昔の人は、第6巻どころじゃなく第9巻ぐらいまであって、
雨の音とかの400種類とか、
聞き分けたり、見分けたり、感じ分けたり、
マジで?すごいっすね、それ。
すごいな。
それどういうことなんだろう?
なんか、言葉にして言うと、
自分だけの肉体の感覚じゃなくて、
宇宙的なものと繋がる感覚みたいなのが、
今よりもっと研ぎ澄まされてたみたいな、
5感を超えて、自然の音とか香りとか、
四季の織り織りの移り変わりとかを、
現代の人以上に感じ取る力が優れてて、
それは自分の人体を超えたところまで、
その感覚が自然と及んでいたという。
そうっすよね。
だから、食べるものとか、
それこそ靴とかもね、なかった時とか、
多分、お家とかも今みたいに立派なお家じゃないと、
自分の感覚とか経験とか知恵とかを絞って、
きっと日々の営みをしてないと、
すぐ命を落としかねないと思うと。
ほんとだ。
そっかそっか、確かに。
生き残るために。
だったのかな、そこ。
想像できますね、これ。
濱田さん、聞く姿勢がすごい上手だなっていうか。
マジですか?
ありがとうございます。
みんなが多分、語りたくなるような聞き方なのかなと思って。
全然意識してないけど、そうですかね。
スピリチュアルの。
お坊さんの資格ですか?
あ、そうか。スピリチュアルケア師とかそういうやつね。
そういうところから来てるのかなと思って。
どうなんだろう。
そんなにお山田さんが多くを語らずとも、
会話として成り立ってるっていうか。
やっぱりなんかそれは聞き上手だから、お話も引き出し上手なのかなと思って。
どうなんだろうね、それね。
なんか気持ちよく語らせるみたいな。
そうですか、ありがとうございます。
なんか特別な勉強しているのかしらと思って。
いや、もう全然それもテクニックとかじゃないと思う。
意識してないから。
そう、なんか傾聴の勉強みたいなのをしたんですよ。
あ、した。
人とお話しするのが好きだから、
聞き方とかをもうちょっと上手になれれば、
もっとその人と深いコミュニケーションとか取れるようになるのかなと思って。
でもなんか究極、本当に深いところでなんか理解するには、
実はなんか言葉はいらないみたいな。
それは本当そう。それはそう思う。
なんかあのほら、形調とか学んですぐの人って、
なんかすごいうざったいっていうか、
なんか一生懸命。
そう、一生懸命聞くみたいなのがあるじゃん。
目を見てみたいなのがあって、すごいキモいなみたいな感じの。
そう、多分目を見て寄り添って、きちんと体の向きもその人の話を聞いていますよっていう。
寄り添いすぎだからみたいなのがあるじゃないですか。
だから多分それ外した時に残るものっていうか、
それ多分外そうと思って外せるのか、それは分かんないけど、
でもそれ外していかないと多分聞けないんだと思う。
本心のところは。
なんか看護婦してた時も、前に勤めてた施設が自然な見取りをすごい一生懸命やってるところで、
30分おきぐらいに家族以外の方も死が近づいている方のところにちょっと寄り添わせてもらうみたいな感じのスタイルだったんですね。
で、なんかしないとみたいになっちゃうんですってみんな。
そうっすよね。
手握ってとか、足が冷たいから足洗いましょうかみたいな。
お話できるような感じだったら多分、今必要ないからいいよとか言ってくれるんでしょうけど、
多分間際の方とかってもう意思疎通とかも難しいので、どうして欲しいのかが分からないじゃないですか。
で、その時一緒に働いてたシスターが、
意外と人は余計なことをしがちってね。
本当はもう何にもしないでそこにいてくれるだけでもいいかもしれないし、
いてほしくない人もいるかもしれないみたいな。
だからなんかそれを聞いた時に、
自分がそこにいて30分、どういう態度でいればいいんだろうみたいな。
もちろん触れててほしいみたいな人もいるでしょうし、
でもそれを確認する術が言葉でしかないと取れないから、
すごい勉強になりましたね。
本当それは。
なんかこちらの、してあげてるようで、実はこちらのエゴみたいな。
きっとこの人は今こういうことしてほしくないかもしれないとか。
その後も黙ってそこにいるみたいな。
ただいるだけじゃなくて、今どういうことを思っているのかなとか、
本当はどうしてほしいのかなとか、いろいろ考えたりはするんですけど、
それを聞いた時に、自分ってどうしているのがいいんだろうみたいな。
すごい考えさせられましたね。
すごいよくわかる、その話が。
自分ってなんだろうな、いるだけでいいですっていう人になりたいでしょ。
でもそれどうやったらなれるんだろうみたいな感じでいつも思うけど、なかなか難しい。
いてくれるだけでいいってね。
やっぱり生きて言葉でコミュニケーションとかしてると、
わかってほしいとか、いろいろ話聞いてほしいとか、共感してほしいとか、
思うところはあるかもしれないけど、この世を去っていく人にとって、
自分の対話とコミュニケーションって、
もちろん正解はないんでしょうけど、考え続ける、感じ続けるみたいな。
それは本当そう。
お山田さんも前にお話ししてくれてたデスカフェも、第1回目ですか?
もう2回やってる。2回やりましたね。
その参加したいって言ってくれた方が、この日にって言ったらそれに合わせてみたいな。
すめちゃんもぜひ、いつか。
9月でしたっけ?
いつでもいいんですよ。一週一日でもやろうかなっていう感じでもいるし、参加したい人がいれば。
参考図書みたいな?
そう、いつも絵本を使ってるんですよ。詩に関する絵本を。
そこスタートにして話し始める感じです。
まだ2回しかやってないから、こんな感じですっていう実感も何も言えないんですけどね。
そう、もうやりたいって言ってたことを早速形にして。
もう何年も経ってやっとって感じだけど。
何年も放送なんですね。私が聞いたのが1,2年。
そんぐらい前ですよ。
ぐらい前に聞いて、ぜひぜひと思って。
すめちゃんの話もすごい聞きたいですね。このデスカフェの絵本を見たばかり。
載せてた絵本どれもまだ読んだことないものばっかりだったんで。
その時一応課題でもないですけど、図書を1個儲けてその日までに読んできてみたいな感じですね。
その場で読んでる感じです。
もうどなたでも。
どなたでもOKですね。
でもすめちゃんみたいにこういう医療関係とか、そういう人が常にそばにいてほしいとは思ってるんですよね。
青山田さん的にですか?
デスカフェやるときとか。
全然私は経験が未熟ではありますが、でもなんか看護師してて、
心出そうと思った時に、死になれてしまって悲しくなくなるらしいよみたいなのを言われて、
そんな日が自分にも来るんだろうかと思って、来たら嫌だなってもちろん。
で、私現場にいたのは病院に勤めてたの8年、9年ぐらいで、
あと看護の現場とかに5、6年とかいたんですけど、
まあ慣れないですよね。
死に?
どっちかっていうともう長く一緒に生活してるわけではないけど、
言葉交わしたりとか、お世話させてもらったりとか、
いろいろ今まで生きてきたお話とか経験とか聞かせてもらったりとかするとやっぱり
家族とも違うけど、身内な感じにだんだん距離感がなってしまうので、
逆に死になれるってどういうことなんだろうと思って、
たかだか15年とかだとまだまだひよっこなのかもしれないけど。
どうやってバランスとっていくとか、なんか先輩方とかどうなんだろうね。
あんまり取り乱して泣いたりとかは私みたいにはみんなしないので、先輩方はもちろん。
でももちろん悲しいし寂しいし、でもなんかどっちかっていうと心の持っていき方としては、
ちょっと病院とかの治療とかだとやっぱりちょっとしんどかったりするので、
ようやく楽になれてよかったねっていう気持ちではいるっていうふうには聞きますね。
ああ、そっかそっか。
頭で肉体は滅んでも魂は死なないってわかってても、それが本当かどうかはわからないけど、