1. おおきなかぶは抜けるのか?
  2. #91 ありのままでいていいと思..
2025-11-08 42:27

#91 ありのままでいていいと思える理由少なすぎ問題

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久々の2人回! / 第何次変声期? / ありのままでいること、難しい / 命自体が縮こまる東京 / 開くということは受け取るということ / 狭さに合わせた声量調整 / デカい声で朗読するあいりさん / 相手に合わせてしまう習慣 / ひとは全員枠にはまらないはず / 曝露療法 / まずは自分の在り方を変える / 『自分の中に孤独を抱け』 / 違うからこそコミュニケーションが必要 / 批判と否定の区別 / 徹底的に自分を受け入れる / 小さなことから始める / 究極の自責をする


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この番組は、日常で起きた一人では消化できない些細な出来事を"おおきなかぶ"として、ちょっと不思議な関係の3人がうんとこしょどっこいしょと引っ張ってみるポッドキャスト番組です。

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▼石橋

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2001年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。フリーランスとしてインフルエンサーの活動と企画の仕事をしています。MOROHAと西加奈子さんと仏教が大好きで、みんながBIG LOVEマインドとたのしみを持って生きられる世界をつくるのが夢。


▼たいき

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1999年生まれ。早稲田大商学部卒業後、日系企業で働き始めた新人社会人。高校時代は春日部共栄高校の野球部、現在は軟式社会人野球、東京ヴェルディ・バンバータの投手として在籍しながら、仕事、野球、勉学、生き方に向き合っています。


▼あいり

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石橋、たいきとは一回り以上年齢が離れている人。雑誌編集者として約20年活動し、独立。言葉を通して自分らしさを見つける対話型セッション、”孤高のヒーローインタビュー”の活動のほか、企画、プロデュースのお仕事をしてます。

サマリー

ポッドキャスト第91回では、石橋さんとアイリーさんがありのままでいることの重要性とその難しさについて対話しています。彼らは、仕事のストレスやコミュニケーションの壁によって自分を表現することが難しいと感じている現状を話しています。旅の経験を交えながら、声や存在感がその人の本質に繋がることにも触れています。このエピソードでは、人々がありのままでいることの難しさや、その背景にある心理的要因について考察されています。特に、日本社会における自己表現の難しさや、他者とのコミュニケーションの中での不安について議論されています。また、ありのままでいることの重要性と、それがもたらす孤独についても語られています。自己の軸を保ちながら、組織との摩擦をどう解消するかがテーマとなっています。

ポッドキャストの始まりと旅の話
始まりました。おおきなかぶは抜けるのか。この番組は日常で起きた一人では消化できない些細な悩みや出来事をおおきなかぶとして、ちょっと不思議な関係の3人がうんとこ所得を一緒と引っ張ってみるポッドキャスト番組です。お送りするのは石橋と
アイリーです。よろしくお願いします。
久しぶりの2人。お歌。いつも大器というのがいるんですけれども。息のいい主人公と通称。今日はお仕事。時々あるね。
久しぶりだよねでも。私と石橋ちゃん。嬉しい。
2人になるとちょっと空気が変わるって言うね。3人の時と比べると。
深海に潜るか空を飛んでしまうか。私がいない時は温泉に浸かる。
ケツを叩く人がいなくなるため。火曜における。
ゆるさが増していくって言うね。ほのぼのとする。面白いですよね。
どんな最近。1ヶ月ぶりぐらいだよね。ちょうどそうですね。もうちょっと会ってない気もしたんだけど。
これ今収録が11月に入りそうなタイミングで、10月がすごい長くて。
いろいろ旅に出てたっていうのもあるんだけど。
なんかだからすっごい久しぶりな気がしちゃって。石橋ちゃんと会うのも。
確かに。気温の変化とかもありそうですよね。かなりもいくつもの季節を超えたような感覚がありますね。
でもさ、そうなの。暑くなったりしてまた寒くなったりするから、確かにいくつも超えてる感あるよね。
最近は、今月はほんまに仕事がやばすぎてめちゃくちゃ終われるというか、なんかキャッパが増えた気がしますね。
いいことだね。
いいこと。その分やっぱ自分の普段、石橋さんとしての発信は結構全く適当じゃないというか。
どうやったら人が幸せになるかみたいなのをめっちゃ考えてるから、そこにシンプルに避けなくて全然投稿ができなくて。
そこに対する気持ちを。駆け抜け、ゼイハー、ゼイハーと駆け抜けたという感じです。
私も仕事ではないんだけど、駆け抜けた感あるな、10月。
旅はどこに行ってたんですか?
旅、石川県の野戸半島、大分の国崎半島、福岡、太宰府、埼玉、秩父。
行き過ぎじゃないですか。30日のうち何日いたんですか?
野戸から野戸をいた福岡っていうのが、1週間での期間に移動してて。
帰ってきてしばらく経ってから一瞬秩父の山の方に入って、
前もどこかの回で話したと思うんだけど、
自分を表現する難しさ
双名義彦さんっていう巨大なリース、森の掃除をしながら巨大なリースを作ってるおじいさんがいるんだけど、
そのおじいさんのお手伝いをするっていう旅で、
エメラルドの原石だけを扱ってるジュエリー作家の川添ほのかさんっていう人がいるんだけど、
もうその方と双名さんがまぶたちで、
そうそう、2人でお手伝いをしに行くみたいな感じだったんだけど、
森に入ってさ、鶴を取り、
もうハイエースいっぱいになるほど鶴を取り、
楽しそうすぎる。
国内なんだけど時差ぼけみたいな感じがちょっとあるのかな。
そうですよ、時間の流れ方も絶対違うし。
何に導かれて巡ったんですか、いろいろ、その友達なのか。
不思議で、なんか突然全部人に呼ばれて、
すごい。
で、なぜかもう連続してたから、もうちょっと行くか仕方ないかみたいなので、
野戸も野戸で、間脇遺跡っていう、すごいストーンサークルじゃなくてウッドサークルっていう、
7メーターぐらいの高さのある木を園上に並べてたっていうような遺跡があるんだけどね、上本時代の。
それがある場所にちょっと呼ばれて行って、
大分は大分で、日本三大記載って呼ばれてるケベス祭りっていうのがあって、
ストーリーで見ました、火がめちゃくちゃ危ない位置にあって、うわーとか言ってるストーリー見ましたよ。
それですか、もしかして。
ほぼこれ火事じゃないかなっていうくらい火に揉まれて、
で、当然髪の毛も燃えてっていう、もう本当に不思議な、本当記載?奇妙な祭りで記載なんだけど、
何が奇妙って、いつ始まったかも分かってない祭りなんだけど、代々続いてるっていう。
で、ケベスっていうのがケベス様っていう神様が登場するんだけど、ケベス様が何の神様かも分かってないっていう祭り。
おもろ。
で、もう最後はみんなほぼ火あぶりみたいになって、その火あぶりになるために世界中からいろんな人が来てるっていう。
死人とか出ないんですか?
出ないです。でもちゃんと火を扱う、シロ小族を来た地元の祭祀をする人たちがいるんだけど、ちゃんともう見そぎをしてるから、やっぱりなんか扱えるんだろうね、火が。
おもろ。
あのもう火線絶対来てこないでねっていう地元の人からの連絡が事前にあるぐらい。
確かにこっちのね、防御も必要というか。
そうそうそうそう。
そうなの、みたいなのもあったりで、全部、たまたまご縁がつながって。
おもしろ。
うーん。
各エピソード濃すぎてこのまま終わりそうなので。
そうそうそうなの、そうなの。
なんでね。
いきましょうかね。
そうそうそうそう。いきましょう。
気になる話がたくさんある。
大きな株は抜けるのか。
ではまずはじめに、それぞれ持ち寄った話題、つまり株の種を発表して、今日抜く株を決めていきましょう。
みんなどんな種を持ってきたでしょうか。
じゃあ石橋ちゃん。
はい。私はですね、結構数年ぐらいずっと考えてる問いではあるんですけど、
ありのままでいていいと思える理由、少なすぎ問題というのを持ってきました。
おもしろい、おもしろい。
それはどうして。
今月、10月、登壇する機会があったんですよ。
タラノ門広告祭って広告祭とか、たまたま新しく人に出会うみたいな機会がすごく多かったんですよ。
その時に、登壇した映像とか自分で見れるんですけど、アーカイブが残ってるんで、なんか受動的すぎるかもと思って。
自分が?
そうそうそう、コミュニケーションにおいて。
おもしろい。
それは昔から思ってたんですけど、なんかちょっとヘラヘラしちゃったりとか、相手が言ったことをベースにずっと話してたりとかっていう感覚があって、
これって何なんだろうって思った時に、結構相手に委ねてる感覚というか、相手があって自分があるっていう種従になっちゃってる。
本来はその種従とかないと思うんですけど、なんでそういう種従になってるかっていうと、
そのままの自分を発露していいという、安心が自分の心にあんまないんだなって。
親しい友達とか、何か懐が深そうというか、何かわかってくれそうって人にもめっちゃ自分を出して好きなお茶をあげるとかできるんですけど、
そうじゃないときの防御というかの仕方の根本がありのままでいていいという気持ちがまだまだないんじゃないかって気づいた。
おもしろい。
おもしろいね。
えっとね、私ちょっとそれにもつながる気がするんだけど、
自分の声が変わってきたことについて話したいけん。
え、おもしろ。
つまり、第何次可変性期に入っているけん。
ないない。人間ないないですよね。
なんか、えっと、ずっと私、声とか音に結構興味があって探求してるっていうのはあるんだけど、
自分の声が、なんか最近自分の体の中での響きが変わってきたなーって思ってて、話すときにも自分が慣れた響きじゃないから結構出してびっくりすることがあって、
これって、私も今さ、声とか言葉を使う仕事してるから、すごい人がどういう風に扱ってるかみたいなのも結構注意深く見てる、つい見ちゃうところがあるんだけど、やっぱりこれあり方とすっごく密接で、
で、自分がやっぱりそのあるがままみたいな状態でいると、もうほんとにさ、あの、どストレートに声が届くのをね、で、たとえばさっきもオープニングトークで話した双名義彦さんっておじいさん、もう80過ぎなんだけど、見た目も60歳ぐらいにしか見えない、下手したら50代ぐらいしか見えない感じなんだけど、
もう声がさ、あの、声だけでもう生きてる。
めっちゃコンってなってる。
え?
声がめっちゃコンってなってる。
ごめんごめん。
勢い破りすぎね。
ごめんごめん。
すごい。
ちょっとカットしなきゃいけないかもしれないけど、もう一回言っとくと、声がすっごい生命力があって、声だけで。
うん。
で、それが、もうデフォルトで頑張って出してる声とかじゃないの。
うわー。
もうとにかく声を聞いてるだけで、体が熱くなってくるぐらいの声なわけよ。
うわー、最高。
もう、生命力まんまなの。
へー。
もうほんとにあるがまんま。
へー。
ふたなさんの声って強烈だなーって前々から思ってたんだけど、自分の変性期もあって、
なんかやっぱりあるがままを追求していくと、そこに声のあり方っていうのも、それがセットというかね、というふうなことを思ったっていうのを話してたらなと思ったの。
めっちゃ密接ですね、多分。
密接だよね。
なんで、なんか石橋ちゃんのその話をしながら、なんか必要あらば、
変性期を。
変性期を交えて、
麹の方としてアドバイスをください。
って思った。
そうですね。
うん、それは話そうよ。
タイトルは私の方がなんか共感してくれると思う。
間違いないでしょう。
では、愛のままでいていいと思える理由、スカラスギ問題について、結構声もキーワードになりそうだなと思うんですけど、
声と存在感の考察
っていうのは、なんか東京にいると、マジでその自分をこう内側に向いちゃうというか意識が。
でかい声、でかい音を出す機会もないし、ガムしっちゃかめっちゃかに動ける機会もないし、
結構その命自体が縮こまってるなっていう感覚もめっちゃあって、
例えばその去年か一昨年フィリピンとか行ったんですけど、
海とかでも大はしゃぎで私。
ギャーって。
割と親しい友達の前ではもう、でかい声でギャーギャー言ってるんですけど、
それを絶えず狭苦しい人がいっぱいのところで、
抑えなきゃって気持ちが、そもそも東京という土地にあるような気もしてます。
声で言うと声というか、生命力みたいな感じで。
あるよね。
すっごい思ったんだけど、
この前秩父の山の中に入って、
そこは私有地だから一応安全な場所なんだけど、
トラックで移動してて、トラックをちょっと置いて降りて、
5分ぐらい歩いて山の中に入っていくんだけど、
そこでいろいろツル取ったりとか作業して、
トラックのところに戻ろうと思ったら戻れないの。
たった5分だよ。
5分も歩いてないかも。3分ぐらいかも。
どこにいるかわかんないわけ。
しまったと思って、
本当に太陽の場所とか見ておけばよかったと思ったんだけど、
私も普段東京じゃない?
いかに自分の行動範囲というか、
多分半径50mぐらい、50m見てないか、
半径1mぐらいしか見てないんじゃないかと思うんだけど、
それで当たり前に切れちゃってるから、
自分がどこを歩いてきたかとかっていうのも、
ちゃんと見てないんだよね。
それもうちに閉じっぽを持ってるってこととつながると思うんだけど、
ある意味開く必要がないっていうこともあるのかなと思う。
東京で暮らしてると。
開くのが危険とまである気もしますよね。
逆にね。そうだよね。
いろんな人がいるし。
そうだよね。
すごい世界だから。
だよね。
開くということを多分ピュアに受け取るということだから、
それもある気がしますね。
だからさ、東京って空間も狭いじゃない?
お店にしても狭いし、天井も低い。
それはちょっと声の視点になっちゃうかもしれないけど、
狭さに合わせて自分の声量とかを調整してる気もして、
そう、わかります。
私なんか、しばらく旅して東京帰ってきて友達に会って、
友達がね、書いた詩を見せてくれるっていう場があったの、たまたまカフェで。
と思って、で、カフェでついその詩をさ、もらったから、
ちょっと読みたくなっちゃって、
控えめに自分で朗読してたんだけど、
本当に声が大きいからやめてって言われて、
ひかみのレベルが違った。
そう、やめ、なんか、
怪力のスーパーマンみたいな。
その声で朗読するのやめてって言われて、
そうかと思って、私の中ではボソボソつぶやいてるつもりなんだけど、
たぶんちょっとそのさ、空間のその認識っていうか、
自分の空間に合わせた声量を、
おそらく調整無意識でしてるんだと思うんだけど、
東京からしばらく離れてたから、
大きくなったのかわからんけど、
いやー、わかります。
なんかちょっと違う話なんですけど、
さっき目が悪くなって、
で、それ最初ショックだったんですよ。
当たり前だなと思って、
歩くにしても地図しか見ないし、
遠くに向けて何かをするということがなさすぎるなと思って、
そういう意味でも、なんか声だけじゃなくて体全体がこう、
自己表現の難しさ
閉じこもっていくような感じなんだなと思いました。
でもそのさ、石橋ちゃんのその、閉じこもっちゃう、
内側に向いちゃうっていう自覚があるわけじゃない?
でもあるけど、それをそうせざるを得ないのっていうのは、どうして?
なんかもう、無意識的なんですよ。
相手と対峙するときに、最初に相手を汲み取ることになるというか。
自分がやりたいじゃなくて。
で、そこから考えて自分が出すみたいなことを結構やってる気がする。
それはまあ、バランスでもある気がするんですけど。
最近めっちゃ重症だなって思った。
仕事とかもこういう場でもなんですけど、仲良い子の前だと絶対に怒らないことなんですけど、
なんか、あの、ちょっと考えすぎでもあるから、結構その、
喋る要素が多くて、ちょっとその、なんか整わなかったりとか、これがこうで、こうでってなったりとか、ちょっと声がちっちゃくなったときに、
何ですか?みたいに言われるのがすっごい怖いというか、言われることもあるんですけど時々。
意外?
本当ですか?そうなんです。だから全然違うの。
え?どういうこと?
声が小さくなりながら喋ってるときがあるってこと?
そう。
意外、想像できない。
意外ですよね。
想像できない。
絶対親しい友達の前で怒んないんですよ、そんなことは。
え?
え?
想像できなさすぎてわかんない。
そうなんですよ。
それどういう状況で小さくなっていってるの?
仕事とか多いかも。仕事で初対面の人に何か説明しなきゃいけないみたいなときとかですかね。初対面の人とかが多いかもしれない。
でもさ、石橋ちゃんって基本的には、自分が感じてることとかにも自信があるし、多分確信を持って、自分の意見とかを言うじゃない?だから。
だからそれがまだ浅かったという話なんですよ。
結構、そうなんです。自分でもそういう仕事もしてるし、その直感を選び取るとか、論理的に考えてた結果、訂正的なものを作るみたいなのはすごく得意だし好きだなって思うんですけど。
で、すごく心理的安全性のある方だったらできるんですけど、本当にまだバカかもしれないけど、初対面の人とか、ちょっと偉い感じの人とかいるときにめっちゃビビります。
ああ、そう。
大丈夫ですよね。言うことにもめっちゃ勇気が必要というか、意外とそうなんですよね。
それがこう、もっと手放しになっていくというか、それこそそのありのままの平民力のままでいられたら、そのこと絶対に発生しないと思うし、自分は確実にその方向に進んでるなって思ってたんですけど、まだまだ嫌だなという。
社会の影響と個人の葛藤
それは一番一緒に勝手に偉い人だからって気を使うのか、それとも偉い人からの圧みたいなものを無意識にキャッチしてるのかどっちだと思う?
いやでも結局前者が大きい気がします。自分がいろいろ考えすぎちゃう。
なるほどね。
初めての人に対してお互い分からないことが多すぎるから、大きく踏み外すことをしたくないような気持ちもありますね。そこにいろいろ絡んできたりするんですけど、根本は自分の認知だなと思いました。
なるほどな。でも本当に順番の問題だね。相手に合わせるか、相手に合わせるんじゃなくてまず自分を出すかっていうところの順番じゃない?
そうですね。どちらか。
なんかそれ癖だよね。癖の問題な気もする。もちろんバカずもあるとは思うが、繰り返し繰り返し相手に合わせてやる。私自身もそうだったと思うから分かるんだけど、相手に合わせるっていうことをやっていくとそれが習慣になっていくじゃない。
だからそっちの方の筋肉を鍛えてるからさ、そっちの方が働きやすいというか、自分の意見をそのままパッて出すよりも。だからちょっとそっちの筋肉を弱める必要があるよね。
そうですね。そこで冒頭の出した株に繋がるんですけど、弱めるってなった時に自分を出していくってやっぱ安心感とかいろんな要素が必要だと思うんですけど、それをありのままでいていいって思える機会が今の現代の日本というところに、特に東京というところに少ないんじゃないかなっていう気がめっちゃしてて。
それはなんかこう良くも悪くもこの周りのことを見る国民性っていうのももちろんあると思うんですけど、なんかそれを信じる機会ってもう自分で作るしかなくなってるというか。
そうだよ。ほんとそうだよ。
仕事も学校もこうなんか定量的にしか評価しないし、その認知能力しか評価しないし、論理的思考とか。
人間性というものが評価される機会、あるっちゃあるけど、もうすでにある人が評価されるみたいな感覚があって。
そこをこうこれから積み上げていく、その筋肉を鍛えていくってなると、どうしたらいいんだろうなっていうのをこの大難事変世紀を迎えた工事のご存在に聞いてみたいなと思って。
自己受容とコミュニケーション
いやでもほんと自分で作るしかないよ、その世界をって思う。だって私が馴染む世界なんてどこにもなかったもん。
でもすごくそれは私も感じます。
だからっていうことは、私以外にもそういうふうに感じてる人がいるとも思ったわけ。実際しばしちゃんもそうじゃん。
だから、おそらくみんなそうなはずなの。みんなそれぞれ一人一人世界を持っているから、単純に社会の仕組みとして効率的に回すためにちょっとカテゴライズされているだけで。
でも本来はやっぱりみんな枠にはまらないはずだから、そもそもはまらないよねっていうことをどんどん自分でそれを言っていくべきだし、それ自体をあらわにしていくっていうかね。
そうすると、そこでその共感を得るためにやるっていうよりかは、それを自分で認めるだけですごく自分が楽になるっていうか、もうはまらない存在なんだ、だけどこのままでいいよねみたいな。
それをやっていくと、私の中では実験と思ってるけど、自分がどんどんどんどん楽になっていくから、そうすると私こうやって自分が楽になっていけるんだっていうふうに、そこでまた自信がついたりもするから、そうするとまた人に対してのコミュニケーションが変わったりするんじゃないかなと思う。
確かに。
なんか、それで言うと自分もやってることがあって、それこそファッションとか爪とか明らかにはみ出していいけど誰も傷つけないみたいな感じで、とか、あとその自分がやりたいこととかを話すときにもう、人をハッピーにしたすぎるんですみたいな、その分かりやすいキャッチコピーみたいなのを自分につけて、それをひたすら言っていくみたいなのをここ数ヶ月くらいやってたんですよ。
そうするとやっぱ変な人みたいな扱いは受けるんですけど、そうやって孤独になっていくことによって自分の輪郭がめっちゃはっきりしてきたなっていう感覚があって、ここはかなり一般常識からしたらおかしいのかもしれないけど、このままでやっていけそうな感じがするなとか、
ここは、この人はちょっと距離を置くかもしれないけど、この人はめっちゃ逆に分かってくれるなみたいな、確かにそのシグナルを出して、そこからちょっとずつこう、なんていうの、暴露療法ってご存知ですか?
暴露療法って、何?暴露?
暴露?
暴露なんですけど、晒す日に、日にちの日に暴力の露ですね。
はいはいはい。
なんか心理学の療法、心理学療法で不安障害とかに用いられる、暴露療法なんですけど、なんか不安とか恐れを感じるものに対して、心理的安全性が確保された中でちょっとずつ触っていって、慣れていって、その過剰な不安とかを回避するみたいな方法なんですけど。
でも分かる分かる。まさに私も芸術療法を4年ぐらい前に学んでたっていうか、出た時とかも、まさにそうで、なんかみんなで輪になって、そこはもう安心安全の場だから、安心してそこでそれぞれが発露するみたいな。
みんなもちろん表現方法が違うから、それぞれがみんなやっぱり違う世界を持ってるよねっていうのを、そこで認め合うというか受け入れるみたいなこと。
ありのままでいていいと思えるはずがないから、今の社会においてそれを自分の心の中でも安全なところからでも作っていこうという話なのかもしれないですね。
あと、そうだね、確かに今の社会のあり方は多い間違ってると思うんだけど、
あとまあそのさ、社会を変えるのには時間がかかるから、やっぱり自分のあり方を変えるしかない。で、社会に合わせたくないから、とにかく自分のあり方をさ、自分が心地良い状態にするのが多分早いじゃない。
やっぱりその時に、僕はやっぱり石橋さんもどうしても人に合わせちゃうみたいなところが強い場合、もう圧倒的に違う私みたいな、だから孤独を受け入れるみたいな、前もさちょっと株での違う回で話したかもしれないけど、それも結構重要な気がするね。
それまさに思って、たまたま本読にあった、自分の中に孤独を抱きって、岡本太郎の本を今読んでいるところ。
あ、ほんと。
まずそこからだよなって、受け入れるというかさ、どうやったって違うみたいな。
そうそうそうそう。で、圧倒的に違うし、だからそれぞれが孤独であって、でもなんか違うからこそ、違うところを知るためにコミュニケーションする必要もあって、っていうことなんだと思うんだよね。
それは本当にそうですね、まずは。
だから前提合うよね、話が合うよねっていうところでいくと、合わせに行かなきゃいけないし、合わなかった時にショックが大きいと思うけど、そもそも違うから、違って当然、ある意味意見が受け入れてもらえなくても当然、っていうことだとも思うの。
そうですね、確かに。
っていうなんか、前提の設定の仕方っていうところもあるのかな。
確かに、そのなんかありのままでいていいベースがないと、その意見が違うものと出会った時に、認知の歪みで自己批判と誤認してしまうんですよね。
そうだよ、そうだよ、そうだよ、だから、そうそうそうそうそうそう。
またね、だからそれ自体すら、人に合わせていることの勝差というか。
そうそうそうそうそうそう。
だから、違いを受け入れ、自分が逆に受け入れ切ってないから、違うと言われることに対して怖さを抱くのかもしれない。
面白い、そうかもね、そうかも、そうかもそうかも、そっからだね。
確かに。
だから怖くなっちゃうのかもしれないですね。
確かに確かに。徹底的に受け入れるところからかもね、自分を。
いやー、そうですね、本当に。
いいとこも悪いとこも、全部。
そうなった時に、やっぱり今月の私は仕事をしすぎたんですね。
で、まあ普通にそのね、企画の仕事とかだから、そんなこのガチガチに数字と向き合うとか、その論理性、構造が全てだってわけでは全くないんですけど、
やっぱその、なんか結果を出さなきゃいけないとか、その割を発揮しなきゃいけないとか、そういう場において、置けるコミュニケーションが自分の文人の多くを占めてしまう。
そうこうしているうちに、結構今月創作意欲めっちゃ低くて寒かったのもあって、自分の文章が。
自分の文章が、久しぶりにこんなに、なんか動画も文章もあんまやりたくないような気持ちになって、
で、自分はまだこのなんかコントロールできるからいいけど、その正社員とかってもう時間が決まりきってるわけでしょ。
そうだよね。
そんな中で、やっぱいろんなタイプがいて、例えば脅威のない大輝とかは、結構そのなんか右を逆して倒りつつ、本当に根本のクエアな部分は、もう嫌顔でも持ってしまうタイプだと思うんですよ。
だからもう歌声もあんなにクリアだし、声も迷路を改革だし、だから逆にある程度そういう負荷はもう大丈夫というか、いいんだと思うんですけど、
逆に私みたいなこの精神性の落ち主は、それをやることによって、たちまちに違う実格になってしまうというか、なっていう感覚があって。
自分はまだコントロールできたからよかったけど、その外部要因は、めっちゃ根本の話を言うと、別にいくらでもコントロールできるんです。やめたらいいし。
けどこう、そうもいかない、なんかそういう自分が生活の対応を占めてるって時に、何ができると思いますか?そういう人。
何から始める?
そういう人は、
自分の声を信じる。
自分の声を、もう本当にちょっとしたことでいいんだと思う。
なんか例えば、カフェに行って、例えば何か注文する時に、例えばみんながこれを頼んでるけど、自分はこれを頼んで、見た自分がいる。
みたいなとこでも、まずは自分というものを受け入れた一歩に十分になってるというか、本当にちょっとしたことだと思うんだよな。
確かに。いかに気づいてるかっていう話かもしれないですね。
そうそうそうそう。
全ての選択において。
そうそう本当にそう。だから組織に属することが別に悪いことでもなくて、むしろ組織って違う人たちの集合体の中でずっと生活していくみたいなことだから、
自分との違いがすごく明確に感じやすい場だから、すごく私はいい練習の場だとも思うわけ。
だからその中でも気づけると思うし、でももう組織に属していて、その自分が一部なんだって思うのではなくて、あくまで違う人間としてその組織という違う世界にお邪魔してるみたいな視点で見てみるっていう、
自己の軸を保つ重要性
だからそれも柔道か能動かみたいなところの違いだと思うんだけど、軸足をちゃんと自分に置いておくっていうことが重要なんだと思うね。
いやーそうですね。そうなった時にやっぱ、能動的であればあるほど摩擦がすごいような感覚もあって。
そういえば組織にいる時に、組織と目的を一致にすればそれは同質じゃないですか。
その中で自分というものを持ってしまうと逆に、全てのコミュニケーションとか意思決定においてその共同体の中でも違和感が発生するというか、それが孤独を抱くということなんだと思うんですけど。
だからどの部分での目標というか目的がマッチしなかったかっていうことだと思うんだけど、摩擦が起きそうなぐらいの目標のずれがあるんだったらそこはやめたほうがいいよねって思うね。
そうだね。とも思うな。だから何で摩擦が起きてるかっていうことにもよるけれど、
例えば組織としてのポリシーと自分の人間としてのポリシーっていうものが仮に合わなかった場合に、しかし自分はある意味組織にお邪魔してる人間だから、自分は自分で自分の世界が外側にあって、
で、ここの世界にお邪魔してる時にはこっちのポリシーにちょっと合わせて動いてみるかみたいなことができるんだったらいいんだと思うんだけど、でもそれが受け入れられるか受け入れられないかみたいなところな気がするね。
確かにそこすら自分次第というか、それが無理だったら無理でいいという。そうそうそうそうそうってすごく思う。
なんだけど、だいたいその摩擦が起きた時って、そもそもその人が軸足を自分というものに置いて摩擦が起きてるっていうよりかは、完全に組織の中に軸足を置いて摩擦が起きちゃってるっていう事例の方が私はよく聞くなっていう感覚があるから、
一旦摩擦が起きた場合に、一旦ちょっと自分を外に置いて、今何が起きてるかっていうのを結構冷静に見るっていうのは大事な気がする。
確かに。話を戻すと、ありのままでいていいと思える理由は、当たり前だろう。この社会には少ないだろう。そのため自分の心の中や安全と思えるところからやっていけ。そして孤独を抱き、孤独を受け止め、全て受け入れるところから道は開いていくという結論でお待ちがいないですかね。
いや本当そう思う。そう思うよ。意外とね、自分でちゃんと孤独になってみると、意外と外には孤独になって頑張っているというか、生きてるかっこいい先輩たちもいっぱいいるから。
そうですね。
そうそうそうそう。そういうところで、新たな出会いがまた出てったりするんじゃないかな。自分なり方が変わると出会いも変わるからね。
いや本当にそうですね。なんかめっちゃ仲いい自分で授業やってる友達がいて、すっごい精神性がいけてるなって思いますね、その子。でなんか、外行とかに全然行かない。パーティーとか、交流会みたいな。全然行かないのに、時々行ったところでちゃんとその、仕事につながる何かを持って帰ってくれるタイプ。それが上手すぎる子なんですけど。
なんか疲れないのって、自分の目的と合わなすぎる人とかと話したら、疲れたりしないのって聞いたら、そういう時はなんか自分の何かが間違ってるんだなって思うって言ってて。そういう人が現れるっていうことは、そういうことをやってるっていうシグナルだからみたいな話をしてて。
奇跡の極みみたいな。
すげーと思って。
いやー、もうでもほんとその視点が持てたら、楽ではないけど、でもすごい早いと思う。
そうですね。
ほんと。鏡だからね、自分の外側に映ってる全てはね、自分の鏡。
確実に社会の何かはあるんだけど、ありのままでいていいと思えてないということは、真剣に思おうとしていないということで終わるのかもしれないですね。
そうだね。
そこに苦しみを感じるのなら、それは良いシグナルというか。
そう思う。そう思う。そう思います。
ということで、この番組では取り扱ってほしい出来事、株の種や感想を皆さんからも募集しています。
概要欄のリンクからぜひお気軽に送ってください。
あなたからのお便りお待ちしてます。
今日の株どうだった?
なんだかずっしりと深く根を張りました。
そうだね。
このありのままでいるみたいなことって、常にキーワードだなと思っているから、定期的に今どんなありのままを向き合ってるみたいなことって考えるの良いかなと思う。
この前ちょうど友達、同世代の友達と話してて、人生何度目かのありのままでいたいきなんだよねって友達が言ってて。
良い表現。
分かる分かるみたいな、何度か大きな波来るよねって言って。
彼女の場合は、子供が生まれてしばらく経って、普通に女性だったんだけど、そこから母親みたいな顔も出てきた時に、ありのままっていうか自分らしくみたいなことって何なんだろうっていうのが、新たにまた向き合い、今までとは違う向き合い方になってるってことだったんだと思うんだけど。
人生は旅。
そうよ。旅してこう。
ジャーニージャーニー。
では次回も、
一緒に大きな壁を抜きましょう。
またねー。
42:27

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