WORKSHOP VOがお届けするPODCAST「WALKS(さ迷う)」。毎回、代表理事小山田和正が、誰かと散歩しながら収録しております。
少し時間が開いてしまいましたが、14回目は、去年8月、1回目(PODCAST「WALKS(さ迷う)No.1(板橋諒さんと散歩)」配信開始しました。)にも登場頂いた、青森県野辺地町の自遊木民族珈琲の板橋諒さんと、再び森の中を歩きながらおしゃべりしました。(70min : 2023.10.11収録)
気持ち良い秋晴れの森の中、この1年間の山の活動の広がりと、思考の深まりを散歩しながらたっぷり伺った70分です。1つ1つ掘り下げて聴きたいところも多かったのですが、それはまた次回、来年かな。今回も、とても心に残るお話になりました。ありがとうございました。
サマリー
板橋諒さんは、森の中での活動について語り、山を守る重要性や自然と共生する姿勢を強調します。特に、枯れた木が次の世代に栄養を分け与える生態系のループに注目し、哲学的視点から人間の生死の関係を考えます。このエピソードでは、ホモサピエンスの生存戦略としての群れの重要性やリーダーシップに関する洞察が語られています。また、異なる価値観を持つ人々が共に生活する意義や、タムロする場の必要性についての考えが示されています。地域共同体の重要性や自然との関係についても語り、特に山や土の役割、共同作業がもたらす幸福感について考察が展開されます。先祖の影響や自然との関わりに触れつつ、山での生活の重要性が強調され、木々の会話や相互作用についての科学的話題も取り上げられ、自然環境の保護と感謝の気持ちが説かれます。また、板橋諒さんとの散歩を通じて、直接伝えることの大切さや状況に応じた育成方法についての考察がなされます。
森での活動
はい、去年の8月以来ですね。
2回目の登場になります板橋諒さんと、
自由木民族光輝の板橋諒さんと、
森の中をまた歩いてみようと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
で、一個もうあの…
いきなり?
あの、一個また活動の名前を付けたんですよ。
山のやつを。
で、教え込んでるのが、
久野辺三族って久野辺でやってる方々から、
看板を分けしてもらって、
ここマカドっていう地区の名前なんですけど、
マカド三族って名前を付けてチェグメインしました。
で、林業までは全然僕たちは行く感じはしないんですよ。
一般的な山入ってるっていう略職だと。
じゃなくて、山守りって言葉を聞いたことあります?
山守りは、はい。
山を守る?
山守りですね。
そっちの活動の集団にしようと思ってまして、
で、どっちかっていうと、
林業というとどうしても木を切って出してお金に買えるとか、
どうしても経済的な地表って入ってくるんですけど、
僕たちはそこにあんま頼んない。
どっちかっていうと、
場所に来てもらっての、
なんか良かったらこう、
お伏せしてもらおうかなと思って。
なるほど、山を利用して。
プラスあれば、
うちのメインは紅葉樹の森になってるので、
去年も多分お話したかな。
この土にやっぱ養分がいろいろ乗っかるわけですよ。
で、雨水に伝って、
川に伝って、
電波塔だったり、下の集落に行って、
いずれは海に行く。
ここで良い養分をちゃんと作った森にして、
水をさらにまた乗っけて、
下で畑やってる方だったり、
畑やってる方に対して、
僕たちはギブしたいなっていう。
なるほど。
場所にはしたい。
なるほど。
どっちかっていうと、
それが多分昔の山守っていう人たちって、
もちろん木切ったりとかしますけど、
自然と共生する
どちらかというと、
ちゃんと山を、
このエリアを、
土を守るというか。
で、プラスアルファは思想哲学的な教えというか、
そこも多分になってたと思うんですよね。
そういうチームというか、
もうすでに10人くらいになっちゃってるんですけど。
そんなんですか。
この辺の人ですか。
半分はこの辺のマカドに住んでる先輩方だったり、
あと半分は町外の方。
そうですか。
元知り合いの人だったりとか、
弘前にもいますよ、一人目。
本当ですか。
で、作業とかはそんなそんな、
みんなが集まってっていうのはやってないですけど、
できれば日曜日だけみんな集まって、
まあ作業したり、
前の日土曜日とか天気が良ければ、
キャンプではなくて僕、野営って言葉を使いたいですね。
野営、さっきの。
野で営む。
なるほど。
ってのをやって、朝起きて、
じゃあ作業しましょうかっていう。
だいたい週1回できればいい方の山盛り集団ですよね。
なんか緩い感じの。
いつぐらいからあれですか、何となく形になってきて。
えっと、去年、あ、今年だ。
今年の2月に、
くのえさん族っていうその師匠チームの声掛けで、
東北でその山盛り目指してるチームが何チームかあるんですけど、
その集まりの中で結成しました。
どっちかというと目的自身、目的というか、
チームのコンセプトは、来月やるイベントとかもそうなんですけど、
やっぱ本図なしからありにするっていう。
それはキャッチフレーズみたいになってる。
だから僕もね、まだまだ自然の観察眼だったり、
まだまだですけど、
今年はとにかく本当に暇あれば山入って、
とにかく上がりたり採用したりしてるわけですけど、
やっぱこの今のシーズン、キノコめちゃくちゃ生えてるんですよ。
これも一個の良い森の指標ではあったりするわけで。
そうですか。
この下の中にやっぱ禁止って呼ばれてるのがすごく入ってるんですけどね。
先っちょですねキノコは。
この辺もうまく選別というか、できて、
飯くれたら最高だなと思って。
一般的な林業だとどうしてもね、
付加価値、市場の値段、レートがあったりするわけで、
僕たちはどっちかというとそのまま出すってよりも、
自分たちでまた命吹き込んでお金に変える時はするかもしれないですけど、
だから冬どうしても入れなくなるので、
冬の間に例えばこういうどうしても使わなそうなやつとかで
木工できたらいいよなと思ってて。
なるほど。
で例えば外、ここでご飯食べる時とかのお皿、
しっかりお酒飲む時の杯じゃないですけど、
山族メンバーには1人1個杯作ってもらおうかなと思って。
できそうですもんね、この大きさだと。
それもやっぱり1個人1人それぞれやっぱりセンスっていうか、
そういうのがやっぱり見え隠れすると思うんで。
この辺も本当は土に返すというやり方ももちろんあるんですけど、
薪とかも僕はもうこういうので全然十分ですね。
十分というかもちろん乾かす必要性はありますけど、
なんかこう立派な今生きてる木をバザーザー、
もちろん切る時は切りますけど、
手寄りだったらまずこの風で倒れるとか、
朽ちて倒れる人たちから優先的に冬の暖房として持っていきたいなというか。
これまとまってるのはこれ切ったやつじゃなくて、倒れたりしたやつですね。
倒れてるやつですね。
これでもやっぱ意味があったりするんですって。
例えば立ち枯れというか、枯れちゃってる木あるじゃないですか。
本来だったら葉分を吸うというか、土から。
下から上っていってる流れがあるらしいんですけど、
やっぱ枯れるとどうしてもすくい上げが弱まって、
逆にすくい上げる中に腐食菌というか、
朽ちさせる菌も入ってくるので、
逆にその朽ちさせた葉分が今度下に行くんですって。
どっちかというと次の世代のためにまた葉分を分け与えるというか、
そういう役目もやっぱあるらしいですよ。
ただ単に切っちゃうっていうのも、
時と場合とか状況を見ながらやらなきゃいけないと思うので。
ちょっと時間があるってことですね。
それもすごく大事なループの一部というか、
その辺も僕たちが知らないだけで、見えないだけで、
生と死の哲学
すごく次の世代のためにうまく分け与えている感覚もあるはずですよ。
なるほど。
枯れたんだけど、その後もまだ役目は続いているみたいな感じなんですね。
人でいうと哲学とか思想みたいなのが、
肉体なくなっても受け継がれるのと一緒で。
その辺は、死があるからこそ生が逆によく見えるというか、
死生のしくずだとよく師匠とかには言われますけど、山はね。
毎日生き死にはこの空間で起こっているはずなので、
それをどう捉えるかによってまた変わってくると思いますよ。
その辺もちょっと山族のメンバーで、一番最近に入った子が一人いるんですけど、
僕は直接認識があったわけではなくて、
山野もち主の先輩の会社の後輩みたいな子がいる人なんですけど、
人生は迷ってたらしいです、現状。
音楽活動とかもしてるような子だったんですけど、
僕たちのその山の話を聞いて、
なんて自分の人生を軽かったんだろうみたいな。
もうちょっと深さを出したくて、僕たちはもちろんまだまだですけど、
その期待感みたいなのは見えたんですって。
もちろんおいでおいでっていう形で加入したんですけど、
その子も昔自分で命閉じようかなっていうタイミングもあったりするっていう話もしてて、
そういう子たちを僕は救いたいよな、こういう場所に来て、
歩いたりとか一緒に作業して、
例えば、枯れた木も役目あるよとか。
全員も役目って人それぞれあるわけで、地球上で。
その一部じゃないですか、みんな。
生きてて意味ないな、自分とかって決めつけない方がいいよなと思ってて。
そういう子たちも、一番悲しいじゃないですか。
本当悲しいですよね。
例えば日本全国で今多分起こってる話ですけど、孤独しいみたいな若い子たちも。
例えばコロナ禍とかにおいて、
よく田舎から東京とか都市圏に行くわけじゃないですか。
夢希望ってみたいな。
でもやっぱりふと気づいたら、アパート暮らしとかが普通だと思うんですけど、
隣の人ってわかんないじゃないですか。
これも一個の多分シチュエーションですけど、もし本当に命の危機ぐらいの腹痛であったりとか、
例えば包丁で手切っちゃって血めっちゃ出てるみたいな時に、
すぐ救急車呼べる状況だったらいいですけど、呼べない時に助けて求められなくないですか。
お隣とか。で下手したらやっぱり命終わっちゃうみたいな。
さっきもちょっと話しましたけど、共同体としての役割って、
もちろん隣近所しかり、集落しかり、その辺がもう解体されてる世の中で、
本当に迷うとか、行き通り感じた時に、やっぱ急に自分で終えちゃおうかなっていう子は、
おそらくいるとは思いますよ。そういう子たちに対して、
僕は山来て、素の自分をさらけ出せるような空間だとは思うんですよ。
カモフラージュできないですから。生ミスからね。
かつ、やっぱこれも師匠の最近のトピックの一つなんですけど、
思考停止っていうキーワードがあって、
例えばですけど、10年後どうなってます?デスモテとか、
例えばですけど、10年後どういう街にしたいですか?とか、
よくある質問じゃないですか。
でも10年後本当に生きてるかどうかの保証って、
確率的にどうですか?みたいな。
多分明らかに明日死んでる確率の方が高いかもしれないじゃないですか。
車を運転してて、対向車が来てドーンっていう場合ももちろんありますし、
山にいるとやっぱいつ下手したら木が落ちてきて、バコーンって体に当たって、
人生終わりみたいな。
でもそれも今は生きないと意味がないですよね。
やりたいことしかり、やり残したことがないように毎日生きる。
10年後って意外と思考が止まっちゃってる。
明日、明後日のことをもっと考えようよとか、
下手したら僕も山一人で入ってますけど、
死ぬ可能性もあるので、その辺は思考は止めさせないようにというか、
もちろん10年後とかも見据えますけど、そのための今日、明日とか、
そのためにやっぱ死なないように、今日どうやって生きようかとか。
やっぱり自然の見方しかり、
サインはやっぱあるじゃないですか。震災の時も多分そうですけど、
津波来るぞって言って、やっぱみんな津波見に行って、
持ってかれちゃった人ももちろんいるわけできっと。
その辺はやっぱ五感で多分皆さん持っていると思うので、
それをやっぱスペックをなるべく広げるというか、
っていうのにいい場所だと思うんですよね。
耳ももちろん済ませなきゃいけないですし、
目でも見なきゃいけないですね、匂いとかももちろんそうですし、
あとこの先行って本当に大丈夫かっていう、よくわからない感覚も
もちろん持ち合わせなきゃいけないので。
なんかその辺は、山に入るとすごく、
なんか僕は病みつきになりますけどね。
ジェットコースターとかじゃないですけど、スリルを味わってるじゃないですけど。
ああ、そんな感じになりますか。
共同体の話しますか?
あ、ですね。
で、そのチーム組むことになったので、やっぱこう、
今まではどっちかって言ったら個人事業主というか、
あくまで僕個人の意思なり主張なりをやってこれたわけなんですけど、
やっぱチーム組むって言った時に、
もちろん部活とかそういう会社っていう団体の経験はありますけど、
この先の未来ってどうなるかわかんないのに、
やっぱ走っていかなきゃいけない、先頭走るというか。
その辺はどうしようかなっていろいろ参考にしてる人だったりとか話を聞いて、
1個はホモサピエンスの話になっちゃうんですけど、
ホモサピエンス?
これも山野師匠から1個言われたのが、
いいリーダーになるにはどうしたらいいですか?って1個リーダー質問したんですけど、
そのアンサーで返ってきたのが、ホモサピエンスの歴史わかる?って言われて。
ホモサピエンスとネアンデルタール人史かり、原人の人たちとの違いってわかる?って聞かれたことがあって。
ホモサピエンスの生存戦略
わかんないですって言ったんですけど。
おそらくこれも本あるんですよ、ホモサピエンス全史みたいな。
あるある、2冊のやつ。
僕見てないですけど、あれに書かれてる内容かもわかんないですけど、
原人系の人たちは筋骨売り入りとか、体も大きいし力もあるし、
1個体でこういうとこに行って、半島できて生き延びることができる人種。
でもホモサピエンスってご覧の通り僕、道具ないとここじゃ何もできないんですよ。
でと、やっぱ群れる中世がホモサピエンスにあって、
おそらく駆逐しちゃったっていう。
強い人に群れで戦う。
その群れる上でやっぱチーム組まないと目的は遂行できないじゃないですか。
で、いいリーダーってじゃあ何ができたかっていうと、
嘘つけたんだよねって。
で、それもネガティブな嘘をもちろん騙すとか、ほら吹くとかってなんですけど、
いい未来者がいるってことは、
うまくチームの人たちにこういうことをしたらこうなって、
うちらはこういう風になりたいよねっていう、
嘘をうまくつけるかどうか、よく考えたほうがいいよと言われてて。
そんなこう嘘をつくのに、
そうですよね。
ってなるとチームとして、
いい方向に行くのに今でももちろん悩んではいますけど、
でも明らかに僕たちはその子孫であることに変わっていくと思う。
そういう時期があるんですね。
そういう時期があるんで、
それぞれ役割分担っていうか、それが昔の、
いい共同体と言われている理想の形であると思うんですよね。
同じ人、同じ趣味思考の中で、
一緒に生きていくというか、
一緒に生きていくというか、
一緒に生きていくというか、
一緒に生きていくというか、
同じ人、同じ趣味思考の人だけじゃなくて、
全く違う価値観のいる人も、実はチームの一部である。
っていうのは、今の社会で一番もしかしたら、
結成するのに難しい話かもしれないですよ。
例えば、昔オーガニックマーケットやるとかって言って、
オーガニックのお母さんだったり呼ぶわけですけど、
お客さんもどっちかって言って、興味関心ある人が来るじゃないですか。
そこから僕は抜け出したいなって最近思ってて。
違う人が来てこそやっぱ、
さっきの正としじゃないですけど、反対側があるから反対側がよく見えるというか。
異なる価値観との共生
そういう場所とか空間をまた作りたいなと思ってて。
なのでそれで言うと、僕たちのマカド3族っていう、
もう一個の軸になるのが、あくまで反軸。
っていうのも一個ワードにしようと思ってて。
昔も僕、自給自足目指してましたけど、
やっぱ一人で生きるってめちゃくちゃ大変ですよ。
でもやっぱ住人とかいて、
自分はこれできるからこれやる。
それが全く別なことができる人がいた方が、
やっぱ幅は広がるはずじゃないですか。
あと圧倒的にたぶん楽しくなるんですよ。
反自給っていうのはすごく最近僕の中では、
ヒットというか、
山だったらそれしかたぶんできないような気もしてて。
面白い。
反自給というか、できることはやる。
けどあくまで独立して、
ちゃんと一人がちゃんと生きれるっていうのが大前提ですけどね。
誰かに音符に抱っこっちゃなくて、
これはこうだって。
けどその軸がなんか一個あるから、
みんな一緒にやってるみたいな。
っていうのがやっぱこう、
今の現代社会においてすごく大事なシステムというか、
たぶん昔はそうであったとは思いますけど、
例えば一方の拠り所が神社とかお寺さんであったり、
からなんか違うことやってるけど、
その集落としての結束感は絶対あるような気もするので。
なんか手始めに山は入ってみましたけど、
そういうことも徐々に見えてくるのであって。
だってそれは森がそうさせてるかもしれない。
樹種なんてもう何百種類あるわけですよね。
でも同じ土の上に立ってて生きてる。
なるほど。
いつかポロって枯れたり落ちたりして土に帰るんですけど、
その養分はやっぱみんなの養分ですからみたいな。
なるほどね。
っていうのもなんかこの空間でこう、
例えばですけどやっぱ美しさもそれ人それぞれですけど、
やっぱ見られてた方が意外と美しさは日本人に感じるはずなんですよね。
例えばもう一個あっちのエリアとかこっちに杉が、杉しか植えてないエリアがあるんですけど、
そこよりだったら多分絶対こっちの方が美しさはみんな感じるはずなんですよ。
それでこそ今でこそSDGsとかで個性個性っていう時代になりますけど、
元からあったんですよ。
違う種類とか違う人たちが一生懸命一つになって生きてるのがすごい美しさというか。
っていうのは僕はやっぱ山が教えてくれたことの一つではあると思いますけどね。
っていういろんなことを共同体で喋ったりするのが夜営。
夜営ね、一週間に一回の。
でやっぱご飯食べてとか娯楽的なものもない状態で、
ただ一個焚き火焼きはしてるみたいな。
の中でやっぱ喋るってやっぱ腹の底から湧き上がる感情は多分許せるんですよね。
なんかその都会のバーとかで話すのとまたちょっと違う感覚に陥ると思うんですけど。
なんかそのね、一日だけでも新職こういうワイルドで共にするってなかなか今できそうじゃないですか。
もちろんキャンプ場でできるところもあるんですけど、
あえて僕たちは何も設備とかを揃えないまま身一つで過ごすっていう。
なるほどね。
っていうとやっぱその明日本当に死ぬかもしれないって言ったら、なんか喋りたいことを喋った方がいいようになるはずじゃないですか。
なるほどね。
でこれも昨日かなと思ったのが、やっぱ声に出すって結構一つの技術テクニックではもちろんあるんですよ。
コミュニケーション高い人とそうでない人ってわかると思うんですけど。
でもその声に出すっていうのは、
やっぱり声に出すって結構 一つの
技術テクニックではもちろんあるんですよ コミュニケーション高い人とそうでない人って分かれると思うんですけど
でも別にそのテクニックは後から多分ついてくる話で とにかく喋る
あーその気持ちを?今の気持ちを?それちょっと聞きたいですね
っていうのも、これもサッカーの話ですけど
やっぱ あるチームのセレクションみたいなのの場で先行基準にしているのが
もちろん止めて蹴るとかの技術も 評価の一部に入るんですけど
一個入るのが声をちゃんと出しているかどうか もう先行の一つにしますっていうのがあって
その声っていうのは? 例えばあの
例えばここもそうですし日々状況って変わっているじゃないですか 風向きもそうだし日の方向きもそうだし
ただやっぱ 分かる人とそうでない人の情報処理能力じゃないですけど
例えば お前さん危ない!っていうのも一つの声出しじゃないですか
それを言えるか言えないかって結構差が分かれるじゃないですか
それも普段から全く知らない人に対して危ないって言えるかどうかって
今の日本人ってどうするかって話で
なんかほら本当にその気が倒れそうになっているのに 出したらやっぱ
って見るだけの人も多分いるじゃないですか でも普段からやっぱ声出すとか
コミュニケーション誰とでも取れるみたいな状況にしておかないと すぐ言いっかけちゃうじゃないですか
なるほどねー
だから常に別にずっと喋れってわけじゃなくて 必要な時にちゃんと自分の位置表示しっかり
全く知らない人に対しての声かけみたいなのも 一個本当に大事になってくると思うので
その辺もなんかいいトレーニングになる気がしますけどね 初歩的なのはやっぱ焚き火しながら
自分の思いとかを喋るとか
っていうのはやっぱりやりたいですけどね
声を出す とにかく声を出す ただ聞き手に回らず
とりあえずなんか喋るみたいな場を作りたい
それがワイルドの今やろうとしていることですけど 多分これも昔の今は三沢で商店街の方の
曲もやってるわけなんですけど 昔の高円寺かどっかの
バブル昭和の時の カシャって撮った写真の話ってしましたっけ
でそれが時を経って今2020何年とかで同じ場所でカシャって撮った2枚の写真 あるんですって
でも決定的に差が 全然違うともちろん時代も変わってるんで
昔はやっぱその辺にタムロしてる人たちがいたわけですよね 原石とかでこうやって
でも今どっちかというとみんなこうじゃないですかとか タムロしてたらなんかちょっと避けるみたいな感覚って多分あるじゃないですか
でもタムロしてることってやっぱすごく共同体としてやっぱ 良いことが生まれてたっていう話もあって
だいたいタムロしてるのはおっちゃんとかじゃないですか 昼間から酒飲むとか
例えば若いのは気をつけろよみたいな っていうのってさっきの声出しと一緒で
なんか本当にその危ない時にちゃんと 今同じエリアにいる人たちを守れるかどうかっていう防衛本能もありますし
常日頃からその他人と接するみたいな機会にもなるわけじゃないですか っていうのが昔のタムロすれば
あそこ行ったらなんか友達できるよとか 昔のクラブとかライブハウスしかないですけど
とりあえずタムロってる人はいたじゃないですか 今どっちかというとやっぱみんなもう
それぞれでね こっちのスマートフォンとかで繋がるみたいな感覚に変わっちゃってて
でもリアルで本当に助けられる場面もあると思いますけど こっちの能力多分失ってませんって
おそらく
とりあえずそのタムロするっていう場もしたいなと思ってて とりあえずうちらがここにタムロしてたら本当に困った人がここに来て話して
なんか問題解決一つ二つできたらいいよねって思ってて それは商店街の企画もそうで
今は月一回のペースですけどなんかタムロしててもし迷っている人とかがいたら なんかこう一つ二つ話しできるようなマーケットにしたい
だから僕の人生で今どっちもですけどタムロする場を作っていることに変わりはなくて
それがこういうワイルドな野生の場所なのか 今は廃れちゃってる商店街の違いはありますけどどっちもやっぱタムロしなきゃ
なんかいけないような気もしてて そういうところで繋がってるんですね
ただその2つ空間は違うんですけど 1個やっぱ山登りとかの話で
山登りで例えばね下から上に登っている最中 上から下ってくる人たちいるじゃないですか
こんにちはって挨拶するんですよ それしてるのに
街中でこんにちはってしないんですよね その違いって何っていう話もまた1個あって
1個それ正しいかどうかは置いといていいですけど やっぱその山道
だと相談者しかないですけど その創作にも役立つっていう
こういう人いませんでした? 30分前にっていうので確率上げれるっていうのとその背景にあるのは
やっぱ生身でその自然の中に入ってる リスク管理を本能的に人間はしちゃう
一人で例えば落石とかあってどうしようも動かせないって時に あの人さっきすれ違った人と呼んでくるべみたいなこともできるわけじゃないですか
こんにちはって言って 顔合わせだとかしてちょっと覚えてるみたいな
それがやっぱ途端に これも本当かどうかはわからないですけど渋谷のスクランブル交差点で
救急車が通った時の話で すごい人数があそこ渡るじゃないですか
救急車来ても避けないんですって 今の東京みたいな
どういうことじゃないですか 人の命と自分の用事
天秤にかけてやっぱ自分の用事みたいな っていうのはあんまよろしくないような気もしますけどね
常日頃からこう話す 趣味思考が合う人同士で話すっていうのはもちろん大事ですけど
違う人と話すことにやっぱ意義があるような気もしてて こっちでやっぱなかなかもうないじゃないですか
タムロする場の意義
唯一許されてたのが地祭りとか そういうちゃんとした
無礼講の祭り あくまで観光チックな方に移行している祭りもありますけど
地祭りはやっぱそういう無礼講みたいなのも 一種役割としてたぶん果たしてたはずで
それもなんかわからないです 山やってて
店やりつつですけど たまに近くに住んでる人とか おっちゃんとかが来て
今山でこういうことやってて高校でとかって話すと やっぱ話聞いてくれるんですよね
今までだとなんかねコーヒー出して ああそうですか ぐらいで会話が終わるんですけど
そういう人たちと話しててやっぱ 僕もこの集落ね 高齢者の方増えてますし若い子はどんどん外出ていくしみたいな
いつかは限界を迎えるはずなんですけど 一個せめて生きてるうちに
やっぱ寺能祭りってほぼもうなくなっちゃってるんですよね
神社もあるんですよ ほとんどあんま皆さん行かない感じの神社ですけど
熊野神社でもちろん山岳信仰の神社があって そこの神社からできればですよ
この間聞いたみこしあるって言ってましたけど このマカドの土で育った木で
一人山族メンバーに大工いるんで 一緒にちょっとみこし作って
山族メンバーで山から降りてって神社まで奉納して その先ウイッペリに
領主町なんで元々 ウイッペリに公民館とか広場があるので
そこで盆踊りでもしたいなって思って
うわーなんかすごいグッときますね 泣けますねそれ すげー
それできたらまた 僕たちのアイデンティティみたいなのが
一個あるような気もしてて そこまでいけたら最高ですよなとは思ってますよ
いやーそれ最高ですね
でもよく浮かめたらその人はそれやってきたわけじゃないですか
この日だけ騒ぐべえとか もちろん礼儀とか忘れるべからずの
やっといた上での騒ぐべえみたいな
ていうとほら あんたドコドコさんドコの息子だよなっていう
その間接的な認知にももちろんつながってる話なので
なんかあったら多分手伝ったりとか こっちで昔の言葉で言うと
唯一行って言葉が残ってるんですけど
まああのよくある話ですよ
小山さん今年稲刈りどんだとかって
俺のとこ手伝ってくれたら次手伝って
みたいな あれがこっちで唯一行
ていうとめちゃめちゃ助かるじゃないですか 一人でやるみたいなことじゃなくて
みんなでその大変な時期は乗り越えるみたいな
ていうのがやっぱ一つの目指すべき共同体であるような
山と自然の役割
ていうのをやりたいんですよね
すごい抽象的かもしれないですけど
声かけられただけでもなんとなく力強いですもんね
心強いというか
ここからちょっと手入れしちゃいないエリアで
あとちょっとだけ道をつければいけそうな雰囲気のここなんですけど
これも2週間前とかの話で
僕以外の三族メンバーで師匠のとこに学びに行くっていう2週間あったんですよ
その時の一応この途中の持ち主が俗称って名前を付けて呼んでるんですけど
その俗称の話でその師匠の家に行ったら
師匠のお父さんも岩手の山で勲章をもらっているような人なんですけど
お家の象状じゃないですけど書かれてるやつあるじゃないですか
そこに書いてたやつを今だにじっと思い出しちゃうって話があって
そこに書かれてたのは山作りは人作りっていう
まさしく僕は本当にそれはそう思いますよ
山作りは人作りか
だからもう本当に哲学になっちゃうと思いますよ
これでだいたい標高ちょっと高いところに入るんですけど
やっぱ昔使ってた道の跡というか
それに僕は今沿って歩いて
いつかはここをちゃんと軽トライってだいぶん通せるようにしようかなと思ってて
これがもう境界ですね
あっちがやっぱ実行的に植樹したエリアに入るんですけど
すぐわかりますね
やっぱ昔の人は多少わかってますよ
ここに植えた意味
陰樹と陽樹ってやっぱ分かれるんですって
陰樹と陽樹
太陽の陽と陰の陰
陽樹って言われた人たちは例えばこの紅葉樹の木たち
対して杉日の木とか新葉樹系は陰樹
これもめちゃくちゃ倫理化になってるんですけど
やっぱ紅葉樹って落葉するわけじゃないですか
今落ちてきてる葉っぱたちが分解されて
それを食べる微生物がまたうんちして養分になるじゃないですか
それが雨水に伝ってないし地下水脈に沿って
やっぱ水は高いところから下に行くっていうと
まず最初にキャッチするのは杉で大きくなる
っていうのがやっぱ昔の人は分かってた話なんですけど
それがどっから飛んでここのトップまで杉にしちゃうみたいな
っていうとやっぱ自然の理というか理というか
それに沿って昔の人はやってた
でこれももちろんいたしかとなくっていうか
戦争後やっぱ木材って大量に必要になるじゃないですか
家建てるとか
で3、40年あればやっぱ部材を取れるわけですよね
あと加工めちゃくちゃしやすいです
まっすぐなんで
っていう使い方は多分されてきてるはずなので
ここに関してはやっぱ放置されてるので
土と人のつながり
利用するから
早く栽培育ってほしいから下の方に植えるってことですね
それもやっぱ言われないとわかんないですよねっていう話で
これの理屈分かればたぶん畑の人たちの転用できる話だと僕は思って
やっぱ養分ってその畑だけで生まれてるわけじゃなくて
そこでしか生まれてないって思う人ももちろんいるとは思うんですけど
そこからやっぱ化学肥料とか入れちゃう話ですけど
やっぱ山がめちゃくちゃいい山だったら
その麓にある畑とかって多分養分いっぱい乗っかって
肥料なくても育ってた時代はあったはずなんですよ
だからすごい分断意識というか
なんかその辺もこう
一個概念としては何か取っ払いたいよなと思ってて
そうですね、確かに
それで言うとなんとなくですけどちょっと気持ちよくなるじゃないですか
歩いてるだけでも
山族メンバーも日曜日作業するわけで
大体やっぱ皆さん会社勤めのしてる方がほとんどなんですけど
今までその日曜日の夕方が一番憂鬱っていう
また仕事行くのがめんどくさいみたいな
なんですけど山入ってから月曜日もまた楽しく行けるみたいな
っていうのも山で一緒に作業したとか
話した内容をまた喋りたくなるんですって
それも一種の脳内麻薬出てるらしくて
こういう空間だと
これも何だっけ
AWE体験って書いて
AWE体験って脳の幸せ物質が出るみたいな
心理浴とかもまさしくそうじゃないですか
それはやっぱ出るらしいですよ、この空間だと
りょうくん、さっきの音の話も聞きたいですね
石首の声
禅寺の人の一つの禅門道の話ですけど
両手叩いてみてください
両手叩いて?
で音は鳴るじゃないですか
じゃあ片っぽだけで
できますか
片っぽの音ってどうですかって言われたらなんて答えますか
困りますね
片っぽの音でしょ
これも禅門道でちゃんとした答えはあるらしいですけど
それはやっぱり修行した方にしか教えてないみたいな話もあるんですけど
僕の師匠の一個の解釈は
大山さんは手を出してください
僕の手と大山さんの手を合わせたら音が出る
ということはやっぱり両手って言われると
自分の体だけが擦り込みとして入っちゃうんですけど
誰かの手を借りるっていうことも
音は出せるっていうその条件には満たす話になっていて
山とか畑とかもそうですけど
やっぱ自然の声というか自然の理屈とかシステムを
うまく聞き取れるか聞き取れないか
それにうまくうちら人間という存在が合わさったら
おそらくめちゃくちゃいいものが生まれるだったり
もっと良く残せるみたいな感覚になるっていうのが
一つの全問答としてのヒントみたいなので
話された内容なんですけど
さっきの共同体の話とかともつながってきそうですよね
なので別に命令とかそういう話じゃなくて
山族メンバーもそうですけど
どういう心境で今日山来てるとか
あとやっぱ山の調子どうですかみたいなのも聞いた上で
じゃあこういうことしましょうか
合わさるとおそらくさっき言った幸せ分泌みたいなのが
双方出てくれたら僕はすごい嬉しいなと思ってて
っていうとまた素晴らしく空気感も多分良くなるし
いろんな人がまた足を運んでくれるみたいな
場所になると思うので
それをなるべく僕たちは
今今日喋ってる内容自体はもしかしたら
失われつつある話で
この辺の街中とかで聞くような内容じゃないじゃないですか
でもおそらく田舎だったらそういう話を
ちゃんと紡いでた世代はいるわけできっとおそらく
それをまたちょっと下の世代の子たちに
僕は伝えたいなと思ってて
そのために町に降りていく必要があると思ってて
もちろんこっちの田舎で住んでて悩んでる人たちもいるとは思いますけど
おそらく町で生きてる人たちの方が
確率的と比率的に言うと多いような気もするので
だったらやっぱ自然長に一回見おいてみなっていうのは
この山通じてやりたいことであって
すっきりしたら多分町で何かアクションを起こせるとは思うんですよね
その町と山との行き来できるような場所にもしたくて
そのために商店街の企画だったりとかやってるんですよね
あとその副産物で例えば商品が
ちゃんと地のものが町に並ぶ核町に
っていうだけでやっぱちょっとしたグローバリズムと相反する
昔のローカリズムじゃないですけど
昔の人たちがやってた言い方に戻れるんじゃないかという
それもなんかどっちも
町と田舎の人たちどっちも多分負に落ちる話なんですけど
YMOの坂本隆一さんの昔のインタビューで
多分90年代とかのインタビューですよ
ニューヨークとか行きしたときのインタビューで
坂本さんにとって日本って何ですかって
マイクを向けられた時の動画をたまたま見たんですけど
さああの坂本さんが何て答えたと思いますか
いやー
じゃあ坂本さん日本って何だと思いますかって
急に質問されることってなかなかないと思いますけど
何て答えます?僕は坂本さんの答え
いやーそれ以外多分ないよなって思うようなやっぱ
メインアンサー
人?
人
人?やっぱりね
正解は1,2分坂本さん考えて出したのが
日本は大地ですね
おーなるほどね
だから人はもちろん日本という族日本人とか
カテゴライズされますけど
日本人ってどっから来てるかって言ったら
やっぱね生死乱死の端まで戻ると
やっぱちっちゃいのがここまで大きくなっちゃってるじゃないですか
その大きくなった要因って
やっぱゴショガワラの米食べたとか野菜食べたとか
僕だったらヘジの米
自社作ってくれた米で大きくなったとか
だからもう辻から大きくなったっすよね
木もそうですし
さっきの水の話に戻りますと
やっぱ魚とかも養分がいいとこに集まるじゃないですか
やっぱ山ちゃんと整理したとこに魚って集まるんですよねっていう
っていうとほぼ母体は土だよなっていう感覚にもあって
土が違えばちょっと変わるじゃないですか
そっから祭りごとしっかり文化風習も変わってくるのであって
その引いてみるとやっぱ日本来自された要因としては
やっぱこの土ですよね
土知れば知るほどやっぱり
それぞれの集落地域性の違いが多分よく出るはずなので
若い子たちにとにかくこの土踏みしめてもらいたいとか
なんかそういうこともなんかこう
さすが世界に行ってる人だなっていう
感じたわけですね
でもそれなかなかやっぱ言えないですよ
やっぱちょっと惚れちゃいましたもん
全く同じ話をヨロタケスさんもしてて
昔の人は土から生まれて土に帰るっていう
その意識って多分あるじゃないですか
なんとなくですけど僕も例えば肉体の死を迎えるとして
もちろん一般的な火葬とかする話になっちゃうと思いますけど
個人的な願いだったら山に遺骨巻いてくれとかっていう気持ちはやっぱ分かりますよ
帰りたいっていうなんとなくの分からない感情の意識じゃないですけど
ってなるとやっぱどこに立ってんのってみんな
いやそうっすね
その土から生まれて大きくなって
プラスアルファなんか最近やっぱ血って吐かないないなって思って
え?
血
血?
その大きくなって僕のその肉体の中でやっぱ一生懸命動いてるのは血じゃないですか
それもなんかこう土からもちろんできてる一種の要素で
でもそれってやっぱうちの親から分け与えてもらってるじゃないですか
先祖と自然の繋がり
っていうとやっぱその先祖があっての僕がいるようなっていう感覚にもなるし
もし分かんないですよなんかおじいちゃんとかがやり残したことがあるんだったら
遺伝子的に多分僕にも刷り込まれてるはずなんですよね
この血とまあ骨がどっかに骨を埋めるってなんかそういうことかなと思ってて
でうちのじいちゃんも実はなんか山の方もやってたしかり
もう一個のお袋型の方もやっぱ船乗りもやってた時代もあったらしいですけど
基本やっぱ山入って例えば暖房の薪を取りに行ったりとか
やってることはやっぱ変わんないんですよねってよく思うんですよ
なるほどな
だからその血と骨のことを分かるにはやっぱ先祖が辿ったルートを一回辿ってみるとか
したらよく多分自分の立ち位置って見えるような気もするんですよね
もちろん例外的な人もいますけど
やっぱここもですけどやっぱ権利をちゃんと守ってくれた先祖がいるから
僕たちまたこういう新しいことを新しいってわけじゃないですけど
そういうこともできるような気もするので
ちゃんと手を合わせるってそういうことだよなって先祖
数回じゃないですけどやっとなんか意味わかりました
墓参りとか本当にありがとうございますとか
それは山に入るようになってからだんだん実感として出てきたってことですか
うちも例えばですけどおばあちゃんの空き家に住んでるわけですけど
そうですよね
そこまでやっぱ今みたいな気持ちはそんなないですよ
むしろ空いてるからラッキーみたいな感覚でしたけど
山入ってやっぱその
だってここもですけど60年放置されてるんですけど
その60年間やっぱ誰かに売られるってこともあったでしょうし
その権利だけ持ってたって人が近くにいたおかげで今ここまでなってるので
それも一種の先祖的な過去はあってるわけじゃないですか
それで誰かをもしかしたら救えるかもしれないみたいなことだったら
未来への責任
ちょっとやんなきゃいけないよな
お金とかじゃなくて
誰かのために何かするみたいな
それ言われてるような気になるって感じですかね
それもそうですよ
だって今僕たちが山で作業して
例えばいい土壌とか作れるかどうかは本当にこれからにかかってるんですけど
やった結果って多分50年後60年後に出るわけで
そのために意地張ってやってるんですよね
ってなると結局孫以下の世代の子たちのために
今一生懸命命も燃やさなきゃいけないみたいな
ってなるとやっぱじいちゃんたちそうしてくれてたのかなとか
になっちゃうんですよね
だから本当に去年の8月やり始めの時と
今起こってる現象というか
僕の気持ちの問題もあるんですけど
未来のために今何かしなきゃいけないみたいな
自分の利益とかそっちよりも
とにかく誰かのために
誰かのためにの誰かは今分かんないわけですよね
そのためだったらすごい頑張れるみたいな
それも一個科学的な話もあって
今例えば尾山さんが悩んでたとして
僕が何か解決策出して尾山さんがすっきりしたっていうのも
もちろん嬉しいわけですけど
全く知らない他人の幸せを感じるのが一番幸せらしいですね
でもなんとなくそれは分かりますね
分かる分かる
自分の作った野菜とかでもいいんですけど
それが全く知らない人がめちゃくちゃ美味しかったって言ってる
の方が実はすごい喜び感じるみたいな
それがもう本能的に
それが本能的な話だと僕は思うんですけど
子孫のために先人がどこまでやれるかみたいな
りおくんの子孫っていうのはもっと
血とかじゃなくて広がりのある祖先でしょ
それが別にもちろん
日本的にとかそれを超えても嬉しいですけど
最終的には集落とかその辺のことで
完結できるような残し方したいなと思って
そうじゃないと本当に日本自体が
全部世界と一緒になっちゃう気がしてて
僕たちは普段見慣れてる森とか木の生え方かもしれないですけど
やっぱり異国の人が来たら
ワオとかっていう話になっちゃうじゃないですか
それがやっぱり日本っていう
日本よかったよって言葉に変換されるのを
日本のどことこよかったよみたいな
っていうとこまで差別化じゃないですけど
って言ったら恐ろしく日本めちゃくちゃ楽しめる国になると思うんですよ
このマカド地区がよかったよみたいな感じで
すごい情報をもてに出すわけじゃなく
人伝えじゃないとたどり着けないような
昔のたぶん
アメリカのアメリカのアメリカのアメリカのアメリカの
アメリカのアメリカのアメリカのアメリカのアメリカのアメリカの
昔のたぶんそんな観光地化するような場所でももちろんないと思いますし
たどり着けたらめちゃくちゃよかったっていう場所には
ここなり得るような気もしてて
なんかちょうどいいですよ
僕たちも今
たぶん住み始めてもうちょっとで10年経つのかな
そうなりますか
僕はたぶん戻ってきて10年経つような気もするので
もちろんなんかいろんな地域でここいいな住みたいなとは思いますけど
もうなんかここの心地よさってのをすごい感じちゃってる自分もいるので
だからなんか外出なくなりましたよ
暇あればやっぱここ来て
なんかめちゃくちゃ美しいじゃないですか
すごい美しいですよね
家から車で5分もかからず来れるんだったらもう僕はここでいいかなっていう
なんか土着的な感覚ですけど
気持ちいいっすもんね
たまになんか無性にやっぱ今日めちゃくちゃいい絶対いいもの見れるのに来れないっていう時に
地段打踏んじゃうみたいな時はありますけど
行ければなるべくここで
自分たちで切った木でもいいですし
最初そこまで行かないなったら小屋作って
そこでコーヒー入れたいなと思って
いいですね
そんな大人数ってわけじゃなくて予約制とかにして
1セッション4,5人とかでゆっくりしててくださいっていう
すごい贅沢ですね
よかったら散歩でも行けますかとか言って
こういう話をしたりとか
お金みたいな部分で僕がちょっと生き延びれたら嬉しいなと思って
もちろんただコーヒー入れてサービスするのもいいんですけど
今はもうこっちで入れたいなというか
この空間になんか来てほしいというか
なんか誘いたいですよねこっちの
ここにこういう空間に入れるとやっぱ
何かわかんないですけど
ひらめいたりとか
人を悟すとかに対して何か助言できるような心持ちはなれると思いますよ
これもなんか理不尽さの話しますけど
街で生きてての人の理不尽さってまあよくあるわけじゃないですか
歩いてて肩ぶつかって言ってあげるみたいな
目離しさんはそっちなのにめっちゃブライフみたいな理不尽さももちろんあるわけですけど
やっぱ自然の理不尽さには敵わないですよねということはよく思ってて
あと大雨しかありすけど
今年はこの暑さとかでお亡くなりになる人とかももちろんいるわけで
だからこそ感謝しなきゃいけないじゃないですか
神様というものに対してはとか
自然に対する姿勢みたいなのも
僕は試されてるような気もしますけどね
ちゃんと礼儀を持って接したらその理不尽さは発動しないとは思いますけど
なんかこう急に開発しちゃうとか
僕はなんかやっぱ普段からこういうとこにいるとその気持ちは薄れると思ってて
大規模な開発とかもちろん
大沢秀夫の開発しようという気持ちは
木々のコミュニケーション
するんだったらやっぱその
ここはこういう状況になってるんで
ここだったらちっちゃい風力は全然オッケーですとか
ちゃんと観察した上で
じゃないとやっぱね下に住んでる人たちがもっと悪い食いますよみたいなことになっちゃうと思うんで
11月のワークショップはこれをやるっていうワークショップなんですよ
この今木積んでるんですけど
これボサっていう言われてるやつなんですけど
でこれでフライヤーとかに色々意味付け書いてますけど
養分をどう与えるか
与えますけど斜面こうなってるじゃないですか
で雨水ってもちろん100%流れるわけじゃないんですけど
降った雨の3割4割は地表でこう流れていくんですよ
これに直でラインでいってもいいんですけど
例えば右の水ならと
こっちの板や楓に大きくしたいとか
あんまり大きくなったらここで分岐水をしてあげる
で例えばですけど根で吸収するわけじゃないですか
僕らが口でしか食べ物吸収できないのと一緒で
でおそらくこの1本の幹に対して
こうねじれてる子とかももちろん紅葉樹いるわけじゃないですか
それをすごい風が吹いても倒れないように
ホールドするとしたら
やっぱ根もこの逆さになってるはずなんですよ
このバランス取るのに
そうっすよね
っていったらその盲採結果の先でやっぱ養分吸収するわけで
おそらく逆さだとして
こっちのとこまで来てるはずなんですよ
養分吸収する先が
でここで止めてここでキャッチしてくれたら
めちゃくちゃ大きくなるみたいな
でこれももちろんそのいつか
この白い
この白い筋っていうのが菌糸なわけで
この白いやつ
これで分解してるっすよね
それが菌糸
でこれに乗って
この白いやつを
分解してるっすよね
それが菌糸
でこれに乗っかって養分が
この菌糸と
この土の中にこうマンといるわけですけど
それがやっぱ情報伝達しっかりしてるわけで
この楓の木と
こっちの水菜の木の根っこで繋がってる菌糸を介して
情報のやり取りが
すごいっすね
だから木は会話してるらしいですよ
で
カナダとかの人が論文出してるんですけど
木は会話してる
で残念っていう話なんですけど
さっき言った杉とか日の木の針葉樹系は
自分の子供としか会話してないっていう
でも紅葉樹はもう
みんな
他人と?
他人と
逆に太い木がバーンと折れたとしても
次
その下で眠ってる種たちが
種たちに
お前たちの番だ
みたいなことで
逆に養分枠を与えるとかっていうのも
やっぱあるらしいですよ
すごいっすね
だからすごいっすよね
役割分担というか
で例えばですけど
その菌糸介して
全植物ではないと思いますけど
ピシッてあるじゃないですか
っていったら
こっちもやっぱ
菌張るんですって
すごい
あとなんだっけ
これNHKの番組でやってたんですけど
点滴の虫とかいるじゃないですか
例えばこの
イヌガヤって葉っぱなんですけど
仮にこれを食べる虫がいっぱい来たとしたら
その食べてる虫を
逆に捕食する虫を
呼び寄せるフェロモンを出すんですって
助けてーって
っていうのもやっぱ
徐々に分かってきてるらしいですよ
それはやっぱ人間には
感知できないですけど
感知できないんですけど
やっぱ五感で
感じ取るしか
できないですよね
だから五感開く重要性って
なるほどな
だからなんか面白いんですよ
面白いというか
答えがどうかは本当に分かんないですけど
でもなんとなくこう
感じるしかなくて
その感じたのにまた
僕たちの人間のリズムとかを
合わせなきゃいけないので
どうやってこうしていくかっていう
ことですね
だからこれはばっかりやっぱ
日数重ねないと多分
分かんないので
できれば毎日いてみたいですけどね
いやー
やっぱり
だからなんか
本当に一生かけても分かんない
分かんない世界だと思うんですけどね
絶対その
山一つにとっても
一つの斜面にとっても
多分全然違うんですから
日本各地っていうか
いやー
でもこういうのはやっぱ
残すというか
やっぱ教科書は作れない世界
直接伝えることの重要性
やっぱ教科書は作れないですよ
こういう世界の話で
そうですか
苦伝?
苦伝というか
やっぱこう直接伝えるしか
伝わんないと思いますよ
へー
このほうの木は
こう育てるべしとかって
だってここの木と
後ろのほうの木と
50メートル奥のほうの木って
多分全然状況違うじゃないですか
あー
だからもう口伝えしか多分
伝わんないですよ
だってここに来ないと
なるほどね
もちろんアベレージは出せると思いますよ
平均的な
でもアベレージってだって
マックスと最初いる話ですから
そうですよね
それがヒットする確率は
アベレージが高いですけど
どっちかというとやっぱチューニング合わせる
能力身につけたほうが
僕は大事かなと思って
なるほど
そうですよね
それを受けた人がまた
自分で考えてやっていくしかないってことですね
うん
だからとにかく
考える前に感じなきゃっていう
あー感じるね
いやー今日泊まりたいなー
見てください
気持ちいいですもんね今日ね
りょうくんありがとうございました
こちらこそ
もうすごい長い時間
とてもまた今日もいい話で
これで何分撮ってます?
多分1時間以上かな
01:10:02
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