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●wakanaプロフィール
幼い頃から大人の相談に数多くのり、人の心の動きに興味を持ち、カウンセリングや心理学などを“人が生きるということ”について独学で学ぶ。
外見、内面は深く関わり合い、人を取り巻くエネルギー全てが、つながっているのだということを体感し、自分の中にある叡智を引き出す「ホリスティックファッションメソッド」を開発。
南フランスのエズ村で出会ったアーティストと共に「ライフツリーカード」とオリジナルカードセッションを生み出す。
ライフツリーカードは世界中で使われ、オンラインではYahoo占い、LINE占いで1位となる。
現在は、世界各国に滞在しながら、世界各地で夫婦で人生の悩みについての対話会を開催。
Podcastラジオ「Waka no Oto」はランキング1位となる。
自分を大切にして生きることを自分自身と約束し、一人ひとりと心から向き合い、真の調和と光明化へと導くことを使命とし、活動を続けている。
著書に『信じる力』(きずな出版)がある。
わかのおと
サマリー
このエピソードでは、若名が介護の中で直面した許しの問題について深く考察しています。許すことの重要性や、感情を受け入れることが自己解放につながる様子を探っています。また、傷を癒し許しについての考え方が述べられ、自分を許すことと他者を許すプロセスが探求されています。特に、大好きな人の思い出を大切にすることで許しを促す方法が紹介されています。
介護と許しの問い
Waka no Oto、このラジオは、子供の頃から生き方についてずっと探求してきた若名が、
皆さんのご相談に対してメッセージを伝えする番組です。
皆さんにとっての、調和と安心につながる道の一つになりますように。
今日の質問は、おまんじゅうさんから来ています。
ありがとうございます。
では今日も、質問の内容、ご相談内容をシェアしていきたいと思います。
最初に、質問からお伝えしていきたいと思います。
許したいけど、まだ許せないことがあるときに、どのように自分と向き合えばよいですか?というご質問ですね。
この背景といたしましては、ちょっとこちらもね、私の方でまとめさせていただきながらお話しさせていただきますと、
このおまんじゅうさんは、おじいちゃん、おばあちゃんの介護を現在約2年間されているということだったんですね。
お二人とも認知症というものになってしまって、本当にね、大変な介護の日々を、
ちょっと自分をご自身を犠牲にしながらも、一生懸命大好きなおじいちゃん、おばあちゃんということでやっていたということです。
そんな中で、ちょっとしたね、会話から、ちょっと喧嘩になってしまって、
おばあちゃんから、自分の子供の方が孫よりも大切だ、みたいなことを言われてしまったらしいんですね。
で、一生懸命ね、おまんじゅうさんは、おじいちゃん、おばあちゃんの介護を毎日していたわけなんですけれども、
大好きなおばあちゃんから、なんかこう、自分は自分よりも自分のね、娘とかの方が大切っていうふうに言われたことで、
とてもショックを受けてしまって、納得のいかなさもあって、その気持ちをどのようにして解決したり、自分を解放してあげていいのかがちょっとわからないという、
そういったお悩みでした。
自分を許すプロセス
では今日もこちらの方にメッセージをお伝えしていきたいと思います。
このそうですね、メッセージもちょっと今日もしかしたら長くなるかもしれないのですが、ゆっくり聞いていただけたらと思います。
このまず許すということにおいて、大きく2つの許すという行為を私たちはしていくことになりますね。
この許すということは、相手があって何かが起きて何かをされて、それに対して自分自身が傷ついたり、怒ったり、そういったものを抱えながら、それを自分の中で許していくということが許すということの状況になると思うんですけれども、
そういった状況の中では必ず自分の許すと相手の許すという2つのことに、視点について向き合っていかれるといいなというふうに思うんですね。
まず自分の許すについて、自分の許すとはどういうことかということ、どういうことをやっていけばいいかということなんですけれども、
おそらくね、今回起きたこと、一生懸命ね、自分がこんなにも自分自身を犠牲にしてまでも大好きなおじいちゃんおばあちゃんのために尽くして一生懸命やっているのに、そんなこと言うなんてすごいショックっていう思いがありますね。
ただ意外と結構皆さん多いかもしれないんですけれども、純粋にそれで怒ってしまえばいいんですよ。
もう嫌だとかこういうことはされたくない、とても私は怒っているっていうふうに自分の中で、その許せないっていう感情を、感覚を、ただただ許せないと思うこと。
これをね、意外とできてないことが多いんです。
なぜできてないかというと、怒っているし傷ついているんだけど、そこにやっぱり大好きな人だったり、身近な友達、家族とかそういったつながりがある方に関しては、
どうしてもこうね、怒りきることに罪悪感というものがあったり、こんな風に怒っている自分って全然良くないんじゃない?っていう自責の念が生じてきたり、
例えばあとは相手のことを理解しようとね、思いますよね。やっぱりなんでこんな風に言ったんだろうって。
で、このおまんじゅうさんの場合も、おばあちゃんは認知症になっていらっしゃって、そんな中ね、いろいろあって、このストレスの中で行われたこの会話だったわけなんですけれども、
そういった相手を理解しようとする思い、これはとても大切なんですが、これらがあるとですね、許せないって思ったことを、ただただ素直に許せないって受け入れられないんですね。
そうすると、思った感情、自分で感じた感情を素直にそうだって受け入れられないと、それがスタックするみたいな感じ。
なんかこう、滞りみたいになってですね、どんどん大きくそこに流れていかないので、感情が溜まっていくんですね。
つまり前回かな、前回か前々回か言ったかもしれないけど、感情のブラックホールっていうものがそこにできてしまうんです。
なので、まずはね、許せないって思ったこと、本当にショックですっごく傷ついたんだっていう、自分自身のただただ素直なその感情を自分で認めてあげる、そのままそう思うということをするという、素直に受け入れるということをします。
これが自分の許すの第一歩。
自尊心と愛の確立
なんか一切成就っていう言葉がありますけれども、これぜひね、調べてみてほしいんですが、
滞りがなければね、どんなに大きなことが起きたりとか、感情が動いたりしても、ただただそれを受け入れ、自然に流していけば、流れてそこには滞りは一切なくなるよねっていうような意味合いなんですが、
それをね、ここでやっていくんです。
次に、ここもとっても大切なところであり、人間としてここの部分に気づき、大切にそこをね、やっていくことで、ものすごく分かりやすく、レベルアップするということが起きてくるくらい大切な部分なんですけれども、
それを申しますと、いかに自分が尊い、愛されるに値する人間であることを許すということです。
もう一度言いますね、自分が活かされね、本当に愛によって活かされ、尊いね、それは命ですね、愛されるに値する人間であることを自分に許すということをやっていきます。
これはこのまま言葉として自分に何度も言っていくとですね、最初はなんかただ読み上げているような感覚になるんですけれども、何度も何度もね、毎日唱えるようにね、やっていくとね、これ不思議と本当になんかこの違った感覚になっていくという時があるタイミングが来るんですね。
これをね、ぜひ自分自身に何度も何度も伝えてほしいんです。
で、この実際に、なんか言ったら人間として、こうね、魂に命を与えられて地球に来るっていうこと、ましてやね、日本に来るっていうことは、とってもね、大変なことらしいんですよ。
特に日本はね、なんか簡単に来れないところらしいんです。聞いたところによると。
それぐらい、いろんな難関とテストとたくさんの倍率を抜けて、人間として、日本人として、今ここにあるということ、美しい姿であるということ、生きているということが、もう完全に言ったら天からもう認められて、
あなたはもう本当にこう愛を生きてねって言って、命を与えられて来ているっていうことなわけですね。
なのでこの尊い自分、愛されるに値するんだということをまず自分自身に許すということさえ自分がすればですね、そもそもそうなので、そもそもそうなんです。
なので、そういったところの扉がパンと開くわけです。その扉がパンと開くと何が起こるかというと、
これはね、不思議なんですけども、ガラスの家、家みたいな感じ?みたいな感じで、常に自分を守っていくような力というか、そういったものが、より強くご加護というかね、そういったものが与えられていくようになります。
これもね、また言葉としてぜひ響かせておいて欲しいんですけれども、こんなにもね、尊い自分、一生懸命ね、生きている自分は、たとえ外でどんなね、行動されようと対応されようと、一切そんな悪い影響を受けない、受けるわけがない。
こういうふうに考えるんです。こんなにも尊い愛されて選ばれて託されてきた命である、それを命を生きている、今ね、生きている自分が嫌なこと、傷つくこと、そういった苦しめようとするようなことをされるっていうことは、もうありえない。
そういった考え方を取り入れてみてください。これができるかどうかは、ゆっくりじっくりやっていけばいいんですけれども、
まずはね、「しゅはり」っていう物事を何か新しいことをやっていくときには、ただその言葉通りのね、言葉通り唱えてみて、自分に言ってみるっていうところから、ぜひやってみてください。
そうすると、知らない間に結構ね、自分でちゃんとガラスの壁を作ることができるようになりますね。
で、やっぱりね、どれだけ大切な人、大好きな人だとしても、人間である以上で、どうしてもこう執着であったり、悲しみや怒り、そういったものがですね、どうしても湧いて出てくるわけです。
けれども、そういったものが、実際ガラスなので、こうされたっていうのはなんか見えるんだけど、でも実際はガラスの壁にポーンと当たって、入ってこれないのね。
虫さんがよくね、外から入ろうとして、ガラスをこうね、こっちガラスってわからなくて、中に入ろうとして、でも入れなくてガラス戸でトントントントンって飛んでいる姿を見たことがあると思うんですが、そんな感じで入ってこれないわけです。
許しのプロセス
ということは自分の世界には、その傷つけるもの、ショックを与えるものというものは実際には存在し得ないということなんですね。
ただそれを窓を開けて、じゃあ私はそのショックを感じますっていう風に引き入れれば、ちゃんとそのショックは感じることができる。
という風になっているので、この辺はやりながら見えてくるところなので、あまりね、ちょっと理解できなくても、ちょっと音として響かせておいて欲しいんですが、この2つ、自分を許すということをまずは自分自身にはやっていく。
では相手を許す、相手の許すっていうことはどんなことをやっていくかっていうことを今からお伝えしますと、
おばあちゃんということで大好きな人だったわけですね。
だからこそ多分すごくショックを受けてしまったわけなんですが、大好きな人であればとてもやりやすいことなんですけど、
もともと大好きだった姿を思い浮かべるんですね。
おばあちゃんの本当に素敵な姿、おばあちゃんから優しく愛された姿、遊んでもらったりね、声をかけてもらったり、思いをかけてもらった、そういった姿をね、思い浮かべるんですね。
その思いでその人のすべてを一つ一つ見ていこうとすること、これが相手を許すというところのプロセスになっていきます。
この大好きな姿っていうものを思い浮かべるというのは、
でもそもそも本来、本当に命あるものはね、完全に円満であって、本来の姿なわけです。
例えばおまんじゅうさんが大好きなおばあちゃんを思い浮かべる、その姿はおばあちゃん自身の本来の姿なわけです。
ただそこに先ほども言ったように生きていると、執着、悲しみ、怒りっていうものを自分の中で納得しきれなかったような、そういったものがですね、誇りのようにちょっとついていってしまうわけですね。
どうしてもその誇りは感情を揺さぶらせてくれるので、何か言ってきたりとか、何か傷つくような行動してきたりみたいな、分かりやすく揺さぶられるので、
どうしてもその誇りだけを見て、何かこう苦しくなったり何ともできないような気持ちになるかと思うんですが、それは誇りであるということを認識してみてほしいんです。
本当の姿はおまんじゅうさんが心の中にある、おまんじゅうさんの心の中にある大好きなおばあちゃんの姿、それ愛のあるね、おばあちゃんの姿、それが本来のおばあちゃんの姿であります。
なのでね、そこを見ていこうとする、そこにつながっていこうとすることで、今ある一つ一つのことがまた違った感覚、まねんぱとして受け入れることができるようになっていくのではないかと思います。
神からのメッセージ
あのね、今日はちょっと長くなってるんですけど、私がね、すごく傷ついたときに、自分でもいろいろやっても、なかなかその傷がね、うまく癒せなかったことがあって、そのときにね、どうか今の私を癒すメッセージをください、というふうにお願いをしてみたんです。
そしたら、結構強めのメッセージなんですけど、ちょっと長いかもしれない、それを今日は最後にシェアして終わりたいと思います。ちょっと長くなっちゃいますね、すいません。
では、そのまま読ませていただきますね。ここで神という神様の神が出てくるんですけれども、その神というのは、先に伝えておくと、特定の神というものではなく、本当に大元の大いなる存在という感覚で受け取っていただければと思います。
では読みますね。
そして、そなたの人生と関わり合いにナイフなど存在しえないのである。過去、うまくいかなかったことがあっても、もうすでに天により昇華し、引き続きあなたへの応援を求めている。
そなたの人生と関わり合いにナイフなど存在しえないのである。過去、うまくいかなかったことがあっても、もうすでに天により昇華し、光に帰って消えている。
自らへの正直な愛で行き、行動したのなら、それは必ず天を通して最善の形で現実に下ろされるのである。どんな状態の誰の心にもそのものにあった愛の形で下ろされ伝えられていく。もし伝えられるべき相手でなければ、伝えるという機会は与えられないだろう。
そうやって守護たちは守っているのである。
汝が本来の光を怪我されないように、傷つけないように、離れないように、しっかり守っているのである。
信じよ、相手が渡した愛の形で受け取れず、それに対しても返せずにいても、必ずや確実に愛の灯火に火はつけられるのである。
必ずやすでに愛の炎は燃えているのである。
それがそのものを温めるのに時間がかかる場合がある。
ただ、心でありがとうと唱えればよい。
ありがとうのことを思えばよい。
許しなさい、自分を、相手を怒ったことを何度でも。
汝に間違いはないのである。
神の子として自覚して生きるならば、相手の反応を超えた天の力H、愛が与えられ守られ導かれていく。
ということで、少しでもね、おまんじゅうさんや同じような状況に今いらっしゃる方々が
癒され、楽になり、力を取り戻して、愛を取り戻して、きらきらと光り合うことをお祈りしています。
ということで、今日もありがとうございました。
今日のメッセージはいかがでしたか?
皆さんの相談もお待ちしています。
今日も皆さんにとって最善の素晴らしい一日になりますように。
和歌の音。
22:39
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