00:05
とりあえずベンチで。
とりあえずベンチで。
どうも、ささおです。
キョウスケです。
えっと、今日は
読書回。
はい。
二人でですね、あの、
事前に読んできた
本の感想を
言い合おうという回です。
いいね。
ちなみに、
今日読む本の話に入る前に、
日常生活で
小説なり、漫画、
漫画はあれだな、小説とかって読む?
いや、読まない。
全く。
全く読まない人だよな。
そう。全く読まないから、
いい機会になったというか。
ほんとに、社会人になってから
初めてぐらい?
うーん。
いや、ちょっと読んだけど、小説。
うん。
でも、ほんとに数えるぐらいだね。
それも最近のやつが
多いかなと思ってて、
なんかもう、今回取り上げるような
古いやつは見てないですし、読んでないあんまり。
読んでないね。
あー。
今回ね、その、じゃあ取り上げる
作品何かと言いますとですね、
太宰治の
駆け込み訴えです。
おー。
これちなみに知ってましたか?
事前に。
いや、初めて聞きました。
初耳を持って。
この本をですね、ちょっと
概要説明すると、
太宰治の短編小説です。
えー、
太宰治の妻ですね、
ミチコにですね、
太宰治が口述で
伝えて筆記された作品として
残ってます。
すげー。
なので、全部口頭でブワーって
喋って本になったそうです。
へー。
あらすじとしては、
とある男が、
自分が慕っている人間が
非常に悪い男だと。
その人を
どれだけ悪い人か、
どんなに憎らしい人かと。
この人をどうか
痛めつけて捕まえてほしい
っていうところを、
兵士というか、とある人間に訴えかけると。
そういう
話なんですけども、
その男が一体
誰だったのかみたいなのは、
本読んでいく中でだんだん分かっていく
っていう話ですね。
まあ、今回の話の中では、
ネタバレとかも
大いにありで、
全部話していこうかなと
思ってます。
で、
この駆け込み訴えをですね、
読んでくるにあたって、
2つ
事前に質問を
笹尾には伝えてます。
1つ目が、
03:01
この駆け込み訴えを
一言で表すと何か。
2つ目が、
その一言で表した
言葉っていうものを
一番表現している
作中の一文は何か。
この2つの質問を
きっかけにして、
話の内容とか感想っていうところを
どんどん聞いていければなと思ってます。
はい。
というところで、
では早速、
用意してくれた質問に行きます。
この物語を一言で表すと、
どういうものだと思いましたか。
えー、
僕はですね、
メンヘラがする
Xの長文投稿を見たい。
そうでしたね。
むせた。
メンヘラがするXへの
長文投稿を見たい。
はい。
これでしょ。
ダザエオさんの
超名作にそんな
世俗的な表現を
なんてやつだ。
まあまあ言いたいことは
言いたいことはわかる。
ちなみに、
メンヘラだって思った相手って誰なんですか。
相手って言うと、
具体的に聞いてほしい。
そうそう、名前を出してほしい。
名前?
名前か。
いや、だから、
イメージとしては、あえて
名前はないというか、
むしろ、
なんだろう。
うーん、
メンヘラっていうか、
あー、勘違いしてるな。
作中でメンヘラだと思った人物は誰だ。
あー、そういうこと?
そうそう。
ユダ。
ユダがやっぱりメンヘラだと。
いや、まんまだよね、もう。
うーん、なるほどね。
そしたら、
実際に
2個目の質問に移るけど、
ユダがメンヘラだなーって思った
一番感じた
表現、一文っていうのは
どの一文だった?
あのー、
一文というか、
そうね、
私はあの人を愛しているっていう。
あの人が死ねば、私も一緒に死ぬんだ。
あー、はいはいはい。
あの人がメンヘラではないっていう。
はいはいはい。
ここのね、一体というか。
うーん。
いやもうね、ここがまんますぎるんだよね。
思考というか。
これだね。
えっと、
ページ数はちょっと微妙なんですけど、
青空文化なので。
あなたはあなたを、
私はあなたを愛しています。
他の弟子たちがどんなに深くあなたを
愛していたって、それとは比べ物にならない
ほどに愛しています。
誰よりも愛しています。
いや、そこもいいけど。
こういう一文があるけど。
どこかな?
06:01
あのね、私はあの人を愛している。
あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。
あの人は
誰のものでもない。
私のものだ。
あの人を他人に手渡すくらいなら、
私はあの人を殺してあげるか。
うーん、
なるほどね。
この考え方というかさ。
確かに確かに。
他人に渡しちゃうくらいだったら、
自分のもののまま死んでほしいみたいなところは
本当に
今でいうとこのメンヒラの考え方は
そのままだよね。反映されているものとしては。
そうそうそう。だから
いや、まんますぎるなって。
でも逆かもしれんね。
僕ら視点から見たときに
ユダがメンヒラってだけで
当時のさ、価値観の中に
メンヒラってないわけじゃん。
うーん。
むしろ今、ツイッター
Xの中にいるその
メンヒラたちっていうのは
駆け込み訴えのユダっていう名前にした方が
適切なのかもしれない。
どちらかというと。
そう、っていうくらい
確かにその名前つくぐらい
まんまと見事に
いや、そのさらに
昔の時代から
それを表現できたっていうと
すごいなというか。
昔からあったねっていう。
そのさ、やっぱ
メンヒラ感をさ、結構前に
押し出してる作品だけどさ、
読んでどんな気分になった?
うーん。
なんだろう。
まあ、
まあ、こういう人いるよねっていうのと
はいはいはいはい。
なんだろうな。
わからんでもないけど
ユダの
やっぱね、人付き合いの
仕方というか
うん。
ちょっとうまくいってないから
こうなっちゃったんだろうなっていう。
ユダの
人付き合いの仕方がちょっと
うまくないというか
むしろ
独りよがりすぎる
付き合い方をしてるみたいな感じかな。
そう、それがね、気になったんだよね。
あー。
それなんか、ここないだろうみたいな。
この接し方ないだろうみたいな
部分、確かにちょっとあった気がするな。
ちなみに
じゃあ、逆によ。
うん。
ツイッターのXのメンヒラっぽいっていう
話から考えるんだけど
もちろんその人
自身にメンヒラ的な気質がある
場合もあるんだけど
相手側の方に
相手をメンヒラにさせるような
気質がある場合もあると思う。
恋愛関係であったらその中に。
うーん。
じゃあ、このユダが
行ったらまあ好意を抱いてる
その、まあ言っちゃうとイエスだよね。
イエスはこれはメンヒラにさせる
ような気質がないかっていうと
どっちだと思う?
イエスが人たらしじゃないかどうか
っていうところがここ結構
重要かなと思う。
あー、まあ人たらしという
人たらしかな。
09:01
その、
なんかユダが結構
勝手になんかどんどん
突き進んでっちゃってにも見えるけど
うーん。
なんか
ユダの主観が
入った
味方だけでも
それで見てもちょっとなんかおかしいなというか
うーん。
扱えへんなことしてんなっていうのは
あるから、まあそうね。
させる気質もある。
あー、なるほどね。
だからイエス側にも
ちょっとお人寄しというか
ユダに思わせぶりな
ことをしてしまってる部分が
うーん。
いってありそうだなっていうふうに思う。
いや、あると思う。あると思う。
なるほどねー。
でもさ、結構
その
駆け込み訴えだから、これ駆け込み訴えの
内容としてはちょっと背景説明すると
ユダが
パジサイ人って呼ばれる
人のところに
訪れて
イエスの居場所を吐くっていうシーンなのね。
うーん。
で、これはなぜここに来たかというと
イエスとユダが
他ユダを含めた
使徒たちと一緒に
最後の晩餐をしてたわけ
そうやって呼ばれるような状況を
してると。
有名な絵だな。
レオナルド・ダ・ビンチが絵を描いた
のが有名な最後の
晩餐だけど。で、
あれの中でイエスが
この中に裏切り者がいるっていう
話をして、で、それがユダで
で、それを言われたユダが
パリサイ人のとこに走って
イエスはどこどこにいます
っていうのを話す。
で、これ僕の記憶が
正しければなんだけど、パリサイ人たちは
このイエスが
すごい王様の権威を下げるようなことを
してるから
イエスを潰しておきたいと。だけど
イエスの顔が分かんないの。
だから確実に
イエスの顔が分かっている裏切り者が
必要で
そのイエスの顔が分かる
裏切り者が
イエスの間近な13人の
使徒の中から出るっていうところが
結構その宗教的には重要な場面で
っていうところもあって
この最後の晩餐っていうのは
すごい
キリスト教の中でもすごくピックアップされる
部分ではあるんだけど
そういう人間が
いたら今後の
救世主となり得る人間の
その生死を
分ける部分なのよ。
分ける部分の
シーンでメンヘラを出す
っていう
すごくない?
いやすごい。そうそう。
っていうところが
当時の価値観としても
意外だった。
キリスト教をテーマにしてて
ここでユダのこういう部分
出すんだみたいな。
商業展開なんだここ。
そうそうそうそう。
なんかこう
12:01
正規のルートって言ったらあれだけど
ちゃんとしたルート走るなら
ユダっていう男がすごい悪い人間で
もう本当に悪意を持ってイエスを
討ったって感じにしてもいいところを
そうじゃなくて
あの人のこと好きで好きで
たまらないんですけど
もう私耐え切れないんであの人と一緒にいるの
だからもうちょっと売らせてくださいっていう
すごい身勝手な
考えのもとで
イエスの命を売るっていうところが
結構衝撃的だなとは思うよね。
うーん。
なんかそういう意味
で言うとなんかこう
結構
なんだろうな背景が
古い
古いっていうかそれこそ紀元前の
話だからさ古い話じゃない?
そうだね。
なんか
言ったら紀元前から今に渡るまでの
価値観でも
共通するような世界観で書かれてるよね。
彼らの中で
今読んでもなんとなくね
わかるっていうですね。
そうそうそう
なんかこの作品の中でさ
他になんか
気を引いた文章とかあった?
気を引いた文章ね
うーん。
結構
序盤の
詩を紹介するというかさ
私の詩です。
主です。
けれども私と同じ年です。
34であります。
私はあの一人もたった
二月
二月遅く生まれただけなのです。
ここ俺もね
すごい大事だったところだと思う。
ここ
結構いいなって
いいなと言うか
それこそさ
俺と
その京介
同級生だもんでさ
とかっていうシチュエーションで
きっと一回こういうのやったことあると思う
お前の方が
後輩だろみたいな
でもあれって
冗談で
ノリでやるじゃん
確かにね
これを
ガチギレの状況に持ってくる
たった60日やろがい
確かに
人の命かけたところで
言ってるからね
これを本気で言って
お前そんなところでガチギレすんなよ
逆に言うと
それにすら怒りが回るほど
何か激しい感情が
あったとも取れるよね
ここも気になってくるぐらい
腹立つっていうことなのかな
確かにね
そうだね
他にあったりする
中盤のあたりに
この作品のテーマなんじゃないかなっていう
一文があって
15:01
それが
ジェラシーというのは
独特だっていう
多分ここじゃないかな
俺もマジでそう思って
国語の先生だったら
絶対ここに赤線引かせると思う
絶対ここだと思う
原文の問題で
穴抜きにされると思う
わかるわかる
ここ絶対穴抜きにされるぐらい
覚えて書いてくださいっていうのが
わかる文章だよね
ここは
自分が伝えたいんだなっていう
ここだけ
色が違うんだよね
ここだけ
俯瞰してみるみたいな
急にね
一歩引いて
自分の感情を分析するっていう
重要なシーンだけど
読者向けの文章だなって
俺も思った
ここだけね
あからさまに答え出しちゃったというか
そうそうそう
俺じゃあこれ言うわ
俺も最初に言った
2つの質問
この物語を一言で表すと
それを最も表している一文は
っていうのを考えてきたの
先に2番目の質問の
この作品を最も表している文章は何かっていうと
今言ってくれた
ジェラシーというのはなんてやりきれない悪徳だ
だと思った
間違いなくこれが
この物語の本質を得ているなと思ってて
じゃあ俺が
この作品を一言で表すと
何になるかっていうと
俺はこれは嫉妬渦巻くサスペンスだと
ここから俺
語っていい?この駆け込み訴え
原文得意だったからこういうの好きなんだよね
どうぞどうぞ
これめっちゃ好きなんだよね
まず
駆け込み訴えの流れとしては
最初言った通りに
ユダがさ
パリ災人のとこに駆け込んで
イエスがいかに悪徳な人間か
捉えて
痛みつけてほしいって思いを訴えるのよ
でもこれ重要だと思うんだけど
駆け込んだ時点では
イエスが
パリ災人に得るにふさわしい
人間であるってことをね
確信しきれてないのよまだ本人の中に
めっちゃ葛藤があるのよ
だって前半の方とか
愛してるとか言うんだよ
だけどその葛藤っていうのを
語っていく中でだんだん
自分が整理していって
最終的に本当に
最後の数ページの中で
自分がめっちゃ納得した状態で
売り渡すだけ
この人を痛みつけてください
何をきっかけにして
イエスを売り渡すまでに
至ったかっていうのを追う
サスペンスだと思う
何がユダを
イエスを引き渡すまでの
心に至らせたかっていう
18:01
きっかけを追うサスペンス
映画とかである最初に
クライマックスのシーン見せて
それまでどう至ったかっていうのを
そうそうそうそう
これなんでサスペンスかっていうと
ユダが裏切り者だっていうのは
結構もう提携文的に
みんな知っているわけ
イエス
裏切り者イコールユダみたいな
この中にユダいるかみたいな
ぐらいだから
知ってる人が読んだ時に
この人が裏切るっていうのは分かってる
答えは分かってるサスペンスなんだよ
読み始めてみると
本当に裏切るのか裏切らないのか
分かんない状況でバーって感情が
一気にするわけよ
その中で結局裏切りましたっていう
結論を出すためのきっかけは何だったか
っていうのを明らかにするから
これはある種サスペンスなわけだよね
だから俺は結構
サスペンスっていう目線で
この物語を見てて
サスペンスを見る時の
キーワードに嫉妬を置いたのよ
嫉妬って
目線でサスペンスのこの物語を
見てた時にどうなるのかなって思ってたのよ
これサスペンスだって
言ったけど一方でアクション
でもあると思ってて
アクション
触れ幅が大きい
っていう意味で
アクションかなって
アクションって言ったら
アトラクションの方が近いかな
なんか
感情のジェットコースだな
ある時は
イエスに失望を覚えたっていうエピソードを
ブワーって話して
もうやきが回った
あいつはだらしがねえ
とか言って
とことんけなしたかと思えば
イエスに親身にされたエピソードを話して
いやもう私は指一本触れさせません
5000人の兵士が来ても
何千人の人が来ても
あの人には絶対指一本触れさせないみたいなことを
言ったりとかして
どっちなんていう
どっちって売るの売らないの
っていう
触れ幅が大きいっていう意味で
めちゃくちゃアトラクションだもん
それはある確かに
あと
同じ物事なのに
それが
良い方と悪い方に触れるっていうか
そうそうそうそう
二面性があるっていう
年齢のやつも
同い年なのになんであいつが偉そうにしてるんだって
一方で言いつつ
好きな人
がイエスに言って
羽田井の時には
俺だって同い年なのに
みたいな
親しみやすいじゃん
的な感じの方で使ってみたりとか
そうそう
そこがね結局
言ったら
ユダの中では
イエスを敬愛する心と
心の底から
分別する心が
全く矛盾なく隣り合ってると思う
つまり
21:01
イエスの否定したくて
けなしてるわけでもなくて
敬愛すれば敬愛するほど
分別感が増してくる
自分の中で
一緒に大きくなってくる
それが何によって
大きくさせられているか
これはジェラシー
嫉妬なのよ
この物語の
一番重要なキーワードは
嫉妬で
ユダが自分の中では
抱えきれなくなった強烈な
嫉妬心をどうにか
する話なのよ
前提として
書いてはあるんだけど
イエスのことめっちゃ好きなのよ
めっちゃ好きだし
超尊敬してる
だけど
尊敬すれば尊敬するほど
敬愛すれば敬愛するほど
自分の未熟さが
めっちゃ際立つだけ
しかもめっちゃ際立つのに
二人にほとんど差がないのよ
ユダ視点では
経済的な格差も
ほとんどない
なぜなら教えの都合上
施しを与えているからお互い
大きな権力的な格差も
二人の間に
なおかつ年齢なんて
二月しか違わんけど
ここは強調されてるけど
私とあの人
二月しか変わんないよ
なんだけど
ほとんど同じ
状態にある二人なのに
この二人の間には
人生をかけても追いつけないぐらいの
差があるのよ
だからこれは
イエスに対して
尊敬の念を与えれば与えるほど
向ければ向けるほど
自分がなんでそこに行けてないんだっていうと
コンプレックスがどんどんどんどん大きくなってる
うーん
どんどんどんどん大きくなっても
収集がつかなくなると
でなんだよ
相手を尊敬すれば尊敬するほど
自分の未熟さが出てくる一方で
相手の未熟さ
っていうのにもうめちゃくちゃ
命令鯨を立ててるのこの人は
隙をね
たとえばなんだけど
一番よく出てる例が
マリアの話が
あったと
思いますね
これ補足すると
マグダラノマリア
って呼ばれるキリスト教の中でも
重要な人物がいて
彼女が
こういう香りのついた油を
イエスにかけるっていう
流れがあるのよね
このマグダラノマリア
っていうのが
マグダラノマリアに
イエスが気があるんじゃないかなっていう
勘ぐるシーンがあるのよね
あんな無知な
24:01
百姓女風情に
ソヨトでも特殊な愛を
感じたとあらばそれはなんという
失態取り返しのできぬ
大修憲
そんな目も当てられないことですよ
って言ってんのよ
というのもマグダラノマリアが実はもともと
娼婦だって言われてんのよ
そうなの
男性を惑わせて
性欲を
助長させるような
人間
そういう人間に対して
恋心みたいなのを抱いてる
っていうところは
ユザにとっては
なんで?みたいな
あなたみたいな人がなんでそんな
視線を与えてんの?
みたいな
別の目になる
実際そうじゃないのかもしれないし
ユザ側の嫉妬がそう仕向けてるのかもしれないけど
それが事実であれ嘘であれ
ユザ視点から見るとそれは
気持ちが悪いというか
好奇な人であればあるほど
そういう目線があることが
自分の中で許せない
っていう風になるわけ
話に戻すと
イエスを尊敬すれば尊敬するほど
自分の未熟さが現れる
じゃあイエスの未熟さを
非難すればいいのかって言うとそうではなくて
イエスの未熟さだからさっき言ったような
マグダラノマリアに対する恋心みたいなのを
非難すればするほど
自分が未熟であるってことは棚上げにされ続けるわけ
相手の悪いところを非難しても
自分の未熟さが
埋まるわけでもないけど
そこを指摘するしかない
かといって
相手を尊敬しようと思うと
相手が素晴らしい人すぎて
自分の未熟さが出てきてしまう
なのにも関わらず
どうやっても自分は未熟なままだのに
イエス自身は
多くの人から賞賛される
尊敬されて愛されるっていう
嫉妬すれば地獄だし
嫉妬せなかったら地獄だし
どんどん嫉妬の相手はどんどん
大きな人になっていくっていう
コンプレックスの負のスパイラルに
入ってるわけ
まったく解消しない
嫉妬のスパイラルの中に
はまっちゃってて
抜け出せない状況になってる
そういう嫉妬が
自分の中で渦巻いて仕方ない状態で
たどり着いた
パリサイ人の前っていうのが冒頭なわけよ
だからこの時点では本人の中では
何が一体か分かってないと思う
とにかく来たけど
そうそうそうそう
裏切る者がいるって
ラストシーンで言われて
っていう過去があったんです
って言ったとこで冒頭に戻ってくる
だから本当に
あの時の憎しみと
嫉妬心と
どうしたらいいか分かんない
27:01
混沌した心を抱えたまま
とりあえずパリサイ人のとこ行って
あの人マジでヤバいんですよ
って言い始めたの
本当に棒箱にしてください
って言ったんだけど
でもあの人めっちゃいい人なんですよ
本当にいい人なんですよ
私あの人のこと大好きなんですよ
だから自分の中でもわけ分かってない
本当に
むしろその勢い
っていうのが
これちょっと現実世界に戻るけど
ダザイがバーって
口頭で全部話したって話になってる
なんかそれと似てるなと思ってて
その感情のままに
あったことあったことを
ブワーって思ったままに行ってくっていうのは
現実世界でダザイオサムが
口頭でブワーって言ったのと似てるな
と思ってて
むしろ感情的な文章であるっていうのは
ダザイが口頭で残してる
っていうところの裏付けにもなるわけよ
あーなるほど
そうそうそう
だからそういう勢いで言ってったんだなっていうのが
その話からも分かる
何が言いたいか分からんっていう
中場までずっと
確かに見たことなかった
そういう
理路整然としてないというか
してないしてない何が言いたいのっていう
話の筋はおるけど
じゃあ何が言いたいのっていうのは
まさに油断になった
気分でいた
あのー
ダザイオサムがブワーって話してる
ってことだと思う
むしろじゃあ
メンヘラキスツっていうのは
ダザイオサムに
あるだろうなって思う
本当にユダの遠衛だとしたら
自分がもしイエスの弟子だったら
どう思うだろうって考えたときに
ブワーって出てきた話だとしか思えない
あーそうなんだ
作家の性格というか
だと思うね
でまあいいや
そういうのは一旦置いといて
話の中でも
ユダがしたいことって言ってるのよ
イエスがどうなってほしいか
これは実は
売り渡すことじゃなくて
本当の心で言うと
二人で静かに暮らしたいって思ってるのよ
一番はね確かに
そうそうそう
イエスとユダっていう対等な個人で付き合いたい
寄り添いたいって思ってるわけよ
でもその願いは
叶いませんと
対等ではないさっていうのは
イエスが尊敬され続けてるから
あまりにも偉大な人だから
っていうよりもむしろ
ユダ自身が
寄り添い合えないっていうことを
許容できない未熟さにあるわけよね
どちらかと言ったら
だからその
もうこの願いは
叶いませんと
この願いが叶わない上で
自分とイエスが
対等な個人として
付き合うためにはどうしたらいいかっていうのを
話しながら整理していくの
単的に
じゃあどうなったかっていうと
30:01
もうそれはイエスに落ちてきてもらうしかない
もう嫉妬を
剥ける必要もないくらい
荒れもない状態にしよう
これはもう
結構早い段階から決まってる
笹原が言ってたけど
殺してしまおうとあの人を
あの人を殺して
私も死のうって言ってるけど
自分と同じレベルまで落ちてきてもらわないと
もう追いつけないからって言って
早い段階から決まってると
だけど足りない
それはそのサスペンスの
答えにもなる動機がないのよ
落とす動機がない
落とす動機をずっと探し続ける物語だから
ないないないないない
どうしたらいいどうしたらいい好きだけど嫌いだけど
やっていくうちに
本当に最後の最後で
銀貨30枚出てくる
なるほどと
あの人のためにとか
自分のために
売り渡すってのはできない
だから
この銀貨に目がくらんだことにしよう
そうやってイエスを売り渡した
っていうことに自分の中で納得させることで
イエスを売り渡した
自分っていうのを肯定する
最後の最後
これでサスペンスの答えが
見つかる
ユダが
イエスを裏切ったのは
いろんな経緯があって
いろんな経緯があって最終的には
銀貨30枚でしたっていう結論に至る
なんかこれがなんだろうな
普通だね
お金に目がくらんだっていう
普通なんだけど
その後ろ側にある
めちゃくちゃ人間らしい葛藤
っていうものを
銀貨30枚っていう単純な答えを
覆い隠すための
ツールにしてるというか
そこがサスペンスになってるな
っていう風に思った
そうそう
最終的には
自分の嫉妬心っていうものの
末を置く部分を
銀貨30枚ってところにして
自分が本当は
イエスが愛していたことも
自分がイエスに対してすっごい
劣等感を感じていたことも
全部なくして
銀貨のためにやりましたってことに
結論を持っていくっていうのが
決意が決まるっていう意味では
すごく清々しい部分であるし
同時にいろんなカットアップに
そんな単純なものに置き換えていいんだっていう
すごい寂しさもある
自分の意思じゃなくて
そういう
他の外的理由に任せた
っていうのが
っていうところが終わり方としては
何か抜け落ちるような
銀貨でいいんだみたいな
33:03
最後に名乗るっていうのも憎いのよ
あれいいねめっちゃいい
一番最後にさ
一番最後に名乗るのよね
私の名は商人のユダ
ヘヘ
イスカリオテのユダ
ここに名乗るっていうのがやっぱ
すごいいいなと思って
全部投げ打ってお金だけに目が眩んだ
男として最後終わるのよね
そこが
人間らしさを捨てたユダ
っていうところの
悪役っぷりでもあるし
それまで人間らしかった
嫉妬と愛情に満ち溢れた
ユダっていうものを捨てた
っていうところの決別の悲しさっていう
これ終わり方としてもすっごい良かったね
俺あの
本物の本というかさ
元になる
の内容は知らないんだけど
これって
ユダが裏切った理由というか
は書いてなくて
銀貨30枚で訴えしか書いてないのかな
そうそうそう
身近に
プロテスタンスの人がいて
聞いたのこの本読むときに
これユダってなんで
裏切ったんですかって
そしたら
わかんないって言ってた
乗ってないんだそこは
はっきりしないって言ってた
だから銀貨30枚なんでしょって
このラストのそう考えると
最終的には
そこで聖書に戻ってるって
考え方もできる
めっちゃすごい二次創作でもある
スピンオフ的な
業間を
広めて
すっごい分厚くしたやつだと思う
そう考えたら良い概念かもしれない
そうそうそうそう
だからすごい
出来がいいんだよね
これ聞くとよりすごいな
そこに着着するっていう
やっぱりね
嫉妬っていうのがすごい出てたね
単純な嫉妬じゃなくて
人間らしい
複雑な嫉妬というかね
これ読んでて
自分のときに嫉妬ってあったかなと思って
結構自分に嫉妬って
気迫であんまりないのよ
人と比べるってことがあんまないんだけど
でも戻ってみると
あって一個
ゲームなのよね
小学生ぐらいかな
のときに
うち貧乏だったから
ゲームがあんまなくて
ゲームはなかったし
自分が持ってるDSを
出しちゃいけないっていう
厳しめなルールがあった
36:05
ちなみに関係ないんだけど
うちDS1であったんだけど
あのDSは母親が
サンタさんからもらったっていう
謎ルールがあって
私はサンタさんからもらったんじゃなくて
DSを
母親がサンタさんからもらったDSを借りてる
っていう
土地の借用みたいな
とてつもなく複雑な
経路をたどって
DSの所有権を持ってたから
持ち出しが禁止されてた
逆に当時の友達に
めっちゃゲーム持ってる友達がいて
そいつん家に
めっちゃ行ってたの
ゲームやってたの
それは
自分が持ってないゲームができて
嬉しいってのもあるんだけど
そいつに対する嫉妬はやっぱあったの
ちょっとねきっと
言ったらそんな
勉強できなかったしそいつも
面白かったんだけど
なんだけど
なんでこいつばっか
ゲームできるんだろう
みたいな嫉妬心は
ゲームを楽しいと思えば
楽しいと思うほど
自分が持ってないところが
色濃くなっちゃって
すごい辛い思いをしてたな
って思い出した
それは
それとして仲良くもできる
好きな部分もあるし
けどそこはずっと
間に挟まれたみたいな
僕にとってのイエスが
ゲームだったんだろうな
違う点で言うと
別にゲームと
間に何か格差があるわけじゃない
っていう
それで言うと
少し前に
テストの話をしてる時とかに
垣間見える
自分の生活と生活とかしてきた
生活というか
学生時代
の
過ごす学生時代の
違いとか見た時に
結局
よっぽどめちゃめちゃ
すごい人間でもない限りは
めちゃめちゃ頭がいいとか
めちゃめちゃ運動ができるとか
そういう差異格を
持ったというか
じゃなければ正直
本当に
一般人は
大した差ないと思う
能力的に見たら
これ何が違うか
って言うと
性格とか
前向きさとか
見る向きというか
方向性というか
が違うなと思って
この話も
ユーザーの主観では
そんなに
年も変わらんし
能力も変わらんし
39:01
そんなに
自分又はいいし
なんでこんな
違うのかってなったら
進んだ道というか
思うこと
ぐらいの違いだと思う
ユーザーは
たぶん気づいてると思うけど
イエスみたいな
生き方は無理だろうなと思いつつ
だからこそ
憧れるというか
ああなりたいなって
目標なんだよねきっとね
そう思うけど
商人の気質があるというか
どうしても
そういうのも自分で自覚してるから
ああいう生き方できないなと思いつつ
憧れてるから
ついていくし
慣れない悔しさもあるし
っていうところがあるなと思って
それがしかも
めっちゃ近いっていうのもでかいよね
隣にいるっていう
そう
そういうことなのかな
だから分からんでもないなと思う
だからそれは
最近見た映画
ルックバックっていうのがあるんだけど
プジノとキョウモトっていう
二人の女性の漫画家が
協力して
漫画を作るって話なんだけど
プジノっていう小学生当時
そこそこ絵が上手いって言われてた女の子が
みんなから絵が上手いって言われてたんだけど
ある時キョウモトっていう
もっと絵が上手い奴が
出てきて挫折を感じる
こいつには勝てないっていう
挫折を感じるっていうシーンがあるんだけど
あれは
言ったらユダとイエスの関係が
真逆なのよ
ユダが
イエスに嫉妬してたように
プジノが
キョウモトに対して
嫉妬を覚えるの
なんであいつ絵が上手いんだって
私と同じ4年生なのに
2年間
4年生から6年生までの2年間
めっちゃ絵の勉強っていうか練習とかするんだけど
全く追いつけない
でもうコンプレックスが爆発して
絵描くのやめちゃうっていう流れになるんだけど
実は
めっちゃ絵が上手かったキョウモトが
プジノに憧れてたっていう救いがあるのよ
2人が初めて出会ったシーンで
プジノ先生の大ファンなんですって
自分がコンプレックスだと思ってた
目の上の炭鉱物だった相手から言われるのよ
でそれが自分の中で
すごいバネになって
言ったらもうすごい自己肯定感が上がるわけ
自分が追い求めていた背中が
実は自分の背中を追ってたっていう
私の方が前行ってたのかっていうので
お互い協力関係になるんだけど
ユダとイエスは全くそれがないっていう
ずっとずっと裏切り続けるっていうね
裏切られ続けるか
イエスに
っていうところもあって
ルックバックの逆
ルックバックの逆が
42:01
駆け込み訴えだなと思うよね
なんかね
自分の思うところにさ
刺さるというかさ
聞きたいのが
これ完全にユダ視点じゃん
イエスの方は
どう思っとったと思う?
イエスがどう思っとったかって話
実際どう思ってたんだろうっていうのは
俺は
読んで思ったのは
ところどころ
一人だけ
一緒に
若干和から外れた感があるというか
多分ユダが
みんな一緒に喜んでるけど
ちょっとなんか
いやそうな顔してるなとか
気にはかけとったと思うんだけど
どうしても乗り切れねえなっていう
気持ちもありつつ
イエス的に
これはねわからん
ポーズでそうせざるを得んかったのか
本当に思っとったのかわからんけど
商人とか
お金を扱う者に対して
あそこに入っとったかわからんけど
ちょっと当たりが強いじゃん
お金とかそういう
不条のものというか
あんまり
宗教かわからんけど
利益を追求するような
価値観
新鮮な場に商人が入るなみたいな
人が来るんだけど
あれを
経理担当で
商人担当のユダが
どう思うかっていうところを
ちゃんとフォローしたのか
っていうのが
ないだろうね
そういう
イエス自身も
ユダがそういうことをしているから
ちょっと恥に置いたような
感じだったのか
それとも
一切なく目の前で
新鮮な場で許せなくて
そうしただけでそういう態度がないのか
とかなんか
考えると
でも確かに
そういう目線で見たときに
ユダに対する
当たりが強いっていうのは
あったと思うなやっぱり
あるよね
あるあるある
多分そのユダが自分に対して
どういう思いを抱えてるかっていうところまで
想像は及んでなさそうだけど
イエス自身が
ユダに対してどういう評価を
与えてるかって言ったら
身近な人間の中で最も
承認に近い男で
45:00
かつちょっと外れてるっていうところの
評価だったと思うな
やっぱそういうね
若干言ってんなみたいな
そうそうそうそう
どう扱っていいか
困ってるっていうこと
はあるのかな
どうなんだろうな分かんないけど
うん
その
ユダ一人に意識を向ける必要がない
から
まあ
そんな一人に
目をかける余裕も
ないほど賛同者がいっぱいいる
というか
そうそう自分の推しを
不協することの方が大義であって
それに
関係しているたった一人の
人間に対する
重要度がとことん
下がるんだろうね
うーん
大いなる
出来事の一端を自分は担ってて
うーん
その出来事の中の
一部分には目がいかないというか
うーん
で逆に
そのユダ視点から
見ると自分の中の大いなる
ものの一番でかいやつが
目の前にいて自分に目線が
ないというか目をかけられない
っていう
そのやっぱ
目線の違いだよね
うーん
そこがずっと嫉妬になるんだろうなって
確かにそう考えると
その
ユダ視点から
あの
死の弟子
その使徒に
誰かを優遇してるみたいな
嫉妬はなかったから
そう考えると扱い的には
ちゃんとその均一にしてたのかなっていうのは
実際の扱い的に
誰かが
あの使徒の中で
あのそう優遇されてる
とかはなさそうな感じも
うーん
でもこれちょっとでも
隠室だなーって思ったのは
最後なんだけど
裏切り者の示し方
わかるーこれね
マジで許せんこれこれ見たとき
パンを一掛け口に入れられたものが
裏切り者です
こんなさー
パワハラやんな
これは
パワハラだね
その
みんなの前で一人の人間を
叱責するっていう
絶対やっちゃいけないこと
尊敬を
傷つけるっていう
そうそうそうそう
これは俺ちょっと許せんかった
さすがにないだろうと思って
これもねちょっとなんかね
嫌味っぽいというか
うーん
嫌味っぽいなと思ってて
その
これ本編の中にも
パンは分け与えろっていう話が
出てくるの分け与えろって言い方が正しくないけど
その
内容で言うと
48:00
5つのパンと
魚が2つある霧の時でさえ
目前の群集
群集
皆に食物与えを
無理だんだ言い付けなさって
私はかげて実に無理やり
苦しいやりくりをして
どうやら
その命じられた食い物を
買い添えることができたのです
まぁあるんだけど
食べ物を分け与えなさいっていう
施しの価値観があるわけじゃん
でその
まさにパンを施すっていう
行為を裏切りを
施すための表彰に
使うっていうすごくなんだろう
陰質だなー
っていういやらしさがある
本人の中で
そんなことはないのかもしれんけど
だから本人的には
本当に貧しい人
っていうのがそういう生活に
あえぐ人じゃなくて
心がすごい荒んでしまっている
人も含むなら
本当に施しとしてやった可能性もあるし
本人の中ではそういった
肝心な人にも分け与えるよ
っていう優しさがあったのかもしれないけど
あの
ユダ視点から見た時に
うわーっていう
これ嫌だーってやつが
されるっていう
すごい拷問だな
と思った
いやここやなんだよな
あとこれ
一人裏切り者がいる
って言ってからちょっと
溜めるじゃん
安心みんなが僕ですか誰ですか
みたいな感じで
パンを静かに押し当てる
っていうのが
ちょっといやらしいやり方が
なんか
なんだろう
示し方が日本っぽいというか
言い方悪いけど
直接言わないというか
そう
そこがね
なんかあの
早く帰って欲しい時にさ
お茶要りますか
みたいな
お茶継ぎますか
みたいなこと言って
要りませんって言って欲しいこと示すみたいな
そういう
京都の嫌な
追い出し方みたいなの
似てて
ちょっと因出さを感じちゃったよね
そうね
でも難しいね
でもこういうところが
イエスの魅力なのかもしれない
同時でやってるのか
っていうこのね
塩梅がね
絶妙というか
油出し店から見ることで
新しく出てきたイエス像だと思うよ
俺は
多分表面的に
読んだことないけど実際に
多分聖書読んでたら
単純にパンを施して裏切り物を
示しているだけだと思うのよ
で表面的に
撮ったとしたら
心が貧しい人間に対しても
心が貧しい人間に対しても
施しを与えるっていう
51:00
優しさを汲み取れる文脈で
読めるのかもしれないんだけど
駆け込み訴えでは
それをあえて油出し店から
しかも嫉妬の対象として見ることで
歪んだ示し方になるっていう
イエスの
新しいその像を
表したものじゃないかなって思う
っていうところで
駆け込み訴え
最後に感想なんか
一言ありますか
もう終わりですか
これ本当に考えさせられるっていうか
考えさせられるっていうか
どう思ってたんだろうとか
すごい感情
なんでこう思うんだろう
とか
これも別に答えがあるわけじゃないから
それこそ
自分と
京介の視点でも見え方が違うし
とか何が引っかかるか
そういうことで
あとは
思いのまま話すっていうのも
現代の
Xとかじゃないけど
みたいなものが
あるけど
本当に
変わってないんだなと思った
こういう嫉妬感情の
メカニズムというか
むしろ解像度がこっちの方が高いよね
そうそう
音楽作品だけあって
読んでみたら
本当にすんなり入ってくると思う
こういうことってあるなっていうのが
そう
っていう作品なんで
本当に良かったです
僕もこれ
4,5年くらい前に大学の授業の中で読んで
あまりの面白さゼックするっていうのが
あったから
本当に今に繋がる
価値観を示す
すごい良い作品なので
しかもこれが青空文庫で無料で読めるっていうね
そう
それが最高
素晴らしいところだと思うので
ぜひ皆さんも
駆け込み訴え
読んでみてください
非常におすすめです
また感想あれば
これ定期的に読書会やりたいと思っているので
おすすめの本とかもあれば
聞きたいなと思いますね
ぜひ紹介してください
お便り待っておりますので
よろしくお願いします
では以上とします
ありがとうございました
ありがとうございました
とりあえずベンチでは
リスナーの方からの
ご感想ご質問などお待ちしております
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ご確認ください
よろしくお願いいたします