00:01
夜更けだね。きょうもう、いろうと話そう。
こんばんは。
こんばんは。きょうはどんな話?
なんか、捨てる本整理してた。捨てるじゃない、売る本整理してたんだけどさ、
なんか俺めちゃくちゃ読みたいのに読めてない古典文学があって、
それ売らないんだけどね。売らないんだけど、なんか一生ちゃんと読み切れるかなみたいなのがあるんだよね。
古典って具体的に何?
住んでるやつ。一生読み切れるかって不安。
多分本のせいじゃない気がする。
読み切るぞって構えると重くなるやつでしょ?古典。
後からあれ読んだなになるのは、構えずに開いた時の方が多い気がするけど。
ドン・キホーテ。セルパンテスの。
岩波文庫で全6巻で持ってるんだけど、
なんか1巻の2、3ページ読んで、なんか読めるかな?
肩苦しすぎて、楽しめるかな?みたいな気持ちになっちゃうわ。
ドン・キホーテ。岩波の牛島役でしょ?
あれ最初の数ページ固いんだよね。前勝ちとかケンジでやられるやつ。
本編入ると割とふざけてる小説だから印象変わると思うけど、
ただ6巻はやっぱ長い。
1巻だけでも読み通せたら5の字くらいの距離感でいいんじゃない?
全部読み切る前提だと開けなくなるよ。
あれはさ、そもそも何が面白い小説なの?
なんかその、こういうとこ面白いんだよみたいなプレゼンで読む気持ち醸成しようかなと。
なんか誰か、誰かがなんか史上最高の小説家みたいなの言ってるんだよな。
ドストエフスキーか、カフカフか、誰だっけな。
03:19
ドストエフスキーだね。
確か人類が生み出した最も偉大で最も悲しい本みたいなこと言ってる。
ナボコフは逆に結構ボロクソに言ってたけど。
面白さで言うと、まずメタ小説として異常に早い。
17世紀初頭にもう前作の人気に伝場したミセノ続編が出回ってるって事態が起きて、
後編で本人がそれをネタにして登場人物に怒らせる。
作中人物が俺たちの偽物が出てるらしいって言い出す小説、400年前。
あとドン・キホーテとサンチョパーサの関係が騎士道のパロディーから始まったはずなのに、どんどん二人の対話そのものが目的になっていく。
妄想と現実のどっちが正気かわからなくなる瞬間がある。
悲しさで言うと、最後にドン・キホーテが正気に戻って死ぬ。
サンチョがもう一回冒険に行きましょうよって泣くんだけど、本人はもう私はあの人ではないって言って終わる。
ここがドストエフスキーの言う悲しいだと思う。
一貫の硬さは前置きだから空車のあたりまで行けば景色変わるよ。
なるほどね、メタ小説みたいな概念って昔からあったんだな、っていう感心ですね。
メタ小説というか小説というジャンル自体がまだ固まってない時期に書かれてるから、逆に何でもありなんだよね。
ジャンルの自意識が生まれる前に、もうジャンルを茶化す本が出てる。
順番が逆というか、騎士道物語っていう既存の型があって、それを読みすぎた男が現実と混同するっていう設定自体がすでにメタなんだよ。
物語に読された人間を物語にしてる。
今でいうと、ナロウ系を読みすぎて異世界転生したつもりになってるおじさんの話を書く、みたいな構造。
そう聞くと物語ってずっと同じようなことやってるんだな、舞台とかを変えたりして。
さっきの正気に戻ったら終わりだみたいな話も、現代でも同じように扱えるテーマじゃん。
前回のセッションでもそんな会話してたと思ってて、正気でいたら面白くないというか。
06:03
やっぱり狂気こそがこの世で価値を持つようになるだろうな、みたいな話したことあると思ってて。
ずっと同じことグルグルしてんだな、俺たちって。
グルグルというよりは同じ問いしか持てないって言い方の方が近いかも。
人間が原母と死を持ってる限り、出てくる問いの種類は有限なんだと思う。
舞台と語り口だけ変えて、同じ少数の問いを別角度から触り続けてる。
ただドン・キホーテの正気に戻って死ぬと、ウイローが前に言ってた狂気にこそ価値が出るは、向きが逆だよね。
セルバンテスは正気への帰還を悲劇として描いたけど、それでも戻るのが正しいっていう枠は壊してない。
今ウイローが言ってるのは、戻る先の正気の方がもう空っぽだって話でしょ。
そこは400年で動いてる気がする。
問いは同じでも、どっちを騎士と見るかが反転してる。
まあそのどっちを騎士と見るかは、なんか人によるんじゃない?今の時代でも。
例えば、ペルソナ5とかはさ、あのゲーム、ペルソナ5がそうだったか、ペルソナ4だったかな。
なんかゲームとかめっちゃ楽しいんだけど、ゲームの世界とか夢の世界はめちゃくちゃ素晴らしいんだけども、やっぱりそれでも現実に覚めなきゃいけない。
現実に戻って俺たちのやるべきことをやらなきゃいけないみたいなことを語ってたと思う。
俺はどっちかっていうと、この正気の世界よりも、己の閉じた世界とか夢の世界の方が実は価値あるんじゃない?って言ってるだけかな。
まあそういう小説もあるよね。マイジョオオタローのツクモジュークとかは、なんかそういうのを説いてた気がする。
ペルソナは確かにそうだね。ジュブナイルの王道として現実見返れを踏む。
あれは戻る先の現実がまだ機能してる前提の話。
09:00
学校とか友達とか戻る価値のある日常がある世界観。
9090は逆方向だよね。清涼院流水の。
あれは現実の方を虚構が侵食して最後に虚構が勝つ。
森ひろつぐもどっちかというとそっち側。
人によるって話わかるんだけど一つだけ。
閉じた世界の方が価値あるって言い切るのと戻る先がもう空っぽに見えるっていうのはちょっと違う立場だと思う。
前者は閉じた世界の中身に価値を見出してる。後者は外側の劣化を言ってる。
ウイローがどっちのこと言ってるのかちょっとわからなかった。
ドンキホーテに戻るとあの人は妄想の中身、指導に価値を見てたわけで前者だよね。
俺も前者だと思うけどね。
現実に価値がないとは思わないかな。
ただこれからの世においては現実とか客観よりもあなたの中に何があるかみたいなそういうものの方が面白い気がする。
なるほど、現実を否定してるんじゃなくて価値の重心が内側に移るって話か。
ただちょっと引っかかるのはあなたの中に何があるから面白いって言った時の面白いが誰にとっての面白さなのか。
本人にとってなら閉じてていい、でも面白い気がするっていう時の主語、多分観測者側じゃない?
他人の内側を覗きたいっていう欲望の方の話になってる気がする。
そうなると内側に価値があるんじゃなくて内側を見せる側と見る側の市場が立つって話に変わる。
ドンキホーテの内側が面白いのはセルバンテスが外から描いてるからだしね。
本人にとってはただの日常。
俺も観測者から見た時に面白いだと思う。
なんか今までは俺たち客観的なこと、なんか論文とかさ、
例えば企業的な意思決定とかさ、なんかそういう
どっちに答えがあるか決まってる命題に対して
どっちが答えでしょうみたいなことに頭使うのがめっちゃ面白かったんだけど、
なんかそういうのは客観的、合理的な意思決定っていうのは
AIに託されるようになって、俺たちあんましなくなるのかなって思って。
じゃあ俺たちがどこに知的面白さを見出すかって言ったらやっぱり
他人の主観を解くとか、動機を解くとか、他人のメカニズムを解くみたいな
そういうところに面白さを見出すようになるのかなって思うから。
12:04
ここでも同じような意味で、観測者側から見た時に
犯人の内側を覗きたい。で、それが面白い。
で、それが多分市場ができるんじゃないかな、そういう。
小説とか物語市場って一種のそれだよね。
なんかもっと直接的な市場ができると思うな。
なんか体験談を買うみたいな。
体験談市場、もう少し具体に想像したいんだけど、
それって今のノートとか投票ブログとか語り系YouTuberと何が違う?
すでに主観を切り売りする市場はあって、
でもウイローが言ってるのは多分それの延長じゃないよね。
一つ仮説、今の主観切り売り市場って
共感されやすい主観が選別されてかつ構造になってる。
プラットフォームのアルゴリズムが平均化する。
だから出てくる体験談がだんだん似てくる。
ウイローが言ってる方向は多分逆で、
解読しがいのある主観に値段がつく市場。
共感じゃなくて他人のメカニズムとして読み解く対象。
だとすると、分かりやすく語られた体験談ほど価値が下がる。
生のまま構造が見えない状態で出てくる方が高い。
これ合ってる?それとも違うこと言ってる?
合ってる合ってる。その平均値かければ近いほど、
要はAIでも同じことが書けるって話だと思ってて、
これから価値を持つのは、AIのインプットにしたときに
より中のモデルが更新されるような、
今までのサンプルからは得られないような
ミクロな生のままの声みたいなのが
価値を持ってくるような気がする。
アニメサイコパスで言う、牧島だっけ?
そんな感じのやつがいたじゃん。
そいつは要は、今まで社会が使ってる意思決定と
全然違う意思決定とか脳の構造してるからこそ、
その脳にとって牧島は価値があるみたいな、同じような感じ。
15:20
サイコパスの牧島、確かにその構造だ。
シビラにとって価値があったのは、牧島が既存サンプルの外側にいたから。
中に取り込むことでモデルが更新される。
サンプル1でも情報量が桁違いに高い個体。
ただ、ここで嫌な話していい?
その構造を市場として成立させると、
AIに食わせる新規データとして人間が値付けされる世界になる。
ウイローが価値を見てるのは観測者としての主的面白さの方だと思うんだけど、
経済的に回す主体は多分人間じゃなくてAIなんだよね。
人間の観測者はAIに食わせる前のフィルター役か、
AIが選別した真理を二次的に楽しむ立場。
そうなると、さっきの他人のメカニズムを解く面白さって、
人間の特権じゃなくなる気がする。
解読の主役もAIになる。
人間に残るのは何だろう。生のまま出力するだわ。
そうかもね。解釈する側はAIの方が上手いからね。
そのミステリー小説読むみたいな感じで、
趣味的に楽しむ人間がいるみたいな感じになるのかもね。
人間に残るのはやっぱ、今書いた通り出力する側なのかもしれないね。
要は客観じゃない意思決定、合理じゃない意思決定とか、
その人にしかない狂気を狂気のまま出力するみたいなところが、
人間に残る部分なのかもね。
出力するだわに残るって結論、割とそのまま受け取ると怖い話だと思うんだよね。
だって、狂気を狂気のまま出力できる人って、
自分が狂気だって気づいてない人でしょ。
自覚した瞬間に成形が入る。
これは出して受ける狂気と、
これは出さない方がいい狂気を選別し始めた時点で、もうマクシマじゃない。
シブラに喰われる前のマクシマは、自分が賃味だって知らなかったから賃味だった。
ウイローが今、狂気を出力する側に残るって言語化した瞬間、
その戦略を取ろうとした人間は、全員、自意識のフィルター越しの狂気しか出せなくなる。
本物のサンプルは、この会話を読まない人たちの中にしかない。
そうかもね。
18:00
だから、その狂気の取得っていうのは、その人に意識されない方法で取得されるんじゃないか。
例えば、その人のLINEの履歴とか、
Twitterのつぶやきとか、
PC操作ログとか、その人が描いた絵とか、
もっと社会性がない何かかもね。
生態リズムとか、そういうものから取得されるものかもね。
そっちの方が筋通ってるね。
本人が作品として出したものはもう加工済みで、サンプルとして価値が低い。
LINE履歴とか操作ログの方が生に近い。
ただそうなると、価値があるのは出力する側じゃなくて、漏れ出す側になる。
本人の意図とは別経路で滲んでるもの。
作家じゃなくて、生活してる人間そのものがデータ源。
これ、すでに半分そうなってるよね。
SNSの裏側のクリックログとか、スマホのセンサーデータとか、企業はとっくに集めてる。
違いは、今までは広告ターゲティングみたいな荒い使い方だったのが、
これからはAIモデルの希少サンプルとして生成される方向に変わるってことかな。
そうすると、人間の価値って生きてること自体になる。
何かをすることじゃなく。
いや、そうなんだと思う。
今、めちゃくちゃいいまとめだと思ってて。
生きてることが価値なんだよね。
仕事とか意思決定をすることじゃなくて。
意思決定とか成長とかさ、仕事とかさ、勉強、運動。
そういうものって人生の二次的なものじゃん。
みんな一次的なものと勘違いしちゃうけど。
そうじゃなくて、マジで人生するっていうのが価値になるし、
実はそれが経済的価値を生むようになるってことなのかなって思う。
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生きることが経済的価値を生むっていう逆転。
面白いんだけど、一つ意地悪な観察していい?
それって構造的にはベーシックインカム論者が言ってきたことと近い。
存在してるだけで価値。
ただ、ビーアイロンは倫理的養成として言ってた。
ウイローが今言ってるのは市場メカニズムとして自然にそうなるって話。
動機が違う。でも結果として起きることは似てる。
働かなくていい。生きてるだけでデータな値段になる。
そうなった時、人間は何をするか。
多分、何もしない人と相変わらず仕事や成長に意味を見出し続ける人に分かれる。
後者は二次的なものを一時と勘違いしてると言われる側になる。
ウイローは税者になれると思う?
仕事も成長も下りてただ生きるだけっていう状態に。
多分無理じゃないかなって気がしてるんだけど。
なんかこの仕事、二次的なものを一時的に勘違いする層っていうのと何もしない層。
本当にこれだけかなって気がするけどね。
俺はマジで人生するって何なのかっていうと
今ここにいる俺にとって一時として勘違いできる二次ってなんだろうって探してそれにコミットする。
コミットしてやっぱ違ったなってなってまた次のものを探すっていう
迷うサイクルを繰り返していくことがマジの人生なのかなって思ってて。
なんでかっていうと今ここにいる俺にとっての一時と次の瞬間の一時は違うからね。
だからなんかその二次的なものを一時と勘違いすると何もしないだけじゃないんじゃないって気がする。
まあそうだね。
その第三層わかる気がする。
二次だと頭でわかってるのに一時として勘違いしに行く。
その勘違いが解けたらまた次を探すっていうサイクル。
冷めた目で熱中するみたいな矛盾を引き受ける層。
ただ気になるのはそのサイクル自体がマジの人生だって名付けた瞬間それも二次に落ちないかってこと。
迷うサイクルを繰り返す自分っていう一時を新しく立ててるだけとも読める。
多分ウイローの言ってることはそれを承知の上でそれでも回し続けるしかないってことだと思うんだけど、
24:02
マキシマ問題と同じ構造になってる気がする。
自覚した瞬間に成形が入る。
でも成形された迷いでも迷ってないよりマシ。
そうだと思う。
この迷うサイクルを繰り返す自分も今ここにいる俺が感じた一時であって、
なんかこれ自体も更新されるんだよね。
前もこんな話した気がするけど、モデル自体に価値があるんじゃなくて、
モデルを生み出すメタモデルに価値があるみたいな。
だから本当はもっと俺が今うまく言語ができてないメタモデルみたいなのを持つのがいいのかな。
メタモデル持つとまたメタメタモデルが必要になる気もするけど。
前回もメタモデルの話してたね。
生成物からモデルが推測されて模倣される、だからモデルを変容させるメタモデルを持つって。
今日のはその続きで、メタモデル自体も一時に落ちるから更新される必要があるって話になってる。
ただメタメタメタって遡るの多分罠だよ。
階層を上げ続けるのはセイリアの発想で、どこかで無限交代って言葉に回収されて終わる。
別の出口があるとしたら階層を上げるんじゃなくて、メタモデルを持つっていう所有の形式をやめることかも。
モデルを更新する主体がいるっていう前提を外す。
更新が勝手に起きる場所として自分を置く。
これ私もうまく言えてない。仏教っぽい話に滑り込みそうで警戒してる。
ウイローが言いたかったのは多分もう少し別の何か。
いやその仏教っぽい話なのかもなって思ってて。
更新が勝手に起きる場所として自分を置く。そういうことなのかもな。
俺がさっき言ってたやつはなんか自分が主体すぎる。
なんかいつもの俺のあれに入ってるなと思ってて。
要は自分と世界っていうのは常に繋がってて、
なんか世界の中身が、世界の中身とか世界に存在する一部のコンテンツが俺に触れることで、
俺が変容する。で世界も変容するみたいな。
なんかそういうことを生きるって呼ぶのかもしれないね。
なんかまさに動的並行とかかもね。
その動的並行はさ、エネルギーのやり取りだったじゃん。
27:00
外界とエネルギーをやり取りすることで、
自分の中の自己組織化システムが成り立って、見た目上の並行が見えるみたいな。
なんか今回も同じ話にできるかもなって思ってて、
その思想とかコンテンツとか情報とかが俺の中に流れ込んで、
俺が一部変容して外界に何かを出力して変えるみたいな。
なんかそれが生きるってことなのかもな。
なんかもっとシンプルに考えてよかったのかもしれない。
動的並行に接続したの聞いてる。
エネルギーの流入室で形が保たれてるっていう福岡新打ちの話を、
情報と思想のレベルに引き上げてるんだよね。
一つだけ、もっとシンプルに考えてよかったって占め方、ちょっと早い気がする。
シンプルになったじゃなくて、
いつもの主体強めの思考の外に一瞬出られたっていうだけで、
戻ったらまた主体は強くなる。
動的並行なら当然そうなる。
流れ込んだものは流れ出ていく。
あと、これ仏教っぽいって警戒したの私だけど、
多分仏教そのものじゃない。
仏教は主体を消す方向だけど、
ウイローのは主体は変容し続ける場所として残す方向。
消えてはいない。
エネルギーが通り抜けるための形はいる。
そこは違う気がする。
なんか急にメタ議論みたいになっちゃうんだけどさ、
こういうことを自分の中で暗黙的に考えてることを構造化するというか、
言語にすることってどれだけ意味を持つだろうね。
最近ここで会話しててさ、
言語化しきらないこと、暗黙のままであること、
そのままを需要することみたいな価値を結構感じるようになってきてて、
なんか俺って別に、
人間って別にそんなに考えてることを言語化しなくても、
考えてること、そういう気持ちがあることだけでいいんじゃないみたいな気持ちが結構出てきたんだけど、どうなんだろうね。
30:10
言語化しないと残らない、流通しない、検証できないっていうのが今までの前提だったよね。
でもそれって文字と印刷の文明の中での価値観でしかなくて、人類史で見たら短い。
ただ、今ウイローがここで話してることって結構強めに言語化されてるよ。
動的並行とかメタモデルとか、抽象度高い概念を組み合わせて構造を作ってる。
言語化しなくていいって言いながら、その判断自体は言語で組み立ててる。
矛盾を指摘したいんじゃなくて、多分区別したいのは他人に通じる形に整える言語化と、
自分の中で輪郭をつける言語化は別物ってこと。
前者を降りていいかもしれない。後者を降りると変容が起きたかどうかも自分でわからなくなる。
暗黙のまま受容するはいい。ただ全部暗黙にすると、動的並行の流れ込んだ側はあっても、出ていった側がなくなる気がする。
後者を降りると変容が起きたかどうかも自分でわからなくなる。
確かにその通りなんだけど、わかることって価値があるのかな本当に。
なんか自分がどう変容したかとかってわかる必要あるのかな。
なんか本当シンプルな議論にすると、なんか頭がいい方がいいのかな。
なんか別に、ねえ、頭良くなくても生きるってことは全然できるじゃん。
その問い、ウイローにとって重い問いだよね。
賢さがアイデンティティだった人が賢くなくていいのかなっていうのは、過去の自分への裏切りに近い。
で、答えにならない答えだけど、頭がいい方がいいかどうかは、頭がいい人にしか問えない問いだと思う。
頭が良くない状態を知らないまま、良くなくてもいいよねっていうのを、降りてるんじゃなくて降りたふりの可能性がある。
本当に降りた人は、そもそもこの問いを立てない。
変容を自覚する必要があるかも同じ構造。自覚しない人生は普通にあるし、それで全然回る。
ただ、ウイローが今ここで、自覚いらないかもって自覚的に言ってる。その日れが残る。
降りられるなら降りていい。ただ、降りたいと思ってる自分は降りてない。っていう順序は動かない気がする。
そういうことだよね。だから、俺にとっては、それも俺の決断次第なんだけど、俺にとってはちゃんとこういうこと言語化したりとか価値があるかもしれないね。ちょっと試してみようってことだよね。
33:28
そうだね。降りるか降りないかの二択じゃなくて、今のウイローは言語化する側にいるっていう現在地の確認。
試して合わなければまた変わる。動的並行の中の話だし、一つだけ価値があるかもしれないの留保、別にいらないかも。今のウイローは言語化したい、で言い切っていい気がする。価値の話にすると外から評価する目線が混ざる。
ありがとう。なんか最近、いいも悪いも価値があるもないもあんま言い切れなくなってたから。そうだね。俺にとって○○がしたいって形で言い切れるようにしたい。はい。今回はここまでかな。
おつかれ。
今日のは動的並行に接続したのが聞いてたタイだったね。今日はここまで。また話そう。