双名義彦さんっていう巨大なリース、森の掃除をしながら巨大なリースを作ってるおじいさんがいるんだけど、
そのおじいさんのお手伝いをするっていう旅で、
エメラルドの原石だけを扱ってるジュエリー作家の川添ほのかさんっていう人がいるんだけど、
もうその方と双名さんがまぶたちで、
そうそう、2人でお手伝いをしに行くみたいな感じだったんだけど、
森に入ってさ、鶴を取り、
もうハイエースいっぱいになるほど鶴を取り、
楽しそうすぎる。
国内なんだけど時差ぼけみたいな感じがちょっとあるのかな。
そうですよ、時間の流れ方も絶対違うし。
何に導かれて巡ったんですか、いろいろ、その友達なのか。
不思議で、なんか突然全部人に呼ばれて、
すごい。
で、なぜかもう連続してたから、もうちょっと行くか仕方ないかみたいなので、
野戸も野戸で、間脇遺跡っていう、すごいストーンサークルじゃなくてウッドサークルっていう、
7メーターぐらいの高さのある木を園上に並べてたっていうような遺跡があるんだけどね、上本時代の。
それがある場所にちょっと呼ばれて行って、
大分は大分で、日本三大記載って呼ばれてるケベス祭りっていうのがあって、
ストーリーで見ました、火がめちゃくちゃ危ない位置にあって、うわーとか言ってるストーリー見ましたよ。
それですか、もしかして。
ほぼこれ火事じゃないかなっていうくらい火に揉まれて、
で、当然髪の毛も燃えてっていう、もう本当に不思議な、本当記載?奇妙な祭りで記載なんだけど、
何が奇妙って、いつ始まったかも分かってない祭りなんだけど、代々続いてるっていう。
で、ケベスっていうのがケベス様っていう神様が登場するんだけど、ケベス様が何の神様かも分かってないっていう祭り。
おもろ。
で、もう最後はみんなほぼ火あぶりみたいになって、その火あぶりになるために世界中からいろんな人が来てるっていう。
死人とか出ないんですか?
出ないです。でもちゃんと火を扱う、シロ小族を来た地元の祭祀をする人たちがいるんだけど、ちゃんともう見そぎをしてるから、やっぱりなんか扱えるんだろうね、火が。
おもろ。
あのもう火線絶対来てこないでねっていう地元の人からの連絡が事前にあるぐらい。
確かにこっちのね、防御も必要というか。
そうそうそうそう。
そうなの、みたいなのもあったりで、全部、たまたまご縁がつながって。
おもしろ。
うーん。
各エピソード濃すぎてこのまま終わりそうなので。
そうそうそうなの、そうなの。
なんでね。
いきましょうかね。
そうそうそうそう。いきましょう。
気になる話がたくさんある。
大きな株は抜けるのか。
ではまずはじめに、それぞれ持ち寄った話題、つまり株の種を発表して、今日抜く株を決めていきましょう。
みんなどんな種を持ってきたでしょうか。
じゃあ石橋ちゃん。
はい。私はですね、結構数年ぐらいずっと考えてる問いではあるんですけど、
ありのままでいていいと思える理由、少なすぎ問題というのを持ってきました。
おもしろい、おもしろい。
それはどうして。
今月、10月、登壇する機会があったんですよ。
タラノ門広告祭って広告祭とか、たまたま新しく人に出会うみたいな機会がすごく多かったんですよ。
その時に、登壇した映像とか自分で見れるんですけど、アーカイブが残ってるんで、なんか受動的すぎるかもと思って。
自分が?
そうそうそう、コミュニケーションにおいて。
おもしろい。
それは昔から思ってたんですけど、なんかちょっとヘラヘラしちゃったりとか、相手が言ったことをベースにずっと話してたりとかっていう感覚があって、
これって何なんだろうって思った時に、結構相手に委ねてる感覚というか、相手があって自分があるっていう種従になっちゃってる。
本来はその種従とかないと思うんですけど、なんでそういう種従になってるかっていうと、
そのままの自分を発露していいという、安心が自分の心にあんまないんだなって。
親しい友達とか、何か懐が深そうというか、何かわかってくれそうって人にもめっちゃ自分を出して好きなお茶をあげるとかできるんですけど、
そうじゃないときの防御というかの仕方の根本がありのままでいていいという気持ちがまだまだないんじゃないかって気づいた。
おもしろい。
おもしろいね。
えっとね、私ちょっとそれにもつながる気がするんだけど、
自分の声が変わってきたことについて話したいけん。
え、おもしろ。
つまり、第何次可変性期に入っているけん。
ないない。人間ないないですよね。
なんか、えっと、ずっと私、声とか音に結構興味があって探求してるっていうのはあるんだけど、
自分の声が、なんか最近自分の体の中での響きが変わってきたなーって思ってて、話すときにも自分が慣れた響きじゃないから結構出してびっくりすることがあって、
これって、私も今さ、声とか言葉を使う仕事してるから、すごい人がどういう風に扱ってるかみたいなのも結構注意深く見てる、つい見ちゃうところがあるんだけど、やっぱりこれあり方とすっごく密接で、
で、自分がやっぱりそのあるがままみたいな状態でいると、もうほんとにさ、あの、どストレートに声が届くのをね、で、たとえばさっきもオープニングトークで話した双名義彦さんっておじいさん、もう80過ぎなんだけど、見た目も60歳ぐらいにしか見えない、下手したら50代ぐらいしか見えない感じなんだけど、
もう声がさ、あの、声だけでもう生きてる。
めっちゃコンってなってる。
え?
声がめっちゃコンってなってる。
ごめんごめん。
勢い破りすぎね。
ごめんごめん。
すごい。
ちょっとカットしなきゃいけないかもしれないけど、もう一回言っとくと、声がすっごい生命力があって、声だけで。
うん。
で、それが、もうデフォルトで頑張って出してる声とかじゃないの。
うわー。
もうとにかく声を聞いてるだけで、体が熱くなってくるぐらいの声なわけよ。
うわー、最高。
もう、生命力まんまなの。
へー。
もうほんとにあるがまんま。
へー。
ふたなさんの声って強烈だなーって前々から思ってたんだけど、自分の変性期もあって、
なんかやっぱりあるがままを追求していくと、そこに声のあり方っていうのも、それがセットというかね、というふうなことを思ったっていうのを話してたらなと思ったの。
めっちゃ密接ですね、多分。
密接だよね。
なんで、なんか石橋ちゃんのその話をしながら、なんか必要あらば、
変性期を。
変性期を交えて、
麹の方としてアドバイスをください。
って思った。
そうですね。
うん、それは話そうよ。
タイトルは私の方がなんか共感してくれると思う。
間違いないでしょう。
では、愛のままでいていいと思える理由、スカラスギ問題について、結構声もキーワードになりそうだなと思うんですけど、
いやでもほんと自分で作るしかないよ、その世界をって思う。だって私が馴染む世界なんてどこにもなかったもん。
でもすごくそれは私も感じます。
だからっていうことは、私以外にもそういうふうに感じてる人がいるとも思ったわけ。実際しばしちゃんもそうじゃん。
だから、おそらくみんなそうなはずなの。みんなそれぞれ一人一人世界を持っているから、単純に社会の仕組みとして効率的に回すためにちょっとカテゴライズされているだけで。
でも本来はやっぱりみんな枠にはまらないはずだから、そもそもはまらないよねっていうことをどんどん自分でそれを言っていくべきだし、それ自体をあらわにしていくっていうかね。
そうすると、そこでその共感を得るためにやるっていうよりかは、それを自分で認めるだけですごく自分が楽になるっていうか、もうはまらない存在なんだ、だけどこのままでいいよねみたいな。
それをやっていくと、私の中では実験と思ってるけど、自分がどんどんどんどん楽になっていくから、そうすると私こうやって自分が楽になっていけるんだっていうふうに、そこでまた自信がついたりもするから、そうするとまた人に対してのコミュニケーションが変わったりするんじゃないかなと思う。
確かに。
なんか、それで言うと自分もやってることがあって、それこそファッションとか爪とか明らかにはみ出していいけど誰も傷つけないみたいな感じで、とか、あとその自分がやりたいこととかを話すときにもう、人をハッピーにしたすぎるんですみたいな、その分かりやすいキャッチコピーみたいなのを自分につけて、それをひたすら言っていくみたいなのをここ数ヶ月くらいやってたんですよ。
そうするとやっぱ変な人みたいな扱いは受けるんですけど、そうやって孤独になっていくことによって自分の輪郭がめっちゃはっきりしてきたなっていう感覚があって、ここはかなり一般常識からしたらおかしいのかもしれないけど、このままでやっていけそうな感じがするなとか、
ここは、この人はちょっと距離を置くかもしれないけど、この人はめっちゃ逆に分かってくれるなみたいな、確かにそのシグナルを出して、そこからちょっとずつこう、なんていうの、暴露療法ってご存知ですか?
暴露療法って、何?暴露?
暴露?
暴露なんですけど、晒す日に、日にちの日に暴力の露ですね。
はいはいはい。
なんか心理学の療法、心理学療法で不安障害とかに用いられる、暴露療法なんですけど、なんか不安とか恐れを感じるものに対して、心理的安全性が確保された中でちょっとずつ触っていって、慣れていって、その過剰な不安とかを回避するみたいな方法なんですけど。
でも分かる分かる。まさに私も芸術療法を4年ぐらい前に学んでたっていうか、出た時とかも、まさにそうで、なんかみんなで輪になって、そこはもう安心安全の場だから、安心してそこでそれぞれが発露するみたいな。
みんなもちろん表現方法が違うから、それぞれがみんなやっぱり違う世界を持ってるよねっていうのを、そこで認め合うというか受け入れるみたいなこと。
ありのままでいていいと思えるはずがないから、今の社会においてそれを自分の心の中でも安全なところからでも作っていこうという話なのかもしれないですね。
あと、そうだね、確かに今の社会のあり方は多い間違ってると思うんだけど、
あとまあそのさ、社会を変えるのには時間がかかるから、やっぱり自分のあり方を変えるしかない。で、社会に合わせたくないから、とにかく自分のあり方をさ、自分が心地良い状態にするのが多分早いじゃない。
やっぱりその時に、僕はやっぱり石橋さんもどうしても人に合わせちゃうみたいなところが強い場合、もう圧倒的に違う私みたいな、だから孤独を受け入れるみたいな、前もさちょっと株での違う回で話したかもしれないけど、それも結構重要な気がするね。
それまさに思って、たまたま本読にあった、自分の中に孤独を抱きって、岡本太郎の本を今読んでいるところ。
あ、ほんと。
まずそこからだよなって、受け入れるというかさ、どうやったって違うみたいな。
そうそうそうそう。で、圧倒的に違うし、だからそれぞれが孤独であって、でもなんか違うからこそ、違うところを知るためにコミュニケーションする必要もあって、っていうことなんだと思うんだよね。
それは本当にそうですね、まずは。
だから前提合うよね、話が合うよねっていうところでいくと、合わせに行かなきゃいけないし、合わなかった時にショックが大きいと思うけど、そもそも違うから、違って当然、ある意味意見が受け入れてもらえなくても当然、っていうことだとも思うの。
そうですね、確かに。
っていうなんか、前提の設定の仕方っていうところもあるのかな。
確かに、そのなんかありのままでいていいベースがないと、その意見が違うものと出会った時に、認知の歪みで自己批判と誤認してしまうんですよね。
そうだよ、そうだよ、そうだよ、だから、そうそうそうそうそうそう。
またね、だからそれ自体すら、人に合わせていることの勝差というか。
そうそうそうそうそうそう。
だから、違いを受け入れ、自分が逆に受け入れ切ってないから、違うと言われることに対して怖さを抱くのかもしれない。
面白い、そうかもね、そうかも、そうかもそうかも、そっからだね。
確かに。
だから怖くなっちゃうのかもしれないですね。
確かに確かに。徹底的に受け入れるところからかもね、自分を。
いやー、そうですね、本当に。
いいとこも悪いとこも、全部。
そうなった時に、やっぱり今月の私は仕事をしすぎたんですね。
で、まあ普通にそのね、企画の仕事とかだから、そんなこのガチガチに数字と向き合うとか、その論理性、構造が全てだってわけでは全くないんですけど、
やっぱその、なんか結果を出さなきゃいけないとか、その割を発揮しなきゃいけないとか、そういう場において、置けるコミュニケーションが自分の文人の多くを占めてしまう。
そうこうしているうちに、結構今月創作意欲めっちゃ低くて寒かったのもあって、自分の文章が。
自分の文章が、久しぶりにこんなに、なんか動画も文章もあんまやりたくないような気持ちになって、
で、自分はまだこのなんかコントロールできるからいいけど、その正社員とかってもう時間が決まりきってるわけでしょ。
そうだよね。
そんな中で、やっぱいろんなタイプがいて、例えば脅威のない大輝とかは、結構そのなんか右を逆して倒りつつ、本当に根本のクエアな部分は、もう嫌顔でも持ってしまうタイプだと思うんですよ。
だからもう歌声もあんなにクリアだし、声も迷路を改革だし、だから逆にある程度そういう負荷はもう大丈夫というか、いいんだと思うんですけど、
逆に私みたいなこの精神性の落ち主は、それをやることによって、たちまちに違う実格になってしまうというか、なっていう感覚があって。
自分はまだコントロールできたからよかったけど、その外部要因は、めっちゃ根本の話を言うと、別にいくらでもコントロールできるんです。やめたらいいし。
けどこう、そうもいかない、なんかそういう自分が生活の対応を占めてるって時に、何ができると思いますか?そういう人。
何から始める?
そういう人は、
自分の声を信じる。
自分の声を、もう本当にちょっとしたことでいいんだと思う。
なんか例えば、カフェに行って、例えば何か注文する時に、例えばみんながこれを頼んでるけど、自分はこれを頼んで、見た自分がいる。
みたいなとこでも、まずは自分というものを受け入れた一歩に十分になってるというか、本当にちょっとしたことだと思うんだよな。
確かに。いかに気づいてるかっていう話かもしれないですね。
そうそうそうそう。
全ての選択において。
そうそう本当にそう。だから組織に属することが別に悪いことでもなくて、むしろ組織って違う人たちの集合体の中でずっと生活していくみたいなことだから、
自分との違いがすごく明確に感じやすい場だから、すごく私はいい練習の場だとも思うわけ。
だからその中でも気づけると思うし、でももう組織に属していて、その自分が一部なんだって思うのではなくて、あくまで違う人間としてその組織という違う世界にお邪魔してるみたいな視点で見てみるっていう、
だからそれも柔道か能動かみたいなところの違いだと思うんだけど、軸足をちゃんと自分に置いておくっていうことが重要なんだと思うね。
いやーそうですね。そうなった時にやっぱ、能動的であればあるほど摩擦がすごいような感覚もあって。
そういえば組織にいる時に、組織と目的を一致にすればそれは同質じゃないですか。
その中で自分というものを持ってしまうと逆に、全てのコミュニケーションとか意思決定においてその共同体の中でも違和感が発生するというか、それが孤独を抱くということなんだと思うんですけど。
だからどの部分での目標というか目的がマッチしなかったかっていうことだと思うんだけど、摩擦が起きそうなぐらいの目標のずれがあるんだったらそこはやめたほうがいいよねって思うね。
そうだね。とも思うな。だから何で摩擦が起きてるかっていうことにもよるけれど、
例えば組織としてのポリシーと自分の人間としてのポリシーっていうものが仮に合わなかった場合に、しかし自分はある意味組織にお邪魔してる人間だから、自分は自分で自分の世界が外側にあって、
で、ここの世界にお邪魔してる時にはこっちのポリシーにちょっと合わせて動いてみるかみたいなことができるんだったらいいんだと思うんだけど、でもそれが受け入れられるか受け入れられないかみたいなところな気がするね。
確かにそこすら自分次第というか、それが無理だったら無理でいいという。そうそうそうそうそうってすごく思う。
なんだけど、だいたいその摩擦が起きた時って、そもそもその人が軸足を自分というものに置いて摩擦が起きてるっていうよりかは、完全に組織の中に軸足を置いて摩擦が起きちゃってるっていう事例の方が私はよく聞くなっていう感覚があるから、
一旦摩擦が起きた場合に、一旦ちょっと自分を外に置いて、今何が起きてるかっていうのを結構冷静に見るっていうのは大事な気がする。
確かに。話を戻すと、ありのままでいていいと思える理由は、当たり前だろう。この社会には少ないだろう。そのため自分の心の中や安全と思えるところからやっていけ。そして孤独を抱き、孤独を受け止め、全て受け入れるところから道は開いていくという結論でお待ちがいないですかね。
いや本当そう思う。そう思うよ。意外とね、自分でちゃんと孤独になってみると、意外と外には孤独になって頑張っているというか、生きてるかっこいい先輩たちもいっぱいいるから。
そうですね。
そうそうそうそう。そういうところで、新たな出会いがまた出てったりするんじゃないかな。自分なり方が変わると出会いも変わるからね。
いや本当にそうですね。なんかめっちゃ仲いい自分で授業やってる友達がいて、すっごい精神性がいけてるなって思いますね、その子。でなんか、外行とかに全然行かない。パーティーとか、交流会みたいな。全然行かないのに、時々行ったところでちゃんとその、仕事につながる何かを持って帰ってくれるタイプ。それが上手すぎる子なんですけど。
なんか疲れないのって、自分の目的と合わなすぎる人とかと話したら、疲れたりしないのって聞いたら、そういう時はなんか自分の何かが間違ってるんだなって思うって言ってて。そういう人が現れるっていうことは、そういうことをやってるっていうシグナルだからみたいな話をしてて。
奇跡の極みみたいな。
すげーと思って。
いやー、もうでもほんとその視点が持てたら、楽ではないけど、でもすごい早いと思う。
そうですね。
ほんと。鏡だからね、自分の外側に映ってる全てはね、自分の鏡。
確実に社会の何かはあるんだけど、ありのままでいていいと思えてないということは、真剣に思おうとしていないということで終わるのかもしれないですね。
そうだね。
そこに苦しみを感じるのなら、それは良いシグナルというか。
そう思う。そう思う。そう思います。
ということで、この番組では取り扱ってほしい出来事、株の種や感想を皆さんからも募集しています。
概要欄のリンクからぜひお気軽に送ってください。
あなたからのお便りお待ちしてます。
今日の株どうだった?
なんだかずっしりと深く根を張りました。
そうだね。
このありのままでいるみたいなことって、常にキーワードだなと思っているから、定期的に今どんなありのままを向き合ってるみたいなことって考えるの良いかなと思う。
この前ちょうど友達、同世代の友達と話してて、人生何度目かのありのままでいたいきなんだよねって友達が言ってて。
良い表現。
分かる分かるみたいな、何度か大きな波来るよねって言って。
彼女の場合は、子供が生まれてしばらく経って、普通に女性だったんだけど、そこから母親みたいな顔も出てきた時に、ありのままっていうか自分らしくみたいなことって何なんだろうっていうのが、新たにまた向き合い、今までとは違う向き合い方になってるってことだったんだと思うんだけど。
人生は旅。
そうよ。旅してこう。
ジャーニージャーニー。
では次回も、
一緒に大きな壁を抜きましょう。
またねー。