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こんにちは、わかまろです。今日は、選べなかった命、出生前診断の誤診で生まれた子という本のご紹介と、
考えたいなと思っていることについてお話をしたいなと思います。今日は、命とか障害とか、ちょっと真剣に考えるべき重たいテーマの話が
ふんだんに盛り込まれているものになりますので、ちょっと今は心理的にそういうのを聞ける状態じゃないとか、あんまりそういう話が得意じゃないというか、好きじゃないという方は、ここで聞くのをやめていただければなと思います。
この本は、出生前診断にまつわるある裁判から、そこにまつわる人々の状況だったりを描いたノンフィクションなんですね。
じゃあ、出生前診断というのは何かというと、聞いたことある方が多いですかね。ご存知の方も多いんじゃないかなと思うんですけれども、これは妊娠中に母体の血液、お母さんの血液検査だけでダウン症などの染色体異常を調べられるものです。
この検査はですね、非常に最近精度が上がってきていて、この検査を受けて陽性だった場合にですね、
9割近い夫婦が中絶を選択しているというものになります。 私もこの検査のことはうっさら知っていたんですけれども、
妊娠中にですね、今の第2子の妊娠中に病院から実際にその検査の案内をもらいまして、ちょっと真剣に考えたことがなかったので、すごくドキリとしてしまって、
そこからちょっと調べてこの本にたどり着いて読んでみたのがこの本です。 私は病院からその出生前診断の案内をもらったんですけれども、受けませんでした。
受けないというふうに決めました。これは例えば、障害があったりとか、どんな子供であっても育てるぞと明確な意思があったわけではなくて、
その結果が陽性であったとしても、私は何も決められないだろうなと思ったので、受けないという判断をしています。
ただこの案内をもらった時に、ちょっと本当にドキリとしてしまって、何か見てはいけないものを見てしまったようなそんな気持ちになり、
夫にも相談をしなかったんですね。この出生前診断受けるか受けないかっていう相談もしなくて、なんとなく蓋をしてしまったような感じでした。
ただ、せっかくそういう考える機会があったにもかかわらず、素通りしてしまうのはちょっと気持ちが悪いなと思ったので、
出生前診断についてちょっと色々調べてみたいなと思って、今回の本を読んでいます。
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今回の本は、この出生前診断をめぐってある夫婦が起こした裁判をめぐる話になります。
どういう話かというと、ある北海道に住む当時41歳の母親が胎児の染色胎児を調べるこの用水検査、その診断を受けて、
実際にはダウン症という結果が出ていたんですね。ただその検査に携わった医師が誤って異常がありませんと伝えていたので、
その母親は産むことを決断して、その後男女を出産したけれども、その子が検査の結果通りダウン症でした。
そのダウン症に起因する重い合併症で、約3ヶ月後に家にも一度も帰れずに亡くなったということがありました。
これをもとに、その両親は医師と病院を訴えたんですけれども、何で訴えたのかというと、
その出産をするか、人工妊娠中絶をするのか、自己決定をする機会を奪われたとして、
訴えを起こして、1000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしています。ここまで聞いて、皆さんどう思われますでしょうか。
この裁判についての指揮者含めてのコメントは、非常に原告の母親に対して否定的な意見が多かったみたいです。
批判されたのは、すでに子どもが生まれていたわけですよね。生まれていたのに、その出産を検討する機会を奪われたというのはどういうことだということや、
1000万円という金額は大きすぎるんじゃないか、お金目当てなんじゃないかとか、断章を持っている子を産むことを損害だとみんな知っているように感じられるよとか、
そもそも断章時であれば、中絶していたかもしれないと言っていること自体が差別になるんじゃないかとか、そういったことでネットでもかなり論争が繰り広げられたそうです。
ここまでだけでも考えなきゃいけないことってたくさんあると思うんですね。その1000万円の医者料って、何の損害に対する医者料なのか。
その損害とは、自己決定をする機会を奪われて断章の子どもを産んだことなのか、断章ではないと言われていたのに、障害があったことに対する精神的なものなのか。
もしくはその合併症によって、断章の合併症で子どもを失ったことに対する悲しみなのか、もしくはその断章で生まれたことそのものっていうのが損害なのかとかですね。
ここら辺もすごく当時言われていましたし、私たちも考えるべき考えさせられることだなと思います。
この母親をですね、冷たい母親だとか、検査の結果で産むかどうか決めようとしてたなんてとか、後になってから裁判起こすなんてとか、批判するっていうことはすごく簡単だと思うんですけど、
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これって他人が簡単に批判しちゃいけないことだと思うんですよね。 だって自分がその母親の立場だったら
どうですかねっていうのをすごく考えてしまいます。 この母親というのは上にもう何人かお子さんがいらっしゃるんですね。
で検査をした当時は、確かに陽性だったら終絶するという判断をしていた可能性が高いけれども、
そうとも言い切れないっていうのを後から言っています。 あと生まれた後もですね、すごくすごく葛藤して愛情をかけようと、その生まれた子に対して愛情をかけようとするんですね。
その生まれた子は天成君っていう名前が付けられたんですけれども、合併所ですごくすごく苦しむわけです。
ただその苦しむ天成君を一度も家には連れて帰れなかったけれども、上の子たちを連れてお見舞いに毎日行ったりですね。
かわいがろうかわいがろうと、すごく努力をするわけです。 その後短い間で亡くなってしまった天成君のことを思って、すごくすごく深い悲しみを持つわけです。
特に考えさせられるなと思っているのが、 両親はですね、この裁判を起こした両親は、その自分たち、両親に対する遺写料だけではなくて、
亡くなった天成君に対する遺写料っていうのも請求をしているんですね。 じゃあ天成君に対してどういった遺写料が発生しているかというと、
生まれなければ死の苦悩、死の苦痛、すごく苦しんでいったっていう、 その苦しみ自体がなかったですよねっていう論法で訴えを起こしています。
この訴え自身はですね、ロングフルライフ、ロングっていうのは間違ったっていう意味のロングですね。
子供自身が主体となって、生涯を持っている生、生というのは生まれる生と、終絶によって生まれなかったこと自体が比較されて、
生まれたこと自体が損害だから、そこに対して遺写料を請求するという内容です。 これも皆さんどう思われますかね。
生まれた意味がない、生まれたことが損害なんていう、そんな子は一人もいないんだっていうのはすごく簡単ですよね。
ただその本人と周りを取り巻く家族が、そこに対してどう感じるか、どう思うか、どう向き合っていくべきかっていうのは、
もちろんそれは他人がどう言える話ではないです。 このノンフィクションの中にはですね、
両親以外にも、それを取り巻く環境だったり、携わる人々についての詳細な取材をもとに情報というのが書かれています。
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例えば、実際に医療の現場で出生前診断や、その障害を持って生まれた子供の対応にあたる医療者の方々の苦悩とかですね。
例えば、障害を持って生まれて、手術をすれば助かるのに、その親が手術をしないという選択をしたばかりに、
栄養が取れなくて亡くなりかけていく、赤ちゃんをずっと見つめなければいけない看護師の方の苦しみだったり、
あとは、障害を持っていると分かっていった上で準備をして、出産に当たった方のお話だったり、
障害を持って生まれてきた子の里親になっている方のお話だったりですね。
いろんな角度、いろんな方面から、その命ということに対してすごく深く丁寧に書かれているので、とても読みごたえのある本フィクションになっています。
この本を私は2回ですね、リピートして読んで、自分なりの考えっていうのを
いろいろノートに書いたりして、まとめてみようみたいなと思ったんですけども、どれだけ考えても答えっていうのが出せないんですよね。
ただ、答えが出ないからといって考えるのをやめていいことではないと思いますし、
この世の中には考えても考えても答えらしきものは出ないんだけれども、考えるべき問題っていうのがたくさんあるんじゃないかなと思います。
ここの本の中で触れられていたのは、女性の忠誠の自由だったり、
有性保護法の絡みであったり、私たちが目を背けてしまいがち、自分の人生だったりで直面しなければ考えないようなことがたくさん書いてありました。
実際に考えて結論が出せなかったとしても、考えることそのもの、向き合うということそのもの自体が自分にとってすごく大事なことかなと思いますので、
ちょっと目を背けてきたこと、世の中のことについて、もうちょっと他のジャンルでも本をたくさん読んでみたいなと思いますし、
皆さんもお時間をとって、ぜひ読んでみていただければなと思います。
ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。また次回も聞いていただけると幸いです。