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【ここにいる人たち #01】「困りごとで、人を切らない」── “生涯つきあう”総合診療という生き方|進谷憲亮
2026-06-23 45:01

【ここにいる人たち #01】「困りごとで、人を切らない」── “生涯つきあう”総合診療という生き方|進谷憲亮

① この回について
第1回のゲストは、ファミリーヘルスクリニック北九州 院長・進谷憲亮さん。動物好きの少年が「人の最期まで関わる医者」を志した原点、カンボジアで“医療は絶対じゃない”と気づいた話、そして年齢も問題も「区切らない」総合診療にたどり着くまで。ひとりの医師の原点と現在地を、等身大の対話で。

② この番組について
『私たちの総合診療』は、北九州のファミリーヘルスクリニックがお届けするポッドキャスト/note。答えを教えるのではなく、ここで働く人・つながる医療者・経営の現場との対話から、“私たちにとっての総合診療”を少しずつ言葉にしていきます。一緒に働く医師・仲間も募集中。

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サマリー

本エピソードでは、ファミリーヘルスクリニック北九州院長の進谷憲亮氏が、自身の医師としての原点から現在に至るまでの道のりを語っています。幼少期に動物の死に触れ、命への関心を深めた経験から、当初は獣医か医師を目指していましたが、身近な先輩の死をきっかけに、人の最期まで関わる医師を志すようになります。大学卒業後、都立多摩総合医療センターでの研修を経て、国際医療支援団体ジャパンハートでカンボジアでの医療活動に従事。この経験を通じて、日本の医療が絶対的なものではないこと、そして患者が自身の価値観に基づいて選択する権利があることを学び、帰国後は年齢や問題を問わない総合診療の重要性を痛感します。2022年にファミリーヘルスクリニック北九州を開業し、小児から高齢者、身体から心、暮らしの困りごとまで幅広く対応する「生涯つきあう」クリニックを目指しています。また、経営者としての視点や、スタッフ育成、地域医療への貢献についても熱く語っています。

自己紹介と経歴:総合診療医への道のり
Tomo
じゃあ、よろしくお願いします、けんさん。
Kensuke Shintani
よろしくお願いします。野村くん、久しぶりです。
Tomo
久しぶりです。
インタビュー企画を始めていきたいなと思って。
一発目、けんさん、ぜひやってってもらいたいなと思ってます。
Kensuke Shintani
いいの?一発目、僕で。
Tomo
はい、それはぜひお願いしたいなと思ってて。
ちょっと30分、40分ぐらいの感じでできればなと思ってますと。
じゃあ、人にスポットを当てたインタビューにしていきたいなと思ってるんで、
自己紹介のところから改めてお願いできればなと思ってるんですけど、
お名前と、専門ってちょっと難しいかもしれないですけど、
専門と、これまでの経歴とか今やってることみたいなのを、
ちょっと簡単にいただければなと思うんですけど、お願いします。
Kensuke Shintani
超絶ムズイ、一番振りがきたな。
医者としてのっていうところなんだな。
そしたら、今ね、居歴がもうすでにちょっと曖昧になってきたんですけど、
じゃあ2013年に九州大学を卒業しまして、
福岡から東京の方に、いわゆる上京して、
東京都立多摩総合医療センターというところで、
合計2年間の初期研修、プラス3年間の後期研修を終えましてですね、
その後、2018年に都立多摩総合医療センターを退職しまして、
ジャパンハートという国際エネルギー上のジャパンハートで、
医師ボランティアとして1年間、カンボジアのブドンという地域で
医療活動に従事し、そこで今、
オーガナイザーっていうんですかね、これはね、
野村君と初めて出会い、一つ屋根の下で切磋琢磨しちゃったという中でございますが、
そこで本当に自分自身の日本で感じてきた、
いろんな医師としての見えてきた価値観とか、
まだ言語ができてない部分とかを、またカンボジアという異文化に触れて、
そこで人の命や人生に触れることで、
自分の中でいろんな価値観がクリアになっていく感覚があって、
帰ってきて、2年間ほど、今度は高度な、高度休息の大きな病院ではなくてクリニックで、
子どもからご年配の方まで抱えている問題問わず、
見る外来在宅の医療に従事して、
その経験がおそらく、それまでの経験が今につながっているんですけれども、
2021年に北九州に帰ってきて、福岡に帰ってきて、
北九州市の八幡区というところにご縁をいただいて、
現在のファミリーヘルスクリニック北九州というクリニックを、
2022年に開業させていただいたという経緯になります。
僕自身は、その時点ではまだ専門医も持っていなくて、
本当に自分自身の在り方によって、
患者さんを、ある意味、取捨選択したくないという思いがあって、
生涯どんな困りごとに困っていたとしても、
相談窓口になれるようなクリニックを目指す、
医者を目指すという点から、
あまり専門医というものを取るという方向を、
自分の中で重点を置いていなくて、
なので、うちのクリニックも本当に、
小児科から成人及び高齢者まで、
体の問題から心の問題から、
もっと言うなら暮らしの中での困りごとまで、
通院できる人は外来、
通院できない人は在宅医療、
もっと言うのであれば病院にかかる前から、
いわゆる保健診療でうちに診察に来るのではなくて、
コミュニティスペースというものを抱えて、
お茶をしながら相談ができる、みたいなところまでを含めて、
僕の中で今、障害型総合診療と勝手に言ってますけども、
Kensuke Shintani
障害を通じて関われるような総合診療クリニックを目指して、
今このクリニックをやっています。
その過程で、いわゆる後輩育成のために専門医を持つ必要があって、
家庭医療専門医を修得させていただいて、
今、特任指導医というものを目指させていただいて、
今後、後期研修育成に努めていきたいなと思っている次第でございます。
Tomo
おー、幅広いっすね。
Kensuke Shintani
幅広いよ。
Tomo
いいっすね。けんさんの来る感じでこどわりたくないみたいなところから、
今の活動にめちゃめちゃ地で行ってんなって感じがめちゃめちゃいいなっていう。
Kensuke Shintani
僕も地で行ってます。
Tomo
地で行ってますよね。
Kensuke Shintani
すべて地で行ってる。
Tomo
ありがとうございます。
かつ、やっぱ行動力がすごいですよね。
そう思って、今こういう活動をしてるってとこまでつながってるっていうところが、
めっちゃいいなって思いますね。
Kensuke Shintani
そうですね。でもここから先はあれですよ。
今までは臨床医として、
医者としてだけ、
県内市臨床患者さんを見る、
または育成教育指導っていうところに携わってきましたけど、
クリニック持ってから、
二足のわらじのうちのもう一つが今は経営者っていうところになりまして、
クリニック経営ということで初めて人を雇用するっていう立場になったら、
今までとは違う人の人生を預かってるっていうのはね。
あとは自分一人ではできない、
どちらかというと自分の人生を預かってるプレッシャーと同時に、
自分一人だったら絶対こんな道に、
こういう景色にはなってなかったであろう、いい意味でね。
スタッフがいることで叶えれてる部分も結構あって、
成長してよかったなと思う一方で、
これまでの4年間、今開業して4年経って5年目になりますけど、
メイン主が僕で、
本当に医師も僕一人の時期が3年ぐらいあって、
僕がいないとっていうところだったのが、
今は次のフェーズとして僕がいなくてもっていうのを、
うちのクリニックにおいては目指して。
やっぱ職員の教育。
でもそれは手取り足取りだけではダメだっていうところに気づき、
少し距離を置きながら見守るっていうスタンスで今スタッフを、
内部のクリニックを見ながら、
ちょっと外交をやってますね。
Tomo
いろいろ葛藤があったんですね。
その葛藤だけでも撮りたいぐらいの。
Kensuke Shintani
開業しての葛藤とかいったら、それだけでも1時間以上はかかるわね。
Tomo
いいっすね、いいっすね。はい、面白い。
医師を志した原点:命への関心と身近な死
Tomo
ちょっと一歩目なんで。
それで言うと、もうちょっと、
今ザラッと今までのとこ行ってきましたけど、
石を志したきっかけとか、
その過程で影響を受けた人とか、
そういうところをお聞きできればなと思ったんですけど。
Kensuke Shintani
志したきっかけは、僕の中では結構後々に気づくみたいなことが多いんですけど、
蓋を開けてみると、もともとの気質というか、
興味関心ごととして、やっぱり命とかっていうものは幼少期からすごい関心があったんだなと。
それを今思うのは、
動物に、今で言うペットというかですね、
猫や犬に囲まれた田舎というか実家で育ってきたんで、
家族の死というものを動物を通してですね、
身近に触れてきたなっていうのが1。
そういう日常だったからか、
自宅の外でも野良猫とか動物が亡くなってたりすると、
自然に当たり前に供養する人間だったんですよね、子どもに。
道端で猫の死体とかがあると、
Kensuke Shintani
そのままにしておけなくて、
家とか畑に連れて帰って、
埋めて供養する人間だったんですね。
すごい動物好きで。
だからこそ逆に関心があったのは、
当時小学校のときとか、絶滅危惧種みたいな動物図鑑とかを見る中でね、
どうして種がなくならないといけないのか。
僕らの当時のトピックは、人間の自然破壊みたいなトピックだったんですけど。
そんな破壊してから動物を絶滅に追いやる人間なんて絶滅してしまえて。
Tomo
おお、そこまで。
Kensuke Shintani
ただやっぱり子どもなりのかったよね。
でも友達にはいてほしいみたいなね。
でもあるときに、いつも当たり前に見てたはずなのに、
類人猿、人というものが動物図鑑に載ってるのを、
改めてある日突然見たときに見え方が変わったんですよね。
動物を絶滅する、
それの絶滅を導くじゃないけど、絶滅させてるような人間は絶滅したほうがいい。
それには動物が好きだから、みたいなのがあったけども、
でもそもそもそれは人も動物じゃん、みたいなところを気づいて。
人は人でせざるを得ない理由があるのかもしれない、みたいな問いが始まり、
そこから人も困ってるからそういうふうになってるんじゃないか。
人もひっくるめて本当の意味で救わないと、動物を救うみたいにならないんだ、みたいなところで、
はじめは獣医と。
すごい漠然と小学校、獣医と医者みたいな。
Tomo
すごい。
Kensuke Shintani
でもはじめは獣医と医者っていう概念なかったんで、動物全部救うみたいな。
漠然と思ってたら、あるとき獣医と医者は違う。
動物の専門家と人の専門家は違うってことに、小6から中学校ぐらいにうつうつと気づいてきて、
そっか、みたいな。
じゃあどっちの道なんだろうっていうときに、僕は大きかったのは、すごく慕ってた方が身近な方で、
1校への先輩でしたけども。
ちょっと事故で亡くなるっていう、その方の死を経験したときに、
人が死ぬということがどういったことで、残された人たちがどのように感じて、
またその死を防ぐことがもしできたのであれば、みたいなところを問う中で、
人が亡くなるまでに関わっていきたいっていうことで医者を目指し、漠然と医者っていうものに。
道が傾いていって、動物をというよりも人を。
なぜならば、当時すごい友達大好きだったんですよね、中学校のときにね。
Tomo
そんな感じする。
Kensuke Shintani
大好きだよ。
地元神田町っていう町。今も離れ島圏が神田の地元の人間からすると、
もしかしたら裏切って早く帰ってこいみたいなのもあるかもしれないけど、
僕の心はいつも神田人なんで、
僕が頑張ることで神田が生きると思ってるんですけど、
当時は生涯神田にいると思ってて、
仲のいい友達の人生に関われる職種でいたいって思ったときに、
医者やって。
そこからなんですよね、多分医学部みたいなのをちょっとイメージし始めたの。
Tomo
具体的に中学生とかってことですか?
Kensuke Shintani
中学校のとき。
中3のときに先輩が亡くなって。
今でも覚えとるよね、そのこと。
いろんな中学校の記憶がどんどん薄れる中で、それを明確に覚えとるし、
なんで医者に?って言われたときに、まず思い浮かぶのはそこなんだよね。
どこまで当時意識していたかはもはやわかんないけど、
今振り返るとやっぱりそれが一番僕にとってはインパクトだったよな。
すごい尊敬してたから、めっちゃ慕われる人だったんで、
こういう人が人生成功していくのかなって漠然と思ってたら、
そういう最後を迎えて、
言わんや自分をや、みたいなね。
臭い言い方すると人の命の儚さというか、
だからこそ今がすごく大事でみたいな。
今もその、医者っていうのとは関係なしに、
やっぱり一日一日を一生懸命生きとるつもりやし、
明日死んでもおかしくないって常に思ってるというよりも感じてるし、
いつ死んでもおかしくないというか、悔いや悲しみは残るやろうけど、
それでも納得のよく人生はあるみたいな。
あとはあった者目線で言うと、
人の最後にどんだけ辛い思いをしても仲いい俺が、
Kensuke Shintani
当時ね、俺の友達を見るっていう前提だったから、
人生最高やったよな、お疲れって言えたら枕元で、
そいつの人生最高になるんじゃないかなと思って、
それができるのは医者かな、みたいなところが僕のスタートですね。
Tomo
なるほど。すごいな。ありがとうございます。
Kensuke Shintani
いえ、とんでもないです。
Tomo
いいっすね。
カンボジアでの経験:医療の絶対性と患者の選択
Tomo
医者になるって決めて、
今の活動あるじゃないですか、
一番影響を受けたのが、
カンボジアでのところって話されると思うんですけど、
具体的にどういうことがインプットとなって、
今こういうところに繋がってます、みたいなのってあったりします?
Kensuke Shintani
でもね、一番はね、
僕らが提供してるとか専門としている医学や医療っていうものは、
決して絶対的なものではなくて、
一つにはね、
個人的にはどっちかというとそれまで感じていた、
その時点でおこがましかったんでしょうけど、
よりもよっぽど小さいもので、
世の中のいろんなものに支えられてるおかげで、
それを提供させてもらえてるっていう感覚を一つは持ったのと、
あとは病気を治すとか命を救うっていう、
Kensuke Shintani
僕らが目標に掲げてたものですら、
絶対的な価値ではなくて、
それ以上に大切なもの、または大切にしてることがある人なんていっぱいいて、
それを考えた時には、やっぱり命が救われるかもしれない治療を受けるよりも、
今この瞬間何をするかを選ぶ人なんてたくさんいたから。
Tomo
あー、あのあれですね。
Kensuke Shintani
どれどれ。
Tomo
亡くなる前に家に帰りたいみたいなやつ。
Kensuke Shintani
そうそう、とかもそう。
宗教的な価値観で、亡くなって息を引き取って死ということが至った後は死者っていう扱いになるんで、
その状態で村に連れて帰るのはタブーにされるから、
これ以上難しいんであれば、
生きてるうちに連れて帰って、生きてるうちからお別れの葬式をするっていう文化だったりもそうだけど、
僕らからすると、最後、当時はね、
それでも少し在宅にも触れた後やったし、島での医療を経験した後やったし、
できないっていう環境の中で、
最後まで徹底的に治療を施すっていうものが必ずしも絶対的な価位ではないっていうのは裸では感じてたけど、
それでももっとできることがある、まだ諦められないっていうときに、
諦めるではなくて、自分たちの価値観として大切なものを選択するために、
医療を受けるではなくて、家に帰るを選択する人たちがいたり、
Kensuke Shintani
あとは、今1日1日の家族を養うためのお金を、
1日1日稼ぐために仕事を休んだら家族が明日から食べていけんから、
入院して適切な治療を受けるよりも、多少妥協しても外来で受けれる範囲でしてもらって、
それで助からなければそこまで、むしろ頑張って障害が残って生き残ってしまったら、
それは家族の汗まといになるだけだから、であれば働ける間一生懸命働いて、
働けなくなったら死ぬ方がいいっていうのを面と向かって言われるとかね。
やっぱりそこはすごく感じるものいっぱいあったよね。
いかに今まで自分たちが日本の病院で働いてたときに、
やっぱり病気を治すだったりとか、命を救うっていうところを一生懸命してたけど、
そしてそれは僕の価値観を押し付けてなかったかのかとかをすごい振り返るきっかけになったよね。
Tomo
へー、なるほどね。
Kensuke Shintani
選びたかった人がいたんじゃないかとか。
そこはすごい大きくて。
僕らが提供してるものって、大切なものを大切にするための選択肢の一つでしかなくて、
僕たちが提案したことを選択しないという選択肢があっても全然おかしくなくて、
それは何を優先させてるのかっていうのを、
僕らがむしろ耳を傾け意識を向ける必要があるんだなというか。
でもそうすることで、救えない人たちを救えるようになるっていう感覚もすごいあって。
病気を治し命を救う医療が絶対だった場合でも人は死ぬという大前提のもと。
それ以上何もできなくなったらお手上げ諦めなんだけど。
カンボジアではこれ以上できないけど、その先がいっぱい教えてもらえたなと思う。
それこそ吉岡さんがトモくんの動画で言ってたように、
Kensuke Shintani
本当に関わり続けること、手を差し伸べ続けることが大事なんだよね。
何ができるとか、それを直せるとかっていうよりも、
自分のことを考えてくれてる人がいる。
一緒になって一生懸命なってくれる人がいる。
それが大事なんだよねっていうのがすごい。
そこからは小手先でできる薬とか治療もそうなんだけど、そこも大事。
医学的な。それも大事なんだけど。
それ以上に治すことはできないけど。
治すことができないって、
医者にとってはすごいそのまま関わり続けるって結構精神的に辛かったりするのよ。
全然できない。
でもそこを経験してからは、ごめんねって、今すぐその問題解決できんけど、
毎月あごやーっつって、一生考えて続けるけん。
いうことを自然に言えるようにはなったなと思う。
Tomo
なるほど。
Kensuke Shintani
すごい大きかったね。
あとは、インフラとか、生活っていうのができてないところに大金はたいて病気治しても、
帰りに交通事故で亡くなるかもしれないし、帰って感染症で亡くなるかもしれないし、
それがないわけじゃないけど、
リスクが限りなく低い生活を送れている日本って、
それがあるから僕らは全力で医療提供できてるんだなと思う。自身も。
今の日本はその先、今度は障害を負っても高齢者になっても、
その状態で生活して生きていけるインフラおよび生活の場があるかで言うと、
今の次の課題はそれがないなと思ったんで、
病院の外で暮らしの場で医療や福祉に関わり始めたのは、
次必要なのは、医療が提供できる、
医療者が自信を持って医療を提供できるインフラが戦後作られてきたけど、
医療が発達する中で今度は救えるようになって、
でも障害を負ったりとか、
そういう方々が救われた人たちが、
当たり前に暮らし、社会で活躍しっていう場が必ずしも今はないので、
今度はそこを作っていくことで、
Tomo
医療者がまた自信を持って治療に臨めるんじゃないかと。
なるほど。
結構あれですね。
本当にそこで感じたことを日本でやろうと思って。
Kensuke Shintani
そうだね。
本当にそうよ。
行ったときから、支援なんておこがましいと思ってたから、
勉強させてもらってできることをする。
でも僕は勉強させてもらうし、
障害、看護師内で暮らし、そこで最後までを迎えるっていうものではなかったんで、
やれば貢献させてもらって得たものを日本にも持ち帰って、
それをどう生かすかっていうのは同時に意識してて。
それが莫大に大きすぎて、
僕の中ではもらってばっかりで、
全然何も返してないからっていうようなね。
やっぱりしていきたいなと。
カンボジアにも貢献できることがあるんであればし続けていきたいな。
なぜならば僕の価値観を変えてくれた国だから。
Tomo
いいっすね。
それを日本でやろうと思ったときに、
日本での実践と課題:地域医療と継続性
Tomo
どういう難しさがあったのかみたいな話、
もしあれば聞きたいなと思ったんですけど。
今感じられたことがたくさんあって、
それを日本で、しかも独立してやられるっていうところじゃないですか。
その中でそれを実現していく。
今もその道の途中だと思うんですけど、
実現していく最中でも難しさとかって、
どういうものがあったんですか。
Kensuke Shintani
難しいのはね、やっぱり僕はカンボジアという国で、
目の当たりにして体験を経て価値観が変わったんだけど、
でもそれを持ち帰ったとて、
日本の医療者にとってはそれって当たり前じゃないんですよね。
それをいくら日本人の僕が言っても、
すぐには擦り込まれないですね。
それを、自分が思っている大切なものとかを、
やっぱり僕は贅沢な思いしてそれを得たんで。
棚からボタン持ちみたいなね、変な話。
でもそれを丁寧にちゃんと理解してもらうっていうプロセス。
うちの職場の人間にはやっぱりそれを知ってほしいし、
理解してほしいし、
それが自然に当たり前になってほしいし。
ただまだそこまではおそらく至ってはいなくて、
時間はかかるし、
それまでの間は、こっちがなんでわかんないのっていうのは違うと思うんで。
そこをどううまく、
日常の診療とか僕との関わりの中で疑似体験してもらいながら、
あ、委員長が言うこれってこういうことやったんや。
2年3年4年経つ中で知ってもらえたら。
でも1年目の頃とかは勝手に焦るよね。
リツイートだけあって、
あとはこれがいいというものだけあるけど、
働き出した人たちがみんなそれをイメージしてきてるわけじゃないから、
大切にも伝わらんし。
初めは自分もまだまだ経営者としても委員長としてもまだゼロスタートやったから、
そこに対して逆になんでわからないんだ、なんで伝わらないんだろうって。
4年経ったらどうなるんやね。
もう2、3年経ったらわかるっしょみたいな。
Tomo
へーすごい。気も座ってきたって感じ。
Kensuke Shintani
もうね、だいぶ座ってきたよ。
院内が多少不穏になってもあんまりぶれないね。
座ってきたと思う。
Tomo
聞いてくださってる方向けに言うと、
くくりがわかんないんですけど、
他の総合医・家庭医の人たちと、
けんさんの違いみたいなのってどういうところなんですか。
Kensuke Shintani
違いとかっていうのはあんまり過ぎる気はするよね。
あんまり他の先生方がどういうふうなのかわからないんで。
1は相対意識枠じゃないなと思ったんで、
僕はどういうことを大事にしてるかみたいなところですと、
患者さんを見る診療という意味でいくと、
どういった場所で誰を見るかによって自分の在り方を変えるんですよね。
在宅という場所で見てる患者さんAさんと、
外来という場所で見てるBさんと、
もし僕が病院勤務するんであれば病院で見てる何さんに対して、
僕はその都度、自分がこうしたいを出すというよりも、
その場所で求められる相手がどうありたいかに対して、
自分が何をすべきかっていうところをすごく大事にするかも。
もちろんそこには根っこにこういうことをしたいっていうのはちゃんとあって、
そこからぶれるという意味ではなくてね。
だけ変な話、病院であれば病院における総合診療院を多分担うし、
今のクリニックではこうだし、もっというのは北九州と東京行ったときとでは求められるものが違うし、
勤務するによっても自分の役割って変わってくるだろうから、
その場所で自分が求められる総合診療院をやるんだろうなというスタンスが僕の中ではすぐありますね。
Tomo
なるほど。
Kensuke Shintani
病院ではね。
あとは子どもから、
枠組みを作ると枠組み外が生まれて、そこには縦の壁ができるんですけど、
それを極力そぎ落としてなくしたいっていうのがあるんで。
…とかで患者さんを切らないし、
抱えてる問題でも身体なのかでも切らないし、
身体か心か、それこそ社会的な問題かでも切らないし、
臓器別でも切らないし、っていうところがすごくあったり。
あとは専門職官とかもそうだけど、
病院と診療所っていう縦割りとか僕いらんと思うし、
心身の連携だし、
医師看護師とかも専門性が違うっていうプロフェッショナルなのに、
上下なんてないから。
みたいな価値観をスタッフみんなには知ってもらいたいですよね。
へー。
Tomo
それでもなんか、めっちゃいいなと思うんですけど、
めっちゃ大変そうじゃないですか。
そんななんか…
Kensuke Shintani
大変?
Tomo
大変ですよね。
大変。
Kensuke Shintani
でもね、スタンスだけ、
相手がどういうあれであれ、相手を見ようとするじゃないですけど、
病院の先生が、
例えば在宅における生活を見るっていう視点が、
やっぱり病院でない方もいらっしゃって、
やっぱりその部分しか見てなくて、
治療の話をするときとかも、
別にそれに対して僕は感じるのは、
それをおかしいとか不十分って感じしないんですよ。
病院の先生としてそこを一生懸命見て、
それは病院という文化で医者をしてるんで、
その方がそういう価値観に至る背景とかをすごく想像しますね。
なるほど。
否定というものをしない。
看護師さんが医師と違う価値観を持ってたとしても絶対否定しない。
それは看護師としての視点で、
もっと言うのはその方としての視点で考えてるっていうだけだから。
そこにもし怠慢が見えそうであれば、
妥協とかね。
妥協も変なんし、絶対的な解がない中では、
最善の妥協策を探し続けるっていうのはすごく大事。
安易な解に、
もう考えることがめんどくさくなって、
安易な解に、
むしろ黒によるみたいな感じになった人とかには、
一石通しちゃうけど。
基本的にはいろんな考えがあっていいと思うし、
いろんな見方が、
同じ物事を同じ看護師さんに対していろんな視点があっていいと思うんで、
それを僕は否定しない。
そのスタンスだけ。
ただ僕の考えを否定された場合には、
それをなぜ否定するのかっていうところに対してはだいぶ言うけどね。
Tomo
なるほど。
Kensuke Shintani
否定しないからあなたも別に否定する必要なくない。
最終的に選ぶのは患者さんや家族なんですよ。
Tomo
急遽。
Kensuke Shintani
なので選択肢をたくさん投じて、
そこが明確にならんかったら患者さんといかに対話して、
その方々が何を大事にしてるかを、
解像度を上げてイメージできるぐらい。
言語化、言葉にできるまで話す話す話す。
でもそれは言葉尻だけじゃなくて、
非言語の部分まで、
表情、声色、いろんなところを見て、
どっかで想像にはなっちゃうんだけど。
でもそこに努力を惜しまない。
Tomo
確かに割と、
けんさんのコミュニケーションスタイルは、
今、患者さんに向けてこういうことを大事にしてるっていうことをおっしゃいましたけど、
割と誰に対してもそういうことを大事にしてる気がしますよね。
Kensuke Shintani
あんまり患者さんと患者さんじゃない、みたいな縦割りなくて。
お金払って診察室に来てくれる患者さんもスタッフもみんな同じだと思ってるから。
スタッフから相談を受ければ患者さんのように。
僕の中では別に患者さんの相談に乗ってるのとスタッフの相談に乗ってるのに変わんないじゃん。
だからこそスタッフの組織の悩み事も、
僕が医者として患者さんの悩み事を解決するのと同等に感じながら普通にやってたりする。
ただやり方が、昔は手取り合わせたり。
でも今は間に人を挟むとか、うちのスタッフを挟むとか、
自分たちで解決するため。
だけ、治療・診療と教育も僕の中ではあんまり似たようなもの。
患者さんも教育が必要で、患者さんに行ってることは教育だと思ってるから。
こういう薬をちゃんと飲む少年もそうだし。
そういう感じの診療をやってます。
Tomo
いいっすね。
深掘りたいところいっぱいあったんですけど、
一旦この1本目という意味で。
これから目指してるところとか、
どんな人と一緒に働きたいかとか、
うちの魅力ってどういうところにあるのかみたいなのを、
目指す未来と求める人材:地域医療のハブへ
Tomo
この3つ聞きたいなと思いました。
Kensuke Shintani
これから目指してるところでいくと、
そこが一番原告が今まだ難しいなと思っているんですけど、
ただやっぱり僕は大前提は、
こういう城を作るとかっていうよりも、
この課題を解決するためにここはどうあるべきだみたいなところでいくんであれば、
僕は今の北九州において、
患者さんが適切な医療につながる、または生涯を通じて
医療を受けてちゃんと受けられるという状況を
この地域に作っていくためには、
同様の総合診療医が必要だと思っていて、
総合診療クリニックだったりとか必要だと思っていて、
ただ、よくも悪くも北九州市には、
まだいわゆる家庭医とか総合診療医とか、
総合内科医っていうものが育つ、または育成する基盤がないのよね。
自分は今、大学病院と地域と。
もっと言いながらば、中核病院ぐらいの100床から200床規模の病院内に、
若手のドクターで、やっぱりそういうジェネラルな視点を
専門性として持ちたい人材を育成できる基盤を
作っていきたいっていうのが一番。
それを作ることで、地域から病院、
それが旧世紀から回復満世紀っていう、
この患者さんが一連の流れを作っていくけども、
Kensuke Shintani
この流れが、いわゆる滞りなくシームに流るっていうのを
この地域に実現したい。
その鍵はおそらく、総合診療院を増やすことと、
それができるような基盤を作っていくことだと思うので、
それを目指していきたくて、その一つの中核として
うちのクリニックがなればいいなと思うし、
Kensuke Shintani
今それを、まず各セクターで縦割りになっている大学病院とか
旧世紀病院とか医師会とか、
Kensuke Shintani
この縦割りをどうつなげるかっていうときに、
まず一番のきっかけとして、今実装しようとしているのが、
高齢者の救急医療というものの一つの課題として、
救急車で運ばれて高度急性期病院に搬送され、
救急外来で診療を受けた方の入院先、受け入れ先、
特に軽症中等症の方々の受け入れ先がなくて、
病院がパンクするっていうのに対して、
在宅地域でそういう方々の治療を見ていくっていうのを、
この地域全体で一つの仕組みとして作るっていうのを、
医師会と基幹病院さんと一緒に作っていくものが、
今、大学病院さんの救急部の教授等もそこに、
医師会の委員会に来月から混ざってもらって、
実はそれが厚労省のICTを使った地域連携のモデル事業として、
1200万ぐらい下りたんで、
それの今、なぜか一番メインで企画してる。
Tomo
めちゃめちゃいいっすね。
Kensuke Shintani
そこから、さっき言った相互診療、
ジェネラルにいろいろ見るっていうのは、
相互診療医が救急に行けばある意味、
全部を見るという意味では。
救急、送診、家庭医、緩和ケアの専門医あたりは、
みんな、送診を育てる場であっていいと思ってるんで、
そこが繋がるような教育基盤がこの地域にできたらなと思う。
というのが1。
もう一つは、それが医師だけではなくて、
看護師とか福祉事業者の方々も、
自分たちの専門性で患者さんを就職選択するんじゃなくて、
患者さんのこまめりごとに応じて、
自分たちのできることを探るっていうものを、
提供するケアの在り方として、
この地域で当たり前にしていきたいんで、
そういう方々を同様に地域と、
施設または医療機関で育てていけるような基盤を、
この地域に作れたらなと思ってますね。
Tomo
なるほど。
ちょっと大きいこと聞いちゃいましたね。
めちゃくちゃ。
2026年の6月時点ではこれを目指してる。
Kensuke Shintani
今めっちゃやってる。
この間、100床規模200床規模の病院さんの理事長に、
そういうの考えてて、
送信作んないんですかって言ったら、
医者がいないからできない。
でもそれをやりたいっていう医者がいたら、
何でもしていいよって言う。
何年後に僕がそこでやりたいって言ったら、
いいんですかって言ったら、
全然いいよって言ってもらった。
じゃあコミュニティホスピタル化はできる、みたいな。
Tomo
すごい。
Kensuke Shintani
ここが一個あるだけで、
教育と臨床のハブになれるんで、とは思っていて。
Tomo
なるほど。
Kensuke Shintani
今はね。
それを北九州モデルとして、
この高齢者救急を在宅で担うっていうのも、
地域の仕組みとして作ってるところはないんで、前例が。
ひと手として北九州モデルにして、
これをカンボジアに持っていくっていうのが僕の意味です。
わー。
Tomo
いいっすね。
これを目指すっていう中で、
どういう人に来てもらいたいとか、
それを目指してるうちってこういう魅力あるよ、
みたいなとこをお聞きできればなと思ったんですけど。
Kensuke Shintani
一つはさっき言った大前提のマインドが、
全てをできるなんて絶対無理じゃないですか。
でも、できないことをできないから自分は見ないではなくて、
ひとつはちゃんと追求できる。
自分のできるできないっていうもので患者さんを選択せずに、
患者さんが持ってきた相談ごとに対して、
自分が何ができるかを調べ尽くすし、
自分ができないんであれば、
できる人たちとつながって提供するし、
みたいなのを追求できる人材っていうのは1。
送信か専門医かは別に問わなくて、
今のマインドがあれば僕はいいと思っていて、
ただ、もし専門性を送信にしろ、
臓器別専門医の方にしろ、
それこそ医療福祉などの職種にしろ、
自分の職種外のことだったり、
自分の専門外のことにやっぱり触れ、
学ぶっていう気概を持っててほしいし、
僕自身で言うんであれば、
総合的に幅広くやってるからこそ、
各医療機関の専門医の先生方と引きを取らずに
ディスカッションできるぐらいには
日々ちゃんと勉強しなきゃいけないと思ってるんで、
保健さんっていうものをめっちゃちゃんとやる。
あとは、やっぱり若いとか問わず、
後続育成というか、後につなげるために、
やっぱり教育っていうところにも
関心を持ってくれる人かな。
教育に関心持てない人は、
これ言い過ぎだけど、
ただやっぱり患者さんを見るって教育だから。
思い通りになって患者さんできないし、
正しいことがあるんであれば理解してもらって、
それを自分でしてもらう。
要は診察室の中から外出た瞬間、自立なんで。
支援なんで。
それを患者さんに対して自分が行うだけではなくて、
スタッフができるようにとか、後輩ができるようにとか、
そこにもしっかりマインドを持ってもらう。
あとは、ただ患者さんを見るっていうだけでは。
そういう人も絶対必要だし、いてもらっていいんだけど、
別軸としては、この地域において一応、
視点を持ってもらえるっていうところかな。
この地域における課題を解決するために。
例えば僕だったら、僕はひたすら患者さんを見よっても、
僕の満足度は上がるかもしれないし、
僕が見たら患者さんの満足度は上がるかもしれないけども、
この地域においてそれが提供できるものだければ、
ある一点においてだけ提供して、
僕が死んだ瞬間それが続かないんであれば、
僕は意味がないと思ってるんで。
ある意味でカンボジアではそれをしてしまったなと思ってるから。
吉川先生たちはずっといて、ずっとし続けてるからこそ意義があって、
僕はやっぱり、もちろんジャパンハートの皆さんからしたら、
その1年いてくれたことを助かったって言ってくれると思うけど、
僕視点でいくと、1年間自分ができることをして、
ハイサイなら落ちてしまってる状態なんで、
そこはまたちゃんとできることをしていきたいなと。
そこをもうやりたくないなと。
それは北九州でも一緒で、僕がクリニックで一人院長して、
自分ができることを死ぬまでやって、
僕が死んだ瞬間それが途絶えるんであれば、
僕としてはそれはあんまり意義がない。
なので、それがいいものと自分で自負するんであれば、
例えばファミリーヘルスクリニック北九州が提供してるものがいいものと思うんであれば、
それが継続できるっていうことを考えなきゃいけないし、
そのためにちょっと前にはある人から、
だからこそ規模は大きくしていかないと、
1人医者がいれば続かない医療だと意味ないでしょって言われて、
確かにそうですね。
ということで、続くためにもファミリーヘルスクリニック北九州としても、
この地域において少し規模感を大きくしていかなきゃいけないんだろうなと思ってる。
Kensuke Shintani
医者が増えたときは拠点を増やしたりとか。
それはちゃんと続けていくために。
経営上、労働とか以上に、うちのクリニックがうちのクリニックとして、
生涯、誰が人が変わっても続いていけるようにするクリニックである。
あそこに新谷先生がいるんじゃなくて、
あそこにファミリーヘルスクリニック北九州がある。
っていうふうにしたいな。
Tomo
いいっすね。
Kensuke Shintani
あとはうちの魅力は、やっぱり多職種がいるっていうとこかな。
確かに。
あとは診療の補助をするだけの看護師でもないし、
ディスカッションし、互いに学び合えるし。
いろんな職種が集まって、
医師もいろんな職種と共に患者さんを見たり、
Kensuke Shintani
診療や日常の活動を通して学び合える環境を提供させてもらいたいし、
今の時点ではまだまだ不十分な面はあるけど、
少なくともできてるんじゃないか。
ちょっとはできてるんじゃないかなと思う。
そこの魅力かな。
Tomo
素晴らしい。
かつ今、けんさんがおっしゃったような、
地域の課題を解決するっていうところにも入ってくださるとしたら、
そこもできるっていうのは結構面白いポイントですよね。
Kensuke Shintani
チャレンジできるね。
新しいことをするとか、仕組みを作るもそうだし。
僕自身とか、これは課題じゃねえと思ったらなんとかしたいと思っちゃうし。
そういうふうなチャレンジがやりたいと思えるモチベーションがあってもらえれば、
もう全然やりましょうっていう感じの。
Tomo
素晴らしい。
素晴らしい。
Kensuke Shintani
そういうふうに思います。
クロージング
Tomo
いいっすね。一本目としてすごくいい感じですね。
かつこの状況、この話している委員長がいるクリニックでどんな人が働いてるのかっていうふうに、
進んでいくと面白いシリーズになりそうですね。
Kensuke Shintani
いいっすね。
こんな委員長です。
Tomo
ありがとうございます。
ではこの辺で、
この辺で一旦ありがとうございましたという感じで。
ありがとうございました。
Kensuke Shintani
ありがとうございました。
Tomo
また次回。失礼します。
Kensuke Shintani
すいません。本日もありがとうございました。
45:01

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