。
かっこいいお姿からすると、スマートなお姿からするとアウトドアって感じがしないで、その辺が逆なのか逆萌えみたいな感じでございますが。
後で出てきますけど、とりあえずトライアスローンが趣味なので。ちょっと前までは普通のおじさんの体型でした。
ありがとうございます。中学校時代はどんな少年だったのか、お思いでございますでしょうか。
新学校、高校は、いわゆる新学校みたいなところに間違って入ってしまって、あんまり勉強させられたっていう思い出しかないですね。
じゃあ中学校は勉強させられたけど勉強しなかったみたいな。
その後の留学することになるんですけど、そこでアメリカに行ったんですけど、そこでは結構勉強しましたね。
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日本人の典型的な自分のアパートと図書館と暮らすと、そこしか行かないみたいな。
そこが多分一生の中では勉強したのはその時だけだと思いますね。
最初から高校卒業後アメリカに行ったんですか。
いやいや、日本大学出てから行きました。
日本の大学ではそんなに勉強されたんですか。
全くしなかったです。就職したくなくて留学したと。
留学したと。
私の息子も高校からそのままアメリカの大学だったんで勉強ばっかりやってたんですね。
多分ご一緒だと思うんですが。
そうですね。
どのくらい勉強するもんですか、アメリカが。
ええとですね、そのまま私は大学院じゃなくて大学院に入ったんですけど、
アメリカに代表するような大学院、例えばハーバードとかMITに入ろうというふうに思っていて、
そのためにはいい成績を取らなきゃいけないですね。
まずいい成績を取って、いい就職先に勤めて、そして2年間くらい働いて、
そして一流大学に戻ってくると、こういうふうに思っていたんですけど、
だからそのためにはとにかくいい成績を取ろうと。
英語できないわけですよね。
だからクラスで英語できないのは多分私が一番できないので、
その中で例えばAとかいうグレードを取るためにトップ2、3%に入らなきゃいけないんです。
そうですので短期間にそれなりに成績を上げなきゃいけなかったんで、
英語のハンドキャップがあったんで、
どれだけ勉強したというと勉強できないでやったって感じじゃないですかね。
なるほど。ちょっとすごいそうなんですね。
私はちょっと無理だなというのも聞きましたが、
アメリカの大学を卒業後、そのままアメリカに残られたんですか?
いや、日本に戻ってきました。
実はちょうど就職のために日本に帰ってきたのは1週間だけだったんです。
本当はテストの期間があったんですけれども、
先生に交渉して、成績良かったからテスト受けないでいいくれと言って交渉して、
まあいいよって先生に言ってくれたんで1週間戻ってきて、
それでアメリカの大学って教科書が分厚いのと、
あとはその実務というかいろんな会社の名前が入って書いてあるんです。
日本の経済とか金融の教科書に野村証券さんとか日子証券さんとか
味相証券とか書いてないと思うんですけど、アメリカの方に全部書いてあるんですね。
メル・リンチ、ソロモンブラザーズ、シャーソン・リーマン・ハットンとか書いてあるわけです。
ここは全部業と。
一番大きな会社がメル・リンチという会社らしいのでこれ辞めようと。
その他のところは全部業というので、アメリカにいて手紙を書いてですね、
会ってくださいと言うので5日間だけ、合意業日だけ日本にいて、
それでオファーを出してくれたのが2社ありまして、その中の1社がリーマンブラザーズだった。
外資の証券会社に行こうと思ったきっかけは何かありましたか?
教科書に書いてあるところに入ってみようと、それだけです。
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金融が興味あるとかそういう感じですか?
金融の勉強をしていました。
ちょうどアメリカに行って、まだメジャーというかそれを決めてなかったので、
カフェデリアに行ったんですよ。
カフェデリアに行って、英語が上手く喋れなかったんですけど、
友達を作ろうと思って、ある黒人の方がいらっしゃってそこに横に行って、
ちょっと横に座っていいかと言って、ランチを食べながら話をしていて、
僕は日本から来たんだけれども、何を勉強するか決めていないんだけど、何がいいかなと言ったら、
日本は今からコンピューターの時代であって、そして金融の時代だから、
どちらかがいいんじゃないかと言われて、途中まで2つやっていたんですけど、
コンピューターはどうも向かないなと。
金融は数字なので、アメリカ人は数字が強くないんですね。
これは金融の方がいいかなと思って、金融を選考したと。
そういう、あんまり深く考えないで決めてますけど。
でもご用心いただきたいので、多分上手くいったんだと思うんですけども、
リーマンブラザーズへの思い出とかそういうのはございますでしょうか。
ありますね。
たぶん日本でいうと、かっこよく言うと、
ミスターリーマンって言ってくれる人が多かったんじゃないかなって気がしますね。
新卒で入って、最も早く幹部になったのはたぶん私だと思いますし、
リーマンブラザーズを愛していました。
ただ途中で上司たちと、日本もしくは本社の上司、直接のラインの人たちと、
なかなか会わなくて。
政治っていうんですか、ポリティックスに巻き込まれて。
このままだと、やはり自分が社会に貢献できないんじゃないかなと。
ですからこの組織じゃない組織に出た方が、たぶん日本のGDPに貢献できるんじゃないかと。
良い就職、良い転職家、そうじゃないかっていうのは、
自分がGDPを増やすことができるかと、こういうふうに私は思っているので、
出ることにしたというのがリーマンブラザーズ、
14年間お世話になったんですけれども、それがきっかけになっていました。
今でも私のふるさとは、つぶれてしまいましたけどリーマンブラザーズだと思っていますし、
そこで育った仲間たちとは今でも交流はあります。
ありがとうございます。
その後はまず最初バークレーですよね。
そうですね。
何社ぐらいその後転職されたんですか。
リーマンバークレーです。
リーマンバークレーです。
そして、ザイスグループという運用会社。
そして弊社の企業という形になります。
ですので、私自身が転職という意味では1回だけですね。
リーマンブラザーズからバークレーズ証券。
その時はバークレーズキャピタルという会社だったんですけど、バークレーズ証券ですね。
ただ、バークレーズさんというのは、日本でいうと三菱銀行みたいなところで、
すごくお堅い銀行なんですね。
そこの証券会社の営業の責任者に移ったんですけれども、
ここは本当に何でしょう。
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自分が今までやったことない経験ができまして、
例えば日本の金融機関さんってアメリカのインベストメントバンクというと、
ちょっと下に構えてみちゃうんです。
でもイギリスのヨーロッパの銀行グループというと仲間だよねって見てくれるんです。
ですので、例えば世銀総会とかアジア会議とかのアレンジメント、
私ずっとやってたんですけれども、
ほぼ全金融機関のトップの方にお会いしました。
時には通訳をしたりとか、
時にはM&Aを一緒にやりましょうみたいなところの通訳とかで、
そういうところのアレンジもしました。
世界のダイナミズムをバークレーズさんにいることによって見ることができたというふうに思ってます。
これはリーマンブラザーズにいたらそれ多分難しかったのかなというふうに思ってますけど。
なるほど。ありがとうございます。
ちょっと下世話なご質問なんですが、
外資なりアメリカなんかにいると、
転職するためにどんどん給料が上がっていくみたいな夢ならお話があると思うんですけれども、
お聞きになっているリーさんの皆さん方もそういう夢も聞きたいなと思ってお聞きしているんですが、
やっぱり給料ってどんどんどんどん上がっていくものなんですか?
転職でどうですか。
転職確かに上がりましたけれども、
お金のために、すいません嫌味に言ってるんじゃなくて、
お金のために転職したわけではないので、
私もかなり早い段階からマネジメントのポジションにいたんですけども、
外資系の証券会社、外資系だけじゃないかもしれませんけど、
証券の中でアスクビットってなってます。
売りに行くと買い値があるんですよ。
人の値段にもあるんですよね。
自分から出てくると低い値段で、
壊れると高い値段でと。
だいたい2割ぐらい相場があって、
だから上手くやれば短期的には高く値段を売れるってことはあるかもしれませんけども、
やはりマーケットなので、
自分のマーケットの価値をいかに上げていくのかということの方が大事で、
上手くやったらお金たくさんもらえるっていうマーケットでは私はないと思ってます。
なるほど。ありがとうございます。
プロ野球選手ぐらいもらってる人は結構いますよね。
やっぱりそうなんですね。
たぶんリスターの皆さん、おーって今声が出てるかもしれませんが。
その後、運用会社のZEISS JAPANの代表ともご承認されていらっしゃいますが、
これはどういった経緯で運用会社にご承認されたんでしょうか。
2つありまして、
1つは自分がビジネスをやっているサイクル、ビジネスのサイクルの中で、
2度目の金融危機が始まりそうだと。
金融危機っていうのは必ずしもマイナスじゃないんですね。
証券会社にいるにはボラティティがあると、
要するに特に下がったものは必ず上がりますから、
そういう意味では今回もう1回効きそうだということと、
あとは、まだ40前だったんですけれども、
日本における金融機関の中での上のポジション、
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そうすると現場から遠くなっちゃうんですよね。
箱というかガラス部屋の中に入って、
お客さんと話すこともあまりなく、
自分の部屋の前に部下たちが来て、
私は世界一不幸です。
マナミさん助けてください。
これ5分以内に解決しないといい状況じゃないんですけど、
そうするとあまり面白くないんですよね。
なので現場に私は戻りたいと。
などすると証券会社にいるよりは、
もう一度運用会社的なところに行って、
自由にもう少し現場に近いところで仕事をしたいと。
それが、私が元々は財図グループのヘッドの方、
オーナーの方にあなたたちのファンドを売らせてほしいと言ったら、
先方から連絡が来たのは、マナミさん来ないかと。
マナミさん来てくれるんだったら日本オフィスを作ると言ってくれたので、
じゃあ行こうと。
そういう理由ですね。
財図シャパンさんは何年くらい来たんでしょうか。
4年間ですね。
そこでの思い出って何かございますか。
ここはですね、結構自分が一生懸命やったら、
ほとんどのことはビジネスがうまくいくと思ってたんですけど、
全然うまくいかなかったです。
いろんな理由がありますけれども、
一つはリーマンショックが起きた。
リーマンショックが起きて一番嫌われたアセットクラス、
運用クラスというのは証券化商品です。
財図グループというのは証券化商品を運用する会社なんです。
みんな値段が下がったので買うには最高のタイミングなんですけど、
みんな持っているので配線処理しかしていないわけです。
証券化商品を買わない人だらけ、
もしくは今助けてくれという人たち。
一部の人は改めて入った人いますけれども、
本当に稀ですよね。
世界中で配線処理。
会社によっては訴えられた会社とか、
罰金払ってとかたくさんありますから、証券化商品で。
そういう状況だったので、
商売上がったりになってしまったということ。
その中で自分たちで新たなビジネスを作ることをしなければいけない。
私自身が投資銀行にいたときに、
上積みというかすごく優秀な方に囲まれて仕事をしていたと私は思うんですけれども、
財図グループの人たちがそうではないとは言いませんけれども、
比較的普通という人たちの中で、
同じようなビジネスを期待しながらやっていっても、
なかなか難しいんだなと。
マーケットの大きな流れと、
私の経営者としての未熟さというのが露点したのが財図グループなのかなと、
こういうふうに思っています。
ただ、よかったことは、
ジャパンという財図グループの日本支店を一から作ったので、
例えばライセンスを作ったりとか、
そもそもコピー機を借りるとか、
そんなことをやったことがなかったりとか。
あと一番初めに案内書を出したんですけれども、
案内書のリストが離れていたんですけれども、
ここがずれていて、
名前と住所が違う人に、
バーッと出してしまったりとかですね。
そんな、いろんな失敗があったときだなというのと、
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自分の力のなさを感じたのが、この財図グループですね。
私は今あるのは、財図グループでのうまくいかなかったことが、
一つの、今は成功しているとは言いませんけれども、
そういったことでの過程になって、
今があるのかなというふうには感じています。
なるほど。ありがとうございます。
その後、リニューアルブルーチャパン館を創業されていらっしゃるんですが、
これは東日本大震災をきっかけというのを聞きましたが、
どういうふうに思われて創業されたんですか。
あの、すごく揺れましたよね。
私もショックでしたし、
家帰ってCNN見たら、大きな津波が来ているわけです。
日本テレビではなかなか映さないところで、
こんな大変なことが起きているなと思って。
で、次の日、メールを見たらですね、
アメリカのビジネスのパートナーから浄水器をプレゼントしたいと。
その浄水器というのは太陽光がエネルギー源で、
5メーター、5メーター、5メーターぐらいで大きいんですよ。
太陽光がエネルギー源で、沼とか川とか、
あと海の水も含めて浄化して飲み水にしてくれる機械があるんですね。
これはスマトラの大震災、
十数年前ですけれどもあったと思いますけど、
あとはルイジアの水害、
これも2回目じゃなくて初めてのやつですね。
それとか、アメリカ空軍がアフガン戦争にも持って行った機械らしいんですけど、
それをプレゼントしてくれるという連絡があってですね、
素晴らしいなと。
で、皆さん、水とエネルギーって人間の基本になってくるので、
特に飲み水がなくて困っていらっしゃるという話も聞いていたんですね。
じゃあ、ぜひと思って、石井従事に電話して、
石井従事の方に、
いや、こんな素晴らしい機械があるんですね、
ぜひ受け取ってくださいと言ったらですね、
お金は送金してくださいと、
物は自分で持って行ってくださいと言われて、
一生懸命説明したんですけど、
ラジアが上がらないんですよ。
なので、自分でやるしかないなと思ってですね、
アメリカの輸送費は、
うちの会社が出してくれた、
その財室グループが出してくれたんですけども、
その後は自分たちでやらなきゃいけないので、
いろんな方々に手伝っていただいてですね、
最後は大船渡市と、
原発有名な大船渡市で、
大船渡市と原発有名な長町、
この2つの自治体さんが受け入れてくれるということになって、
そして40日後ぐらいですかね、
4月の中旬ぐらいに、
みんなで自治体さんに挨拶に行ったと。
これがこのリニューアルオブジャパンを作るきっかけになっているんですね。
それは東京の真夜中、
この近くですね、港区からずっと真夜中に集まって、
市の席まで行って、
市の席から海の方に行くんですけど、
途中、福島を通るわけですよ。
で、ミルトダウンの問題が出てきて、
そこら辺がガタガタ言うんですよね。
高速が怖かったですけどね。
で、海の方に行きますと。
海の方に行って、大船渡の自治体に挨拶して、
今度お腹行くわけです。
ここで約200キロぐらいまで、
それを海沿いずっと行くわけですよ。
18:00
そうすると、当然のことながら信号がないわけですよ。
で、瓦礫の間に車が信号なしで通るわけですよね。
で、それを見ていて、
あと、町と町の間にいると、
一つの町が終わって、
しばらくするとまた全開した町があります。
で、町によっては海の中にスタジアムがあるんです。
とか、あと旅館があるんです。
要するに地球の線が変わっちゃってるんですよ。
で、そういうところを見ながら、
自分はこの東北の震災の復興に何ができるんだろうって、
一日ずっといられてたので、
で、自分で考えて、
うーん、そうだなと。
できるとしたら、昔証券化もしていて、
で、あとはその、
もうメルトダウンの問題が福島で出てきた頃だったので、
もうその再生化エネルギー風力を、
太陽光だってことをやろうと。
ただFITはまだスタートしてなかった頃なんです。
ただそういう機運があった頃なので、
そうかと。
それであれば一番、
どちらにしろお金が必要なんで、
お金をたくさん持ってるのは金融界なので、
じゃあ金融界からお金を持ってきて、
再生化エネルギーのプロジェクトを登録でできれば、
それが一つのお手伝いに、
復興のお手伝いになるんじゃないかと。
逆に言うと、それぐらいしかできないかなと。
もともと私、証券化やってたので、
証券化という手法を使うことによって、
今ではプロジェクトファイナンスという言い方をしますけれども、
証券化という手法を使いながら、
再生化エネルギーを使って、
そして復興のお手伝いをすると。
これぐらいしかできないかなと思って、
そして東京に帰ってきて、
実際に運用商品として作れるかどうかという試算をしたら、
なんとなくいけそうだと。
FITが32円から40円で、
15年から20年で、
これは決まってなかったんですけれども、
32年であと15年であったとしても、
多分僕らの業界で回るという言い方をするんですけれども、
運用商品として作ることができるんじゃないかと、
いうふうに感じることができたので、
じゃあやろうというふうに、
そこからプロジェクトがスタートして、
さまざまな自治体さんにご挨拶していったと。
ただ次にまた天気が来るんですね。
財団スクループがしばらくすると、
復活し始めるんです。
証券化マーケットがまた復活し始めて、
本社のマネジメントが変わって、
新しいボスが来てですね、
マネジメントさん、
太陽光を辞めるか、
会社を辞めるかどっちかにしてくれと。
本社の方もリニューアブルという、
再生可能エネルギーの部署があったんですけど、
その新しいボスが来たときに、
本社の部署はもう潰されてなかったんですよ。
日本の仕組み、
日本の開発業界は結構特別に守られているので、
簡単に潰せないんでですね、
私には気を遣ってたらしいんですけど、
どっちかにしてほしいと。
財団スクループに残って、
昔やってたマーケティングの仕事をするか、
もしくはリニューアブルをやりたいんだったら、
もう独立してくれと言われて、
私自身は、
被災地に行ったときに、
自分の人生を変えたいなと。
違った形で、
要するに先ほどの念望の話じゃないですけども、
外資系の証券会社で働いている人たち、
有志の人たちで、
私もプレイヤーであったときもありますけども、
結構長い間、
21:00
マネジメントもやってたりとかして、
要は元締めみたいなことをやってたので、
お金じゃないところで生きていったらいいんじゃないかと、
自分の人生を変えようかなと、
そういうふうに思って、
自分の人生を変えようかなと、
自分の人生を生きていったらいいんじゃないかと、
そういうふうに自分の人生を変えようかなと、
思ったので、
ザイアスグループの新しいボスに言われて、
いやこれは、
やっぱり自分でやるべきだと、
そういうふうに思って、
近くにいたアドバイザー的なことをやってた方が、
何人かいらっしゃって、
相談したら、
いや僕手伝ってあげるから、
学べジャパン作りなさいと言って、
ちなみにかなり黙ってやりました。
ここだけの話ですけど。
知ってますか?
後で知った奥様はなんと。
しばらく聞いてくれなかったですね。
それはすごい話ですね。
驚きました。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
エル様、群馬県の方です。
新谷さん、はじめまして。
地元の商店街で、
美容品店エルと名んでおります。
エルと申します。
こんにちは。
今回ご相談させていただきたいのは、
最近よく見見えするDXについてです。
DXは生き残るために重要なビジネス戦略である、
などと言われているがため、
インターネットで色々調べてみましたが、
正直よく分かりません。
DXとは何年か前に騒がれていた、
デジタル化やIT化とはまた別の概念なのでしょうか。
大変恐縮でした。
DXの意味は具体的に、
何をすればよいのか、
などについてお教えいただきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
大雑把に言うと、
正確には違うんですが、
ITもIoTもデジタル化もDXも、
あんまり分けて考えなくても面白いですけど、
構わないんじゃないかなと思います。
商店街の美容品店をやっていらっしゃるので、
そこまで考える必要があるかなという気が、
正直しています。
そこまでじゃなくていいと思います。
ただ、よくよく記事と分けていくと、
全部違う意味合いではあります。
だから、ITとかIoTとかは、
例えば管理ツールですね。
日報核とか倫理システムとか、
こういうのをIT化と言いますか、
DXとかになってくると、
もっと奥深いですね。
ECサイトで物を売るとか、
もしくはビッグデータを活用する、
もしくはもう一歩踏み込んでくると、
ブロックチェーンなどを利用して、
何かしらのサービスを提供していくとか、
もうちょっと先に行くと、
いわゆるメタバースとか、
そういう世界のところまで行くわけですね。
そうすると、
双方向から、
相互関与まで行くということになります。
ウェブ1、1.0が、
いわゆる静的ページ、
ウェブ2.0が双方向、
ウェブ3は相互関与、
いわゆる分散型管理みたいな、
24:02
いわゆる分野になると言われているんですが、
このウェブ3の世界の中で、
このDXが、
もう一歩進む形になるわけですね。
いわゆる相互関与ですから、
お互いのことも、
お互い出会うこともできるし、
お互いのチェックをすることもできるし、
お互いのデータを持ち合って、
実際には、
セキュリティも生まれ、
収支も生まれ、
担任のデータを見ないようにするけども、
実するとデータは守られていく、
みたいなことが、
出来上がってくるという世界になってきます。
ですので、
実は奥深く考えると、
やれることはいっぱいあります。
例えば、
洋品店でいらっしゃいますので、
全国チェーンでとか、
全世界でとか、
というふうに物を売ってこようと思ったら、
このDXを徹底的に調べ上げて、
DX化していかなきゃいけないなと思います。
一方で、
群馬の地元の商店街、
洋品店を営んでいらっしゃるので、
それ以上のことはやるつもりはない。
せいぜいやって、
世の中のAmazonや楽天とかで、
もちろんYahooショッピングで、
ちょっと物をいい仕入れで売るかな、
なんていうんだったら、
いわゆるデジタルかITかぐらいの話ですので、
それはそれで買わないんじゃないかなと思います。
DX化までいくと、
例えば、
洋品店さんのお客さんたちを、
セブンイレブンなんか、
パソコンで入れて、
昔は20代女性とか30代男性とかいって、
全部ボタンを押して、
どういう人が何を買っていたか、
全部その一秒単位で、
売れすぎる人が見えてくる、
というようにしてたんですね。
今はもうセブンイレブンは、
それに近いことをやってます。
それがDX化ですね。
いわゆるビッグデータの統計分析をして、
何がどういうものが売れて、
どんなふうにやっていけるかって、
分かるようにするわけですね。
これは全国展開とか、
全世界展開では必要になっています。
ユニクロもそういうことをやってますね。
洋品計画も無事実装品もやってます。
無事実装品、ユニクロなんか、
すごいアプリを配っています。
それはもう、
誕生日とかを入れるわけですね。
誕生日とかを入れて、
名前入れて、男性女性入れて、
そうすると、こういう年齢の人は
こういうものを買っていくみたいなデータが、
全部データとして残っていくんで、
じゃあこういう年齢層向けの男の人には、
こういうものを作ろう。
こういう年齢の女性には、
こういうものを作ろうっていう販売戦略、
商品戦略までいくわけですね。
みたいなことをやっていくわけですが、
機能洋品店で1店舗やってたら、
こういう年代の人も
こんなの買ったな、
こういう年代の人もこんなの買ったなって、
ある意味社長さんが覚えておけば、
DXを同じことできちゃうわけですね。
だからこういうの仕入れようと思えばいいわけですよ。
そう考えると、
DXが必要なのかって言われると、
ちょっと悩ましい。
1店舗しかやっていかないんだったら、
悩ましいなという感じがします。
ですので、DXが、
意味はぜひ知っておいていただくのはいいですが、
DXは本当にするかどうかっていうのは、
ちょっと迷われた方がいいかもしれません。
場合によっては、
27:01
DXのセミナーなどいっぱいやっております。
私どもでも、
月間200本のセミナーやっておりますので、
勉強しながら学んでいただいてもよろしいかなと。
チャンスが生まれたら、
全国展開とか、
全世界展開を担って、
DX化していくことも必要かもしれませんので、
ぜひ勉強していただければと思います。
本日の3分コンサルタイムはここまで。
また来週。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり、
誠にありがとうございました。
この番組は、
2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの
成功社長、成功経営者のインタビューを
お届けしてまいりました。
この内容は、
すべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズビズが運営するウェブサイト、
経営ノートでも
閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく、
文字で読み返すことで、
新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントが
きっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で
経営ノートスペース
社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければ
というふうに思っております。
本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。
また来週。