2年下の後輩に、今、静岡県の神田川キリスト教会の二宮一郎という人がいたんですけども、
彼がずっと私に、先輩、教会行きませんか、教会行きませんかって誘ってくれてたんですが、
彼は非常に魅力的な人だったんですけども、全然神様なんか信じてなかったものですから、そんなものいかへんいかへんってずっと言ってたんですね。
答え続けるそういう最中にあって、万引きをしてですね、最後に私服の警備の人に捕まってしまって、警備員に連れて行かれて、
何回目やって言われて、初めてですって嘘ついたんですよ。そしたら許してくれて、帰ったしばらくしてから、
その二宮先生から、教会にブラスバンドがあるんです、私ブラスバンドになったんですけどね、ブラスバンドがあるんです。
土曜日に練習してるんで見学に来られませんかって言われて、教会は行くのは嫌やったけど、ブラバンならいいかと思って見学に行ったんです。
見学終わった後、帰ろうとすると、当時福牧師でやられた赤江先生という方がおられて、
おろすごくカップ黒い福岡の先生だったんですが、帰りに握手をしてくださって、
鈴木さんよくいらっしゃいました。明日高校生だけの礼拝があるんですが、いらっしゃいませんかって誘われたんですね。
その誘われるより何より、めちゃめちゃ手が温かかったんですよ。福岡で柔らかくて。
誘われたら、それだけで来ようって思ったんですね。
翌日、高校生だけの礼拝に参加して、ところが開かれた箇所が、マルコによる福音書の7章ですね。
人には罪がいますって書いてあるんですよ。しかも最初に盗みって書いてあるんです。
盗み殺人犯移動欲と書いてある。そのせいで盗みだけ取り上げて、最近の若い人たちはみんなやっているからいいじゃないかと言いながら盗みをしているけど、
それは絶対に間違いですって机を叩いて語られたんですね。びっくりしました。
この先生、私のことを知ってこんな話をしているのかと思ったほどだったんですが、先生はご存知でなかったんですよ、もちろんね。
でも神様が知っておられた。私はもう言った初日から、間違いなく私は罪人だって思いました。
そしてその罪を一体どうしたらいいんだろうと思う日々が続くようになって、
一度2年生、それが高校1年生だったんですが、高校2年生の時には教会を一旦離れて、そしてもう一度行く機会が与えられて、
高校3年生から行き始めたんですけど、もう一度行き始めたんですが、高校3年生の夏休みに入ったすぐの時に土曜日に中高生だけの集会が開かれて、神戸中教会で。
その先生が途中でこんな祈りをされたんですね。
神様、私はもうすでにまな板の上の鯉です。煮るなり焼くなり、あなたの好きなようにしてくださいと祈られたんです。
その頃ね、まだ私純粋だったんですね。その通りだなって思ったんですよ。
それで、自分も祈りが番が回ってきた時に、そのことをもう丸々真似して口に出して祈ったんです。
神様、私はまな板の上の鯉です。煮るなり焼くなり、あなたの自由にしてくださいって祈ったんです。
祈っておきながらぽろっと忘れてしまう。すっかり忘れてしまう。
ところが、これが神様の御心にかなったんです。
煮るなり焼くなり、好きなようにされました。
その内容についてはまた午後にお話したいと思いますが、
本当に導いていただいて、一つ一つ丁寧に導いていただいて、私を県支援手で整えていってくださったんですね。
ところが、しばらくしてから、また別のキャンプの時にスタッフとして関わっている時に、
献身のチャレンジを受けたんです。
いやー、絶対献身しようと思って神戸中教会に帰って、
当時の西名博先生に、先生、献身しますって言いに行ったら、
とにかくよく祈りなさいと。
御言葉が与えられないと持たないから、しっかり祈って御言葉をいただきなさいと言われて、
祈ってたら、御言葉が与えられるところか、不信仰に陥ったんですね。
牧師って給料安いし、やっていかないのじゃなかったんですね。
辞めちゃったんですよ、それで。
でも、祈っている時にですね、明確に神戸中央教会で、
教育的なレーマンとしての働きをしなさいというビジョンが与えられたんですね。
妻も同じビジョンを持っている人と結婚したかったので、
祈っていると、前の妻がいたわけではないけど、今の妻が与えられたんですね。
それで、やってきてはいたんですけれども、
途中で、でも教育的なこと、中高科にすごく関わりながらやっている途中で、
ルタが書いた本で、教師というのは牧師ではないけど、それなりに大切な仕事なんだと。
金は銀ではないけれども、銅ではないというような一文があったんです。
あ、そうだなと思ってやっていたんですが、それをよく後で考えてみると、
やっぱり牧師は金だと思っていたんだな、とこう思うわけですね。
で、加藤先生が献身するときに、いいなと思ったわけです。
しばらくすると、娘が献身すると言い出して、もう30歳を超えていたんじゃないかと思いますが、
お父さん、献身していいかなと言われたときに、私は早く献身してほしいという気持ちがあったので、
もっと早よ言うたらいいのにと思ったぐらいだったんですね。
でも、もっと早よ言うたらいいのにと言った私が、61になって献身に夢中になったから、
よっぽどもっと早よ言うたらよかったんですよ、私の方がね。
だったんですが、後で気がつくと、娘の後輩になってしまったという、なんか複雑な気持ちで。
今まで教員の世界に娘を連れて行くと、「池口先生の娘さんですか?」と言われていたのに、
こっちの世界に入ると、「池口先生のお父さんですか?」と言われる。
ちょっと違うなと思っていますけれども、そんなことがありました。
いよいよ息子が障害を持って生まれたりして、それだけで大変になってきた時期があったんですけれども、
やがて娘も献身し、息子もちゃんと信仰を持って、ある程度体も安定してきたタイミングで、
今度私の体がダメだったんですね。今酸素をつけていますけれども、
肺動脈性肺口血圧症という難病になったんです。
子供たちと5分間キャッチボールするだけで息切れがひどくって止まらなくなって、
ちょっと超えているからかな、太りだしたからかなと思っていたら、
当時おられた保健の先生が、「それ絶対おかしいから、ちゃんと調べ!」と言われて、
ざーっと調べまくったんですが、わからなかったんですけれども、
とうとう神戸大学でその専門の先生がおられて、それだということがわかって、
難病ですよ、難病になったんですね。で、あることがわかったんですね。
そして、このことで本当は酸素をつけて生活していないといけない、そんな環境ではなかったので、
つけないで生活すると、酸素をつけていないと疲れがたまりやすく、疲れが取れにくい状態が続くんですね。
ずーっと続けていると、ついにですね、もうヘロヘロになったんです。
土曜日、日曜日はもう家でずーっと布団に入ってですね、
冷肺だけ行ってシュッと帰るんですけど、そして月曜日から金曜日までガーッと働いて、
また土曜日、日曜日、寝とかないといけなくなって。
私、教員になったいきさつはですね、神戸中央教会で奉仕がしたかったから、
神戸市内で転勤があっても神戸市内しか転勤のない教員になったんです。
それを選んだんですけれども、そしてそのように導かれたんですが、
なのに今は奉仕ができないので、仕事をするための生活にシフトしていると。
これは何かおかしいとかって言って、やめることにしたんです。
やむになったら妻にやめてもいいかなと言ったら、何の根拠もないのにいいわよと言ったので、
この人大丈夫かなと思ったんですが、妻の許可があったからもういいやと思ってやめて、
でも実はやめた頃は、もうあと3年ぐらい来たらいいかなぐらいしか思っていなかったんですけど、
不思議なことに、あのストレスフルな仕事をやめた途端に、だんだん元気になってきたんです。
元気になってくるタイミングで、川原先生から聖歌の説教という一冊の本をいただいて、
聖書も書かれているので、そこに詩を両反ていただいたんですが、
申し訳ないことに、聖歌の話では何にも感じなかったんですけど。
この間、青年選挙大会の講師で招かれた竹田隆という先生が書かれたバルテマイの話に引っかかっちゃったんですよ。
バルテマイが目を見えるようにしてくださいってお願いした時に、
イエス様が見心であると言って見えるようにしてあげようと言って見えるようにしてあげた。
でもその後イエス様は何も指示されなかったんです。
指示されたと言えば、さあ行きなさいという言葉だったんです。
それはあなたはもう自由だ、今からあなたのしたいようにしていいよ、好きにしなさいというメッセージです。
それは私へのメッセージだと思いました。
教員を辞めて、今から好きなことができる、ちょっと元気になってくれたら何かできそうだと。
好きなことができるなら、イエス様に神様に思いっきり使いたいなと思ったんです。
まさか検診したなんて思っていませんよ。
で、思ったんですが、神戸中教会で何か奉仕をしようと思い、今までいろんなビジョンが若い時はあんなことをしようこんなことをしようと次々とビジョンが浮かんでいたのに、
真っ白だったんですよ。何にも浮かばない。本当に不思議でした。
で、そうして生活しているうちに、ある時礼拝が終わって、私は聖書労働部だったのかな。
で、終わって礼拝の後、報告を聞いているときに前に向いて座っていると、本当に後ろから、これが道だ、これにあいめいって言葉をかけたんですよ。
びっくりしました。それは間際もなくフルタイム研修への招きだったと感じたんですね。
でもですよ、体壊して教員さえ辞めなければならなかったこの日で、神様何を冗談言っているんですかって思いました。
もう60を超えていましたし、それはないでしょうって、でお断りしたんですよ。
で、西田先生が見言葉さえ、メッセージを語ることさえ一旦与えられても、一回神様の御手にいだねて、それが返ってきたらそのままきっちり語るんだという話を聞いたこともあったので、
訳は分からないけどとにかくお返ししますって返したんです。
もうしばらくすると、部下の福音書からペテロの照明のところが与えられて、今からあなたは人間を取る漁師になるのです。
交わりが深まっていってですね、どんどん話題が、本当にね、学生たちは学校で起こったら、
こんな時先生、進行的にどらしたらいいとか、いろんな話が飛び立ったんですね。
まあ、それが面白かったんですけども、そうしているうちに、土曜日に勉強しようかと話を聞いていたら、
なんかこう、楽しくは来ているけれども、聖書をちゃんと読んでいないということがわかった。
聖書を読むなあかんで、ということになって、楽しい聖書の学びというのを始めて、
その途中で、最後に来た女の子と二人きりの勉強会があったんですが、
ぽろっとその子が、私はできたら同じ年ぐらいの女の子同士の話がしたい、
そんな人が来てくれたらいいと思っているんです、という話をしたから、
そうしたらお祈りしようと言ってお祈りしたら、
次の日に、今年大学を出て保健会社に勤めて、しばらく大阪で研修を受けて、
豊川に赴任になった人が、祈った次の日に来るんですよ。
その週の火曜日に、小川さんから電話があって、電話をかけた時も、
いや田舎だからつながるかどうかも心配でした、と言いながら電話をかけてくれました。
ああ、いますよ。先生の教会に行こうと思うんですけど、
でもね、失礼ですけど、年配の方ばかりだと、
うちの娘が続くかどうか心配なんです、という話があったんです。
大丈夫です。うち今、業者がおるんです、と。
そこで来てくださるようになって。
次々と、私何にもしてないですよ。
最初の頃、トラックを配ったけど、その地域から誰も来ないんだけど、
何にもしてないところから、ポロリ、ポロリと人が、神様が集めてくださって、
ワイワイと今、賑やかに。
そして、7月に来られた中学校の先生が、この12月17日に宣礼を受けられました。
彼らね、帰らないんですよ、教会に来たら。
ある時から、中学校の先生が、大体、日曜日の交わりから始まったんですが、
夕方ぐらいには、まあまあ帰ってたんですけど、
先生、夕食作っていいですか、と言い出して。
いいよ、と言ったら、夕食を作り出して。
夕食を食べたら、帰りが7時、8時、9時、だんだん遅くなっていって、
最高ね、11時半までおりました。
先生、なんでそんなにおるの、と言ったら、居心地がいいんです、と言ってくださって。
でも、さすがにこれ、おりすぎやな、と、みんながそっちで話してくれたみたいで、
8時半頃には帰ることにしよう、ということになって。
そう言っても、9時から9時半になるんですけども、
そういう交わりが、日曜日もある、土曜日もある。