頼む!来てくれ、徳島の医師爆増予定ラジオ。
こんにちは、頼む!来てくれ、徳島の医師爆増予定ラジオパーソナリティの徳島県病院局の大野光介です。
この番組では、徳島で働く医師や看護師のリアルな声を通じて、徳島という土地の魅力と、そこで医療に携わることのやりがいをお届けしていきます。
都市部のように行き着く間もない忙しさとは違い、仕事とプライベートのバランスを大切にしながら、自分のペースで成長できる環境が整っているのも、徳島の大きな魅力です。
仕事とプライベートのバランスをとりながら、成長できる環境を探している方にぜひ聞いていただきたい番組です。
本日は、オールジャパン南阿波サーフホスピダルカップの会場から公開収録でお届けしております。
この大会では全国から医療従事者の皆さんが集まり、サーフィンを通じて交流を深めています。
お聞きの皆さんには波の音などが入り、少し賑やかに感じられるかもしれませんが、その音も含めて大会の空気を味わっていただけたらと思います。
それでは本日のゲストをご紹介いたします。
本日のゲストは、徳島県吉野川市岸生経営課委員長の岸明先生です。
岸先生には本日の大会にもご参加いただいておりました。大会のご感想についても後々お聞きしていけたらと思います。
岸先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
岸先生はですね、名古屋の第三次救急病院でご経験を積まれた後、地元徳島にUターンし、ご実家の岸生経営課で診療されたということで、
そしてサーフィンやスケートボードといったライフワークとも向き合いながら、地域とのつながりも広げていらっしゃいます。
今日は都市部と地方での働き方の違いや、キャリアと市民の融合についてもお話を伺っていきたいと思います。
それでは本編スタートです。
では早速、まずは岸先生のこれまでの歩みについて伺いたいと思います。
これまで医師としてどのような道のりを歩んで来られたか、キャリアとかについてとかお話をお聞きできたらと思うんですが、お願いします。
はい、僕は18まで徳島で吉野川市で過ごしてたんですけども、そこから愛知県の方に進学しまして、
そこで大学病院で研修を終えて、そのまま関連病院で働いて、その中で自分が大学の1年からサーフィンとスケートボードをずっとやってきましたので、
将来それを活かせる整形科の骨折外傷とスポーツ整形、それを選択して名古屋で仕事を頑張ってきました。
名古屋では3次救急病院で長年、徳島に戻って来られるまで勤務されてたということなんですけど、その時のお話とかもちょっとお聞きできたらなと思うんですけど。
そうですね、僕は愛知医科大学を卒業して、そのまま研修をそこでお世話になったんですけども、最終的にその関連病院を回って修行しまして、大学に戻って、
ドクターヘリが常駐する大学の骨折外傷救急の方を担当しておりました。
やっぱり愛知とかそういう都会の病院とかだとかなり忙しいんですか?
かなり忙しかったですね。自分は関連病院も含めて病院から30分以内にいるようにというのを義務付けられていましたので。
30分以内?
はい、そうなんですね。もちろんその時には学生からサーフィンをしてたんですけど、やっぱり海まで2時間かかるものですから、サーフィンに行くためには上司の許可をもらわないといけないという状況で何年も過ごしてたんですけども、
自分は同時にスケートボードもやってましたので、その時には病院の駐車場で夜1人でスケートボードしてまして、警備員に怒られてしまったとか、そういう苦い思い出もあるんですけれども、
それがコツコツ続けてきてたものですから、湘南で開催されるサーフィンとスケートボード両方競技して優勝を決める大会に、最初は選手として出てたんですけども、毎回毎回すごい怪我人が出るので、オフィシャルドクターと選手を掛け持ちでやってたんですけれども、
掛け持ちですごいですね。
そうですね、もうめちゃくちゃなんですけども。
選手として出場しながら、医療班とかの方で待機をしながらということですよね。
そうですね、一度総合優勝させてもらって、そこからカリフォルニアのアパレルのスポンサーもついて、よく飛べしていって、カリフォルニアでサーフィンとスケートボードもやってたんですけれども、
そういういろいろな経験がつながって、現在はXGAMESというスケートボードとBMX、モトクロスの世界最高峰の大会の医療責任者をやらせていただいているのと、
あとはスケートボードの世界選手権、サーフィンの世界選手権の医療責任者をやらせていただいております。
それはサーフィンで行った時の海で出会った人とか、スケートボードができるような場所で交流を深めてオフィシャルドクターとして来てくれないかという話になったんですか?
そうですね。湘南で毎年開催されていたイベントで、いろいろなつながりもできましたし、声をかけていただいて、世界的な舞台で活動できる場をいただいたという経緯があります。
愛知時代は30分以内の距離でいないといけないということなので、なかなか趣味に遊びに行けるというか、趣味ができる時間もなかった中で時間を作って行かれて。
そうですね。かなりストレスが大きかったんですけども、まず病院は絶対断ったらいけないという病院で勤務していましたし、休日もすぐに呼ばれてしまいますので、スケートボードをやっていても呼ばれてしまうというのも幾度となくあったという状況で、
かなりストレスが大きかったんですけども。
あまり休みの日とかも関係ない感じなんですか?
全く関係ないですね。
一応休みとしてはあるんですよね?お休みという形で。
あるんですけども、ファーストコールが自分でしたので、必ず。いつもファーストコールで呼ばれて病院に向かっていたという状況ですね。
分かりました。そこから徳島にUターンという形で戻って来られていると思うんですけど、そちらはどういった経緯で戻って来られることになったんですか?
父親が吉野川市でクリニックを開業してずっと続けていたんですけども、自分の姉、一つ上の姉も生計家で、妹が小児科なんですけども、誰も家の病院を継がないという形になったのと、
あと父親が年齢的にだいぶ診療が疲れてきていたので、帰ってそろそろ親孝行しようかなという形で帰ってまいりました。
頼む帰ってきてくれとは言われておりません。
まさにこの番組のように頼む帰ってきてくれではなく。
そうですね。自分の意思で。
愛知の病院と徳島で戻って来られて、どちらも良し悪しはあると思うんですけど、趣味の時間が徳島の方ができたんじゃないですか?サーフィンとかスケボーとか。
そうですね。僕は名古屋に23年間住んでたんですけど、やっぱりその中でさっき言ったように、いろんな繋がり、仲間ができましたし、
ドクターの仲間ともちろんサーフィン、スケートボード、あとそれにやっぱり音楽も加わって、いろんな仲間がいたんですけど、そこを離れるのはちょっと寂しかったんですけども、
やっぱり徳島には徳島の良いところがあると思って、それを信じて帰ってきたというところです。
ありがとうございます。一徳島県民としては本当に戻って来ていただいてありがとうございますというところなんですけど、
先ほどもいろんな関わりができてということであったんですが、聞いたところによると、スポーツとか音楽の方面の結構有名な方々との関わりがあるとかって聞いたりしたんですか?
そうですね。具体的に言いますと、日本のパンクロックバンドのハイスタンダードにライブを招待していただいたり、
あと狼のバンド、マンウィズアミッションのリーダーにいつもライブを招待していただけるんですけども、
ここだけの話、マンウィズアミッションのリーダー、スケートボードがめちゃくちゃ上手いですので、
それもやっぱりいろんなつながりっていうのは全て僕はサーフィンとスケートボードがきっかけで仲間やいいつながりができたというところですね。
本当にとんでもない有名な方の名前が出てきてすごいびっくりしてるんですけど、今もそういう方々と診療されたりとかってあるんですか?