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2026/06/01 湧き水のほとり #118 片山廣子「ばらの花五つ」
2026-06-06 14:30

2026/06/01 湧き水のほとり #118 片山廣子「ばらの花五つ」

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サマリー

この放送では、作家・歌人の片山廣子の随筆「ばらの花五つ」が朗読されます。物語は、作者が散歩中に偶然出会ったバラ園の主人との、花を巡るささやかなやり取りを描いています。この出来事を通して、作者は人生における仕事や自立について深く考察します。

オープニングと番組紹介
湧き水のほとり。
FM八ヶ岳をお聞きのみなさん、各種インターネットからお聞きのみなさん、ごきげんいかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、さまざまな文豪の短編などを、少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、ひと息ついてくださいね。
片山廣子の紹介
本日は、片山廣子の作品、「ばらの花五つ」を読んでいきます。
作者の片山廣子は、1878年、明治11年2月10日、東京で生まれました。
父親が外交官をしていた影響もあって、東洋英和女学校を卒業した後は、アイルランド語で出版された作品の翻訳を積極的に行いました。
和歌や短歌を読む、歌人としても活躍し、片山廣子の作風は、「静筆にして孤独、好奇にして率直、誠実な霊魂の響き。」と評されていましたが、
翻訳活動も歌人としての活動も、当時は一部の人にしか知られておらず、正当に評価されませんでした。
42歳の頃、夫が先立ち、カルイザーの別荘へ転居。
その数年後、14歳年下の芥川龍之介と恋仲になったことや、赤毛の庵を翻訳したことで有名な村岡花子に多大な影響を与えたことも知られています。
そんな片山廣子の書いた随筆です。聞いてみてください。どうぞ。
随筆「ばらの花五つ」朗読
片山廣子作
薔薇の花五つ
昔私は大層暇の多い人間だった。
どうしてそんなに暇があったのかと考えてみると、しなければならない諸々の仕事をしなかったせいだろうと思われる。
そういう怠け者の人間が時たま忙しいことがあると、すぐくたびれてしまって、くたびれたときには散歩をした。
さて、あるときの散歩に、私の家からあまり遠くないマゴメの丘を登ったり降りたりして歩いた。
マゴメツクモダニとかいって、丘と谷がいくつも連なり、どの丘もどの谷もみんながそれぞれ違った光と色を見せて、散歩するには楽しい道であった。
その日私が歩いていたのは、今は小学校が建っているそのあたりの谷から、広い丘に登る小道を少し左に曲がって、東南に向いた傾斜面であった。
そのあたりはほとんどみんな畑で、ごくたまに小さい別荘風の小家が見えたが、私がちょっと足を止めたのは、その広い斜面を庭にして、
もと畑であった土地ゆえ、まだ木は一本も見えなかったが、バラ園を始めるらしく、バラの大きな株がいくつか植えられ、小さい株はごしゃごしゃとそのあたりいっぱいに見えた。
ちょうど六月のはじめで、大きな株にはたくさん花が咲いて咲きすぎるぐらいだった。
その新バラ園の主人らしい人がそのあたりを掃除していたが、まだ四十ぐらいの背の高い清らかな風才の紳士みたいな人で、
みなりはバラ園の親父らしい格好をしていたが、それはまだ狩物らしい姿に見えた、垣根もない道端に立っていた私は、その主人と眼をあわせたので、軽くおじぎをして、
「たいそういいお花でございますねえ。」と素人に対するようなことを言った。主人は少しはにかんだように、
「いや、まだはじめたばかりであまりいい花は咲きません。」と謙遜した。私は通りすぎようとしてもう一度言った。
「そのお花を少し分けていただけますかしら。」
「どうぞ。いくつぐらい差し上げましょうか。」
「五つぐらい。どうぞ。」と言った。主人は腰のはさみをとって花を切ろうとして少し躊躇するように言った。
「これはお代をいただいてよろしいでしょうか。」
「はあ、けっこうでございます。どうぞ。」と私も赤くなった。
のんきらしい顔をしていても、その大輪の薔薇の花を五つ、ただ無心する気はないのであったが、新しい薔薇園の主人は、代をとるということがたいそう骨のおれる難しい仕事らしく、
「それでは一輪八千ずついただきます。」と言って花を切りはじめた。さて五十千銀貨を出すと、
「お釣りを。」と彼はポケットに手を入れたが、
「いいえ、お釣りはもうけっこうで。」と私が止めたので、
「それでは花をもう一つ。」と言って彼は先かけた蕾を二つ切って出した。
なんとそのかわいい桃色の蕾が二つで、十千なりのお釣りであった。
私はその二つの蕾をもらったことが、うれしいような、悲しいような気持で歩き出した。
バラ園の主人のその後と作者の考察
あとで聞いた噂では、その薔薇屋さんは東海道筋のある県のお役人で、知事さんの次ぐらいな地位にいた人であったが、
ある時世間を騒がした遺獄事件で、部下のために災いされて退官し、世間から隠れてこの丘に引っ越してきたのだということ。
これは誰も確かに聞いた話ではなかった。
秋咲きの薔薇の作事文に私はまたそのあたりの畑道を歩いてみたが、
その日は植木屋らしい若い男が働いていて、主人は見えなかった。
それから二年ばかり過ぎて、この人は青天白日のみになって、また元の世界に花々しく帰っていき、
薔薇の畑は別の人の家となった。
その後二十何年かたって、たぶん戦争中にその人は亡くなったようであった。
終戦以来、戦争の恐れだけはなくなっても、狭い入れ物の中でかき回されているような私たちはみんながどん底に落ちて。
ただし、反対にのしあがった人も少しはあるけれど、
大抵の人は生活のために何かしら仕事をしなければ生きてゆかれない状態に押しつけられてしまった。
その中の一人である私も、何か働きたい、何か仕事を持ちたいと願っていたが、
求め求めている人には何かしら思いがけない道が開かれるように思う、
私は絶えて久しく忘れていた丘の上の薔薇屋さんをまた思い出した。
薔薇の花を切り、
蕾を一つ切り、
二つ切り、
小さい利益と小さい損失を積み重ね、積み重ね、
自分の新しい仕事を育ててゆかなければと、
この頃しみじみ思うようになった、
お花やお茶の先生も、
洋裁も、
卵を売ることも楽しいだろう、
洗濯布になることも勇ましく気持ちがいいだろう、
何かしら仕事をして、
人に恩務しない生活をしていきたい、
そして何よりもまず、
私たちの永短を捨てていこう、
しかし考えてみると、
この短文が全部、
一つの永短であるかもしれない、
もしそうだとしたら、
放送情報とエンディング
ごめんなさい、
発出は、
1951年、
昭和26年、
美しい暮らしの手帳11号、
より片山ひろこ作、
バラの花五つ、
でした。
お聞きいただきありがとうございました。
番組では皆様からのリクエストや、
感想をお待ちしております。
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レディモのメッセージ欄から、
お寄せいただけます。
お送りしましたのは、
開運商店でした。
この後も、
FM八ヶ岳でお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように、
またお会いしましょう。
14:30

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