2025-08-27 26:22

2-2 専門医としての完璧主義を"捨てる"勇気で得られるキャリアの新境地

【今回の内容】

周りの目を気にせず信念を貫く/消化器内科としての成長にとらわれていた/トータルとしての医師スキルを成長させればそれで良い/何かを得るためには何かを捨てないと/完璧主義からの脱却/最先端の医療にこだわりすぎ/尿所見で分かる疾患/医師としての成長よりも人間としての成長を重視/戻りたければ戻れる/嫁ブロック問題再び/愛人囲っての二重生活!?/医局を辞めての働き方の実際/時間ができて初めて新たな事を始められる/1年2年くらい立ち止まるくらいがちょうどいい

【出演者】
◯ アイジュ…ハノイ在住 腎臓内科専門医。「大事なことは全て旅が教えてくれた」

https://x.com/aijyunotoushi

◯ ゆー…消化器内科専門医+パーソナルドクター+産業医。「人生は命を賭けた思い出作り」
https://x.com/yu_tayousei

【情報】
◯アイジュ著『人生100年時代を豊かに生きる「外貨 × 投資」戦略』」
https://amzn.to/4orK5di

◯ ゆーブログ「パラレルキャリア推進」
https://ishi-tayousei.com/

 【動画編集】
◯ サトシ…医療podcastプロデューサー。「自己愛から社会愛へ」

https://x.com/yun__yun

【BGM】
◯ MusMus

※ ご意見・ご感想・誤りのご指摘などはぜひ下記からご連絡ください。

https://forms.gle/4YB2BXDtPC9zrfTx5 

サマリー

このエピソードでは、医療業界における専門医としての完璧主義を手放すことで新しいキャリアの道が開かれる可能性について語られています。医者としての成長のための柔軟性や多様な経験を通じて得られる人生の豊かさに焦点を当てています。また、完璧主義の克服とそれがキャリアに与える影響についても探求されています。実体験に基づき、医療現場での経験や新たな挑戦の重要性が強調されています。完璧主義を手放すことで、より自由な働き方や新しい学びの機会が得られることについても議論されています。医者としてのキャリアを見つめ直すことの重要性が強調され、自己成長の可能性について話し合われています。

専門医としての考え方
前回からの続きだよ。
アイジュ、ゆーの
医局の外で会いましょう
こんにちは、ベトナム在住の内科勤務医、投資科ドクター、アイジュです。そして
人生は命を懸けた思い出づくり、パーソナルドクター及び産業医として働くゆーです。
この番組は、いつのキャリアって何だろう、人生をもっと豊かにするには、
そんなテーマを軸に、お金や家族、そして生き様について、
自由気ままに本音で語り合う、雑談型ポットキャストです。
すごい大雑把に言えば、何とか何だよ。
間違いないですね。
やっぱり自分の信念を一番に考えるのって、すげー大事だよっていう、この2つが、
やっぱりゆーさんの今のお話を聞いてるとポイントになるんじゃないかなと思って、
めちゃいい話だと思うんだけどな、これ。
そう言ってもらえると、でも本当にだから、当時は子供と同じかな、
でもそれも自分の中でやっぱりリミットがあると思ってたんですよね。
子供の成長を間近で見られるっていうのは、ある程度リミットがある中で、
それをやりたいな、自分はそこに携わりたいなって思った時に、
あんまり待ってられなかったっていうのもあるんですよね。
なので、あんまり引き延ばされちゃうとこちらとしても困るしっていうので、
そこはある意味自分の中でシーンとして、
もう早く、できるだけ早くやめたいなっていうのは思いつつも、
異極の意向は組んで、1年っていう形にはなったんですけど。
それが人によってはね、もっとバリバリ研究するか、そういうのになるかもしれないけど、
そういう信念ってすげー大事だし、そういう信念に向かって、
ちょっと周りに迷惑かける、あるいは人様からは、
え、なんか不思議な生き方してるねって思われちゃうかもしれないけど、
その一歩を踏み出す勇気を持てば、
新しい世界が広がってるっていうことにやっぱり気づいてほしいですよね。
医局からの脱皮
いやー、そうなんですよね。結構広がってますよね。
僕は、そう、なんかその当時を振り返ると、
やっぱ消化器内科医として、今後どう成長したらいいかっていうことに囚われてたんですよね。
医者っていうよりも、消化器内科医として成長するには、
やっぱ最先端の医療とかに携わって、めちゃめちゃ上手い先生の下で、
その勉強しないとうまくならないってなると、やっぱり大学院とか、
大学っていうところはもちろんトップなので、
ただそこにすごい囚われてたなとは今では思ってて、
今は正直そっちの消化器内科医としての成長は、
もう言い方悪いけど、もう捨てちゃってる感はあります。
そこのところはやっぱり最先端の医療に携われてないんで、
そこでの成長っていうのはあんまりないんですけど、
ただその代わり、他の方面、消化器内科医以外のところで、
医者としてどうなのかっていったら、
新たな試みとして訪問診療に携わってみて、
いろんな医療への携わり方、病院以外のところで、
医療がどう行われてるかっていうところも見ることはできたし、
プラスそこで産業医っていうものも組み合わせると、
産業医での成長っていうのは当然あるわけで、
じゃあここでより成長していくっていう道も全然ありじゃない?
っていうのは思えるので、いろんな成長の仕方があると思うんですね。
トータルで医者として全然成長していければいいやん、
っていうふうに今は思えるようになったので。
専門での成長だけが自分の成長だと思ってるっていう。
そうですそうです。
ありますよね。
そこでしたね。
専門医としてどういう医者になるかっていうことだけを、
やっぱ当時は考えてたのかなと思いますね。
それはわかる。
専門医とった後でもそれはすごい、僕も思いました。
っていうのは、もうこれで、
例えば僕日本に出るときに、
これで俺は陶石の医者としてのキャリアは多分終わったなと思って。
はいはいはい。
もう違う視点でのお医者さんになる。
外国に出るっていうのはかなりでかい変化があって、
ちょっと人さんも何も参考にならないかもしれないですけども、
違う視点で医者として成長せざるを得ないっていう感じには、
やっぱ思って出てきましたよね。
キャリアの新しい形
だからすごいわかる。
ただもう、第1回目の収録の時にもお話した通り、
僕の中で医者として成長というよりも、
自分の人生というか、
人生のキャリアっていうのを常に意識してるタイプだから、
なんかもう腎臓内科としてはまだいってやってますけど、
陶石の医者っていう出っ手が剥がれても、
まあ1回ぐらいの、
違う医者あるから次々ぐらいの感覚の人なんだよ、私。
はいはいはい。
でも、辞めても海外にいる医者っていう、
グランドつくじゃん。
じゃあ総出で。みたいなタイプの、
超沢山でいる人だから。
ちょっと僕は優さんみたいに言語化したりできたりしないで、
もうなんかとりあえずやっちゃえばいいんだよ、みたいなタイプですんで。
でもその優さんの今話してた話は、
すげえわかるな。
自分が信念を持ってやろうと思ったことを、
少し焦ってでもそれをやろう、
達成しようと思ったことを達成しながら、
ふと振り返った時に、
自分のキャリアってどうしようって考えた時に、
いろんな先生たちと出会って、
いろんな生き方とかを知ろうっていうふうな、
きっかけを持つことになったし、
それをやっていくうちに、
気づいたら異極にいた時より、
あるいは異極辞めて、
時間ができた時にふと思ってた不安っていうのはもう解消されて、
さらに発展した理由という、
人間になっているわけじゃないですか。
そうですね、はい。
めちゃめちゃそれもいいモデルケースだと思うんだな。
素晴らしい話聞いたわよ。
僕みたいに意味わかんないことやってて、
すごいなあの先生、
ハッピーモデルの話と全然違うもん。
いやいやいや、
今1個でも思ったのが、
何か捨てないといけないなとは思います、正直。
なるほどね。
全てのものを異極から抜ける時に持っていくとかは、
正直難しいなとは思ってて、
やっぱり自分の中では、
なのである意味医者としてのキャリア、
医者としての消化器内科医としてのキャリアですね、
最先端の医療を突き詰めていくっていうところに関しては、
正直捨てました。
それを捨てて、
ただ他の方面で、
より自分の人生を充実させるような、
医者人生を充実させるような働き方を、
結局今現状だと得られてるというか、
そういう方向で動くことができてるので、
そっちは得たものにはなるんですけど、
やっぱりある程度、
取捨選択じゃないですけど、
自分が得たい、どうしても得たいものがあって、
それを求めた時には、
何かしらを捨てていく必要はあるとは思うんですよね。
そこのところ、捨てきれない人が多いんだろうなとは思う。
捨てることとかやっぱり、
変わることが嫌なのはもちろんだけど、
捨てることとか嫌で、
完璧主義でいたいんでしょうね。
だと思います。
なんですかね、やっぱりそこは名残惜しいというか、
そこの場から離れたくないっていうのも当然あるんでしょうし、
ただ何か変えたいんだったら、
やっぱり一旦捨てて立つ必要は出てくるとは思うので、
そこの勇気っていうのはどうしても、
やっぱりエリアで、
どこかのタイミングで行く必要はあるのかなとは思うんですけどね。
ゆうさんもしきりに昔思ってたっていう、
専門家としての成長みたいなのに、
こだわりすぎてるっていうのがすげえわかるんですよね。
日本の大学病院とかにいると、
大学病院に在籍したことがない方は、
ちょっと違う感覚を持つかもしれませんけども、
大学病院にいて、
医局の外に出ようとかって言ったりとか、
医局の外に出ることをちょっと考えなきゃいけないなっていう、
学年になってきたみたいな方々から言わせると、
外に出ると最先端の医療が、
提供できなくなるんじゃないのって思うのがすげえわかる。
でもじゃあ実際に出てみるとというか、
どうかっていうと、
最先端の医療は大学でやればいいんだよ。
そうなんですよね。間違いない。
マジでそれ。だから別に、
大学病院の外に出たやつが最先端の医療やってたら、
お前待ち医者やれよって話になるから。
だし、やっぱ産業院やってんのに、
最先端の消化器内科の医療はこうだわよ。
お前そんなこと言うより、従業員の命守れやって話になる。
そうなんですよ。
僕とかもそうですし、例えばですけど、
腫瘍石医学、あるいは腎臓医学の高齢者の
鉄管炎の最新ガイドラインとか、
すげえ大事でしょ。
もちろん大学病院、日本にいると大事だけど、
今は全く使わない。なんでかって老人見ない。
なるほど。
もちろん、その時の知識が、
あるいはその時の経験がすごい活かせる時もある。
エルトナム人の80歳のおばあちゃまが、
いろんな大学病院で何もわからない。
肺炎だって言われて、
完璧主義の克服
肺炎でなんで俺のところに来るんだと思ったんだけども、
肺炎で体がこんなこんなで出てるんだけども、
問診で、あれ?血管炎じゃね?って思って。
おじいちゃんだったら、あれ?血管炎じゃね?って。
1ヶ月くらいにすっごい身体がだるいし、熱が出るし、
腎臓の機能も悪いけど、
これ何の病気かわからないって言われて、
安価なんですけどね。
しゃべって、雰囲気見て、
尿所見て、血管炎ってもうわかるでしょ。
おじいちゃんおばあちゃんあんだけ見てたら。
日本人の腎臓内科医であったらっていうぐらいなんですよ。
15年くらいやってるとね。
10年くらいやってると、尿の色見ただけで、
血管炎っぽいなとか、やっぱあるんですよ。
そうなんですね。
病棟の畜生を見て、あれ?この人絶対おかしい。
想定しても違うぞって。
多分カメラの先生たちは、
おかしいぞこれって。
想定しても全然違う内臓の見た目とか、
病理とか入ってきたとかあるじゃないですか。
ああいうときと一緒で。
これ安価陽性じゃなかったら絶対おかしいだろうとか。
それは例えばの話ですけどね。
何か異様に黄色いけど、
何か食ったり何か勝手に飲んだりしてないかって。
そういったのを観察しろっていう曲だったんで。
そういうので、
おじいちゃんおばあちゃんの治療とかに
役に立つときはありますけれども、
最先端の老年期、
最先端の老年期医療を
やりたいんだったら、
最先端の老年期医療をやる病院にいなきゃ。
日本であれ、ベトナムであれ、
ヨーロッパであれ、アメリカであれ、
そういう老年の病院にいなくちゃいけない。
あるいは、認知症とかを勉強してるんだったら、
認知症の病院に行かなきゃいけない。
それをやりたいのと、
自分のリストの中でというか、
あるいは自分の人生の軸を考えたときに、
優さんは後悔する人生をしたくないっていう話だし、
僕はいつでも旅のことを考えて、
新しい挑戦をし続けたいというか、
もちろん家族大事っていうのもありますけれども、
そういったことを考えると、
2人とも今の環境に立ったり、
そういったことを考えると、
結果的に最先端の大学病院医療は、
僕らはやってないですよね、今はね。
やってなくても、
医者としても人間としても成長してるなっていう。
僕は医者としての成長もあれですけれども、
もちろん感じますけれども、
それよりも人間としての成長を重視してるタイプだから、
そういうのができてるっていうのは、
ありがたいと思うので、
逆にそれを一歩踏み出してみて、
やっぱり前の方が良かったんだったら、
別に前の方に戻ることはできなくても、
似たようなことできると思うんだけどな。
新たな挑戦の重要性
大学、田舎の方が分かんないですけど、
東京だったら違う医局行くって、
別にできますからね。
そうなんですよね。僕も思うんですけど、
今の医局に戻るのは確かに抜けたら難しいかもしれないですけど、
場合によっては本当にやりたいことだったら、
ちょっと地域変えてだとか、
アプローチの仕方はいくらでもあるかなと思うんですよね。
結局は自分次第っていうふうに思いますよね。
いや、だと思います。
実際に給料下がるっていうことを分かってたのに、
奥様はオッケーだったんですか?
またニョメブロックの話に戻るけど、
すげえ気に入ったんですよね。
元々の給料も悪くはなかったですけど、
週4で行くところも、
週4の割にはすごい良かったんですよ。
あと、うちも別にそんなに
お互いの家が高級通りなわけでもないし、
っていうのもあって、
別に生活できればいいよねっていうスタイルだったので、
お互いの家って言うのは、
お互いの家って言うのは、
両家とも別に、
当然、医者関係でもなんでもないし、
両家の親からすると、
自分が医者な分、
自分の方が給料をもらってるぐらいな感じなので、
それで言うと、妻自体は
その給料が減ることに関しても
そんなどうこうって言うこともなかったですかね。
カーボンとか、
カートナー大事ね。
大事ですね。
でも、あれかもしれないです。
僕が家計は握っちゃってるからっていうのもあるかもしれないです。
僕の方ですよ。
うちの妻は全く
投資で僕がいくら稼いだとか、
僕が今給料いくら、ビジネスでいくら稼いだとか、
全く興味ない。
興味なくて、
でも、ブランド物に興味がないから。
本当にありがたかった。
これでブランド物に興味がある。
確かにそれはそうかもしれないですね。
うちの嫁は物欲もないんで、
ブランド物とかもってないんですよ。
物欲もってないからすごい彼です。
結構貧乏だましい。
なるほど。
ベトナム来てもバス、タクシー。
そうなんですね。
僕もバスを多用するけど、
時間が勝負だときはもちろんバス使わないけど、
僕もバスを多用するけど、
妻は安いところに目指して。
妻は安いところに目指して。
そういうことですね。
妻は大事ですね。
パートナーは大事ですね。
そもそも家に帰りたいとか、
子供の時間を作りたいとかいう発想だって、
妻と仲悪くなったら嫌だよね。
そうですよね。
家に帰りたくないって発想になると思うので。
ちなみに異極にいらした頃は、
毎日何時ぐらいに出て、
毎日何時ぐらいに帰ってっていう生活と当直が、
週4とかピークで一番仕事してなかったとき、
週4とかピークで一番仕事してなかったとき、
あとは現在と、
週何十時間働いてるとかそういうのあるんですか?
そうですね。
まず異極にいたときは、
異極人事で最後に動いた病院だと、
市民病院だったんですけど、
自分合わせて3人しかいない。
400床ぐらいある病院。
大きいですね。
大きい割に人数が少ない、
一回ちょっと崩壊しちゃった病院なんですよ。
一回ゼロになったところで行ったんで、
結構そこのところは働いてはいましたよね。
週5で、
朝7時半ぐらいには行ってて、
夜は普通に寒波とかがあったりすると11時とか。
夜は普通に寒波とかがあったりすると11時とか。
そういう日も全然あるし、
早く帰れて8時ぐらいに病院を出れるレベル。
早く帰れて8時ぐらいに病院を出れるレベル。
家に帰る頃には当然子どもは寝てるしみたいな。
家に帰る頃には当然子どもは寝てるしみたいな。
通勤してた病院と、
あとは自分が持ち家をマンションを買ったんですけど、
そこの通勤が1時間ぐらいかかるんですよね、車で。
帰ってなると、
消化器内科の待機で1時間かけて行くの嫌だったんで、
その病院の近くにマンションを借りてて二重生活。
その病院の近くにマンションを借りてて二重生活。
そうなんです。
違った?
違う違う。
でも二重生活してたんですよ。
さすがにそれは違う。
でももうそういう病院から10分ぐらいのところにマンション借りてて、
でももうそういう病院から10分ぐらいのところにマンション借りてて、
で、待機がない日は家に帰る。
で、待機がない日は家に帰る。
で、待機が週に2、3日ぐらい。
一番若手だったので、一番やってました。
で、当直は、
その時は月でも2ぐらいに免除してもらってたんですよ。
平日待機を3人で回すから、
ちょっと当直は免除させてっていうので、
最終的に土日だけ、土日の日中だけは
ちょっと救急外来のお手伝いとかする、
当番的な感じ。
日直ですね。
日直をやるっていう形になってたんで、
でも実質週6ぐらいでは働いてて、
だから全然残業時間も80時間とか余裕で超えてたし、
って感じの仕事量ではありましたかね。
って感じの仕事量ではありましたかね。
で、今?
今の働き方?
今の働き方?
今の働き方?
今の働き方?
でも、週4のほんと9時、5時です。
待機なし、当直なし。
もうそれは条件、その条件で探しました。
時間の使い方と生活
探す給料低そうですよね。
そうですね。当時はそれで一応探せたっていうのはあったんですけどね。
だからそうですね、相当だからそれで言うと時間はできましたよね。残業も全然なかったんで。
家帰ってきた。
今は医療機関で勤務が週3。
そうかそうか。
一応医療機関週3勤務。でも消化器内科医が週1.5。訪問診療が週1.5。
残りの週2日で産業医とパーソナルドクターの事業の方のことをやるって感じですけど。
もう実質でも週2日あってだから月で言うと8日間ぐらいあると思うんですけど。
全然半日空く日とかはあるんですよ。ちょこちょこ。
なので実質的に働いてるのならしたら週4とか4.5ぐらいじゃないですかね。
あとは大学病院にいるときと1時間の忙しさが違いますよね。
全然違いますよ。
全然違います。
僕も全然働き方違いますけれども、大学病院にいるときと1時間っていうのは全然違うっていうので痛感するので。
やっぱりさ、やめてちょっと働き方変えて時間作ったらもっと面白いと思うんですけど。
そうなんですよね。あえてもう埋めたくはなるかもしれないですけど。
分割の時間作ってみると結構いろいろ考えられると思うし。
なんかそこで新たにやりたいこととか。
そういえば忙しくてできてなかったけどこういうことをやりたいなっていうこと。
じゃあ別にチャレンジするでもありだと思うし。
なんでもいいですよね。
いいと思う。
医者の専門性なんて別に多分諦めるときって必ず来ると思うんで。
間違いないです。
それを考えたら別に専門性以外のことを勉強するも良し。
医学以外のことを勉強するも良し。
僕なんて出向して時間出た時に始めたのが投資ですからね。
そうかそうか。
出向してて公社市民病院が8時6時とかで終わる病院。
1日10時間くらいであと土曜日と当日だから。
多分月いわゆる残業だと80時間いかないくらいだったんじゃないかな。
でもまあまあ働いてますね。
当時の医者としてはそんなに。
まあまあそうか。
まあまあ10時間のうちあれだから1時間休みだから9時間か。
9かける50。
9かける50、そうでしょ。
ロイヤルで月80時間くらい。
大学病院に比べると全然ラピュタじゃん。
まあまあそうですね。
家にね、7時までに帰れたんですよ。
あーなるほど。
子供たちと一緒にご飯食べれたんですよ。
それはすごく大きかった。
週に1日実家の手伝いしてる時は
朝8時から夜22時までなんで
ずっとクリニックいるから
なんで全然家帰るのも12時になっちゃうけど
11時半とかになっちゃうけれども
それ以外は基本子供たちとご飯食べれたんですよね。
それいいですね。
その時に大学病院にいる時よりも日中の忙しさも違うから
ちょっとなんか本とか読めるなと思って。
あーなるほど。
で、結構投資やり始めたんですよ。
あーなるほど。
それ前からやってましたけど、5、6年はやってたけど
本格的に勉強してたのはあの時だから
それはもう明らかに出校の時に
僕はその勉強をしたんです。
そういう風になんか環境が
移居局が変えてくれた環境を
プラスに自分でプラスにしようと思って
転がってる運をつかもうとして勉強し始めましたけど
ただ時間ができた時に何かするって
すげー大事じゃないですか。
時間ができたが人によっては週4まで落としたら
時間ができたからこれをやろうと思うかもしれないし
僕みたいに大学病院が辛すぎて
週60時間働いてるのを楽だなと思ってやり始めちゃう。
いい人もいるから一概には言えないかもしれないですけど
時間をとって自分を振り返る
これからのことを考えるって
忙しすぎてフリーズしてねさっきみたいに
言い訳になっちゃってるケースって実は結構多いと思うから
そうですね
ちょっと1回別に1年ぐらい立ち止まったっていいですよね
いやと思います本当に
別に1年2年ね立ち止まったところで
じゃあ何十年っていう人生の中で
しかも医者人生の中でも何十年ってある中で
1,2年が何か大きな差になるの将来って言われたら
そうなんないですよね
話は尽きないところですが今日はここまで
キャリアの見直し
いかがでしたか
最後にお二人からのお知らせです
さて今日の異極の外で会いましょう
もうそろそろお開きの時間となりました
りゅう先生今回もあっという間でしたね
いや本当ですね楽しい時間あっという間ですね
この番組は皆様からのお便りを大募集しています
私たちに聞いてみたいこと番組の感想
日常でのちょっとしたお悩み応援メッセージなど
どんなことでも結構です
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ダイレクトメッセージでお送りください
ハッシュタグは異極の外で会いましょうです
皆さんからのお便りが私たちの大きな励みになります
どしどしお寄せいただけると嬉しいです
それでは今回も最後までお付き合いいただき
本当にありがとうございました
ありがとうございました
またね
26:22

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