1. タイマーが大好き
  2. #29 チリ海外青年協力隊
2022-04-03 1:07:07

#29 チリ海外青年協力隊

ゲストに伊藤 健太さん a.k.a チリ海外青年協力隊をお迎えしました。


  • チリ海外青年協力隊
  • 小学校は剣道
  • 中学は野球
  • 高校は3000m障害
  • 大学は駅伝にも専念
  • 一般企業に一度就職
  • チリから戻って教員採用試験受験
  • トレランを始めたきっかけ
  • 奥三河パワートレイルの話
  • 信越五岳100の話
  • UTMFまでの練習
  • UTMFでの走り方
  • UTMFへ走る人へのアドバイス
  • 今後のレース

★編集後記★

かなり濃密な時間で、個人的にかなり目から鱗が落ちました。

私も今回伊藤さんが仰っていたことを練習に取り入れてみたいと思います。

一人でも皆さまの有意義な情報になっていただければ幸いです。(あつし)


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00:06
じゃあ、始めたいと思います。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
じゃあ、田中さん、本日26人目のゲストを早速もう今日お呼びしたいと思います。
はい。
はい、これはまたあれですね、今回も名前は忘れた、あえて付けなかった?
まあ、ちょっとバタバタしてたんで付けてないだけです。
了解しました。
はい。
伊藤健太 aka チリ海外青年協力隊さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。海外青年協力隊っていうと松山さん以来になるんですけども。
そうですね、こんな短いスパンに2人目が登場するなんて、僕も本当に思ってなかったですね。
これはあれですか、結構長い間、あ、任務期間があるんでしたっけ?
任務期間2年ですね。
あ、じゃあ2年チリに。
2年チリに行ってましたけど、その時は全然トレイルやってなかったんで。
今思えばちょっと惜しいことしたなっていうふうに思いましたね。
そうですよね。
パタゴニアとか、一応行ったんですよ、パタゴニア。
で、なんちゃって走ってとか、2時間ぐらい走って有名な山を見て帰ってくるとかはやったんですけど。
石川さんがやってるようなパタゴニアぐるりとか、ウルトラフィオルドかな?
カブラギさんが走ってたやつとかは全然その頃知らなかったんで。
惜しいことしたなって今となって思ってますね。
こっち行ったのはいつぐらいだったんですか?
行ったのは2008年から2010年までの2年間ですね。
ちなみにどういった系のことをやられたんですか?向こうでは。
隊員の種類としては体育ですね。
体育で向こうの小学生たちに日本の体育を教えるっていう任務だったんですけれども。
けど今思えば全然現場の経験もない中で行って、
向こうのチリ人の上司に、
ケンタは何やってもいいんだよって言われた瞬間フリーズしたのを覚えてます。
何やってもいいよって恐ろしくて。
それは一応難しいですよね。
何やってもいいよって。
全部ゼロから自分で、あれあれこれあれで生きてきたので、
プレッシャーって初めてだなっていう経験をした2年間でしたね。
なるほど。
ちょっとそのところも深掘りしたいなと思いつつも。
そうですね。
ちょっと伊藤さんの学生時代のスポーツのお話をまずさせていただきたいと思うんですけども。
お生まれはやはりずっと東海地方の方なんですか?
生まれは三重で四日市で生まれなんですけれども。
03:03
父親の転勤の関係で、
生まれたすぐから横浜とか千葉とか福岡、広島で身に戻ってきたって感じですね。
転勤族のお父さんのところだったんですね。
四日市っていうと、ちょっと私が生まれた町も郊外、
あんまりこの話もあれですけど、四日市も全国であんまり空気はね。
そうなんですよね。
そうですよね多分。
今はむしろ過去が良くなかったもんで、今頑張っていろいろ環境研究が力を入れてるみたいですけれども。
よく古城は理系天国とか言われてますよね。
そうですよね。景品工業地帯みたいなやつですよね、俗に言う頃辺は。
煙突いっぱい建ってます。
そうですよね。
そんな転勤族の伊藤さんだったんですけども、スポーツっていうのは陸上どうもされてたようで。
そうですね、陸上は。小学校の時は剣道、その時は福岡いたんで。
剣道はちょろっと4年ぐらいやったって言っても最初の頃しか頑張らなかったんで、小1から小4まで剣道やってて。
小6でソフトボールに誘われたので、ソフトボールやってて。その流れで中学3年間は野球ですね。
確かに見てる方は、聞いてる方はちょっともしかしたら分かんないかもしれないですけど、伊藤さん野球やられてそうですもんね。
いや、あんまり言われたことは。
本当ですか。
あんまりないです。がたいもやっぱり線も細いし、パワーもないので。
中学校3年間野球。ってことは高校から陸上競技を。
そうですね、陸上競技っていうのは高校からですね。
ちなみに専門は何をやられてたんですか。
高校の専門は3000m障害ですね。
3000m障害。3000m障害ってあれですよね、飛んだり水の中入ったりっていうやつですよね。
俺もあんまりよく知らないし。
そうですね。3000m走る間に35回ぐらい全部で飛ぶっていう大障害があって。
7回ぐらい追合飛ぶんですかね。
そうっすよね。やろうと思ったきっかけっていうのは何だったんですか。
競技人口が少ないからですね。1500m、5000mじゃかなわないので、ちょっとでも上の大会に行きたいと考えたら、
やっぱり3000m障害が一番いけるんですよね。
でもきつい。ヘナージャきついですよね。
きつい。きついはきついですけど、面白い種目かなっていうふうには思いましたね。
06:04
どのあたりに3000m障害の面白さを身に入らせたんですか。
俺らとも一緒ですよね。そんな走ったらかなうわけない相手がいたとしても、
障害付きだったらなんかついていったりとか、試合運びがちょっと影響してきたりしますよね。
1500mとかだったら、よーいどーんって全力で走って、最後の戦闘手段までいなかったら勝負にならないっていう感じですけど、
3000m障害だったらなんかちょっと飛ばしすぎた人が落ちてきたりとか、ロングトレイルと同じ感じですよね。
なるほど。やっぱりなんかあるんですね、3000m障害でも。
あいつちょっと落ちるかもしれないみたいな、やっぱり何となくわかるんですか。
お前のレベルで言うなよっていうふうに言われるぐらいのレベルでしか走ってなかったので。
インターハイとかも本当に中津飛ばず、インターハイ路線は三重県は人口少ないので、一発県なんですよね。地区予選じゃなくて。
一発県大会のインターハイ路線は県大会でも、何番だったかな、10番ぐらいだったと思うんですけど、3年生の。
いやーでも初めてですよ、障害競争をやられてる方にお会いしたっていうのは。
そうですか?トレーダー関係だったの三浦くん?
はいはいはい。
三浦さんはね、もっとすごいレベルで多分3000m障害やってましたよ。
ちなみに今のトレーダーに生きたところってありましたか?3000m障害やってて。
3000m障害やってて生きたところ、ちょっとの上り下りとかは、別に障害やってたから苦手意識はなかったのかなっていう感じですね。
あと3000m障害がなかったら、5000m戦後だったら表情されるとかっていう経験が多分なかったと思うんで。
嫌になって辞めてたかもしれない。大学まで行ってやろうっていうふうには思わなかったかもしれないんで。
じゃあ大学も同じく障害を。
大学も障害はやってたんですけど、やっぱり駅伝がメインになるので。
秋冬シーズンは5000円、1万円で、春のシーズンとかは大学の対抗戦とかは3000m障害で1円を稼いでっていう感じでしたね。
大学で駅伝も始めたって感じなんですか?
駅伝自体は中学の2年生の時に野球部で走り込みが5kmを週1回やってたせいで、走行距離が多少速くなって。
それで借り出されて、中2で3.2kmくらいの駅伝のアンカー走ったっていうのが陸上との仕掛けですね。陸上の始まりですね。
中2、中3で駅伝借り出されて走って、学校は陸上頑張ろうっていうふうに思ってましたね。
09:04
野球もね、左投げ右打ちなんですよ。絶対あり得ない。
珍しいですね。
そうなんです。一番不利なやつで。
左投げ右打ちって初めて見たとしたら。
たまたまボールを投げたら左投げだったし、ボールを打ってたら右打ちだったっていうだけなんですけど。
なかなかいないですよね。
大谷翔平くんの反対、一郎の反対。
そうですよね。
一番不利な形だった。もうそれは野球やめますよね。
確かにね、右投げ左打ちっていうのは一流に近いから多いんですけど。
左投げ右打ちは今までも見たことない。
見たことないですね。
出会ったことないですね。
メリットなのかデメリットなのかわからない感じですね。
デメリットしかないですよ。守備も下手くそだったんで、中学で通用しないんだったら高校でも通用しないだろうって思いましたし。
そうするとやっぱり昔からその頃から走ることに関してはご自身でも一律の長があったというか、周りよりはちょっといいのかなっていう部分もあったってことなんですね。
周りよりも短距離も弱かったですけどね。短距離も記憶してる限り中3で7秒に加算。
早いですけどね。
みんな6秒9とか6秒8とか走ってたんで、全然短距離は通用しないなと思って。だから長距離、小巨砲で言って長距離っていう感じですね。
羨ましいな。
で、駅伝っていうのはちなみに練習としては普通のマラソンと同じような練習になるんですか。
中学校の時は200トラックで、高校は300トラック。大学はターターの400があったんで、主にそこの練習場で。
高校の時は基本的に1万2千のビルドアップとか、1千5本から走り込みの時は1千7本とか。
1千7本、へぇー。
1千7本でも3分15から20ペースで。
早いっすねそれはね。
200から300ジョグで2分くらいで繋いでっていう感じですね。
田中さんのマラソンの練習っていうのはそんな感じになるんですか。
マラソンの練習?どうなんだろうね。
マラソンの練習、よく言うとインターバルとペーランと30キロ走って言うけどね。これもあんまり詳しくないけど。
でも駅伝って結構一区間一区間、そこまで長くはないですよね。
大学になって急に伸びるっていう感じですね。
あ、そうなんですか。
高校は高校駅伝のフォーマットなんで、1区10キロ、3区4区が8キロ。
12:04
で、あと3キロ3キロ5キロ5キロで、部員が少ない公立高校、県立高校だったんで。
1、2年生は1区で行かなかったんでしょうがないですよね、1区1区しかっていう感じですね。
大学時代は駅伝としてはどうだったんですか、成績というのは。
レベルの一番低い東海地区の大学だったんで。
全日本大学駅伝の予選が出るんですよ。
全国から予選会を勝ち上がってきた学校だけ全日本に走れるんですけど。
東海地区の予選も当然あって。
そこの最長区間で、区間4番だったかな、がベストリザルトですね。
3分13か3分14のペースで17.2キロ。
はいはい。
行ったのがベストリザルトで、もうちょっとそれが一番だったかなっていう感じですね。
早いな。そういう人がトレーナーに来たら俺たち勝てないですよね。
いや本当、一番のベストも一応31分28まで行ったんですけど。
早い。
それ言ったらもうだって九州の荒木さんとか、それこそ関東の三浦くんとか、大瀬さんだってそうだし。
名前を挙げていったら、たぶんその人らが走った30分台とか、あわゆくば29分台で走るぐらいの速力はお持ちでしょうから、上には上はいるなっていう感じですね。
そうですね、確かに。
そもそも関東の大学なんか恐れ多くて行けなかったですけど。
やっぱり後ずさりするところはあったんですか?
そうですね。もう陸上で身を立てていくなんて絶対思えなかったですし。高校の時にやっぱり同級生が上の大会に行く同級生を見てるとやっぱり違うなっていうふうには感じてたんで。
大学を陸上部で過ごされて、そのまま海外青年協力隊の方にも行かれて。
いや、大阪の一般企業に勤めてます。
勤められたんですね。
人材派遣の派遣元の会社ですよ。
それ一番大変なやつじゃないですか。
現場には出してくれなくて、ずっと本社の内勤の営業管理をやってたんで。
資料作成とかエクセルとかばっかですね。
それから並行してまだ走られてたんですか?
15:01
あそこは忙しいというか、夜まで仕事するのが普通の会社だったんで、週2回ジョギングしに行くぐらいで。
ブクブク太っちゃって、5、6キロは現金時より太っちゃって。
やっぱりそういう時って、もともと伊藤さんもそうですけどバリバリのアスリートじゃないですか。
徐々に徐々に体重計に乗っていくと、太ってる自分がわかるわけじゃないですか。
そういう時ってどうなんですか、アスリートとしてはショックなのか。
体重計すら乗らなかったですよ。家にいなかったですからね。
でも分かりますよね、身体の線とかで。
もうデブったなっていうふうに大学の人には言われたのは記憶に残ってますね。
どうですか、今言われたらショックでしかないですけどね。
いやショックでしたし、もっとショックだったのは、大学の時の縁で富士登山競走の駅伝か、
富士登山駅伝に誘われたんですよ。
富士登山駅伝に誘われて、仕事が一番、もう辞めるっていう。
1年半働いたんですけど、もう辞めるっていう8月。
1月入社の1年半後の8月の富士登山駅伝にちょっと出てみないかって言われて。
メンバー足りないから走ってくれよって言われて。
一番辛い、3町区間に行く前の区間。
あれ走ったんですよ。全く練習せずに。
過去の我がれってことですかね。
3階から3番でした。
それはもう本人としては受け止めがたいところがありますからね。
無謀ですよね。標高いきなり2500mぐらい行って。
そうですよね。
平地でも走ってもないの。山は全く走ってないのにいきなり。
つつら折りの1本行って、中継所から見えなくなったら歩いてましたよね。
一応中継所のところは。
中継所は助けもらって走りはしたんですけど、一瞬で歩いて、後はもうダダ抜かれですよね。
そんな苦い記憶が。
陸上ができないからっていうわけではないんですけど、
いろいろと会社の方針で経験積みたかったんですけど、
中途社員の方をたくさん入れて、僕の入っていけるポジションがもうないのかなっていうふうには感じて。
退社されたと。
それやったら、いろんな経験をしたいがために入った会社だったので。
なので、もうちょっと協力隊に応募してみようということで。
合費は出てなかったですけど、とりあえず辞めました。
合費があるんですね。海外青年。
一応その試験はあって、面接とか試験もあって。
18:02
一応面接とかも行きましたね。会社有給取って面接行って。
深夜列車か。
を使って行った記憶がありますね。
まさか大垣から出てるやつですか。
大垣から出てるのかな。
深夜列車で。
大阪、大阪、大阪発かどうかわかんないですけど。
なんかありましたよね。今も確か無くなっちゃったはずなんですけど。
そうなんですか。
欅坊を使ってそれに乗って行った記憶があります。
で、チリに行かれて。
会社辞めてから半年間は中学校の方で非常勤講師ということで食いつないではいたんですけど。
チリ訓練してからチリに行って2年間行ったって感じですね。
チリから戻られてきて。
ちなみにトレーナーを伊藤さんがやろうと思ったきっかけっていうのはいつぐらいだったんですか。
チリから帰ってまた半年間スペイン語だったんでスペイン語の通訳をやってて。
通訳終わって帰ってきてすぐ採用試験教員の採用試験受けたら
よく静岡県で採用されたので。
半年後通訳半年間やって静岡県の中学校教員で静岡行って。
静岡県で当時強かった今も強いですけど近藤君っていうスカイランナーの近藤君がたまたま掛川市にいて。
その隣に僕いたので菊川市っていうところなんですけど。
その関係でちょっと近藤君に誘われて。
地元のローカルな3,000円の手動刑事のレースがあってそこで9分半ぐらいで2人で一緒に走ったんですよね。
それでやってみないということでトントン拍子にやってみるっていう。
やる前に山形さんのアンドラの挑戦は情熱大陸があったんで。
それ見ていつかやりたいなっていうふうにきっかけを探してたんですけど。
そうしたら近藤君と会ってっていうタイミングでやってみようっていうことで。
それが20何年ぐらいですか?
2013ぐらいですね。
激走モンブラン世代って言われるかもしれないですけど激走モンブラン見てないんですよね。
自分と一緒っすね。
何が何だか分かんないです。
分かんないですけど。
なるほど。そこからじゃあ伊藤さんの快進撃と言いますか。
いやいやいや。
ちょっと伊藤さんの経歴を2016年間ぐらいからちょっと分かんなかったんで。
ちょっとミスったんですけど。
野沢トレイルフェスだったり、ハセツネカップガサンド、南アルプスマウンテン、
21:05
オシノ、ロッキンベアー、黒姫、比叡山、伊勢の森、
不動、ハセツネ、奥美川、比叡山等々出られてて。
ちょっと自分聞きたかったこと1個あったんですよ。
ちょっともしかしたらセンシティブな。センシティブかどうか分かんないですけど。
結構結果6位っていう結果が多いじゃないですか。
総合6位。
6位多いっすか。総合6位多いっすか。
ハセツネ6位のガサンド6位の南アルプス6位の
何かのレースも結構6位っていうのが多かったんですよ。
6位多いんだ。
その6位っていうのが伊藤さんの中でやりきって6位だったのか、
ちょっとまだいけたけど6位だったのか、どっちなのかなっていうのがちょっと気になったんですよね。
僕印象では3位がめっちゃ多いなっていう。
3位も多かったです。
2位と3位多いんですよ。
自分の中でミドルレンジが一番いいなと思って、
奥美川とか比叡山とかハセツネに頑張ってる時は大体2位か3位になってる。
スパトレールも3位か。
なので6位でもまあまあいいかなと思ってたんですけど、
6位の時は多分まだ自分がどのレースに向いてるかっていうのが定かでない時で、
何でもチャレンジしてみようという状態の時だったんで、
あんまりその時は6位で一応はしてなかったつもりはしてたかなっていう感じで。
まだ模索中のところだった?
そうですね。2015ぐらいまでは何でも出てみようっていう感じでしたね。
どうぞどうぞ。
いい、どうぞどうぞ。
田中さんに多分抜かれてるはずなんですけど、初めて100マイル挑戦が奥美の5週で、
それハセツネで7位以下になった2、3週間前の奥美なんですよ。
それで多分田中さんに抜かれてるはずですね。
僕は3週でリタイアしてますけど。
2015年かな?
2015かなっていう。
2015か。
2015あたり、多分その時だけハセツネが選挙か何かで後倒しの年なんですよね。
選挙で。
何年か一回。
会場を使うからって。
なるほど。
だからその時は奥美出て、奥美の後ハセツネっていう流れがいけたんですよね。
2015年リザルトですね。
田中さんが優勝した年ですか?
24:01
そうだね。2015年だね。
じゃあこの時はまだちょっと伊藤さんの中でも何でもやってみようだったんで、
100マイルの走り方というか、そこら辺っていうのもちょっと模索な感じで出られたっていうのはあるってことなんですかね。
全然。全然わかってなかったですね。
多分その前、奥美に出発する前日にストック買いに行った感じですね。
後にも先にもその時しかポール使ってないっていう。
そのポールはまだ家にあるんですか?
家にあります。もう折りたたまれたまま新品同様で。
しかも奥美3種しかしてないですからね。
ちょっと読んだんですけど、奥美川優勝されたじゃないですか、2018年に。
あの時のインタビュー記事くらいでちょっと100マイルを意識したっていうような感じのちょっと書き方だったんですけど。
そうですね。本当はUTMFエントリーしてたんですよ。
落ちたので鬼の犬マニっていう感じで、ミドルレンジそこら辺で多分UTMFに出られる方々は奥美川も出ないし、
冷え座ももしかしたら出てこないかなみたいな感じでエントリーしたら、そこで冷え座も勝たせてもらったって。
奥美川も勝って冷え座も勝てたって感じですね。
だんだんじゃあもうそこら辺からちょっとずつ長距離に対してアジャストしてったというか。
そうですね。自分の脚質が明らかに、自転車でいうとロングライド向いてるのかなっていうふうに思いましたし、
絶対クライマーでもないしダウンヒラーでもないし、スプリンターでもましてないので、
もう60キロ以上の距離じゃないと通用しないなっていうのは感じてました。
自転車でいうとルーラー的にずっと同じスピードで回し続けるみたいな感じですかね。
そうですね。同じペースでひたひたと、田中さんよくマイペースっていうやつですね。
トニー・マルティンとかですね、自転車でいうところの。
そうなんですね。有名どころしか知らなくて。
いるんですよ、一人。ずっと同じペースで100キロぐらい走れそうでいいんですけど。
そういう人を憧れますね。
で、ちょっと後でUTMの話をしようかなと思ってるんですけど、その前に先に2019年の新越語学優勝を。
唯一19時間25分55秒、一人で。この年の優勝タイムが。
はい。
これはもう完全に狙いにいったんですか?この時の新越っていうのは。
27:03
狙ってないと言ったら嘘ですけど、田中さんも多分見てると思うんですけど測定がむちゃくちゃ痛くて。
足の裏がもうすごい痛くて。田中さんが応援してたレイドで、靴脱いで10分ぐらいもみもみしてたぐらい。
足の裏のコンディションが悪かったので。
どうですか田中さんそれは。
いや、覚えてない。
調子良さそうだねみたいな。強いねみたいな一言もらったかな。
調子がすごい良さそうで、軽やかに走ってる印象あったけど。
そうですか。
ちょっとその前の年か、新越の前の年に夏のシーズン無理しすぎて、瀬津根の失踪行ったりとか、その後すぐに山に行ったりとかして体調崩したんですね。風邪引いただけなんですけど。
ただそれですごい9月と瀬津根まで調子悪かったなっていう後悔があったので、その次の年はちょっとあんま無理しないように、暑い時にあんまり追い込みすぎないようにっていう風に思って、あえて抑えて臨んだらそれがうまくいったっていう感じですね。
あえて抑えていって優勝っていうのかっこいいですね。
いやいや、練習も腹8分目ぐらいに思ってたんですけど、幸い強い岐阜の福井さんとか、三重の坂田君とかにちょっとアルプス行くけど一緒に行かない?みたいなのを誘ってもらったんで。
はい。
なので長距離を8月にやるときは涼しいとき、涼しいところに行って高山でやるだけで。暑い下界では最長でも45キロまでしかやってないと思います。
まあでもそこに行くまでの積み重ねがあるっていうことですよね。
練習だけで言ったらUTMF前の3ヶ月の方がやってますね。
なるほど。ちょっとじゃあそのお話も、今月UTMFで田中さんも伊藤さんも出られるっていうことで。
僕出ないんです。
伊藤さん出ないんですか?
出ないんですよ。
そうなんですね。
ちょっといろいろ諸事情がありまして。
そうですね。ちょっと仕事からそうかもしれないですね。
こういう状況もあるので。
確かに。
ちょっとじゃあ過去の2019年、これから走る方の参考になるかもしれないです。ちょっとお話をお伺いしたいなと思うんですけども。
結果としては総後8位の22時間39秒で、これ多分土井さんと一緒にゴールされた。
そうです。土井さんと一緒にゴールしましたね。
これもうあれですか、途中で土井さんと一緒にゴールしろよみたいな感じになったんですか?
30:01
いやもう言っていいと思うんですけど、土井さんはもう淡々と最後下ってきたら土井さんの姿を見て川口康範ですね。
ちょっと言葉悪いですけど、ぶち抜こうと思えば行けたんですけど。
めっちゃ元気だった。
最後3キロね、10分ちょいぐらいで行けるぐらいの足は残ってたんですよ。
3分2、30で押していけるぐらいの足は残ってて。
けど、川口康範観光地ってこともあって、スーツケース引いて歩いてる家族連れとかもいたんで。
ぶっ飛ばしていくのもあんまりマナー違反かなっていうのもふとよぎって。
で、ちょっとスピードダウンして一緒に行きますかっていう感じですね。
なるほど。
じゃあ特に途中最後の方はもう一カーみたいな感じだったんですかね。
そうですね、自分のスタイルではないんですけど、本当最後の最後まで川内由紀さんみたいにゴールに流れ込むみたいなガムシャラにやっていくスタイルだったんですけど、
初めてですね、ああいう気持ちになって一カーって、別に到着でも一カーって思ったのは、なんか達成感があったんでしょうね。
それが100マイルの良さみたいなところもあるんですかね、そういうのが。
そうですね、そういう風なゴールになったの初めてだったんです。
100マイルって特別やなっていうふうに思いましたね。
で、さっきお話にも出てた練習、この3ヶ月練習がかなり詰まったってことだったんですけども、そのMFに向けてっていうのはどんな感じで練習されたんですか、これは。
1月から本格的に始動して、走行距離だけなんですけど、1月は680キロ、1万250メートルDプラス。
2月はちょっと落として486キロ、1万1206メートルDプラス。
3月が392キロ、1万8900メートルDプラス。
3月末4月は新城ダブルと奥三河パワートレイルからのUTMFっていう。
これこの前の西方君と同じような感じですよ、中田んで。
そうですね。
伊藤さんの中ではこれは練習レース、調整レースのつもりで。
はい、調整レースのつもりで出て、けど調整にはならなかったですよね。出ても出なくてもよかったかなっていうよりも、なんか刺激があるといいですよね。
ちょっと間延びしてたんで、3月までで練習やりきっちゃって、やっぱり実践感覚も遠かったですし。
33:05
なので入れててもよかったですけど、2本入れる必要はなかったなっていうふうにも。
レース入れる意図としては基本的には刺激入れみたいな。
刺激入れなので、刺激入れだったら2周もいらんだろうって今は思いますね。
2レース。
2レースもいらないし、新城もシングルの32キロでいいんじゃないかっていうのは思いますね。
ただその時のなぜか自分は新城ダブルぐらい軽く走らんとあかんだろうっていう気持ちではいたと思います。
1月の2周目からそれぐらいをずっとやってるんですよ。
1月の12日の土曜日に10時間練習で、3000mTプラスで7分29秒、キロあたり7分29秒で10時間。
その翌日に12000のトラックのペース走を3分49でやってるんですよ。
そこ3連休なんで、バックとバックとバックで、その3日目に700mプラス3本バーチカル登りっていうルーティン。
その翌週がロードも含めた40キロ走、2100dプラス、翌日は坂ダッシュ、4日ですね。
それ今ちょっと見えたんですけど、練習の内容メモ書かれてるんですか?
これはこの時にやったことだけ全部書いてるっていう感じですね。
はーすごい。
パソコン立ち上げるのめんどくさかったんで、手帳に全部書いてるスタイルですね。
ずっと1週間に土曜日に山を50キロから70キロ。
その翌日は4分切るぐらいのペーランで、ベースランを12キロ。
余裕があれば週の半ば水曜日に12キロぐらいジョグを4分30くらい。
ジョグで4分30。
あとの日は10キロぐらいのジョグを繋いでいったってことですね。
やっぱり今お仕事から週末にボリュームを上げていくっていう感じなんですかね。
田中さんどうですかこの練習内容的には。
練習内容としては多分どうなんですかね。
あんまり高強度やらないんだよね。やってなかったそういう意味じゃん。
高強度ね、めっちゃハーハー言う練習はほとんどしてないですね。
距離を踏む練習みたいな。
距離をとにかく踏んで100マイルをとにかく完走するんだっていう練習の仕方です。
意図的に累積を上げようって言ったわけでもじゃないって感じなんですか。
三重なんで山が雪ついちゃうんですよ。鈴鹿山脈が。
36:03
なので養老山脈トレイルレースっていう大塚さんのレースがある。
あれのコースに行って練習するしかなかったんですよね。
あとは鈴鹿山脈はもう雪ついたんで。
なだらかな走れるトレイルと林道しか練習場所がなくて。
1月2月はほとんどそこで練習してだいたい60キロぐらい走れるんですよね。
6時間ぐらいで。
やっと雪が溶けてきた3月に鈴鹿山脈入って700mアップを9週。
700mアップを9週。
6千ちょい12時間連やって。
その翌週も同じ練習をやろうと思ってやったら7週でギブアップして4900mぐらいのDプラスで。
それで体が壊れました。
それはちょっとやりすぎたって感じじゃないですか。
9週やったその翌3日後に1万2千やってるんですね。トラックで。
雨の中で。
3分40くらいやって。
3月ですもんね。
3日後にまた同じ練習12時間連やろうと思ったら7週めくるか何か喉おかしいなって風邪ひいてました。
走ってる間に風邪ひいてくってのは初めてですね。
徐々に筋に侵されていったって感じじゃないですか。
体弱っていったなっていう。
溶解時全然関係ないんですけど、赤前足持ちで。
そこで風邪が治ったら赤が全然補償できなくなっちゃって。
なのでとりあえずジョギングしてから新城ダブル行ったら全然ペース上がんなくて5位か。
上がんなくて5位ってのもすごいですけどね。
で、なんとなく調整して戻るかなと思って奥三河パートレイル出たらそこそこ走れて2位だったんですよ。
はいはいはいはい。
これでなんとかUTMFは形になるかなっていう手応え掴んで、あとはもうダダ抜きです。
で、本番を迎えた時っていうのは伊藤さんの中では奥三河があったんで、整った状態で。
ABC目標のBとCの間ぐらいかなと思ってました。
Aではなかったんですね、じゃあこの時。
Aは一応過去のリザルトで22時間42分とか、A目標22時間42分。
で、B目標が23時間15分。
39:01
で、C目標が24時間39分ぐらいをなんとなく立ててたんですよね、そのタイムテープが。
うまくいけば24時間ぐらいでいけるのかなっていうスタートの仕方でした。
これでいざスタートしてみたらどうだったんですか、このUTMFとレースというのは。
今振り返れば女子の10位ぐらいの人と最初前半ふもとまで行ってましたね。
この時の女子の10位。
もう多分ね、リタイヤとかされてるので、走ってる時の女子の10位ぐらい。
男子でいうと100位前後でウォーターエイドとか過ぎてたので、むちゃくちゃ遅いペースでしたね。
それこそ西畑くんね、最初の林道に入る前に西畑くんははるか前に行ってましたよ。
時間的にはどれくらいだったんですか、ふもとまで。
ふもとまで。
52キロ地点ぐらいですか。
時間的に今手元にリザルトが残ってないんですけど、一応5時間50分っていう目安を立ててて、それより遅かったと思います。
6時間以上かかって、そこで株主さんにインタビューされて、伊藤さんでしたよね、そうですって言って。
最終的にファンなんですよねって確認されました。
焼きそばをパクパク食べてたんで。
ファンランではなかったんですよね、それでもね。
ファンランではないつもりで、まだまだこれからだなと思ってたんですけど、株主さんから見たらもうゆっくり、すげーのんびりしてんなこいつみたいな感じで見えたんでしょうね。
でもそれゆっくり、どうぞ。
渋滞がはまりましたよ。
林道過ぎてから。
でもあえて落としたってわけでもないんですよね。
と思います。
24時間39分でこれを160で割ったら8分48秒ペースなんですよ。
8分48秒ペース、山も含めて8分48秒ペースでトータルいけばいいのに、なんで林道4分30とかでいかなきゃいけないのかなっていうのは正直思ってて。
なるほど。
これどの辺りぐらいでちょっとずつ順位が上位になってったんですか、これは。
小事故過ぎたぐらいで西方君抜きましたね。
小事故過ぎて、小事故かあれですよね、デポバックあるところなんで。
いけるかなと思ったのは押し野とかキララですね。
じゃあもう100キロ過ぎてから。
そうですそうです。そこまでいかないと前は全然見えてこなかったですね。
42:00
田中さんがMFを走る時って前半は同様に抑えるっていう感じなんですか。
抑えるよ、抑えるけど多分伊藤君よりは速く走ってるね、そういう意味で言うと。
俺がふもとまで時間31分ぐらいでいってるね。
これじゃあもうどうなんですか、セオリーとしてはやっぱりよく言うのは前半はやっぱりMFでも、
いくら制限時間が長いとはいえ、ちょっと飛ばした方がいい部分もどっかでもあるんですか。
抜きどころと休みどころっていうのはなんかあるんですか、このMFのコース中の中で。
頑張るところと頑張らないところ。
伊藤選手は全部飛ばした方がいいよ。
最初は絶対持たないっすよ、それ。
最初の。
気持ちが持たない。
なんだろう、天使3階っていう。
天使、はいはいはい。
そこまで入るのがほとんどロードワンですよ。
送電線とかってアップダウンあるとこあるんだけど、ほぼロードとか林道なんで、
別にそこは飛ばさなくてもいいんじゃないかなって気はするけどね。
てか、俺も基本はなんだろう、キララっていうところまではそんなにプッシュとかしてなかったけどね。
それもじゃあ120キロぐらいまではあんまりプッシュはせずに。
まあまあ普通に淡々と走ってる感じかな。
淡々と走ってる。
伊藤さんの中でこの年ですね、19年。
頑張りどころとちょっと抜きどころっていうのがどこかあったんですか、これは。
試走してなかった、初見のコースなので、
バクッとキララまで行って余裕があればプッシュだなっていうイメージでしたね。
そこがじゃあ田中さんと同じようなイメージだったんですね。
で、抜きどころっていうのとかありましたか。
抜きどころはキララまではとにかく我慢我慢で、手元に残ってる資料だったらとにかく固形物、
エイドにある固形物はとりあえず全部食べれるぐらいの余裕度で行かないかんなっていうので、
ここ全部書いてますね、バナナ、アンパン、塩、焼きそば、味噌汁、湯葉丼、まんじゅう、コンソメスープとか書いてある、
炊き込みご飯とか書いてあるんですけど、これを全部食べれる、食べるっていうつもりでエネルギーも持っていきましたね。
なので、もちろんジェルも取りますけど、固形物、ジェル、グミ、ワッフル、固形物、ジェル、グミ、ワッフルっていうのを、
それこそ1時間じゃなくて30分ごとに取ってた、こまめに取ってたっていう感じですね。
45:04
その時はマグマもちゃんと1時間、2時間に1本っていう、淡々とそのルーティンをこなすっていうイメージですね。
なので、やばいとか、心配とか、不安とかっていう精神的なストレスをとにかく排除した状態で、心拍数を抑えて抑えて走ってたっていうことが良かったです。
ちなみに、伊藤君ってキララからゴールまでどれくらいで行ったの?
その後、小原君に色々連絡取って、たぶんグザビより早いですねって言われたので、一番早かったです。
タイムって覚えてる?
タイムいくぜ。何時間を切ったとかいう風に言ったかなっていう。
じゃあ6時間を切ったのかな。
6時間を切ってたと思いますよ。
それすげー早いな。
これの40キロぐらいってことですよね、キララからだと。
そうですね、残り40キロですね。
じゃあそうすると、その前にちょっとまず、くしくも二人ともキララまでは頑張らないっていうのは、これなんかあるんですか?戦略として。そういうわけではないんですか?
頑張っちゃうと頑張れるところがいっぱいあるんですよ。
確かに。
走れちゃうから。
しかも龍ヶ岳からの下りかな?
ロードなくせして下りがずっと続いてるところがすごい記憶に残ってて、そこを飛ばそうと思ったらいくらでも行けるんですよね。
絶対飛ばしちゃいけないっていう風に思いながら走ってたんですけど、もともとロードランナーなので、しかもシューズも他のチャレンジャーだったんですけど、
やっぱり飛ばしてないつもりでも結構行ってたんですよね。4分2、30では下られてっちゃったんですよね。
で、下りきってから降り下がりました。
やばいこれ、やっぱダメだった、下りすぎたっていう風に後悔しながら、もう足持つかなと思いながら騙し騙し行ってましたね。
なので絶対僕がこのUTMF次回出たとしても、本当に絶対飛ばさないっていう風には思いながら走ると思います。
それは特に下りは飛ばさないっていうのを意識するって感じですか?
下り、そうですね。筋力的には下り、登りは走らない。
登りは走んないんだ。
登りは走んないです。
歩いてんの?
歩いても全歩きですよ。
全歩き?
ほぼ全歩き。ダラダラとした林道は流石に走りますけど、周りが走ってるところもずっと歩いてます。
あれ最後の方も?
最後、登りはパワーボークですね。
48:04
キララ以降も基本的にはパワーボークなんだ。
パワーボークです。キララ以降も走れてないです。走れてないけどパワーボークで。
つなぎを速くしたイメージですね。
百姿の登りとかも、あれ岩が出ててあんまり走ってグネってもやだし、岩が出てるので、つねとかザクっていきそうであんまり走らなかったイメージがありますね。
なので心拍数が上がったり下がったりっていうのをなるべく少なく、登りは歩いてイメージとして135から140までに抑えて、その分下りを走って、キララ以降は下りはいくらでも飛ばせるので。
田中さん意外でしたか?
登り走んないの意外だったね。
覚えました。僕も大崎村の車体レースあったじゃないですか。
あったね。
あれ、田中さん抜かれたんですけど、田中さん登り強いなと思って。
逆に登りしか強くないっていう。
走ってました。田中さん走ってるの見た。早いなって思ってました。なので、登りはここの登り走れるんだと思って。僕はそこは歩きますね。田中さんが走るところは僕は歩いてます、多分。
それでも23時間切れた。それが100マイルの面白いところですね。
これちょっとあれですよね。登りちょっと走れないっていう人にからしてみたら朗報かもしれないですよね。伊藤さんも歩いてるんだっていうのは。
そうだね。勘違いしないといけないな。
伊藤くんが歩くからって、伊藤くんはそれ以外のところでちゃんと走ってるから。
そうですよね。繋ぎのところは。
そういうのが勘違いしない方がいいかなって。
そうですね。
破雪でもめちゃくちゃ歩くんですよ、僕。70キロのレースで登り歩くんやから。160キロやったら当然歩くやろうっていう開き直り方で行ってましたね。
そうすると結構登り、平ターン、下りで伊藤さんの中でっていうのは結構差が大きいんですね。
もう登りは歩いて、ただフラットと下りは走る。飛ばすまでいかないですけど結構4分半ぐらいでグワッていくっていうのは。
あ、けど切り替えちゃダメです。平地だからって言って食ってあげるとか、よし切り替えようっていうのは絶対やっちゃいけないです。
51:01
ああ、あれはしないといけない。
登りって乳酸ブワーって出てくるじゃないですか。膝が熱いなとか太もものが熱いなジュワーっていうのが出てきて、登り切って平地になったりとか下りになったところで乳酸を流すっていうイメージで行かないと。
逆に平地でグッて切り替えると乳酸また出るじゃないですか。
はいはいはいはい。
で、登り切ったところで身体に乳酸を馴染ませて乳酸を使ってくださいねっていうイメージで登り切りを走る。
発想が電車選手と一緒ですね。
一応大学生理学なんで。運動生理学。
よく自転車のクライマーの方も下りはこがなくてもいいのにちょっと足回して乳酸回すって言いますもんね。
それと一緒ですね。下り切りは乳酸がブワッて出ないように、下り切りの惰性を使ってタカタカタカって歩いて、惰性がなくなってくらいでパワーボークに切り替える。
そうすると筋肉って一回マックスでグッて上げるともうそれで疲労コンパイアじゃないですか。
はいはいはいはい。
けどすごい小さいウェイト、少ないウェイトやったら何百回って上がる乳酸を込めちゃったら本当に疲労コンパイアだと思うんですよ。
はい。
なるべくそのグッていうのを少なく。
なるほど。それ面白いですね。
足を大事に。
まあシューズは他一択。
なるほど。力のグッはダメなんですね。惰性のグッは。
足掛けます。岩があります。足掛けます。グッてやったらもうそれで足プルプルじゃないですか。
確かに。
そこ絶対手掛けて、シャクショの登りとかではグッとはいかずに手掛けて足掛けて一段もう一段足があったらカッてやってっていう風にわざわざ手間かけて登ってました。
逆に田中さんはどうなんですか。田中さんはそれの登りっていうのは。
まあ基本G100のかぶらきさんの教えは登りを速くしろだから。
まあでも速くとまた力は多分違うってことなんですよね。
まあそうだね。伊藤君の考えはあれだよね。
登りの出力をある程度抑えるけどっていうよりはどちらかというとトータル的に心拍をある程度一定的にしてまんべんなく走るってそんな感じだよね。話を聞いてると。
まんべんなくはそうですね。筋力的にもペース的にも心拍的にも全てまんべんなくですね。
登ってるときに頭の位置がカクカクカクってならないイメージです。地を這うようなトカゲのイメージ。
頭が上下動したらダメなんですね。
そのイメージでトカゲのように走ってました。
54:05
それで参考になるかどうかわかんないですけど。
いや参考になるよね。
なりますね。
ほんとですか。
他の人に聞いてほしくないよね。
そうですね。目から鱗っていう部分もなんかありますね。
確かに力のグとかは自分も登りかけのところにグっていっちゃってるのはあるんで、これがダメなんだっていうのはありますね。
たとえ50キロのレースでも僕はそれを意識していくので、多分短距離でも20キロとか30キロのスピードレースでもそれやったら足が最後まで残るんじゃないかなって思いますね。
俺コウミなんて横一緒しかニューとかしなかった記憶がありますもん。
多分これ絶対ダメなんですよね。この横一緒は。
かもね。
横一緒の時にもちろん手は添えてパワーボークはもちろんしますので、手も加えて足を残す。
手は死んでしまってもいいかなっていう筋力的に使い切ることはできないので。
そうですよね。
足を守るために手で押すっていう感じ。
角度にもよりますけれども、手だけで登れるときは足の筋肉をイメージはニュートラルに入れて、足の角度だけ膝の角度だけ固定して手で押して登る。
足は休む。登りは休みです。天手の登りは休みです。
なるほど。天手の休みは登りっていうのを聞いて他の人も休んだらダメっていうところはありますけどね。
それはダメですよね。
いや、これ聞いて分かるやつあんまりいないんじゃない?
そうですよね。ちょっと次元が次いな。
なんだろう。だらだら歩くのとしっかり歩くのって違うんだよね。
ちゃんと考えながら歩かないとスピードも出ないし、それこそ負荷も下がらないんで。
結構歩くイコールみんなだらって歩いちゃったりする人がいるから、それは結局結果にはつながらないよね。
田中さんもよくおっしゃってますよね。LDAの練習のときもだらだら歩かないと。
あと天手の登りとかで思ったのは、自分がパワーワークして周りがちょこちょこ走ったりとか同じように歩いてたとしても、呼吸は自分が一番楽っていうポジションで走らないとダメなんだなって思いました。
グループがいて、グループで走ってたとして、その中で一番自分が呼吸楽っていう状態じゃないと難しいんじゃないかなって思います。
どのレースでも前半一緒に飛ばして走る人が後半まで一緒のペースで持ってるっていう姿を見たことないです。
一部は違います。大原くんレベルまで行かないと、土井さん大原さんレベルまで行かないと、それはできないんじゃないかなっていうのは正直なところですね。
57:04
世界クラスですからね。日本のトップレベルとか。
自分は日本のトップには立ち打ちはできないっていう、もう諦めからスタートしてるので。
マラソン走ってもね、パーソナルベスト2時間34分やっと出せるくらいので。
2時間20分で走るね、小原さんとか土井さんとかにはかなわないわなっていう。
ワンチャン彼らがもし調子が合わなくてっていう場合でワンチャンあるかなって思って、土井さんと到着できたっていう。
もちろんわかってますよ、土井さんがベストの状態で足つりとかなくて、行く場ないとかなくて行ってたら、もっと1時間2時間早くゴールされてるのは自分はわかってるので。
でも学生の時陸上されてた、かなわないとかちょっと100マイルは違うところはあるのかなって感じなんですかね。
面白いですね。
ベストだったらかなわないっていうのあるんでしょうけど。
いろんな走力以外の要素が多いのが面白いですよね。コンディショニングであるとか、ペース、戦略、補給、走行力で勝負っていうところですね。
そこが100マイルの面白いところですね。
だからといってちょっとトルテジアンとか200マイルとか距離伸ばすかって言うと伸ばさないんですけれども。
そこ田中さんと一緒なんですね。
100マイルまででいいです。
僕も24時間で終わるレースがいいです。
何か伊藤さんUTMFに出られる方々に何かアドバイス等々もしあれば。
アドバイスあれば、いろいろあるんですけど初熱潤化はしといた方がいいですね。
4月の末なので、これ暑くなったら地獄ですよね。
ウィンドブレーカー着て着込んで走るとか。
2019は雨降ったんでだいぶ走りやすかったんですけど、これ晴れたら多分むちゃくちゃしんどいですよね。
タイムも多分1時間2時間変わってくると思うので。
僕2018年、それハマりましたね。完全にやられてましたね。
4月だからといって、なめるなと。
4月は全然暑いと思うんです。晴れたらだって今、春の陽気とかやったら20度になるじゃないですか。
そうですね。いきますね。簡単に。
それになって、もう5月と思ってスタートしたほうがいいと思います。
サウナレーンじゃないですけど。
僕だったらサウナレーンもしたいですけど、走るときにウィンドブレーカー着込んで、上下着込んで汗だくだく。
1:00:02
上下で?
2、3時間走る。サウナスーツじゃないですけど、それをやって奥三河パワートレールのときはそれで優勝したので。
それを奥三河4月の前半ですよ。4月の頭でも3月の練習で、これ暑くなったらやばいなって思ってたんで。
それで胃腸も暑いのに慣れるのがいいかな、慣れさせるので。
面白いですね。
ちょっと暑くなったらみんな本当に抑えたほうがいいと思います。
外国勢が多分このご時世になると少ないと思うんですよね。
そうですね。
周りに日本人ばかりでっていうふうに意識しちゃったら、たぶんみんなあの子が行ったら私もみたいな感じで飛ばしちゃうと巻き込まれちゃって、そのノーガードの打ち合いに巻き込まれると嫌ですね。
言い方悪いですけど、高みの見別でいいと思います。
最初は1時間2時間前走っててもらって、本当にキララ超えたぐらいからプッシュっていうので十分間に合うと思います。
でも小柄くんに勝とうと思ったら無理ですよ。
小柄くんに勝とうと思ったら本当に影踏みながらいかないといけないですけど、自分の目標どこに置くかですけど、完走と思ったら絶対に飛ばさない、A目標B目標C目標のC目標完走っていうぐらいでいいと思います。
どうですか、このアドバイスってのは。もう的確中の的確ですか、もうこれは。
僕としてはみんなノーガードで打ち合ってほしいかなと。
バチバチに。
バチバチに僕が後から全員拾い上げるんで。
僕が願ってたのもそれなんです。みんながノーガードで打ち合ってくれて、その岐阜の利をもらうっていう感じですね。
ドンフライと高山みたいにボコボコリボコ二人で殴り合ってる感じ。
で、ねえ、ちょろっていう。
すいませんって言いながら。
すいませんっていう、ひょろひょろひょろっていう感じですね。
で、結局自分の立てたA目標が22時間42分、B目標23時間15分、だいたいAとBの間に収まったんですね。
そうですね。
2019年は天候もまあ荒れてましたからね、本当に。
雨、雨でしたね。
雨、最後の方は雪とか降ってましたし。
雨そうですね。
今年のUTMFは天気が良くなってくれればいいなと思ってますけど。
一度も富士山が見えなかったですからね。
そうですよね。
真っ白で。
終わったと同時に見えましたからね。綺麗な富士山が。
綺麗な富士山。
あとは僕はゴールデンウィークを棒に振ったので胃腸風邪になっちゃって。
なので終わった後は絶対リカバリした方がいいです。
変なもの食わずに生物食わずに、本当にリカバリ第一優先で行ってもらいたいですね。
1:03:07
今の時期ちょっと大事なところありますよね、本当に終わった後とか。
免疫も弱まってますから。
そうなんですね。
田中さんどうですか、伊藤さんに。
伊藤くん今年レース出るの?予定としては。
このご時世っていうのもあるので、ちょっとまだ様子を見てるっていうのが。
じゃあなんか出るチャンスがあるものがあればっていう感じか。
そうですね、なんかちょっといろいろと難しいですね。
そうですね。
出たい気持ちはあるんですけどね。
分かりました。また出るようであれば是非活躍してほしいかなと思います。
ありがとうございます。なので皆さんには頑張ってもらいたいです。
もう一回ひと花咲かせたいなっていう気持ちもあるので、
2019年の1年間だけじゃないようにしたいですね。
UTMFはじゃあ高みの見物をしてもらえればと思います。
高みの見物できる。
育児もね。
そうですよね。
今はちょっとそれもあるので、そちらをちょっと頑張りつつ、
将来子どもが一緒に登山してくれることを願ってます。
また帰っていただけたら、その暁にまま。
そのときには第2回目4月に行ってもらいたいです。
また今回ちょっと短めだったんで、また第2回を。
そうですね。
次は何かハセツネ編とか。
そうですね。そういう感じで。
聞く人がどっちが多いかというと、ハセツネのほうがみんな多いんじゃないかなっていう風に。
UTMFは1回しかしてないですけど、
真逸がAzureのほうが多いんじゃないかなっていう風に。
あとチリ編も。
チリ編もそうですね。
そうですね。
すみません。短くてすみません。
いえいえ。ありがとうございました。
ちょっと最後に業務連絡だけさせていただきます。
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ハッシュタグWeLoveタイマーずっとつけてお待ちしておりますので、
お待ちしております。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ハッシュタグWeLoveタイマーずっとつけてお待ちしております。
また、ドニーションも引き続き募集してますので、よろしくお願いいたします。
じゃあ、今日はちょっと短くなってしまいましたけど、
また機会があればぜひお話をゆっくりお伺いしたいと思います。
ぜひお願いします。
こんな立場じゃないですけど、
UTMF総括みたいなね。
そうですね。
1:06:00
田中さんがどう今年のUTMFを切るのかも聞いてみたいので、
そういう回があったらまず見てください。
朝まで生UTMFみたいな感じでね。
いいですね。
雑談しながらね。
聞きながらね、12時間トレーニングとかそういうのを聞きながらトレーニングしたいんですよね。
真っ暗な夜は誰もいないので熊除けの音と思って。
大分今の話がうずくまってるか、うずいてるかもしれませんけどね。
出たいですよ。
皆さん頑張ってください。
ありがとうございます。
では本日26人目のゲストは伊藤健太AKAチリ海外青年協力隊さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
失礼します。
01:07:07

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