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2024-06-26 25:09

ささきるの水曜回帰φ瑠 [2024.06.26]

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取り上げた本

  • なぜ働いていると本が読めなくなるのか / 三宅香帆
  • 了巷説百物語 / 京極夏彦
  • 日下をなぜ、クサカと読むのか / 筒井功
  • 角川日本地名大辞典 岩手編
  • 東北ルネサンス / 赤坂憲雄他
  • 東日流外三郡誌
  • 吉里吉里人 / 井上ひさし
  • 隣り合わせの灰と青春 / ベニー松山
  • 風よ。龍に届いているか / ベニー松山
  • ファイナルファンタジーII 夢魔の迷宮 / 寺田憲史

メッセージはこちらから

サマリー

1年間続いている水曜回帰ファイルでは、聴取者からの対話を振り返りながら、働くことと自己実現の関係について考えています。また、最近のニコニコ動画の攻撃や日程調整のカルチャーに触れつつ、教育夏彦の「終わりの考説100物語」の登場や岩手県編の地名大辞典の購入について紹介しています。現在、岩手県の地名に関する本を読んでいるささきるさんが、小あざまでの地名情報の収集の難しさや縄文文化についての興味を話しています。さらに、フィクションの本や読書についても触れ、ウィザードリーの小説「隣り合わせの灰と青春」の購入についても話しています。

水曜回帰ファイルの1年間
おはようございます。2024年6月26日、水曜日、水曜回帰ファイル始めていきたいと思います。
先週配信した後に気づいたんですけど、ちょうど1年経ってましたね。 元の金曜回帰ファイルはもっと前から始まってるんですけども、
この平日回帰ファイルという取り組みをやらせてもらって、その中で水曜日を担当することになって、
大体ね、去年の6月14日が1回目配信。パイロット版をさらにその1週間前に配信してたんですけども、
大体6月に始まっていると考えるともう1年経ってました。 その間ね、結構2週空けたりとかっていうのをポツポツやってるんで、
50回やってないような気はするんですけども、1年ってあっという間ですね。 あっという間、
なんかあっという間ね、なんかあまりここでは生産性のある話はしてないんで、振り返ってみて、こういうのやったなーみたいなのは全くないんですけども、
それがいいですよね。その生産性がないっていうのがいい。 生産性とかクリエイティブであらねばならないとか、
仕事で自己実現しなきゃならないとかね、そういうことから離れてるっていうのがいいなと思いますね。
なんでこんな話の切り出し方をしてるかというと、 私がメディアヌープっていうポッドキャストの方で取り上げた
労働と自己実現の同一化についての話をしているエピソードがあるんですけども、
それは、なぜ働いていると本が読めないのかっていう本に関する感想をきっかけにミヤモトさんと雑談している回なんですけども、
それに関してですね、聞きましたよっていう感想をね、実はプライベートなDMで送ってくれる人が何人もいてですね、
優しいですねみんな。表だって、なんて言うんだろうな、
批判を、批判っていうか、反論かな、反論を色々SNSとかね、とかに書くんじゃなくて、
こうやってプライベートなメッセージでみんな、僕もあれには納得してないんだけど、私もこう思います、みたいな。
佐々木さんの意見に賛成で、私もこう思うんですって言ってくれる人がね、なんかいてですね、はい。
それで、ですよねって、私も思ってですね、背中を押されているわけですけども、そこで言っていることって何かっていうと、
やっぱり、働くことと自己実現がものすごく一体化してしまっている、
現代というか、世代。僕の若い時もちょっとそういう傾向がありましたけど、今もっとそれ進んでいると思うので、
そうなっている世代っていうか、働き方をしている私たちの生きづらさみたいなものがね、あそこに投影されていると思うんですよね。
だから、あの本が着地している主張に対して、納得しない、反論を持っている、批判的であるっていうのは、
そういう感覚を持つ人、私以外にも結構いるんだろうと思うんですけど、ただそれをね、書いたところでね、
短い文章で書くとね、まるで著者への批判みたいになっちゃうんですけど、著者頑張って書いてますから、著者へのね、批判なんて気持ちはもうさらさらないんですね。
人じゃなくてことに対して言ってるつもりでみんなそういうこと思うと思うんですけども、短い文章の中で、
人を責めてませんよ、ことに対して言ってるんですよっていうのを正しく伝えるのって難しいので、大体こう、誰かを嫌な気分にさせちゃうことが多いと思うんで、
まあ私もポッドキャストですごいマイルドに言ったり、あるいはそのマイルドの差の中に、ちゃんとそのオポジットを感じてくれた人はですね、
DMでくれたりするんですけども、まあ要は何言いたいかというと、こう、なんか生産的であらねばならないとかね、クリエイティブであらねばならないとか、
そういうのってすごい脅迫観念だと思うんで、そういう脅迫観念を後押しする。
仕事を半信でやる、仕事を半見でやる、あれね、実はね、半信って読むらしいんですけど、仕事を半信でやってでもクリエイティブにあるために、
そういう文脈を取り入れる読書をやらなきゃいけないっていうのって、なんか半信で、まあ僕は半見って読みたいんですけど、
そういうのを言いつつも、実はあらねばならないっていうのはね、すごく内面化してるあれだと思うんで、僕としてちょっと受け入れ、
あなたがもっとルーズに生きていいんじゃないのっていうことの方にね、処方箋がある気がするんで、あれなんですけど。
働くことと自己実現の関係
何の話だ。 通用回帰ファイルってこれ何十人かが聞いてるんだと思うんですけども、
聞いてくださってるんだと思うんですけどもね、何の話をしているのかと、メディアヌップの話をしたり、
ニュースの話をしたり、水曜日は空き缶の回収がうるさいとかね、なんか言ってますけども、
まあでもね、それで良かれと思ってやってます。あの通用回帰ファイルは見出しにタイトルをつけない、キーワードとかね、タイトルをつけないってことを
やってまして、日付しか書かないんですけども、とにかくね、続ける日付ぐらいしか共通点がない、水曜日にやってるってことぐらいしか共通点がなくてもいいだろうと思って
やってますので、ご勘弁くださればと思います。はい、で、いつものように今週一週間のニュースを見てなんか喋ろうかなと思ったんですけどもね、
世の中ニュースありますよ。例えばね、今だとニコニコ動画の話ですね、攻撃を受けている話だとか、
あとは、それとは別にこう、平和などうでもいい話で言うと、日程調整の方法によって失礼な、無礼な、そのカルチャーが違うみたいなね、絶賛話題になっていると。
私も夢中になりますね、ああいう、なんて言うんだろう、自分の知らないマナーが存在するのにこう、びっくりするんで、
これになりますが、まあそういうのを取り上げてもいいんですけど、せっかくだから本の話しようかな。本の話っていうか、
なぜ本が読めないのかみたいな話の文脈であれなんですけども、まずね、今週は何といってもね、
今週というか先週からか、終わりの考説100物語、強欲なつひこ、これあの考説100物語シリーズっていうのが今まで出ていて、
これは第7巻目で最終巻なんですけども、これが遂に出たということなんですが、早々にね、書評みたいなものが出ていて、
もちろんネタバレとかをね、封じた形で書評が出ていて、僕そういうの結構読むんですよね。
何というかネタバレ全然 ok なんで、ネタバレしてつまんなくなる本はもう本じゃないというか、読む価値ないと思ってるんで、
積極的にネタバレ読んでいって、それでもなお読みたいと思う本だけを読むタイプなんで、読んでいくんですけども、
いやこれはね、もうあらかじめわかりますね。ネタバレしたところで価値が失われないタイプの本なんですが、
ただね、やっぱり驚きの仕掛けがあるらしくて、そこに関してはね、その方もね、さすがに伏せてくれてたんですけどもね、
いやー、こう言うとあれですけども、教育夏彦のあらゆるシリーズの結節点であるようなね、代表作みたいな感じらしいんですよね。
ニコニコ動画の攻撃と日程調整のカルチャー、本の話題
もう、それでこの分厚さなのかもしれないし、しかもこれ急に思い立って書いたわけじゃなくて、もともと
考説100物語、続考説100物語、その後これを書いて終わろうと思ったらしいんですけど、それがいろいろ後のとか、先のとか、西のとか、遠くのとかっていうシリーズがいっぱい出て、
最後終わりのなんで、これもともと予定してたその着地点にね、完結編っていうか、もう何十年、何年前だろう、20年ぐらい前から構想してたやつらしいんですけどね。
いや、楽しみだな。ただね、あまりにも分厚くて、しかも重たくて、1キロ以上あるんで持ち歩けなくて、家で読むしかないのでなかなか進んでないんですけども、これがね、僕の中の大ニュースですね。楽しみ。
あと、読んでる本で言うと、買った本っていうかね、日本地名大辞典の岩手県編っていうのがあって、あれ何センチあるんだろうな。
あ、そうか、本のでかさで言うと、この終わりの考説100問あたりもはるかにでかいですね。何しろ辞典だから。
全国の地名をいっぱい記載している本、昭和50、60年代に出来上がった本なんですけども、これ岩手県編だけで15センチぐらい分厚さなんで、全国編だと壁一面埋め尽くすサイズなんじゃないかと思うんですけども、
私がもし広いオフィスを持って研究したらだったら即全館買いますね、スペース禁制で。
ただ、とりあえず自分の身近なところから岩手県編だけ買ったんですけどもね、これ何で買ったかっていうと、話題になった本って、これもう先週話したかな。
草化をなぜ草化と読むのかっていう、地名研究のフィールドワークをやっている方の本を読んだ時に、地名に実際足を運んで、その地名が指し示している言葉の意味を探って、そこから古代語を探っていくっていうのを活動している方がいて、
その中で地名つってもね、今は市区町村単位の名前じゃないんですよね。さらにその中の大あざでもないんですよ。その方が取り上げたのは大あざの下の小あざですね。小あざ、小さな字、小あざ。
その地名までいくと、本当にちっちゃい狭い範囲のことなんで、その地形が何を意味しているかっていうのははっきりわかるんだってことなんですよね。
例えばっていうと、今の感覚でいうと市があって、区があって、何々町とか、その後大あざなんとかと。小あざっていうのは省略される傾向にあるんですけど、今でも残っているところもありますけど、そのちっちゃなサイズなんですよね。
岩手県の地名の収集の難しさ
で、例えば何だろうな、僕ちょっと正確なことを言うかもしれませんけども、例えばの3キロ四方みたいな場所の中に、ちょっとちっちゃな池があって、あるいは何かちょっとした塚があって、で、その全体が何とか名前がついていると。
そうすると、その池を元にしてつけた名前なのか、塚を元にしてつけた名前なのか、そんぐらい広いとわからないと。でも小あざぐらいになると、もう1キロとか、それ未満みたいな何百メートルみたいな狭い範囲のことを指すようになるんで、それになると、この言葉っていうのは古い言葉で池を指す言葉だったのとか、ここは古い言葉で塚を指す言葉だったのとか、なんか絞り込めてくるんですよね。
小あざ単位まで絞り込むとやっとそういう活動ができるようになる。ただ小あざっていうのはあまりにも細かすぎて、再編の時に失われているから、地図からはもう消えてわからなくなっていると。本当に地図から消えてるんですよね、その名前がね。あまりにもめんどくさいから、そんな細かい単位には全部書けないですからね。
なので古い文書の中にあるとか、あるいは地名大辞典っていうのを全国的に一生懸命作ったときにギリギリ収録されてるみたいなものを拾い集めていくっていうことをするらしいんですけど、その活動の元になる本として必要だということで、じゃあ僕岩手県のやつから、自分が知ってそうなやつから買おうと思って買ったんですけどもね。
これがねすごい本で、こんな辞典編算ってもともと大変だって言いますけど、こんな地名を拾い集める辞典全国版なんて、しかも小あざまで集めるなんてもうとんでもないことですよね。だなと思って読んだんですけど、さらにわかったことがあって、自分がよく知ってる岩手県で、都の付近辺でやってみたらね、小あざなんかほとんど載ってないんですよ。
だからこんだけ分厚い本で全国版あるのに全く載ってない、全然完璧じゃないっていうのが現状で、じゃあどうするかっていうと、図書館に行って、そういうとこに保存されてる公文書、地図とかの中から拾い集めていくしかないってことなんで、いやこれはね、途方もないなっていう気持ちと、いや面白えなっていう、ネットに載ってないのよね。
これが面白いですよね。これはね、アーキビアン的な性格を持つものとしてね、興奮しますね。
とりあえずあと僕は収集壁があるんで、もう一個でもこの本買っちゃったらもう全巻欲しくなって、で全巻買うってことはね、壁埋め尽くすってことと同じ言葉なんで、同じ意味なんで、壁埋め尽くす、まあ本棚を一竿じゃ足んないですね、たぶん二竿ぐらい埋め尽くす大きさなんで。
いやーこれは、なんかどっか書庫が欲しいな。書庫が欲しい。そんな感じですね。そんな感じっていうか、まあそんな、そんなの読んでましたね。
あとはね、昨日読んでたのなんだけど、あれどっか行っちゃったな。あ、文庫で寝る前に読んだのか、ベッドの方に読んだのか。
えーっとね、すいませんね、こうあれあれ言ってて。
赤坂のりおさんの、赤坂のりおさんが、これ2007年ぐらいに文庫版で再販した東北ルネサンス、日本を開くための7つの対話っていう本があるんですね。
でね、これちょっと今批判的な文脈で言うんですけども、これなんで読もうと思ったかっていうと、
ただはるかさんって、メディアヌープにも出てくださる、東京の観光関連、DMO、ディスティネーションバネジメントオフィスか。
そこの仕事をされている方が、岩手ザラストフロンティアっていう、あれなんていうんだろうな、研究とフィールドワークの団体に入ってて、
そこのね、月一のオンライン集会みたいなのがあるんですよ。
で、それをね、告知を見かけて、フラッと僕初めて参加したんですね。
僕その岩手ザラストフロンティアのメンバーではないんですけど、入ってみたんですよ。
で、なんで興味持ったかっていうと、そこのテーマ、振り上げるテーマが、津軽外参軍史っていうフェイクヒストリー、偽書を取り上げるやつなんですね。
で、これすごく危険な本で、津軽外参軍史って本が発見されたのが1975年で、出版されたのが80年ぐらいだと思うんですけども、青森県の津軽あたりに、
大和朝廷には無かったような、高度に発達した文明というか文化があったみたいなことを和田さんっていうのかな、和田さんっていう方が捏造して、
作り出したフェイクヒストリーというか偽書なんですけども、すごい大ブームになって売れて、
しかもそれを真書だと、本当のことが書いてあるっていう風に後押しした学者さんとか有名人とかがいたもんだから、すごく多くの人に読まれたんですよね。
で、資料的な批判とか研究とかが十分行われる前に、それを信じた、あるいはそれを信じたいと思った人たちの手によって、
公の歴史の中に一部折り込まれていったりしたんですね。
例えば、地域の観光案内とかに、存在しない歴史のことが看板でデカデカと書いてあるみたいなことが起こるって、すごい大問題なんですけど、
ただ、それが本当に偽物でフェイクだっていうのは分かったっていうのが証明されていくのが90年代半ばからなんで、
その3分の20年間ぐらいの間にそれを浴びた人は、今でも信じてる人とかもいるんですよね。
その危険な本なんですけども、その危険な本を今あえて取り扱うっていうんで、
どういう観点で取り扱うのってすごい興味持って参加したんですけど、結論としてはね、
風邪ひかないためにワクチンを摘取するみたいなのと同じで、フェイクヒストリーに騙されないために、
最も有名な擬書をどういうふうな経緯で成立して読まれたかっていうのを、自分たちがまず知ってみようみたいなね、
すごい良い取り組みだったんで、もう素晴らしいなと思って、主催者の久保さんとかの大絶賛のコメントを送った動画だったんですけども、
縄文文化の受け継ぎと縄文ブーム
その、僕も改めて津軽祖都三軍史に調べる中で、赤坂のりおさんがこの東北ルネサンスという本の中で、
作家の高橋克彦さんと対話している文章の引用なんかがネットで見つかったんで、
元を読んでみようと思って、それで今から17年前に出た、対話自体は2000年代くらい、2000年とかに出たんで、
24年くらい前の対話を引っ張り出して読んでみたんです。で、こっちのフェイクヒストリーの部分は歴史、事実としては読むべきところはないんだけれども、
僕ね、これ読んでね、あっ!って思ったのが、もちろん赤坂さんは学者なので、津軽祖都三軍史が偽物、偽書だっていうのはわかっているので、
それをわかってね、褒めたたえるっていうか、招揚するみたいなことはもちろんこの本の中ではないんですけども、
ただ、危険だなと思う、今の観点で危険だなと思うのはね、縄文ってありますよね。
縄文、山内丸山遺跡とかでさらに90年代以降脚光を浴びたやつがありますけども、
日本には弥生文化以前にもっと長くから、長く続いた縄文時代、縄文文化っていう優れた文化があって、その中心地が東北であったのだと。
今、東北の研究とか学問を掘り下げるっていうのは、その豊かな弥生文化よりも豊かな縄文文化を今にも受け継いでいる、私たちの誇りを取り戻すことだみたいな、
そういうのはね、メッセージがね、全体にポツポツポツポツっていうか、ポツポツじゃない、結構出てくるんですよ。
でも、こういう縄文ブームって結構あるんで、聞き慣れてる人、縄文文化や魅力を感じる人って結構いると思うんですけども、
なんつうんだろうな。
縄文文化ってあって、その遺跡があってとか、その辺はファクトなんですけども、どの辺が怪しくなってくるかというと、
その文化のDNAを私たちが今も受け継いでいるっていうところに関しては、本当なの?っていう感じなんですよね。
なんかね、確証がないってわけですよ。
だって、結構ね、文化的な断絶があって、縄文文化が今に受け継いでいるなんて言えるところなんて、あるのかな、ないのかな、ほとんどないと思うんですよね。
でも、なんとなくあったらいいなっていう願望が、それをあるものにさせちゃうみたいなところが、
縄文文化が1万年以上続いたものがある、それが山内丸山遺跡中心として、あの辺にあった、この辺まではファクトなんですけども、
後半のほうの、それが今東北に生きる私たち日本人に受け継がれているっていうところから、急にイデオロギーになってくるんですよね。
結構そういうのに侵食されやすい内部なところなんですけども。
で、今回この本を読んで何が発見だったかというと、津軽三軍司がフェイクヒストリーなのはその通りなんですけども、それを遠ざけるのは正しい態度なんですけども、
同じように、縄文文化が今にどういう影響を与えているかということに関しては、分かっていないことが多いんで、そこそこ遠ざけるのは正しい態度だと僕は思うんですけども、
ちょっと前までは結構その辺の縄文ブームみたいな熱狂があったんで、知識人でも学者でも結構その辺に接近している様子が感じられる本なんですよね。
なので古い本を読んで、その時の雰囲気が閉じ込められている本として参考にしていると。
今読んでファクトとしてすごい面白かったというとちょっと怪しいところが結構あるんですけども、そこを結構読んでますね。
ただ、その中でも最初に読んだのは井上久志さんのパートを最初に読んで、井上久志さんは当然のように小説家、劇作家ですから、
フィクションの本と東北フェイクドキュメンタリー
元々フィクションとして書いている人なんで、そのフィクションで、代表作キリキリ人、東北に独立国ができるっていう、
フェイクドキュメンタリーみたいな、見たいなというかフェイクドキュメンタリーそのものですね。
そういうのを書いた人がどんなふうに東北を見てたかっていうのは、この辺はもう徹頭徹尾、フェイクの話なんでそういうのはいいんですけど、
そういうのはすごい面白かったですね。めちゃくちゃ面白かった。なんか長く喋っちゃった。
いやそうね、この読んでいる本の話を、あとはもう喋る時間もないと思うんで。
タイトルだけ言うと、夢を叶えるために能ある。私という現象。高校生と能を語り尽くす。
池谷雄二さん。これ能研究者の池谷雄二さんの3冊目の本かな。
1冊目っていうか、私が最初に読んだ1冊目なのかな。進化しすぎた能。
その後に出たのが単純な能、複雑な私。それに続く第3シリーズ。夢を叶えるために能あるというやつで、
これ友人から勧められて読んだんですけど、読んだっていうか、今30%くらいのところなんですけど、めちゃめちゃ面白いですね。
僕は能に関する本は定期的にずっと読み続けているので、
能に関する話ってやっぱ常に研究が進んでいるっていうのもあるし、
これあくまでも学術書じゃなくて、研究内容をわかりやすく書いた一般書なんで、
一般書になる時点で書き手がいろんなうまい表現方法を思いついてわかりやすく書いてくれるので、毎度毎度面白いんですけども、
これはまた後で語ろうかな。ちょっと長くなりますね。面白いですね。
あとはね、ウィザードリーの小説、ベニー松山さんの《隣り合わせの灰と青春》をKindle版で買いました。
門川スニーカー文庫の小説
これウィザードリーが今リバイバルで出てるので、古い小説読みたくなったなと思って。
ちなみにこの《隣り合わせの灰と青春》って名前がめちゃくちゃいいですよね。
この松山さんの小説も常にタイトルがいいんですよね。
このウィザードリーシリーズの第2作が《風よ、龍に届いているか》。
あれ?そうだよな。風よ、龍に届いているか。これいいタイトルじゃないですか。風よ。
藤井風の曲に風よってありますけど、風よってないですよね。風よ、龍に届いているか。
いいんだよな、このタイトルが。
それを読んだことないんで、それを読むためにも第1作の《隣り合わせの灰と青春》から行こうかなと。
あとはね、まだいっぱいあるな。説明してない本いっぱいあるけど、やめよう。やめます。
こんな感じで毎週読んだ本について喋りたいと思いつつも、だいたい自分しか興味ないんだろうなと思うんで、たまに喋ってみました。
あ、今ね、購入履歴みたいなのがありました。
1989年に出た門川スニーカー文庫の《ファイナルファンタジーⅡ 沼の迷宮》ってやつがあるんですけど、
これはね、表紙がね、天野義隆のすごいいい絵なんで買いました。
ちょっとね、まだ読んでません。買って満足してます。表紙が良すぎて。
はい、じゃあとりあえずそんな感じで。また来週お会いしましょう。
25:09

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