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2026/03/10 湧き水のほとり #106 永井荷風「寝顔」1
2026-03-14 14:30

2026/03/10 湧き水のほとり #106 永井荷風「寝顔」1

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サマリー

この放送では、永井佳風の短編小説「寝顔」の前半が朗読されます。主人公の龍子は17歳で、母と二人暮らし。幼くして父を亡くし、母との関係は姉妹のようですが、母の人生が自分のせいで変わってしまったのではないかと感じ、寂しさを募らせます。物語は、母の風邪をきっかけに新しい医者が登場し、その診察の簡潔さに龍子が抱く戸惑いを描いています。番組の後半では、過去の放送がFM八ヶ岳のウェブサイトでアーカイブとして聴けることが告知されます。

番組紹介と作家・作品紹介
湧き水のほとり。
エフエム八ヶ岳をお聞きのみなさん。
各種インターネットからお聞きのみなさん。
ごきげんいかがですか。開運小天です。
ここからの15分間は、聞く読書の番組、
湧き水のほとりの時間です。
児童文学や、昔懐かしい物語、
さまざまな文豪の短編などを、
少しずつ読ませていただきます。
おいしいお水を召し上がりながら、
ひと息ついてくださいね。
今週来週2回に分けて、
永井佳風の短編「寝顔」を読んでいきます。
永井佳風は、1879年、明治12年、
12月3日、東京生まれです。
大事業家の息子として生まれ、
父は事業を継がせようと考えていましたが、
アメリカ留学、フランス留学を経て、
それぞれの国の文化を学び、
帰国してからは、翻訳家、小説家として活躍しました。
そして、慶應義塾大学文学部の主任教授として、
森鴎外とともに、現在でも名文史として発行されている、
雑誌「三田文学」の創刊に携わりました。
日本の近代文学を代表する作家の一人としても有名です。
その永井佳風が44歳の時に発表した作品です。
どうぞ。
小説「寝顔」朗読(前半)
永井佳風作
寝顔
龍子は6歳の時、父を失ったので、
その写真を見ても、はっきりと父の顔を思い出すことができない。
今年も17になる。
それまで龍子は小石川明河谷の小じんまりした土蔵付きの家に、
母と二人きり、兄弟のように暮らしてきた。
母の京子は娘よりも18歳上であるが、
髪も濃く、色も白いのみか、娘よりも小柄で、
背さえも低いところから、
真実、姉妹のように見違えられることもたびたびであった。
龍子は17になった今日でも、
母の父を飲んでいた頃と同じように、
土蔵に続いた八丈の間に、
母と寝起きを共にしている。
琴三味線も、
池花茶の湯の稽古も、
長年母と一緒である。
芝居へも縁日へも、
必ず連れ立って行く。
小説や雑誌も同じものを読む。
学科の復習試験の下調べも、
母がそばから手伝うので、
年とともに龍子自身も、
母、おば、姉か友達のように思うことが多かった。
しかし十三の頃から、
龍子は何の訳からとも知らず、
折々こんなことを考えるようになった。
母は、
もし自分というものがなかったなら、
今日までこうして父の亡くなった家に、
寂しく一人で暮らしてはおられなかったかもしれない。
自分が八つの時亡くなった祖母の家に、
とうに帰ってしまわれたかもしれない。
母がこの年月、
ここにこうしておられるのは、
まったく自分の生まれたためではないか。
龍子は母が養育の恩を今さらのようにありがたく、
かたじけなく思うとともに、
また母に対して何とも知れず、
気の毒のような、
つまないような気もして自然と涙ぐんだ。
それいらい龍子は、
ただに母と自分の身の上のみならず、
見まわす家のうちの家具ちょうど、
または庭の植木の様にまで、
そこ知れぬ寂しさを感じるようになった。
家のうちには、
龍子が生まれた時から見なれたタンス、
火鉢、
屏風、
書棚のごとき家具のほかに、
茶の湯、
裁縫、
生け花の道具、
または大きなガラスト棚の中に並べられた人形羽子板、
玩具の類、
一つ一つに注意すればむしろ物が多すぎるほどにぎやかに置かれてある。
それにもかかわらず、
家のうちはいつもしんとして、
うす寒いような気のするほど静かである。
日あたりのいい縁側には、
切り面の屋具、
羽太の座布団や、
親子二人の着物が穂される。
軒先には、
翼と尾との紫に、
首と腹との真っ赤な印子が、
青い籠の内からとんきょうな声を出して泣く。
さして広からぬ庭には、
しき絶えず何かしら花が咲いているが、
それらの物の派手な生めかしい色彩は、
かえって男気のない家のうちの静寂をば、
どうかすると一層淋しく際立たせるように思われることもあった。
日ごろ親子の家に出入りする男といっては、
日々勝手口へ御用を聞きに来る商人のほかには、
植木屋と御服屋と家作の支配人と、
それから桑島先生という内科の医者くらいのものであろう。
いずれも隆子の生まれない前から出入りしていた人たちで、
もう髪の白くなっていないものは一人もない。
立花屋という御服屋の番頭は、
長年母の実家のお出入りであった関係から、
母の嫁入りした先の家まで秋内を広めたのである。
支配人の高木というのは、
亡くなった主人が経営していた会社の使用人で、
長年金庫の番人をしていた固い老人である。
植木屋は蔵師がやから来る御兵という腰の曲ったじじいであったが、
隆子がちょうど高等著学校へ進もうという前の年、
松の下行きをしに来た時、
徴兵から戻って来た亀蔵というせがれを連れて来て、
自分は年をとって仕事に出られなくなったから、
この後は親父同様にせがれをお使い下さるようにと頼んで行った。
長年かかりつきの桑島先生が老病で世を去ったのもやはりその頃であった。
隆子はある日学校から帰って来た時、
前夜から少し風邪をひいていた母の枕元に、
年の頃は三十四五とも見える、
口ひげの美しい見知らぬ医者の座っているのを見た。
隆子は桑島先生の死後、
その代わりに頼むべき医者のことはまだ一度も母から聞いていなかったので、
その日突然見知らぬ若い医者の姿を目にした時、
隆子は何のわけもなく、
この医者もちょうど植木屋の御兵がせがれの亀像を頼んで行ったように、
桑島先生の生きていた時からその代わりとして推薦されたものであろうと思った。
そしてその時には岸山先生というその名前さえ母には問わなかった。
新来の若い医者は三日ほど経ってまた診察に来た。
隆子は母の枕元で話をしながらシュークリームを一口頬張ったところなので、
次の前逃げ出して口の旗と指先とを拭いた後、静かに元の座に立ち戻った。
医者は母に向って食欲の有無とまた咳が出るか否かを簡単に聞いたばかりで、
脈拍も見ず体温も計らず、また患者の胸に聴診器を当てても見なかった。
そして携えてきた鞄から処方箋を取り出して処方をしたためると、
そのまま黙って座を立った。
隆子は年とった桑島先生の診察がいつも嫌になるほど値入れであったのにひき比べて、
岸山先生の診察ぶりのこれはまたあまり簡単すぎるのに少し頼りないような気もして、
女中と一緒に玄関まで送り出した後、母の枕元に座るがいいなや、
「お母様、今度の先生はどこも見ないんですね。あれでいいんでしょうか。」
と言うと、母は別に重い病気ではない、ただ風邪をひいたばかりだから、
あれでいいのでしょうと答えて、安心している様子に隆子もそれなり何も聞かなかった。
もともと隆子は年とった桑島先生を深く信用しているわけではなかった。
ただ経験を積んだお世辞のいい会業員にすぎないことを知っていたので、
信頼の岸山先生の簡単な診察ぶりとあいそっけのない態度については、
かえって学者にふさわしいような気もしたところから、
その後病気になった時には、母の勧めるのを待たず、進んで岸山先生の診察を受けた、
というところでお時間となりました。
番組からのお知らせとエンディング
本日は、長井佳風の作品、寝顔を途中まで読ませていただきました。
続きはまた来週です。お楽しみに。
さて、FM八ヶ岳でお聞きのリスナーの皆様にお知らせがあります。
FM八ヶ岳のホームページのアーカイブには、約2ヶ月分の放送が保管してありますので、
スマホやパソコンからFM八ヶ岳のホームページを検索していただきまして、
アーカイブスというページの中から、湧水のほとりを探してみてください。
何時でも何回でもお聞きいただけます。
お聞きいただきありがとうございました。
番組では皆様からのリクエストや感想をお待ちしております。
FM八ヶ岳のホームページの問い合わせフォーム、
またはスマートフォンアプリレディモのメッセージ欄からお寄せいただけます。
お送りしましたのは、開運商店でした。
この後もFM八ヶ岳でお楽しみください。
本日もいい塩梅に過ごせますように。
またお会いしましょう。
14:30

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