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2018-03-21 18:33

第63回 古俣大介氏(ピクスタ株式会社代表取締役社長)【前編】

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今回は、デジタル素材のオンラインマーケットプレイス「PIXTA」を運営する、ピクスタ株式会社 代表取締役社長の古俣社長にお越しいただきました。大学1年の際、「広い世界に挑戦したい」というエネルギーが沸き上がるとあるきっかけを境に、起業を真剣に目指すようになったという古俣社長。

「才能をつなぎ、世界をポジティブにする」という企業理念のもと、2015年に上場を果たされました。

さまざまな経緯をたどり、現在のような多くのクリエーターに価値を提供するプラットフォームを拡大されるまでにどのような物語あったのか、ぜひインタビューをお聞きください!


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社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞くWizBizは、古俣大介社長様でいらっしゃいます。
経歴をご紹介させていただきます。
珠江大学在学級にコーヒーマムの維持性販売、女性向け古着販売を開始、
その後、大学4年次に株式会社ガイアックス、
私の後輩の上田君がやっている会社のインターンとして入社。
その後、正社員として入社して、2つの新企業を立ち上げられていらっしゃいます。
その後、2005年には株式会社オンボード、現ピクスタ株式会社を設立し、
代表取締役の社長になられていらっしゃいます。
2015年の9月には、まずは常常ということで、
常常企業の社長様でいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まずは最初のご質問ですが、ご出身は埼玉の八代ということで、
小学校・中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか?
そうですね、私の両親が会社を経営していまして、
2人とも小売業を別々で会社でやっていたんですけれども、
私は兄弟3人いて、兄と弟がいるんですけれども、
よく休日とか平日の夜は手伝いに借り出されたり、商品を運んだりとか、
そういう商売人の背中を見て育つみたいな、
そういうところが結構大きかったですかね。
小学校・中学校は普通に地元の公立のところに行って、
部活とかも普通にやりながら、
そういう親の手伝いをいろいろやってきたみたいな記憶が結構あります。
お父様もお母様も社長ということですね。
そうですね、ちょっと珍しい家庭でいらっしゃいましたね。
高校も埼玉の方でいらっしゃいますか?
高校はですね、東京の市立の方に駒込高校というところに行っていました。
高校時代はどんな思い出があられますか。
高校はですね、ちょっと横道に反れてしまったというか、
悪意がいろいろできてしまいまして、
勉強とか学校のいろいろな活動もそんなに熱心に取り組まずに、
友達と街を徘徊したりとか、そういうちょっとだらけた感じで過ごしていました。
大学は多摩大学を選ばれていらっしゃいましたが、
多摩大学を選ばれた理由というのは何かあられたんですか。
そうですね、そもそもそういう高校時代を過ごしていたので、
大学に行くべきなのかみたいな悩みもあったんですけど、
父親から面白い大学があるというふうに聞きまして、
そのパンフレットをもらったんですけれども、
当時多摩大学はまだ創立数年ぐらいの新しい大学で、
野田和夫学省という方が最初に作られて、
起業家を生み出すという面白いコンセプトで、
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教授も産業界の大勢の方々を呼んだりとか、
非常にユニークで面白いなというふうに思いまして、
ここなら入ってもいいかもしれないみたいなふうに思いまして、
多摩大学に入ったということですね。
高校時代から起業するつもり満々という感じでいらっしゃいますか?
実際、高校の3年間はダラダラと過ごしていたので、
そこで起業を決意しているかというとそんなこともなく、
なんとなく大学に行くならこういうところかなというぐらいでした。
大学ではどんなことを学ばれていらっしゃったんですか?
大学は経営情報学部という単一の学部の大学だったので、
経営学とか財務、会計部分とかマーケティング、
あとはコンピューター系の授業がいろいろありまして、
ただ大学に入ってもそんなに勉強ですとか、
いろんな活動に身が入らずですね、
アルバイトしながらまたダラダラと遊んで暮らすみたいな生活を
1年半ぐらい実はやっていたというのが実情ですね。
なるほど。
大学を出会ったのは大学の4年というふうにおっしゃっていましたが、
それまでは遊びながら勉強しながらという感じですか?
そんな感じで大学1年生を過ごしていたら、
多摩大学って単位を取るのも昇給するのも結構厳しくてですね、
いきなり留年しちゃったんですよね。
留年してショックも受けたんですけど、
親にもすごく怒られたんですけど、
そこでこのままじゃいけないなということで、
私のおばが日本でイスラエル人と結婚して、
イスラエルに移住していましてですね、
前から遊びに来いと言われていたんですけども、
重い腰を上げてじゃあ1回行ってみるかというふうに思ったのが、
2回目の1年生の夏ぐらいでして、
ほぼ初めてに近い修学旅行で海外に行って、
初めてに自分で行った海外だったのがイスラエルだということで、
行く最中も大変だったんですけど、
行ってからも一人でいろんなものを見て1ヶ月ぐらい過ごしてたんですけど、
やっぱりそれまでの日本での暮らしからすると異次元の世界がありましてですね、
周り中がアラブ諸国に囲まれて、
国境を本当に守らなきゃいけないとか、
同じぐらいの年の若者が軍隊で最前線で国のことを考えて活動していたり、
一方エルサリミクと何千年の宗教の歴史が至る所で息づいていたりとか、
そういう今までにないリアルないろんな世界の会話を見えたような瞬間でして、
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そこで非常に自分としては衝撃を受けたんですね。
今まで自分はなんと狭い世界に生きていて、
世の中がこんなに広い、いろんな人たちがいて、
いろんな可能性に満ちているけども、
自分はいかに狭い世界に閉じこもっていたのかということを分かりましてですね、
そこで同時にイスラエルに持っていった本がありまして、
ソフトバンクのソン社長の初めて出たぐらいの本でして、
ソフトバンクのソン社長の反省記みたいなのは、
まだ当時40歳ぐらいだと思うんですけど書かれていて、
ソン社長の人生にもものすごい衝撃を受けましてですね、
世の中こんな可能性を追求している人が、
しかも10代の頃からそんな活動している人がいたのかという
二重の衝撃をちょうど20歳になる前ぐらいの時に受けまして、
自分の中からその時にふつふつとエネルギーが湧いていきましてですね、
自分もこの無限の可能性に挑戦してみたいと、広い世界でね、というふうに思いまして、
その時に初めてやっぱりこの事業、事業家として
大きな価値を見る事業をやってみたいということを思いになったんですね。
なるほど、そうすると多摩大学の2回目の1年生の時がある意味分岐点のターニングポイントで
その後そうするとコーヒー豆の一種販売とか女性向け古着販売がやられた、
それじゃあ2年生か1年生の終わりとかそんな感じが始まったんですか?
2回目の1年生の時にそういう決意をしたんですけど、
それまでの4年間ぐらいのブランクがありましたので、
勉強とか知識をインプットとかそういうことを一切していなかったので、
あまりにも世の中を知らなすぎたんですね。
特に経済がどう回っているのかとか、世の中にどういう企業があってどういうビジネスがあって、
これからどういう事業が世の中で伸びるのかということも全くわからない状況だったので、
一旦勉強しようということで、ひたすら家にこもって本を読みまくったりとか、
そこで初めて大学の授業にもちゃんと出るようになって、
そこから大体前から3番目以内の席に座って真剣に授業を聞いたり質問したりということをやったり、
大学で気に入った教授に頼んで勉強会を開催したりとか、
そういう時期を2年くらい過ごしまして、
やっぱり色々調べていくと、私の世代でもあるんですけど、
インターネットで新しい価値を見れるその授業をやりたいということを強く思えるようになって、
インターネットで自分が取り組める授業を、
まず軽く練習がてらといいますか、
ライトに始められる学生でもできるようなものって何かということを考えたときに、
物を売ることかなと。
実家が、親が物を売っていたということもあったんですけど、
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なので親戚でコーヒー豆屋さんをやっている方がいて、
その人に頼んで仕入れをさせてもらって、
ネットで自分でサイトを作って売ってみたというのが3年生くらいですかね。
結構当たったものなんですか。
そうですね、個人でやり始めて数ヶ月で月に3、40万円くらいの売り上げになって、
特にあまり広告費もかけず、
他にそんなにサイトも、そういう販売サイトもなかったというのもあるんですけど、
当時98年くらいだったので、そこそこ注文が入るようになったという状況でありましたね。
なるほど。
そうなってくると、そのまま企業って感じだと思うんですけど、
外役数に入られていらっしゃる理由は何かあられたんですか。
それもたまたま偶然だったんですけど、
そういう個人事業をやっているときに、
たまたま父親の会社に来ていた営業の方がいらっしゃって、
自分も会わせてもらって、面白い営業の方がいるということで会わせてもらって、
自分の話をしたんですね。
そうすると、それだったら自分の同期が今インターネットの会社をやっているので、
一回やってみたらどうということで、外役数の上田社長を紹介してもらって、
当時渋谷のビットバレーと呼ばれるエリアにオフィスがあって、訪ねて行ったんですね。
いろいろ話したんですけど、
上田社長は私の2校上ぐらいの、年が近い感じだったんですけど、
事業に対するアプローチみたいなのが全然異なっていまして、
そこでも非常に衝撃を受けたんですね。
私はやれることから徐々にやっていこうということで、
少しずつやれることをやってきたんですけど、
上田社長というのは、
ゴールイメージから考えて、
自分はこういう会社を最終的には作りたいと、
数年、どのくらいの期間でこのくらいの会社を作りたいので、
じゃあそのために必要なリソースだったり資金だったり、
人だったりというのを考えて、
それを今から一気に調達しに行くというアプローチをされていたので、
その話に非常に衝撃を受けたんですね。
自分はこんなやり方をやっていると、
自分は事業家として大きな価値を見出すという、
このゴールに対してはなかなかたどり着けないかもしれないということで、
このGAIXという会社で、
とにかく修行をしたいなというふうに思いまして、
1ヶ月でいいから、
無料でいいから、
新しい会社を作りたいなというふうに思いまして、
その後、
その後、
1ヶ月でいいから、
無料でいいから、
新しい会社を作りたいなというオファーをして、
卒業前の1ヶ月くらい、
期末テストが終わって、卒業が決まってから
働き始めたというのが最初のきっかけですね。
就職活動は全然やらなかった?
全くやらなかった。
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本当は独立しようかなぐらいの勉強になりましたか?
そうですよね。
それがGAIXの上田と出会って、
そのままインターンとして入った?
結果的にインターンに入って、
2週間ぐらい経って、
社員でやらないと言われて、
その2週間がまた非常に刺激的で面白かったので、
このまましばらくいてもいいなと思って、
社員になったという記憶ですね。
何年ぐらいいらっしゃろうなんて当初は思っていらっしゃった?
それも最初のですね、
入ってすぐに合宿みたいなのがあって、
そこで挨拶したのは、
1年後ぐらいには独立すると思いますので、
よろしくお願いしますと確か言った記憶がありますね。
結局何年いらっしゃった?
10ヶ月ぐらいですかね。
10ヶ月でもう独立しちゃってますね。
なるほど。
GAIXで学ばれたことはどんな感じでしたか?
そうですね。
やはり先ほど申し上げたように、
ゴールから逆算して考えて動くという考え方は、
非常に今でも役に立っていますし、
あとはビジョンを打ち出すことの大切さですかね。
ビジョンをしっかり打ち出していって、
周りから共感を得られれば、
資金だったり優秀なメンバーだったりというのが集められて、
徐々に事業の可能性というか実現性が高まっていくことは
非常に学びになりました。
なるほど。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
ネットメディア2014年創業。
従業員10名。
所在地はお茶の水の会社様です。
初めまして。
生まれも育ちの分局代表の優です。
35歳だそうです。
素晴らしいですね。35歳で創業ですか。
家族は祖父の代化を親御を営んでおり、
現在、父が管理、所有している
お茶の水の駅前の賃貸オフィスの一角で事業を営んでおります。
なるほど。
家族表現のオフィスである上、
純粋に骨盤も測られており、
業績もそこそこ好調であります。
しかし、オフィスが都心から若干離れることもあり、
今いる社員たちの通勤時間は
往復で平均4時間弱かかっており、
いろいろ時間ロスが課題となっても、
結構遠くに住んでいらっしゃるんですね。
これまで通勤時間が理由で退職していった仲間も数名います。
そこで現在、大学勤務の導入を検討しています。
もちろん、社員全員が対象ではなく、
現社員ではオフィスまで特に遠い2名を対象に考えております。
在宅勤務を検討する運びになった理由は、
大きく分けて3つでして、
1つ目は、時間の節約による生産性のアップを図るため、
2つ目が、離職防止です。
そして、現在、再募集をかけても全くメッセージを払わない現状で、
これから場所に縛られない人材支払いを行う必要性を感じたからです。
ウィズウィズさんでは在宅勤務は導入しておりますでしょうか、
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もしくは、同制度に反対派でしょうか、
新大事社長のご意見をぜひお聞かせください。
よろしくお願いいたします。
私どもは在宅勤務は、もともと創業時からありまして、
数名、在宅勤務を今現在もやっております。
実際、在宅勤務をやっているメンバーは、
週に3日は来ていますが、
たまにしか来ないという形になっています。
全体の会議であったりとか、
朝礼があったりするときだけは必ず来るようにしていますが、
できれば私としては、週1日ぐらいしか来てほしくないな、
ぐらいのことを思っております。
なぜ在宅勤務を私どもは入れたかと言いますと、
私の考え方なんですけれども、
成果を出すやつは、年1日しか働かなくてもいい。
逆に成果を出せないんだったら、
24時間365日働くべきだという考え方で、
働くべきだという考え方を言っています。
もちろん、労働基準法がございますので、
それに合わせてちゃんとやっておりますが、
成果を出せて自立できているメンバーは、
きちんと仕事ができるので、自由に働くべきだろうと。
ある意味、フリーランスに近い形で、
しかしながら、社会保険とか健康保険とか、
労災とかある守られた立場で、
フリーランス的に働くというのがいいんじゃないかというのが、
私の考え方です。
なので、当初より在宅勤務を導入していますので、
在宅勤務を導入されるのは、素晴らしいし、
いいことなんじゃないかなと思います。
ただし、注意したほうがいいことがありまして、
在宅勤務を認めているメンバーというのは、
私もでは割とベテラン勢で、
自分で自立ができるメンバーじゃないと、
家にいまして、家で何も仕事をしないでということがあり得るので、
きちんとその成果を、農機を守り、
成果をきちんと出すということができるメンバーじゃないと、
在宅勤務は厳しいんじゃないかなというふうに思います。
それが1点目。
2点目が、採用には全くつながりません。
在宅勤務はあるんですと言っても、
面接のときに言ったとして、
素晴らしいですねと言われても、
だからといって入社するかというのは別の話です。
ですので、人材採用に関しては、
全く効果はないと思ったほうが、
よろしいんじゃないでしょうか。
もちろん、生産性のアップ等は測れると思います。
私の社員も4時間半かかって、
往復4時間半かかるメンバーも4名おりますし、
なるべくならば、
通勤というのはもったいない時間になりますので、
そういう意味では、
在宅勤務を導入されることは、
いいことなんではないかと思っています。
また、在宅勤務等々を入れていきますと、
おそらく助成金の制度なんかもあるんではないかなと思います。
副業を認めたり、
在宅勤務を認めたりすると、
助成金なんか制度もありますので、
そんなのもお調べになって、
活用されたらいいんじゃないかと思っています。
本日の3分コンサルティングはここまで。
また来週、
最後までお聞きいただきまして、
18:07
誠にありがとうございました。
本日のポッドキャストはここまでになります。
また来週、お楽しみに。
18:33

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