00:05
長男さん、1ヶ月ぶりですかね、ちょうど。 そんなもん、そんなもんというか、それぐらい経ちましたね、はい。
レイクビア以来。 レイクビア以来、はい。
そういえば、岩垂れさんに渡すカードは、何か進捗はあったんですか? やべぇ、全然進捗ねえや。調べたんだけどさ、結構あれなんだね。
あのー、20枚、20枚って言うと100枚単位とかじゃないとダメ。 あー、そんなにロットが多いんですね。
そうそうそう。で、自分で考えたんだけどさ、NFTって知ってる? あっちゃん。
あー、はいはいはい、あのデジタルのやつですよね。 そうそうそう。あれで作ったらどうかなって。
あー、確かに。 思ったっきり進捗ないわ。
まあ、ちょっと仕事でNFTにかかってるんで、なんかそんなんで作れないかって。 あ、そうなんですね。
ちょっと会社のやつに聞こうかなと思ってて、忘れてました。
今NFTってあれですよね、スポーツのトレーニングカードとかでも相当あれですよね、今。 人気のおやつですよね、アメリカの方では。
それが要は証明書が付いてるから価値はある、そんな感じですけど。 二次流通しないっきりあんまり意味ねえんじゃねえかとは思い切って、格好つけてどうかなと思ってます。
でも理想は田森電車クラブみたいなアイドルがやっぱり理想ですよね。 そうだね。
理想のところは。 理想のところは、はい。
田中さん、今日の収録は11月19日。 アゲオシティマダソンのハーフを今日、田中さん走られてましたけど、あれはお遊び?それともガチで狙いに行ったんですか?
ガチでもないかな。でも半分ぐらい本気かな。 1日どのぐらいだったんですか?
今日タイム。 1時間25分。
キロ4よりちょっとかかってるぐらいかな。 昨日50キロ箱根で走って。
追伯ですね。 そのタイムだからまあいいんじゃねえかなと思いながら思いつつ。チームワントーキョーって東京マラソンのやつで、
その定型レースに走るとなんかね、そのタイムでポイントがもらえんすよ。 あ、そうなんすか。
で、その順位がいいと自動で出るらしいんだけど、 そこまでいけるかどうかわかんないけどね。
それがあったんで、まあまあ半分本気で、半分トレーニングみたいな感じでしたね。
ちょっとキロ4で走れるとは思わなかったんで、結構びっくりしてます自分でも。 ある程度じゃあちょっと良かった。
良かったですね、はい。 内容だったんですね。今年は田中さんは後はあれでしたっけ、タイの。
03:02
そうですね、3週間後にタイランドバイUTMBと。 それが12月の
8とかじゃないかな。 前半ですね。 8、はい。 それを完走すれば来年のUTMBに。
いや、年代別の順位に入るか、年代別の3位ぐらいに入れば出走権があるし、
ダメだったら9次ですね。 本の数が倍率が持っていればそれだけ上がると。
まあ今回はタイを完走すると13個。 まあまあいけんじゃないかなと思ってます。
なんかUTMBもアイアンマンシリーズが色々アメリカの方でも問題になってましたけど。
まあ厳密にはカナダだけどね。 あ、そうですね。カナダの方で問題になってましたけど。
まあ、いろいろお金が絡むと人間嫌だなっていう気がしますね。
今日同日にあれもFTRを行われて、一応名前だけ出してあげましょうかね。
シュラクタダシってやつが完走されたみたいなんで。 一応名前だけは出しておきます。
怒涛の追い上げをしたみたいなんで、おめでとうございます。 おめでとうございます。
で、来週はバックヤードに。 ちょっと私今回はサポートとして行きますので、ちょっとまあ
楽しみなところでありますけど。 そうですね。
やっぱもう寒いですよね、多分。 寒いんじゃない?多分。
行ってないからわかんないけど、中を。 どんな大会になるのか楽しみですが。
今年はもちろん、タナカレーは出る予定ということで。 いや結構さ、今回スタッフの数も増えちゃってるんで。
ああそうなんですか。 あのちょっと映像版が入るんで。はいはいはい。
面白いのもあるんで、ちょっとたくさん作んないとなと思ってます。 今までの倍以上な感じですか、じゃあ。
これくらい必要なのかなーっていう気はしないでもないかな。 まあ2回作るかな。でもなーちょっとそこは今悩んでます。
来週バックヤードが始まりますので、お近くの方ぜひ応援に来ていただければと思います。 そうですね。応援の方にはちょっとカレーを出せませんけど。
そうですね。匂いだけちょっと。 匂いだけちょっと。
味わっていただければと思います。 はい。
はい、今日のゲストですね。 まあ俺のトラウマと言っても過言ではないでしょう。
小林大輝さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 どうも、おぶさたしております。どうもです。 私のこと覚えてますか、あっちゃん。
え、嫌なぐらい覚えてますよ。
恐れ多いです。呼んでいただいたありがとうございます、本当に。 いやいやいや、こちらこそよろしくお願い致します。
06:02
はい、よろしくお願いします。 まあそんな小林くんでございますが、お生まれは福島ですよね。
そうです。福島県の白川市っていうところですね。 どこらへんですか、場所的に言うと。
えっとですね、福島県の形ってなんとなく思い浮かべてもらえる方いたら思い浮かべてもらいたいんですけど、オーストラリアみたいな形してるんですけど。
雷形みたいな形ですよね。 真ん中に縄城湖があって、丸い穴が開いてる感じなんですよね。
で、私が住んでいる白川市っていうのは、栃木県の県境に一番近いところなんですね。
だから、関東と東北の高い目って言うんですかね。
よくあれ、甲子園とかで白川の関越って言いません?
はいはいはい、あのー 仙台区営高校の鈴井監督が言ってましたよね。
はい、そうそう。その東北の高校がいわゆる甲子園に出場するっていうのを白川の関越っていう、多分それが東北と関東のその
狭間が白川市っていうところで、そこの関所があるんですけど、その白川の関っていう意味で、多分その言葉が使われてるんだと思うんですけど
まさに自分の地元はその場所なんですね。白川市っていう。
だから福島県の中では一番関東に近いところ。関東というか東京に近いところなんですけど。
はい、の場所になります。位置的には。
福島ってなんかあれじゃないですか、昔3つの藩に分かれてましたよね。
あー、藍津藩とかそういうことですか。
藍津藩とか、いわきとか。
そして、天気予報とかで、いわゆる地方の天気予報で見ると、いまだにその藍津地方を中通り・浜通りっていう分割のされ方して、
新潟でいう、上越・中越・下越みたいな感じなんですかね。無駄に広いんで。
最近あれですか、あまりこういうとはあれなんですけど、福島って明治時代の話から言うと、
各藩ごとで、あまり仲が良くないっていう。
あ、そうですか。その辺の歴史、私全然たぶんわかんないんで、むしろ教えていただきたいんですけど。
なんかあれですよね、母親戦争の兼ね合いで、政府軍に就くのか、上位派に就くのかで、藩の中でも分かれてみたいなのを。
はい。
ちょっと、何でしたっけあそこ。百戸帯のね、とことかでもいろいろ。
あ、そう、百戸帯、まさに百戸帯のところですね。
はいはいはいはい。
じゃあもう最近の話は。
すいません、ちょっと、知見が浅すぎて。
そんなことはないですよ。今見ました。
あ、結構、あ、白川市自体はものすごく平和、平野なところなんですね。
09:02
そうですね。田んぼが多いかな。そうですね、平野ですね。山そんなにないところで。
本当だ、那須塩原とかが、ちょっと本当に花の先で。
高校生とかの時も遊びに行くんだったら、那須の方に遊びに行ったりしてましたね。
買い物とか。
はいはいはい。
で、本当に小林くんは長男なんですよね。
そうですね。長男です。長男やらしてもらってます。
小林家の長男と。
姉が一人いるだけなので、長男っていう長男でもないんですけど。
大変そうですね、こっちの方の長男って。勝手なイメージですけど。
いや、その多分あっちゃんがいらいてるイメージのまま。
うちって、あれなんですよ。いわゆる父親も母親も地元の人間で。
はいはいはい。
で、父親が5人兄弟なんですけど。
全員女性なんですよ。
え、お父さん以外全員女性や。
お父さんが末っ子長男なんですね。いわゆる。で、姉4人。
あー大変だ、これ。
で、じいちゃんも6人兄弟で男1人なんですよ。
うーん、結構小林くん女系なんですね。
女系なんですよね。そうなるとどうなるかっていうと、プレッシャー半端ないですよ。
で、多分、えっと、祖父はもう亡くなってるんですけど。
もう私の記憶のあるおじいちゃんって、もうお前は長男なんだからっていうセリフしか言わない人っていうイメージ。
っていうぐらい、ましてや農家もやってたんで、うちの実家っていうのは。今もやってるんですけど。米作ってるんですけど。
そういうのもあるんで、その、なんで集落のこの自治体のその繋がりっていうのがめちゃくちゃ密なんですよ。
うわー。
だから私が。いや、うわーなんですよ。で、私はそういうのが本当に嫌いだったんで、もうさっさと大学で東京に行きたいなって思ってたっていうのもあって。
でもやっぱ行くときすごい言われるんですよ。親戚とかにも。
えー。
どうすんだ。どうすんだって。あの、実家どうすんだって。
まじか。
そんな感じの場所でした。場所っていうかな。たまたま私のその家の状況とかがそういう感じだったんで。
だからその長男っていうその名前を、今そのXで使ってるのは、結構その長男っていうことに対してのその、なんだろうな。思い入れじゃないや。逆か。
あの、嫌な思い出がすごい大きいんで、言葉が重くて、すごい自分の中でこう、そうなんて言葉が残ってるからそれにしたっていうのもあるんですよね。
え?ってことは、小林君今30代じゃないですか。
12:03
はい。
後々は帰るんですか?やっぱ福島の方に。
そういう話もめちゃくちゃあの、たぶらかしてますね。たぶらかしてか、あの、はぐらかしてますね。
ははははは。
まあねー。のらり、柳に風と。
はい、そうです。そんな感じで。ちょっと確信的な話にならないように父親に酒飲ませて、こう、会わせてる感じですね。
帰ってきてほしいオーラめっちゃあるんですけど。
ねー。
田中さん、僕らそういうのないじゃないですか。
そうですね。僕は次男なんで、そこは全然大丈夫です。
もうすでに、うちの親も亡くなり、実家は兄貴がいますんで、はい。
自分もたぶん小林君と同じで上に姉がいて長なんですけど、ここまではないですね。
陶芸家つかなくていいの?
もう諦めてます。
ははははは。
まあ年齢も年齢でもうちの父親も80を超えてるんで、もうあとお迎えに来る、お迎え来るだけなんで。
陶芸家って接種じゃないんだね。
接種も接種ではいいと思うんですけど、自分は一応今の土地、今父親が使ってる土地があるんで、
あれをどう活かしてサイドビジネスにしようかっていうのも一番考えてるんで。
キャンプ場とか?
窯も建物もあるんで、例えば若い人で陶芸やってみたい方にちょっと1週間貸してみたいな、
電気ガス全部取ってるんです、水道も全部取ってるんだから、そういう人たちに貸して、そっちの方がお金になるんじゃないかなって思ってます。
陶芸体験の施設とかって?
そうですそうですそうです。だからちょっとワンランク上の陶芸をやってみたい、ガス窯だった人が薪窯になってみたいなのを、場所は提供するんで、あとはどうぞみたいな。
ニーズがあるのかな?ニーズを掘り出して掘り起こすみたいな。
それか陶芸やってみたい方にお貸しする、お貸しというか、なんかするとか。
まあでもちょっと小林くんの話でもあれば全然いかないですね、私も。
うちそれこそ今の土地の話でいうと、農地がとんでもないほどあるんで、それどうすればいいか全然わかんないですよね、私。
田んぼとか縦横面とかあるんですよ、うちって。
それ今父親が管理してるけど、それを父親がじゃあ急にいなくなったらって思うと、地方所信に相談してとかなって、
それ俺全然知識ないからぼったくられても全然わかんないし、なんか多分税金とかとんでもない額持ってかれるんじゃないかなっていう。
生きてても名義を自分に変える時とか、変えた後とか。
すごいぼんやりとした不安ずっと抱えてます。
信頼できる地方所信なら紹介できるけど。
お願いします、ぜひ。
いますね、そういえば確かに。
トレイルランナーの方ですか?
15:01
めちゃくちゃトレイルランナーですよ。
めちゃめちゃトレイルランナー。
ぜひ。
そんな白川市に生まれた小林くんですけども、小さい頃ですね、どんなお子さんだったんですか?
今もそうなんですけど、体があんまり大きくなくて。
で、何でしょうね、結構めめしい男の子だったんですよ、ちっちゃい時って、実は。
女兄弟がちょっと多うとそうなるのかなっていうところは。
今、確かにさっき自分で話したと思うんですけど、やっぱり女性が、親戚で集まったりしても女性が多かったり、姉、どうしても兄弟が姉しかいないんで、姉と仲良くしてたりっていうのもあって。
髪の毛サラッサラで、ちっちゃくて、色白で、弱い感じの子だったんですよ、ちっちゃい時って。
でも、体が大きくなることはなかったんですけど、小学生になってから、たぶんそれを良しと思わなかった父親が、スポーツ少年団って小学校がやってる。
スポーツ少年団って言われるものがあるんですけど、それでソフトボールをやってたんですね、スポーツ少年団で、地元の小学校が。
それに反強制的に入れられて、そっからは全然か弱いって感じじゃなくなったんじゃないかなって自分の中では思ってるんですけど。
そこも今ね、地方ならではの言葉ですね、そういう少年団。
そうですね。ちょっと話進んじゃうんですけど、田舎も田舎なんで、自分と小学校入学してから6年生で卒業して、中学校3年生までずっと同じメンバーなんですよ。
ん?それは一クラスってことですか、学校のクラス。
もちろんそうです。私、学年ちなみに20人ぐらいで、クラス替えとかもちろんない。
で、なんなら先輩と後輩も同じ人数で、個人で転校転入、多少何人かあったりするくらいのもんで、同じメンバーでずっと小学校入学から中学校卒業までやってくっていう規模の。
中学校は全校生徒70人っていう環境だったんですよ。
なんで、スポーツ少年団って言っても、保護者が、友達のお父さんとかが集まってやってくれてたんで、全部身内なんですよね。
全員知ってる人で、上級生も先輩も後輩も、そのお父さんもお母さんもみんな知ってて、その人たちが管理してやってくれてたっていうような環境だったんで。
18:05
で、運動するやつとしないやつの二手に分かれるぐらいしか選択肢がないんですよ。
文化部ってものが存在しないんで。
なるほど。
それじゃあ、水素学とかもできないのか?
できないです。ちなみに中学校の時の部活動って、男女合わせて3つしかないんですよ。
野球部、ソフトボール部、これは女子ですね。あと卓球部、これだけです。
選択肢が必要以上に少ないな。
で、卓球部が文化部みたいな感じだったんですよ。
括りとして。
いわゆる、はい。
なるほど。確かになんか分かる気がするな。ちょっと地味な感じのね。
校舎はもうないです。私が通ってた。もう存在しないんです。
廃校になってしまった?
廃校です。はい。廃校になりました。
えー。
学校の階段に出てくるような校舎だったんですよ。
え?木造?
学校の階段ってわかります?木造です。廊下も木なんですよ。
あー、雨の日大変なやつだ。
そうそう。で、2階の廊下とか、隙間から1階見えたりする場所があったり。
釣り橋みたいな。
そう。あと階段がもう、なんて言うんですかね。坂みたいになってるんですよ。滑り台みたいな。
わかりますか?真ん中のとこ削れすぎて。
あー、なるほどなるほど。
完全に木造の。
そうですそうです。で、なんならそれって、私が通ってた中学校の校舎、私のおじいちゃんも同じ校舎通ってたんですよ。
えー。
だから、映画の撮影とかで逆に来てた時ありましたね。
おー。
その木造の廊下って多分想像できないと思うんですけど、あのテッカテカなんですよね。もう。
あー。木造ね。
そうです。人が歩きすぎてなのか肉塗って、それ重ねてまたってやって、ギリギリって言うんですよね。歩くと。
あれですね。ウグイスの廊下みたいな。
へー。
そんな環境でした。小学校中学校で。
いやなんか俺、素朴な疑問で。
はい。
一クラス20人で小学校から中学校まで、同じメンバーじゃないですか。
はい。
あの、嫌われたらおしまいじゃないですか。4人言うと。
そうですね。はい。だから、逆になかったんですよ、そういうのが。あの、なんて言うんだろうな。パソコンみたいな感じなんですよね。
あー。
ちなみに男女比はどのくらい?
はい。私の学年は女子8人で、あと12、13人男子みたいな感じだった。
21:01
あー。まあ半々ぐらいか。
まあまあ。
イースとして。
多分私、同級生全員の名前、苗字と名前、漢字で書けますよ。
まあ少ないもんね。
9年間一緒にいたんで、ずっと。
へー。じゃあ、この小学校から中学校卒業までは、もうみんなと和気あいあいと。
そうですね。割と平和でした。
逆にじゃあもういじめとかそういったこともなく。
なかった。私がいじめてる側だったとしたら、それに気づけてないだけの可能性はありますけど、なかったと思いますね、多分。
え、そんなに、ごめんなさい、白川市というか小林くんが住んでた地域は、そんなに過疎というか、そんなに地方なんですか?
そんなことないんですけど、白川市自体は人口8万人とかなのかな。
私の学校だけですね、多分そういう人なのが。
要は最南端なんですよ、本当に。福島県内の中でも最南端だし、白川市内でも最南端なんですね、私の学校っていうのは。
本当に都知事権の健座会歩いていけるようなところだったんで、本当にピンポイントで生徒が少ないエリアだったっていう、たまたま。
だから高校とかで市内の他の中学校の子たちと一緒になるじゃないですか。
そうすると別にその他の学校の子たちは6クラスとか5クラスとかあったり。
本当たまたまですね、私のとこだけ。
神奈川さん、東京って何クラスありました?
うちは2クラスだったよ。
あー、うちも一緒っすね、うちも2クラスしかなかったですね。
でも2クラスでも確か自分40人学級だった気がするんですよね、確か。
それぐらいかな、そんなもんかな。3クラスが2クラスになったからね。小学校3年までが3クラスで、4年で2クラスになった感じかな。
あ、そうなんですか。
うん。
それはそれでなんか珍しいですね。
だから本当は小学校3年から4年ってクラス替えがないんだけど、クラスが減っちゃったからクラス替えがあったね。
あー、クラス替えとかなんか懐かしいですね。
今はあるんですよね、クラス替えってもちろん。
あると思うよ。
なんかいろんな、なんかわかんないですけどね、いろんな親が文句言ってきそうなケースもありそうですよね、今のご時世。
大変そう?
わかんないですけど、なんかモンスターペアレンズってぐらいじゃないですか、うちの子がなんちゃらとかなんか言ってるんじゃねえのかなみたいな。
クラス替えで文句言おうと思ったことないけどな。
あ、俺は親が言ってる。
一般はそうだと思いますけどね、なんかそうな気がしますね。
じゃあ小林くんも小学校、中学校は少年団でソフトボールをやり、中学校は野球の方に行きました。
24:09
必然的に。
やらざるを得ないということで野球を。
そうですね、はい。
これどうなんですか、中学校の部活としてはやっぱりどっか対外で試合に行ったりとか。
でも一応あるんですけど、どっちかというとその私は、どこの学校でもあるかもしれないんですけど、陸上大会の期間だけ特設陸上部みたいな形で、
やっぱり3つしか部活動がないくせに、一応その陸上大会には学校として出なきゃいけないので、そういう期間はそっちに持ってかれるんですよ。
中学校の時、全校生徒70人しかいないのに、駅伝大会で東北大会に行ったんですね。
中学の駅伝って42キロかな、7人でつなぐんですよ。
一人6キロぐらいで。
全校生徒の10人に1人走ってるっていう。
確かに。
そんな感じだった。たまたまその人が集まったっていうのもあるんですけど、
スポーツ少年団、小学生の時にやってたところの、もちろんいるメンバーってほとんどその地区にいる子どもの運動好きな子全員みたいな感じだったんで、もちろん強いわけじゃないんですよ、他のチームと比較して。
野球がやりたくて集まってきてるとかソフトボールをやりたくて集まってきてるわけではないんで。
走り込みやたらやったんですよね、冬場に。
どんな走り込みをしたんですか?
それが、本当私が小学校卒業する間際、6年生の最後の方の冬で、
保護者が作ってくれた車通りが少ない一周周回のコースがあるんだけど、そこも砂利道っていうかちょっと見穂走路のコースが大半の場所で、
アップダウン、今思うとめちゃくちゃあったんですよ。
小学生に?
それで、一周3キロ。
それを、練習のスタートのメニューがそれで、それをとりあえず走ってから始めるっていうのをやってたんですけど、
小学生ってやっぱ男子ってバカじゃないですか。
だから競争になるんですよ。
で、それがだんだんエスカレートしていって、野球のフェンスのブロックのところとかに、
今日は誰が勝ったかみたいな、正の字で。
27:04
それでむちゃくちゃ足くられたんですよね。
毎日3キロレペやってるみたいなもんなんで。
なるほど。
クローカンコースで。
で、それは保護者が意図したわけではなくて、子供たちが勝手に競争してってやってたっていうので、
それで全くその同じメンバーで中学に進むじゃないですか。
で、中学校にたまたま大学まで陸上の長距離をやられてた方が体育の先生でいて、
そういういろんな条件がたまって中学校で液伝強くなったっていう流れがあったんですよ。
で、だから私正直、野球の活動ほとんどしてなくて。
高橋くん自身は?
夏場が陸上大会があるんですよ。
夏に?
で、大体その地区予選で特設陸上部として出て、敗退すればその場で終わるんですけど、
県大会に進みました、東北大会に進みましたってなると、
2ヶ月とか遅れるじゃないですか。
遅れるっていうか、先延ばしになるんで。
で、それが終わったらもう液伝のシーズンになっちゃうんですよ。
で、私たまたまその時は個人で東北大会に行って、液伝でも東北大会に行ったんで。
もう野球やってないですよね。
それが暗黙の許されてたんで。
実質陸上部みたいな?
そうです。実質個人陸上部みたいな感じ。
昔から小橋君は足に自信があったっていうわけではなく、
そのフケイさんたちが作ったコースで周りに鍛えられ、足が速くなっていったと。
それで勝てるようになったのが楽しくて、
その流れで中学校2年3年でやっていったら戦えるようになっていったっていう。
すごい頑張って高みにいったって感じではないって感じですね。
中学校なんてそのもんかもしれないですけど。
遊びながら、なんだかんだ足が速くなっていった。
競争してたら県で入賞できたみたいな感じ。
じゃあ周りのお友達も結構レベルは高い?
高かったですね。
1個下の子で今小森井田で実業団でやってる子いますし。
すごい。
すごいですよね。そいつは未だに出てますね。大会に。
その野球チームは、そのコースはまだあるんですか?白川足とか。
あります。ただの道なんでありますよ。
地元帰った時一回走りました。懐かしくて。
30:01
昔、中学校がないのか。
中学校はもうさらっちになってるんですよ。
ないんで、そこを小橋君たちのように走ってる人たちはもういない?
いないですね。
これ聞いてる人があそこかなっていうのはわかるんですか?白川さん。
聞いてる人でわかる人はいないですね。
本当に何もないただの田舎道なんで、やっぱりある意味環境が良かったのか。
本当ただのロードで天のインターバルとかやってたんで、車とか一切通らないんで。
いい環境ですね、それはね。確かに。
そうですね。今思うと。
政治巡礼みたいなね。
自分にとってでしかないですけどね。
それが後々今にもつながっていくって感じなんですね。
その時が人生のピークだったんで。
また何をしちゃいますか。何をしちゃいますかですよ。
小橋君が高校、白川市内の県立高校に入学するというお話を聞きました。
それは陸上を頑張ろうと思っていったのか。
それともルカは家から近いところに行ったのか。
それとも中学校時代に何かやりたいことが生まれて高校進学したのか。
いかがだったんでしょうか。
高校を選ぶときにまず、
陸上中学校でそれなりに自信がついたっていうか、実績残したっていうので、
高校でインターハイとか目指したいという気持ちはなかったんですけど、
やっぱり県内の強い高校、今で学法白川、学石、学法石川か。
学石っていうところがあったりするんですけど、
そういうところとかに行くっていう選択肢もあったんですけど、
さすがに高校までインターハイ目指してやって、
大学も地方距離走を陸上部としてやって、
箱根駅で目指してみたいな流れが自分でちょっとイメージがわかなすぎて。
若いのに。
勇気がなかったっていうか、
そこに前振りして自分がそこまで頑張り続けられるかっていう風に考えたときに、
そこまでちょっと自分頑張りきれないかもなって思って、
ちょっと怖くなって、
そこに踏み切れなかったのを親に相談したら、
親としては普通に勉強で大学進学できるようになってほしいなっていう感じだったんで、
実際私が行ったところは、
33:02
県南地区では一番の進学校みたいなところなんですね。
県立。
一応進学をメインとする学校なんで、
姉もそこに通ってたんですけど、
そこに入学することに決めたけど、
その私の中学の学力じゃいけないなってなって、
結局スポーツ推薦で上手いこと入学することができたっていう。
県立高校でもスポーツ推薦っていうのはあるんだ。
あったんですよ。ちっちゃい枠なんですけどね、本当に。
しましてや陸上部としてって、
そんな部活がベラボに強い学校でもないんで、
枠は本当にほぼなかった。
全部活で何枠とかって感じだったと思うんですけど、
その中学の時の実績のあったおかげで、
スポーツ推薦で受験勉強せずに入れたっていう。
結局って言い方はちょっと語弊があるけど、
自分の中で将来的に箱根駅で走りたいなと思ったけど、
そこまで振り切れず親に相談して、
どちらかというと学力、大学進学を目指して行ってほしい。
ただ自分は残念ながらちょっとそこの学力なかったけど、
でも一番最初に捨てたじゃないけど諦めたところで、
その高校に入ることができたと。
だから結局高校でも陸上はやめるつもりもなかったんですけど、
やらざるを得ないスポーツ推薦で入ってるんで、
やらざるを得ない環境だったんですけど、
やっぱりそこって自分が中学の時に勝ってた奴らが
強い高校行って自分よりどんどん早くなっていくのを
見ていかなきゃいけないんですよ。
その高校って私いざスポーツ推薦に入って子もいないんですよね。
なるほど。
陸上部の長距離って。
結局私がメニューを組んでいかなきゃいけないというか、
その1年の時は先輩がいたんですけど、
先輩も言い方は悪いですけど、私より早い人はいなかったんで、
どっちかというと率先してメニュー提案したり、
練習実際引っ張らなきゃいけないっていう環境で、
周りの強いとこに行った中学の同じぐらいのレベルの奴らは
どんどんどんどん早くなっていくっていうのを
高校生ながら、自分でこっち選んだんだからっていうのを
折り合いつけながら、本当に強い奴だったら、
それでも多分自分で練習してその強い高校に行った奴ら
任せてやるぐらいに思ってるかもしれないですけど、
そこまでのメンタルは私にはなかったっていう。
やっぱり他の高校に行った子たちはそういうノウハウが
自分より古文とか先輩から教わるわけだけども、
私には古文がいなくて、先輩たちも自分より遅い。
36:02
じゃあノウハウは?って言ったら、小橋くん自分で勉強というか、
雑誌見たりとか、もう小橋くんの時代じゃあれから
ネット見たりとかで。
いや、カラオジでネットそんなバンバン見れるって感じじゃなかった。
やっぱ月刊陸上マガジンとか、
長尾さんも確か同じこと言ってたかな。
そういう陸上関連雑誌を見て、
そこで強豪校の監督がメニュー提示してるんですよね。
全国の。
そういうの参考にしたり、先輩のその練習日誌とか見て
参考にしてやったりしてましたけど、
環境のせいというか言い訳にしちゃうといくらでもできちゃうんですけど、
どっちかというと高校生活楽しみたかったっていうのも純粋にあるんですよ。
まあね。
だから部活はそれなりにして、
高校生活を部活でいっぱいにしたくなかったっていう。
勉強がしたくて大学にちゃんと行けるように頭良くなりたかったとかっていうよりは、
高校生活楽しみながらそれなりに部活やりたかったっていう
余っちょろい考えの方が大きかったんじゃないかなって思いますけど。
そんなことはないですよ。
みんな高校生活楽しみたいですよ。
いや、そうっすよね。
だって驚愕でしょ?小林くん。
驚愕です。
3年間は地獄でしたから本当に。
刑務所みたいな感じですね。
川崎の。
その高校は横浜のところなんですけど、今は驚愕になっちゃいましたけど。
高校3年間、生活を聞く前に、
陸上部としてはどうだったんですか?この3年間、小林くんの。
結果というか、楽しんだ具合というか。
これも、想像通りっちゃ想像通りなんですけど、
1年生の時に、高校の陸上部地方距離っていうと5000mがやっぱりメイン種目なんですね。
になってきて。
高校に入って1年生の時、新人大会っていうのがあるんですよ。新人選って言われる。
1年生だけで競わせてもらえる大会があって、
それで出した5000mのベストが3年間超えられないまま卒業しました。
なるほど。
そのままいきましたね。その想像通りっていうか。
中学の財産で1年の先に出した記録がそのまま超えられないままっていう。
なるほど。
15分30秒ぐらいだったかな。
それも十分ですけど、それを超えられない2年間っていうのはちょっと。
地獄ですよね。
全然楽しくなったですよね。5000m。
39:03
本当に5000mのレースに出るのが嫌で嫌で。
何回走っても、15分台は何回か出たんですけど、
最初に出した15分30秒ぐらいの記録が抜けなくて、
3年の一番最後に3000m障害っていう種目にチャレンジしたんですね。
チャレンジっていうか記念出走みたいな。
そしたら結構ハマったんですよね。自分の身体能力と。
5000mほど飽きないし、
純粋に走る以外のテクニックだったり筋力バネだったりっていうのをでごまかせる部分があって、
それで県総体で入賞はいかなかったけど、9分50秒ぐらいだったかな。
割と悪くないタイムで最後追われて、
ちょっとそれが嬉しくて楽しくなってきたなっていう感じで追われたんで、
終わりの印象は悪くなかったんですけど、5000mの記録は1年戦の時に出したやつがベストって感じです。
2年間練習してきても超えらんないか。きついな。
それは俺やめるな。
いや、でも遊びながらやってるんで、それもダメなんですよね。
いやでも障害すげーな。障害って今、三浦選手?東洋大学?
はい、順天堂大の三浦選手。
日本記録ずっと更新してる。
あんな飛んだり跳ねたり。
そうですね。水にボチャンって入ったり。
ああいうのが新鮮ですごい楽しかったんですけど、もっと早く始めてればよかったなと思って。
小林くんの中で5000mにちょっとこだわりはあったっていうことですか?
嫌だったんですけど、1年の時の記録が抜けないのが自分で納得いかなくて。
練習とかはその1年の時の感じよりも比較しても遜色ないなって自分で思ってたんで。
メンタルスポーツじゃないけど、集中し続けたり精神的に集中がはまったりしないと、あれってなかなか出せないんですよね。
その練習でできても。
なんかわかる気がします。
捕らわれすぎちゃうんですよ、数字に。
あ、ダメだ落ちちゃったとか、この線で2秒落ちちゃったとか、3000mから4000mで落ちちゃったとか思うと、
そういうメンタルの強さがないと、結構5000mって私は結構トラウマなんですよね。
42:06
いやー、俺も絶対前出した17分30秒絶対超えられないと思う。
いけますよ、はっちゃん。
絶対超えられないと思う。
17分30秒すごいっすね。
あれは絶対超えられない。
トモさんも目の前にペーサーしてくれて、LDAでやった時に。
あ、LDAで5000GTやった時ですか。
そう、それが2年前だったかな。
いやもう絶対超えられないと思う、これ。
17分半だったら?
3分半。
すごいっすね。
当時は。
あの時が強かったかもしれない。
なるほどー、じゃあ早めについて、もうちょっと障害をちょっとやってたら、
なんかまた小林少年の気持ちもちょっと変わったかもしれないですよ、それはタラレバ話で。
違ったかなって自分では。
でもそこに後悔は別になかったんですけど、最後ラッキーぐらいな感じだったんで。
3勝なんか意外とタイム出んじゃん、ラッキーみたいな感じで引退できたんで、
純粋になんか楽しく終わったっていう印象でしたね。
どうですか田中さんここまでの、小林君が1年の時に出した記録を超えられないこの2年の葛藤っていうのは。
でもコーチのリクジョブって多いよね。
意外と多いですよね、確かに話聞いてると。
うちの高校も多分いなかったんじゃないかな、リクジョブあったけど。
あれ、コーチはいないけど顧問はいるって感じになるんですかね。
そうですそうです、顧問はいるんですけど、リクジョブの知識はない。
いわゆる顧問になってから勉強してくれてたんだろうなっていう感じなんですけど、
やっぱりリクジョブって種目多いじゃないですか。
だから難しいんですよね。
純粋に陸上経験がある先生でもノウハウが全然違ったりするじゃないですか。
長距離と中距離と投擲と跳躍とかってあるんで。
だからただでさえ経験ある人でも難しいのに、やっぱりその陸上経験がない先生だと、
やっぱり来てくれる人っていう感じだった。
その場所に管理者としていてくれるだけの人っていう感じになっちゃってましたね。
ちなみに投擲とかさ、やってる人とかいたの?
いましたいました。
本当に?
それもやっぱりみんな一緒ですね。
短距離種目とかいっぱいある種目の中でも、
それぞれ自分たちで先輩から引き継いできたメニューとか、
自分たちで考えたメニューとかをやりながらやるっていう。
でもそういう学校の方が多分大半だと思う。
で、やっぱり強いところにはそれぞれの種目の先生がいたりするんで、
私も競合校に行きがちですよね。
陸上部で強くなりたいんだったら。
だから大会とか行くと、競合校とそれ以外の学校の雰囲気、
45:01
どの部活もそうかもしれないけど、まるで違うんですよ。
軍隊みたいな強いところは、
整列してめっちゃ返事してる。
ただうちらはもうコンビニで食べたいもの買ってきて、
スタジアムで楽しいねみたいな、
帆船楽しいねみたいな感じだったんですよ。
その音質はすごいですよ、競合校とそれ以外の学校って。
でも走ることを楽しまなきゃやってても面白くないですからね。
そうですね。
逆にそれでガチガチのところに行ってたら、
俺今走ってない可能性めっちゃありますからね。
確かに走ることが嫌になってしまったら、
もうどうもこだわらないですからそれは。
なるほど、そう考えるとやっぱあれなんですね、
いろいろと言われてる、
中学校、高校の部活も外部コーチを真似こうみたいな話が今、
いろいろ出てるじゃないですか。
学校教員、残業代、残業がなんちゃらみたいなね。
そういったことが実現すれば、
もしかしたら競合校と俗に言うところの、
ジラクショー校とかの差がもしかしたらなくなるかもしれないですね。
外部コーチが全体的に披露があれば。
なんかその方が双方にとっていい気もしますね。
やりたくない先生が顧問無理やりやらされてっていうのじゃなくて、
実際その自分のライバル関係にあった、
中学から高校まで同い年だった子が、
今自分の出身中学校に行って、
その人は市民ランナーでいまだに自分で走ってるんですけど、
自分の出身中学校に行って教えてますね。
教員じゃないんですけど。
そういう人がいてくれた方が生徒にとってもいいですしね、絶対。
なるほど、確かにそっちの方がいいね。
小林くんが高校3年間陸上を頑張ってきて、
冒頭の方でもお話ありましたけど、
いつぐらいから東京に憧れを持って、
憧れを持って東京の大学に行こうと思ったんですか?
それこそ姉が二高へにいるんですけど、
高校もさっき言った通り同じ高校に通ってまして、
私が一年生の時の3年生に姉がいたんですけど、
姉が東京の私立の大学に行ったんですね。
そこで姉がルート作ってくれたんで、ある意味。
親と一揉めしてくれたんですよね、先に姉が。
え、お兄さんも?
姉がやっぱりいろんな面で結構破天荒な姉だったんで、
下の兄弟としてはすごい楽だったんですよ、いろんなことが。
文言とか、そういうちっちゃい時から全部ぶっ壊してきてくれたんで姉が。
全てを破って、怒られて。
48:00
それを親が、もう!みたいになって、
私は何やっても、お前はできる子だなって言われるようなポジションにずっと。
だからそれも東京に姉が行ったっていうのが先に、
なんで東京なんだみたいになってたのを見て。
見てて、それを押し切って姉は東京の大学に進学したんで、
じゃあ俺も行けんじゃんっていう感じだったんですね。
男の子だったわけで、お姉さんにも東京に行くことはちょっとためらいが、ご両親としては。
そう、なんかやっぱりそれぐらい田舎なんですよ。
で、父も母も地元で育って、地元で就職して、
で、周りにもあんまり東京に出てる人もいないってなると、やっぱ道じゃないですか。
東京は危ねえとこだってずっと教え込まされるみたいな感じ。
田舎の方がよっぽど危ねえよって思うんですけど。
人間関係とか。
思想とかね、もしかしたらね。
危ねえよって思うんですけど。
それってやっぱ行ったことない両親からすると、
そういう行ったことないところに高校卒業して自分の息子娘が行くのは不安だなっていうのもなんとなくわかるんですけど。
でも姉のおかげで東京行けるって思ったのが、やっぱり高校2年生ぐらいのとき。
その時ははっきり親には言ってなかったですけど、
自分の中では普通に考えたら、
県立高校とかに入る、県立大学に入る頭もないんで、
東京だなってなんとなく思ってたっていう。
なるほど。
そんな感じでした。
で実際にじゃあ高校3年になって、
進路どうするんだというお話のときに、
俺は東京さん行くだと。
そうっすね。もう俺の学力じゃ私立文系大学しか行けないからねって。
親に、いや私立文系でも大学行けるだけマシだと思ってねえぐらいの。
上手いねえ。
上手いねえ。
高校2年で入って、大学に入れるだけでもこれすごいことだよって言って。
それは私立文系、しかも俺はもう選択肢がないから、
折れてくれって感じでした。
上手いなあ。
大学いかに、うわ上手い、上手いわ。
それ上手すぎるよ。
上手いっていうか本当に行けなかったんですよ。
私立の大学しか。
すげえ。
で、大学が東京の。
それでやっぱあれです。
姉が2年先に行ってるじゃないですか。
51:01
で私東京の大学に進学して、姉と2人暮らしになるんですよ最初の2年。
はいはいはいはい。
そういう意味でも親は多分安心。
あーなるほど、確かに。
それも言いましたね確か。
姉ちゃんと住むから安心でしょって言って。
はいはいはい。
そんな感じでしたね。
話聞いてるとずるすぎるわ。
親に本当に来ましたんですよね。
小橋君じゃあ上京してきて一番初めに住んだところはどこだったんですか?
そのお姉さんと2人暮らししたとこは。
高円寺です。
またおしゃれなところに住まんの。
まあお登りなんでね憧れがあるんですよ高円寺って。
古着屋さんとかいろいろありますからね確かに。
ありますね。
それこそ最初に高円寺。
私は東京のことあんまり分かってなかったんで。
姉が率先していろんな場所候補をあげてくれてて。
で私の大学が中央線沿いにあったんで。
まあじゃあ都合が良かったってことですね。
そうですそうです。
それで高円寺住んでみてーなって姉が言う話になって。
で高円寺になったんですけど最初に引っ越しで行った時に。
これが歌の歌詞になってる順城商店街かと思った。
はいはいはい。
ゴイステッカナ?
ミネタカズノブさんでしたっけ。
うわ順城商店街本物だーと思った覚えがありますね。
その最初にお登りしてきた時。
発想がわかんないもんね。
俺順城商店街ってネジメ小市しか出てこないからね。
そっちか。
田中さんはどうかわかんないですけど。
順城商店街ってネジメ小市しか出てこないんですよ。
俺全然わかんないな。
その順城商店街自体がもう。
ほんとですか。
ネジメ小市。
駅前にあるんですよ。
駅前ありますね。
でっかい看板っていうかゲートが。
あそこ夏泡踊りとか。
そうですね。有名ですね。
あんまり確かに田中さんって中央線のイメージと高尾ぐらいしかイメージないっすね。
ないっすね確かに。
商店街全然行かない。
そうっすよね。
吉祥寺とか行ってるイメージ全然ないっすね。田中さんが。
吉祥寺は多分そんな行ったことないんじゃない。
20回も行ったことないかもしれない。吉祥寺は。
全て渋谷でこと足りますもんね。わざわざ吉祥寺に行かなくても。
そうだね。それ以上でも新宿でね。
そうっすよね。
まで行けば全てこと足りるかな。
ですよね。
大学進学して4年間小林君はどうしたんですか。
私はいわゆるあれです。
飲みさに入りまして。
措置系でした。
飲みの場で上下関係を学び、
54:03
学祭とかで、
俺らが勝つぞみたいな、
香ばしい感じの大学生活を送ってまして。
範囲ギリギリのところで、でも範囲はちゃんととってたかな。
範囲はとって、でも何も頭に入ってなくて、何も学んだ覚えはなくて、
一応フットサルサークルだったんですよ。
週に1回はフットサルやって、
週に1回フットサルやってから飲みに行くっていうのがメインで活動してるサークルだったんで。
1年の時とかほんと先輩が、会社の先輩みたいな感じだったんで。
何だろうな、
ビン・ビール注ぐ時はラベルを上に、両手添えてとか、
ビン・ビールを置く時も先輩の方にラベルを向けて置くとか、
クソみたいなことやってましたよ。
そんな大学生活でした。
その飲み会のサークルがすげえなと思って。
それは一面であって、サークル活動はそんな感じだったんですけど、
20歳だから大学2年生の時に、いわゆる学生ノリでフルマラソン、
湘南国際マラソンに出ようと、
ってことになって、もちろん大学入ってから全然一切走ってなかったんですけど、
ノリで出まして、練習も大してせず、
いわゆる初フルマラソンの典型的なパターンっていうんですか、
最初の20キロ気持ちよくぶっこんで、最後の10キロ全く走れなくなるみたいなのをやりました。
3分40ぐらいでずっと20キロまで走ってました。
でも全然走ってなかったけど、そのぐらいの走力が10キロまであった。
余裕じゃん、フルマラソンって思って、そっから30キロから記憶ないぐらい。
結果的にタイム、3時間15分ぐらいだったのかな、初マラソン。
前半の貯金でどうにか。
で、最後歩きまくって。
でも2年走れなくても落ちないもんなんだ。
そうですね。今思うとすごいですね。考えられないですよね。
すごい。ノリで出るっていうのがね。
ノリで出ましたね、完全に。
めちゃくちゃ太ってるやつとかいましたもんね。
ちなみにその同じ大会に姉も出てました。
お姉さんもノリで?
ノリで。
小林家、あれだね、小林君の話を聞いてて。
高校の進学の時にちょっと本気の陸上をするかどうか迷った一面もありつつ、こういうところはノリもあるっていう。
57:11
ほぼノリですよ、でも。
真剣に悩んだことってあんまりなかったかもしれないですね。
今までの学生人生、今話したところまでの学生人生で、真剣に悩んだって他の周りの友達とかと比べるとなかったのかもしれないですね。
だからそれはものすごくありがたいことなんですけど。
田中さん学生時代真剣に悩んだことあります?
真剣に?
俺多分ないですよ。
よかった。
大ですね。大学院に行くか就職するか悩んだな。
それはちょっと大きいですね。
そういう選択肢があるのもいいですね。そんな選択肢がなかったもんな。
なるほど。じゃあ小林君はもう残りの2年間もそんな感じですか?
そんな感じでした。
ただやっぱり私たちのときってものすごく就職なんで、50社とか受けるの当たり前みたいなとこあったんですけど。
私も20社くらい受けたのかな。3つくらい頼んでもらえて、それが今入っている会社でもあるんですけど、その中の1個が。
就職できてよかったなって感じでしたね。何もやってなかったのに。
大学卒業とのときにご両親は帰ってこいっていうことはまずなかった?
それも同じですよ。大学行ったときと同じです。
この就職なんで地元で働けると思う俺のスペックで。
上手いね。
消去法です。
ママとご両親を騙し。
だんだん東京で生活する子娘になれてくる親っていう。
まあね、確かに。いつまでも親の近くにいるわけではないですからね、子供も。
だんだん慣れてきてくれましたね。
でもまだどっかで福島に帰らないことに関しては諦めてはいないっていうのがちょっとひしひしと感じますけどね。
言われます。
なるほど。
じゃあそのまま就職をした小林くんですけども、それが22?
そうですね、22歳。
22歳、浪人もしてないんで。
そこから、小林くんが就職したのは何年ですか?
2013年ですね。
そうなんですね。
そうすると、
今年で10年なったんで。
1:00:03
小林くんの名前、本当に小林くんかどうかわかんないんですけど、
小林くんイトラに乗ってるんですよ。
おー、イトラ。
ITRAで。
これ2014年、小林くんって破雪年出ました?
それ僕じゃないですね。
これ僕じゃないですね。
その間、ランってどうしたんですか?就職してから。
えっと、この時はまだ全然走り始めてないんですよ。
大学卒業して就職して、今の会社で就職して、
本当に1,2年、3年くらいまでは、本当に朝から晩まで働き直しで、
クタクタで帰ってきて、日高屋行ってビールとラーメン食って、
11時、12時くらいに帰ってきて、そのまま寝て朝5時に起きてまた出社してみたいなのを繰り返してて、
で、激太りしたんですよ。
そんな生活してたら太りそうだね、確かに。
身長今165くらいなんですけど、
60、62、3キロあったかな、63、4キロ、そうっすね。
田中さんたぶん52キロくらいですよね、同じ身長で。
今そうだね、52から53の間。
そうっすよね、10何キロくらい重いくらいだったんですよ。
その時はもちろん走る余裕なんて時間的にも精神的にもなくて、
その頃にはまり始めてたのが山登りだったんですよね。
はいはいはい。
で、山登りの始まりも20歳くらいの時にノリで富士山登ったんですよ。
それもノリなんですけど。
今一番問題になってるやつですね、それ。
はい、そうそう。
エアフォース1で登るみたいな。
あの砂のところ。
まだいいでしょう。
サンダルじゃないだけですね。
まだいいです、まだいいです、それは。
それで、アホみたいな嵐で山頂まで行ったんですけど、
本当に四つん這いじゃないと歩けないくらい風と雨降ってて。
で、完全にノリで行って弾かれたんですよね。
四人で行ったんですけど、男友達。
で、もちろん弾丸でレンタカーで行ってるんで、
クタクタの状態でそのまま帰って早くレンタカー返さなきゃいけないっていう感じで行って、
もう悔しくて、俺来年リベンジしようって言って、
翌年に大学3年生の時に八ヶ岳に登ったんですよ。
その同じメンバーで。
で、山越えを予約して、そのいわゆる八ヶ岳の主峰っていうか赤岳とか、
あの一番高いところ、あの辺の伊予岳、横岳、赤岳っていうあの辺の山を重層で一泊二日で登ったとき、
めちゃくちゃ天気良くて。
で、これが本当の山登りなんだなってなって、男4人で泣いて。
1:03:06
若いですね、若いですよ。
それで本当に感動して、そっから山登りにハマってたんですよ。
で、それ社会人になってからも時間ないながら続けてたんですけど、
自分その休みが土日じゃないので、友達と寄って会わないんですよね、社会人になってから。
なんで、もうひたすらその日帰り登山で行ける関東から関東エリアの山を
週2回の休み全部使って、もうひたすらそれをやってる時期があって。
それが社会人1、2年目ぐらいの時だったんですけど、
だから丹沢行ったり奥多摩行ったり、山梨百名山に結構登りまくってた時期もあって、
あれ日帰りで行けるんですよ、割と山梨って。電車で始発で行ったりすると。
で、それがトレランのちょっと始まるきっかけの一部となってたっていうか、
もうだんだん一人で行ってるんで、早く帰りたいんですよ、登山って。
下りとかも走って降りるんですね、登山で行ってるんですけど。
それでだんだん装備が重いリックだと邪魔だし、
重いブーツだと邪魔だし、だんだんトレランシューズになっていったりとか、
ハンズオフになっていったりとかっていう装備が自分の山の登り方に合わせて変わっていって、
結果的にそれがトレランになったんですよ、最後。
で、たまたまその職場でトレランというかウルトラをやってる人がいて、100キロマラソンとか。
その人がトレイルやりたいって言ってたんですね、10個以上の人なんだけど。
はいはいはい。
その人と一緒にトレランの大会に出たのが最初でした。
それが何だったんですか?
それがね、滋賀高原マウンテントレイルっていう、ATFかな?40キロとかのレースなんですよね。
滋賀高原マウンテントレイル、そうだな。
どうでした?小林くんの。
それで、ほんと楽しかったんですよ。もうめちゃくちゃ綺麗だし、山も。
山の中って晴れてるけど水溜りとかあるじゃないですか。
ああいうのバシャバシャ進んでいって、ドロドロになって、走って人抜かしてっていうのが本当に楽しくて。
やっぱどっかでは競うんだね、小林くんはやっぱり。
そうそう、もともと多分そういうセリ勝ったりするのが多分好きなのがあるんで。
それで30位くらいだったのかな、初めて。
すごいですね。
多分10%以内ぐらいに入ったんですよね、通常戦の中で。
で、あ、戦えるんだなって、それで余計楽しくなっちゃって。
そっからレースいろいろ申し込み始めたのが始まりでした。
多分2016年とか17年とか。
1:06:03
16年とか17年くらいだったかな。
そのレースにエントリーし始めたのって。
でも距離としてはやっぱり長い距離が取れないから、2ドルくらいのレースが。
そうですね。で、だんだんそれが伸びていって、今ないですけどスパトレイルとかITJとか、あと奥三河パワートレイルとか、
そういうのに手出し始めたのが、多分その2年後とか、2017年8年9年とかになってくると思うんですけど。
時系列的にはその間に、あれです、激坂に出し始める。
そこが一番僕も聞きたかったところなんですけど、激坂に参加したきっかけは、
小林君はトモさんですよね。
そうです。
どこかでトモさんに会ったんですよね。
そうですそうです。
あの、ポッドキャストはトモさんに会う前から聞いてたんですよね。
きっかけが何だったかちょっと、何だろうな。
普通にお笑い芸人のポッドキャスト番組とかを聞いてて、
で、トレーランニングの番組があるっていうのを何かで知って、最初に聞いたのって、
多分あの、キング24隊をやってるジャッキーさんとかが、すごい面白おかしく話してた時の回。
岩垂れスカイウォーカーっていう名前が生まれてたあたりの回を聞いて、
トレーラン動向っていうか、純粋に話がめちゃくちゃ面白くて、
そのポッドキャストとして。
それで聞いてたら、やっぱりトレーランニングについての情報、
主にウルトラですけど、トモさんが海外のレース出てとか、
いろんな話されてるのを聞いて、すごい面白くて聞いてたんですよね。
その時に、クラフトビルもその頃ハマってたんで、
新宿に今もあるかわからないですけど、ベクタービアっていうお店があるんですよ。
田中さんとか多分、ちょこちょこ昔から行かれてたんじゃないかなって思うんですけど。
僕何回か行ったことある。今はもうなくなってんじゃん。
そうですよね。そこ多分、TDTの打ち上げとかで使ってましたよね。
打ち上げとか使ってた。
そうですよね。コバさんとかいたんで確か。
で、その時にトイレ行ったらトモさんがいたんですよ。
普通に友達のみって時に。
ほうほうほう。
で、トモさんがトイレ待ってたらトイレの中からトモさん出てきて、
あれ、いはらさんですよねっていう風に声かけて。
で、トモさんもそうだよみたいな感じで。
1:09:02
で、ポッドキャスト聞いてますっていう。
いつもの流れですね。
はい。ポッドキャスト聞いてますって言って、あ、そうなんだって言って、
そこでちょっと立ち話をしたら、
どこ住んでんの?みたいになって、
あの、川崎です。
俺も川崎住んでるよ、みたいになって。
で、場所詳細を言ったら、
あ、そこであの、サカレン毎週やってるから、
なんか言うきちゃいなよみたいなノリで言われて。
おお、大丈夫その今セリフ。
ほんとそんなノリだったんですよ。
あ、ほんとそんなノリだったんですよ。
なんか、あさってとかあるから来なよみたいな。
はいはいはい。
いやいやいや、なんすかそれ怖いんですけどみたいな。
田中さんとかもいるからみたいな。
もちろん田中さんの名前も私知ってるんで。
いや怖いっすよみたいになって、
多分トモさんがそれを田中さんに言ってくださったのかグループの、
Facebookのグループに書いてくれたのかわかんないですけど、
それで本当に、その情報だけを頼りにこう、
マルコ温泉の前に、その今のスタート地点、激坂の練習のスタート地点のところに行って、
よろしくお願いしますみたいな言ったのが、最初に田中さんと会った時です。
それは、いくつの時ですか?小林くんが。
えーと、2017年なんですよ、それが。
6年前。
で、27歳です。
よく言い決まった。
こわどの知らず?それも。
俺ら生きるなー。
今思うと。
すげーなーそれ。
田中さん最初めっちゃ怖かったんですよね。
昔はね、昔は。
いやーなんか、あれ怒ってるかなって最初本当に思って。
全体そんなことないですけど。
なんかあんまり受け入れられてる気がしなくて、初めて行った時に。
別になんとも思ってなかったと思うんですけど。
練習する場合ですからね、確かにあそこは。
今もそうですからね。
今思うと。
当時その、鈴木潤子さん。
はい。
あと、田中圭介さんとか。
今元気してるんですかね。
ね、今、そう俺も思います。
ハートの後ろでぐらいしか見ないですからね。
ハートのバナーのやつしか見ないですからね。
圭介さん本当にその初期私が行き始めた頃は毎週本当にいてくださって。
やっぱその、潤子さんとか圭介さんとか、
その、潤子さんの旦那さんのスーさんとかがこう、なんだろうな、
可愛がってくれたっていうか盛り上げてくれて、
若いね若いねみたいなこう言ってくれたのが楽しくて。
で、有名人しかいねえじゃんって感じだったんですけど最初行った時。
野間さんがいたり、なんか本当私がこう、なんだろうな、
1:12:03
ポッドキャストで聞いたことがある人とか、
ネットで記事見たことがある人とかそういう人ばっかりいたんで。
行くだけで楽しかったですね、やっぱその環境に。
はいはいはい。
ありがたいなと思って、いつの間にか馴染んでましたけど。
覚えてます?田中さん一番最初。
でも6年前ですからね。
6年前か。
ヤングもまだいたんだよね。
いましたいました。
ヤングも来てましたね。
なかなか時が過ぎるの早いですね。
そうだね。
まあちょっとしみじみ。
トムさんに誘われて行ったのに、
トムさんに誘われて行った翌日にトムさんタコに引っ越しましたからね。
それなんか田中さんから聞いたな俺。
すぐいなくなっちゃって。
聞いた聞いた。
誘った割には誘った本人ごねえみたいな。
その後全然合わなかった、その後。
聞いた聞いた。
なるほど、まあでもある意味、ちょっとねごめんなさい今、
ちょっとこの劇坂っていうのはね、
今後の小林くんの中でのターニングポイントになってるんじゃないのかなっていう気はすごくしてて、
結果的にね、つい最近の話になると、
ブロリーの、ブロリー?ブロリー?
ブロリーか、ブロリーのメンバー。
ブロリーですね。
劇坂でしたし、どうでした?
まあ多分その劇坂のメンバーでね、
田中さんしかり、潤子さんしかり、
まあその当時から強いメンバーはいましたけど、
そこでね、長尾さん、萩さん、
ちょっとまたこう、なんだろうな、
異質とは言わないですけど、
今までとはちょっと違うメンバーが来たじゃないですか。
そうですね。
負けず嫌いな小林くんからしてみたら、
お前ちょっと待てよって話になるじゃないですか。
俺の前を走るとかどういうことだと。
そんなこと思ってないですけど。
どうでした?やっぱり。
でもあれなんですよ、
やっぱ田中さんは自分よりもっとそれを見てきてると思うんですけど、
やっぱりあの練習って、
ここ私が行き始めた6年の間でも、
すごいメンバーの入れ替わりっていうんですかね。
その時ガッてくる人もいて、
でも気づいたらあんまり来なくなっちゃって、
今度新しい人が来て。
すいません。
そうですね。
だからなんかあれなんですよ、
逆に過去の劇坂の写真とか振り返ってみてると、
すごい時系列が写ってる人によってわかるんで面白いんですよね。
で、あっちゃん来てた時このぐらいのタイミングだったなとかって。
で、あっちゃんが来なくなってからこの人が来始めて、
この人を定着してくるようになってとかっていうのが面白くって、
1:15:01
その時の雰囲気が若干変わってくるんですけど、
実際やってることは変わんないんで。
何も正直。
全体のペースが速くなったり遅くなったりっていうのはあるんですけど、
途中からその、
何て言うんですかね、
やったことない人の説明するのちょっと難しいんですけど、
あれって計17本ぐらいの坂を巡っていく練習なんですよね。
で、中間の3本と最後の3本は同じところをピストンするっていう、
流れなんですけど、最後の3本だけはちょっとインターバルを置くんですね。
最後の3本をやる前っていうの。
そのインターバルを置くまでの間のタイムっていうのを、
こう、用意、逆連スタートってなってから、
最後の3本に行く手前のところまでのタイムっていうんですかね。
を測ってると、大して変わんないんですよ、昔と今。
さあ。
いや、上下ありますよ。
早い、めっちゃ早い時とかたまにはあるんですけど、
その、平均で見たらたぶんそんなに変わんないですよね、田中さん。
いや、俺は変わってないけどね。小橋君でも早くなってるんじゃないの?
でも、そんなになんか大体その、30分前後。
ああ、トータルとして?
そうそう、その最後の3本に行くまでのそのポップタイムっていうんですかね。
30分。
そんなに変わってないので、
実際その、早い人が来たりっていうのもあったけど、
そんなにやってることは変わんないのかなと思ってて、
でもなんかその、最後の3本っていうのが逆にこう、
なんだろうな、雰囲気が変わる、そのメンバーによって。
こう、前に出てこようとする人がいたらペース全体上がるし、
1本目、2本目、3本目のその、なんていうんですかね、
体力の残し具合で過激があったりっていう面白いところがあって、
長尾さんと萩さんが来始めてから変わったのは、
その最後の3本に対する緊張感と、
最後の3本までにいかにこう、余力を残しつつ、
前の方を走れるかみたいな。
ああ、なるほど。
すごい意識する。
はいはいはいはい。
なりました。
で、あとやっぱ、何回も繰り返しやっていくと、
もうその、何でしょう、
ムロリ連でも一緒に走ってるし、
激坂連でも一緒に走ってるっていうタイミングがこう、
1年ぐらいずっと続いてる時があったんですよ、
萩さんと長尾さんに関しては。
うん。
もう、お互いの体調が分かるっていうか、
うん。
あ、今日来るな、みたいな。
うん。
とか、あ、今日来ねえな、みたいな。
なんかこう、なんとなくこう前半、練習の前半で分かるっていう、
なんかそういう雰囲気で練習できてたんで、
最近私も行けなくなっちゃってたんで、
行けなくなっちゃってるんで、
あれですけど、
その2人に出会わせてくれた、
田中さんが多分声かけて長尾さんと萩さんが来るようになったと思うんですけど、
1:18:01
それだいぶでかいですね。
それも含めて激坂に私が行き始めて、
その競技レベルが、
自分の競技レベルが上がったっていう、
こんな家の近所で、
こう、
練習してるだけなので、
そうね、確かに。
飛躍的に自分の山での走力が上がったのをすごい感じてて、
激坂行ってるだけで、毎週。
行ってるだけって語弊あるんですけどね。
毎日血へど吐くほど追い込んでる。
毎週血へど吐くほど追い込んでる。
そうねー。
でね、あれが火曜日で、
木曜日大和のトラックとかで、
あんだけ走ってるやつね。
そうですね。
やってましたからね。
楽なんですよ、山がすごい。
登りが。
なんて言うんですよね。
多分、出力を山走ってて、
あそこまで高めることないんですよね。
トレランやってて。
それこそバーチカルとかで、
本気でその短い距離を登る、
登ったりしない限りは、
あの激坂の強度まで心拍を追い込まれるってことだと、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
そういうのがあって、
強度まで心拍を追い込まれるってことは多分ほぼないので、
レースとかでもきつい場面でもきつくない。
激坂の方がきついっていうか、
っていう自信がありましたね、かなり。
田中さんから見て、
やっぱり小林君の強さっていうのは、
瞬発的な感じですか?
それともスタミナが落ちない?
どういったところに強さがあるって、
見てて思われますか?
やっぱり登りが、
早いよね。
なんかあの、
またちょっと松山君とも違う感じじゃないですか。
松山君、
それこそ松山君は瞬発で。
そうですね。
松山がそうっすね。
アツランってくる感じですね、確かに。
小林君は下りも早い。
あんまり一緒にトレーニング走ったことないからあれなんだけど、
下りも早いらしいんで。
確かに。
足が鍛えられるってことなんですね。
走る筋トレとかもね。
そうですね。
下りも鍛えられてるんですよね、実は。
本当に?
それを意識してやるようになったんですよ、途中から。
激坂練の時の下りも、
ちゃんと練習として、
レストじゃなくて、
ちゃんと筋トレとして機能するように。
最後の3本に行く前の長い下りあるじゃないですか。
はいはいはい。
あそこを途中から私、
全力で下るようにしたんですよね。
行き始めて2、3年したあたりから。
それはもう、
あそこまで長い間坂を上り下りしていって、
最後を上り切ってから、
下りまで出力を落とし続けないっていう、
トレイルで上りから下りに切り替わった時の、
足の疲労感を持ちながら思いっきり下るっていうのを
1:21:01
考えてやるようにしたりしてたんですよ。
そういうのかなり身になってるなって自分で、
トレイルの下りとかで。
うーん。
思います。
なるほどねー。
ある意味、小橋くんは市外地で、
市外地って言ったの、
市外の、市外市外。
市外地で、
強くなった代表格みたいなもんですからね。
ね。
そうかもしれないですね。
トレイル全然いかないですかね。
お仕事からね、やっぱり行けないところもあると思うんですよ、それは。
好きなんですけど、山で追い込むのも。
結局、休みの時に単発でガッて山行って追い込んでも、
それだけじゃ、なんだろうな。
足りないっていうか、
平日の夜にあれができてるっていうのがめちゃくちゃ多分、
アドバンテージがあるのかなって。
なんか逆に小橋くんみたいに、
例えば土日、休みじゃない人でも山行くのってやっぱり難しいというか、
そういうランナーの方たちに対して、
何かあります?
街でもこれやれば、ある程度総力はつくんじゃないかと。
劇図家もあるんでしょうけど、
それ以外で小橋くんが意識しているところってありますか?
あと、何か言えるアドバイスはないですけど。
何の実績もないんで、私が言うのも偉そうな話になっちゃうけど。
いやいやいやいやいやいやいやいや。
そんなことないですよ。
ほんと、さっきのアドバイスは、
坂を走るってことに関してだけはすごい、
何だろうな、
考えるのが好きなんで、
いろいろ考えてて、
やっぱ坂連っていうワードが、
どうしても田中さんとかの影響もあったり、
いろんな早い方だったり、影響力のある方のコメントだったりで、
多分注目されて、
ひよたえ効果が大きい、
とかそういう捉え方をされて、
坂連を取り組む人っていうのは結構いると思うんですけど、
坂連って坂を走ればいいだけじゃないっていうか、
やり方、多分、
間違えると全く効果ないんじゃないかなって思ってて。
ほうほうほう。
例えば、ジョグペースに近いようなペースで、
坂を何本も往復して、
坂連を走って、
坂連を走って、
坂連を走って、
近いようなペースで、
坂を何本も往復してっていうのって、
あんまり私は効果ないんじゃないかなっていうか、
ひよたえ効果って意味でやるんだったら、
ある程度筋力を追い込むぐらい、
乳酸溜まって心拍も追い込むぐらいのペースで、
インターバルみたいな形でやらないと、
せっかくやるんだったらもったいないなと思ってるんですけど、
でも目的がロングのレースとかだとまた違うと思うんですけどね。
いろんなやり方をやればいいと思うんですけど、
1個の坂で往復する練習をやるにしても、
一定ペースで何本も数重ねるときもあれば、
1:24:00
ある程度速いペースで、
インターバルみたいにピリッと何本って決めてやるとかっていう使い方をした方が、
考えとか目的があって、
坂連っていうのをやらないと、
ただ満足して終わっちゃうんじゃないかなって。
私はそれで言うと、
私の目的はもう完全に筋力と心拍を追い込むことなんですね。
坂連に求めてる要素っていうのが。
なんで劇作家のときは本当に田中さんの写真に写ってるように、
やらせでもなんでもなくアスファルトに這いつくばって、
ああなるぐらいやんないともったいないなって。
目指す距離とかによって違うんで、
それは一概には言えないんですけど、
だからその辺を明確にしてから坂連をやった方がいいんじゃないかなと。
でもやっぱり考えるっていうことが大事なのかもしれないんでしょうね。
何の目的を持って自分が坂連をするのかっていうところが定まってなく、
ただやってる。
最初の頃はね、結果が出るのかもしれないんだろうけども、
後々と、ただやってるだけだったらちょっとドンズバイなところで、
その壁にぶつかったときにやっぱり考えないと、
またその上にはいかないよっていうところが。
はい。
なんじゃないかなと思うんですけど、
結局私みたいに、ただ極限まで追い込む、極限まで追い込むってやってると怪我しますよっていう。
そうですね。
ここが大事ですね、田中さんね。
どの道を歩くかっていうところが。
小林君は怪我したら走らないと汗びが生まれちゃうタイプの子ですか?
いや、もう、それ、ランニング以外の自分の生活の環境とか状況にもよるんですけど、
例えば仕事でもめちゃくちゃ詰まってて、
やられてるときにランニングもできなくなって、
ってなってすげー落ちるときもあったんですけど、
あんまり考えないようにしてるっていうか、他のことを楽しむようにはしてます。
うん。
それがいいっすね。
さばやなぎ先生みたいに、走らないと死んじゃうみたいな怪有業的発想を。
そうですね。
そういう精神状態になっちゃうと、どんどん多分、
何やっててもつまんなくなっちゃうんで、
何やってても鮮やかな感じじゃないですか?
飯食ってても酒飲んでても。
そうですね。
さばやなぎさん元気してるんでしょうか?
どうなんでしょうね。
どうなんでしょうね。
この前うちの奥さんが会ったみたいですけど、
はいはいはい。
なんか言ってましたね。
さばやなぎさん、元気だったら返事ください。
やっぱ別に返事ないですけど。
やっぱ別に返事ないですって嘘です。
エクストリームつぶやいてくださいって。
1:27:02
怪我してんじゃねえかな?よくわかんないけど。
本当ですか?
怪我しながら走ってる感じで。
萩原君も同じように。
そうですね。
さばやなぎさんもあんま調子が良くないみたいなのをちょっと見ましたけど。
まあね、やっぱり年に。
無理はダメですね、やっぱり。
ある程度強度の高い日もあれば、強度の緩い日もあるというメリハリは大事ですね。
はい。
あと小林君と言えば、サイノ国のリレー。
これ来年は出ますか?
いや、出ないですね、多分。
あれ?来年、首狙いに来てるチームはいますよ。
そうなんですけど、正直去年、
ブロリーレンチームで萩さんと永尾さんと3人で出てて、
もうこのタイムでいいっしょって感じになったので、
多分来年は出ないんじゃないかなと思います。
むしろ私あれ100キロ出ようと思ってるんですよ、個人で。
おお、そうそうそう。小林君が、小林君って今最長って。
最長が、スパートレール、ITJ、奥美川ら辺なんで70キロなんですかね。
そうすると、じゃあその来年、サイノ国の100Kが、自身の中ではまず最長になると。
最長で、なんか今まで100キロのチャレンジって思ったことないんですけど、あれだったらやりたいなと思って。
あれだったらって、俺も言いたいな。普通避けるんだけど。
ご兵衛のやりたいなと思って。
言いたいな。普通避けるんだけど。
ご兵衛があるな。
でも、ありがたいことに、駅伝2年連続で出させてもらって、
2年ともサウス1を走らせてもらってるんですけど、
初めて行った時、ドギも抜かれたんですよ。
なんじゃこりゃっていう。皆さんそうだと思うんですけど。
レースに何回か出たり、あのコースを何週も何週もしていくと、
今年のサイノ国の駅伝の時とかは、これめちゃくちゃ走れるコースだなと思って。
でも、それって実際、冷静に見てみると、本当走れるコースなんですよ、あそこって。
100マイルで通過する2週目としては走れないかもしれないですけど。
走れませんよ。
走れないですけど、その1週で見た時に、確かに累積の標高差とか見るとドギツイんですけど、
あの、何でしょうね。小原さんも確か言ってたと思うんですけど、
8節目より全然走れるコースじゃねえかみたいな。
すげえな。行ってみて。
でも、あっちゃんは3週をやってたんで、それは別物ですよ。
あれ、1週だけ全力で走ってみてくださいって言ったら、あっちゃん7時間半くらいで行けるじゃないですか。
1:30:06
いやいやいやいや。そんなことないっすよ。
でも、面白いなって本当に思ってて、サウスワンしか走ったことないですけどね。
ノースからのサウスワンで100キロですよね。
サイノ国に100キロって。
そうです。
それは本当にやってみたいなと思いました。去年一気でやってから。
じゃあ来年はリレーで首を狙ってきてるチームは1チームいるんですけど。
いやもうだって、物が違うんでしょ。
そんな高校サッカー部でちょっとイケてるぜっていう人たちに、
急にレアルとか戦わされてるみたいな。
ジャイアントキリングがありますよ。
そんな負け試合。
ジャイアントキリングが。
今年、来年私たち出たらただの引き立て役になるんで、それは嫌です。
気持ちはわかりますけど、来年はサイノ国はリレーではなく、
私個人としては100キロ出たいなって考えてるんですけど、
2人はどう考えてるかわからないですけど、一応去年終わった時点ではリレーは来年はいいかなってみんなで。
そういう話になってる。
全部富士登山駅前にプルベットしようっていう。
なるほど。
そっかそっかそっか。
来年はもうサイノ国っていうよりも富士登山競争を目的として。
そうですね。
もう動くとは。
もうそれだけでいいです、もう自分は来年。
富士登山駅前だけでいいですって思うぐらい。
だからチャレンジとしてサイノ国とか100キロ出てみたいなと思うんですけど、
絶対優勝してとか、そういう感じはどっちかというと全部富士登山駅前の方に気持ちは持ってます。
持ってってる感じなんで。
へー。
いやーでもサイノ国だって前にね、糸来たらたぶん小林くん勝ちにいくと思うよ僕は。
潰れちゃいますよ。
絶対に。
田中さんも来年はサイノ国の100マイルに出る可能性が。
はい、エントリーできれば。
あるんで。
もう3ピアス。
あれもうあれでしたっけ。
3ピア?
3ピア?取ったよ。
もう予約したんですか。
あーすげー。
もう埋まってるんですよね。
埋まってる。
俺の情報収集能力で、いつ予約すればいい。
さすが。
1:33:00
ちゃんとしましたよ。
素晴らしい。あれ枠決まってるんですもんね、トリールランナーに出す枠みたいな。
決まってないんですかあれ。
決まってないと思うよ。
予約したよ。
ヤド合戦はちょっと今一歩、田中さん勝利ですね。
いいなー。
あそこね、ブルーシールアイスができたんですもんね、ニューサンピアのところ。
アイスクリーム屋?
ブルーシールアイスの中じゃないですか、カフェテリアみたいなところが。
そうなんだ。
そうなんですよ、なんでかな、来年はアイスを食べに楽しみに見に行こうかと思ってますけど。
来年はアイスを食べに楽しみに見に行こうかと思ってますけど。
あ、キャンペーンは?
キャンペーンは来年は出ないですよ、ちょっと楽しみます。
なるほど。
ちょっともう2年連続出たんで、ちょっと楽しんで、ブルーシールアイスを食べて、人の応援をしようかなと。
あ、じゃあ駅前に出ればいいじゃないですか、それこそ。
あ、あのね、一応5月に、その前にね、自分は比叡山に出ようかなと思ってるんで、来年は。
いいっすね。
ちゃんと完走しないとまたリベンジ…。
冷えないな。
完走しないとまたリベンジ…。
宿題が増えてる。
宿題しか増えない。
そろそろリベンジ日記って言われますよ、そろそろ。
いいよ、リベンジ日記でも。
1回目は死亡。
冷えたら50キロあったらあれじゃん、50マイル。
50マイルっすね、はい。
10マイルか。
なかなか厳しいと思いますけど、ちょっとチャレンジとして頑張りたいなっていうのは。
とりあえず、若いうちに難しいレースをいろいろ倒していこうかなと思ってたんで。
なかなかね、冷えたらちょっと俺も走ったことないからよくわかんないけど、やっぱり。
なだたる人がダメになってるからね。
そうなんですよね。
ちょっとナミネウ兄さんに情報を聞いて、
入念にちょっと、自分もね、小林君と同様にちょっと仕事が忙しくて走れない日もあるんで、
でもね、社会人は仕事が主なんで、そんな言い訳も言ってらんないんで、
時間見つけてうまく付き合わなきゃいけないなっていう気はします。
小林君は将来的には100マイルは走るんですか?
そうですね、ただまだあんまり考えてないですね。
逆に絶対短いの、何キロまでのレースやりたいとかっていうのも逆になくて、
短いのにこだわりがあるわけでもないし、長いのにこだわりがあるわけでもないんで、
ほんと出たいなって思うレースだったり、その時期とかタイミングがいいレースだったり、
友人とかと予定合わせて観光込みでこの場所の大会出たいみたいな感じの、
それぐらいのテンションでレースやれればいいかなと思ってます、来年は。
藤戸山駅伝を除けば。
最終的にはJJさんみたいにビール飲み、ついでに100マイル走るみたいな。
1:36:06
いいっすね、ただやっぱ100マイルって休みめちゃくちゃ取らなきゃいけないじゃないですか。
まあね、確かに。
だから現実味ないですよね。
あと奥さん、3日とか4日とかレース走ってくるって言えないなって思って。
そうね、まあそうね。
そういう基準で結構レース選んでるのもあんで、止まりがいらないレースとか、
KTFのレースよく出るんですけど、あれって土曜日開催ですごい都合いいんですよね。
当日行って帰ってくることもできるし、生活にあんまり影響を及ばさないレースを選んでるとこあります。
いや、そうですね。いくらでもやっていいよって言われたら、
多分もっとロングばっかりやってるかもしれないですけど、
やっぱ仕事もあって奥さんとの生活もあってとかっていろいろ考えると、
行きやすかったり出やすいレースっていうのになっちゃいますね。
素晴らしい、愛妻家ですね。
愛妻家なんで。
素晴らしい。世のトレイルランナーの男子に旦那に聞いていただいた方がいいかもしれないですけど。
奥さんのトレイルランナーになれば大丈夫ですよ。
いや、100億パーないですね。
奥さんトレイルランナーになったら。
未だに多分何やっていくかわかってない。
なるほど、普通の人はわかんないですよね、確かに。
わかんないですね。
クマ出るニュースとかよくやってるじゃないですか、テレビで。
あれ見ると、山行かないでな、もう、みたいな。
山行ってないよね、最近みたいな。
大丈夫だよね、みたいな感じです。
圧かけられてる。
山なんか行ってないです。
素晴らしい。
はい。
結婚って何年目なんですか?
結婚は19年入籍なんで、4年目ですね。
4年目なんですね。
まだまだですね。
まだまだ仲良しで、素晴らしいですね。
25の時出会ってるんで、付き合い自体は結構長いんですよね、8年とか。
8年か、それ長いですね。
はい。
最後の最後に愛最下を出すあたりがやっぱり。
嫁が万が一聞いたときの、まあ嫁聞いたとしてもこの最後まで絶対聞かねえな。
前半に言っておけばよかったな、もうちょっと。
冒頭の2分でも聞いてるかもしれない。
じゃあ小林君は来年は才能国100キロはとりあえずじゃないか、一応出るけど、Aとしては。
やりたいですね。
Aは富士登山競争が。
Sですね、S。
Sか、スペシャルなんですね、富士登山が、なるほど。
1:39:01
本当に富士登山、富士登山の話していいですか、ちょっと。
どうぞどうぞ。
だって萩さんが最終ランナーと、最終ランナー、三丁区間で小林君を選んだ理由はぶっ飛んでるから。
ありがたい言葉ですよね。
っていうのが言ってきたけど。
もうあの富士登山駅でって私トレーラー始める前から憧れの大会だったんですよ。
うん。
昔たぶんテレビ中継してたことがあって、全国じゃないですけどね。
はい、なんか富士テレビでやってたかもしれない、なんか見た記憶がありますよ。
そうなんですよ、たぶん地方局でやってたやつを、たぶんなんか深夜枠だったのかな、なんか私実家のテレビで見た記憶があって、父親と一緒に。
でなんか、当時Aさんがトレーラー始める前から憧れの大会だったんですよ。
でなんか、たぶんなんか深夜枠だったのかな、なんか私実家のテレビで見た記憶があって、父親と一緒に。
でなんか、当時駅伝やってたんだよ、私もその普通の。
すごいすげえなと思って、その感動した覚えがあってずっと。
で、でも自分が出れるものだとは思ってないじゃないですか、あんなものって。
まあね、確かに。
そうそう、でなんかそれで現実にはなかったんですけど、そのまさかこのチャンスが自分にもあってくれるとは思わなかったっていうのもあって。
で、なんていうんですかね、ハギさんとか他のメンバー、今回出たの100RCっていうチーム名でハギさんが招集したメンバーで出させてもらったんですけど。
あの、なんだろうな、みんな結構クールな人が多いんですよ。
性格的に。
感情を表に出す人ではないね、確かに。
抱き合って喜んだり、うわーってハイタッチで叫んでとかっていうのをしとって、なんかみんなニヤニヤして握手するぐらいの。
もうなんか、自分はもう走る前から、自分のとこに渡ってくるまでにどんどんどんどん順位が上がってくるわけですよ。
ハギさんから来て、藤原さん来て、長尾さん来て、高丸くん来て、工藤さん来てって。
どんどんどんどん順位が上がってくるという、もう自分で経験したことがない量のアドレナリンが出てるんですよね。
走る前に、前から。
で、もうそれまで結構やっぱ恐怖心だったり、自分のとこで順位を落とせないなみたいな不安みたいな気持ちがやっぱり前日とか直前はあったんですけど。
もうその、着替えて順位速報とか聞いてる段階でもう、なんだろうな、ずっとニヤニヤが止まらなくて。走り出す前に。
楽しくてしょうがないっていうか。で、走り出してからもきついんですけど、そのきつい記憶もあんまないっていうか。
で、ずっとこう夢の中にいるような気持ちだったんですね。
1:42:02
その憧れの大会ってのもあるし、こんな、4脚で来たのかな、自分と。
そうね。
で、1人抜かせて3脚で助け渡しって感じだったんですけど。
もう走り終わってからその他のメンバーたった時も、俺、泣きながらハグしたいぐらいの気持ちなんですけど。
みんなめっちゃサラッとしてんすよ。やったね、みたいな。
なんか。 えー、みたいな。
予想はできますよね。
そうそう、できますよね。
想像できますよね。
で、唯一かな、高丸くんは多分自分と一緒で、興奮を抑えられない感じだったんですよ。
で、駐車場で、5号目の駐車場だった時、高丸くんとだけは思いっきりハグしましたよね、2人で。
もうちょっと泣きましたもん、その時。
で、そんな経験って普通、トレーランニング関わらず大人になってからありませんよね。
あー、なんか、そうね、確かになかなかないね。
泣くほど感動して、その自分のチームメイトを本当に誇りに思って、なんだろう、やったねって思うのを共有できるって、
俺高校時代のそれを完全に超えてたんだよ、中高時代。
これだけ競技やってきたけど、だからこの歳になってそれを趣味でやってることで、この温度まで気持ちが上がったことってなかったんで。
普通にスポーツ以外、仕事とか全部含めても、自分の人生で、それをもう一回味わいたいっていう気持ちだけですね。
その来年、そのSレースって言ってんのは。
これ今めちゃくちゃ自分興奮して、興奮して喋ってるじゃないですか。
ハギさんのこのタイマー出てた時のやつが出て、もっと温度上げろよ!
あー、クレームですね。
はい、淡々と喋る。なんでこのコースも答えられるんだと思って。
まあでもたぶん小林くんが一番アドレナリン出る区間がどうなんだろう。
それもあるかもしれないですね。いや、出ますね、絶対全員。長尾さんだってぶっ壊れてたし、アドレナリン出す人も多すぎて。
みんながみんな、ちょっと職人肌なところがあるんじゃないですか。
あーでもそうですね。
なんとなく。
初めてだったから、なおさら温度に慣れたのかなっていうのもあるんで、来年はちょっともっと難しくなると思うんですよね、出るとしたら。
いろいろ考えちゃうんで。去年のタイムとか、去年の順位とかっていうのがやっぱり頭に残っちゃうじゃないですか。
プレッシャーが絶対に1年目よりも必ずあるはずなんで、だから早く富士山行きたいっすね。
さっさと足直せって感じです。
1:45:01
あれ小林くんも冷やしてるの?
いややばいっす今。アキレス腱痛かった逆の方の足2コーナーでしたもんね。
今日久しぶりに育田緑地行ったんですけど、また痛くなっちゃって。これ堂々巡りっす。
田中さんにも怒られるやつですし、原沢さんにも怒られるやつですよね、これね。
またちょっと治療に専念します。
田中さんの周りにいる若いのはよく怪我してますね。
俺のせい見てるじゃん。
いやいやそうじゃないですけど。みんな強度が高いんですねやっぱり。
いやー強度が高いのかなね、なんでしょうね。
でも田中さんはそんなに怪我はしないですもんね。
俺?そうだね。最近はもう本当ですげえメンテナンス代に金かけてる。
1週間1回はマッサージとか行ってるかな。
マッサージがんで足をほぐしてから寝るとかそんな感じにしてるね、最近は。
ケアは大事ですよね、やっぱり。
怪我しない体作りってのも大事ですよね、本当に。
本当思います。最近また自分もバーベル稼ぐようになったんで。
かついちゃったの?
スクワット、スクワットだけはちゃんとやろうと思って。
あれ体幹大事じゃないですか。
あとまあ足の筋肉と、あとあの多分田中さんもご存知かと思いますが、膝の動きがあるじゃないですか。
ある。
ちょっとあれを習得するためにも、ある程度重りをかついで。
はいはいはい。
筋はちょっとやるようにしてますね。
俺は膝の動きを意識して走ってるかな、筋トレするのも。
でもあれ意識すると、ちょっと力の具合なんですか、うまく言えないですけど、やっぱりなんか変わります。
なんか筋肉使わず走れてるって感じ。
あーわかりますわかります。
自分のあれを重りのときは、今までうーなったのがなんかスムーズにスッと行く感じはあるんで、小林君も行けばわかるさ。
膝の動き大事ですよね、膝の動きってすごく。
体勢運動だから、いかに筋肉を使わずに速く走れるか。筋肉を使わずに公平があるんだけど。
わかります。
ケツの筋肉を使っていかに推進力を得て、っていうのをすげー意識してる。
わかります、それほんとに。
それで今日一応、ヒロ呼んで走れたのかもしれない。
あーなるほど。がむしゃらな感じじゃなくってことですもんね、たぶんそれは。
全然がむしゃらに走ってないですよ。
昨日50キロ走って、今日マジハーフマラソンってありえないよね。
確かにそうっすね。
おー、じゃあやっぱ体の疲れが全然変わるってことですね。
1:48:03
昨日も意識してたから、疲れないように。
疲れを残さないように走ると。
おじさんなんで。
いやいや、でも怪我しないで結局、練習が続けられるっていうのは、
結局どんなに大事なレースでも怪我しちゃって出れない。
私も今そういう状態なんですけど、なったらスタートラインにすら立てないんで、
自己管理ができてる人とできてない人だったら、スタートラインに立ってる時点でその人の方が能力高いですよね。
保証しちゃうとね、それに意識がなくなっちゃうんですよ。
そうなんですよ。
ジョグ能力を増やせと、田中さんにも言われましたけど。
そうだね。
高強度ばっかやってんじゃねえと。
低強度でも結構伸びるんじゃないかなって最近思ったりするけどね。
でもそれは本当になんとなく自分の中でもあるんですけど、やっぱりこう見栄えがして楽しい方に楽しい方にってなっちゃうと、
ジョグって一番地味で退屈じゃないですか。
そっから離れちゃって怪我に繋がっちゃってるっていうのが自分の最近の流れですね。
やっぱあの心拍があれですよね。ゾーン2ぐらいの心拍だとあれですよね。
いろいろとこう体に対してもいいんですよね。血管の循環が良くなったりとかなんか。
それはちょっとこの前記事で読みましたけど。
意外とジョグは侮っちゃいけないってことですね。
そうですね。
田中さん、何かありますか?小林大輝先生に。
いやもう、来年の意気込みをちょっとお聞きしたいですね。
藤戸さん以外のところでもね、ちょっと藤戸さんの意気込みはすごく聞いたんで。
藤戸さんでもいいですか?
藤戸さんの意気込みですか?やっぱり、
来年も同じ区間、山頂区間ロックを走らせていただけるのであれば、区間賞を取りたいですね。一般の部で。
今年1分30秒届かなかったんで。それは正直、そのタイムなら目指せるかなって思って。
来年もっと速い選手が出るかもしれないですけど。
そのタイムを、今年の区間賞のタイムを出せればなと。藤戸山駅伝に関しては自分の個人の目標そうですね。
チームでそれで3位以内に入れたらすごいなって思います。
藤戸山駅伝3位以内ってもう墓場まで持っていけるなって自分では思いますけど。
ちなみに、藤戸さんの意気込みは?
左は正直自信があったんで、今年7月に4回富士山に行けたんですよ。
で、藤戸山駅伝3位以内に入れたらすごいなって思います。
1:51:02
で、藤戸山駅伝3位以内に入れたらすごいなって思います。
左は正直自信があったんで、今年7月に4回富士山に行けたんですよ。
で、山頂のロックの区間もタイムを測りながら行けたんで、
自分の中で上りこのタイムで行ったら下りこのタイムで行けるから合計タイム見えるなっていうのがレース当日あったんで、
折り返しの時点で、上りこのタイムでこれだからこれで渡せるなっていうのは見えたんですけど、
結局それ通りだったんで、下りは正直アッパーなんですよタイムが。
これ以上多分早くなったら数十秒とか差なんですけど、
上りは本当歩いちゃったんで、かなり歩いたんですよ。7割ぐらい歩いたかな。
それであのタイムだったらもっと出せるなって思って。
区間賞だったのが富士翼君だったかな。
スカイランニングで日本代表とかになってる選手なんですけど、
その前の週に富士登山競争で3位になってるんですよね。
はいはい。
で、多分その披露もあったから、彼もっと早いんですよ。タイム的には多分。
福島県の選手なんで、名刺があって話したんですけど、
披露抜けてナイスって言って。やっぱすれ違いでも見てるんで、
ロックのレース当日で。やっぱ上りの動きが全然軽いんですよね。自分よりも。
だからその上りをもうちょっとステップ踏めるようになったり、
歩くにしろもうちょっと効率よく歩けるようになれば、
下りの差はそんなにないのかなって個人的には思ってるんで、
それに向けてのトレーニングをすればいいかなっていうところですね。
コーションとかコーションで酸素を作ってっていうのはあんまり多分問題ないかなと思うんで。
このとこですかね。
ちなみに株崎さん、株崎強さんもロッカー走ってて、
練習して、どこに何の岩があるか記憶してらしい。
それ誰かも、すごいっすね。誰かも言ってましたそれ。
富士山行きまくってる人。そういう境地になりたいっすね。
どこに足が置けばいいかっていうシミュレーションがもうできてるらしいね。
はい。いやー、マンガだな、本当。
本当かどうか知らないですけど。
いや、本当にしましょう、それは。
へー、すごいな。
じゃあもうそこ、その期間中は奥様にもちょっと目をつぶっていただいて。
そうですね。でも正直日帰りで帰ってこれるんで。
日帰りであれば文句ない。
文句ないですよね。だから休み、週の休みで行って帰ってっていうのをやれば、
1:54:04
3、4回は行けるのかなっていう月で。
でもそれで怪我することもあるからまあ、
その度合いは調節しながら、
ただやっぱ上に行って動くっていうのが多分かなり山頂区に関しては重要だと思うんで、
やっぱ海水行くっていうのはその練習の強度に関わらず大事だと思います。
まあ来年一緒に行きましょう、あっちゃん。
え?山頂は歩くほうがいいですよ。
いや、歩いてもきついですよ。
ねえ、3000m超えてるし。
あそこのなんですかね、御殿場口は行ってないですよね、あっちゃん。
行ってないです、行ってないです。
レペやりましょうよ、レペ。
富士山NGなんだから、斎藤家として。
なんですかね、NG。
行っていいのは御殿場アウトレットモールだけなんだけど。
そっからすぐですから、行きましょうよ。
そんな覚えがある富士登山駅でに。
はい。
すごいっすね。
個人の目標はまたどんどん出てくると思うんで、
破雪だったり今年結局出れなかったんで、来年もエントリーはしようかなとは思いますけど。
ちょっとずつ日帰りで参加できるレースは来年はちょっと増やしていこうかなと。
またそしたらいろんな欲が出てくるかもしれないんで。
うーん。
あれか、勝田マラソンありますね。
朝でももうエントリー締めちゃったでしょ。
あ、いや、エントリーしちゃいました。
あ、小林くん?
はい、知ってます知ってます。
あっちゃん知ってますか?
僕知ってないです。
あれ?去年なんか来年…
去年しましたけど。
もう終わっちゃってましたエントリーが。
うわっ、ズリーな。
エントリー終わったんで。
ちょっとなんか他かなーみたいな。
他走るの?
ハーフぐらいは走ろうかなーみたいな。
まあ自分はねちょっと比叡山に向けてスピードレーンはしなくちゃいけないところもあるんで。
サブスリープス勝ったの?
何ですか?
サブスリープス。
そうです。完全にプスですよ本当に。
まあでもまあどっかでハーフは走ろうかと思ってますけど。
今年を勝った誰が出るんですかね?あ、来年か。
来年俺出るよ。
あ、田中さんですか?
出ますよ、はい。
じゃあまたあれですかね?いつものメンバーで長尾さん、萩原さん。
いや、萩原君も出ない。もともと出ない。今年も出てないし。
あ、そっか。東京マラソンでしたっけ?萩原さん今年は出ない。
いや、えっと…福岡。福岡出るのかな?福岡とかは知ってたけど。
あ、そうだ。
長尾さんはエントリーはしてるっぽいですね。
長尾君はしてる?あの勝田は?
たぶんLDAの方も結構エントリーしてる方多いんじゃないですかね。
1:57:00
勝田。
もう居酒屋予約したんで。
そうですね、田中さんが…
早いっつってももうあれか。2ヶ月っつってもね、確かに。
田中さんが率先して動いていただいてる。
去年も申し訳ないですけど、全部田中さんに任せちゃってみんなで。
大丈夫ですか?漢字は得意なんで。
申し訳ないです。取りまとめはいつもありがとうございます。
帰りのメン社も予約しようとした方がいいんじゃないですか?
それ帰るときだもんな。北地。
帰るときに買う。
スーパー北地に。
スーパー北地、うん。
なるほど、じゃあ来年も小林君は充実した1年が迎えられそうですね。予定としては。
勝田から始まり。
冬のレースとかはもういいんすよね。富士登山でとりあえず。
そうですね、はい。
なるほど。いつかは100マイルでちょっと見てみたいなと思いますけど。
そうですね、10年後ぐらいですかね。
43。俺の年ですな。
でもそれぐらいでもいいのかなって私個人的には思いますけど。
もっと早く出たくなるかもしれないですけどね。
最近100マイルだって10代?20代?10代?
10代も出てきてますからね。
すげーなって。10代から160キロ走ろうとかちょっと僕にはわからないですけど。
確かにそうだね。
まだいろいろと人生やることあるのかなと思いながらは。
そうですね。だから10代で始めた子が、
最近20代も増えてきて、小林くんが若いなと思ったけど最近より若い子たちがね。
いや全然もう自分真ん中ぐらいじゃないですか。
ねえ。
年齢的に言うと本当にびっくりするなと思って。
あとなんていうんですかね、言葉でよく聞かれてるんですけど、
自分が若い子たちの中で、
あれってなんなんだろうって思ってて、
キラキラ感ってたぶん競技の楽しみ方とかじゃなくて、
普通にリソースの容量がでかい人がそうなのかなと思ってて、
自分が若い子たちの中で競技の楽しみ方とかじゃなくて、
普通にリソースの容量がでかい人がそうなのかなと思ってて、
リソースの容量がでかい人がそうなのかなと思ってて、
例えば仕事もめちゃくちゃ頑張ってて、酒も毎日バンバンやってて、
インスタとか更新しまくってて、トレーラーもやりまくってて、
みたいな人が俺の中ではキラキラ感がある人なんですけど、
なんでそんなエネルギーがあるんだろうと思って。
まあね、確かにいますね。
すごいなって純粋に思いますね。
なんか仕事で疲れちゃったら走りたくないなとかなっちゃうし、
なんか純粋に容量がでかいなと思って。
2:00:03
ランニングの身体的キャパじゃなくて、
精神的キャパがでかいっていうんですか。
自分それが全然ないんで。
俺はもうインスタグラムに投稿してるあたりですげえなと思いますけどね。
俺はインスタがもうダメですね。
もうダメですね、インスタグラム。
最近あんちゃんSNSで見ないですもんね。
もう最近仕事が忙しくてですね、全然やってないですよ。
そうですよね。Xも見てないですよね。
見てない。
あれXは見てます。
Xは見てますか。
投稿はいろいろ追ってます。
ただまあちょっとインスタの投稿はね、
まあ目にねやってる人とかはすごいなって思うなあれは。
いや本当すごいですよね。
なんかどんどんそういう、
動画とか自体は好きなんで撮ってまとめたりするのはあるんですけど、
週末に行った集まりみたいなのを細かに書いて、
誰々と出して、ここが楽しくてここがって、
あれって俺もう多分できねえなと思う。
もうできないもん。
はい。一個個も早く酒飲みたいなって思っちゃうしな。
無理ですよね。
そこらへんでも田中さん豆ですもんね。
週2ぐらいしか上げてないよ。インスタの写真だけだったらね。
激高と週末をまとめてぐらいじゃん最近。
でもそう考えるとそうですよね。
ガチオさんとかそれを一定期間ずっとやってるってすごいですよね。
仕事だもんだって。
そうですね。まあまあまあ。
長男さんとかだから異常だよな。
もう生活どうなってんだろうな長男さん家。
確かにね。
マジで。
最近長男さん上げてるんですか投稿。
バンバン上げてますよ。
俺が見てるだけか。
youtubeですよね。
バンバン上げてますよ。
本当に怒られる。
新しいカメラ買い替えまくってキャピキャピしてますよ。
へえ。
すごい綺麗な動画見ましたね。
ITJの思想かなんか言ってるやつとか。
いや本当楽しんでるな長男さん。
すげえな。
しかも今一番早いですからね今長男さん。
あー。
今バッキバキに仕上がってますよ今。
ITJでいるんだ長男さん。
いや今フルマラソンに精進してるんですよ長男さん。
よかった。
多分2時間半切りを目指してやってて、
来週筑波マラソンで多分それを目標としてやってるんじゃないですかね。
多分出ますよあれ。プレッシャーかけとこうこれで。
そうね。
2時間半暁にはじゃあオリジナルメンバーかかもしれないですけど。
2:03:04
そうですね。もう一回出てもらうしかないですね。
確かに。どんな練習してきたのかとか聞こうかなと思ってますけど。
カメラつけて2時間半切ったらもうちょっとやばいですよね。
本当に。
クレイジーカローか。
そのラインになってきますよね。
すげえな。
いやーやりそうだな。
じゃあ小橋くんフルは、カスターはどのくらいを目指してますか今。
感想です。
そんなことがいいとして。
はい。でも本当に練習の状況次第なところありますけど、
もし仮に年内に足がちゃんと治ってくれて、
ある程度距離走が1、2回できたなら、
50分は切りたいな。2時間。
ただ今の状況で、そんなに火ないんで、無理しない。
下手したら出れない可能性すらあるんで、そこは無理しないで。
出れなかったら居酒屋だけ行きますけど。
楽しいとこは行けると。
応援しながら。
なるほど。
とりあえず回復に進めますね。
そうですね。まずは怪我が治して、それが第一ですから。
はい、じゃあちょっとここで読む連絡をしたいと思います。
質問・フィードバック等は、
XでハッシュタグWeLoveTimer、タイマーズと付けてお待ちしております。
また、ドネーションも引き続き募集してますので、よろしくお願い致します。
はい、じゃあ今回のゲストは、俺のトラウマこと。
小林大輝さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。