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名谷教会の皆様、本当に田舎牧師を、こんなに都会の素敵な、ハイセンスなこの教会に招いていただいてありがとうございます。
こちらに招かれるのは2回目ですよね。
昔、鎌野直人先生がおられるときに、教育講演会で一度招いていただいて、2回目であることを感謝します。
だけど、田舎ですけどね、すごい妙技が行われているんですよ。
その話を今日はたっぷりとさせていただきたいと思います。
一言お祈りいたします。
神様、ありがとうございます。
この朝、あなたが名谷教会で新年生会として、この礼拝を導いてくださっていることを感謝をいたします。
本当に小さなものが、もう取り足らないようなものが、あなたがお召してくださって、あなたの妙技のただ中に、今、入れていただいていることを心から感謝をいたします。
どうぞ、この恵みの少しでも皆様と分かち合うことができるように、そして共々にあなたの皆を崇めることができるような、この時としてくださるように、よろしくお願いをいたします。
御手に委ねます。期待しつつ、イエス様のお名前によってお祈りをいたします。
アーメン。
今、加藤先生が、先生だとおっしゃいましたけれども、バイブルキャンプ中にですね、彼がスタッフとして、先生がスタッフとして参加されている時に、
お風呂に入っている時、二人だけでお風呂に入っている時にね、加藤先生が、
イケル先生、僕ね、検診するんですって言った時、すぐに返事ができなかったんですよ。
羨ましいなぁって思ったんですね。いいなぁって思ったんですよ。
なんでそんな感情が生まれるかよく分からなかったんですけども、だいぶ後になってから、私もこう呼ばれて、本当に感謝をしています。
で、今朝はですね、限られた時間ですので、もう語りたいことは、もう3日ほど叩けたら十分語れるんですけども、なかなかそういきませんので、コンパクトにいきたいと思います。
最初にですね、私の救われた生き方ですね、証をさせていただいて、そして献身に導かれた様子を語らせていただいて、
今、田島で行われている神様の御業を少し明かさせていただきたいと願っています。一言お祈りします。
あ、お祈りしたのかな。すみません。もうね、すっかり疲れてるんです。ごめんなさい。
まあまあ、こんなもんです。ポンコツの塊なんですけども。
では、私の救われた生き方なんですけども、実は高校時代に三宮の代営で、もう散々万引きをしたんですね。
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2年下の後輩に、今、静岡県の神田川キリスト教会の二宮一郎という人がいたんですけども、
彼がずっと私に、先輩、教会行きませんか、教会行きませんかって誘ってくれてたんですが、
彼は非常に魅力的な人だったんですけども、全然神様なんか信じてなかったものですから、そんなものいかへんいかへんってずっと言ってたんですね。
答え続けるそういう最中にあって、万引きをしてですね、最後に私服の警備の人に捕まってしまって、警備員に連れて行かれて、
何回目やって言われて、初めてですって嘘ついたんですよ。そしたら許してくれて、帰ったしばらくしてから、
その二宮先生から、教会にブラスバンドがあるんです、私ブラスバンドになったんですけどね、ブラスバンドがあるんです。
土曜日に練習してるんで見学に来られませんかって言われて、教会は行くのは嫌やったけど、ブラバンならいいかと思って見学に行ったんです。
見学終わった後、帰ろうとすると、当時福牧師でやられた赤江先生という方がおられて、
おろすごくカップ黒い福岡の先生だったんですが、帰りに握手をしてくださって、
鈴木さんよくいらっしゃいました。明日高校生だけの礼拝があるんですが、いらっしゃいませんかって誘われたんですね。
その誘われるより何より、めちゃめちゃ手が温かかったんですよ。福岡で柔らかくて。
誘われたら、それだけで来ようって思ったんですね。
翌日、高校生だけの礼拝に参加して、ところが開かれた箇所が、マルコによる福音書の7章ですね。
人には罪がいますって書いてあるんですよ。しかも最初に盗みって書いてあるんです。
盗み殺人犯移動欲と書いてある。そのせいで盗みだけ取り上げて、最近の若い人たちはみんなやっているからいいじゃないかと言いながら盗みをしているけど、
それは絶対に間違いですって机を叩いて語られたんですね。びっくりしました。
この先生、私のことを知ってこんな話をしているのかと思ったほどだったんですが、先生はご存知でなかったんですよ、もちろんね。
でも神様が知っておられた。私はもう言った初日から、間違いなく私は罪人だって思いました。
そしてその罪を一体どうしたらいいんだろうと思う日々が続くようになって、
一度2年生、それが高校1年生だったんですが、高校2年生の時には教会を一旦離れて、そしてもう一度行く機会が与えられて、
高校3年生から行き始めたんですけど、もう一度行き始めたんですが、高校3年生の夏休みに入ったすぐの時に土曜日に中高生だけの集会が開かれて、神戸中教会で。
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で、そこで松井、松見、六郎だったかな、ロシアの先生が、まあ面白い話をされたんですが、お笑いしながら聞いていたんですが、
最後の方で、イエス様が十字架にかかったのは、あなたの罪を許すためです、って語られたんです。びっくりしました。
それまで聞いていたかもしれませんが、その時本当に明確に、イエス様が十字架にかかったのは、あなたの罪を許すためです。
それは響いてきたんですね。だって万引きを散々繰り返して、しかも捕まった時には初めてですって嘘をついて、
許してもらうようなこんなチャランポランな人間のために、その罪を自分で負ってくださって、
父よ彼らを許してください、彼らは何をしているか分からずにいるのですからと祈ってくださる方がおられる。
もうね、抵抗ができなかったですね。私のイメージで言うとですね、十字であいという感じがあってですね、どーっと迫ってくるんですよ。
もう、今日集会で終わりに、今日イエス様を信じようと思う人は、静かに右の手を挙げてくださいと、抵抗できないです。すーっと迫ってくる。
そして前に後で集められて、先生に続いて、少しお話を聞いてから先生に続いて、もう先生の口真似ですけど、お祈りをしたんですね。
神様は私の罪を許してください。イエス様が十字架に上がって私の罪を許してくださったことを信じます。
と祈った時に、みんながそんな感情にならなくていいんですけども、私は肩に持っていた重たい重たい荷物を誰かにほいと預けたような、
本当に肩の荷が軽くなったという経験をしたんですね。で、その時に、あ、救えたんだって思いました。
そして、バイブルキャンプアフターンで9月の最初の日に、第一日曜日に宣伝を受けました。
1973年の9月の2日だったと思いますが、その時から私はクリスチャンになったんですね。
そして、クリスチャンとしてのスタートが、一歩が踏み出されたわけですが、
今日はですね、まず、信仰の大前提について3つのポイントをちょっと言っておきますね。
第一はですね、神様はね、バラエティが大好きです。
バラエティ番組を見るのが好きなんじゃないんですよ。もうね、一人一人違うんですよね。
雪も、あの、この間、何を言うか、先週、前の日何もなかったのに、0時頃からチラッチラッと雪が降り始めてて、
で、翌朝目覚めると、40センチくらいビシーッと積まれたんですよね。
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目覚めるとそこは雪国だったという世界ですね。すごいなと思いましたが、あの雪の結晶一つと一つもね、全部違うんですよ。
めちゃめちゃバラエティが好きなんです。一つとして同じものがない。そういう方であるということで。
二つ目は、神様は身心にかなった願いは必ず聞いてくださるんです。必ずです。
それはお開きになれる方は、ぜひお開きになっていただきたいんですが、
ヨハネの第一の手紙の5章の14節、15節にはっきりと書いてあるんですよ。
お読みしますね。ヨハネの手紙の第1、5章の14、15節、484ページですが、こんな風に書いてあるんです。
何事でも神の身心に従って願うなら、神は聞いてくださるということ。これこそ、神に対して私たちが抱いている確信です。
私たちが願うことは、何でも神が聞いてくださるとわかるなら、私たちは神に願い求めたことを既に手にしているとわかりますと書いてあるんです。
身心にかなった祈りは必ず、絶対聞かれるんです。これが第2のポイントです。
3番目が、神様はご真実なお方なんですね。どこまでもご真実なお方です。
これは詩編の33編の4節なんですけれども、お読みいたします。詩編の33編の4節です。
こんな風に書いてあります。
まことに、主の言葉はまっすぐで、その御業はことごとく真実である。と書いてあります。
その御業はことごとく真実である。私たちは不真実なんですよ。でも神様は真実なんです。
この3つのポイントを今日課題したくて、1は午後に回します。
2番目の身心にかなった祈りは必ず聞いてくださるお方であると、神様がご真実なお方であることを今から語らせていただきたいと思いますが、
それはですね、私がフルタイムの研修への招きを、フルタイムの研修へと招かれたことに大いにかかってくるんですが、
凄えてから初めて行ったバイブルキャンプでですね、奥沢清先生が私たちのグループのリーダーだったんですけれども、
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その先生が途中でこんな祈りをされたんですね。
神様、私はもうすでにまな板の上の鯉です。煮るなり焼くなり、あなたの好きなようにしてくださいと祈られたんです。
その頃ね、まだ私純粋だったんですね。その通りだなって思ったんですよ。
それで、自分も祈りが番が回ってきた時に、そのことをもう丸々真似して口に出して祈ったんです。
神様、私はまな板の上の鯉です。煮るなり焼くなり、あなたの自由にしてくださいって祈ったんです。
祈っておきながらぽろっと忘れてしまう。すっかり忘れてしまう。
ところが、これが神様の御心にかなったんです。
煮るなり焼くなり、好きなようにされました。
その内容についてはまた午後にお話したいと思いますが、
本当に導いていただいて、一つ一つ丁寧に導いていただいて、私を県支援手で整えていってくださったんですね。
ところが、しばらくしてから、また別のキャンプの時にスタッフとして関わっている時に、
献身のチャレンジを受けたんです。
いやー、絶対献身しようと思って神戸中教会に帰って、
当時の西名博先生に、先生、献身しますって言いに行ったら、
とにかくよく祈りなさいと。
御言葉が与えられないと持たないから、しっかり祈って御言葉をいただきなさいと言われて、
祈ってたら、御言葉が与えられるところか、不信仰に陥ったんですね。
牧師って給料安いし、やっていかないのじゃなかったんですね。
辞めちゃったんですよ、それで。
でも、祈っている時にですね、明確に神戸中央教会で、
教育的なレーマンとしての働きをしなさいというビジョンが与えられたんですね。
妻も同じビジョンを持っている人と結婚したかったので、
祈っていると、前の妻がいたわけではないけど、今の妻が与えられたんですね。
それで、やってきてはいたんですけれども、
途中で、でも教育的なこと、中高科にすごく関わりながらやっている途中で、
ルタが書いた本で、教師というのは牧師ではないけど、それなりに大切な仕事なんだと。
金は銀ではないけれども、銅ではないというような一文があったんです。
あ、そうだなと思ってやっていたんですが、それをよく後で考えてみると、
やっぱり牧師は金だと思っていたんだな、とこう思うわけですね。
で、加藤先生が献身するときに、いいなと思ったわけです。
しばらくすると、娘が献身すると言い出して、もう30歳を超えていたんじゃないかと思いますが、
お父さん、献身していいかなと言われたときに、私は早く献身してほしいという気持ちがあったので、
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もっと早よ言うたらいいのにと思ったぐらいだったんですね。
でも、もっと早よ言うたらいいのにと言った私が、61になって献身に夢中になったから、
よっぽどもっと早よ言うたらよかったんですよ、私の方がね。
だったんですが、後で気がつくと、娘の後輩になってしまったという、なんか複雑な気持ちで。
今まで教員の世界に娘を連れて行くと、「池口先生の娘さんですか?」と言われていたのに、
こっちの世界に入ると、「池口先生のお父さんですか?」と言われる。
ちょっと違うなと思っていますけれども、そんなことがありました。
いよいよ息子が障害を持って生まれたりして、それだけで大変になってきた時期があったんですけれども、
やがて娘も献身し、息子もちゃんと信仰を持って、ある程度体も安定してきたタイミングで、
今度私の体がダメだったんですね。今酸素をつけていますけれども、
肺動脈性肺口血圧症という難病になったんです。
子供たちと5分間キャッチボールするだけで息切れがひどくって止まらなくなって、
ちょっと超えているからかな、太りだしたからかなと思っていたら、
当時おられた保健の先生が、「それ絶対おかしいから、ちゃんと調べ!」と言われて、
ざーっと調べまくったんですが、わからなかったんですけれども、
とうとう神戸大学でその専門の先生がおられて、それだということがわかって、
難病ですよ、難病になったんですね。で、あることがわかったんですね。
そして、このことで本当は酸素をつけて生活していないといけない、そんな環境ではなかったので、
つけないで生活すると、酸素をつけていないと疲れがたまりやすく、疲れが取れにくい状態が続くんですね。
ずーっと続けていると、ついにですね、もうヘロヘロになったんです。
土曜日、日曜日はもう家でずーっと布団に入ってですね、
冷肺だけ行ってシュッと帰るんですけど、そして月曜日から金曜日までガーッと働いて、
また土曜日、日曜日、寝とかないといけなくなって。
私、教員になったいきさつはですね、神戸中央教会で奉仕がしたかったから、
神戸市内で転勤があっても神戸市内しか転勤のない教員になったんです。
それを選んだんですけれども、そしてそのように導かれたんですが、
なのに今は奉仕ができないので、仕事をするための生活にシフトしていると。
これは何かおかしいとかって言って、やめることにしたんです。
やむになったら妻にやめてもいいかなと言ったら、何の根拠もないのにいいわよと言ったので、
この人大丈夫かなと思ったんですが、妻の許可があったからもういいやと思ってやめて、
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でも実はやめた頃は、もうあと3年ぐらい来たらいいかなぐらいしか思っていなかったんですけど、
不思議なことに、あのストレスフルな仕事をやめた途端に、だんだん元気になってきたんです。
元気になってくるタイミングで、川原先生から聖歌の説教という一冊の本をいただいて、
聖書も書かれているので、そこに詩を両反ていただいたんですが、
申し訳ないことに、聖歌の話では何にも感じなかったんですけど。
この間、青年選挙大会の講師で招かれた竹田隆という先生が書かれたバルテマイの話に引っかかっちゃったんですよ。
バルテマイが目を見えるようにしてくださいってお願いした時に、
イエス様が見心であると言って見えるようにしてあげようと言って見えるようにしてあげた。
でもその後イエス様は何も指示されなかったんです。
指示されたと言えば、さあ行きなさいという言葉だったんです。
それはあなたはもう自由だ、今からあなたのしたいようにしていいよ、好きにしなさいというメッセージです。
それは私へのメッセージだと思いました。
教員を辞めて、今から好きなことができる、ちょっと元気になってくれたら何かできそうだと。
好きなことができるなら、イエス様に神様に思いっきり使いたいなと思ったんです。
まさか検診したなんて思っていませんよ。
で、思ったんですが、神戸中教会で何か奉仕をしようと思い、今までいろんなビジョンが若い時はあんなことをしようこんなことをしようと次々とビジョンが浮かんでいたのに、
真っ白だったんですよ。何にも浮かばない。本当に不思議でした。
で、そうして生活しているうちに、ある時礼拝が終わって、私は聖書労働部だったのかな。
で、終わって礼拝の後、報告を聞いているときに前に向いて座っていると、本当に後ろから、これが道だ、これにあいめいって言葉をかけたんですよ。
びっくりしました。それは間際もなくフルタイム研修への招きだったと感じたんですね。
でもですよ、体壊して教員さえ辞めなければならなかったこの日で、神様何を冗談言っているんですかって思いました。
もう60を超えていましたし、それはないでしょうって、でお断りしたんですよ。
で、西田先生が見言葉さえ、メッセージを語ることさえ一旦与えられても、一回神様の御手にいだねて、それが返ってきたらそのままきっちり語るんだという話を聞いたこともあったので、
訳は分からないけどとにかくお返ししますって返したんです。
もうしばらくすると、部下の福音書からペテロの照明のところが与えられて、今からあなたは人間を取る漁師になるのです。
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いいえ、無理です、無理ですっていうことがあったんです。
で、もうしばらくすると、この検査入院があって3週間ほど入院しているときに、今朝の呼んでいただいたヨハネの福音書が開かれて、
神様があなたの手でピリトに何とかしなさいと言ったのに、アンデがこう答えているんですね。
餌の中心セーフですが、ここに大麦のパン5つと魚2匹を持っている少年がいます。
でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。
前の役では何の役に立つのですかって。
私もそう思っていたんです。こんな体でこんな年がいて、今さら何の役に立つのですかって思っていたら、その続きを読むと、
その5つのパンと2匹の魚をイエス様の御手に委ねると、5千人、男だけで5千人が満腹した。好きなだけ食べたんですよ。
そうか、なんやよう分からんだよ。こんなもんやけど、イエス様の御手に委ねたら、イエス様が何とかしてくださるんだって思ったんですよ。
それで、とうとう降参しました。
そして、もう一つ考えたのは、これ以上断ったら、世代みたいなことが起こるかもしれないと思ったんです。
で、これかんと思って、川原彦先生のところに行って検診したいんですって言ったら、びっくりしましたね。
まあ、ともかくよく祈って御言葉を与えなさいって、また前に聞いたと同じことを聞いたんですが。
で、しばらく祈っても全然確信は変わらずにいました。
で、不思議なようにして導かれたわけです。
で、みなさん、本当に川原さんってすごいですよ。
このね、使わされる前にインターンしているときに、
フリンチは田島福音教会ですって教えられてから、具体的になってからすごく不安になったんですよ。
こんな私がどんだけ役に立つんやろう。
で、そのことをお世話になっていた北大阪教会の山本孝夫先生にちょっとお話しすると、
伊恵生さん、全く心配いらないですよ。
教会はね、精霊が働いているところなんです。
あなたが何かしようなんて思う必要なく全くないですよってお言っていただいて、
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ものすごく安心して使わされたんです。
で、全くその通りでした。
私が行く3瞬間前に半瞬間から若い女の子が一人参加するようになっていたんですね。
それ第1号です。
昔からおられた、中学生から来られた青年女性が一人いたんですね。
その人も女性なんですけど、二人でユータラスタートして、
あとは私よりもほぼ同年代か少し年配の方で占められていて、
30代でしょうかね、ご家族の方もおられたんですけども、
なんとですね、1年終わってから、
4月に加賀都教会の坪内先生の御長男が豊岡にある大学に入学して、
大学へ行かれて今年から来ますと言う。
で、その方が3人目です。
で、しばらくすると、その半瞬間から来られた女性のお友達が来られて、
アメリカ人のジョセフ・ウォルタースって言うんですけど、アメリカ人の方が来られて。
で、その1ヶ月後に、中学校の先生である男性が一人、突然礼拝に座っているんですよ。
どなたでしょうかって言ったら、こういうものですという話を聞いて。
で、3回ほど、コロナ禍だったら何の集会もできなかったです。
礼拝と一回しかできなかったんですが、
3回目、礼拝来られた後、ちょっと登っていただいてお話があって、
個人伝導すると信じますって信じられたんです。
そして、その期間が終わって、3月頃にその坪内さんの御長男がですね、
時々総天気とかに来られてですね、よくお話をするんですが、
来年後輩にプリシャの方が来られたらいいと思っているんですって言われたんです。
そうやね、じゃあお祈りしようかってお祈りしたんです。
それで明けた4月の半ばに、ピチピチの19歳の、その時18歳だったかもしれませんが、
女の子が突然座っているんですよ。
あの、あなたはどなたでしょうかって。
埼玉県で出身で、浦和福音寺教会で育った方が、その後輩で大学に入ってきたんですね。
で、これで4人目になるのかな。
そして、しばらく4月から交わりを始めて、ちょっとコロナ禍がだんだん下火になってきたし、
年配の方はちょっと心配だから一緒に食事はやめたんですけど、しなかったんですけども、
青年ならいいかと思って、青年だけお昼ご飯、残りいい手作って食べて帰ってもらうにしたら、
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交わりが深まっていってですね、どんどん話題が、本当にね、学生たちは学校で起こったら、
こんな時先生、進行的にどらしたらいいとか、いろんな話が飛び立ったんですね。
まあ、それが面白かったんですけども、そうしているうちに、土曜日に勉強しようかと話を聞いていたら、
なんかこう、楽しくは来ているけれども、聖書をちゃんと読んでいないということがわかった。
聖書を読むなあかんで、ということになって、楽しい聖書の学びというのを始めて、
その途中で、最後に来た女の子と二人きりの勉強会があったんですが、
ぽろっとその子が、私はできたら同じ年ぐらいの女の子同士の話がしたい、
そんな人が来てくれたらいいと思っているんです、という話をしたから、
そうしたらお祈りしようと言ってお祈りしたら、
次の日に、今年大学を出て保健会社に勤めて、しばらく大阪で研修を受けて、
豊川に赴任になった人が、祈った次の日に来るんですよ。
その週の火曜日に、小川さんから電話があって、電話をかけた時も、
いや田舎だからつながるかどうかも心配でした、と言いながら電話をかけてくれました。
ああ、いますよ。先生の教会に行こうと思うんですけど、
でもね、失礼ですけど、年配の方ばかりだと、
うちの娘が続くかどうか心配なんです、という話があったんです。
大丈夫です。うち今、業者がおるんです、と。
そこで来てくださるようになって。
次々と、私何にもしてないですよ。
最初の頃、トラックを配ったけど、その地域から誰も来ないんだけど、
何にもしてないところから、ポロリ、ポロリと人が、神様が集めてくださって、
ワイワイと今、賑やかに。
そして、7月に来られた中学校の先生が、この12月17日に宣礼を受けられました。
彼らね、帰らないんですよ、教会に来たら。
ある時から、中学校の先生が、大体、日曜日の交わりから始まったんですが、
夕方ぐらいには、まあまあ帰ってたんですけど、
先生、夕食作っていいですか、と言い出して。
いいよ、と言ったら、夕食を作り出して。
夕食を食べたら、帰りが7時、8時、9時、だんだん遅くなっていって、
最高ね、11時半までおりました。
先生、なんでそんなにおるの、と言ったら、居心地がいいんです、と言ってくださって。
でも、さすがにこれ、おりすぎやな、と、みんながそっちで話してくれたみたいで、
8時半頃には帰ることにしよう、ということになって。
そう言っても、9時から9時半になるんですけども、
そういう交わりが、日曜日もある、土曜日もある。
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木曜日に、埼玉県から来た女の子が、教会の前を通って、奥の家に家庭教師に行っていることが多かったので、
夕食を作ろうか、と言ったら、嬉しいです、と。
他の人にも言ったら、私たちも嬉しいです、と。
そんな作ろう、と言って。
作ったことが、私、料理、全部、カメラにかなり任せていましたから。
一回一回、インターネットで、おや、どんぶりって敷いて、
終わりにした、と。
いや、わからんけど、それを、理科実験みたいに、
醤油がもらって、手入れに分けて作った。
それだけで、おいしいです、やっぱりね。
それを喜んでくれて、普段そんなの作ってないみたいで、
壺さんの長男なんかは、食べなかったら、朝から何も食べてない。
それで平気だった。
身体に悪いやんか、と言って来てもらって、一緒に食べて、
おかげで、私も健康になっていたんですけども、
そういうような状態で、賑やかにやっています。
それだけでなくて、それまで家庭集会に、コロナのために辞めていたんですけど、
長いこと家庭集会を開かれていたご家庭があって、
そこに来られた二人の方が、
いろんなことで一人来られたり、こちらから出かけていったりはしたんですが、
個人連動をすると救われて、
一人の方は、和大マニュアル改革派の協会で選理を受けられて、
総学者として奉仕されています。
もう一人の方は、八日ルーテル福音教会に集われて、
このクリスマスに受禅することになりましたという報告を受けて、受禅されています。
次々と神様が美技を行って、
私はほぼ何にもしていなくて、
現れる現象に対して対処していくだけなんですけども、
本当に神様が大きな祝福を持って届いてくださっているということを思います。
この田島の受禅も10年ぶりだったみたいで、
本当に教会の皆さんも本当に喜んでくださってですね、
もう一つ10年代の教会を改修職科、新海道科というか、
10年以上かな、話し合っていたことが、
去年、とりあえず大震度、地震が起こっても箱は潰れないような工事ができて、
少し一部残っていますけど、全然手をつけないときもあるんですが、
新海道はきれいだって、それも一つ解決したということが、
区切りがついたということも本当に大きな恵みだったと思いますが、
何しろ神様が働いておられて、私がついていくのがいっぱいいっぱい、
どんどんことが行われていくんですよね。
それで本当にこんなものが、私の右足は骨という名前があるんですよ。
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左足はポンという名前があるんですね。
左からだいたい行進は始まるので、左から始めるとポン骨なんですけど、
こんなポン骨なものが、本当にそうなんですよ。
深く交わればわかりますけれども、私今、谷間福音教会の特に大件さんに
どれだけ迷惑をかけているかという、とんでもないポン骨なんですけれども、
そんなものを神様が用いてくださる。
神様の御手にいられることによって、神様が用いてくださる。
それは私一人に限ったことではない。皆さん一人一人ですよ。
神様はバラエティーに富んだお方だと言いますが、少し触れると、
私には私の用い方があるんですね。
皆さんには皆さんの用い方があって、そして神様は皆さんを用いたくて、
用いたくて、手薬をひいて待っているんですよ。
そのためには神様の御手に委ねないと用いられない。
完全に神様の御手に委ねると、自由に神様が使ってくださります。
もうやめて、という姿勢で神様が使ってくださります。
ぜひ、こんな年になってから使われていることに、
もう最後の最後でこんなに幸せな生活を送れているんだということを、
もうこれ以上何もいらないというような生活を送らせていただいていることを感謝しているのですが、
皆さんもぜひこれを味わっていただいて、
そして、天国へかかったときには、
よくやったと言われるお一人やお一人であってほしいなと願っております。
お祈りいたします。