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2025-06-23 34:58

v155-1 スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さん「1秒1秒を全力で~」

今回は、スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さんにお話しを伺いました。
現在は真言宗の僧侶として、日々修行に励まれる新川さん。
まずはどのような経緯でお坊さんになられたのか、について伺いました。
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サマリー

スーパーチャーミング坊主の新川瑜龍さんは、以前企業家として活躍していましたが、音楽や独自のキャリアの影響でお坊さんになっています。彼の体験を通じて、精神的健康や信仰、自然との関わりの大切さが語られます。新川瑜龍さんのエピソードでは、デジタル化による職業の変化と、それに伴う個人の精神的な試練が描かれています。特に、独立後の苦しみや家族との関係の悪化を経て、自己を見つめることで得た教訓や自分自身を幸せに生きることの重要性が語られています。新川瑜龍さんは、仏教の勉強を通じて自分らしさを見つけた経験について話しています。彼は、職業としてではなく、純粋な思いで僧侶の道を歩み始め、一秒一秒を全力で生きることの重要性を伝えています。

お坊さんになるまでの経緯
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、スーパーチャーミング坊主・新川瑜龍さんにお話を伺いました。
現在は、新厳州の僧侶として日々修行に励まれる新川さん。
まずは、どのような経緯でお坊さんになられたのかについて伺いました。
新川さんが、「お仕事は何ですか?」と言ったら、スーパーチャーミング坊主。
いや、お仕事は違いますよ。
お仕事は何ですか?
お仕事は、私は元々企業家だったんです。ベンチャーの会社を経営してまして。
私は元々、しかぎ講師だったんです。
専門学校に行って、国家資格を取って、最初は歯医者さんにお勤めして、
強制専門のしかぎ講師という、ちょっと珍しい、
ほとんどその時代で、今から20年くらい前になりますけど、
強制専門のしかぎ講師って、日本に100人もいなかったと思います。
5万人就労者がいるんですけど、しかぎ講師の免許を持ってて就労してる人が、
その中で多分100人くらいしか、強制専門のしかぎ講師っていなくて、
たまたま私が強制専門の司会員に勤めたので、
そういう流れになってたんですけど、それ望んでたわけじゃなくて、
たまたまっていう感じだったんですよ。それで、
作ってよって言われても、
どこにも教科書でしか見たことないようなものとか作れとか言われるんですけど、
作ったことはないんですよ。学校では習わない。
国家試験にも出てこないようなことをやらされるんです。
それでしょうがなく自力で調べたりとか、
大学病院とかに行って、先生たちと。
大学病院は研修院の先生たちが自分たちで作るんです。
それが研修に含まれていて、
その先生たちと混ざって、教えてもらいながら、
仕事しながら休みの日は大学病院に行って、勉強させてもらって、
独学でできるようになったんです。
それでできるようになったんですけど、
もともと独立開業したくて、しかぎ講師を選んでたので、
しかぎ講師として独立開業するって。
9割くらいのしかぎ講師って独立開業してるんですよ。
そういう職業なんで、独立開業するにあたって、
司会員でお勤めして、その後はラボっていうしかぎ工場、
みんなで働いてるようなところでお勤めして、
そこから独立していくっていうのが一般的な流れで。
私もその流れにのっとって、
委員クリニックはもう経験したので、
インドの経験とその影響
次はラボに行こうかなと思って辞めますって。
そしたら、辞められたら困るって言われて。
働いてた、もともと。
仕事ができる人がいないから、
辞められたら困りますってなって、
今すぐ独立開業してくださいって言われたんですよ。
え?ラボは?
させますに。
できるから、仕事全部出してあげるから、
だからもう開業していいって言われて、
え?ってなったんですけど、
もう私の目的は開業したかったから、
お客さんついたんだったら開業しちゃっていいかと思って、
そのままの流れで1年で開業しちゃったんですよ。
えー。
1年しかサラリーマンやらないで、
まんま開業しちゃって、
でもやっぱり日本中でできる人がいないから、
独立開業したらすぐバンバン仕事入ってきちゃったんですよ。
で、すごくうまくいったんですけど、
あまりにも仕事が多すぎて、
寝る時間もなくて、
3日寝ない、
1週間風呂入らない。
え?そんな感じなんですね。
そんな感じなんですよ。
1週間風呂入らないとね、
ビニール袋みたいな匂いしてきますよ、自分が。
ちょっとよくわかんないですけどね。
ビニール袋みたいな匂いが自分からするんですか?
途中犬みたいな匂いなんですけど、
最後7日寝らないとビニール袋みたいな匂いになってくる。
段階があるんですね。
段階があって、ガーってなってくるんですけど、
それで寝ないんで精神もおかしくなってくるんですよね。
原症とかも聞こえるようになってきて、
ラジオかかってないのにラジオ聞こえるみたいになってくるんですよ。
そんぐらい忙しくて、
心を病みまして、
心というか体を病んだんですね。
これままじゃダメだなと思って、
会社にしようと思ったんですよ。
独立会議をしているものを法人化するって。
っていう風に思ったんですけど、
やっぱ職人の仕事なんで、
育てなきゃいけなくて、そんなにうまくいかないってことがわかったんです。
3人かトライアルしたんですけど、
これダメだと思って。
思ったより自分に才能があったんですよ、それの仕事の。
他の人にそれがないってことがわかって、
これダメだと思って。
誰でもできることを仕事にしないといけないんだと思ったんです。
自分が食っていくためには。
そこで会社を閉じるっていう決意を、
個人事業主でしたけど、
閉じるっていう決意をしたんですよ。
このままだと体も壊すし、
長く続かないってことがわかって。
その中、うつなんで、どうにかしなきゃいけないと思って。
お薬で治すっていうよりは、
自然療法をいろいろ調べたら、
ホルモンのバランスでうつになってるってことがわかって、
日照時間が少ないとか、
何かのビタミンが足んないとか、
そういう話で脳の機能がちょっとおかしくなってて、
心が沈むってことがわかってきたんですよ。
そうなんだっていうのを全部調べて、
じゃあこういう食事に変えようとか、
こういう生活に変えようっていうことにだんだんなってきて、
プラスで、自然と触れ合うっていうことがすごく大事だってことを知って、
インドに旅行に行くんですよ、友達とは。
急にインドに行くんですね。
友達と話してて、じゃあ行こうみたいな感じ。
友達が独身最後のあれだったんですよね。
結婚して岡山に引っ越しちゃう。
旦那さんの仕事の関係でっていうことだったんで、
じゃあ独身最後1週間くらい旅行しようって話になって、
で、私はインドに行ってみたいって言うから、
それ言うよって言ってくれて、
で、一緒に、ツアーなんですけど、電車とかで、寝台列車とかで、
インドを結構行っていくっていうやつだったんですよ。
いろんな街を都市を回って行って、
どこの都市行ってもやっぱり物覚えがいて、
腕とか足とかがない人がゴロゴロ駅のホームとかにもいるんですよ。
絶対に施しちゃいけないよっていう風に言われてて、
こういう世界があるんだっていうの初めて見たんですよね。
他に海外旅行いっぱい行ってたけど、
欧米だったから、みんな豊かな、
小敷であっても手足があって、
自分でもらったお金を使えるっていう人たちだったけど、
手足がない人たちは絶対にお金を自分で使えないから、
この先どうやったって這い上がれないっていうか、
一年復帰して働くぞとかも絶対できないでしょうし、
この国から、もしかしたらこの街から、
出れないような人たちなんだって。
それが生まれながらにして、
そういうカーストで決まってしまったりとか、
しているっていうことが分かって、
私日本のパスポート持ってて、こんなに自由で、
スーパーラッキーだと思ったんですよ。
これだけで生きてるだけで。
さらにガンジス川に行くことがあって、
朝日が昇る前に朝日に向かって、
ガンジス川に向かって、
全員信者さんがお花とか、
ろうそくとか、お供え物を持って、
川に向かって歩いていくんですけど、
朝の5時ぐらいに。
それがすっごい綺麗なんですよ。
行ったことあります?
ないですけど、インドはちょっと好きなので、
見たりとか調べたりとかしたことがあって、
その光景にまさに。
お花の匂いがすごくして、
マリーゴールドが多分、
一番お供えとして多い花だと思います。
マリーゴールドってすごい香りがするんですよね。
朝、もやの中、
マリーゴールドの香りと、
ろうそくの炎と、
みんな綺麗なサリを着て、
川に向かって歩いてくるんですよ。
すっごく綺麗で、
私が見たことない宇宙にいると思ったというか、
信仰のもとにそれ全員やってるわけじゃないか。
看護客じゃないから。
こういうことってあるんだと思って、
すっごい衝撃を受けたのと、
こういう信仰があるから、
この人たちは自分の生まれとかが、
カーストがあったとしても、
生きていけるんだと思ったんですよね。
何か頼るものがあるから。
神がいるから。
これってすごいことだなと思って、
私、信仰がないから心が折れるんだと思って、
ということに気づいたんですよ。
でも、気づくだけで、
仕事と独立の挑戦
ちょっとそれに興味を持ったぐらい。
これから私、信仰を何か求めていこうかな、
あったらいいな、ぐらいの感じだったんですけど、
一応それぐらいで泊まってたんですよ。
25歳ぐらいの時に。
戻ってきて、
会社、個人事業のラボを畳んで、
誰でもできる仕事に変えようと思ったんですけど、
その時に、3Dプリンターと3Dスキャナーとか出会ったんですよ。
3次元キャノン。
友達がたまたまトヨタ通商で、
歯科向けの3Dプリンターと3次元キャノンを
アメリカから輸入してくるということを、
日本で初めてぐらいかな。
やり始めたんですよ、トヨタ通商が。
それで、すごいねと見学させてもらって、
これを共生に使えるぞと思って。
そこでそれを結びつけて、
大学病院に、歯科医もそうなんですけど、
共生ってしたことあります?
ないです。
私立共生って、歯が動いていく過程を、
全部記録として歯型を残すんですよ。
最初がどうだったかと、途中経過と、
それが終わって何年後と、
またさらに何年後、
すごい数の模型が一人の患者さんに残る。
遺伝だったりするので、
それが孫の代とかにまた現れたりするから、
すごく重要な情報なんです。
そうするとどうなるかというと、
大学病院だったら、
本当にどのくらいの敷地かな?
ものすごいでっかい倉庫が必要になるんですよ。
置いとかなきゃいけないから。
私が働いていた歯科医院でも、
一軒家がそのまま丸ごと。
こんなので収まらないくらい。
こんなので収まらないくらいの量が大体あるんですよ。
どんどん増え続けていくし、捨てられないし。
だからあれ見つけてきてよって言って、
見つけられないっていうことが。
それ困りますよね。
ってことが現実に起こってたんですよ。
じゃあこれを全部3Dスキャンしてデータにしちゃえば、
いいじゃんって思ったんですよ。
思い立って、
これだったら私じゃなくても誰でもできるなと思って、
その会社を立ち上げたんです、27の時に。
プラスでそれが3次元データになったって、
その時代はまだみんなパソコンとかでも見れなかったんです。
今だったら3次元データってWindowsで無料で見れるアプリが付いてましたけど、
その時代はなかったんですよ。
専門性が高いし、それは特別なというか知ってる人じゃないと。
できなかったんですけど、それを見れるアプリも作ったんですよ。
私が開発者に依頼して、
うちのクラウドと一体型になっているアプリ。
お客さん専用のデジタル倉庫を作ったんですよ。
というのが27歳の時に開業して、
それを始めてやっていったんですけど、
やっぱりやる人がいなかったんで、
デジタル化の影響
うまくいってすごく順調に伸びたんです、会社としては。
伸びていったんですけど、
今度、業界のトレンドからして歯型を取るってことは、
そもそもデジタル化されちゃったんです。
口の中をそのままスキャンするという時代に変わってきたんですよ。
石膏にならなくて、型を取らないで、
口の中にカメラを入れて、そのままデジタルスキャンするという時代になってきて。
じゃあ、もう私の仕事終わるなと。
今、倉庫に眠っている分だけで終わるぞってなったんですよ。
じゃあ、次何するかって思った時に、
電子カルテ作ろうと思ったんですよ。
矯正専門の電子カルテ。
矯正って慈悲心療なんで、日本に電子カルテなかったんですよ。
世界にもなかったんですよ。
ないじゃんってなって、それに気づいて、
作るぞってなったんですけど、
そしたら、別にカットしなくていいですけど、
私の妹と一緒に会社やってたんですよ、その時。
そしたら、妹のフィアンセが開発ができる人だったんですよ。
プログラミングとかができる人だったんですよ。
じゃあ、次の私たちのステージはカルテ作ることだ、みたいな話をポロンとしたら、
その人が横取りして作っちゃったんですよ。
なんてそんなことが。
そうなんですね。
今のことは笑い話ですけど、
当時は怒りなのか何なのか、よくわからない感情。
妹もフィアンセですからね。
どうなんだ、みたいな話になって。
結局破断になっちゃうんですよ。
そうなんですね。
破断になった原因を作ったのは、私が会社をやってるからだって家族に責められるんですよ、そこから。
あ、そうなのか。
それ結構飛躍しすぎじゃないと思ったけど、
今となっては、そうかっていう風に落ちるぞ、みたいな風に落ちるのか落ちないのかわからないけど、
でもそういう風に言われたんです。
これちょっと違うかもしれないなと思って、家族にいくら言っても理解できない。
妹は心を病んじゃって、そういうのもいろいろあって。
それも全部私のせいだってことになるわけです。
まあそうかってなって。
私は家族とは距離を置きますって言って、今は私の家族と縁を切っているんですね。
本当の出家者なんですけど。
家族との葛藤
家族いなくなっちゃって、仕事だけ残っちゃった。
今度はスタッフと一緒に、信頼していた、何年も一緒にやってきている、4年とか一緒にやってきているスタッフと一緒に、
これから頑張っていこうね、みたいなこと言ってたら、スタッフがお金持ちにしたりとか、
いろんなことがあったんです。
しかもそれが一人とかじゃなかったんですね。
おおーってなって。
本当に全部違うことなんだけど、全部の最悪が一気に起こったんですよ。
家族もいなくなる、スタッフもいなくなるって。
プライベートで付き合っていた友達がいたんですけど、その子たちも全然違う理由で裏切ってたみたいな。
私のことを裏切ってたとか、いろいろあって。
本当に何にもなくなっちゃったんですよ。
仕事しかなくなっちゃって。
おおーってなって。
そんな中、心折れちゃったんですよね。
心が折れたとか、あったとして、心があったら死んじゃうなっていうぐらいの気持ちになっちゃった。
でも、そこで仕事はあるし、どうしよう、どういう気持ちで生きていけばいいのかなって。
私すごい釣りが好きなんです。
いい釣り。
共生専門の鹿技講師としての専門的なキャリア。
独立、企業、そしてデジタル技術との出会いによる新たな挑戦。
波乱万丈なお話はさらに続きます。
金谷に毎週末釣りに来てたんですよ。
その時は埼玉だったんですけど、会社は東京にあって、週末とか休みの日は金谷に来て釣りをしてたんですよ。
コロナになったじゃないですか。
だからもう出張とかも何もなくなっちゃって。
ほんと3日2晩釣りできるみたいな感じになったんですよ。
金谷でほんとにずっと釣りしてて。
そうすると朝日が昇って風が吹いてくるじゃないですか。
お天道様が一番てっぺんまで昇るっていうのも見えて、だんだん日が沈んできて。
そうすると金谷の夕日ってすっごい綺麗じゃないですか。
富士山に落ちる美しい夕焼けを見て。
そうするとまた夕方風が吹くんですよね。
太陽が沈んだりすると風が吹いて。
そこって不思議で、海があるけど真後ろが山だから山の香りがするんですよね。
時間によって波が満ちたり引いたりして、魚が釣れない時間もあれば釣れる時間もあるんですよ。
不思議だよ、やっぱ。
それをずっと見てると今度真っ暗になったら星がすっごい綺麗じゃないですか。
ずっといるってことですね。
ずっといますよ。ずっといますよ。
ずっといて眠くなったら座りながらサボタン荒れながら寝るんですよ。糸垂らしながら。
そういうのを3日間くらいやったら、私がこんなに悩んだり悲しいのか分からない気持ちでいたところで、ずっと世界は動いてて。
太陽が上がって日が沈んで星が瞬いて風が吹いて、魚がご飯を食べに来て、これなんだなと思って。
私の気持ちなんか全く関係ないんだと思ったんですよ。
だけど、私がここに存在するからこの宇宙もきっとあるんだろうなってことも分かったんですよ。
だとしたら、私たかだか多分、いくつまで生きるか分からない。長くて100年。
短かったら60年とか70年しか生きないかもしれないけども、
そんなこの1秒1秒を全力で私のために使った方がいいと思ったんですよね。
悲しいとか思っても、結局時間は勝手に流れるし、この宇宙の動きも止まらないし、
私が作り出している世界なんだったら、私のために私が幸せに生きるっていうのが、これが正解だと思ったんですよ。
宗教の教えとの出会い
で、これひらめいたぞと思ったら、そしたらお大志様が全く同じこと言ってたんですね。
信号集の競技ってそういうことなんですよ。
この世界、宇宙が自分自身であって、私がこの宇宙を作り出していて、宇宙が自分自身である。
この世界全てが私自身。あなたも私も等しい。全てのものが等しいっていうことが、
えーっつって、こんな1200年前に言ってたんかいってなったんですよ。
でもそれを知ったのは、もともと知ってたとかじゃなくて。
知ってなくて、ひねり出したんです。やったぜって思って、これで私今日から楽に生きていけるぜと思ったら、
1200年も前に言ってたんかいってなって、びっくりすることに衝撃を受けて。
で、他にもちょっと気になって調べたら、私が頑張って仕事しながらひねり出した答えとかが書いてあったりするんですよ。
で、これなんで私知らなかったんだろうと思って、これ知ってたら私もっと違う生き方できたんだろうなっていうのを気づいて、
そこに、私、信仰がないっていうのをさっき言ってたのと一緒で、
これをもともと持って生きていたら、全然違う生き方になっていたでしょうって思ったし、
今からでも全然遅くないから勉強したいなって思ったんですよ。
で、なんかこう宗教みたいな感じじゃなくて、
生きている人のために説いてるんだな、これはみたいな。
特に神言宗の教えって、お大事様が、お釈迦様が言ってきたこととかをもっと噛み砕いて、
その時代の人たちのためにわかりやすくやってきたってことなんですよ。
だから結構仏教って、お葬式あげるっていうのがすごくイメージとして強くて、
はい、天国行きますみたいな、そういうイメージがすごく多いと思うんですけど、
全然違くて、生きている人たちのためにお釈迦様がひねり出したやつをみんなに伝えていったんだと。
それをさらに伝えていった人がいて、中国に。
中国からまた日本に伝えていったお大事様がいて、
で、これかってなったんですよ。
これかいって、私が求めたらこれかいってなって、
でも、うっすらしかね、神言集の教えってお大事様が言ったいい言葉とか、こういうふうにやんだよ、みたいなのとかはあるんですけど、
なんかこう、ちょっと思ってたのと違うな、みたいなのが少し引っかかるところがあったんですね。
で、その中で、神言集の教えにはものすごく興味が湧いたんですけど、
友達が88カ所の変路を1周終わって、2周目に入るぞ、みたいな話になったんですよ。
すごいことしてんじゃん、って。
で、なんでそんなにいいの?って言ったら、もちろん来てみなよってなったんですよ。
で、私だけじゃなくって、やっぱなんでそんなにいいの?と思う人たちが結構いっぱいいて、
で、20人ぐらいでみんなでお変路行ったんですね。
そしたら、2、3カ所しか行かなかったんですけど、歩きお変路なんですよ、ちゃんと。
全部の寺院を歩いていくやつで。
で、歩いていって、きちんと全部のお寺にちゃんと手を合わせて、
般若心経を読んで、お大目みたいなのを唱えて、神言を唱えてってやっていくんですけど、
で、
短冊みたいなのがあって、そこに自分の願いと住所と名前みたいなのを書いて、
入れていくんですよ、全部88回、入れていくんですけど、
私、仏教って煩悩から離れなきゃいけないと思ってたから、
だから、願い事なんかかけちゃいけないと思ってたんだけど、
それやっていいの、神社だと思ってたから、
だから、毎月私箱根神社に行ってたんですけど、会社やってたときは。
そこで、神様と向き合って、
先月の反省と、次の月の目標をお伝えして、
どうだったかな、前の月、恥ずかしくないことしたかな、恥ずかしくないようにできたかな、
みたいなのを、ずっと箱根神社でやってたんですけど、
これ、寺でもよかったんかい、みたいな。
気づき、気づきごとで。
気づいたんですよ。
えーっつって、これ、煩悩とかいいんだ、みたいな。
そこで、もっともっと興味が湧いてきて、
しかも、そのときは、私、会社も閉じるっていうふうに決めてたんです。
あまりにも、いろんなことがありすぎて、何のためにやってきたかわからないし、
自分のために生きるって決めたから、
なかなかやりたい仕事じゃなかったんですね。
やってないからやったっていう。
誰もやってないからやったっていうだけだから、
これは、私が生涯かけてやりたいことじゃないし、
全然手放していいやと思ってたので、
特に、次やりたいこととかも何もなくて、
だから、願い事とかも何もなかったんですよ。
みんなの願い叶えますようにとか、
南坊村に引っ越したいから、いい家あったらいいな、
それくらいの願いしかなくて、
でも、周りの人たちは、母の病気が治りますようにとか、
願ってるわけですよ。
そこに、じゃあこの人たちの願いも一緒に叶えたらいいな、
みたいな気持ちで、回っていってて、一緒に歩いて回っていって、
でも、それがすごく私の中では、負に落ちたというか、
これが私が知りたかったところかもしれないと思ったんですよね。
本とかにない、祈るっていう作業、言葉でいいこと書いてあるけど、
それじゃないと、手を合わせて何かのために祈るってことの、
心の安らかさとか、そういうところって文章にはなってないんですよ。
実際の実践みたいなところですね。
そこに仏教としての、
人がずっとこれを忘れないように紡いできた、
何かエッセンスがあるはずだと思ったんですよ。
それは文章とかテキストでは学べないから、
お坊さんに直接聞くしかないってなったんですよ。
どうしたらいいんだろうなとか思いながら、
勉強したいなというふうに、いろいろ考えていたところ、
たまたま南坊さんのお家が見つかって、引っ越してきたんです。
まず引っ越したんですね。
引っ越し後の新たな出発
引っ越したんです。引っ越してきて、
本当にその時は会社も手放してて、
何にもなかったんですよ、私。仕事もない。
そうか。
仕事もないし。
引っ越してくるだけ来た。
猫がいたんですけど、猫とソファーベッドだけ持ってきて、
あともう何にもない。本当に何にもない。
ゼロからのスタートだみたいな気持ちで、引っ越してきたんです。
12月28日、2023年の12月28日。
そんなに最近といえば最近。
1年ちょっと前、1年半くらい前なんですけど、引っ越してきて、
そういえば何もないから、一回引っ越しそば食うべと思って、
で、Googleで検索したら、勝山の近町さんっていうそば屋わかります?
勝山にあるんですけど、そば屋さんがね。
そこをGoogleマップが言ってきたんですよ。
ここだと思って行ったら、そしたら大きい石の門があって、そこ入っていったら、
そしたら看板とか出てなくて、
看板出てない。こだわりのそば屋かと思って。
そしたら、お家の人が出てこられて、何しに来たの?って言って、
そば食べに来たの?って言ったら、そば屋じゃないよって言われて。
あれ?親?
普通の人の家だったんですよ。
Googleマップで。
間違えて、なんでそば食べたいの?って言われたから、引っ越してきたから、
引っ越しそば食べたいんだよって言ったら、
じゃあ、茹でてあげようか?みたいな。
ぐらいすごい。
やっぱり南房総の人、暖かい人多いなぁと思いながら、
ちょっと立ち話とかしてて、何してる人なの?とか、
何もしてないって言って、本当に何もしてなかったんだよね。
何もしてないけど、仏教の勉強したいとか言って、軽く言ったら、
何しに来たの?とか言われて、親御にしに来たの?とか言ったら、
じゃあ、あなたはあそこのお寺に行きなさいって、
そこのお母様が言ってくれて。
えーってなって、
分かりましたって。
あそこのお寺のお坊さんすごい方だから、
あの人に襲われたらいいよって言ってくれて、
たまたまそこの息子さんが、後に私の師匠になる住職ですけど、
先輩だったんですよね。知らない中ではなくて。
それで、すぐLINE交換して、その場でね、その息子さんと。
12月28日なんで、1月も忙しいからお坊さん。
忙しいから。
だから、1月の6日にここの魔納の大御陵。
ここに来れば会えますよって言ってくれて、
で、じゃあ6日に行きますって言って、
Googleマップで調べたらすげえ山の中に来てて、
なんだよーってなったんですけど、
ここに来たんですよ。
そしたら、住職がいて、
毎月毎日ここは縁日でごまをあげてるんですよ。
1月6日って初大国で、
魔納大国って言われて初大国で、
すごく人がいてにぎわう時なんですけど、
そこに住職いて、
よく来たねみたいな感じで、
ご本尊様を拝ませてくれたんですよ。
どこの魔納の骨かもわからない私に。
えーって思ってすごい感動して、
弟子にしてくださいって言ったら、
いいよーみたいな感じで。
ずいぶん、はい。
そっかーって思って、
具体的に何が弟子なのかもよくわかってなかったし、
仏教の勉強したいんですって話をしてたんですけど、
いいよーみたいな感じで言ってくださって、
そっかーって思って、
勉強できるぞって思って、
その後何日かしたら、
夢の中に観音様が、
ここのご本尊様、千住観音様なんですけど、
覆面をしてる覆面千住観音様って超珍しい。
仏教との出会い
ここの?
日本で2体しかない。
現像するのはここの1体って言われてる、
超珍しい覆面千住観音様なんですけど、
その観音様が私の夢に出てこられて、
周りに人がいっぱいいるんですよ。
周りの人たちがガヤガヤしてる中で、
私がこの観音様、私知ってるって言ったら、
周りの人たちが、
これがあなたの守本尊だから、
あなたここで拝みなさいって言うんですよ。
誰?って言ったら、
全員があなたのご先祖様ですって言うわけ。
マジかと思ったら、
それから住職から呼ばれて、
次の日に来てくださいって呼ばれて、
あなたは仏教の勉強をしたいと思ったら、
万能の大黒様で修行できるようにしてあげるから、
あなたはそこでお坊さんになる勉強をしなさいって言われて、
なるほどと思ってわかりましたって。
お坊さんになりたいですって門を叩いたわけじゃないですけど、
でも夢で言われたし、
お坊さんもそうやって言ってるし、
そうかと思って、
お坊さんになっちゃったみたいな感じなんですよね。
おお、すごい。
そうなんですよ。
そういうことなんですね。
だから、職業としてお坊さんじゃないよって言ったのは、
そういうことか。
そこなんですよね。
ただ、本当に仏教を勉強したいっていう純粋な思いで、
僧侶としての道を歩んでますけども、
職業としてお坊さんになりたいぞみたいな、
仏教を仕上げたいぞみたいな話じゃないんですけども。
そういうことか。
何か導かれていくように気づいたら。
そう、それを。
多分大丈夫だと思います。
それで何かこう、
勉強したことを皆さんにお伝えできたらなって思うし、
私自身がその教えにすごく救われた。
みんなが多分ひねり出したら全員同じところに行くんだけど、
ひねり出すまですごく、
いろんな思いしたから、
そんな思いしなくても、
こういう教えがあるんだよってことを、
ちょっとでもみんな引き出しの奥に、
少しずつストックしとけば、
すごいうわーってなった時に、
何か言ってたな、
あの引き出し開けてみればいいかって思えたらいいなと思って。
様々な挫折や転機を経て、
僧侶としての道を歩み始めた荒川さん。
仏教を通じて見つけた自分らしい生き方、
そして一秒一秒を全力で自分のために使った方がいいという言葉。
そんな荒川さんのお話は次回に続きます。
34:58

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