1. タイマーが大好き
  2. #21 ニューハレ・タケタニ
2021-12-09 1:58:26

#21 ニューハレ・タケタニ

19人目のゲストには竹谷 浩 a.k.a ニューハレ・タケタニさんをお迎えしまた。

Instagram ☞ @hirosix_65

Facebook ☞ 竹谷 浩 

Twitter @hiroshi_deluxe

  • 神奈川県横浜市横浜市鶴見区出身
  • 小学校時代はボーイスカウト
  • 中学校の部活は陸上部。理由はジョーモンタナに憧れて
  • 高校時代は念願叶いアメリカンフットボールのクラブチームに
  • 大学時代はワンダーフォーゲル部(1年間くらい)
  • バイクで北海道を一周しそこから東南アジア諸国を放浪
  • 沖縄を自転車で一周
  • 地球の歩き方を信用して…
  • 2年間の放浪を経て自転車屋に勤務
  • 培った経験を得てMAVICへ
  • ひょんなことからSUUNTOへ
  • トモさんとの出会い
  • 2015年石川弘樹さんのサポートでUTMBへ
  • 第1回UTMFAdam Cambellのサポート
  • 2014年よりT.D.Tのサポート
  • 2016年月岡レジェンドのペーサーの話
  • 2016年自身初の100マイルT.D.Tの話
  • 2021年2回目の100マイル挑戦T.D.T
  • 仙元山ランニングクラブの話
  • ボルケーノ50K
  • 石川弘樹さんの東海自然歩道FKT
  • ニューハレテープの貼りかた

竹谷さんおすすめ新入社員オーミが行く

★編集後記★

サラリーマンとして自分の好きなことを仕事にできるという幸せは、同じサラリーマンとして本当に憧れと共に尊敬致します。

ただ、それは放浪をしていた時のように何でも挑戦するという心意気なのかなと思いました。

来年のT.D.T完走おめでとうございます。

質問・フィードバック等は「#welovetimer」「#Timers」と付けTwitterより投稿お待ちしてます。 ドネーションを募集しています。ポッドキャスト維持に役立てますのでよろしければこちらからお願いします。 

www.buymeacoffee.com/welovetimer



00:06
始めましょうか。
はい、すいません。
じゃあ、えー、今宵も始まりました。タイマーが大好き。
もう、田中さん12月です。
12月ですね、はい。四月ですね、はい。
四月ですね。本当に今、四月にちょっと私になってますけど。
なに、年末忙しい仕事してんの?
年末ちょっと職業から、年賀状も少なくはなったんですけど。
年賀状?
そういう印刷会社の方達をちょっとこう相手にしてる。
あー、はいはいはい。
で、ちょっとまあ、若干やっぱりこの季節っていうのはいろいろとトラブルが出てまいりまして。
印刷系で。
印刷系で、はい。
ちょっと今日もタクシーをぶっ飛ばして。
タクシーを?
はい。やってまいりました。
すいません、タクシーをぶっ飛ばさせてしまって、はい。
田中さん、1月ハートどうですか?
なにが?どうっていうの?
今、なんか、練習としては。
練習としては?
はい。
練習は詰めてるかな?詰めてる?詰めてるのかな?
一応、先週と先週が多分16時間以上走れてるんで。
あー。
そうですね。今週もちょっとそれぐらいやろうかと思ったけど、やはり100マイルを走ったダメージはでかく、今週はちょっとあまり。
はいはいはい。
今日も雨に負けて。
そうですね。
走らず、家で自転車を漕ぎました。
先週のTDTに関してはちょっと後ほど竹谷さんをお呼びしてお話ししたいと思いますので。
では、早速19人目のゲストをお呼びしたいと思います。
はい。
竹谷博史、AKA ニューハレイさんです。
こんばんは。
こんばんは。
こんばんはです。よろしくお願いいたします。
すいません、遅くなりまして。申し訳ございません。
竹谷さんとは、話すのは今回初めてなんですけど、一方的に宣言屋まで見たり、あとは今年の夏フクロウ24体で拝見はさせていただいております。
話すの初めて?
そうですね。私竹谷さん、LDEにもあまり最近行けてないのもありますし、そうですね。
あ、ほんと。
基本的に人見知りなんで、あまり自分からは話しかけないみたいな。
そうですそうです。
その時です。
はい。
滅多なことがない限りは話さない。
そうですね。話すと、もうテンパっちゃうんで。
話そうと思えば話せるんですけど。
はい。
こういう機会とか、大丈夫です。
なるほどね。はい。
すいません、よろしくお願いいたします。
お願いします。
はい。
はい。
では、早速ちょっと竹谷さんも紐解いてみたいなと思うんですけども、
一応、フェイスブック等々いつもの流れで確認させていただきました。
確認させていただきました、すいません。
竹谷さんが生まれは横浜になるんですか?
横浜です、はい。
そこから行くの?
03:00
ちょっとそこら辺からお話したいです。
で、後ほど、先週行われたTDPの月岡さんのペーサーと1回目、2回目のところも、
そこがメインにお話したいと思いますので。
はい。
横浜ご出身ということで。
はい。
横浜はどの辺なんですか?
横浜は鶴見区。
あー、はいはいはいはいはい。鶴見区。
なるほど。
うん。
なるほどなるほど。
近いですね、竹谷さん、私と。
え、そうなの?
私、川崎区なんで。
おー、隣だ。
はい。
川挟んで。
はい。
はいはいはい。
マイルドブルー横浜はよく行ってましたけど。
おー、あったね、昔。今もないんだよね、あれ。
もうないです、はい。
ね。
平安町の方にありましたよね。
はいはいはいはいはい。
地元ね。
俺も行ったよ、マイルドブルー。
マイルドブルー行った?
行った行った行った行った。
大学時代にそうだね、その時の彼女と行った記憶があるけど。
そうね、高校くらいの時にあったもんね。
自分中、いや、小学生とかでしたよ。
小学生、そんなに昔からあるの?
はい。
年齢が違うでしょう、だって。
自分今年40なんで。
あ、そうだね、俺47だからさ。
俺46だもんね。
大学生時代だったかな、22とか1とかだったかな。
確かにそうだね。
そうですね。
鶴見だとなかなかいい環境で育てられたら、お育ちになったって感じですね。
いやー、田舎もっと内陸だったんで。
あ、そうなんですか。
寺尾のほうだと結構山が多いというか。
そうそう、寺尾のほうまさに。
あ、寺尾のほうだったんですね。
寺尾というか菊名駅のほうが近かったね、最寄り駅は。
そうなんですね。
東横線、菊名駅から歩いて2、30分かかるぐらいな。
歩いて2、30分。
そう。
三池公園とかあの辺。
三池まで行かないぐらい。
行かないぐらい。
菊名からね。
結構ちょうど中間みたいなところですね。
そんな竹谷少年というのは、学生時代、スポーツというのは何をやられていたんでしょうか。
小学校の時はボーイスカウトをやってて、
ずっとキャンプやったり、地図読みをそこで覚えたりとか、アウトドアな感じで育ってましたね。
あ、ボーイスカウトなんですね。
これ今回初めてですね、ボーイスカウトやられてたこと。
ゲストの中で。
そうだね、ゲストの中で初めて。
ボーイスカウトって毎週どっかで集まってなんかするもんなんですか。
日曜日に集まって、アウトドアの技術を高めるようなものを学んだりとか、社会科研究行ったりとか、事前授業したりとか。
06:03
そういうこともするんですね。
じゃあそうすると後々この部分っていうのが結構役立ってくるんですか。
そうですね。
昔のテントは、テントを張るときに速攻みたいなのを掘るんですよ。
掘った掘った。
掘ってテントを建てる。今って別にさ、何も考えなくてテントを建てるじゃん。
はいはい、平らなところに。
昔のテントは、テントの周りに穴を掘って水が流れるようにするとか。
へー。
小布でできてて、雨降るとむちゃくちゃ重いのよ。
あ、そうなんですね。
へー。
やっぱり素材が良くなったから、そういったこともしなくていいって話になったんですか。
密閉型ってなんだろうな。いわゆるバスタブ型って言われるような。
はいはいはい。
ドームテントみたいになって掘らなくて良くなったのかな。
じゃあ結構その頃テントを張るのも、穴掘り作業からって結構大変ですね。
今で言うフライ、ツイルトで寝るような人たちのようなでっかいやつ。
あれのでっかいやつをイメージしてもらえば。
はいはいはいはい。
横から雨が入ってきちゃうじゃん。流れて。
それが入ってこないように溝を掘って、中に入ってこないように。
へー。
それを初めて知りましたね。生まれて。
タカさんはマイク出してたんですか?
僕は大人になってからファミリーキャンプをしだして、
一緒に行く人の仲間でボーイスカートやってた人がいて、
最近のテントは楽になったよねみたいな話からその話を聞いたんですよ。
じゃあ常備スコップ的なものとか持って行ったんですか?
持って行ってた持って行ってた。
結構大掛かりですよね。
大掛かりだよ。
今のと違いまして。
ソロキャンなんて今すごく手軽な感じでキャンプやられてますけど。
今でもボーイスカート、今ではさすがにそんなことしないですよね。
さすがにもうそんなテントがないんじゃない?
あー、そんなテントが確かにないっすね。
大学生ぐらいにはもうドームテントになってたな。
あー、はいはいはいはい。
じゃあそこでもやい結びとかいろいろあれですか?
そう、もやいとかいろんなロープワークとかね。
今役立ってるけどね。
当時はなんのこっちゃと思いながら。
これなんの役に立つんだよみたいな。
そうですね。
小学校でそのロープワークを披露する場がまだない。
まだないからね。
で、短パンTシャツ、短パンとワイシャツで冬でも活動しなきゃいけなかった。
あれですよね。朝霧ジャンボリーってところが一応ボーイスカートの聖地だと聞いたことがあるんですけど、それ正しいですか?
09:08
正しいですね。
ジャンボリーっていうのは、日本各地からボーイスカートの団体がいっぱいあるんですけど、
日本各地から集まって、そこでみんなでキャンプをするっていうような、活動するっていうようなのが2年に1回かな、4年に1回かな。
分かって、そこに朝霧ジャンボリーっていうところに集まってました。
朝霧ジャンボリーっていう名前の場所なんですか?
朝霧公園、いや多分朝霧ジャンボリーって場所なのかな。確か。
僕がなんでそれを知ってるかっていうと、朝霧ジャムってあるじゃん。
フェスのね。
そこが朝霧ジャンボリーっていうところでやってて、朝霧ジャム自体はキャンプしながらライブを見れるっていうところで、
それもその時に一緒にいた友達から、ここがボーイスカートのステージなんだぞっていうのを聞いたっていう。
その友達もなかなかですね。
ボーイスカートとかなんかやられてたよね。
そいつも確かにボーイスカートやってたんじゃないかな。
確かに今ちょっとふと思い出したんですけど、吉田拓郎もジャンボリーでフォークライブやったのをちょっと思い出してました。
一番有名な、一番有名かどうかはね、俺の記憶だとあれだね、長渕強社がやってたじゃないですか。
長渕ですかね。なんかありますよね。
雷撃たれたとかそういう。
すげえ24時間やって、朝までやったんだけど帰るのにすげえ観客が、時間がかかったっていうのを記事で読んだ記憶がある。確か。
朝霧ジャンボリーでも。
なかなか曰く月とか、伝説が生まれる場所なのかなって。
伝説が生まれる場所なのかな。
で、小学校ボーイスカートをやられて、このボーイスカートっていうのはあれですか、中学校とかもやられてたんですか。
中学校やってましたやってました。
部活も何かやられて。
部活は陸上部だったんですけど。
あ、そうなんだ。
でもね、陸上部入った理由が、6年生の時にまだアメフトのスーパーボールっていうのが地上波でやってて。
やってましたね。
その時朝やってて、それを見て、タッチダウンのジョン・モンタナっていう選手がいて。
49ersですね。
で、ガッツポーズをしてる絵面がすげえ衝撃的に覚えてて。
で、中学ないから高校になったらやろうと思って、陸上部に入って。
当時は媒体がないから、タッチダウンという雑誌を買い漁ってて。
12:03
そこに高校でクラブチームがあるって書いてあって。
それに受かるのにセレクションを受けなきゃいけなくて。
入団試験みたいな。
そのために走っておかなきゃいけないなみたいな。
いい中学で陸上部に入り。
だから今は長い距離走ってますけど、そのときは全然短距離だったり。
ハードルをやったりとかそんな感じでしたね。
だからアメフトやりたいから陸上部に入ってたみたいな。
ジョン・モンタナってクォーターバックじゃないですか。
クォーターバックでもやっぱり総力っていうのは試される?
クォーターバックに憧れつつも、入団試験に受かるにはどうしたらいいかって考えて。
主に竹谷さんがやられてたのは何を?
結局高校でセレクションに受かり、
ポジション的にはランニングバックだったりとか、あとはディフェンス。
高校生の人数少ないんで両方やらなきゃいけないんですけど。
走るポジションですね。
中学校時代の陸上部が役立って。
そうですね。
ちなみに中学校時代、陸上部で記録は残されたんですか?
あんなに早くはなかったですけど、ハードルで県大会に行ったとか、そんなレベルだもんで。
中学生も110m?
110m。
なかなかハードルって、今見るとけっこうえぐい高さしてますよね。
けっこう高かったですね。
絶対超えられる自信がないですもん、あれ。
今となってはもう超えられない気がする。足が上がらないわ。
上がらないですよね。
じゃあ競技としてはハードルがメインで、ほかはちょこちょことかっていうわけではなくて。
あとは短距離、100mやったり幅跳びやったり、いろんなものは出ましたけど、
横浜市の大会でとどまっちゃう感じ。
短距離系がやっぱり強かったんですか?
そうですね。
100mは12秒ちょいとかでしたよ、当時はね。
リレーの選手とかに選ばれたり?
選ばれたりしてましたね。
じゃあ足早いんですね。
けっこう体もゴリゴリに短距離な側近系の体だったんですか?
あったんでしょうね。
僕はあれなんですよね。リレーの選手とか選ばれたことなかったですね。
人生で。
あっちゃんとかある?
自分は中3の時に、前ちょっと話したスウェーデンリレーっていう。
15:06
それ聞いててなんか思い出した。あったなと思った。
どんどん距離長くなるよね。
そうですそうです。
練習でさせられた気がする。
あれでも神奈川だけなんですかね?どうもわかんないですけど。
俺もわかんないけど。あったあった。
スウェーデンリレー?
はい、スウェーデンリレー。
誰かもツイッターでスウェーデンリレーの話はうちもあったって言ってましたけど、その方がどこ出身かはあれですけど。
東京じゃなかったな。
え?
神奈川だけなのかな?
もしかすると海に近い地域のツルミ川崎だけかもしれないですね。
確かにうちの子供、海に近くはないけど、そんな遠くもないけど、学祭とかでスウェーデンリレーって見ないね。
今もやってるかどうか知らないですけど。
確かにそうだよね。
中学校はアメフトをやるために陸上部に入られて。
そうですね。
クラブチームっていうのは高校の部活とはまた別のところに入られたってことなんですよね。
そうです。
じゃあ高校のクラブではなくてクラブチームに入るために、アメフトはやるときはクラブチームに入ったってことですね。
そうですね。
でも高校時代にアメフトやっちゃうと、成長期に激しいスポーツをすると怪我がなんちゃらとかよく言うじゃないですか。
でも肉離れとかはやっぱりありましたね。
そうですよね。
その3年間で何キロぐらい体重って増えたりしたんですか?
いやでも10キロいかないぐらいかな。そんなに筋トレとかも。首だけは鍛えたわけってわけで。
またアメフトってフォーメーションとかによっていろいろあるじゃないですか。動きみたいなのって。そういうのって覚えるの大変じゃないですか。
あれ全部覚えるんです。大変ですけど覚えましたね。
何パターンぐらいあったんですか。
やっぱり50近くはあったと思う。
50をすか。
それを数字とちょっとした言葉で全部、作戦会議みたいなのを一回一回するじゃないですか。それをもうほんと一言で終わらせて。
すげー。
クォーターバッグが指示をする感じですかね。
チームによっては監督から指示が出る場合もあるみたいですね。基本的にはクォーターバッグが。
18:01
確かにジョン・モンタラーは僕も知ってますからね。49ers。
49ersはサンフランシスコですね。
サンフランシスコ。
昔日テレで朝やってましたよね。
ちょうど学校行く前の時間ぐらいで。
半分朝が終わったぐらいですよね確か。
見てました見てました学校ギリギリまで行かずに。
僕の小学校の友達が高校にアメフト推薦で行きましたね。
高校にアメフト推薦すごいね。
そいつはめちゃめちゃ肩が強くて。
多分それで行ったんじゃないかっていう話だったんですけど、それで行ってましたね。
あれクォーターバッグって投げるんでしたっけ?
投げる。
そうですよね。
そいつなんか、俺が言ったわけじゃないんだけど、
頭悪いからクォーターバッグなんかできないんじゃないかって言われてたけど、
肩はすごい強かったですね。野球小学校行ってた時に。
野球やってて外野で肩が良かった記憶がありますね。
アメリカンフットボールのクォーターバッグは肩だけじゃ成り立たないかもしれないですね。
頭も必要なのかもね。
そうですね。裏を描いたり。
神奈川では法政二校とか強いんですかね。
法政二校と日大東。
横浜高校とか。私立ばっかりで。
行った高校は県立なんですけど、
行こうと思ってた学校にアメフト部がないかなっていうのがあって。
それって対戦とかするんですか、例えば法政二校とか。
いわゆる高校生のトーナメントとかに出れないんですけど、
練習試合とかではやってましたよ。
そうなんですね。
クラブチームはクラブチームでの選手権みたいなやつがあったみたいな。
当時高校のクラブチームが1チームしかなかったんで。
もともとそこが社会人のチームがあるところで、
アサヒビールシルバスターっていう。
有名なクォーターバッグがありましたよね。
高校のベースを増やさないと、アメフト人口が増えないっていうので、
作ったチームだったんで。
まだ歴史も浅くて。
3期目だったのかな。
アサヒビール、そういう活動もしてたんですね。
そうそう。アメフト人口増やそうって言って。
大学はそれぞれ大学に行って、また社会人になったら戻ってきてね、みたいな感じでした。
21:02
なるほど。
そうすると勝ち負けうんちゃらっていう裾野を開くためにクラブチームがあったんですかね。
そうですね。
じゃあそのクラブチームだと、いきなりクラブチームの全国大会みたいな感じになっちゃうんでしょうね。
クラブチームが1チームしかなかったんですよ、高校の。
じゃあ大会もなかったんだ。
大会はないけど、練習試合で高校とやったりっていうぐらいでしたね。
ちなみにその有名校との対戦成績ってどんな感じなんですか。
いわゆる法政2校とか、東京だと日大鶴ヶ丘とか桜庭高校とか、あの辺には負けてましたね。
横浜高校、鎌倉高校とか、あの辺には勝ったり負けたりとか。
そうなんだ。
僕の大学の友達がアメフトやってて、そいつは確か鎌倉高校だったかな。
鎌倉高校で、たぶん竹谷さんと年一緒のやつがいますね。
じゃあ同じグラウンドにいたかも。
対戦したかもしれないですね。
で、大学に進学されてもそのまま竹谷さんはアメフト。
アメフト推薦とかでもいけなかったんで、学力で大学を選ばなきゃいけなくて。
一浪して受かった大学が工業大学だったんで、アメフト部がなく。
そこでアメフト人生が絶たれるという。
まじですか。工業大学。
なんちら工業大学なんですか。
湘南工科。
ここはバスケ強いですね。
ここバスケ強い所。
テックですね。
湘南テック。
富士道にありますよね。
そこなんですね。
そうなんですよ。そこしか浮かなかったんですよ。
僕も工業大学ですけど、僕の大学ありましたね。アメフト部だから。
そうなんですね。
じゃあそのときはクラブとかに入られてもアメフトはスパッと辞めた感じなんですか。
そう。そのときにワンダーホーゲル部。また登山アウトドアに戻ってくるんですけど、ワンダーホーゲル部があって、
ワンダーホーゲル部に入り、またアウトドアに戻ってくるような感じですね。
自分の父親も大学時代ワンダーホーゲル部だったんですよ。
ちなみにワンダーホーゲル部ってどういう活動をするんですか。うちの父親に聞いてもちょっとよくわからなかったんですよね。
お世を歩くだけだっていう。
よくわかんないなと思ってたんですけど、竹谷さんはワンダーホーゲル部でどんな活動をしたんですか。
24:05
厳密に言うとよくわかってないんだけど。
そのとき部員も4人しかいなくて、上級生が1人と1年生が4人いただけなんですよ。
だから明確なワンダーホーゲル部とはこうだみたいなのは引き継がれず、やりたいことをただやってて、
それがワンダーホーゲル活動なのかどうかはちょっとわからないんだけど、
たんざん近いんで沢登りしてたりとか、登山アルプス行ったりとか、山登りとかね。
冬山とかも行かれたんですね。
冬山は行かなかったですね。
でもその沢登りとかもあれですよね。ロープ術とかなんかありますよね。
その頃もやっぱり体が覚えてて、モヤイフとかすぐそっと覚えてきる。
ちなみにワンダーホーゲル部って何を目的にしてる部活なんですか?
何なんだろうね。何なんでしょうね。
そうなんですよ。うちの父親に聞いてもワンダーホーゲル、よくわからないんですよね。
多分ドイツ語なんでしょうけど。
なんか多分本当はあるんですよね。
あるんでしょうね、きっとね。
調べたことがないのでわからないんですけど。
調べてくればよかったですね。
さすがに竹田さんがまさかワンダーホーゲル部とかっていう情報はちょっとすいません、私も調べきれなかったんですけど。
結構その部活は真面目にやってたんですか?真面目にやるっていうか、真面目にやる度合いってよくわかんないですけど。
いや、真面目にはやってないですね。
例えば夏にアルプスに行くとか、そういう活動はしてたんですか?
そういう活動はしてました。
してたんですね。
でも何せ1年生しかほぼいなかったんで、やりたいことをやってりゃいいよねみたいな。
部室が使いたかったっていうのもあり。
はいはいはい。
活動としては夏山に行って、あるいは宴会をするとかそういう感じだったんですか。それとも単純に住居を楽しむみたいな感じだったんですかね。
住居を楽しむほうですね。
主にどんなとこ行ったんですか?
でもね、実は2年で私大学を辞めまして。
そうなんですね。
そうなんすよ。
だから実際2年ぐらいしか活動してなく。
で、2年生のときも、一人でちょっと放浪に出てみたりとか。
じゃあ、大学を辞める理由が放浪するために?
そうっすね。
そうなんですね。
27:00
2年のときにバイクで北海道一周して、
もうこのまんまでいいかなみたいな。
大学はとりあえずいいかなって。
いいかなって。
もういいかって。
一回、さわのぼりも1年ぐらいしかしてないし。
じゃあ、ワンダーフォーゲルの思い出はそんなに1年ぐらいしかない。
そんなにないない。
そしたらその放浪の話があれですね。
そうですね。
その放浪は海外とか日本とかで言うと。
海外も、東南アジアは行きましたね。
タイに行ったり、マレーシア、シンガポールまでタイからバスで行ったり。
インドネシア行ったり。
放浪ってどれぐらいやってたんですか?
2ヶ月行って毎年日本に戻ってきてとか。
いう感じです。
それを何年ぐらいつってたんですか?
2年ぐらいやりました。
2年ぐらい。
ちなみに、最初に行った放浪先っていうのは。
北海道から帰ってきて、最初シンガポールに兄が住んでたんで。
兄が。
お兄さんが。
シンガポール行ってみて、また帰ってきてバイトして。
タイに行ってとか。
ちなみにシンガポールは、お兄さんのところからいろんな観光地を巡る感じだったんですか?
そうですね。初めてのときは観光地に回ったり、マレーシアにちょっと渡ってみたりとか。
明確にここにどれぐらい滞在してやろうとか、そういう感じではなかったですけど。
向こうで仕事とかバイトみたいなことはせずに。
海外ではしてないですね。
向こうで生活して、こっち帰ってきてバイトして、また行くみたいな。
ビザの範囲内で一応戻ってまた行くみたいな。
ちなみに放浪しようと思ったきっかけって、よくあるじゃないですか、深夜特急を。
まさに深夜特急だったりとか。
椎名誠の本を読んでたりとか。
ああいう系のものに影響されてますかね。
やっぱり動くものがあるんですね。椎名誠さんとか。
沢木孝太郎さんでしたっけ?
その手の本、学生時代に読んでたら人生変わったかもしれないですよ。
ちなみに結局何カ国ぐらい行ったんですか。
さっき言った国と、最後沖縄に自転車で行って、自転車で本島を行ったり、
30:08
石垣島まで、当時まだフェリーがあったんで、石垣島からいろんな離島に回ったり。
海外的にはシンガポール、タイで、あとは沖縄。
マレーシア。インドネシア。
じゃあ基本は東南アジアばっかり。
その辺で面白かったエピソードとかってあります?
当時もう宿が安くて、一泊120円とか。
ベニヤでただ仕切られてるだけとか。
朝起きて、屋台で40円ぐらいで飯食えて。
滞在費はむちゃくちゃ安かったですね。
タイからマレーシア、シンガポールまでバスで全部、路線バスで行ってみたりとか。
でも読めないんですよね、タイ語が。
マレーシアとか入ってくると、ちょっとアルファベットに近くなってくるんですけど、文字が。
タイ語はもうほんと全く読めなくて、指差し確認しながら。
これここ行くよねみたいな、運転手に聞きながら。
食べ物とか困らないですか?
例えば屋台に入った時に、何書いてるかわかんないから、何出てくるかわかんないじゃないですか。
指差してました。
指差して、でも何が出るの?って。
でも基本ね、一箇所の屋台が、もう一個のメニューしかないんで。
焼きそばの屋台だったら焼きそばパッタイとか。
ご飯の屋台だったらご飯のものが出てる感じ。
なんとなく見て、これはこういうものが出るんじゃないかっていう。
そう、予想のもと。
それが極端に甘かったり、極端に辛かったりっていうのはありましたけど。
甘いご飯かよみたいな。
でもその、宿に泊まるにしても、値段交渉は書いてあんのか。
その辺は大丈夫だったんですか?
値段交渉よりも汚さが、結構まちまちだったんで。
チェックインの前には部屋見せてもらうようにしました。
先に見せてもらって?
そうそうそうそう。入れさせてもらって。
そうっすよね。変な虫に刺されたとか言っても病院に行くにもいけないですもんね。
前回のマイさんもいろいろ海外で盗難に遭ったりとか言われてましたけど、竹谷さんもそういうトラブルはあったんですか?
33:02
盗難はなかったけど、一番最初に行ったときは、なぜかトラベラーズチェックって。
はいはい。PCってやるやつですね。
そうそうそう。
持ってったんですよ。
そっちの方が安全だって、歩き方に書いてあったんで。
そしたらもう山置くすぎて、マレーシアで。
なんだこの髪切れって言われて。
結局監禁できなくて。
で、たまたまドル、ベイドルも持ってたんで。
ベイドルなら監禁できて。
っていうのがあって、トラベラーズチェックはあんまり意味ねえなみたいな。
盗まれても確か安心と言えば安心ですけども。
そうですよね。
あまり田舎に行くと使えないっていう。
じゃああれですね、地球のあの引き方を全て信じちゃダメだよっていう言葉があるわけですね。
で、2年間放浪されてたっていうことですけども。
そうすると、大体大学卒業するぐらいには日本に戻ってくるというか。
そうですね。
そこから就職するというか、やっぱりまだ違う方向に行くというか。
で、沖縄行った時に、周りの高校の友達たちが就職をしだして。
ふと割れに帰って、このままじゃいけないなと。
これはまずいぞと。
早かったですね、気づくの。
重い。
で、お世話になってた自転車屋さんに、そのままアルバイトとして入りました。
そうなんですね。
横浜にあるマイクスっていうアウトドアショップがあって、そこにアルバイトで入って。
自分もマウンテンバイクでそうやって旅してたんで、マウンテンバイクブームにも乗っかって。
有名なお店にだんだんなってきて。
マウンテンバイク業界というかですね。
アルバイトから契約社員になりとか。
徐々にステップアップもその中で。
竹取さん自身は、例えばマウンテンバイクでもディレイラーの調子がなんちゃらとかいろいろあるじゃないですか。
そういうメカニック的なところね。
でも結構そこらへん機械が触るのが好きな方だったんですか?
今でもできますよ。
あ、そうなんですね。
1から組み立てろって。
今組み立ててますからね、自転車屋さんで。
あれ結構リアディレイラーとかもちょっと違うとうまく噛み合わないとかいろいろあるじゃないですか。
そこらへんも調整したり、スポーク回しを。
それを務める前からやってたんですか?
そこのアルバイトで技術を学んだって感じなんですか?
ある程度、ツーリング行くのに、
ツーリングというか旅に出るのに修理ができた方がいいなっていう認識はいたけど、
36:00
しっかり直せるようになったのはアルバイトの時。
じゃあそこで経験を積まれて、
あとはトモさんからも聞いたんですけど、
MAVICっていうのはその後に入られる?
そこで入って結局ね、そこの自転車部門のバイヤーというかバイングできるぐらいのポジションにまでなりまして、
給料が低かったんで。
あとMAVICで人が募集してたんで、入らないかって声かけてもらって。
そこからMAVIC。
MAVICってツールドフランスとか、黄色いMAVICカーってやつですよね。
そこでもやっぱり主にマウンテンバイク?
それとも関わらず自転車っていうカテゴリー?
やっぱりMAVICといえばツールドフランスがあって、
ロードバイクの方がメインで。
黄色い車にも乗ってましたし。
そうなんですね。
業務もしてましたし。
MAVICの時に海外とかに行かれたのは、ほとんど日本のロードレースだけ?
日本のロードレースだけでしたね。
日本のその頃のロードレースって誰だろうな。今だとアラシロさんとか。
アラシロさんとかも、ベップ君とかはいましたね。
あとはドイさんとかですかね。
昔鈴木真理さんとか。
詳しいね。
自転車も意外と好きだったんで。
じゃあ結構国内のレースもMAVICに乗って、竹谷さんも参加されて。
でもマウンテンバイクしか知らなかったまんま、
いきなり連れてかれたのが、日本最高峰のジャパンカップっていうレースで。
ジャパンカップ、はいはい、ありますね。
車用意する?とか聞かれて、いや大丈夫です。
クイックレリースって、車輪を簡単に止めるレースなんですけど。
あれ、あんまり占められるよなって言われて、できますよ。
じゃあ乗ってって。そのまんまジャパンカップに連れてかれて。
ジャパンカップ。
入社する前にアルバイトとして連れてかれて。
ロードレースって、いろいろ作戦とかチームとかあるよね。
そんなの全く予備知識がないまんま連れてかれ。
もうわけもわかんないまんま。
そのMAVICカーの後ろにメカニックとして乗せられ。
パンクした選手の車輪を変えて。
走って、リサーチして。
その時有名だった選手が、キャノンデールにクネゴっていう。
クネゴ、はい。
ジロディータリア優勝した年かな。
39:01
時の車輪を変えました。
素晴らしいですね。
素晴らしいけど、その素晴らしさが当時わかんなかったからね。
まだマウンテンバイクしか知らなかった。
もしかしたら、サガオンはまだその頃マウンテンバイクの選手だったんですか?
サガオンはまだその後ですかね。
その後かな。
クネゴの自転車が描かれてはすごいですね。
今となってはそうですよね。結構ジロイも優勝しましたし。
ビッグニュームの選手の人ですよね。
じゃあ結構そのMAVICでは貴重な経験というか。
そうですね。
あとマウンテンバイクの方もオリンピック代表のメカニックとして、
オリンピック代表選考のレースのメカニックとして、
MAVICのユーザーの車輪を全部直したりとか。
へー。
MAVICってあれフレームだけなんでしょ?
自転車ブランドではないですよね?部品?
自転車ブランドではないです。
部品なんでしたっけ?ある程度は。
ホイールを直してて。
ただニュートラルサポートっていって、
本来チームカーっていうチームの車が走るんですけど、
メカニックとかも。
選手と選手の間隔が何十秒か開かないとその車が入れないんで、
その間はMAVICが全員の選手を見ましょうっていう。
誰か自転車壊れても直しますよっていうようなポジションで。
それはMAVICのホイールを使ってるとこも関係なく?
関係なく。
競合他社の車輪でもその例にあったギアが付いてるやつをちゃんと付けてあげて。
全く余談なんですけど、僕の親父があれですね。
日米富士ってわかります?
日米富士って富士の前か?
富士の前ですね。そこで仕事をしてて。
僕がガキの頃から日米富士のチャリばっか乗ってましたね。
いまだに僕マウンテンバイク乗ってるんですけど、
マウンテンバイク乗ってるというか、
単純に家にあるチャリで活用してるやつが一応日米富士のやつですね。
今だとピストとかで有名ですよね。
日米富士ですね。
マビックカーが一役有名になったのはおととしでしたっけ?
ツールドフランスでクリス・フルームが汽車の車にぶつかって自転車が壊れて、
マビックカーに乗ってあったら自転車に乗ろうとしたけど、
靴のところが合わないで走っちゃったっていうのがありましたよね。
最近だとマビックカーが一番。
42:01
ペダルが合わなかったみたいな。
ルックだったみたいなんでシマノじゃなくて。
それはなんかありましたね。
それはあれだよな、ペダルビンディングだっけ?
ビンディングが合わないですよね。
シマノ型といくつかあるんだよね。
ルックがある。
ルックで合わなかったって話だよね。
でフルームが走ったんですよ。
でもタケタニさんを、トモさんにもタケタニさん今回ゲストなんでっていろいろお話ししていく中で、
いやーでもちょっと羨ましいですね、このマビックの後が。
この後スントに行かれて、サロモンに入られて、今ニューハレに。
タケタニさんサロモンも入ってるんですかっけ?
厳密に言うと入ってない。
厳密に言うと入ってないんですね。
スントとニューハレ。
アメアと合併するときに、前がサロモンテーラーメイドっていう会社だったんですよ。
テーラーメイドって。
ゴルフの。
ゴルフの、はいはいはい。
サロモンテーラーメイドっていう会社から、サロモングループだけアメアに買収されたんですよね。
ここでこんな話をしてもあれだけど。
あっちゃんフーンって言って俺よく分かってねえんだけどさ。
マビックってもともとアメアじゃなかったんですか?
マビックはもともとサロモン。
あーもともとサロモン。
マビックがサロモンなんですね。
で、サロモンとマビックのところがアメアに買収されたっていう。
そうそうそうそう。
そういう話なんですね。
そこからでもいろいろと、ちょっとトレラン寄りになっていくっていう感じなんですね。
そのタイミングで、スントに人がいなくて。
で、お前ボイスカートやってたよね。
そんな理由なんすか。
だってスントって、スントかそっか確かに。
スントってもともと。
コンパスメーカーだから。
コンパスメーカーですよ。
あーそういうこと。
そうそう、地図読めるよなみたいな。
その社内のその情報って誰が鍵付けるんですか。竹谷さんがコンパス読めるよみたいな。
いやーどうなんだろうね。
一つ手で聞いてくるんですかね。あの人コンパス読めるみたいな。
いやいやいや。どうだろう。俺も手挙げたのかも。
何も覚えてないけど。
あれガーミンが大根でしたっけ。あれ違ったっけ。GPSFでしたっけ。
ガーミンはカーナビ。
カーナビ。でスントはコンパス。ポラールは新覇系ですよね。
そっからスントですね。
地図読めるからちょっと来ないみたいな感じだったってことですね。
45:04
そうですね。マビックも人が増えてきたし、結構安定してたんで、
人いないスントのほうちょっと頑張ってくれるみたいな感じで。
そこからスント、竹谷さんが入られたときはGPSウォッチは作られてたんですか。
まだないです。
まだなかったんですか。じゃあ完全にどちらかというとコンパス。
新覇系がちょこっと出てきたぐらい。T6っていうモデルがあって、
フットポットっていう靴につけて距離を測るようなやつとか。
そういうのもあったんですね。
ちなみに竹谷さん何年ぐらいにスントに行ったんですか。
2009年とかかな。
2010年以上。
アンビットが出たのは2011とかですよね。
あんちゃんアンビット知ってる?
アンビット知ってます、はいはいはい。
アンビット3使ってましたね、自分。
アンビットが最初にGPSを内蔵した時計みたいな感じだったのかな。
外見でいうとX9とかあったんですけど。
耐久性、バッテリーが全然持たなかったりとか。
バッテリーの持ち替え、ウルトラに対応したっぽいのがアンビットみたいな感じでしたよね。
僕も持ってました、アンビット。アンビット1も持ってましたね。
その頃確かにどの雑誌見てもアンビットがいいじゃないですけど、おすすめみたいな感じで自分も初めた頃見たことがありますね、トレランを。
誰に言ってもアンビットがいいって感じでしょうね。
今でもアンビットって良かったですよね。
良かったよね。
良かったと思いますよ。
僕結構使ってましたからね。2018年とかUTMFアンビット使ってましたね、確か。
それ多分ちゃんと田中さんがGPSウォッチ使いこなせてるからね。
いやいや、そんな使いこなせてなくてもアンビットは良かったよ。色々カスタマイズもできたし良かったなと思って。
今でこそ当たり前だけど、画面を自分の見たい配置ができたりとか、そういうのが当時画期的でしたよね。
でしたね。逆にスパルタンとか9になってから劣化しましたからね。
個人的にはそう思いますよ。アンビット良かったですよね。
2011年にアンビットのファーストシリーズがさっき出たって話だったんですけど。
そのぐらいから竹谷さんもトレイルランを始めた?
48:01
トレイルラン自体は移動してすぐに、石川裕樹さんがアンバサダーで、一緒にイベントをついてきてくださいみたいな感じで。
今までそんな長距離も走ったこと、短距離しかやったことなかったのに、長距離でしかも山を走るってどういうことでしょうみたいな状態のまま連れて行っていただき、色々教えてもらいながら。
でも当時のお客さんについていけないぐらいな感じで、色々教えてもらいながらやってました。
多分トレイルラン、創世紀でもないんですか?
ではないかな。ちょっとあれだよね。
経ったぐらいかな。
かぶらぎさんが、2009年だとモンブランで3位だったのかな。だから盛り上がりつつあるみたいな感じで。
石川さんはもちろんその中ではすごい先駆者だったなと思うので。
そのときに石川さんと知り合った感じなんですか?
そうですね。
あれですもんね。竹谷さんと石川さん、年一緒ですもんね。
同い年。
あ、そうなんすか。
ってことは、さかな君とも同い年。
さかな君とも同い年ですね。
そういうことですね。
あとなんだっけ、ドラッグドラッグの鈴木隆。
あと室強さんと同級生なんですか?
室強さんと同級生ですね。
それFacebookで見て、あ、そうなんだと思いました。
室さんも46ですね。
豪華ですね。トレーラーを始めたばかりに教えてもらうっていう方もあるんですけど、一緒に走ったのがひろきさんとか。
車内のイベントで、スンとかがスポンサーとしてたんで、マダラを。
それこそトモさんとデビュー戦が一緒なんですよ。
ポッドキャストで聞いたことがあります。
当時15キロの短い方に、プリコの方と3人で出て、真の思いで帰ってきて。
あれ、トモさんがまだちょっと大きい頃ですか、その頃って。
大きい頃。
ですよね。
ダイエット企画どうのこうのって言ってた頃に、じゃあ最後の7名はトレランだなみたいな。
その辺からトモさんと知り合った感じなんですかね。
そうですね。
もともと事業部が違いますもんね、お互いいた。
でも全然車内で飲んだりはしてたよ。
あ、そうなんですね。
でも徐々に会えば会うほど痩せてくから、ちょっとびっくりしますよね。
翌年にはもうOSJ全選出るって言い始めてさ、トモさんがね。
51:03
それ何人ぐらいだったの?
それ2011年とかかな。
全選出てましたよ、トモさんは。
トモさん実質、1年で何キロぐらい。竹谷さんに聞くことではないけど。
相当、人一人とは一カワイくらい痩せたってことですよね。
そうですね。
前からガッチリはしてたから、そんなにみるみる痩せていくっていうイメージでもなかったから。
たまに会うと、あれ痩せたって感じになるから。
そう考えると、スントの勤め時代はなかなか楽しそうな感じっすね。
やっぱ刺激のある人が強そうな、多そうな感じがしますね、スントは。
2015年に確かヒロキさんのUTMBのほうもサポートで参加されてると思うんですけど。
これはスントとしてサポートに行かれたんですか?
職種が営業職だったんで、仕事として行けず。
たまたまマイルが溜まってたんで、プライベートで。
現場も見てみたいしっていうので。
行きました。仕事関係なく。
本当にプライベートで?
そう。
あくたさんもいらっしゃったじゃないですか、写真見ると。
そこで今のニューバレーのあくたさんに出会ったっていう感じですか?
出会ってはいたんですけど、長く滞在したっていう感じですね。
やっぱりMBは違いましたか?
MBは違いましたね。
自分は走ってはないですけど、現場の雰囲気とか景色とか、スタートゴール地点の雰囲気は違いますね。
ちなみに石川さんってどこまで行ったんでしょうっけ?
コンタミン。
最初の会えるポイント、サポートポイント。
もともと肉離れをしてて、再発したっていう感じでしたね。
今度30キロ地点ぐらい?
もうちょっとあるかもな。
もうちょっとあるかな。
そこでふくらはぎの故障で終わられる。
じゃあ、あとはあれですか。
MBを観戦というか。
そうですね。
まだ総太さんとか大瀬さんがサロモンの選手だったんで、同じ会社だし、そのままサポートして、その二人をサポートした感じですね。
54:16
会社的にお金出してくれないのって、なんでだったんですかね。
職種が違って、マーケティング部じゃないから。
そういうことですね。
お前行くなら、自秘で。自秘でというか、プライベートだよっていう。
いいプロモーションになると思うんですけどね。
そうですよね。
逆に石川さんだけじゃなくても大瀬もいたし。
小原さんも参加されてたんですよね、この年って確か。
聞きましたね。
土井さんもいたんじゃないかな。
土井さんもいたんじゃないかな。土井さんは結構いい走り者じゃなかったのかな。
11位だった気がしますね。
そうだよね。よく知ってるね。
今、ドックソがけアルバムのその時の記事をちょっと見てて。
本当に?
取れられに詳しくない僕が、田中さんこんなの知ってるはずないですよね。
大瀬がベップさんと一緒に走ってたんじゃない、確か。違ったかな。
ベップさんじゃなくて、九州の方。
九州の方?野本さん。
野本さんとずっと引っ張られてました、野本さんに。
数々のレース見られてきて、中でも竹谷さんのUTMBは別格感はやっぱりありましたね。
ありましたね。
そもそも第1回のUTMFからサポートをいろんな選手にして、アダムキャンベルのサポートをしたりとか。
あっちゃんアダムキャンベル知ってる?
知らないです。
知らねえか。
ないだったでしょ。
アダムキャンベルですか。たぶん上位じゃないですか。
そうだね。
あれですか、フェイスブックで一緒に写真撮られたじゃないですか、竹谷さんが。
そうそうそうそう。
なんか見ました、その写真は。
さすがフェイスブック見返して。
その時は2位だったの。
あ、2位だったんですね。また勉強になりますね、アダムキャンベル。
でもサポートできるレースなんて日本でなかったから、何していいかわかんなくて。
しかも当日サポートしてくれって言われて。
結構あれですね、無茶な要求が竹谷さん多いですね。
当日、サロモンチームの外人の監督みたいのがいて、やっぱり車3台出してくれとかいきなり言われて。
あれはブース出店で、ブースで待ってる手で準備をしてたから、何の準備もしてなくて、心の準備も。
57:03
いや、車は出しますけど何したらいいんですかね、みたいな。
まあ、そうですよね。
いう感じで、キョトンとしてましたけど。
とりあえず俺が言うもん出してくれればいいから、みたいな感じで。
ハンドボトル、両手にハンドボトルでいくんですよね。
片っぽ水で片っぽコーラで、毎回エイドが。
それしか取らないんですか。
ジェルはこれ並べといてくれれば勝手に取ってくから、みたいな。
サポートとしては手はやりやすい。
そうですね。
一生疎通もそのときできず、とりあえずこれとこれだけ用意してくれればいいわ。
アダム・キャンベル時代もあのとき初100マイルだったんですよね、UTMFは。
そうですよ。
天使山地降りてきたときに、水がなくて泣きながら降りてきて。
泣きながら。
ウォーターって叫びながら降りてきて。
NHKの見ましたよ、UTMFのドキュメンタリー見て。
アダム・キャンベルが泣いてんのよく覚えてましたね。
やべ、泣いて降りてきた。
アダム・キャンベルのとこ来るより先にオフィシャルエイドのほうで水もらってた。
相当カラッカラだった。
そこからもモトスコのロードをずっと泣きながら走ってました。
その泣いてんのは何の泣きなのか。
たぶん初100マイルで相当つらかったんじゃないですかね。
でも結果は2位だったと。
モトスコは30キロぐらいありますよね。
そこで水は補充できたんですけど。
水を越えても足が痛いとかなんかいろいろあったってことなんですかね。
3位がヤマケンでしたよね。
4位がモッチで。
ハイカロリーのものをいろいろ並べてたんですよ。
そしたらゼロカロリーって書いてあるこんにゃくゼリーが転がってきて。
食物炎たっぷりって書いてある。
ゼロキロカロリーこんにゃくゼリー。
当時モチ好きさんを小川総太さんがサポートしてて。
これ誰んだよ。ゼロカロリーって書いてある。
あ、これモチ好きさんので?とか言って。
モッチゼロキロカロリー食って大丈夫なの?みたいな。
嬉しそうに、喉越しがいいんでいいんすよ。
なんでもいいんすよ。
食べてました。
下手したら喉に詰まってたまにおじいちゃんおばあちゃん死んじゃうやつ。
それ以来、山の強い人はなんでも完走できるんだなって思いましたね。
1:00:05
そんなことないと思いますけどね。
もうちょっと上位いけたんじゃないですかね。ハイカロリーとってれば。
モチ好きさんからしたらTDTの永遠のゼロキロカロリーエイドでも全然いけるってことですね。
喉越しがよければまたもいける。
なるほど。やっぱいいっすね。サラリーランとしてちょっといいっすね。竹谷さんの生活。
いいかどうか竹谷さんからしたらあれかもしれないですけど。
いろいろ経験をさせそう。好きなことで。
それはいいっすよね。
ちなみに羨ましい?
羨ましいっすよ。ニューハレーに入られた経緯の大さんの、竹谷さんの取材みたいなのを見ましたけど。
ニューハレーに入った経緯も、住んでる図志早山が良くて今の会社に転職決めましたって言ってましたからね。
そうね。
素晴らしいですよね。
通勤時間が長かったんで。
あれって、同じぐらいのタイミングで引っ越したんでしたっけ?今の住んでる場所に。
いや、先に引っ越してて、そこから通ってましたよ。
じゃあその後に、芥田さんからの誘いで。
いわゆるフランスUTMBのときに、そういう話になり。
慈悲で来てんの?みたいな話になり。
僕も友さんに聞いたんですけど、竹谷さん、仕事で行ってるんですか?みたいな話をしたら、慈悲で行ってるって話で、マジかよって思って。
そのときの当時の寸都が、高級時計路線に振っていくみたいな話になってて。
ブランド全体が。
高級時計ってなんだよみたいな。
でもスポーツはほとんどやっていかないよみたいな話になってて。
でも営業としては、スポーツありきで高級なものも売れんじゃねえの?みたいな気持ちでいたんですけど。
そういう方向性の違いもあり、通勤時間も投げると思ってるのもあり。
投げよっていうのも。
ニューハリだったらまだ現場に出れるし、選手にも携われるし。
でもちょっと、シミっぽい話だけど、寸都は路線をちょっと誤りましたね。
どうなんでしょうね。
どうなんですかね。トレーナー初心者の僕はそんなこと言えないですけど。
踏みとどまれなかったですね。絶対スポーツやったほうがいい。
1:03:01
本社がそういう方向性気にしちゃってたんでね。
なんとなく今もう中途半端になっちゃいましたね。突き抜けてれば終わったらいいと思うけど。
高級路線って最近スマートウォッチとかそういう方でもないんですよね。
そうなんですよね。これ以上言うとあれなんであれなんですね。
大丈夫より関係者じゃないんだから。
いやーでもお話を伺ってると、いいタイミングでいろんな人から声がかかってこないっていうのが。
そうですね。ほんとありがたい。
やっぱすごいなって。竹谷さんのためにひどがらもあると思うんですけど。
絶対自分そんなのないですからね。
わかんないよ。これからの人生。
ないですよ。
のっかであることを願いながらちょっと仕事しようかなと思います。
ちょっとしみったらダウンになってきちゃって。
で、徐々に徐々にTDTよりのお話をさせていただきたいと思うんですけども。
竹谷さんがそのTDTのプロジェクトを携わったっていうのは、大体何年くらいから携わることになったんですか?
どうだろう。イベント化する前に、いつも立ち寄ってた府中あたりのコンビニが潰れちゃったんですよね。
そこでサポートが欲しいなっていう話で。
まずそのときはまだ横浜住んでたな。そこに営業を出しに行ったりとか。
だから何年かわからないけど。
イベント化される前ですね。
いや2015年じゃないですか。2015年の春じゃないかな。あれですよね。
コンビニがなくなったか、あれか。
ワイズロードン。
ワイズロードンですよね。
そこで友さんとかに言われて、竹谷さんが。
同じ会社だったんでね。
お手伝いとか。
夜だけ行くわみたいな。
でもそれが2015年なんですね。
いやもっと前じゃないかな。
2014年とかもあれだな。確かになかったかもしれないですね。もしかしたら2014か。
2014年は田中さんもTDTを走られて。
2014年のとき初めて走ったわね。
じゃあ竹谷さんとはその前から面識は田中さんは。
ないない。
そこで初めて。
そこで初めてだけど初めましてとかっていう。
言うなに対してさ。
1:06:02
まあそうですよね。
スープあるよとか。フルーツあるよみたいな。いわゆる営業のサポートをしてたからね。
2014年ぐらいから携わるようになっていて。
一番最初の冒頭で話した、竹谷さんのサポートをしたお話をちょっとしたいんですけども。
これ2016年でまだTDTが2回やってるときですよね。春と秋の4月に、竹谷さんのTDTのペーサーで約31時間55分のペーサーされたと思うんですけども。
私も精通ながら竹谷さんのペーサーTDTでやらさせたことがあったんで。
フェイスブックにも竹谷さんが書かれてましたけど、日中の高水、水がなくなったって書いてたじゃないですか。
あれ12時間前ぐらいに出るじゃないですか、選手たちの。日中多分高水入っちゃダメだと思いません?あれ。
ね、ほんと。
あれほんと水なくなりますよね、あれ。
自分たちの。
アドベースで言っていいかもわかんないしさ。
あれ結構自分も奥村君と一緒に行ったんですけど、水がなくなっちゃいまして、高水にあったホースをパッと引き抜いてそこから水出しました。
これが水当たりになるかどうかわからないんですけど、取らないとみんな死んじゃうっていう。
でも水がねえって言ってさ、連絡きて水ここにあるよって連絡しなかったっけ?
そこまでもうちょっと距離あったんですよ。
高水のその前にホースがあるってどこにホースがあったの?
えのき峠のちょっと中にホースがあったんですよ、黒い。
えのき峠のちょっと?
たぶんこれわかんないですけど、自分が山の中に入っててホースがあって、そっから水が漏れているのを確かめて、
おっくん水あるよって言ってポッて抜いたら本当に水が出てきて、これ飲めるかどうかわかんないけど、一応何があったかわからないから入れてこうって。
もしそこまでにもうダメだったらこれ飲もうって言って、結局飲んでも何もなかったんで、たぶん普通の水だと思ってたんでよかったんですけど。
でも知ってる?あのえのき峠からちょっと下に行くと自販機あるんだよ。
そうなんですよ、あのロード出るじゃん。
ちょっと下に、まあ1キロいかないよ、たぶん数百メートル行くと自販機あるんだよね、確か。
あ。
まあそれはいいや。
そうだったんですよ。
はいはい。
なるほど。
竹谷さんはあれですよね、最初はちびっ子と一緒に走って、あれちびっ子もずっと一緒に居たんでしょうっけ?
1:09:00
ちびっ子はね、帰り。
帰りだけ?
うん。
じゃあ最初から。
行ってから行ったのは俺だけ。
二人だけ?
うんうん。
あっちゃんどうですか、その辺は。
その辺ですか。いやー竹谷さんメンタル強えなぁと思いますよ、やっぱり。
二人っきりだよ。
素晴らしいですね。
もう老いたちからずっといい気に聞いてったからね。
ですよね。私もそうでしたもん。
どこどこ生まれで、戦時中はどうだみたいな。
ちっちゃい頃はスキーをやってとか。
ふわたりぐらいの話はすごい聞かれましたね。
で、立川ぐらいまで着いた時に、全然補給をしないのよ。
まさに一緒っす、自分とそれ。
それは怪しいなと思って、ちょっと竹谷さんなんか食べませんかって聞いたの。
そしたら、あ、僕胃が半分ないからお腹空かないんだよとか言って。
デジャヴなこと言いましたよ、それ。
前もって言ってくださいよ、みたいな。
俺がフラフラですよ、みたいな。
で、もう本当に強制的に止めて、持ってたおにぎりを食べさせたというか、食べていただき、
ねえ、ちゃんと食べなきゃダメですよ、なんつって。
思い出してきましたよ。
乾燥塩トマトは出てきませんでしたか。
乾燥塩トマトはわかんねえわ。
本当ですか。
竹谷君、結構いろいろ持ってた。バナナとかおにぎりとか持ってた。
何か食べないんですかって。ちょっと暑かったんで。
塩トマトがあるんで大丈夫ですって言って出したのは、ポケットからそのまま乾燥したドライトマトを出して食べてたっていうのがあって。
しかもそれすげえ、本当に桜もバレに散っちゃうんですよ。
補給にもならないんじゃないかなと思いながら。
いろいろ心配になりながら見てましたよね、あれは。
いろいろ心配になるよね。
なりますなります、本当に。
鉄道公園前のファミマ。
その後、普通に牛丼?コンビニの。
あれすげえ頬張ってて、
あれこの人胃が半分ねえんだよなと思いながら。
こんなに食って大丈夫なのかなって逆に心配になって。
見たりとか。いろいろ心配でした。
Facebookでタクシーの場所を調べたりコンビニの場所っていうのはすげえわかりますね。
本当に何かあったら。
タクシーと病院の場所は全部調べてきました。
ちょうど玉川水の保育園か何かにAEDがあったんですよ。
そこの場所もちゃんと覚えておいて。
1:12:01
もし何かあった時に一番近いのはあそこなんじゃないかみたいな。
考えれば考えるほどいろいろ心配になるじゃないですか。
高水行った時も水がないし、もしここで月岡さんが倒れるようなことがあった時、
俺らは殺人放逐とかに囚われるんじゃないかとか、
すげえいろいろ考えてたんですけど。
でもやっぱり乾燥したいという強い気持ちは全然揺れ動かない方だったんで。
負けず嫌い。
そうですね。
その部分はすごいなと思いました。
竹谷さんの時は高水山パートは近藤みどりさんと一緒に走られてましたよね。
すれ違ったんじゃないかな。
一緒じゃなかったでしたっけ。
一緒じゃなかった気がする。
その時ちびっ子がいたかな。
ちびっ子はたぶんいましたよね。
いたね。そこで合流したのかな。
何人か結構大勢いたなっていうイメージはあったんですけど、
あっちゃんの時はずっと三人で、奥村君と三人で。
そうですね、三人で。
夜パートになって、ちょっと奥村君が眠くなりそうになったりとか、
月岡さんが眠くなりそうになったりとかっていうのをいろいろ見て、
月岡さんが食べながら寝てちょっとやべえなと思った時もありましたけどね。
急に動きが止まったんで。
あとトイレから出てこないとか。
どうする、怖いね。
それ怖いね。
怖いですよね。
ただトイレからゆっくり出てきた。
この気持ち、誰か他にも分かっていただきたいなっていうのが。
今日ちょっといろいろ竹谷さんとお話ができて、今すごく分かりました、これは。
読んでて共感しかしなかったですよ。
本当に。
本当にフラフラでしたね。
いやー、そうでしたね。
だって行きの時点でさ、80年分の話は聞いちゃってるわけですよ。
そうですね。
12時間ぐらい経ってるでしょ。
1時間55分ですね。
帰り、80年分聞いちゃったし、何喋ればいいんだろうみたいな。
こっちもちょっと無口になるとフラフラしだして、夜だし。
そうなんですよね。帰りがまた、竹谷さんが全然ご飯を食べないで。
増える場所もないから。
ゴミもないし。
エイドがまだないんですよ、その時間が。
スープエイドもないし。
ないですね。
他の、誰かしらニコタマに一人いらっしゃったかな。ぐらいな感じで。
エイドが間に合ってないというか。
そうですね。
想定されてないから。
ニコタマかガス橋ぐらいしか間に合わなかったのかなと思って。
結構きつかったっすね。
その分背負っていかなきゃいけないもんね。
そうですよね。
1:15:00
確か自分の時は靴がロード用とトリール用の二足を、竹谷さん呼びされてましたけど。
竹谷さんの時は、ザックに入ってんじゃんって。
竹谷さんの時はそうだったんですか?
いや、ザックの中を改めなかった。見なかったな。もしかしたら入ってたかも。
ですよね、たぶん。その可能性高いと。
で、これが4月ですよね、やられたのが。
で、今度ご自身が同年の11月に初めてチャレンジということで。
ただし、残念ながら83キロ地点でDNFをされてしまうと。
これ大体どのあたりですか?83キロ地点って。
帰りの絵の木峠ですね。
はいはいはいはいはいはいはい。
これも足が痛いとのことだったんですけども。
怪我かなんかですか?
足の裏がもう尋常じゃなく痛くて。
これはこのまんま行ってもロード走れないだろうなと思って、早めな決断をしました。
あんときはまっちゃんも一緒でしたっけ?
うん、あんときね、板式さんっていう方が同じ場所で辞めてて。
あ、じゃあプロジェクトメンバーだと。
走ってたのは誰だろう。
竹谷さんぐらいだと思う。
そうかも。
板式さんは覚えてねえな。
一緒に辞めよっかって。
辞めちゃいましたね。
そっからまた、今回のドミさんじゃないけど、あそこから帰るのが大変で。
そうですよね、絵の木だと。
20号降りて、20号ひたすら歩いて戻って、かなり遠回りで。
これそのままヤバく入ったほうが楽だったんじゃないの?みたいな感じで歩いてましたね。
確かに、あそこ、そうですね、そっちの方が楽かもしれないですよね。
田中さんは16年はやっぱりあれですか?
同じく、いつものように。
俺はね、この時はね、あそこだけ多分、多めパーツだけじゃないかな、走ったの。
じゃあその足の痛い竹谷さんも黙認されて。
カーッと見てたかな、多分。
だから、結構スイーパー的なことやってたんだよ、大宮のところは。
黒ちゃんもいた気がするんだよな。
いたじゃん。で、一緒に走って、竹谷さんが辞めるっぽいって言うんで、先に行っちゃったみたいな、そんな感じですよ、多分。
大体僕ぐらいになると、この人ダメだなって大体わかるんでね。
1:18:03
田中さんどこの地点でわかるんですか?この人ダメだなって。
大宮入る時だね。
鉄道公園ぐらいでもわかるんですか?
鉄道公園ぐらいではダメだなっていうのはわかるかな。
ただ、今回のTDTで言うと竹谷さんは行けたんじゃないかなって気はしましたけどね。
じゃあちょっと今出たんですけど、今回2度目のTDTを竹谷さん挑戦されたわけですけども、
サブ24にはならなかったと。
はい。
今、田中さんから出ましたけど、コールできたんじゃないのかなと思われたそうですが、今回はいかがでしたか。
前半の府中の時点で、人に言われるまできつかったんですけど、着てるもんが潮だらけで。
あ、そうだったんですか。
長袖を着てて、あ、そうなんだって思ってみて、気づいたらそっから先は足つってましたね。鉄道公園まで。
あ、本当ですか。
歩いたり走ったり歩いたり走ったりっていう。
まあ、暑かったっすよね。
暑かったんです。でも風が冷たかったからそんなに実感はしてなかったんですよね。
でも結果、そういうこと。土曜日そんなに暖かかったっけ?なんかすげえ寒かったイメージがあるんですけど。
いや、暖かかったよ。走ってる分には。
ペース的には特に早かったとかわけではなかったってことですか?ただ暑くて、やっぱり水分取らなかったらって感じなんですか?
今回特にそんな馬鹿みたいに早いってことはなかったですよね。
なかったです、全然。
まあでも塩が出てたってことは、思ってる以上に汗の量が。
もともと汗かきなんですけどね。
体感してない分。今回特に寒いって聞いてたし、天気予報も寒いって出てたんで。
言ってましたよね、はい。
寒さ対策はかなり万全にしてきたんだけど。
あれだもんね、ホットを持ってたからね、ドリンク。
ほんとですか?どの時点で水にしておけばよかったと思ったんですか?
いやでも結果ホットを結構飲んでたんで。
ああ、そうなんですね。
全然それはそれでよかったけどね。
じゃあ鉄道公園着いてそこから高水入るときは、
じゃあ結構足はパンパンじゃないですけど疲労感、熟成感が。
1:21:01
えっとね、登りは全然動いてて、登りの途中でも下りがあるじゃない。
その下りで初めて前ももが踏ん張れないっていうのに気づき、
そっからもね、下りがもう一歩一歩足が震えるぐらいな感じで。
でも登れは登れてましたね。
で、どうにかこうにか。
どうにかこうにか。で、高水まで登り、そっからもう下りが地獄のような感じで。
竹谷さん誰かと一緒に走られてたんですか?
そのときね、ゆみちゃんと松井さんと同じペースで、
竹谷さんに励ませながら下ってましたね。
この板さんもいい思い出になるから、つって。
でも全然元気で、本当に前ももだけ踏ん張れないっていう感じで。
そこでかなり時間を、予定より食っちゃって。
で、鉄道工業でまた戻ってきて、そっからまたロードパートに入ってもやっぱり状況はあまり変わらなかったって感じですか?
その時点で1時58分で下りてきたのが。
もう時間ないなとは思いつつも、
次行けるんだから行こうと思って、スタートして。
折り返しして何時ぐらいでした?
あったときはそんなに悪い位置じゃなかったなって思ったんですけど。
折り返し…。
上福音?
はい、上福音。
11時、ロストしたんですよ俺。
なんか昔って、上福音の前って左のほうに山入ってからなかったんですか?
山入ってないっすね。
本当に階段から登ってった?
階段から行ってます、いつも。
ロストって難易度は高くなるけど、距離的にはそんなに変わらないじゃないですか。
そうそうそう。で、あれこれじゃねえのかなっていつもまた戻ったりして。
で、11時5分くらいでした、上福音は。
でもそう考えると半分じゃないですか。
そう半分。
まあまあ行けなくはない感じだったんじゃないかな、感覚的には思ったんですよね。
ちょうど半分だったね。
で、下りだし下りだしと思って。
でもその下りが踏ん張れなかったです。スピード上げられなかった。
だいたい思想筋が。
はい。
やっぱあれですか、息の労働で足が。
ですね。
気づかぬうちに。
気づかぬうちになんですね。
結構あれですね、脱水になると筋肉痛になるっぽくて。
1:24:04
で、僕もUTMBもワサチも脱水になって結局、
だいたい思想筋にやられて筋肉痛になって踏ん張れなくなったっていうのはね、パターン的には一緒ですよね。
膝の屈伸もできないぐらい太ももを割ったって竹谷さんの記事には書いてたんで。
今回はもしかしたら脱水対策。
そうですね。あと糖質がやっぱ取れてないらしくて。糖質が取れないと筋肉を燃やし始めちゃうから。
その場合はタンパク質も取ったほうがいいらしいですね。
そうそうそう。
一応サロモンには帰ってきたけど、それが26時間ぐらいだった。
そうです。その次のスープエイド。
もう1時間過ぎてたんですよ。本来5時半までだったのが、そこに着いたのが6時半で。
いないだろうし、ドロップバッグもないだろうから、そこでやめようと思ってて。
そしたら友田がにお立ちしてて。
俺を倒してからでいいみたいな感じで。
そうそう。ナイスランデスとか言われちゃってさ。
本当に感動じゃないけど、待っててくれたんだって。
ドロップバッグ、まだスープありますよって言ってくれて。
これは行けってことだろうなっていう。
本当にそこでここからどうやって値段まで行くんだろうって調べるぐらいの勢いだったんだけど。
帰りの袋はそこからペーサーついて、鉄道公園から。
一緒にペーサーにもお願いして。時間過ぎると思うけど一緒に行ってくれました。
ノーネームFMの。
ノーネームFMの和田さんとペーサーしてくれて。また羽田を目指して。
長い旅がまだ続きますね。
そこからはちょっと回復して、ちょっとだけペースは上げられたかな。
っていうのと、待たせるのも悪いからと思って。
それまでのガス橋までは、エイドが全部いたというか。
いないとこもあった。
ガス橋ゼロカロリー。あと森洋介君とこう。
1:27:01
大体いたじゃないですか。何碗もいました?
何碗もスープ、だし汁もらいました。
じゃあたぶん全部いましたよ。何碗とん汁ゼロカロリーガス橋ですね。
まあでもね、1時間も過ぎてるのに待っててくれてみんな。
まあでも一回やめようと思ったけど、またそこから走ろうと思ったっていうのは、
持ち直した点としてはやっぱり、友さんとかが待ってて、仲間がいてくれたとか。
あとエイドの方たちもいてくれたり。
後ろからまだ、あれ、松井さんも走ってるよっていう情報が入ってて。
あ、なら行ってもいいのかなみたいな。
確かに自分も現場にはいなかったですけど、いろいろツイッターとかインスタで見てると松井さんとかも頑張ってるんで。
ちょっと今までにはないTDPな感じがしたのかなっていう気がするんだね。
あと小野寺さんか、途中で。
合流して頑張ってらっしゃったんで。
ちょっと制限時間あれだけど頑張りましょうねって励まし合いながら。
いいですね。
自分の友達がウェイティング一番なんですよ、今。
TDPの。おそらく何もなければ上がるんだろうなと思うんですけど、今から心配しましたからね。
完走できるかなって。玉川は大変だよと言っときましたけど。
まあ練習すれば大丈夫じゃん。
練習してなかったからダメだったけどね。
竹谷さんでもどれくらい練習しました?
去年の11月だったじゃない?マーケットでやるって言って、いきなり肉離れしたのよ。
12月1月2回肉離れして。
2回もしたんですね。
早間駅伝という駅伝があって。
でも2・3・4って300キロ走って。
5月延期になるって言ってちょっと5・6・7はあれしたけど、でも200キロぐらい。
8・9・10はまた300キロ走ってっていう感じでしたね。今回は。
結構コンスタントにいい距離は。
そうですね。走る仲間が多いんで、地元に毎週山を走ったりとか。
あとは50キロ一緒にロード付き合ってくれたりとか、30キロ付き合ってくれたりとか。
1:30:01
長い距離のときも付き合ってくれる仲間が多くて。
個人的に言うのは多分練習ができてたんだと思いますよ。
観走する実力もあったし、練習もしてたと思うんですよ、感覚的には。
やっぱり何がダメだったかっていうと、やっぱりあれですよね。
暑さ対策とか。
細かいところですね。
ナトリウムをちゃんと取るとか、ちゃんと補給を取るとかっていうのを、
もうちょっとちゃんとやれば、多分そこが行けたんじゃないのかなって思いますね。
そこの上福井から帰りとかの下りがもうちょっと早かったりすると、
大体しておきのダメージが少なかったら、もうちょっとキロを10秒とか20秒速く走れたとすると多分行けたのかもしれないですよね。
ただそれだけだと思いますね。
個人的には見てるとそんな感じはしました。
前半もすれ違ったとこも全然悪い位置ではなかったし、観走できる位置にはいたはずなんで。
前半のダメージをいかに軽減して後半につなげられたかってだけだと思いますね。
すいません、上から見せるんですけど。
お話聞いてると300キロって結構走られてますよね。
走ってると思いますよ。行けてると思うし。
次回のTDTは結構初参加の人が多いんですか?ロッテリー的には。
全然多いと思うよ。あんまりごめん、俺も確認してないけどさ。多いと思いなさい。
竹谷さんから初参加の方に向けて何か伝えたいことはありますか?
暑さ対策をしっかりしてこいよと。
次はホント熱いですからね、5月は。
5月はあれですよ、マジでヤバいですよ。
マジでヤバいですね、あれ。
特に何がヤバいかっていうと、初熱純化できてない時にいきなり熱くなる時期じゃないですか。
2年前とかも熱中症がすごかったですからね。
4,5人熱中症でやられてましたよ。
竹谷さんとかそうでしょうね、確か。
そうそうそうそう。なんで、そこは気をつけた方が。
気をつけた方がそこの対策を万全にした方が僕はいいかなと思いますね。
そうですよね、そんな時にね。
月岡さんと走ってる時、今考えるとよく生きて帰ってきたなと思いますけどね、ホントに。
月岡さんの時はペースが遅いからね、そんな汗かかなかったけど。
いやー確かに5月平気で30度くらいまで行けますもんね、場合によっては。
1:33:02
行く行くって。
行きますよね。
夏みたいに、アホみたいに熱くないから分かんないよね。
そうですね、分かんないですね。
分かんないしさ、玉川沿い日陰ねえしさみたいな、そんな感じじゃないですかね。
はいはいはい、確かに。
個人的にやっぱりサウナレンみたいなことをしたりとかっていうのはしてもいいんじゃないかなって思いますね。
乾燥するんだったら。
青梅の山入っても全然涼しくないですもんね。虫風呂みたいな感じでした、自分の時は。
夜も?
はい。
今回もね、青梅の山の中は全然寒くなかったのよ。
それが夏となるともっとなんだろうなって。
ですよね、たぶん涼しいところいっこもないですよね。
やっぱあれだね、川の横はさ涼しいんだよ。青梅って山標高そうだけど高くないし。
高くないですね。
そんなに風が通る場所でもないからさ、そんなに涼しくはないよね。
今回もシェルも着てなかったもんだって俺。
あ、本当ですか。
山の中ね。
結構夜寒かったイメージがあるんですけどこっちの方は。
だからあれだよ、山の中の時に。
降りてきたらすごい寒かったけど。
走ってる分には大丈夫だよ。
やっぱTシャツってわかんないですね、意外と。思ってると夜寒いんじゃないかなって心配してましたけど、
今のお話聞いてると全然寒くなかったっていう話なんで、自分たちが思ってる山の中と全然違うなって思ったんで。
もしかしたら5月に出る人あんまり参考にならないかもしれないですよ。
5月はね、別に全部Tシャツで大丈夫だよ。
確かにそうですね。
いやでも俺山入る時すげえ悩んだもん、だからね。
シェル?ソフトシェルとパワーグリッド一緒に着ていくかどうかはすげえ悩んで、
両方とも着てったんだけど、ぶっちゃけ後悔したけどね、暑すぎて。
片方で良かったなっていう。
パワーグリッドだから俺も置いてきました。持ってきてはいたけど。
山の中はいらないですよね。
夏場じゃあもうTシャツ短パン、ノースリーブ、ランニングで臨めば。
でもいいと思うけどね。ソフトシェルを一個持ってればいいぐらいだと思うよ、次の5月はね。
なるほど。じゃあ竹谷さんまた5月に再チャレンジで。
次半年では気が楽ですよね。
いやー、やることはいろいろあるかなと思うけど。
個人的には今まで積み上げてきたものを継続するだけでいいと思いますよ。
だからさっきも言ったように今回のは別に練習不足ではなく、
1:36:02
単純に暑さ対策とか。
テクニックね。
そこだけだったんじゃないかなって個人的には思いますよ。
毎週水曜日ですよね、千元山も。
はい。
200回でしたっけたしか。
200回。4年を超えました。
そうですよね。
千元山ってもともと竹谷さんが始めたんですか。
俺とたくじともう一人パタゴニアの方で、
千元山と言わずにただ集まって走ったんですよね。
で、「来週も行こうぜ」みたいになって、
じゃあハッシュタグでもつけてみようかみたいな。
千元山トレイルクラブってハッシュタグをつけたのが始まり。
それがいつからでしたっけ。
それが4年前の10月。
2017年かな。
2017年か。
それで毎回ハッシュタグを重ねて。
でも、同じ場所に朝6時だけ決めて、
別に来ようが来まいが、一人でも二人でも走ってたんですよね。
はいはいはい。
主にどんな練習をしたんですか。
いや何の練習でもなく、ただのコミュニティランドというか、
もう本当に喋りながら山を走るっていうだけですね。
出勤前に。
どんなコースなんですか。
コースは7キロの山トレイルで、累積は400ちょいあるんで、
けっこうアップダウンは。
7キロで400はけっこうありますよね。
だから一回ガツン、2回ぐらい登って、
その山一回降りてきて、ロードで繋いでもう一個山登って。
最後海に降りてくるんで。
森と海岸。
森と海岸。
あのコース毎週やってたら強くなりそうな感じがしますよね。
ウェスタンステイツ24時間切っちゃうやつが出るぐらいですよ。
そうですよね。
確かに。
葉山の教会のところですよね。
この坂とかエグすぎますよね。
ゆるゆる、ゆるゆる詐欺。ゆるく走ってますよっていう表現はしてるから、
ゆるゆる詐欺だと言われますけど。
全然ゆるくねえじゃねえか。
でも確かにマナセ漁港に降りるところって気持ちいいですよね。
急に開くというか。
景色とかをね。
タカオにはない景色が東の方に行くと見えるんで。
あれは山と海のコントラストが結構いいなと思いますけどね。
海沿いのトレイルって意外と少ないですもんね。
少ないですね。
1:39:03
本当に海が見えて山が見えるっていうのは、
ここら辺だったらあの近辺ぐらいしかないですよね。
富士山もきれいにバックにバーンって見えるっていうのも、
あれはやっぱりちょっと上がるなっていう気がしますね。
田中さんもいつか千間山に走りに行くと、
森子さんじゃないが、磯村さんのときに。
そうだね。朝6時に行けるタイミングがあればね。
でも千間山100とかも来ていただいたり。
いろいろイベントで。
朝6時にどこにしようなんですか?
早山協会の前。
あそこに。おなじみの。
坂連でおなじみの。
あそこから7キロぐらい。
これは参加募ってるわけではなく、いきなり誰でもそこに行けばいる?
いますよ。6時。
でも1分も待たないんで、6時に間に合わなければ勝手に行っちゃいます。
参加表明とかも特にないんで。
何名ぐらい参加してるんですか?
今25、26から30から。
結構すごいですね。
あんまりにも多いときは、3組ぐらいに分けたりとかしたり。
舗走路出るときは。山の中はね、あんま気にしてないですけど。
あれ千元登って千元山100までのコースをたどる感じなんですか?それともなんか。
それの内側、大内を回ってくる感じですね。
千元山100のときは、
キツイ階段登って南後公園のほうに行くじゃないですか。
そこまで行かずに、そこでUターンする。Uターンというか、回って帰ってくる感じですね。
そこは下り気象で気持ちよく走れますね。
徐々に徐々に参加者が増えていってますもんね。
イコール、早山や図志に引っ越ししてる方が増えているってことなんですかね。
元々走られてた方が聞きつけて参加していただいたりとか。
そうなんですね。
友達の友達でみたいな方だったりとか。
あとは遠くから来ていただいている方もいらっしゃいますし、車で来て。
富士山のほうから来たりとか。
田中さんは車でどのくらいですか?
車で行くことは1時間ぐらいで行けるんじゃない、たぶん。
あ、1時間で行けるんですか。
行けると思うけどね。
横々で来ればね。
そうそう。そんなに遠くはないけどね。
1:42:02
田中さんリモートワークできる会社ですもんね。
できる会社って今リモートワークしかしてないけどね。
そうですよね。
最悪参加してどっかで仕事できるわけですもんね。
確かに。
参加して家帰って仕事するけどね。
本当ですか。
ワーキングスペースもありますよ。
田中さん何か竹谷さんにご質問というか聞いてみたいことは。
そうですね。
今さらですけど。
今さらだけど。
竹谷さん海外のレースとか走ってみたことあります?
2019年にアメリカのレース出てます。
ボルケーの50かな。
何ですかそのレースは。
ポートランド、シアトルのセントヘルムス火山っていう火山があって。
1986年ぐらいに噴火して、まだ植生も回復しないよう砂漠みたいなところなんですけど。
そこ一周ぐるっと回る50キロのレースがあって。
プロテックっていうブランドをニューファレンダーで扱ってて。
あれがシアトルなんですよ。
本社会議に出るのに、日曜日友さんと行ってたんで、レースでも出ようかなって。
当時二郎くんがアメリカにいたときに、西ちゃん二郎くんも一緒に走って。
日本人4人で走ってきましたね。
その話全然知らないな。
50マイルぐらいの辛さがあるよっていう評判のレースで、
実際に出たら本当につらくて。
エイドが4カ所しかなくて。
アップダウンはそんなになかったけど、水が足りないとか。
でも面白かったですけどね。
本当に適当というか、緩いですね、アメリカのレースは。
そうですよね。
朝7時スタートで、7時過ぎてるのにまだMC喋ってて。
時計見ながらドキドキしてんのこっちだけだなみたいな。
みんなアメリカ人笑って、スタート7時過ぎてるのに笑って過ごしてたりしてるもんね。
日本人ぐらいなんですかね。時間にすごくシビアになって、まだかまだかみたいな。
1:45:03
ヨーロッパはシビアっぽいですね、ヨーロッパも。
何MC喋ってんだ的な感じで、幕下でも。
時間がきっかけに差しますよね。
街でも緩いほうがいいですね。シリアスはちょっと疲れちゃいますよね。
応援というかサポートに行ったのはMVですね。
ヒロキさん行ったり、ソウタさんのTDSサポートしたり。
来年は行く予定あります?
MV?
MV、はい。
行けたら行きたいですよね。
一応アンサーホードは行くつもりらしいですけどね。オーバーラック音が出れるらしいんで。
日本人参加者がどれくらい出るかとかにもよるのかな。
確かに。
ブース申し込みも、そういえばそろそろですね。
そうですよね。
帰って会議します。社長と。
僕もエントリーはしてみようかなと思うけど、もうベアエントリーしちゃってるんで、そこは出るかどうかは微妙ですけどね。
来年ってITRAポイントじゃないんですよね、もう。
来年まだ大丈夫です。
再来年がもうダメなんですよね。
ラストチャンスですよね。
当たったらどうしようかっていうのは考えてはいるけど、当たる可能性あんまりないですね。
いいですね。仕事でUTMP行けるって。羨ましいですね。
でもお仕事だから向こう行ったら大変なんでしょうけどね、やっぱりそれはそれで。
そうですね。でもいいですよ。
個人的にUTMPで完走したいんですけどね、ちゃんと。
したいですけど、チャンスがなかなかなく。
どんどんチャンスなくなりそうですもんね。
なくなりそうですもんね。
出るのが難しいレースになりそう。
自分は出るのはなかなか難しそうですね、今のお話を伺って。ITRAでもなくて。
あれですよね、バイMB戦でないと出れなくなっちゃうみたいなやつですよね。
逆にバイUTFB戦に出れればいいわけだからね。
どう捉えるかってことですね。
そうだね。
難しいっすね。
タカさん他には何か。
他には。
なんか聞きたかったけど忘れちゃった。
1:48:01
大丈夫です。
大丈夫ですか。
はい。
竹谷さんから何か宣伝レースとかそういった告知っていうのはございますか。
特にないです。
ニューハル的には何かないですか。
そうですね。
ニューハル的に。
いやでも今回本当前ももだけ貼るの忘れたんですよ。
そっち。
肝心なところですよね。
そうそうそう。
だからふくらはぎ貼ってハムストリング、ももの裏を貼ってて。
で股関節周りがいつも痛くなるんで。
股関節周り、前もも、前股関節、横股関節と背中貼ってて。
そこは全然痛みが出なかったんだけど。
あれ前ももだけ来たみたいな感じだったっすね。
耳なし法一が耳にあれかかったみたいな感じですね。
やっぱ効いてんだと思った。改めて実感しました今回。
なるほど。
貼ってないとこに来たかみたいな。
間違いないですね。
前もも。
前ももに。
僕前もも貼ってますからね。
Vテープを本当にVに貼ってますからね。
Vに貼ってますね。
話してないネタがもう一個あるよ。
石川さんのFKTの話を。
東海道自然報道の。
話は戻っちゃって申し訳ないですけど。
竹谷さんサポートしたんですもんね。
あの時3日くらい、4日くらい入ったんですね。
全部は入れてないんですけど。
前半の丹沢と、あと途中、
滋賀のほうに入って、
最後、ゴールまで入りました。
これは本来は奥様がサポートされてるものになるんですか?
はい。
一台車を作って、キャンピングカーを奥様がサポートして、
それで回りきれない箇所が、丹沢と奥美川のところが山深すぎて、
キャンピングカーが入りにくいところだったり、
山が間に合わない、サポートが間に合わないところだけ2台体制にしましょうっていうところを手伝いに行きました。
滋賀さんのエクストレイルを借りて。
日産エクストレイル。
これは毎日、ひろきさんは何キロぐらい走られたんですか?
平均すると50キロから80キロぐらいを走ってたんじゃないかな。
1:51:06
その日によりコンディションによったりとか、
コースの宿とかの予定とかにもよるんですけどね。
これ今年トモさんがやられようとしたってことですよね。
時間的にはすいません、ちょうど調べてなかったんですけど、
何時間ぐらいでひろきさんが。
17日じゃないかな。
17日だったと思う。ごめん、制作確認。
17日すげえな。
田中さんはもしやってみないって言われたらどうします?
それはどう答えると思う?
やらないって答えると思う。
でもね、毎日好きなことができるから幸せって言ってたよ。
あ、ひろきさんは。
これ、竹谷さんが付いてた時って、もちろんテーピング貼るとかいろいろあると思うんですけど、
自転車でステージレースだったらマッサーっているじゃないですか。
そういうマッサージとかそういうこともされるんですか?
いったんでたりとかしたらですね。
でも基本的に来たら、足裏測定のボール?
測定をほぐすボールは必ずやってましたね。
それも各営業ごとで?
各営業ごとで。
それがないと怒るぐらい。
でも徹底的にやってました、足裏は。
それ、ひろきさんが元々弱いとかいうか、そういうわけでもなく、ルーティン的に。
そこが重要だろうっていう考えのもとだと思う。
なるほど。
ちょっと自分あんまり今までニューハレって貼ったことがないんですよ。
うん、あら。
あら。
いや、あの、ちょっと。
あら。
すいません。
いやいやいや、別に。
貼り方のテクニックちょっと難しいというか、ちょっとピッて伸ばして、ちょっと戻して貼るじゃないですか。
それ足首のXテープだけで。
あ、そうですそうです。
それ以外は、実は全く伸ばさないで貼れば。
あ、そうなんですね。
どちらかというと足首がいつもちょっとバカなんで、足首のXテープで3つの完全にロックするやつやってるんですけど、
あんまりうまくいった試しがないんで、ちょっと今度竹田さんにお会いした時にはちょっとコツを教わりたいなと。
はい。えっとね、肌がかぶれちゃうような人だったら、緩めるのを多めに緩めてあげればオッケーです。
あと長い距離とかで、きつすぎたらちょっときついなっていう場合はもう緩めちゃったほうがトラブルは少ないですね。
1:54:00
田中さんが欲しいときはちょっと強めに引っ張るとタップ努力が上がります。
田中さんのそこの辺は気をつけて貼られてるんですか?
気をつけて貼られてる?気をつけて貼ってる?
そうだね、さっき言ったように足首のやつは今竹田さんが言ったような感じだし、
膝とかだったらテープを伸ばすんじゃなくて、貼るところを伸ばしてテープは伸ばさずに貼るってそんな感じ。
筋肉を伸ばしてテープは伸ばさないで貼る。
筋肉を伸ばしてテープ、なるほど。
ストレッチするような体勢をとってテープは全く伸ばさずに貼る。
それが足首以外のコツだということですね。
そう、わかりました。
膝だったら膝を曲げてテープを伸ばさずに貼って。
なるほど、膝に爆弾をかけてる自分だって。
かなりニューハレのお世話になるんです。
ニューハレのおかげでこの前のコーミは完走できたんで、Xテープを二重使いさせていただきました。
膝に?
膝に。
Vテープじゃなくてね。
Xテープを膝のお皿を周辺に貼るやり方があるんですよ。
それでどうにかグラツキを抑えて完走させていただきましたので、
かなり私もあれがあったからこそ完走できたというのを最後に。
皆さんにお伝えして終わろうかと思っております。
なので皆さんも今のご参考にして、
足首以外は筋肉を伸ばしてテープは緩めに。
緩めに伸ばさずに貼る。
足首は逆にきつめにしたければ伸ばして貼る。
これで合ってますでしょうか。
はい。
ありがとうございます。
じゃあ、ちょっと業務連絡をさせていただければと思います。
質問・フィードバック等はハッシュタグで、
ハッシュタグ、WeLove、タイマー、タイマーズ。
最近、タイマーが大好きっていうので
ハッシュタグつけてくれる方もいらっしゃるので、
そちらでも特に構いません。
そうなの?
そうなんですよ。
ちょっといたら、何個かいらっしゃったんで。
別にそれでもいいか。
はい、大丈夫です。
また、ポッドキャスト維持にドネーション募集しておりますので、
もしご興味があればショーの音からよろしくお願いいたします。
ちょうど2時間。
そうですね。
本当にすいません。
今日私が仕事のトラブルが発生してしまいまして、
遅くなりました。
はい。
はい。
じゃあ、本日19人目のゲスト。
竹谷博士、AKA ニューハレさんでした。
1:57:00
ニューハレ、竹谷ですね。
はい。
それはニュータレ・アクタに対抗してじゃないんだけど。
そういうことなんですね。
そういうことです。
アクタさん有名人なんで。
なるほど。
竹谷さんもだいぶあれですよね。
知名度上がってきてるんじゃないですか、ニューハレとしては。
そうっすかね。
いや、今大海君推しなんで。
新人の大海君。
いつまで新人でいられるか。
大海が行くよ、ちょっと言ってますんで。
大海が行くよ。
じゃあ、あっちゃん。
ショーのとおり書いててください。
大海が行く。
わかる?
なんすかそれ、ごめんなさい。
ニューハレの。
新人の子をちょっと今前に押して。
押せるんですね。
はい。
新人目線でいろんなものをちょっと書いてます。
はいはいはいはいはい。
みなさん見たことあります?
ホームページの中で。
もう頑張ってるらしいんで。
はい。
ちょっとそちらの方もご紹介させていただければ。
はい。
すいません、竹谷さんありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい。
みなさんありがとうございました。
ありがとうございました。
失礼します。
失礼します。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
01:58:26

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