こんにちは。始まりました。
今日は部屋の中でやっております。前回は外でした。
今日も爽やかで、梅雨の合間というんでしょうか。梅雨入りしたんですかね?
まだしたとは聞いてない気がします。
ちょっと外は昼間爽やかだったんですけど、夜になると涼しくなって、室内で窓を開けております。
ということで今日も行きましょうか。
久々な感じもしなくもないけど、ちょうど1ヶ月ですね。
そうですね。
お元気でしたでしょうか。
はい、元気にしております。
清さんはいろいろイベントもあったりとかしてますよね。
そうですね。朝のレースも走って無事に完走しまして。
いいですね。インスタとか見ましたけど、壮大な景色がすごかったですね。
すごく印象的だなと思ったことがあって、景色がすごく草原がきれいなんですけど、
僕もそうなんですけど、自然ってそのまま手つかずで残すっていう考えがすごくあるじゃないですか。
あんまり人工的なふうにしてはいけないのであるっていうようなイメージがある時がいろいろと多かったんですけど、
朝の場合って草原にのやきをして手を入れ続けて、人と自然が関わり合いながらずっとああいう景色ができて、
そして生態系ができてきているっていうのが実はものすごい長い歴史があって、
必ずしも自然をそのまま残すっていうことではない方法っていうので、
ああいうものができてきている、ああいう生活がずっと成り立っているっていうのは結構そっかって思いました。
日本初期にも出てくるんですって。だからもう千年以上の。
日本初期の頃からも手を入れてたってことなんですか?
野焼きが、野焼きっていうか野が広がっているっていう記載があったりするらしくて、
結構昔からそういうことだそうで、なかなかユニークな草原なんだなと。
そうですね。手つかずの自然が必ずしも善というわけではない。
ではないっていう、そういう研究もあるみたいですね。
木をうまく伐採しながら、人と山が生きていくっていうことをした方がいい場合もあるとかっていう、
そういう専門の研究もあるということで、自然と人って言っても本当にいろんな関わりがあるんだなというのが印象に残りました。
いきなりこれを今日最初に言おうと思ってたからワーッと喋っちゃったんですけど。
でもそうですね、同じ場所で一緒にいるわけなので自然も人も、全く分断するっていうのも不自然ですよね。
そうですね。だからやっぱり自然の中の人だし、人がいる状況での自然だしっていう、そういう考えもあるということで、
バランスとか生態系とかいろんなことは総合的に見なきゃいけないんだろうなっていうことを感じて帰ってきたんですけどね。
あとはやっぱり火山もあって水もあって、火の国水の国ということで、すごくいい場所だったなと思って走ってきました。
というのが僕の昨今ですかね。ゆう子さんの昨今はどうですか?食べてますか?
そうですね。夏野菜がもう出てきてるんですよ。ゴーヤも出てきてますし。
あとトウモロコシとかヤングコーンとか。
ヤングコーンって処理されてるものが結構多いじゃないですか。
なんですけど、ちゃんとヒゲ付きの生のヤングコーンがこの時期出ているので。
ヤングコーンのヒゲだけ天ぷらにしたやつとか。
美味しそうですね。
どっかで食べたことがある気がしますね。前回は春野菜のお話をされていて、今回は早く夏野菜という。
もうそろそろ枝豆も出てくるんじゃないかという。
いいですね。ビールも進んでまた楽しく食べていくという日々ですね。
季節を食べるということですね。
そんな昨今でしたね。1ヶ月だけどやっぱりいろいろありますね。
移ろいますね。
有子店長から告知はありますか?
今のところ大丈夫ですか?
はい、告知は大丈夫です。
ライブ行くとかそういう?
ライブは小枝行ってきました。
行ってきました、そうですか。分かりました。
ということで、今日は後半がゲストのコーナーで、そっちがメインなので、結構とつとつとじっくり長く話してくれてるので、後でゲストの紹介をするんですけど、
後半を聞いていただくと。その前に、我々最後に本の話をしましょうか。
しましょう。
剣刀史という短編小説があって、前のポッドキャストでちらっと。
そうですね。次回同じ本を読んでいきましょうというお話を前回させていただいて、読んできましたと。
田和田有子さんの剣刀史という短編小説、中編に近いかもしれないですけど、
これもともと、とある方々にお誘いをいただいて読書会をやりましょうねっていうところがあって、それがもうそろそろ開催されるんですけど、
それで10タイトルぐらい選書したんですね。
剣刀史とか海外の作品とか、大好きなボネガットの作品とか、レイモンドカーヴァーの短編小説とか、
あと佐藤春夫の美しき街とか、日本国内外問わず、いろんな昔のものも現代のものも含めて選書してですね、
あとカフカの変身とかですね、結構世界中のやつをいろいろと選んだんですけど、
その中で皆さんこれを読みたいっていうのを投票してもらって、
意外とというとちょっと語弊があるんですけど、剣刀史というのが皆さん読みたいということになったので、
これを読もうということでずっと読んでたんですね。
それを踏まえて読書会がこれから開催されるんですけど、せっかくなのでポッドキャストでもちょっと2人で読んで、
感想を述べるというのをやってみようかというのが今日の回ですかね。
そんなに詳しくは言うとネタバレになったりするので、
ちょっと紹介がてらに印象に残ったところとか、そんな話をしてみますか。
田和田陽子さんっていう小説家の方をもしかしたらご存じない方もいるかもしれないので、
ご紹介だけ先にしちゃいましょうか。
有名な小説家なのでご存じの人もたくさんいると思うんですけど、
ドイツに今住まれてるんですね。
もともと日本で東京でお生まれになり、ある時期にドイツに渡ったと。
それ以来いろんな形で日本とドイツと日本とスイスにいらっしゃったこともあって、
いろいろ行ったり来たりしながら言葉と小説にずっと向き合っているというそんな方ですね。
ドイツでもスイスでも大学院に通われて、いろんな研究もされているというそういう方ですね。
PHDも持っているということで、アカデミアでもものすごく評価の高い方なんだけど、
小説家として大活躍をされているという、60過ぎの年齢で言えばちょっと上ですね、という方で。
同世代だと川上博美さんとか、いろんな日本の女性の作家もたくさんいらっしゃるということで、
自由賃ですね本当に。
ノンベル賞を取るんじゃないかとか、いろんなことを言われてたりとかするぐらい海外でもすごく有名で、
日本語でもドイツ語でも小説を書かれていて、多彩な方ですね。
特徴、一言で特徴でいうと、エッセイとか田和田さんのいろんな小説もそうだし、ご自身でも言っているんですけど、
言葉もその先に越えてどこに自分の考えとかが及んでいくのかということを非常に意識をするということが多い方だそうで、
日本語で話しているという、その日本語の外に出たときに外国語とか外国の文化とか含めて、
何を見て何を感じるのかっていうのを自由自在にというと、また語弊があるのかもしれないですけど、
そういうことをやられている方ということですね。
本当に小説もいっぱい書かれていて、いろんな賞も受賞されていますね。
大体小説家の方で、日本だと芥川賞とか谷崎賞とか読売文学賞とか三島賞とか順番に皆さん取ると思うんですけど、
大体もうほとんど受賞されているという方で、海外の賞も受賞されているぐらいすごく読まれている作家というそんな方ですね。
お会いしてお話ししてみたいなと思うんですけど、実際どういう方なのかっていう。
なのですごく多彩な、言葉としても自分の住まれている国としても表現方法としてもすごく多彩な方なんだろうなっていうふうに思いますというのが田和田さんですね。
田和田さんが書いたある短編が県投手という小説で、震災の後に東北にも行かれたんですかね。
そういう記憶とかっていうのを含めて小説にされたというのが今回の本でございますということですね。
なので震災とかいろんなことが人間の想像のつかないことが起こった後に世界がどうなるのかというのをおそらくインスピレーションにされて書かれたんだろうなというそんな小説ですね。
文庫本で高段車文庫で出てるんですけど、奥づけを見ると2017年8月9日、もともとは単行本としては2014年ですかね。
10年前ですね。
ちょうど10年で東日本大震災が2011年なのでその3年半ぐらいに単行本が出てその後文庫になっているという、そういう現代の状況で書かれた小説ということですね。
ちょっとそんなインフォメーションが最初に長くなりました。
本当に日本の作家の中でも本当に元気で、特に日本の国外に住まれていてそういうスタイルでずっと創作をされているというのは一つすごくユニークだなということですかね。
ということで内容の方に行ってみますか。
そうですね。
とにかくどこから話せばいいのかというぐらいいろんなことが起きてますよね、この小説は。
まず、今私たちが生きている世界とはだいぶ言葉も感覚も環境もだいぶ変わった世界の話ですよね。
そうですね。かなり震災が起きた後のある意味、監視国家のような小説のジャンルで言うとディストピア小説と呼ばれるような大枠のジャンルにする意味があるのかどうかちょっとわからないですけど、一般的にはそういうふうな物語として読まれることがもしかしたら多いかもしれないですよね。
だからSFのような本当にこんな世界があるのかっていうようなことなんだけど、なんかものすごくリアルなことがいっぱい書いてあるという。
そうですね。後頭無形に見えて、でもよくよく考えると実際過去に鎖国してたりとか、あとは感覚の違いとかもやっぱりこの震災でコロナ前にこの小説書かれてますけど、
コロナで、この中で我々の感覚もだいぶ変わったりとかいうことを考えると、言葉もやっぱり古代からずっと変わってきてますし、考えると後頭無形に見えてちょっと進化が早くなって、進化が早くなっているというのは前から思って考えたりしてたんですけど、
さらに早くなってこうなったりっていう。
早くなってすべての進化が行き着くとこうなるのかなっていう。
不思議なリアリティがありますよね。
人の気持ちとか体とかも含めてすごく変化しますよね。
それって自分で変化しようと思っていることと、本当に自分の及ばないことに影響されて変わること。
例えば震災だったりとか災害とか紛争とかストレスとか、逆にハッピーなこととか、いろんなことによってやっぱり人の心とか体っていうのはどんどん変化していくというのはすごくその通りで、
それによって例えば話す言葉とかいろんなことが変わってくるっていうのがすごい長い時間かけて、一人の人もそうだしコミュニティ全体もそういう風になっているのかなって思うんですけど、
そういう変化が今この物語の中ではおそらくちょっと鎖国とかいうそういうキーワードも出てきましたけど、
物語の中では鎖国の中を生きていて、でもそれは現代でっていうようなものすごい過去の話と現代の話もそうだし、
いろんな感覚がすごく一色二に混ざり合っている状況をものすごく描き出しているのはまずすごいですよね。
時間感覚とか子供の感覚とか体の感覚とか、政治状況とか、いろんなものがものすごく揺らいでいる状況っていうのがいろんな形ですごく出てきているっていうのはまず驚きますよね。
ことは一行ごとに全部そうだから、密度が高いというか。
パッと見て嘘って思っても、でも確かに過去の歴史の中でそういうことがあったよなっていうのがすごくリアルに入っていますよね。
一回全部シャッフルされて再構築されているような感覚を覚えました。
だからそこがまず、そこをいろんな本当にディテールの積み重ねのリアリティで、その揺らいでいるディテールが全部重なってくるから、
それが構成がもうどんどん次から次へとそういう重なり方がどんどんどんどんしていって、
何が何だか揺らいでってわかんないぐらいの世界なんだけどものすごく実はそれがリアリティを持っているっていう不思議な感触を持ちますよね。
だから多分、食べ物の話とか、体に関する話とか、言葉に関する話とか、家族の形に関する話とか、政治に関する話とか、
性別とかジェンダーもそうですよね。
ジェンダーの話とか、あとは血縁関係の話とか、恋に関する話とか、すべてが入り混じっているので、
おそらく読んだ方がどの視点で読むかによってものすごくまた解釈が変わりそうなことがいっぱいある。
そうですね。
すごく面白い状況がいっぱい出てきてますよね。
はい。
なんか一つだけもし印象に残ったところ、いっぱい印象に残ったんですけど、僕も。
まずその世代によって名前が違うことで。
今キラキラネームとか言われてる名前もありますけど。
我々の世代、生きてる中だけでもだいぶ名前って変わってきているので。
これもだから無名って思うんですけど。
あり得ない話じゃないのか。
無名っていう名前をつけるかどうかは置いといて。
あるだろうなとか。
だって今ユーコっていう名前をつける人ってほとんどいないんじゃないかなと思いますし。
そうですね。
なのでそういうことを考えたりとか。
そっか。
でも今名前の話から入ったのもなんか面白いですね。
名前ってやっぱりその人を表すものだとすると、
どういう風な名前に名付けられるかとか、
それによって自分ってどういう人なのかってずっと
名前とともに時間が過ぎていくから。
それって名前が付け方が違うっていうのもまた象徴的かもしれないですよね。
僕が物語の中でいろんなことが印象に残ったんですけど、
本当にいろんなことが由来でて、
いろんな価値観が全然逆転してるけどそれがリアルな世界が描かれてる中で、
でも逆に読んでてすごくよくあるし、
不思議なんだけどよくわかること、変わらないことっていうのも結構書いてあるなと思ったんですよね。
例えば吉郎さんの奥さんっていうんですかね。
無名君なのかわかんないけど無名のひいおばあちゃん。
なぜか離れて住んでるんですよね。
そうですね。
なぜか離れて住んでるっていうまたその不思議な状況っていうのが普通のことのように書かれていて、
ある時にひいおばあちゃんが会いに来るっていう時の描写が書いてあって、
電車に乗りバスに乗り、電車に乗りバスに乗り、ずっとそれが繰り返されてっていうようなことがずっと書いてあって、
ようやく最寄りの駅に着いてそこから2人がいるところに、
家まで行く間に転がるように走っていって気持ちが流行ってっていう、
それって結構誰でもやっぱあることだし。
そうですよね。
あと別れるシーンもそうですね。
別れるというか帰っていくシーンですね。
一緒にお鍋食べるのかな。
夜ご飯にお鍋を食べてじゃあ帰るって言って帰るんだっていう。
それもまた離れて暮らしてるから帰るんだって思いながら読むんですけど、
帰る時は一人でいいのって言って走って帰るんですよね。
だけど走って帰るのはあんま長くいると別れが寂しくなるからっていうそういう感覚が描かれてたりして、
人と会うとか別れるっていうのが嬉しい悲しいっていうか、
変わらない誰にでも用いる感覚っていうのもやっぱりこの世界の中には、
それでも存在をするっていうこともあるんだなっていうのもちょっと印象に残ったりしましたね。
変化がすごい目立つ小説ですけど、不変なものも散りばめられてるっていう。
だからものすごくそういうのが印象に残りましたね。
変化と変わらないものって両方っていうのも小説らしいというか、
領儀的な両方の意味があるっていう。
どっちか一筋縄では白黒つけられないようなことっていうのが本当にリアリティとして描かれてるっていうのが、
ものすごく小説化ってすごいなって思いますよね。
ここまで完成された。
この描かれてる世界としては本当に最初のお話で震災が起こって、
その後の世界で鎖国をしてるっていう状況で、
その中で老人が元気で子どもはどんどん亡くなっていって、
っていうことは逆に次なる世代がいなくなっていくってことだから、
震災自体がもしかしたら亡くなってしまうのかもしれないと思うぐらい、
もしかしたら暗い世界に行きざるを得ない人々の話なのかもしれないけど、
物語はどんどん進んでいって、
検討誌という名のタイトルの通り、
若い人が外国に派遣をされるという結末に目指して物語が進んでいくんですね。
外国、ここではない、ディストピアではないどこかに何か派遣をされて、
新しい世界を見に行くっていうことに希望を見出せるような気もするんですけど、
行く直前で物語が終わるので、
そうですね。
本当に行ったのかどうかとか、
ちょっとショックな終わり方ですが。
本当に行ったのかどうかとか、行けなかったのかとか、
そこも答えは、最後はおそらく明かされてないんですよね。
この世界以外の場所があるっていうことが暗示されながら、
本当にあるのかないのかわからないけれども、
おそらくそういう検討誌という制度があるっていうことで、
ここではないどこかっていうのがあるんだけど、
でも自分たちが今いる場所っていうのはここでっていう、
そこもまた両方の意味があるっていうような物語ですかね。
なんか読んでて思ったのは、
本当に今最高だなって思うこともあれば、
今も辛いなって思って、
どこか別のところへ行きたいなって思うようなことも日常生活でいっぱいあるから、
そういう感覚もものすごく身に染みてわかっちゃったりして、
リアルだなって思っちゃったりしましたけどね。
そうですね。
そういうのを物語として描ききるっていうのって、
ものすごいことだなって思いましたけどね。
あとやっぱりいろんな経験をしてて、
過去の震災前を知っている世代の人が、
子どもたちをちょっとかわいそうだと思うんですけど、
子どもたちにはそういう感覚すらもうないみたいなところとか、
それもまあ確かに一方的にかわいそうって思うのも違うなとか。
震災があって、そういう世の中にいろんな意味で変わってしまったっていうのが、
そもそもその前を知らないから、
そこも断絶してわからないことももしかしたらあるかもっていう、
そういうことも描かれてますね。
そうですね。
体の丈夫さが違っても、
丈夫だったことがないから、
それがどういうことなのかわからない。
そこも本当にあって思いますよね。
そうですね。
だからやっぱり前と後を知っているということと知らないことっていうのは、
またそれで本当にいろんな見える世界が変わるんだろうなっていうのもありますよね。
はい。
あと、全体的に三人称で書いてある小説ですよね。
そうですね。
おそらくいろんな人が出てきて、
主人公、メイター、人物はそういうわけで2人いるんだけど、
そうですね。
突然違う人が出てきたりしますよね。
そう、突然違う人が出てきたりとか、
いろんなことが客観的にすごく事実として書いてあったりっていう、
いわゆる三人称で世界が描かれていて、
よくある話ですけど、
これを書いている人は誰なんだろうっていうのもちょっと思ったりしますし、
誰目線なのかっていう。
だけど最後のムメイ君の検討誌として派遣される直前の様子っていうのって、
実はものすごく一人称に近かったりするので、
だんだんそこにフォーカスされていっている感じがしますよね。
ピタッとそこに最後感覚とか、読者の視線もそこにものすごくあってくるというか、
読者自身が自分はもしかしたらムメイだったのかもって思うぐらい、
そこにピタッと合わせてくるっていうような、
書き方というかナラティブっていうのもものすごく計算されているのかなって思ったりして、
なので前半、最初の冒頭と一番最後の言葉の語り方っていうのもすごく実は違うなと思って、
全体を通して読むと実はそういう変化がものすごくあるかなって思って。
今言われて気づいたんですけど、確かに最初の書き出し、
小説の一行目って非常に大事だと思うんですけど、
最初の書き出しから、なんだこの子はって、ムメイくんのことは、
最初全然感情移入できない、なんだこの子はって思っていて、
自分たちと全然違う人間が出てきてっていうところなんですけど、
読む進めるにつれて、このムメイくんが私はすごい可愛くて仕方なくなってきたんですよ。
だんだんそう思い始めますよね。
思い始めて、最後に向かっていくところで思い入れが全然最後違うので、
今それ言われて確かにと思いました。
なりますよね。すごいなって思いましたね。
そんな対策なので。
あんまり喋るとネタバレ難しいところですね。
言いたくなりますけど。
全部順番に話したりするんですけど、詳しくは読んでいただいて、
ぜひぜひ、また感想を聞けたら嬉しいですね。
自分は読んでこう思ったとかぜひもらいたいですし、
あとは読書会とかでもしご一緒する機会が今後どこかであったらこの話もね、
詳しくできると思うので、ぜひぜひ読んでくださいということですね。
あとは本当にこの言葉の巧みさっていうことだけでももう味わい深いというか、
いろんな古今東西の過去のことわざとか言い回しとかパロディーとか、
あります。
いっぱい出てきますもんね。
ちなみにランニングっていう、英語が禁止されてるんですよね。
そうですね。鎖国してるので。
外来語が禁止されていて、走ることランニングっていうのを駆け落ちっていう風に。
そう、言葉の意味が変わっちゃってるんですよね。
駆け落ちっていうのがランニングっていう意味になってるんですね。
なんで駆け落ちっていうかというと、
駆け落ちっていうと恋をしてどっかに二人で逃げるっていうイメージのある言葉なんですけど、
それも実は違っていて、この物語の中では。
駆ける、走ると体重が落ちて健康になって血圧が落ちるから駆け落ちっていう。
老人しか走らない世の中になってるから。
そうですよね。かつての恋人同士が逃げる、逃避行するみたいな意味が全くなくなってる。
そういう言葉の意味自体が全然変わっちゃってて、
それがちょっとパロディーとしても聞こえるようなことがあったりとかっていうのがもうわんさかいっぱい出てくる。
そうですね。言葉の先の意味とかっていう話がさっき出てましたけど、
これだから翻訳されるとどうなるんだろうなとかってちょっと興味ありますよね。
そうですね。
駆け落ちもそうだし、大きなとか、いろいろ日本語で、日本語特有の表現が出てくるので、
これはどういうふうに外国に広がっていくのかなとか。
すごいですよね。だから日本の本当に特有の言葉とか方言とか過去の表現とか、
新聞から持ってきた表現とか、いろんなことが本当にフレーズとして出てくるんだけど、
それがパロディーになってたり、新しい意味付けになるような世界になってたりっていうことがものすごくあるので、
一行一行本当に読んでるとすごいいろんな解釈ができるなと思って。
本当に英語版も出てるみたいですけど、この全米図書賞でしたっけ?
を取ってるから英語にもなって英語でも読まれてるけど、
どういうふうに英語だと訳されてるんだろうなって思うとすごく面白いですよね。
専門的な文学研究の方々がよくご存じでいると思うんですけど、
インターテクスチュアリティっていう言葉があって、文章の言葉と言葉の間っていう、
簡単に言うと意味なんですけど、昔の言葉を使いつつもその違う意味で使ったりとかっていうふうに、
過去の言葉とか歴史的な言葉の上に自分たちはいるっていう、
自分のオリジナルな言葉ってよりもそういう時間性の中に言葉っていうのがあるっていう考え方と、
あとはそういうふうに書かれた作品自体が、今度書いた人と読む人の間でも解釈がどんどん違ってくると。
読む人と読む人でまた別の時間を生きてきてるから、
同じ言葉でも書いた人と読む人が違う解釈をすることがあって、
その読者の方に実は物語っていうのがあるんじゃないかっていう研究があったりとかするんですけど、
まさにそれとかをものすごく意識して書かれてるんだろうなっていうのはすごく思いますね。
日本語とドイツ語も違うしっていう言葉に対する感覚っていうのがものすごくある方で、
そういうインターテクスチャリティっていうようなところも意識して読むと、
ものすごく面白い、いろんな解釈ができる文章だなと思ったので、
ずっとこれ読みながら話しながら飲むと楽しそうですね。
たまにやられてる感じなんですか。
そう、たまに。今読書会をやってて、
昨日ちょうど7回目をやったところなんですけど、
だいたい2月に一度のペースでやってて、
これからもやっていこうと思って。
どういう本を読まれるんですか、毎回。
始めの頃は海外の小説を読もうとかいう感じで始めて、
途中で日本の作家さんも挟んで、
ちょうど昨日読んだのが、
かんばやしあかつきという人の白い赤田舟っていう本を昨日読んで、
次回は路人を読もうとか、
その次は宮本恒一を読もうとか、
割とジャンルはバラバラで読みたいのを読んでる感じ。
何人くらいいらっしゃるんですか。
昨日は私たち入れて5人か。
だいたいでもいつも5人とか、多くて6人とかですかね。
いいですね、面白そうですね。
どういう方がいらっしゃいますか。結構幅広い、いろんな方が。
そうですね、割と近所の方を中心になんですけど、
でも大阪から昨日は来られてたサーファーの子が来てたりとか、
近所の人だと自分でお宿をやってる人だったり、
年齢も割と幅広く来てもらってます。
皆さんやっぱ本が好きな方が多いんですかね。
ちらっと実はこのポッドキャストの前に、
いろんな話を北谷さんとはしてたんですけど、
本が広まるにはとか、本を手に取ってもらうにはとか、
いろんなことを僕も日々考えつつやってたりはするんですけど、
読書会に来られる方って本が好きな方が多いんですかね。
それともこういう会があるから本を手に取ってみようっていう方も
いらっしゃるんですかね。
今読書会に来てくれてる人はやっぱり本が好きっていう人が来てくれていて、
広く参加者募集してるっていうよりかは、
今は割と本好きなお客さんにちょっと声かけてやるけど、
来ませんかっていう感じでやってるので、
今は本が好きな人が一応来ている感じですかね。
そうですか。皆さんどういう感想も毎回いろいろ様々だと思うんですけど、
読書会をやっててこんなことが面白かったとか、
そういうのってありますか。7回ぐらいですか。やられて。
そうですね。毎回拍手で終わるぐらい、とても何て言うんでしょう。
面白いですね。すごく面白くて、なんか盛り上がる。
盛り上がる。ちょっと盛り上がる種類が違うかもしれないですけど、
やっぱりこう、何でしょう。自分の読みが、この読みしかもう絶対できないっていう中に
自分は閉じこもっているような感じが毎回するというか、
他の読んできた人たちの感想を聞くと、全然違うアプローチ、視点で読んでたりして、
毎回ハッとさせられて、反省して終わるみたいな感じ。
そうですか。面白いですね。そういう全然意外な感想とか見方があるっていうのに触れると。
面白いですよね。やっぱり本当にそれぞれ全然違うことってありますもんね。
同じ本でも。本当にそうですね。毎回それは。どんな本、どの本読んでも感じます。
なんか面白いとこですよね。本のというか、物語のというか、本当に様々っていうのは。
これからネタバラシになると良くないか。読書会でこれから読みたいっていうのをいくつかさっきおっしゃってたんですけど、
読書会とか、読書会じゃなくても、ここの場所とかで何かやりたいこととか、まずは読書会だとか、
そういう考えていることってあるんですか。
まずは読書会。
いろいろやってみたいとは思っているんですけど、必ずしも本というものを通じた何かっていうのができるといいなっていうのはありますけど、
でも、誰かを呼んでお話会、それもお店自体が広くないので、
割と少ない人数でぎゅっとお話を1時間2時間聞いて、お茶飲んで帰るみたいなことができたらいいなとか、
あとこれは本当は離れていくんですけど、ここは前に田んぼもあって畑もあって山に囲まれていて、
すごい自然が豊かな場所なんですけど、なかなかこの環境を維持していくのが、今住人がすごい少なくなっていっている関係で難しくなりつつあって、
ここで店を続けていくにしても、すごく住んでいる人が減っていくっていうのがかなり大きな問題として出てきているので、
トレイルを整備するとか、田んぼを田植えしたり稲刈りしたりとか、自分たちで米も作っているんですけど、
そういう店を中心にこの店が置かれている環境にとも関わる、働きかけていくようなことを、自分たちだけでは到底手が足りないので、
それを一緒にやってくれる人を見つけてじわっと広がっていくようなことができたらめっちゃ嬉しいなと思って。
なるほど。じゃあこの本とかこの書店の建物のちょっと近くの周りも含めて、そういうイメージが終わりなんですね。
なるほど。トレイルランナーとしては、いっぱい走るところがありそうでいいなと思って。
ありますあります。
そうですね。京都の中心と福井県の方に行くちょうど間ぐらいのところで、すごくランナーにとってはもしかしたら興味深い場所なのかもしれないし、
あとはそうですね、海外の人とかもやっぱりランナーの人もいっぱいいると思うんですけど、結構やっぱり知らないところを走りたいとかそういう人たちもいるかもしれないので、みんなで来れるといいですね。
いいですね。めちゃめちゃ。
お茶とかを出していただければ。
ぜひ通りすがっていただいて。
はい、通りすがって。
お出しします。休憩して行ってもらって。
本も手に取って。
そうですね。ゆっくり休んでもらえるような場所として使ってもらえたら嬉しいです。
良さそうですよね。なんかそういう、鯖街道でしたっけ。
そういう道は昔からいろんなところにありますもんね。その道の周りにはお茶が出るところがあったりとか、何かといろいろとあったりもあるでしょうし。
なんかそういうふうにまた歩き直すといいですね、みんなで。
そう、なんかさっき車でしかなかなか来れない場所って言ったんですけど、でも本当は歩いて来てくれる方がいたらすごくいいなってやっぱり思ってて。
道中つづら折りの道もだし、すごい高い岩崖があったり、見える景色が車で来るのとは多分全然違って、一つ一つ目に留まって面白い景色っていうのが途中にもたくさんあるので、
そこを経てこの店にたどり着いてもらった時に、飲むコーヒーは美味しいかもしれないなって思うので。
そうですよね。
ちょっとお勧めしたい。
そうですよね。
なるほど、本当にここはなんか、さっき読書会とかお話会っていうような言葉もありましたけど、割とでも、割と広いですよね。
割と人が来ても大丈夫な感じが、20人とか。
全然大丈夫そうな感じだし、ちょっといい感じのカウンターとかもあったりして、ゆっくり座れるし、あとは薪をくべて暖を取ることもできるという、冬には。
そうですね。薪ストーブがあるので、火を見ながら温まれる。
いいですよね。
冊子も作られてて、あれは今は一旦は休止中っていうことですかね。
そうですね。前作ってた。ただちょっと形を変えて、以前は1冊150円で売ってたんですけど、今はフリーにして、ちょっとコンパクトにしたもので、
でも作り続けているので。
それも本の紹介がメインで、あとはいろんなエッセイというか。
そうですね。ここで暮らしてる中で考えたこととかをちょっと書いてる。
なんかそれの第1号の時とかの表紙か何かに線が書いてあって、これは筒あおりだろうなと思ったらそうだったっていうこともありましたよね。
あの絵っていうか、ああいう白黒のイラストというか絵も書かれてるんですか。
あれはその冊子に書いてる絵とか冊子作り自体は夫が作っていて、グラフィックデザインをやっていて。
そうなんですね。
そうなんです。それは夫の仕事で。
そうなんですね。じゃあそういうコンビネーションで。
コンビネーションです。
出来上がってると。
2人で。
なるほど。じゃあ今こちらにいらっしゃって6年ぐらいということで、コロナのちょっと前ぐらいからっていう感じなんですかね。
パンデミックがあったり、雪が降りすぎたり、いろんなことがありつつ過ごされている中でちょっと考えたこととかっていうのを順番に文章にされているっていうことですよね。
そうですね。
今回のこの犬を連れた北海道の旅の中にも、
責任の取り方みたいな話とか、いろいろ考えさせられるところがあって、
とても面白くて。
面白いですよね。
そうなんですよね。サバイバル登山とかも面白いですもんね。
お米と調味料と釣竿で行くみたいな、それだけで行くとか、
ある時期にすごいハマって読みましたけどね。
昔、私は学生ぐらいのときだった、もうちょっと後かもしれないですけど読んだときは、
全然そのときは実はあまりピンとこなくて、
これができる人っていうのは限られた、すごい屈強な体の男性なんだろうなって思って、
自分にはもうできないと思って、わりとそのときは読み進められなかったんですけど、
最近読んだら、たぶんずっと旅をされてくるんですけど、
たぶんずっと旅をされてくる中で旅のスタイルも変わってきて、
今犬と旅をするっていうことになって、
最近読んだらすごく入ってきたんですよね。
なんかこの著者の変化と自分自身の変化と、ちょうど流れが合うときがきっとあるんですかね、
っていうことなのかもしれないですね。
そうですね。
時間をある程度置いて読むと読めたりするものも結構ありますもんね、確かに。
昔これ全然読めなかったけどなっていうものがすごくピッタリ来たりとかもしますし、
あとは傍らに今、田和田陽子さんの検討誌とかも置かれていて、
ちょっと読書会で木星社の読んだりもしようかなと思っているので、
またポッドキャストでも感想も話しますし、ぜひ読まれたらまた感想も教えていただけるといいですね。
これを聞いてくれてる人でもし興味ある人がいたら、田和田陽子さんの小説読んで感想もくれると、
みんな何言うのかなっていうのがまた違って面白いかなと思うので、いいですね、そういうのも。
読書会もあれですね、一緒にやりたいですね、そのうち。
本当ですね。
何読むのがいいんですかね。そこからか、まずは。
これ本当に自分では読めなかった、読書会がないと読めなかっただろうみたいなのもすごく良かったし、
何を読んでもこれ感想出るかなって思っても絶対出てくるので、多分何でもいいと思います。
楽しみに、そのうちぜひできるといいですね。
本当ですね、読書会。
ありがとうございます。最後に一言ありますか、大丈夫ですか。
ずれずれになるままに、今日はこの収録の前に僕の話もいっぱい聞いてくれて、
自分の話はあんまりそこまですることがそんなにないので、
しどろもどろでいろいろ聞いていただいてありがとうございました。
そうでした、そうなんです、このお話をする前に、
ウジシロさんにちょっと取材 インタビューさせてもらったのを
それは音声ではなくて ちょっとまだ媒体決まってないですけど
ウェブに文字で載せて
これからちょっとそれもやりたいことの一つとして
本を出す人 出版社の人 編集者の人に
話を聞いてみたいなという人がすごくいるので
いろいろ話を聞いたものを 続けて連載みたいな形で
その第1回目が
1回目ですか?
そうなりました
恐れ入ります
ウジシロさんにめっちゃ面白いお話 学生時代の頃からとか
懐かしい 決められた
走ることについてとか いろいろ聞けたので
恐れ入ります ありがとうございます 聞いていただいて
いつ頃ぐらいですか?
夏以降とか
そうですね 今は5月だから6月
でも夏頃には何か出せるといいなと思います
なるほど じゃあいろいろ決まったらまた教えていただいて
ポッドキャストでも皆さんにお知らせするようにします
はい ぜひぜひ
じゃあそうですね
今日はなんかいい夕暮れで
この後はバッタリ散歩でもして
今日は過ごそうかなと思います
ということで 書店クーのウェブサイトとか
インスタグラムもありますもんね
興味持ってくださった方はぜひ調べていただいて
京都に来たら 街中も当然楽しいんですけど
ちょっと足を伸ばして 京都一周トレイル行ったり
園辺まで来て そこから歩いて ここに来たり
コーヒー飲みに来たり
いろんなことができるといいかなと思いますので
北梨さんがここに来たらいますもんね
歩いて来られる場合は園辺だとめちゃくちゃ遠いので
もう一個北寄りに日吉駅っていう駅があって
そこからの方が
歩く場合には近い 走る場合も近いということですね
お休みの日とかってあるんですか 定期
お休みは 火・水・木がお休み
近道日月が営業日になっています
週末とかに来ると 北梨さんがいらっしゃるということで
冬はやっぱり薪をくべたりしてっていう
暖かい感じになるんですか
そうですね 冬は薪ストーブがんがんに炊いて
温めておきます 寒いですけど
なるほど じゃあぜひぜひ引き続き
皆さん本読み 走り コーヒーを飲んで
たまには書店に行くということで
今日も一日 夕方になりましたので この辺でですかね
またちょっといろいろ読書会のお話とかも
ぜひぜひまた聞かせてもらえると嬉しいです
ということで今日はどうもありがとうございました
ありがとうございました