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2024-10-15 21:50

#47-前編 双日や電通を経て挑む、ごみ処理問題の解決/株式会社JOYCLE 代表取締役 小柳 裕太郎さん

ゲスト:株式会社JOYCLE 代表取締役 小柳 裕太郎さん

JOYCLEさんは、ごみ処理問題をサステナブルに解決するため、小型のアップサイクルプラントを軸とした、分散型インフラの構築を目指されているスタートアップ♻️

2024年9月、シードラウンドにて融資含み総額、約1.7億円の資金調達を発表されました。

小柳さんの幼少期から起業までの経歴や、ごみ処理問題に取り組むに至った経緯などについてお話を伺いました🎧


▼トピック <前編-小柳さんの経歴とJOYCLE創業の経緯> ・3歳で札幌に移住し、サッカーやボイストレーニングに挑戦 ・セブ島への留学をきっかけに海外への関心が強まる ・アメリカへの交換留学とロサンゼルスでの語学留学 ・総合商社への就職と海外駐在(パプアニューギニア) ・レアメタルのトレーディング業務を担当 ・ベンチャー企業を経て電通に転職、新規事業開発に携わる ・環境エネルギー分野のスタートアップに注目 ・鹿児島県大崎町のごみ分別・資源化の取り組みに感銘を受ける ・ごみ処理コストの削減と資源化の両立を目指してJOYCLEを創業


▼ご出演者様/企業様の各種リンク

-HP

https://joycle.net/

-資金調達プレスリリース

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000009.000118557.html

-小柳さんX

https://twitter.com/koyayutaro

-JOYCLEさん公式X

https://twitter.com/JOYCLE_JP


▼スポンサー

伝えるだけで出来上がる、スゴすぎ資料「スゴシリョ」

-サービスサイト

https://sugosugi.jp/

-ワタリユウタさん(株式会社wib 代表取締役)

https://x.com/watari922


▼【ご案内】Startup Now1周年記念イベント

・日時:2024年11月7日(木)~ @STUDIO VIZZ EBISU

・スペシャルゲスト:チューリング株式会社 共同創業者 / 取締役CHRO 青木俊介さん

・お申し込みリンク:⁠https://peatix.com/event/4161145⁠


▼パーソナリティ

-中山悠里(独立系VCアニマルスピリッツDirector)

https://x.com/yurinakay

-稲荷田和也 (JobTales株式会社 代表取締役 / StartPodsプロデューサー)

https://x.com/oinariiisan


▼企画制作

『StartPods』スタートアップ専門ポッドキャスト企画制作(運営:JobTales株式会社)

https://jobtales.co.jp/StartPods


▼パーソナリティからご案内📣

資金調達を実施されたばかりの起業家へのインタビューを通じて、スタートアップの魅力を発信しています!ぜひ番組のフォロー、★5評価をしていただけますと幸いです。また、今回の配信が気に入った方はSNSで拡散したり、 #StartupNow をつけて感想をいただけたりしますと嬉しいです。


▼問い合わせフォーム(Startup Nowへのお便り)

https://forms.gle/vJbT4RMSea5HK6Ec7

サマリー

株式会社JOYCLEの代表取締役である小柳裕太郎氏は、ゴミ処理問題の持続可能な解決に向けた取り組みについて話します。彼のスタートアップは、小型のアップサイクルプラントを基盤とした分散型インフラの構築を目指し、環境エネルギー分野での革新を追求しています。小柳氏は、双日や電通での経験を経て、現在の株式会社JOYCLEでごみ処理問題の解決に挑戦しています。彼のビジネスに対する情熱や、留学を通じた多文化体験が語られ、パプアニューギニアでのプロジェクトにおける苦労や学びについても触れられています。小柳氏の環境エネルギー業界での経験をもとに、ゴミ処理問題の解決に挑む姿勢が紹介されており、特に住民の協力を得た分別活動と高資源化率を達成した成功事例が印象的です。

JOYCLEの取り組み
Startup Now🦄、資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業ひも解くポッドキャスト、パーソナリティーの StartPods 稲荷田です。
同じくパーソナリティーのスタートアップ大好きキャピタリスト、中山です。
本日は、株式会社JOYCLE代表取締役 小柳裕太郎さんにお越しいただきました。
JOYCLEさんは、ごみ処理問題をサステナブルに解決するため、小型のアップサイクルプラントを軸とした分散型インフラの構築を目指されているスタートアップです。
2024年9月、シードラウンドにて融資を含んで総額約1.7億円の資金調達を実施されました。
小柳さん、よろしくお願いいたします。
小柳 はい、JOYCLEの小柳です。よろしくお願いします。
裕太郎 冒頭の説明をちょっと今日は変えていて…
小柳 変えましたね。
裕太郎 めっちゃ裏で一人で笑ってました。
裕太郎 スタートアップファミリーの上原さんが、いつも駆け出しキャピタリストの上原昭ですって言ってるじゃないですか。
小柳 ねえ、最近変わったんですよね。言ってますね。
裕太郎 あれいいなと思って、私もそういう感じのなんとかキャピタリストにしようと思って、今週からこれに変えようとしました。
小柳 めちゃめちゃいいですね。
裕太郎 ちょっと余計な話ですけれども。小柳 はい。
裕太郎 小柳さんとの私の出会いというか、なぜ今日来ていただいたかというところですけれども、
アントラというセラレータプログラムで私が働いていた時に、私が運営側で、参加者側として来てくれたのが小柳さんというところで、
アントラ経由でのスタートアップなお出演は、イーバーさんに続いて2人目というところで、ちょっとうらやましいな。
裕太郎 うらやましい。
裕太郎 うれしいなと。
小柳 ありがとうございます。
裕太郎 うれしいなと思っているところでございます。
小柳さん、本当情報のアンテナが立っているのがすごく特徴的で、
アントラにいた時もいつもプログラムのメンバーにこんなすごい裏情報があるよみたいなのをシェアしてくれていたような、そんなところがすごく印象的だなというふうに思ってます。
今日はよろしくお願いします。
裕太郎 うれしいです。よろしくお願いします。
前編では小柳さんの生い立ちや創業に至るまでのプロセスを、後編ではジョイクルさんの経営や事業について伺いますので、ぜひ合わせてお聞きください。
幼少期と音楽活動
ここで、スタートアップNOWを応援いただいている番組スポンサーからのお知らせです。
この番組は、スゴ資料の提供でお送りしております。
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ジャパンモビリティ賞の決勝に登壇させていただいたんですけれども、
投金が1000万円かかっているということで、これはちょっと下手な資料では出れんということで、
スゴ資料に依頼をかけまして、渡里さん、資料をブラッシュアップしたいですというお話をして、
その時にブラッシュアップした資料が今も使われている資料のフォーマットにはなっている。
その後、いろんなアクセラとか、登壇したときの受賞とかもいただいているので、
本当にスゴ資料にはお世話になっておりますので、スタートアップの皆さん、ぜひスゴ資料に資料を何とかしたいという時は、
お声掛けいただくとすごくいいんじゃないかなと個人的には思っております。
スポンサーさんに触れていただいた企業家さん、初めてです。ありがとうございます。
それでは改めまして小柳さん、まずは簡単な自己紹介1分程度からよろしくお願いいたします。
はい、改めましてジョイクル小柳です。よろしくお願いします。
ゴミを分散型で運ばず燃やさず資源化するインフラを立ち上げるということで、ジョイクルの運営をしております。
もともと商社、人材ベンチャー、広告代理店、環境エネルギーのスタートアップを終えまして、去年に立ち上げたのがこのジョイクルになります。
ここ5年ぐらいはずっと環境エネルギー分野で起業したいなということで、どの分野が一番面白いかなというところで、
いろんな技術とか背景見てたんですけれども、このゴミ処理の分散型処理というのはものすごくニーズがあるわりに、
リスクマネーもディープテックも全然入ってない分野だったので、非常に面白さと勝手な使命感を感じたところがあって起業したという経緯になってます。
本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
後ほどその創業に関わる経緯をぜひお伺いしたいなと思いつつ、幼少期だったり過去のエピソードだったり、そういったところを少し教えていただきたいんですけど、
昔どんな子だったかとか、印象に残っているエピソードとかそういったのがあったらいくつかください。
はい、アンドセルも昭和内で小学校行ったりとかですね。
どういうことですか。
エブラで。
自分一人だけ小学校の中休みが2時間あってずっと雪合戦してたりとかですね。
先生中世の少年だったんじゃないかなというふうに思いますね。
小学校4年生からずっと大学までサッカーやってたので、サッカー始めてからもうサッカー少年という感じでしたね。
小学校時代がもう北海道ですか。
そうです。小中高大とずっと北海道です。
親御さんの関係ですか。出身は東京ですよね。
そうなんです。3歳の時に両親が離婚して母方のおじいちゃんおばあちゃんがいる札幌に移住してですね。そこからずっと札幌ですね。
そういうことですね。環境とかもガラッと変わったかなというふうに思うんですけど、
北海道での思い出とかサッカーだけじゃなくて歌手になるためのボイストレーニングとかやたられてらっしゃとかもいろいろ拝見したんですけど、
そういうのも含めて何か教えていただけますか。
3歳で移りまして、ずっとサッカーばっかりやってたんですけど、中学校がNHK合唱コンクールの優勝とかしてる学校。
今でも覚えてるんですか。アベティーっていうめちゃくちゃ合唱コンでも有名な審査員とかもやってる先生が指導が上手で。
僕、なんとなく歌は得意識あったんですけども、小柳合唱部強いってその先生に言ってもらってから、やっぱ俺歌うまいのかなとか勝手に言ってたんですね。
そんなことがあり、小中高はサッカーばっかりやってたんですけど、大学入って国立大でもプロになりたいと勝手にサッカーでも思ってたんですけど、
難しいかもなっていうのもよぎり、じゃあ得意なことやってみたらどうなのかなと。サッカーは割と苦手な中で好きだから続けてたっていうところがあって、
苦手だけど好きなものでプロになれるかってチャレンジだったんですけど、得意なものでそれを伸ばすことをちょっと努力してやってみたらどうなるのかって実験をしたくてですね。
それでボイストレーニング通ってオーディション受けたりとかっていうこともやってまして、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど3代目Jソウルブラザーズを受けたことがありまして、
僕の一つ前に戸坂ひろうみが歌ってですね、東京の、北海道の予選を通って東京に来たら、僕の前に戸坂ひろうみさんが歌って、うわー東京の人やっぱみんなうめぇんだなと思って。それで楽天したという経緯があります。
めちゃくちゃ面白いですね。やっぱ得意好きであり得意であってもなかなか難しいんですね、アーティストといいますか歌い手の領域っていうのは。
そうですね、やっぱり下製とか歌だけじゃないところとかもいろいろあると思うし、タイミングとか語源とかもいろいろあると思うので、なんかそういうのに比べたらよっぽどビジネスの方が実力主義でシンプルだなって。
スポーツエンタメとかと比べたらよっぽどシンプルだなってつくづく感じますね。
才能だけじゃなくてロジックだとか定石みたいなのもありつつ、努力でもどうにかできる領域があるってことなんですかね。
はい、そうですね。自分で手繰り寄せれるこう、可変領域が広いなって思いますね、ビジネスの方が。
ありがとうございます。あと気になっていたところは、海外の留学とか交換留学も何度か経験されているということがありましたけれども、これはいつぐらいの話ですかね。
はい、大学2年生の時に初めて留学をしたんですけれども、サッカーやってバイトやってばっかりだったので、その母親がですね、突然なんかあんた海外でも行けばって言い出したんですよね。
背景としては、母親が自分が学生の時に留学したくてもできなかったっていう背景なんですけど、全然海外とか考えてなかったのに、いきなり母親があんた海外でも行けばって言うから、なんかそれおもろそうって思ってすぐ調べて、じゃあ来月からセブ行くわって言ってですね。
大学2年生の夏休みにセブ島に1ヶ月短期留学に行ったっていうのが最初の1人での海外に行った経験ですね。その後、交換留学というものがあるらしいっていうことを現地の韓国人から情報を知りで、交換留学って言葉を知らなかったので、
留学とサッカーの経験
かえってその留学センターっていうところに行ったら、あるんだなっていうのがわかって、じゃあ海外でサッカー留学できるなと思ってですね。イギリスとアメリカを候補にして、イギリス第一希望にしてたんですけど、最終的にアメリカのアトランタの大学に決まりまして、じゃあこのままの合学力じゃちょっとやばいっていうことで、もう1回ニュージーランドの短期留学も挟んでですね。
で、アメリカに交換留学1年ぐらい行ってたんですけども、半年はちゃんと交換留学で行ってたんですが、サッカーばっかやってたんで、サッカーがもう楽しくなりすぎちゃってですね。アトランタ冬、雪降るんですよ。みんなウインタースポーツに切り替わるんですね、アメリカの学生って。
で、なると、俺サッカーしに来たのに何してんだろうみたいになって、ここでまた親が登場するんですけど、俺ちょっともう日本帰るわって言ったら、もうちょっとロサンゼルスでも行けばくらいなこと言ってきて、それも面白そうだなって。
めっちゃ素直ではあるんですね。
なんかそれも、もうちょっとアメリカいれば的なこと言ったんですよ、確か。他に手段あんだったらいればみたいなこと言って。で、調べてロサンゼルス行って交換留学しながらサッカー友達増やすってのも面白いかと思って、範囲取るの諦めて、もう半年で交換留学辞めて、ロサンゼルスのアパート借りて、
ここで夜明けサッカーして、昼後学学校行って、夜ヒスパニックの友達の公式戦出るみたいなことやってたので、留学センターの人にそんなやつ初めて見たって言われましたね。そんな留学系です。
なるほど。で、帰ってこられて、あとなんかバックパッカーでインドを旅をされたとかもありますけど、これはその後とかですかね。
そうですね。サッカー選手化、歌手になろうって思ってたんですけど、就活してみたらすげービジネス面白いってなっちゃって、一番でっかいことやれそうってバカっぽいって言うで、早日に行くぞって決めてですね。
ありがたいことに。しかもね、面接も課長面接2時間遅刻してるんですけど、実は。
えー、2時間遅刻って言ったんですね、逆にすごい。
そうなんですよ。それでも採用の方がすごいねじ込んでくれたらしくて、それでご縁いただいて早日内定して、もう一回インドかアフリカとか、あんまり旅行で行かないようなところにもう一回一人で行きたいなって思って、
で、ちょっとアフリカだとお金かかるやと思ってインド行ったっていう。1ヶ月ぐらいコルカタから入ってデリーまで電車でずーっと1ヶ月ぐらい旅するっていうことをやりました、バックパッカーでは。
はい。めちゃくちゃいいですね。いわゆるその早日さん、総合商社さんって就活の難易度でいくと結構高い気もするんですけど、それはどういうふうな、もうサッカーやってました?何を評価されたとか、いわゆるどういう学地下で入社されたのかみたいなのも気になるんですけど、
どんな感じだったんですか?
いや、そうですね。留学でサッカー頑張ってましたとか、歌手目指してましたとかってはいたんですけど、僕は北海道の人があんまり自己主張しない中でたまたま変なやつがいたからちょっと目立てただけだと冷静に分析してまして、
そうだったら自信なくして絶対商社入れなかったなって思います。
へー面白い。一応じゃあ北海道の採用枠というかそういうのがあったんですかね?
そうなんですけど、その日の同期北海道で内定してるの僕だけなんですよ。
へー。
そうなんです。内定した懇親会とかめちゃくちゃ寂しくて、自己紹介しましょうとかってやると関西関東組が何人かで前に来て漫才始めたりとかするんで。
すごい。さすが商社。
めちゃくちゃ嫌でしたね。
嫌ですねそれは。
そんな思い出があります。商社入んなきゃよかったんじゃないかとか。
入んなかった。
入んなかったんですけど意外と盛り上げ上手に限って仕事できないっていうパターンもあるってことだったので、あんまり自信喪失せずに済んだって感じです。
よかったです。入社されてからもういきなり駐在だったんですね。
そうです。最初企画業務室っていうところで取引先の余診を見るような、科学本部のそういう部署で。
営業ではあったんですけど営業っぽいことができずむちゃくちゃフラストレーションがあって1秒でも早く出たいっていうことをいろんな人に言い回してたら、
当時の科学本部長が、お前来月からパプアねって12月に言って、
パプアアフリカだっけみたいな、まず場所がわからんってところで。
そうですよね。パプアって言われたら国名なのかもわからないぐらいのあれですね。
そうなんです。意外と形成一緒なんだみたいな感じ。
でも出たかったわけだからすごい嬉しくはあったんですかその内地って。
めちゃくちゃ嬉しかったですね。しかも他に行ったことあるやつ見たことなかった国なんで。
確かに。
嬉しかったですね。で半年ぐらいパプア行ってました。
現地での生活はいかがでしたか。
これ面白くて3LDKの2階と3階があって、3階が住居区間2階がオフィスなんですね。
所長と2人ぐらいしたんですよ僕が。
超やだ。
リビング共用なんですよ。
いやですねそれ。
ナイジェリアのアゴラから出張来た先輩がこれアゴラより過酷な環境だって。
別の意味で。
これはやばい。ハードシップ手当がアゴラが1番でパプアニューギニアが2番なんですけど。
これはアゴラより圧倒的に過酷だって言ってましたね。
JOYCLEでのごみ処理の取り組み
そこでやられてらっしゃった事業だったり、実際の今の現代圏につながるような話も少しあるのかなと思いますけど、
そんなあたり教えていただけますか。
はいありがとうございます。
当時創設がメタロールっていうですね化学品の工場をインドネシアに持ってまして、
それの2番目を作ろうっていうのがパプアだったんですね。
そこのお手伝い、デッチ方向的にお手伝いしてこいっていうのがまず第一プロジェクトだったんですけれども、
もう一つ日本のメーカーさんの海水淡水化施設をですね、現地の村に入れるっていうプロジェクトがあって、
現地の6千人ぐらいの人口の村に入れようっていう動きがあって、
その村の子供たちっていうのが片道2時間ぐらいかけて水汲みに、山合いの池にですね水汲みに行くような村でして、
4時間以上子供たちが水汲みに時間かけているという場所だったので、
それを何とかしたいっていう村長さんの思いからですね、
現地の国家計画省っていう省庁の補助金を使って、
日本の海水淡水化施設を現地に入れて海水を飲み水に変えれるようにしようっていうプロジェクトを
お前やれっていうことで1年目で任せてもらってやってたんですけど。
現地何回も通ったりとか、どこにこの水のタンクを置いてどうやってパイプライン引くかとかって、
お絵かきしながらですね、いろいろ。
現地の業者とか見積もり取ったりとかいろいろ進めてやってたんですけども、
結局国家計画省の補助金が行方不明になりましたっていう、ある日出てですね。
全部おじゃになっちゃったっていう経験をしていまして、
そもそもカントリーリスクめちゃくちゃ高い国で補助金だけ当てにして、
こんなに悪せく置いてた自分っていうのが情けないなって思ってですね。
自分がもうちょっと成長してビジネスマンとして優秀だったら、
人の選択を増やせたんじゃないかなっていうところが結構現体験としてあったりします。
すごい。補助金どっか行っちゃったっていうのはどういう意味なんですか?
全然わかんないんですよね。
いろんなことがある国でして、一応単元書でちゃんと説明してくれとかですね、
こういうのも何回も書いて国家計画省を詰め寄ったりもしたんですけど、
結局何も出てこず分からずしまいですね、どうなったかは。
なるほど。そこはもう飛んだされてしまって苦い経験だったと思うんですけれども、
それで1回日本に戻られたんですかね?それともすぐ転職とかされてるんですかね?
いえ、1年目だった2年目の夏に帰国しまして、
それからはレアメタルのトレーディングとかですね、やってたので、
中国とかベトナムとかに出張しながら、日本にレアメタルを持ってくるタングス店というのを僕が担当してたんですけど、
トレーディングのビジネスをやっていましたね。
合計で何年間いらっしゃったんですか?
5年間。
結構長くいらっしゃったんですね。
そうですね。個人商店みたいなことをトレーディングの時はやってたので、
かなり自己裁量でいろいろやらせていただいてたなっていうのが思い出にありますし、
めちゃくちゃ怒られたなっていう思い出もあります。
何を怒られるんですか?
もうケアレスミスがめっちゃ多くてですね、
例えば当時まだFAXの受発注とかあったんですけど、それを書き間違えて30万損国とかですね。
そりゃ怒られるわ。
怒られたりとかしててですね、これが直んないんですよね。
ただ、商談行くとなんかよくわかんない案件ポンと取ってきたりするんで、
すごいみたいな感じだったと思います。
で、その後に今の会社創業されたわけではなくて、何社かは転職されてらっしゃるんですかね?
そうですね。ベンチャーとどっかで接点持たないと、接点持てないんじゃないかなと思って、
当時29だったんですけど、一旦ベンチャーに行こうっていうので、いろいろモンテトリーでわーって会いまくってですね、
ゴミ処理問題への挑戦
今後のキャリアの幅が広がるんじゃないかっていうところで、
フリーランスをプロジェクト単位でどんどん入れていくっていうことをやるコンサルみたいなことをですね、
1年弱やってまして、そこで新規事業やりたいっていうことで入ったんですけど、なかなかできなかったので、
新規事業ができるところを探してたタイミングでたまたまデンツーからビズリーチでオファーもらいまして、
広告代理店って考えたことなかったなと思ってですね、
で、八甲堂さんとデンツーとどっちも受けて、
どっちだってどういうことができますかとかって話をして、
新規事業開発ができるのがデンツーだったので、デンツーに行って2年半くらい、
デンツーの中で商社っぽいビジネスを立ち上げるっていうことをトライしたりとか、
環境エネルギー系のスタートアップに投資するっていうチームを立ち上げたりとか、
そういったことをトライしていたんですけれども、やっぱりその分野、当時のデンツーだとまだ早いっていう感じが結構あり、
かつこのディープテッド系のスタートアップの投資リンクを上に上げるとよくわからんみたいな話も結構あったので、
やっぱ環境エネルギー系に染まった会社に行くべきだなって思って、
ユースイノベーションズっていうエネルギー業界だと結構有名なお二方が立ち上げた会社に4人目で入りまして、
もうここは起業する前提で入社させてもらってですね、
それで環境エネルギーイノベーションコミュニティの立ち上げとか、投資のソーシングちょっと手伝ったりですとか、
そんなことをやってからの起業っていう流れですね。
今の領域に注目された経緯っていうのも最後お伺いしてもいいですか?
はい、最初のやっぱり人の選択肢を増やす事業がやりたいみたいなのをパプアですごく思ったっていう原体験から、
どの分野で起業すると一番レバレッジが高いかなって考える時に、やっぱりインフラとか環境エネルギーっていうのが僕の頭の中では結構よぎってました。
その一方で、結構この分野って技術者とかが起業しているケースとか、たくさんあるし、素晴らしい技術者いっぱいあるし、
そっちの理系の頭で勝とうと思っても勝てないですし、どうしようかなっていう思いと、
一旦いろんな社会課題を見て回ろう、いろんな技術を見て回ろうっていうことをコミュニティの盛り上げっていうのをやりながらですね、
やってた中で、たまたま鹿児島の大崎町っていうところと接点を持ってですね、そこがゴミの焼却炉が、
もう税収がなくなってきているので延命ができないっていうことで、全部焼却炉閉鎖しまして、
住民の方に何百回も年間説明会をしてですね、28品目にゴミを分別して、
大資源化率を通常だと自治体20%ぐらいが平均なんですけど、そこは85%以上超えていて、
焼却に回さなくても全部資源に回してですね、サステナブル化してるっていう自治体さんがあって、
これすごいなと思いました。これじゃあ東南アジアとかに持ってけるかっていうと、海外の人そんなに分別とかしないよなとか、
分別とか資源化をしてるんだったら、そのメリットがもっと住民の方とか企業の方とかに返ってくるようなモデルって作れないのかなとかっていうことをちょっと思い出してですね、
そんなことを考えて調べていくと、産廃処理のコストって結構上がってってるので、
じゃあここのカットするっていうところは結構ありそうだなっていうところから、そういうことができそうな装置を探して今の事業に繋がっていってるっていう経緯があったりします。
地域の成功事例
分かりました。ありがとうございます。前編以上ここまでさせていただきます。後編では小柳さんが掛けていらっしゃるアップサイクルの事業についても迫ってまいりますので、ぜひ続きをお聞きください。
前編みなさんありがとうございました。ありがとうございます。
21:50

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