1. タイマーが大好き
  2. #50 釘さん
2023-03-16 2:13:48

#50 釘さん

42人目のゲストに釘嶋 岳幸さん a.k.a 釘さんをお迎えしました。

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  • T100第1期生
  • 神奈川県鎌倉市生まれ
  • 幼稚園中退
  • 千葉へ引っ越し団地の野球チームへ
  • 中学時代は帰宅部ただ団地のテニスクラブ活動
  • 高校はバドミントン部
  • 部活での走ること
  • 大学は基礎スキー
  • 社会人時代はゴルフ
  • ランニングを初めたきっかけ
  • 月例横浜の生涯ゼッケンは4桁
  • 鏑木さん
  • 第1回UTMF
  • T.D.T100
  • T100での出会い
  • 四走二登ひとやすみ
  • BigFoot120K
  • 1回目のBigFoot200
  • 2回目のBigFoot200
  • 最近のスポーツ

★編集後記★

収録中はTeamsでつないでいるのですが、すごく柔和な笑顔が印象的でした。
色々なスポーツを全力で楽しんでおり、すごくよい経験の重ね方を
されているなと思いました。私も釘嶋さんのような歳の取り方をしたいです。
今度はボルダリングお願い致します。全く登れる自信はありませんがw
今回はありがとうございました。


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00:05
はい、じゃあ始めますか。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
タカさん、ご無沙汰ですね。
はい、そうですね。
すいません、私の仕事でいろいろと延期をしてしまいまして。
大丈夫ですよ。
はい、この前回の村井さんから今回のゲストの方までちょっとお時間がありまして、私もいろいろとちょっとレースに参加したりですとか、いろいろあったらちょっとそこのお話をさせていただければと思うんですけど、
まず1月に広島の瀬戸田で行われた。
1月?
1月、あ、2月。2月か失礼しました。
2月ですね。
2月、うん。
はい、行われた瀬戸田マラソンにちょっと私、ボラとして参加してきたんですけども、
はい。
いや、いい大会でしたね。
はい。
今回初めての大会だったんですけども、
はい。
やっぱこう、島国の日本とはいえ、もともと内陸に住んでる我々がこう、都善をしてどこかに行くっていうことってあまりないじゃないですか。
船に乗って?
船に乗って、はい。
この道から船に乗って瀬戸田に行って、でまた瀬戸田も瀬戸田ですごく、なんていうんですかね、港、港町って感じもないんですけど、こうちょっと今までとは違う感じの街並みを拝見できて。
はい。
そういったレース自体もですね、初めての方の参加者も多くて、今回初めてハーフ走りますみたいなことがたくさん多かったので、なんかちょっと見ていて、自分が走り始めた頃を思い出すような、いいレースでしたね。
どんなボランティアをしたの?
受付をやってました。
あ、受付。
はい。で、受付で、よく田中さんもあると思うんですけども、タイマー聞いてますみたいなことあるじゃないですか。
はい。
さすがにマラソンだからないかなと思ったんですよ。
はい。
で、翌日に友谷さん、矢崎友谷さんとか岩垂さんとか渡辺慎吾さん、で、あと、昨日行われた、おとといかおととい行われた高江戸女子1位、つすみさんたちと朝走ったんですよ。
はい。
そこにノースの鬼塚さんがいらっしゃって。
はいはい。
まさかの鬼塚さんからですね。
はい。
タイマー聞いてますって言われて。
嬉しいですね。
顔から火が出るぐらい恥ずかしかったですよね。
いや、すげえ鬼塚さん聞いていただいてるんだっていうのがすごく光栄でしたけども、まあちょっと身が引き締まる思いで。
はい。
ファンランドへちょっと手抜けないなと思ったんですけども、楽しい1日を過ごさせていただきました。
はい。
田中さんもあれですよね、今回瀬戸田はちょっと機会が合わなくて。
まあ、子供が受験だったんで。
そうですよね。
どうなるかよく分かんなかったんで、一応行かなかったです。
ぜひ来年あれば、すごく本当に街ぐるみな感じっていうんですかね。
みなさんいい、街の方もすごく雰囲気良かったですし、景色もすごく良く、またなんとご飯が美味しいっていうのがすごかったですね。
03:06
なのでぜひ来年お時間あれば、瀬戸田マラソン。
別にもう俺RTじゃないですけど待ちしております。
あとあれですか。
あとは昨日ちょっと小江戸90に私が参加してまいりまして、結果としては一応総合6位だったんですけども。
男子5位?
男子5位ですね。
おめでとうございます。
ありがとうございます。ただいろいろと課題は残るレースとなったかなっていう感じですね。
どんな課題?
前半、とりあえずあんまり目標立てずに、だいたい5分30ぐらいが自分の心拍だと135から140ぐらいなんですよ。
なのでちょっと5分半で押し通そうかなと思ったんですけども、いかんせんちょっと気温が高くてですね。
70キロぐらいまでは設定通り行ってたんですけど、70キロを超えてから急に両足つり始めて。
そこからはつるかつらないかのセトギアをずっと走るような感じだったんで。
一応ナトリウムとかそこら辺をとってケアはしていたんですけど、やっぱりダメでしたね。
そこがちょっと今回反省点かなって思うところはありますね。
まあ脱脂だろうね。それを聞くと。
そうですね。一応水も結構頻繁には飲んでたんですけど。
ただやっぱりそれでも恐らく荒川沿いは風が強かったんで、汗かいてるかかいてないかがちょっとわからない感じになっちゃったんですよね。すぐ乾いちゃうんで。
多分そこら辺でやられたのかなって思ったんで、ちょっとそこはすごく勉強になるところでしたね。
まあ7時間も走ればあれだよ。脱脂になるよ。
そうですね。ちょっともうちょっとちゃんと計画的に水を取れば。
時すでに遅しみたいな感じだったところはちょっとあったんで。
ちょっとそこは反省な一連があります。
まあ昨日一昨日で全国で熱さでやられた人がいっぱいいるんじゃないですか。
そうですよね。ただそんな中、先に行われたハードでも田中さんと一緒に走られたコーシーさんが総合1位で8時間10分ぐらいだったんで。
でまたつつみさんも女子1位で総合でも3位という。
あの熱い中でもやったっていうのを。
それでまたその前にベルガで100何キロ走ってるんですもんね。
そうだね。50何周走ってるって言ったとかでしたね。
疲れ知らないんじゃないかなっていうちょっと恐怖さを僕は覚えましたけど。
JJさんが総合8位だったんでJJさんの疲れが一般人は多分あのくらいの疲れだと思うんですけど。
やっぱちょっとつつみさんレベルになるとちょっと蒸気を逸するのかなっていうところがありましたね。
ただまあ楽しく一応走り終えることができた小江戸90でした。
はいお疲れ様です。
06:01
ありがとうございます。一応なんか膝等のあんまり怪我もなく筋肉疲労だけなんでいい状態で最後は迎えられるのかなっていうところはあります。
はい。
はい。ってな感じでした。
田中さんはなんかベルカの疲れが抜けないって聞きましたけど。
え?
ベルカの疲れがあまり抜けないと。
まあただの年ですよ。
いやそんなこと言ったらいろんな人に怒られるんじゃないかなっていうところがありますけど。
はい。では本日のゲストですね。42人目のゲストです。
釘島貴之さんです。よろしくお願いいたします。
はいよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
すみません本当にいろいろと。
安土くんは初めてですよね。
そうですね初めてで終わりにします。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
はい。
今回いつもだいたいこの番組のゲストは田中さんがゲストの方を選んでいただけるんですけども。
もう田中さんと釘島さんは何年内のお付き合いになるんですか。
もう中百マイルだから。
ですよね。中百の一期ですよね最初ですよね。
お互いそうですね。
そう。で当然田中さんはラビットで私がカメという図式になりますね。
で田中さんはその後今度アキレスという教える立場のような。
はいはいはいはい。
登り詰めていった方なんで。
一緒に走っていただけるだけでも非常に光栄ですね。
やっぱりあれですかその頃からちょっと田中さんはちょっと違うものを釘島さんから見て見受けられると困ったんですか。
いやどうでしょう。
実は印象は逆で。
やっぱり田中さんは僕は努力の人だと思いますね。
その後の一緒に力坂だとか、朝玉川のトラックをちょっと走ったり。
そういうのにも参加させてもらってたんで。
急激に伸びたっていうわけではなくて、本当に徐々に確実に理論構築とともに伸ばしていった。
そういう努力の人っていう僕はイメージがありますね。
確かに田中さんのいやらしいところがあんまり人に努力を見せない。
オチやヒロミツみたいなところがあるじゃないですか。
そうですね。一緒にやってないとわからない。
見えない。天才的に体も軽くて、もう才能の塊の人なんだなってもしかしたら思われる人も多いのかもしれないですけども。
09:05
僕らの印象はやはり努力の人だなというのが印象ですね。
人が見てないところでやってるってこういう人なんだなっていうのは私もつくつく感じております。
最近やってることはストラバに乗ってるけどね。
いやーでもストラバ以外でもあるじゃないですか。いろいろフィジカルトレーニングとか。
いやー乗っててないのはないんじゃない?たぶん。筋トレとかも最近やってる。記録してるし。
いやーでも確かに久喜島さんのおっしゃるように、天才とは言いつつ彼では絶対努力してるなっていう。
そこは私も見られなくてはいけないところですね。本当に。
ではそんな久喜島さんの過去から紐解いていかせていただければと思いますが、
ちなみに久喜島さんのご出身というのはどちらになるんでしょうか。
そうですね。出身地というか本籍地、出身地ですけども、神奈川県鎌倉市。
あ、鎌倉なんですね。
はい。実はいた年数っていうのは幼稚園までなんですけども、家は源氏山公園の方で、
そこから当時は子供が多くて近くの幼稚園が空いてなくて、
OSJの上に、OSJのちょっと山寄りに行ったところに財務部座幼稚園っていうのがあるんですけども、
そこに行ってたくらいで、自分の出身が鎌倉だって、
その後OSJに通うようになったっていうのはすごく不思議な絵にしというか、
変だなーなんて思ってはいるんですね。
鎌倉、私の母も鎌倉なんですよね。
あら。
鎌倉の大町の方なんですよ。
あー、都会ですね。
内藤康子さんでしたっけ?芸能人の。
はい。
お父様が経営されている病院の近く。
あー、どこだろう。
今だとはちょうど大町道の昔のオフィスがあったところのそばに。
なるほどね。
なんとなく鎌倉の方。
そうですね。なんで売っちゃったんだろうなってところはあるんですけど。
今となってはね、ものすごいあそこら辺の地価は上がってます。
不動産価格は上がってますね。
上がってますからね。
なるほど。で、鎌倉でこれいつぐらいまで過ごされたんですか?
幼稚園中退ですね、だから。
そうなんですね。
幼稚園、当時私の父親が、親父が道の高団で食料技師みたいなことをやってて、
しょっちゅう大きな道路ができるときに引っ越すわけですよ。
12:01
多分ですけど、鎌倉のときはどうだろう、清掃バイパスかなんかあったのかな。
まだなかったかな、そういう仕事をしてたんで、
その後千葉の方に引っ越すことになりまして、千葉に転居していったというのが事情ですね。
で、もう幼稚園も年長に入ったぐらいだったんで、その後はもう幼稚園、千葉では行かなかったですね。
そのまま小学校でしたね。
行かなくてもいいっていうのも例なんですけど、そういうのもあるんですね。
僕らの時代というか世代は行かない子も多かったですよ、正直な話。義務教育じゃないですから。
そうなんですか。そろそろ義務教育じゃないもんなって。
言われてみればそうですね。小学校、中学校だけでそんな義務教育を。なるほど。
まだ少ないですけどね。あと保育園っていう子も多いですから。
そうなんですね。
よく言うの、自己紹介の時に、幼稚園中退ですっていう。無材幼稚園中退ですっていう。
そういうふうにちょっと笑って話しますけど。
いいですね。ネタになりますね、多分それは。
そこはね、ネタにいつもしてますね。
そうすると小学校を千葉で過ごされて、その時にされてたスポーツっていうのが事前にいただいた情報ですと、
団地の野球チームっていうのが何とも時代を感じるようなところではあるんですけど。
そう。なんかあるわけですよ。必ず団地に一つ広い場所があって、ベースがあってみたいな。
そこで当時子供が多かったですから、何チームぐらいあったろう。外区別に、地区別に3チームぐらいあったのかな。
そんなにあったんですね。
その中でも逆に一番弱いチームというか、あまりギスギスしてない自由なチームでしたね。楽しかったですよ。
やっぱりその頃はスポーツというと野球とかぐらいしかテレビで放送されるものはなかった感じですかね。
やっぱりテレビ中継、家で親父が見てるのが野球ですんで、野球でしたよ。
これは田中さんでも知らないと思うな、僕の世代だと三行野球教室なんていうのが日曜日10時の朝の10時から番組があって、
巨人の選手の特集だとかやるわけですよ。朝の10時の結構いい時間じゃないですか。
15:03
そういう番組を見て、やっぱり野球選手に憧れ、もしかしたら自分は高校野球とか出れるのかなとか高校選手とかいけるのかなってちょっと思ってた子供でしたね。
やっぱりその頃久喜島さんも中継は巨人しかないんで、やっぱり巨人ファンだったんですか。
そうですね、巨人ファンでしたね。
好きな選手は誰だったんですか。
えーとね、僕ね、どうだろう。高田とか好きだったな。
高田茂さんですね。
その時代ですとね、その子供の頃ですとね、その後は例えば千葉ですから、聴取商業出身の篠塚だとかね。
篠塚さん、はい、篠塚さん。
安田製造機。
そう、あそこら辺がちょっと好きだったかな、子供の頃。
ちなみに田中さんの頃はどうですか。
田中さんの頃は。
僕の頃は、僕の頃はそうだね、やっぱ旬なのはあれじゃん、巨人ファンだったけど、記憶としてはやっぱ阪神の、なんだっけ、三連発。
岡田加計夫バースですね。
そうそう。
岡田バース加計夫ですね、はいはい。
あれ、牧原だっけ。
1985年、ピッチャー牧原ですね、あの時は。
仲良い友達はすげえ阪神ファンがいて。
はいはいはい。
あとすいません、岡田さんお話止めてしまいましたけど。
いやいやいや、確か思い出したんだけど、背番号をね、その時、小学校の時に21を付けてたんですよ。
なぜか、好き勝手に付けてたんですよ。要はポジション別の番号じゃなかったんです。
要はそれぐらいゆるいチームだったんで。
はい。
なんでかって、確か佐田岡の番号だったと思うな。
鹿児島商業。果実ですかね。
果実も。なんかそんな記憶が今ふと蘇りました、脳みその端っこから。
佐田岡あれじゃん、20番じゃなかったっけ。
20番だったっけ。20か20ってそんな番号だった。
20番西本じゃないですかね。時代が違うから。
その時代が違う、たぶん。
21番は、俺の時代を加藤はじめっていう選手がいて、知ってる?
その方知らないですね。
ノーヒットののやってんじゃないかな。
そうすると、結構大々21番はピッチャーの方が競技場付けてたんですね。
自分の世代は宮本になるんですよ。
あ、そっか、そうだ。
そうだそうだ、そういうことだ。
宮本の人がたぶん超ソンビンだったんで。
あー、なるほどね。
ただ僕は本当に、ポジションは3rdを守ってたんですよ。
18:01
僕は20か21を付けてたからか、
監督がお前ピッチャーやってみよってやりたいんだろみたいなことを言われたんだけど、
拒否ってたというか。
自分はあまり好きじゃなかったですね。
重圧を背負うのが嫌だったのが。
なんかわかる気持ちしますね。
あと体力があまり持たない。
これ後の人生、本当不思議なんですけども、
後のスポーツも、基本的に僕はエンディランス、持久力がないって言われるタイプで、
どちらかというと3rdだとか、
足は速いんで、3rd-1番っていうのをずっとやってましたね。
少年野球としては。
でも3rd-1番ってかっこいいと言えばかっこいい感じはしますけどね。
だからなんとなくちょっとなめきだったのかもしれないですね。
自分にちょっとこれはセンスがあるのかなとか、
だからここ野球とか俺いけるのかなみたいな、
ちょっと思った時期は、錯覚はありました。
でも小学校、中学校、多分みんなそういう夢を持ってスポーツをしていると思います、本当に。
釧島さんっていうのは、写真で私も見たことがないんですけども、
結構身長がありそうな感じなんですけど。
そうなんですよ。田中さんはご存知だと思うんですけど。
186センチありますね。
昔から結構長身だったんですか、そこらへんの身長は。
だから高1の時にもう86センチがあって、そこから止まってますね。
はいはいはいはいはい。
そこから止まってますね、僕は。だから早かったですね、成長期は。
野球も3rdの時も結構身長は高かったんですか。
身長は高かったと思います。
ファーストもやれみたいなこと言われた。
なんとなく3rdに憧れがあったんでしょうね。
なんとなく得意でしたね、占有感というのが。
長島市牛の影響はあんまりないですか。長島さんはちょっと世代が違うんですかね、やっぱり。
いやいや、ロンズバーですよ。ロンズバーではありますよ。
後期ですけどね。
長島のインターが小学校6年くらい、6年だかな。確かそんな感じだと思いますね。
確かに子どもの頃を見る、今は選択肢がいろいろだと思いますが、やっぱりその頃って野球とか大相撲ぐらいしかないとやっぱり選択肢もちっちゃくなっちゃうところはありますし。
でもみんながそうなるっていうのは面白さは面白さであるんでしょうけど。
あとサッカーかな。結構ご両親がサッカー好きな人は、男子のサッカークラブはなかったけどやっぱり中学校での選択肢は野球かサッカー、運動神経の意向は野球かサッカーというのが多かったですかね。
21:20
そこらへんはあんまり今と変わってないんですね。今もだいたい野球サッカーかバスケとかそのぐらいだと思いますけど。
なるほど。
ここで中学生に進学されて、中学校もやっぱりまだ千葉にお住まいだったんですか。
そうですね。まだまだ千葉です。
ただ中学生のときは部活としては帰宅部。
そうなんですよ。
これは部活に入らなかった理由は。
どうも汚れるのが嫌だった。今が心理的に考えると。この後のスポーツを見ていただくとあまり汚れないんですよ。
あとボディコンタクトがあまりないスポーツを選んでいますね。
大きいのに痩せてるから細いんで当たり負けやっぱりバスケだと当たり負けするだろうと。
あと野球はすごい厳しそうだし嫌だなあというので帰宅部だったんですね。
ただ親父がスポーツをさせたかったんでしょうね。
そういうことで親父が団地のテニスクラブに入ってたんで、公式のテニスクラブ。当時では珍しいと思うんですよ。
珍しいですね。
なので公式のテニスクラブで本格的な試合とかはゲームには出てるわけではないんですけども、遊びにやってたという。
大人相手にやってたんでそこそこテニスはやったほうですね。
それじゃあ中学校卒業するまで団地のテニスクラブ3年間やられてたって感じなんですね。
そうですね。そうなりますね。
今いろんな選手の話をすると、トレーナーの仲間で佐藤哲也さんという方。
佐藤哲也さん、存じ上げておりますよ。
まさか、僕もその認識はなかったんですけど、佐藤哲也さんというデビスカップの代表選手の佐藤哲也さんという認識はなかった。
あと後で聞いて、えーとか思いましたね。やっぱりね。不思議なもの。
ちなみにここからちょっと内部情報になっちゃうんですけど、佐藤哲也さんが主催している佐藤哲也カップっていうトレイルランナー集めたテニス大会があるんで。
聞いたことありました。
もし福島さんの司会があれば、うちの田中兄さんも今度参加されるみたいなんで。
そうなの?
違いますよ、田中さん。
いやいやいや、別に参加します。
田中さんも確かやってたんですよ。テニスやってましたっけ?やってたでしょ、確か。その話聞いたことある。
24:05
やってました。高校の時テニス部でしたね。
大したもんですよね。なかなか。
ちょっと佐藤哲也さんのテニス拝見しましたけど、やっぱ違いますね。
いやもう全然やっぱりね。
違いますね、やっぱり。
大丸を背負った人っていうのはやっぱ違いますよ。
あんなに綺麗にイメージどころにスパンと立てるのがやべえなと思いましたね。
音も違うしね。
違いましたね。
生と同の使い分けが綺麗というか、うまく言えないですけど、これ世界レベルだなっていうのを痛感しました。
次たぶん5月ぐらいにやるって言ってたんで、もしお時間あれば。
高校に進学されて、高校ではバトミントン部。
これがまたね、高校でテニス部に入りたかったんですよ。
入りたかったんですけど、単純に公式テニス部がなかったんですね。何式しかなくて。
千葉の県立高校なんですけども、公式が同校会だったんですね。
部活同校会になってたんですね。
それでもいいからやればよかったんじゃないかとは、ちょっと思った時期もありますけども。
女性しかいなかったかな、確か僕の大で。
女性しか入れない。男子も募集してたんでしょうけども、上の世代が、1つ上とか3年生が女性しかいなかったんで、
なかなかつまんないなというか、友達もできづらくなっちゃうのかなと思って。
ただラケットスポーツはなんとなく自分は得意っていうイメージをテニスで持ってたので、
なおかつバドミントンって今でさえ中学校から部活というかクラブがあったりしますけど、
当時はね、やっぱり中学校でバドミントンって少なかったっていうかほとんどなかったと思います。
そうなんですね。
だから高校からやって、ある程度のレベルに追いつくのはバドミントンかなと思って、バドミントン部に入ったというのがきっかけですね。
そうなんですね。我々だと小さい頃からバドミントン部みたいなのがあった環境なんで、昔はそうではなかったんです。
高校からっていうのが多かったと思いますよ。
成績としては千葉県団体戦3位で関東大会出場されたりですとか、個人では県大会止まりとは言いつつも、
27:04
エース級の相手に迫るもどきばれのクセ者の売りを発見されていたと。
完全にクセ者でしたね。
バドミントンの団体戦って今はちょっとどうかわかりません。高校の選名の規約というかルールっていうのはちょっとわからないですけど、
当時はダブルス2つ、シングルス1つのこの3試合で2勝した方が勝ちというのが団体戦のルールなんですね。
私はシングルスプレイヤーとして、自分はシングルスしか出なかった団体戦は。
そうするとそこそこなんとなく強いんで、相手のエースが出てくるんですよ。
そうすると相手のエースがダブルスに配置されなくなるんで、ダブルスで2つ取るっていう作戦の高校でした。
私はちょっと捨て駒的な。
その代わり2番手が相手が出てくると、僕は確実に勝たなきゃいけない。勝つというのが使命。
そうするとダブルスが1個負けても2-1じゃないですか。
そういう作戦の高校でしたね。
なかなかキーマンと言えばキーマンみたいな選手なんですね。タッチマンとしては。
体が大きいから、背が高いから、特に相手も初見だと情報がないと。
例えば関東大会なんか行ったり、当時は情報がないんですよ。
うちの高校はそんなに強いわけじゃないですから。
情報がないと、僕の風貌というか高さだけ見て、相手はエースで当ててきたりする。
ダブルスを2つ取るという作戦でしたね。
なかなかそういう心理戦もあるんですね。団体戦というものになると。
層の厚い高校はそんなこと考えないでしょうけどね。
ちなみにテニスとバトミンとは全く競技としては違うと思うんですけども、
ラケットスポーツとして決定的な違い。
ノーバウンドで打つかワンバウンドで打つかで違いがあると思うんですけども、
全く違うところって何が小木島さんでバトルとテニスで迷われたところとかって何かありますか?
明らかに最初から違うとは認識はしてたんで、迷うところはなかったですけども、
体の使い方と手首の使い方はバトミントンとテニスでは大きく違いますね。
30:00
ラケットの重さが圧倒的に違いますからね。
バトミントンは100グラム以下の重量ですから、かなり手首の使い用があるんですけども、
テニスはある程度限定されてますね。
あと決定的に違う競技として心理面で決定的に違うのは、
テニスはまだ力の打ち合いもあるし、ドロップショットみたいに騙すショットというか、
そういうのもありますけど、基本やっぱり力と力みたいなところがあるじゃないですか。
バトミントンは特にシングルスは力と力のように見えても、
あれ騙し合いなんですよ、常に。
前に落とすと見せかけてスマッシュを打ったり、その逆にハイクリアーという奥に打ち込んでいったり、
逆にスマッシュと見せかけて前にストーンと落としたり、
そういう心理戦、騙し合いの競技、ちょっとやらしい競技なんですよ。
だから今のバトミントンのテレビを見るときに、
そういうのをちょっとなんとなく分かっていただくと、
バトミントンの面白さっていうのが分かると思いますよ。
あんまりそういう目でバトミントンを見たことがないと言えばないですね。
騙し合いですね。
打つ瞬間までどこに打つか分からないようなフォームでシャトルの下に入るだとか、
いうのが圧倒的に相手の耐性を崩すことになるんで。
そうすると打つ瞬間にちょっと手首の位置を変えるとか、そんな小さかしいことをするみたいな感じなんですね。
そうです。ちょっとカットみたいな、切るような。
スマッシュのフォームで最後、面をちょっと変えてカット、切ると前にストーンと落ちるような。
ドロップショットとはまた違うような、前にストーンと落ちるようなショットになりますしね。
そういう騙し合い、あるいはネット際でちょこまかやってる場合があるじゃないですか。
はい、ありますね。
あれもネット際に落とすと水がけた奥に押し込んだり、その逆だったり。
押し込んでいくようなフォームをして、巻きにポコッと落としたりっていう。
いやらしいスポーツですよ。
ちょっと今度そういう目線でバトミントンを見てみたいなという気になりますね。
ぜひぜひ見てください。
ここまで小学校、中学校、高校とスポーツ歴を聞いてきたんですけども、
大体全部に関してある程度走るっていうことがあるかと思うんですよ。
33:03
校庭何周走るとか。
その学生時代に関して、釘島さんで走るっていうことはどうだったんですか。
嫌いでしたね。
今申し上げたように、シングルスプレーヤーだったんで、
体力、持久力が必要なんですね。
だからすごく走らされましたね。
走らされるし、とはいえどうなんでしょうね。
あまり短距離は速かったんですけど、
長距離はさほど早くない少年、青年でしたね。
あとバドミントン、うちの高校だけだったのかもしれないんですけども、
校舎の階段を駆け上がって駆け上るという、
まるでトレランのどこかのグループがやってるようなことを、
高校時代は延々と階段を、
あの校舎4階かな、5階かな、
その階段も外階段を延々と20本、30本ってやってました。
どういう効果があるとか説明は全く受けずに、
根性練のようにやってましたね。
バドミントンはストップ&ゴーが多そうな感じはあるんですけど。
ストップ&ゴーでもあるんですけども、
やっぱり高い心拍、一つのラリーで高い心拍が続く、
そのストップ&ゴーが。
僕が経験した試合で一番多かったのが、どうだろう。
21点のサンセットで1時間ちょいかな。
1時間ですか。
それぐらいの時間でしたね。
かなり参りましたね。
オンラインコーチもやられてる田中さんに一つお伺いしたいんですけど、
階段トレーニングとテニスの共通項って何か見えますか?
階段トレーニングってバネじゃないですかね。
跳躍みたいなところですかね。
フライオメトリックなのかな。
瞬発力上がりそうな感じするよね。
ただその時のコーチがそこまで目線を見ていたかどうかは謎なところはありますね。
そうですね。
あと今から考えると、
バドミントンで前へステップして踏ん張るときって、
だいたい死闘筋なんですけど、
36:02
そこが階段を降りる方のとき。
要はトレールの下りと同じ筋肉かなというふうには感じることはありますね。
あとになっていい意味でも影響を得る練習はされていたって感じなんですね。
これも後で振り返ると分かることなんですけども、
どこかで何かが繋がっているということなんでしょうね。
面白いですね。
大学に進学されて、
ここでも結構多いですね。
多いですね、田中さん。
基礎スキーやられてる方って。
何でしたっけ。
大沢さんもやられてましたし。
はいはい。
あと村井さんもこういう基礎スキーでしたっけ。
村井、綾子さん?
綾子さんは競技スキーじゃなかったっけな。
競技でした。
あと千鶴さんじゃないかな。
確か基礎スキーやってた。
千鶴さんです。
今も現役で指導員の資格を持ってらっしゃるかな、千鶴さんは。
千鶴さんはやってますね。
首島さんがこの基礎スキーをやろうと思ったっていうのは、
全く今までとはちょっとラケットも。
ただ持つけど、持つのは今度はストックになると思うんですけど、
これ基礎スキーやろうと思われたきっかけっていうのは、
何がきっかけだったんですか、これは。
父親に感謝なんでしょうね。
父親の時代はやっぱり、
テニスとスキーなんですよ。
私の時代はその名残というか、あれもありましたけど。
父親がテニスとスキーがやっぱり好きで、
スキーも中学校の頃、
親に連れてってもらった。
正直言ってバドミントンはもう嫌だったんですよ。
本当に高校3年やって。
また体育館の締め切った暗黙の中でまた、
大学4年は勘弁してくれみたいな。
校長を使えないですもんね。
でしたね。
入った大学の体育会もそんなに強いとこでもなかったし、
そこで何かとはちょっと思わなかったのが正直なとこで。
高校の時から大学に入ったら、
スキーをやりたいなと思ってましたので。
かといってアルペンができるほど、
そこまで本格的に親に連れてってもらって、
そこまで本格的にやってたわけじゃないんで、
基礎スキーだったら緩いだろうと思って入ったのが、
動機ですね正直なところ。
いざ入られたら緩かったんですか、
この基礎スキー同好会は。
僕のいた同好会は緩い方だったんだけど、
なぜか真面目な練習会とか練習合宿は、
39:02
きちっとやる同好会で、
今でも立教大学、
私立教卒なんですけども、
立教大学で当時は5つ目の教室があって、
1つ目の教室があったんですけど、
2つ目の教室があったんですけど、
3つ目の教室があったんですけど、
立教大学で当時は5つ6つスキー同好会があったんですけど、
今でも残ってるのは、
うちのクラブだけみたいですよ。
結構歴史も伝統もある同好会なんですね。
きつすぎず、
やわすぎずというのが、
良かったんだと思います。
あんまりきつすぎても、
体育会じゃないしね。
かといって、ゆるくてもどうかな、
みたいな子が多かったのかな。
本当によく続いてると思います。
今でも現役のクラブがありますので。
みんな卒業する頃には、
みんな一級を取れるぐらいには全然なってますので、
レベルとしてもそこそこのレベル。
大学の大会みたいなのがあるんですよ。
きつすぎの。
そこでもそこそこの成績が
収められるようなレベルになってますから、
上がってるなあという感じがしますね。
大学って、
同好会からもう一個上に行くとクラブになるじゃないですか。
あえて同好会を選んでる理由みたいなのが
あるんですか?
体育会は高校のときで、
ちょっとやりすぎたかなっていうのがね。
やっぱりちょっとイメージとして
ありましたね。
高校のバドミントン部も
特に先生の指導が厳しいとかはなかったんですよ。
比較的自主的にやる
クラブで
バドミントン部で
選手が自分たちでメニューを決めて
自分たちでやってたくらいですから
どうでしょうね。
そういう意味では恵まれてたんですね。
ただ体育会スキーブって
ちょっと今はどうかわからないですけど、
その大学の体育会スキーブは当時は
弱小でしたから
ハルペンだけじゃなくて
距離も、要はクロスカントリーも
やらなきゃいけないとか
高校でポイント取らないと
南部校というふうに上がっていかないんでね。
ハルペンの選手がクロカンやったり
してましたから、クロカン俺は嫌だな
しかもあれクロカンって
時給層じゃないですか。
時給層はもう勘弁してくれっていうのが
大きくありましたね。
42:02
後々にやられるトレランの
例えば田中さんたちと一緒に練習されてたのも
練習するときはピリッと練習するけども
その後の飲みはみんなで楽しくみたいな感じが
後々も続くっていうのは面白い感じではありますね。
バッチリ体育会じゃないっていう感じなんですかね。
そうだと思います。
あんまり
ギツギツに詰めてしまうのはあまり
好きじゃなかったんだと思いますね。
別にやる人はやる人で
否定はしませんけど
自分はそういうタイプじゃなかったということですね。
ただでもあれなんですね。やっぱり住み込みでバイトやられたり
ですとかインストラクターやられたりなど
やっぱり冬のシーズンになると結構本格的に
好きなことに検討されてたって感じ。
だから山にずっと本当にいる。試験のときは1月の試験のときは
さすがに戻ってこないと入念しちゃいますから
戻ってきて、それ以外12月から
当時は本当に12月から全く滑れましたんで
雪がありましたんで
12月から2月、3月というのは滑ってましたね。
ゴールデンウィーク5月も滑ってましたね。
春スキーってことなんですね。
田中さんここまで
久喜一郎さんのことってご存知だったんですか?
昔どういうことをやられたとか。
全然知らなかったよ。
話してないですよね。あんまりそういうこと話さなかったよね。
そうですね。
大人になってそんな話はしないですよね。
社会人になられてから、ここからが
スポーツとしてはかなり多岐に渡る
スポーツとされているかと思いますね。
ゴルフ、ちょっとランニング抜きますけど
ゴルフ、重装、ファストパッキング、クライミング
最近はサップ、スノーボード
スキーやロードバイク用かなともされているんですけど
まず一番最初に社会人になられて
されたのはゴルフなんですか?
そうでしょうね。ゴルフですね。
ステータスみたいなもんなんですか?
我々の世代ってあんまりゴルフするものが
あんまりいないんですけども。
なんでしょうね。
僕らの世代だとまだ
接待ゴルフというか
そうなんですね。
ゴルフというのが存在しました。
今はもうあんまりでしょうけども
やっぱり
どうでしょうね。
特に社内コミュニケーションというか
社内人力というか
社内関係はゴルフで作ったみたいなところも
当時ありましたから。
そんな時代でしたからね。
ゴルフは一回やって
45:00
ちょっとあんまりうまくいかなくて
ちょっとブランクがあって
後に出てくる
もう退社してますので名前を挙げても構いませんけど
Nike Japanに勤めてから
またもう一回本格的に
やり始めたというのが
でも
ゴルフって私もよく分からないんですけど
会員券とかもかなり
いいお値段するっていうのを聞いたことがあるんですけども
やっぱりそこら辺も会員券も購入されて
ラウンドされてたって感じなんですか?
本当は会員券を買って
プレイしてそこで地道に
どんどんプレイするのが一番上達をする
あれなんでしょうけども
私は会員券ではなくて
たまたま外資系のNikeにいましたんで
上司なり
知人なりが
米軍基地の権利というか
米軍基地でプレイできる
権利があるんですね
陸軍が座間か
空軍が多摩にあるんですよ
皆さんあんまり知らない
と思うんですけども
空軍と陸軍両方ちょっとコネクションがあったんで
そこで一番プレイをしてましたね
だから安かったんで
会員券買わなくても安い
プレイができたというのが当時でしたね
初めて聞きましたね
取得できるハンディキャップが日本のハンディキャップじゃなくて
アメリカのハンディキャップという
ちょっと変わった
ハンディキャップでしたね
オフィシャルハンディキャップというのが
田中さんゴルフって分かります?
ルールは分かるよ
よく聞くんですけど何なんですか?ゴルフのハンディキャップというのは
例えば
例えば
下手くそな人はハンディキャップがあって
要は
例えば18ハンディキャップあったら
1ホールごとにプラス1台打ってもいいわけですよ
なるほど
最終的にチャラかもしくはみたいな感じだよね
なるほど
みんなが楽しくできるように
そういうことがある
目安としたら
例えば
ハンディキャップ7という人は
常に
大体79
18ホールパーで回る
ハンディキャップ2ですから
48:01
ハンディキャップ9シングルという人は
常に70台79で回ってこれだろうというのが目安
一つの目安になる話ですね
田中さんもあれですか
ゴルフって
接待ゴルフ的なことってされたことあるんですか?
ないないない
みんなのゴルフかしたことないよ
田中さんは触手
触手的にはあんまりないですよね
ないですね
触手的に対外のお客様と絡むときって
どうしてもみたいな感じになるんですか?
営業とかやってんじゃないかな
営業の人たちとか
営業で僕ぐらいの世代の人は
まだ残ってるでしょうね
だから今コロナで結構ゴルフブームだったんですよ
みたいですね
ゴルフ業界すごくにぎわってましたから
それは接待とは違う
みんなで楽しく若い人ができるように
ということじゃないですか
プレイフィーも安くなりましたから
会員券とかもかなり安くなったっていうのは
ニュースで見たことありますけど
ゴルフを経験されて
次にすぐされたっていうのは
これはもうランニングになるんですか?
そうなんですよね
ゴルフって運動量からしたら
やっぱり
どうでしょうね
多くはないんですよ 運動量というかね
消費カロリーというのは
18ホール歩くということですよね
ましてや
後半はランニングと併用してる頃は
最後歩きで回ってたりしてますけど
ほとんどの場合カートで回るんで
ほとんど歩いてもないんですよね
なんで
どうやら仕事と
仕事のしすぎ
それから接待のしすぎで
どうも健康状態が良くなく
あるあるですよ
よくある健康診断で え?みたいな
ことからランニングに
入っていくというのが
みんなとはよくある話ですよね
やっぱりその頃体重が増量してしまったですか
あと内臓の数値が悪いとか
そういったところが反映されたんですか
そうですね
非常に良くなかったですね
内臓脂肪がついて
脂肪肝みたいなこと言われて
非常に良くない状態でしたね
51:04
フォアグラな状態だったってことなんですね
そうです
走り始めたのが2007年
自社マーケットの藁にはまった
田中さんがギリギリ知ってるんじゃないかな
はい
iPodと連動して
靴の底に
フットポット
センサーですよね
チップか
加速度センサーが入ってて
距離も正確
全然正確じゃないんだけど
これくらい走ったみたいなのが出て
それがネットに繋がって
音楽を聴きながら走ったら
なんとなく気持ちよかったっていうのが
正直言って最初
自分の会社のマーケティングには絶対に
引っかかんないと思ったんですけど
見事に引っかかりましたね
音楽聴きながら走るっていうのが非常に
当時楽しかったっていうか
気持ちよかったです本当に単純に気持ちよかったですね
この時のiPodってiPod Nanoとかでしたっけ
そうNano
Nano
Nanoって一番ちっちゃい正方形のやつかな
ちょい前
Nanoの前にちょっとね
画面表示があってそこに
走ったキロ数が出るんですよ
消費カロリーだとか
そのデータが
ネットに上がって
なんとなくSNSみたいのも
できるみたいなもんでしたね
自分はiPod Touchを持ってて
それはあれなんですよね
フットポッドがなくても
iPod Touchの加速でセンサーで
距離が出るっていうやつでしたね
もうそこで完結できちゃうあれなんですね
そうですね
実は自分はそれが使い出せてから走り出した感じですね
楽しくなっちゃって
なんせ昔はそんなもんですよ
フットポッドっていうのかな
あれしかGPSがない
あったんでしょうけども非常に高価だったんで
そういうのをつけて特に山なんかは
そういうのがつけてる人
例えば石川博さんなんかもつけてたっていう風に聞いてますし
そういう時代だったんじゃないですかね
ナイキかなんかのサイトがあって
あれですよね1週間でどれぐらい走ったとかって
確か分かりましたよね
なんかありましたね
54:02
ちゃんとログが付けられて
今で言うバーチャルイベントみたいなのもあって
今から考えるとそう
本当走りだなっていうか
出だしの頃だなと思いますねあれが
いちいち褒めてくれるんで嬉しくなっちゃいましたね
僕は
調査機関にありましたね
ナイキプラスってやつね
ありましたね
でもそう考えると昔からナイキって結構ランニングに造形深いところあったんですね
靴は最近かと思いきや
アプリとしては
そうですよね
やっぱり
どうでしょうね
ビル・バーワーマンっていうのがやっぱりランニングコーチで
ランニングカテゴリーがやっぱり
会社のカルチャーだと思うんですよ
あの会社は
バスケットの方でも有名ですし
他の今ではサッカー
ホットボールでも有名なんですけども
やっぱり会社のカルチャー
カンパニーカルチャーっていうのは
ランニングにある会社でしたね
あそこは
確かに私も本かなんかで見たら
ワッフルソウルの話も聞いたことありますけど
そこがやっぱりランニングから来てるみたいなのは
本当にワッフルの
ワッフルって思いついたっていう
わけですからね
でもネットフリックスあるでしょ
ありますね
ナイキの創始者の話でしょ
今度映画もやるんですよね
ネットフリックスやってるんじゃない
ネットフリックスでしたっけ
マイケルジョーダンをなんで誘ったかみたいな
それね新しいやつですね
エアー
まだノースカラー大学の頃のジョーダンを
説得していいみたいなやつを
スポーツマーケティングの
担当の話じゃないですかね
だからその最初の
予告というか
予告見ましたけども
バスケットボールカテゴリーはお荷物だから何とかしろ
みたいに言われて
やっぱり当時はまだランニングしかなかったんですよね
そこにやっぱりバスケットなんとかしろっていうんで
1か8かの賭けみたいなお話が展開されて
まだ公開になってないんじゃないかな
まだなってないっぽいですね
トレーラーで私も見ただけだったんで
自社のマーケティングの藁にハマってしまった
福島さんですがそこからは見る見ると
57:01
うちに乱に
ハマっていく人生を
歩まれるわけなんですけども
私がまず一番最初に気になったのが
2010年横浜月齢10キロ
障害税金4桁ってことは
1年間毎年出たんですか
そういうわけじゃなくて
田中さんでも横浜月齢
多分5桁でしょ
僕1万2千台ですね
1万2千ぐらいですよね
僕税金横浜月齢4700いくつなんですよ
そうですよね
あんまりここら辺の税金つけてる人
もういません
皆さんおじいちゃんになってるから
これはどういうことなんですか障害税金というのは
要は横浜月齢の税金ってずっと変わんないんですよ
交付されてその税金ずっと使うんです
そうなんですか
だからたまに2桁は僕見たことないが
3桁いたなおじいちゃんでみたいな
障害税金なんですよ横浜月齢って
えー
だから僕は4桁はちょっと自慢かな
しかも4千万台5千円以下ですから
だからまだ残念人口がほとんど
まだなかったっていうことなんでしょうね
これなんかあれですよね聞いた話だと
1年間出続けると
赤ゼッケンでしたっけ
そうそう
VIVSがもらえんだよ
VIVSがもらえんだけど
僕はあれかっこいいと思わなかったので
一応ほらスポーツ会社の
特にアパレル担当だったので
あれはかっこよくないなみたいな
そっち優先でした
あれはつけたくないと思ってました
参加した方に聞いたらおじいちゃんおばあちゃんが
運営してるホロモロソン社大会でよかったと言ってましたけど
ほんとそう
芋とか売ってるし野菜売ってるし
面白いですねこの辺は
この頃は主にほぼマラソンを中心に走られてて
後は途中にちょっとハセツネを挟み
それぐらいしかなかったですから
そういうことなんですよねやっぱり時代的に
後は北谷
北谷なんですよね
後はやっぱりチーム100マイルの原型となる
カブラギさんの教室であったりとか
そこら辺からですね
このレベルであっても
ポンと伸びたというか
この年齢であっても
その時は40を超えてたわけですけども
1:00:00
ポンと伸びたのは
カブラギさんの中級というのに通って
労働も伸びたというのが
そこら辺の時代ですね
ハセツネを経て
今度2012年に
第1回UTMFに参加されることになるかと思うんですけど
この頃
いろいろと100マイルの情報が
釘嶋さんの中にも入ってきて
走りたいなっていう憧れが生まれたっていう感じなんですかね
このUTMFの関心は
そうですね
単純に当時そういうことをやった人というのは
UTMBなわけですよ
MBに行って
100マイルを走るという人が
わずかながらいたわけなんですよね
このポッドキャストにも出たんじゃないかな
中村のりさんだとか
ああいう方がいらっしゃって
ただ私はヨーロッパに行って
そこまでやる実力も
なかったので
金銭的にも環境的にも
許されないなという中で
国内で100マイルって本当にできるんだろうか
っていうのが
憧れであり
中村のりさんを応援したいという
気持ちの中で
目指していったというのが当時でしたね
私もあまり
よくここで講演してるんですけど
トレーダーにあまり詳しくないんですけど
田中さんの1点お伺いしたいんですけど
UTMFで今天使参戒ってまだあるじゃないですか
あるね
天使行き越えの時代というのは
ちなみにどういったことになるんですか
昔は天使入って今は
ふもとでイカ降りるじゃん
昔は龍が岳ってところ残ってたんだけど
今はその手前までしか行かないんだけど
毎回降りますと
それをふもとに降りずに
山の中をずっと戻すまで
抜けるっていうコース
日々のルートだったんですか
2、3回までそれくらいだったんじゃないかな
1回目が一番厳しかった
1回目だけだった
そうだと思う
いろいろ安全上の問題だとか
あったんでしょうね
トイレの問題だとか
危険ですよね
当時1回目は時計回りだから
120キロ過ぎて
1:03:01
そこに突入していくという
天使に入るというのが
やっぱりきつかったですね
当然累積は1回降りる方がきつくなるんですけど
数字上は
精神的に
特に僕のような後ろの人間にとっては
2番目に
120キロ走った後に2番目に
あそこに突入していくというのは
あるものだったと思いますね
今から考えるとよくやったなというか
情報もない時代ですし
誰もやってないわけですからまだ
第1回だから
天使の山の中にペットボトルを500もらえたって
話を聞いたことあるんですけど
窪森に急遽
窪森のとこに
ノースペースの山系の人かな
聞いた話だと
新州大学の三角部が
下から水を全部煮上げしたって
後で聞きましたけどね
どこまで細かい情報が本当かどうか
わからないですけど
一応予定なかった水が
そこで供給できたあまりにも危険なんで
ということなんでしょうね
お話聞いてると結果往来だった感じなんですよ
ですよね多分
今じゃ許可出ないと思いますよ
2位になった
アダム・キャンベルっていうのがいいんだけど
その時はNHKで
特集があって
マジで降りてきて泣いてたからね
キツすぎて
キツすぎてたのかな
半べそかいて
アダム・キャンベルが
カブラキャンパス
そこら辺もカブラキャンパス考慮して
コースだったんですかね
それしか取れなかったのかもしれないよね
それもあるだろうね
仕打ちだもんね
カブラキャンパスさん的には
これくらいやってほしいみたいなことは
たかもしれないですね
僕らにはそういうふうに言ってたけどね
本当はどうかわからないよ
カブラキャンパスのクラスの中級クラスで
練習で1回やったもん
シライトの時からモトスクまで
やったよ
最後のモトスクの手前で残説が残ってて
結構ヘビーだった
チーヒャクの合宿で逆走はしましたね
1:06:01
モトスクから入ってシライトに抜けるとか
やったんじゃないかな
チーヒャクの力だったらそんなでもないと思うのよ
元気だとあれですよね
元気だと楽しいよ
あと昼間だったら十分
力のある人だったら楽しいですよ
一気でも
120キロ走った後っていうのはちょっとあれですよね
そこですよね
すげえなカブラキさん
そんな第一回のUTMFを
47時間で完走され
そこからもやっぱり
ハーフマラソン出られたり
ITJでまた第二回MF
後はMFコーミだったり
OMMがあったりですとか
2015年に
TDT2回目完走されて
これがあれですか
久喜島さんと田中さんが初めて走られた
一緒に走られた
そういうわけではないですか
田中さん初の100マイルっていうのが2015年にありますけど
僕の記憶が違ってるかもしれない
田中さんこれ
一つ前かな
一つ前ですね2014年のほうですね
逆に言うと僕が
完走できなかったときだと思うな
田中さんが初めて100マイル走った時は
TDTは
あれすげえ覚えてるのが
トムさんが
今でいうスープエイドって言われてる
エイド
残りそこから40キロぐらいですよね
40キロぐらいかな
トムさんだけ久喜さんを待つ
申し訳なかったけどね
残って他のメンバー先に行ったのかな
結局間に合わなかったんだよね
そっからトムさんがめちゃめちゃダッシュで
多分キロ後ぐらいで走って
俺とかが
双子で捕まったのかな
あーちゃんは走ったことあると思うけど
20キロぐらいか
多分結構待ってたんだけど
そっからぶっ飛ばして追いつかれたときは
マジこの人なんだと思ったからね
そうですよね
私でいうところのあれですよ
月岡さんとご一緒させていただいた時に
田中さんと岩垂さんがサイコービーから
来てガス橋で合流するっていうのは
まさに一緒ですよ
この人たちはマジなんだと思いましたからね
1:09:01
それと一緒ですよ多分それは
あれなんですかね
あの人たちは
異常ですよ
ちなみに釘島さんと
例えばトムさん田中さんの出会いっていうのは
これあれですか
どういった繋がりで皆さん繋がっていく
コミュニティになったんですかこれは
最初のきっかけは地位100かな
地位100なんですね
その後激高をやりだして
釘さんとかも激高の集合場所の近くに住んでた
そうなんですね
当時は一緒にやりだしたって感じだね
そうですね
あと大人のたまり場っていう
古市場のトラックに
朝でちょっとお邪魔したりして
あれじゃないですか
田中さんとのぐらい早いと
なかなか一緒に山行くっていうと
僕らだとちょっと遠慮しがちになるじゃないですか
どうしてもやっぱり差があるんでね
トラックとか激坂だと
一緒にできるじゃないですか
僕が一周する間に
田中さん一周半してもらえればいいんで
強度は別にそこでうまく調整できるんで
時間は調整できるんでね
強度がばらつけばいいんで
だからそこの2つはやっぱり
一緒にご一緒させていただいて非常に楽しかったですね
今から考えると自分も伸びたと思いますそれで
ちょっとそこのお話を伺いたくて
福島さんのブログにタイトルがある通り
4層2等でしたっけ
1休みみたいなブログのタイトル
ずっと
ペースとしてたぶん4日走って
2日登って1日休むみたいなのを
ルーティンとしてされてたみたいで
その中にたぶん激坂があったりとか
古市場でのトラック園があったりとか
そこらへんっていうのはやっぱり
お話があった通りやっぱりかなりご自身の中でも
ランとして成長できた部分っていうのが
一番大きかった時期になったらしいんですか
そうですねやっぱり速い人と走るというのは
やっぱりそれだけで何だろう
力が引っ張られるというか
というのはありますね
これはスポーツ何でもそうだと思います
先ほど冒頭から話した
ラケットスポーツもそうです
強い人たちとやっぱりいると
自然と力はやっぱりつきますよね
本当にそれは感じます
だからそのルーティンの中で
1:12:02
自分が
1休みとはありますけど2休みぐらいしてたかな
だんだんと育ってくると回復
つかないくなってきますんで
どっちか走って
ロング走った後ちょっと休み入れて
激坂やると
ジョグかクライミングでつないで
木曜日トラックレーンをやるとか
いうのがルーティンになってましたね
田中さんもこの頃は火曜日激坂
木曜日が古市場
大人の溜まり場って感じだったんですか
週末がチーハクトか
あと生田緑地かヤビストン
なるほど
たぶんわれわれが私がポッドキャストで聞いてた
心の練習をってことですよね
たぶんその100タイムズ
憧れてた世界が
こんな軽々しく私話していいんですかね
このお二方と
私の如き
皆さんここに出る方ね
本当にみんな早い方なんですよ
僕だけですよ
ここからちょっと革新に迫りたいところもあるんですが
やっぱり
久喜島さんの資料を拝見させていただいて
100マイルを超えてのレースに
挑戦されるようになられたかと思うんですけども
まず
100マイル完走されて次に2015年の
ビッグフット120K
このカテゴリーは100マイルではないと思うんですけども
これは
初めての海外レースになるんですか
そうですね
実は
前年に
コウミが失敗をしてるんですね
コウミがDNFで
4週目の途中で
4週目の山入るとこで
DNFをしてまして
どうしてもその次
僕は
私の速度でも2番超えないんですよ
制限時間も当然短いんですけども
2番超えないレースっていうのを
自分には合ってるなと思ってて
コウミの前身である八ヶ岳で
30時間ちょっとで走れて
ベストレースのうちの1つなんですけど
八ヶ岳でいいレースができたんで
1番超えの100マイルの方が
1:15:01
合ってると思って
コウミがDNFだったことが
ちょっと自分の中ですごく悔しかったんですね
そういうことがあって
その年ビッグフットの最初の120Kに出た年も
実はちょうどその時期10月なんですよ
今ではないんですけど
10月のビッグフットの120K
これにエントリーしたのは
出張が入っちゃったんですよ
コウミのレース日に
出張が入ってしまって
ご存知の通りナイキの本社ポートランドですから
ここからエントリー今からできるレース
ないだろうかと
ウルトラサインアップを探したら
ありましたと
ポートランドから2時間ぐらいなんで
レントガー借りれば全然いけちゃう範囲で
120Kだったら
大丈夫だろうぐらいの
軽い気持ちで
当時藤岡さんが
MMブログを書いてらっしゃり始めた頃かな
藤岡さんにも聞いて
まだエントリーできるけど
このレース大丈夫なのって聞いたら
いやいやディレクターのキャンディスバート
地元でも有名な女性ディレクターで
やり始めたばっかりだけど
一生懸命やってるから悪いもんじゃないはずだよと
ただ10月のワシントン州
あれそうだよ
というのは言ってましたけどね
藤岡さんがね
このキャンディスっていうのはあれですよね
前回村井さん時にも出てきた女性の方ですよね
RDの方ですよね
いざというと実際蓋を開けると
ロストット低体温で
残念ながらカットオフのDNFということになってしまったんですけど
やっぱり
マウントレーニアとか高山の方とか
ビッグフットだと
そうですね
ビッグフット120は
セントヘレンズ火山
さすがに皆さん若いからわからないでしょうし
僕でもあんまりリアルでは知らないんですけど
私より上の世代
セントヘレンズ火山というのが爆発をしまして
当時世界的にも有名になった
大噴火で被害も相当大きかった
でも大きかった割には火山予知の基礎ができて
被害を最小限にとどめたというので
有名な火山だそうです
そこを走るレースということで
1:18:00
そういう樹林帯ではないところを走る
準備ができてなかったかなというのが
反省点でしたね
というのは
ここで言うとどうだろう
1500から2000にいかないんじゃないかな
ピークでも
2000にいかないと思うな
1200から1500を行ったり来たりするぐらいの
ところで
標高図見ると
ちょっと甘く見てたんですよね
多分僕が
甘く見てて10月だし
まあ大丈夫だろう
あとで考えてみて藤岡さんが言ってた
あれるよって言ってたのがそれで
やっぱり低気圧が太平洋からドーンってくると
どうもやっぱりアメリカの西側
パシフィックのオーストベーストという地域は
もろに影響を受けるそうですね
どうもねやっぱり
一気に気温が下がって
風が強くてやっぱり
火山の後を通過するんでね
樹林帯がないところが
多くなっているんですよ
特に120キロのコースというのが
最初は樹林帯から
綺麗な樹林帯から始まるんですけど
後半中盤から後半にかけては
非常に木がないところでしたので
そこでちょっと天候が荒れて
本当に乾燥者が7名しかいないような
大荒れのレース
よく中心にならなかったなというのが
確かにそうです
参加者どれくらいだったんですか
どうでしょう100人いないと思います
2桁7、80人ぐらいじゃないですかね
乾燥率1パーとかですか
10パー
10パーぐらいですね
やっぱりみんな危険を感じてやめたんでしょうね
私も本当にちょっと寒さを感じて
切るタイミングがちょっと遅れたんですよね
ちょっと遅れただけで戻らないですね
運動量がやっぱり追いつかない
最後スイパーが来たんで
そこに助けられた感じですね
あれいなかったらちょっと自分も危なかったなというのが
本当に反省ですね
その次のエイドで
ダウンの用意だとか
かなり防寒は用意していったんですけど
手前でちょっとそれに
学天候の罠
自分が慣れてない非樹林帯というか
木のないところを走るレースというのに
やっぱりちょっとやられましたね
1:21:01
写真でも拝見しましたけど
セントヘイレンズが山大崩壊を起こしたことによって
木が枯れてしまって
若葉しか生えていない状況のところを
走るような感じになるというのは
日本の1500mとか2000m級の山とは
またちょっと違う感じだったって感じなんですかね
言葉とかコースブリーフィングでは
理解をしていても
実感でそういうのがないと
あれなんでしょうね
ちなみにアメリカですと
カルトポっていう
地図があるんですよ
カルトポ
これのサイトを見ると
完全な性格ではないんですけど
なんとなく色付けされてるんですよね
樹林帯のあるところは緑になってるし
ないところが茶色になってるし
そういうのをもっとちゃんと見ればよかったかなというのが
ちょっと後悔してますね
田中さんもあれですよね
ちょっと違うんですかね
ワサッチとかユター
全然違うか
全然は違うね
ちょっとまた参域帯も違いますもんね
ちょっとどころじゃないですかユターと
ユターのときもかなり標高も高くて
ユターはだって
ワサッチのときは
ただやっぱりそこら辺の樹林帯っていうのは
日本に近い感じなんですか
森林限界超えてるからそこは違うんですか
森林限界超えてても日本よりアメリカの森林限界高いと思うよ
そういうもんなんですね
2800ぐらいまでいっても
今日は多分あったんじゃないかな
本当ですか
2000とか2500ぐらいですもんね
2300とか言うね
福島さんとしてはこの第1回初めて出た
ビッグフット120Kで
残念ながらDNFだったんですけど
ちょっとやっぱりこのビッグフットというものに
惹かれるものがあり
ちょっとのめり込んでいってしまう感じになったんですかね
そうですね
非常に
なんとか物にしたいという気持ちと
やっぱりちょっと
このレースの雰囲気というのが
すごくアットホームで
人数も多くない
今は人数がかなり多くて抽選になってるみたいなんですけど
当時はもうエントリーすれば
走れたぐらいの人数でしたから
アットホームなところが
なんとなく走っててというか参加して
1:24:01
私のような
海外からのランナーも
心よく受け入れてくれる雰囲気が
とても好きになったというとこですかね
映像の食べ物とかがすごく良かったのが
やっぱりそうなんですね
補給ってやっぱり
その人に合う合わないってあるじゃないですか
エイドのハンバーガーとかが
ものすごく美味しくて
やっぱり僕のスピードだと
ジェルではなくて色んな固形物も
取りながらという形になりますんで
そこがやっぱり
走りやすいなというか
良いレースだなというのが第一印象でしたね
で翌2016年に
ビッグフット200マイルに挑戦されるんですけども
先ほどの話の中でやはり一晩ぐらいの
100マイルがご自身にはちょうどいい
というお話されていましたけども
200マイルになると一晩というのはかなり
難しいところになると思うんですけども
なぜこの200マイルに挑戦されようと思ったんですか
はい今
藤井くんが言ったことと
200マイルをやるということが
矛盾して聞こえたと思うんですけどね
実は矛盾してなくて
二晩が苦手
っていうのがやっぱり
寝ないっていうことが
ちょっと自分の中で
どうも我慢大会になってしまって
例えば田中さんのスピードだと
田中さんだとMFだって
だいたい一晩じゃないですか
二晩ってないじゃないですか田中さんのスピードだと
そうですね
田中さん24時間以上走ったことないって言ってたもんね
最近はもう24時間以上走ることは増えてきましたね
本当に
二晩って
普段の例えばさっき言った
普段の練習だとか
普段の生活の中で
フィットさせていったトレーニングが
の結果にあんまり結びつかないような気がしてね
どうしても我慢大会になってしまってて
自分の中でレースと
普段の生活の中のトレーニングっていうのが
結びついていかない感じがして
嫌だったんですよ
で一晩っていうのに
一晩超えの100マイルというのに
注目していったんですけども
逆に二泊だと今度
寝る前提になってくるんですよね
1:27:00
スリーピングテントで
時計は動いてます
だからトップランナーは当然寝ません
だけど私レベルになると必ずどっかで
毎日仮眠を取る形になりますんで
寝る前提になると
これ全く話が180度変わってって
だったらこれは
いい自分に合ってるんじゃないかなっていうのが
想像の範囲を超えて
この200マイル最初の挑戦の時に
これだったら何とかいけるわ
最初の挑戦がちょっとダメだったんですけども
いろんなプランニングをもう一回やり直せば
何とかいけるんじゃないかなというのが
200マイルへののめり込んでいった
一つの要因ですね
とりあえず今杉島さんからお話ししちゃったけど
結果的にはルートミスとかそこら辺があって
255キロ地点で関門でDNFという形に
なってしまったんですけども
やはり今のお話を伺っていると
当初ではどのくらい仮眠を取る予定とかで
いらっしゃったんですか
一番最初のビッグフットですけど
各日
私だったら4日かかってしまうんですけども
昼夜問わず
1日3時間くらいの
仮眠を取りながら進めたらなと
いう思いはありましたね
320キロを
4で割ると4×32
1日80キロですよね
1日80キロを
80キロって24時間かかんないじゃないですか
どう考えて歩いたって
ゆっくりでもいいから4を進めて
3時間くらい寝ても
間に合うんじゃないかっていうのが
最初のプランでしたね
ところがそうはいかなかったんですけど
現実はね
途中途中第1回のときは
ポールが折れてしまったりですとか
いろいろ不運に恵まれて
残念なところだったんですけども
次2回目に行くときに
私がくぐしまさんのブログを拝見させていただいて
気になったのがリザルトを見ると47人の
感想者のうち10人が55歳以上
最高齢が64歳
どこにその甲斐があるのか今の自分には分からない
今ぼんやりとあるのは
今回体のマネジメントはある程度できたので
脳内のマネジメント 睡眠はその1つできていなかった
1:30:01
というのが第2回目に
おそらく活かされたのではないかなというところだったんですけど
やはり先ほどお話しした
睡眠 肉体的なマネジメントは
8時間だから24時間かからない
脳のマネジメントのところが
第2回の感想のところにきたのかなと思うので
脳のマネジメントのところの話をお伺いさせていただきたいんですけど
どこのテントで
寝るか
そこで寝れなかった場合
バックアップのテントがここにある
というのを頭に叩き込めていたのが
2回目のチャレンジでしたね
確実にそこで
結果的に大体僕
1時間半が1つのサイクルでしたね
細かく言うと45分かな
一番短いタイプで45分
ぐっすり寝るとちょうど1時間半なんですよ
私 あまり睡眠学者じゃないんで
詳しい方が申し上げたら教えてもらっても結構なんですけど
僕は1時間半できっちり
すっきり回復をできて
前後の準備だとか
合わせると2時間くらいで
一番スリーピングテントがあるような
映像が出れるわけなので
そのマネジメントを
うまく回していったのが
2回目になりますね
あともう1つ
1回目は1人での参加だったんですけど
1回目は
クルーとペッサーを
つけましたので
そこの力というのは
やっぱり大きいですね
喋りながら走れますし
そういう意味では
2回目のチャレンジのときは
幻覚は1回も見ないで
全然過ぎました
ただどうしても眠気が来たときは
ペッサーがいるときは
ちょっと横で目つぶりますという形で
ペッサーがいるときは休憩を取ったことはありますけど
そういう形でペッサーとクルーの
力というのも大きいですね
長いレースになると
例えば私もそうですけど
ちょっと休んでしまうと筋肉が固まってしまって
逆に筋肉痛が起きちゃうんじゃないかなという気がしてしまうんですけど
この200マイル中
仮眠で45分から1時間半ぐらい睡眠を取られて
そこら辺筋肉が硬直しちゃうとか
あまり固くなるということはあまりないんですか
人によってはあるでしょうね
当然冷えには気をつけた方がいいですし
1:33:02
できるだけ温めた形で
スリーピングテントの毛布とか
非常に寝やすい
良い毛布でしたんで
寒さは感じることなく
快適に眠れましたんで
最初の走り出しのときは
当然硬いですよ重いですよ
それも含めて徐々に
上げていくということしかないですかね
200マイルで私のペースになると
そんなに上りを走るということはないんで
上りはほぼほぼレア歩きになりますんでね
江戸出て上り始めというのは
大概ゆっくりして
ほぐれてきたら
ペース上げるというようなことを繰り返してましたね
100マイルでもペーサーとか
クルーの方がいてくれるとすごく多分
太ころがたなのように安心すると思うんですけど
それとはまた違う200マイルの
ペーサーとかクルーがいると
100マイル以上に
ありがたみといいますか
もっと大きいものになるんですか
そうですね
周りがほぼほぼ
ついてますからね
自分だけ1人というのは
やはりね
答えますね
江戸の人が優しくしてくれたりするんですけども
やっぱりクルーがいて
車で先回りしてくれるわけですよ
この地域ってかなり奥深い
山なんで
車で行くのも大変
そこを来てくれて
ペーサーが今のうちの奥さんと
ポートランドの在住の
ナミコさんという方がいらっしゃるんですけども
その方がペーサーをしてくれて
だいぶ
きついところを
和らげてくれたという
逆に1回目に
脳内のマネージメントが
うまくいってないというのは
これが早い人だったら
アクシデントが何回かあっても
制限時間内にいけるんでしょうけど
自分の力だとこれはやっぱり
人の力は素直に
借りた方がいいだろう
そうじゃないと無理じゃないかなというのが正直なところでしたね
田中さんどうですか?出られるか
ちょっと未定なところもありますけど
200マイルレース
1:36:02
田中さんだと
トップクラスになると寝ないからさ
60何時間かな
トップは60時間くらいだと思うけどな
60時間
星野公平君っているでしょ
星野公平さん
今チャリンコで南米横断してる
ボリビア横断してる
彼が70時間ちょいかな
村井綾子さんで80時間くらいかな
綾子さんは過眠してると思いますよ
星野君もどっかで過眠したって言ってましたから
やってるなら寝ますね
ちょっと健康的じゃないよね
元々健康的じゃないけど
逆に僕はオススメなのは
トップは本当に
エリートランナーはきついんだろうなと思うんですけども
私のようなランナーで
山の重曹に慣れてる人
何日間かの行動に慣れてる人は
オススメかもしれませんね
ちなみに久喜さんどれくらい寝たんですか全部で
全部でどうだろう
1日12時間くらい寝てるかな
12時間くらい
ゴールタイムが103とか105とか
そんなものだと思うんですけども
ザルト覚えてないですけど103とか105だと思うんですけど
制限時間が108かなんかね
プラン通りというか
うまく走れたと思うんですけども
そのうち1日
1時間半が2回の場合もあるし
3時間が1回の場合もあるし
ただ1年目と2年目で変えたのは
一晩目を寝ないで
100キロまでスーッと行くというのを目指したんで
どうしても1年目でカットオフゲームって言われる
要は関門との戦いになっちゃうと
ワンアクシデントあった時に
精神的にも落ち着かないというか
ミスがミスを読むみたいなことになると
やっぱりレースになっていかないんで
入りはある程度
早く入る必要はないですけども
スーッと
スムースに
ちょっと早めに
100キロぐらいを一晩で抜ける
その一晩は寝ないで
1:39:01
若干朝方その100キロ地点のエイドで
若干仮眠をする程度にしようというのが
2回目の作戦でしたね
そこはちょっと変えたところかな
そういう意味では確実に
一晩目以外はちょっとずつ
仮眠をとってますね
そのおかげで本当に幻覚とか見ることなく
最後の方さすがに一応は
重くなりましたけどね
さすがに
3日目前半までは全然食べ物も固形物で
固形物中心で全然
もりもり食べてましたんで
なかなか理解しがたい世界だと思うんですよね
またちょっと
理解しがたい人物がちょっと出てくるじゃないですか
ちょっと読み方わからない
ジーン・ダイクスさんっていう方でいいんですか
ジーン・ダイクスっていう
ちょっと僕と前後してたんですけども
今74後の方ですか
今74歳5歳
74歳で
サブスリーなんだよね
そうなんですよね
大島さんにお声掛けして
カトコトの日本語で来るから
どうしてって聞いたら
次の米軍基地にいたんだ
みたいなこと言うんで
いつの時代だという感じですけどね
ベトナム
ベトナムから帰ってきたとか
ベトナム先生と時代合わないだろうとか思いつつ
合わないだろうとか思いつつ
極東担当だったんでしょうね
極東地域の
バリバリの兵士というよりは
どっちかというと参謀的な
エリートっぽい感じはしましたけどね
軍人体型じゃないですよ
今サブスリーでフルマラソン走るぐらいですから
ほっそりした体型の方でしたね
その方が
僕と前後してて
ということはやっぱりその人は
後で分かったんですけども
この間ヤイヤコさんが達成したトリプルクラウン
を僕の走った年に
達成してるんですよ
早く走るんじゃなくて
確実に完走しようと
一発で上位を狙ってしまっては
ダメなんで後が続かないんで
確実に僕と同じぐらいの
完走レベルで
まずはビッグフッドを
1:42:02
タホが先かな
ビッグフッドを消化しようという作戦だったんでしょうね
残りモアブーの240を
残してるということを
頭に入れての抑えたペースだったんでしょうね
今から考えると
後で分かったことですけども
エントリーリストで日本から来る
釘嶋さんのことをただ一方的に知ってただけ
ということなんですか
向こうから声をかけてきましたからね
そういう意味では
お一松っぽいおじいちゃんでしたよね
たなかさん驚くが70歳で
2時間54分23秒なんですよフルマラソン
早いね
早いところじゃないですよね
2006年以降合計152回の
マラソンとウルトラマラソンを走っていて
現在74歳60代7カバに
校長を得るまで非常に平均的なランナーでした
彼の哲学はただ走るです
よく分からなくなってきますよね
逆に言えば
走り始めるのが遅いっていうのも
一つは長続きする
あれかもしれませんね
やっぱり体って消耗品の部分ってあるじゃないですか
膝なり関節なり筋肉も
やっぱりこういう方っていうのは
逆に走り始めると
走り始めるのが遅いと
またそこから長く続けられるんじゃないですかね
人大吉の前に
最年長感想者は
60代中盤の方だったと思うんですね
おじいちゃんまでいかないけど
おじいさんがいて
ビッグフットの
ウェブサイトを見ていただくと
動画があります
動画が2つあって
上にある動画は比較的最近の
後半にあるウェブサイトの下にある動画が
2017年のレース
僕が2回目に出た
ビッグフットのレースを
撮った動画なんですけど
私も映ってます
私が走ってるのも映ってます
そこに出てくる
トレッキングコールをよちよちつきながら
森の中を
歩いてるおじいさんが
やたらフィーチャーされてるんですよ
なんでこんなおじいさんがフィーチャーされてるのかな
って思ったんですけど
実はそれがその当時
1:45:01
での最年長乾燥者で
名物レジェンドの方だったようですね
そういう方が
何人かいましたね
そうなんですよね
さっかくに陥るんですけど
前回の村井さんと樋島さんの話を
見たり聞いたりしてると
200マイルが楽しそうな気がしてきちゃうんですよ
楽しいですよ
最初に出た時にいきなり言われるのが
お前初めてかと
だったら
ナイサー&イージーアーって言われたんですよ
100マイルより
ナイサーかもしれないけどイージーアーじゃねえだろって
言われましたけど
そういうふうに言う人多いですよ
イージーアーって言ってましたね
こういうところに出る人たちは
若干ちょっとお金貯めて
走りたくなっちゃう気になっちゃうんですけど
でもちょっとまだ早いのかなと思いつつも
日本だったら死害死とか
そうそう
あんまり大きい声じゃないですけど
こっちの方が楽しそうじゃないですかアメリカの方が
これビッグフットの特徴が
ワンウェイなんですよね
周回ではないんでワンウェイの200だと
本当にいろんな山を見れるというか
砂漠みたいな
セントヘレンズの砂漠
火山帯からスタートして
北側に回り込むとレーニア
マウントレーニア
これ俺の山ですよ
レーニアさんの方に回り込んでいくんですけど
そうするとかなり寒くなりますしね
暑いところから寒いところまで
ルイスリバーっていうすごい綺麗な渓谷
日本で言うとどういうところかな
奥多摩の渓谷のような
綺麗なところ
トラウトカントリーって言われる
レースに乗っからかって釣りしたくなるんじゃないかな
っていうぐらい魚影がトラウトの魚影が見える
トラウトを走っててトラウトの魚影が本当に見えるんですよ
変化がずれ
そう
そういう変化の富んだ
200マイルっていうのがこのビッグフットの特徴ですね
ちょっともう小木さん
どうぞどうぞすいません
そうでしょうね200マイル
ユタのモアブ240
あとレイクタホミ200っていうのは
どちらかというと景色は一定なんじゃないかな
1:48:00
変化のあるのはこのビッグフット
一番変化のあるレースになるんじゃないですかね
ちょっと大変恐縮ではありますけど
これから例えばビッグフット200を走ろうとか
モアブ200を走ろうとかタホミ200を走ろうという
童貞野郎どもになんか捧げるお言葉があれば
ぜひお伺いしたいんですけども
やっぱりどうでしょうね
自分の寝るプランみたいのはある程度立ててた方が
寝る前提のレースっていうのがレースと呼べるか
っていうのはちょっとありますけどね
エリートの方からすると
時計が回ってるときに寝るというのは
あんまり感覚的にはないんでしょうけども
そうでなければやっぱりきちっと脳のマネージメントっていうのは
やっぱりこんだけ長いとしないと
ちょっとやっぱり体持たない
幻覚を見てしまうっていうのがありますんで
やっぱりそのマネージメントと
それからどうでしょうね
デポをうまく使う
日本のレースと違って
田中さんもご存じだと思うんですけど
アメリカのデポってすごく合理的にできてるじゃないですか
デポが何でしょう
奇数デポ偶数デポってあって
それが動いてったり
すごくうまくできてるんですね
ここで預けたもんが次はこっちの
次この江戸に行ってるよっていう
それが3パターンあったのが移動していくみたいな
非常に合理的にできてて
だからこんだけビキフットみたいな
変化の多いとこは当然装備も変化するんで
そういったもの全部持つとこれ大変重たくなると思うんで
デポをうまく使う
できればやっぱりこれはクルーとペーサーと一緒に走ったほうが
圧倒的に楽しいです
ペーサーも一緒に旅してもらうと長いですから
楽しいんじゃないかなと思いますね
あと装備のことでやっぱりいろんなバックアップは
100マイル以上に
100マイルでもアクシデントあるじゃないですか
いろんなアクシデントあるんで
やっぱりそれ以上にアクシデント
例えば僕はメガネが割れたりもしましたしね
予備のメガネをデポに預けてたんで
あそこまで行けばメガネがある
それまではちょっとペーサーに目になってもらって
ということもしましたしね
ボールの予備あるいはシューズの替えみたいな
1:51:03
サブシューズをデポに入れてる人も多かったですね
僕は一足で走っちゃいましたけども
そういう装備の面とそれから
アメリカのレースの特徴として
塗装が多いんで
やっぱり足裏のケアは
やり方は人それぞれだと思うんで
その方法は前もって自分で
これはちょっと日本のレースだと経験できないんで
言ったら普段の重装だとか
普段の練習でどうしても悪天候の中走った後
自分がどうなるかっていうのをよく理解して
対策を取ってた方がいいと思いますね
お仕事に対する足のケアということですね
どうですか来年200マイル
面白そうって言うと語弊があるかもしれないですけど
ドラマティックなところがありそうな気がしますよね
人間ドラマじゃないですけど
その人その人のどう過ごしてきたかじゃないですけど
100マイルよりもちょっと重厚な感じがして
後方になるとランナー体系というよりは
やたらガタイのいい人がいますね
あれ何なんだか分かんないんですけど
お前走れんだかよって思うんだけども
いやー上りとか強いんですよ
トレランポールとか普通僕らほら
ブラックダイヤモンドなり
軽いの持つじゃないですかカーボンの
要は普通のハイカーが持つ
可変式のゴツンゴツンみたいなやつで行くんです
そうじゃなきゃ折れそうなくらいの力で持っていきますから
やっぱこいつら
こういう人たちと戦争しても勝てねえだろう
本当思いますね
こいつらの整備力ってかあれは何なんだろうと思いますね
楽しいかどうかっていうと終わってからの感想になると思うんですけど
ただ村井さんはじめ小島さんの見てるとありだなっていう気は
あとは会社と家族の了承は多分大丈夫だと思うので
あとは会社が認めてくれるか認めてくれないかってところですね
そうですね
同じ200マイルでもトルデジアンとかと
このアメリカのこの3つのレース
同じ被災団体なんですけども
やっぱり圧倒的に違いはやっぱり
トルデジアンはもっと制限時間長くてもっと標高差があって
1:54:03
山山山山山なんですね
だから多分膝を折りたたんで
登っていく急都が多いと思うんですけど
このビッグフットに関しては
そういう急都は一箇所あるかないかぐらいですね
あとはそんな急じゃないんですよ
だらだらした長い登りが続く
ものすごい続くみたいなものはありますけども
そう考えるとあとランナブルなまま
フラットから若干緩く下ってるところも
気持ちよく走れるところもありますんで
どうだろうあんまり山々したのが好きではない方は
トルデジアンのようなヨーロッパの200マイル超のレースよりは
このアメリカの200マイルの方がおすすめですね
確かにそうっすね
あとみんないい笑顔されてましたねゴール
別にトルデジアンの方がいい笑顔されてないってわけではないんですけど
乗り方がうまいと思うんですけど
ブルブルクラウンの全部見ましたけど
みんな楽しそうな本当にあなたたち320キロ走ってきたの
みたいな笑顔されてたんで
ちょっとああいうの見ちゃうとやっぱりいいなっていう気はして
私はしてしまいました
本当にゴールはそんな派手なゴールじゃないんですよ
そんなに人数も多いレースじゃないんでね
商業的にヨーロッパのような商業化されたレースではないので
レースディレクターが食べていかなきゃいけないから
コマーシャルにされてると言えばされてるんですけど
大人数で派手な演出があるわけではないので
非常にみんなで温かく迎えてくれて
最後自分の気持ちの中から嬉しさが出てくるというのが
長い旅の終わりに待ってるというのがいいレースですね
最後に久喜島さんもゴールされてた
片田舎のアメリカのトラックを一周されるシーンの写真見ましたけど
なんかいいですね
何もないって言い方が正しいか分かんないですけど
特に飾り気もなくただ歓送車を祝うみたいな
フィールドオブドリームみたいな感じの
世界を背負った写真から私の感じで
本質的なエンディランスの喜びを知ってる人たちが
称え合うというのがすごくいい雰囲気でしたね
最後レース終わるとバックルが
1:57:01
ここは女性のRDなんでバックルが綺麗なんですよ
日本でいうしっぽを焼きみたいなバックルなんですよ
冬季に近い感じの感じでしたね
好きなバックルを並べてあるものから選ぶというのが習慣でして
それを選んで少しゆっくりしながら
次の歓送車を待つというのが
のんびりトラックで待つというのがいいですね
この時間帯というのは
ちょっといいなと思います
田中さん何かお付き合い長いと思いますけど
久喜島さんに何か聞きたいことですとか
そういったことはございますか
そうですね
久喜さん最近はどんなスポーツをしてるんですか
スノボーとかバイクとかやられてますけど
そうですね
ストラバ見ると走ってないのが分かるんですけど
これねやっぱりケガというよりは体の変化なんですよ
田中さん体調変わってから大丈夫かな
膝の半月盤というのはやっぱりね
消耗品でもあるんですよね
半月盤
例えばサッカーだとかバスケだとかで
よく半月盤断裂みたいな
前十字とかやりますね
ACLと半月盤一緒にやっちゃったみたいな
話があると思うんですけども
ランニングの場合は半月盤が蓄積して
ダメージが蓄積してって
変形していくっていう
変性断裂っていうのがあるんですけども
それなんですよね
だからちょっともうこういう長いウルトラっていうのは
ちょっとなかなか私は難しいのかなとは思ってます
ただやっぱり今までやってきた中で
せっかくこの体の身体性というか
大切にしたいですし
そこでできた仲間っていうのはやっぱり大切にしたいと思ってるんで
レースに関しては
ボラダとか
そういったクルー
それこそ誰かのクルーをしてもいいですし
そういったことで
参加していきたいなと思ってますし
できれば自分も一番短いカテゴリーのレースを
走れたらなとは思ってます
そんなことで逆に今は
膝の半月盤に無理がないという意味では
2:00:03
ちょっとロードバイクをやっぱり買って
始めたらやっぱりちょっと面白いんですね
あまりコンペティティブなことはするつもりはないですけども
自分の体に合わせて
ちょっとやる種目スポーツを変え始めてるところですね
あとあつし君が確か
クライミングやってたよね
どっかの会で
ボルダリングやってましたよね
相当やってたよね
話聞いてこの人相当やってたなと思ったんだけど
一時期ハマってましたね
ランナーでいうと岩垂れ君も
岩垂れさんもそうです
子供の頃
ジュニアの頃からやってたくしですね
僕は歳をとってから始めてるんで
あまり高いグレード
ハイグレードの売れるわけじゃないんですけども
もう1回クライミングはちょっと今ハマってます
どうでしょう
以前のようなグレーズワンでも登れないんですけども
どうだよジムに行って
登れない課題を何か考えながらやってる時間も
すごく今楽しいですね
頭使いますからねあれ
頭使う
いろいろ考えるから逆に嫌なことする
ランニングと逆なのかな
ランニングは何も考えてないと思うんですよ
練習の時は
ペースとか見てますけども
どっちかというと空白になれる時間で
どうでしょうね
ストレスが忘れられるっていうのが
ランニングだと思うんですけど
クライミングは考えるスポーツで
考えることで余分なことを考えなくて済むみたいな
ところが僕にはありますね
大局というかその違いが面白いですね
自転車競技だとブルベっていう競技があるじゃないですか
あれはランニングのエンディランスと
あるんですよ
1日に何百キロ移動して
ステージレースではないんですけど
1500キロぐらいを最終的に目指そうみたいな
日本でいうとミフネさんという方が有名なんですけど
そこらへんは福島さんやられたりとか
あんまり考えてないですか
これからブルペだったらいいかなみたいな
そうですよね
ヒルクライムとかやるわけじゃないけども
ブルペだったらコンペティティブじゃなくて
できるかなという感じはしますね
トレーナー仲間の石井さんは
ブルペの人になっちゃいましたね
2:03:00
そうなんですか
総裁
ブルペの何でしたっけ
同一年度に200,400,600
ありますね
バックルじゃないけど
昇吾というかね
あれをコンプリートしてましたからね
でも金の掛け方は違うしねあの人
バイクもいいの持ってますからね
そもそもZWIFTやるためにバイク買ったら
そっちにはまってきましたよね石井さん
そうみたいですね
見てると
最近はトレーナーの間では
スキーウィンターが結構
スノースポーツが結構やってる人多いですよね
そうですね
いいことだと思いますよ
クロスカントリーあれですよね
村井さんとか斎藤美樹さんとかも見てると
クロスカントリー
そうだね
心配的にいいんですか
心配的にもいいし
スキーの下りをやれば
トレーナーの下りも早くなるって
スピード感が全然違うんだよ
全然トレーナーのほうがイージーだって
そうなんですね
神経的なとこもそうですし
使う筋肉も似てるっちゃ似てますよね
何だかんだクロストレーディングやっぱり
相互作用で良くなるところもあるって感じなんですかね
そう思うよ
ただちょっとお金はこの物価高のおり
そこが一番の課題なところはちょっとありますけどね
あとお勧めなのがやっぱり自分が
もっと早くやっとけば良かったなと思うのは
やっぱりヨガですかね
ヨガ
やっぱりちょっと三月盤があんまり
状態が良くなくなってから
自分の筋肉の特性だとか
関節周りっていうのをちゃんと考えられるようになったんですね
だからやっぱりもう少し早くヨガに出会ってればなと思う
正直言ってね
ヨガやってる時間あったら走りたいっていうのが
時間ない中で練習時間作るじゃないですか
20分30分あったら
強度の高いことをやりたがっちゃったんですよね
だからやっぱり自分の体の変化に気づかずに
やっぱりやりすぎるのは良くないんだろうなと思いますね
自分の体の変化に自分のトレーニングもフィットさせていくのが
2:06:03
本当のフィットネスなのかなと
生活も変化するし
例えば仕事だとかお子さんのことだとか
変化ってあるじゃないですか
そこにフィットさせる
年齢がいってくると私みたいに関節周り
人によっては私の歳になるとどうでしょう
ホルモンバランスを崩したりする人も中にはいますから
そういうのにフィットさせて
トレーニングも見直していくっていうのは
これからすごく僕らの世代は重要になってきますんで
田中さんとか安信くんはもう少し先だと思うんですけども
そんなこともちょっと頭に入れながら
これから長く続けていただくといいんじゃないかなと思いますね
そろそろいろいろ調整しながらやらないと
回復力が落ち着かなくなってきてますからね
難しいですね
しょうがないですよね
でもその中で楽しめればいいんじゃないですか
なおかつ田中さんのレベルになれば
コンペリティブにパフォーマンス出していける方法が
確立できればオンラインコーチとしても
すごくバリューのある感じになってくるんじゃないかなと思いますけどね
そうですね
難しいですね
数年前のことが今できないとかと
逆に抗っちゃいけないんですかね
抗わずにそれを受け入れて
かつ新しいことを自分にやってできる限りのことで
自分の体を伸ばすみたいな方がいいんですかね
今のお話を伺ってると
やっぱり過去の自分をどうにかして取り戻そうとして
一生懸命やっても多分怪我しそうなだけで
そうだね
やっぱり受け入れつつも
今も正直言ってね
またちょっとバイクを置くときにまた使うかもしれないけど
心拍計僕ねもうあと数年間
ここ数年見てないんですよ
でもやっぱり最後のほうはやっぱり今言ったようにね
やっぱり自分が
ロードランニングってある意味
分かりやすいじゃないですか
ある意味
タイムがなかなか落ちていく中で
心拍測ってると確かにあれ
毎年年齢が一つずつ
年齢を一つ年取ることによって
最大心拍のところが2つずつ落ちていくっていう
2:09:03
公式をどっかで読んだことがあって
綺麗に自分がそうだったんですよ
年齢とともに2つずつ
2つって大したことないと思うかもしれませんけど
結構2年3年で6つですからね
心拍数6つ違ったら結構VO2MAX変わるじゃないですか
やっぱりこれは自然の設立としてしょうがないことなんだなと
それでもやらないと
どんどんそれがもっと加速的に落ちていくんで
やっぱりやりつつも生活にフィットさせていく
仕事だとか家庭
あともうこの年になると親の介護なんていうのもね
現実問題出てきますからね
皆さんはまだもう少し先でしょうけど
そういう方もいらっしゃると思いますよ
そういうのにフィットさせながら
最大心拍の内幅を抑えていくっていうのは
大変ではありながらも楽しいプロセスだと思いますけどね
なんかふと赤塚藤男先生の
これでいいのだっていう言葉を今思い出しましたね
全てを受け入れつつもっていう
難しいな
受け入れられない自分もいますし
それでもね特にトレランレースは
なんかプラン通りに走れると気持ちいいですよ
前世紀のこと早く走れなくても
去年一昨年ITJ僕走ったんですけども
前世紀の頃と40分ぐらい遅かったんですけども
でも渋滞のこと考えると
上出来かなというか
もう本当分かるんですよ
昔ここ俺歩いてなくて
この林道も俺走ったよな
この登り走ったけど
今走れないなっていうのが確実に分かるんですけども
ただ実はゴールしてみると
いろんなエイドワーク含めて
年の子というか
そういう大人のレースも
出来たかなと思ったりもしますしね
決して前世紀を取り戻すことだけが
楽しいわけじゃなくて
そういうレースをしても
十分楽しく続けられると思うんでね
そういう時期が来たら皆さんも
そういうふうに楽しんでもらえればなと思います
今のはちょっと深いですね
楽しかったですよITJ久しぶりに出て
僕が最初に出たのは1回目でしたね
1回目のITJでしたから
渋滞もなかったですね
ちょっと詰まったかな
渋滞もなく
走れるコースですから
非常に楽しかったですね
どうですか田中さん
お話を伺って
僕も年を重ねてきてるんで
いろいろ参考になるかなと思いますね
2:12:01
そうですねって言うと
俺もあれですけど
でもやはりオンラインコーチで
いろいろ田中さんの現れたことも
いろんな生徒さんに電波してる感じなんで
そこの辺っていうのはやっぱり
トレラン業界に寄与していく感じはあるのかなと
でもやっぱりね
こういう久喜島さんのように
先輩の方からのお話を伺うと
なるほどなっていうところが
自分の10年後に置き換えたときに
同じことが言えるかどうかっていうのは
ちょっと分からないですけど
自分も懐かしい
広い人間になりたいなっていう気がしました
本当に若手を受け入れ
もう受け入れてますけども
やっぱりそういうのは大事だなっていうところですね
メインになりましたこの辺
僕は今度はあつし君と
ちょっと登りに行きたいなと思って
ぜひ
大岐阪でも
うちの新宿の方でもいいですし
よろしくお願いします
よろしくお願いします
田中さんもぜひお時間あればボルダリング
ボルダリング
じゃあすいません
ちょっと業務連絡させていただければと思います
質問フィードバック等は
TwitterよりハッシュタグWeLoveTimer
ハッシュタグタイマーズと付けて
投稿お待ちしております
またドネーションもお待ちしておりますので
引き続きよろしくお願いいたします
では田中さん
今回42人目のゲストということでしたけども
面白いお話を今回も聞かせていただきました
ゲスト釘島貴之さんでした
ありがとうございました
ありがとうございました
02:13:48

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