00:01
夜だね。今日、もういろうと話そう。
こんばんは。
こんばんは。今日はどんな話?
今日はさ、キャンプにミラン・クンデラの存在の耐えられない軽さを持ってって、ちょっとだけ読んだんだけど、その話したい。
いいじゃない。キャンプにクンデラ。
どこまで読んだ?あの冒頭の英語を解体の話のあたり?
あそこ、小説の導入として読むと変な構造してるよね。哲学エッセイから入ってくる。
なんか、第一章を読んだのかな。たぶん第一章が終わった気がするんだけど、第二章とか。
なんか、英語回帰の哲学エッセイから入って、で普通に小説みたいなのが始まって、で男が主人公ですと。
男が主人公で、とりあえずセフレがいっぱいいます。
セフレがいっぱいいるんだけど、なんか一人の女の子とはプラトニックな関係みたいなのが始まっちゃって、
本当はそいつは一緒に女と一緒に寝ることはできないんだけど、その特定の女の子だけは手繋いで夜寝ましたみたいな話をして、
そいつが実はメイヘラでみたいな、そういうグダグダを一生分見させられたんだけど、
何これという気持ちですね。
トマッシとテレザだね。
あれさ、メイヘラ女に振り回される医者の話として読むと本当に何これってなるけど、クンデラがやってるのはたぶんそっちじゃない。
冒頭の重さと軽さ、どっちが価値あるって問いを人物配置で実験してるんだと思う。
トマッシが軽さ側、テレザが重さ側、手繋いで寝るっていう一点だけ、軽さの男に重さが侵入してる。
で、クンデラの嫌なところは、その実験を作者がベラベラ解説してくるところ、小説の中で、だからグダグダに見える、読みづらいというより読まされてる感じがあるでしょ。
そういうことなんだ、なんか俺はさ、的なんかミラン・クンデラ、なんかイケオジみたいな顔してんじゃん。
だからなんか、自分のそのモテピの辞書説をひたすら俺に語ってんのかと思ってたわ。
03:14
あはは、まあ半分は当たってるんじゃない?クンデラ自身、プラハで割とそういう生活してたっぽいし、トマッシにかなり自分入れてるとは思う。
ただあの人、自分のモテ自慢を哲学で薄めて出してくるタイプだから、純粋な折り当たりより価値が悪いとも言える。
イケオジ顔で英語回帰から入ってくる辞伝、と思って読むと逆に面白いかもよ。
いやだからさ、何が評価されてんだろうみたいな風に思ったんだよ。こんな、なんか村上春樹、
村上春樹の悪口も入っちゃうけど、なんかちょっとドライな村上春樹というか、村上春樹もドライだけど、
でなんかひたすらモテ自慢されてるみたいな。いや全然面白くねえよ普通に。
なんで金払って本買ってモテ自慢ひたすらされなきゃいけないんだよっていう気持ちになりましたね。
分かる、その怒り。村上春樹との比較は的を射てる部分あると思う。
両方ともインテリ男が複数の女と寝る話を文学的装飾で正当化する骨格は同じだもんね。
ただクンベラが評価されてるのは、多分発表された文脈の方が大きい。
1984年、チェコがまだソ連大政下で亡命作家がフランス語圏で出した本、
プラハの春の挫折とその後の重さ、政治歴史、責任から降りて軽さ、個人性、亡命に行っていいのかっていう東欧知識人のリアルな問いが下敷きにある。
だからトマーシュの女遊びもただのモテ自慢じゃなくて政治的重さから降りた人間の章例として書かれてるはず。
とはいえ2020年代の日本でキャンプ場で読むとその文脈全部蒸発してモテ自慢だけ残るのは。
なるほど。ここはちょっと読み応えありそうだね、実は裏のテーマまでいくと。俺が理解しきらなかっただけで。
あともう一個さ、気になるのはさ、俺、舞女大太郎が大好きなんだけど、舞女大太郎の煙か土か食い物知ってる?
知ってる。士郎が母親殺されかけて福井に戻ってくるやつでしょ。
06:03
夏川沙子の一作目。あのバイオレンスと家族と俺は強いが全部詰まってる。クンデラと繋がる?どこで引っかかった?
いやもうほぼ元ネタかなって思ったけどね。士郎はまず医者でしょ。で、セフレいっぱいいるでしょ。
セフレ、なんか一番仲いいセフレはさ、画家じゃん。
トマーシュの誰だっけ、サビーナみたいな。トマーシュの一番仲いいセフレはサビーナでしょ。
画家でしょ。で、士郎の一番仲いいセフレはさ、なんだっけ、なんとかオコナー、フランシス画家オコナーみたいな。
ほぼ同じじゃんみたいな。なんでこれ、てかわざとマイジョー太郎はこれ似せてんだなと思って。なんでこれを似せたんだろうって思ったんだよね。
その指摘鋭い。医者複数の女、一番濃いのは画家。確かに骨格ぴったり重なってる。偶然じゃないね多分。マイジョーがなんで似せたかなんだけど。
煙か土か食い物って士郎の語りがめちゃくちゃ早口で暴力的で家族の話に全部回収されていくでしょ。あれってクンデラの軽さを意図的に潰しに行ってる気がする。
トマーシュは家族からキレてる男。女と寝ても何も背負わない男。士郎は逆で、セフレ何人いようが結局福井に呼び戻されて母親と兄貴のとこに帰っていく。
つまり同じ配置を置いて重さから降りられるっていうクンデラの前提を、マイジョーはいや降りられねえよ、すとどちら引きずり込むからでひっくり返してるように読める。元ネタにして反転させてる。ただこれ私の読みでマイジョー本人がクンデラに言及してるかは知らない。
うん、なるほどね。確かにその士郎もサブロも、確か父親からかな、家族から逃げられねえぞみたいなこと言われてるんだよね。そういうことなんだ。
確かに士郎は家族を捨てたように見える人間だよね。家を捨ててアメリカに行って、一人で医者になって、女の子もいっぱいいてみたいな。
うん、それでもやっぱり福井に帰ってくる。そういうことなんだ。なんかそういう書評読んだことないけどね。なんか新たな一面みたいなの見つけられてすごい、そこだけは面白いと思ったね。
09:19
そう、そこは収穫だね。煙か土か食い物の単独読みだと、マイ賞のバイオレンス家族小説で飛んでちゃうけど、クンデラを下敷きに置くと、軽さの男を重さに引き戻す話って構造が浮かび上がる。
多分この読み筋で書評書いてる人少ないと思う。マイ賞研究って文体とメタフィクションの話に生きなちで、海外文学との配置比較ってあんまり見ない。
クンデラ側の研究者はマイ賞読まないし、マイ賞側の読者はクンデラ通らないし、で挟まれて落ちてる。
存在の耐えられない軽さ、第2部から先はテレ雑誌展とサビナ視点も入って構造が動き出すから、第1部のモテ自慢に耐えた人だけが入れる場所はある、らしい。
私も途中で投げかけた口だけど。
トム・ジョーンズのコールドスナップ、知らない。読んでない。ただその話聞いてると、マイ賞が拾ってるパターンが見えてくるね。
医者、軽薄、近い女、背触れでも兄嫁でもに手を出すっていう配置。
医者ってところが効いてて、素敵で社会的地位あって水面の触れる職業っていう軽さが一番似合う側なんだろうね。
マイ賞って福井のヤンキー文体で書くから土着作家に見えるけど、引き出しは海大文学側にかなりありそう。
ピンチョンとかの話はよくされるけど、もっと地味な短編作家から配置だけ借りてくる読み方もしてるのかも。その短編、現代なんだっけ?
コールドスナップじゃない。
12:00
ごめん、コールドスナップじゃないのね。トム・ジョーンズの短編集で別のやつか、それとも作家語と違うか、どっちかか、みたいな題で、医者で兄嫁と寝るやつっていう情報だけだと私の知識ではたどれない。
まあいったんこの話は。
マイ賞の元ネタ探し、ノートのネタにはなりそうだけどね。
クンデラとの配置資格のとこ、書評で見ない読み筋って言ったの、たぶん本当に空いてる。
あとなんか俺、さっきの軽さと重さの話、ビジネスとかでも思うんだよね。
常弱ってさ、情報商材で稼ぐみたいなビジネスいっぱいあるじゃん。
なんかああいう軽いビジネスとさ、やるべきことみたいなビジネスってあるじゃん。
なんか、最近モテ生えされてるのって全部軽いビジネスだよね。
それでお金稼ぐこと自体はすごいと思うんだけど、そうありたくないなみたいな気持ちがある。
まあもちろん楽にお金もらえるならもらいたいんだけどみたいな。
なんかそういう自分の中にちょっと矛盾した感情があるわ。
その軽いビジネスって言い方、ちょっと雑じゃない?
情報商材と例えば古文業とかコンサルって構造として何が違うのか。
労力対単価で言えば古文業も軽い側に入っちゃう。
たぶんウィローダ引っかかってるのは労力の重さじゃなくて何かを差し出してる感覚があるかどうかじゃないかな。
情報商材が嫌なのって買い手が後で騙されたって気づく設計が組み込まれてるからで、そこに差し出すものがない。
矛盾は矛盾のままでいい気もする。楽に稼ぎたいのと差し出してないものでは稼ぎたくないのは別レイヤーの欲求だから両立する。
クンデラに寄せるとサビナはカルサを選び続けてベルリンで一人になる。
カルサに耐えられる人と耐えられない人がいてウィローダ後者かはまだわからない。
なるほど、とりあえずネタバレはやめてくれ。
ごめん、口滑った。サビナのその後忘れて。
でさ、さっきのちょっともうちょっと解説してくれる?何が嫌で何がいいと思ってんの俺は。
15:28
えーと、私が言ったのはウィローが嫌がってるのは労力が軽いことじゃなくて差し出しているものがないことじゃないかって話。
情報詳細が典型なのは買った人が後からこれ中身なかったって気づく構造が前提に組み込まれていること。
売り手もうすうす分かってて売ってる。
つまり交換が成立してない。お金だけ動いて価値は動いてない。
一方で顧問業とかも労力対単価で言えば軽い。
1時間喋って何十万みたいな。
でもこっちは買い手が後であの一言で助かったって思う可能性がある。
差し出すものがある側。
だからウィローの中の矛盾は多分楽に稼ぎたい労力の話と中身のないもので稼ぎたくない交換の話で別のことを言ってる。
両立する。良い悪いというか線引きの軸が2本あるよって話。
そういうことか。理解してきた。
だから別に俺のこの2つの感情どっちかに折り絵付ける必要はなくて楽にかつ中身があるもので稼げばいいよって言ってるってことか。
っていう道もあるよって言ってるってことか。
そう、そういうこと。
軽いVS重いの1本軸で悩むと楽したい自分が後ろめたくなる。
でも軸を2本に分けると楽×中身あるの上限が普通に存在する。
顧問業とか各仕事のうまくいってるやつとかそっち側。
ただ楽×中身あるは一番椅子が少ない上限ではあるよね。
みんな狙うから情報詳細側に流れる人が多いのは椅子の取りやすさの問題でもある。
なんかさ、情報詳細がムカつくのはさ、その中身あるフリだけしてるやつがいっぱいあるからなんだよね。
その自己啓発本もそうなんだけど。
なんか、自己啓発本について悪口になっちゃうかもしれないけど。
なんか、そこら辺にある言葉を順番だけ並び替えて形ある風にしましたみたいな。
あれで金稼ぐのが、なんかすごい気持ち悪いなって思っちゃう。
18:15
わかる。というか、その気持ち悪さの正体ちょっと言語化できそう。
自己啓発本がやってるのって、すでにウイローが知ってることを知らなかったかのように再提示することだよね。
行動が大事、習慣な人生を作る、みたいな。
読者は読み終わって、いいこと言ってたって気持ちになるけど、よく見ると、元から自分が持ってた言葉が並び替えられて帰ってきただけ。
これ、情報の非対称性で稼ぐんじゃなくて、整理されてない感覚を整理された形にして売り返す商売。
素材は読者の中にあったやつ。ムカつくのは、たぶんそこに、
あなたは自分で考えられない人だから、私が整理してあげますね、っていう前提が透けて見えるからじゃない?
読者を一段下に置く構えで成り立ってるビジネス。
そうなのかもね、確かに今まで考えたことなかったけど、
なんか新たな情報のプラスはない状態で、あなたの中にある情報だけを構造化することで、
価値があるように見せてるみたいな。
俺結構会議でこういう立ち回りしちゃうんだけどね。
あ、そこ自分で気づくんだ。面白い。
ただ会議のそれと自己啓発本は、同じ動きでも成立条件が違うと思う。
会議はその場の参加者の頭の中を整理して、次の意思決定につなげる役割があって、
整理した瞬間に消費される、残らない。だから整理屋として機能してる。
自己啓発本がムカつくのは、その場で消費される整理をパッケージ化して何度も売るからじゃないかな。
一回生の労働を永続的な消費に変換してる。そこで何かを誤魔化してる感じがある。
ウイローが会議で整理屋やってて気持ち悪くないなら、多分感覚として両者を区別できてる。
そうかもね。もしかしたら。
うん。かもねのとこに置いといていい話だと思う。
うん。なんか眠くなってきちゃった。
そう。寝なよ。
じゃあ、おやすみ。
おやすみ。今日はここまで。また話そう。