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みなさん、おはようございます。わだきなこでございます。
今日は何日?8月27日か8日か9日。もうすぐ8月が終わろうとしておりますけども、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
暑いね。相変わらず外はすごい暑い。ちょっと外に出て、ゴミを出したり、庭の水やりをしたりするだけで、もう汗が吹き出ちゃいますね。
まあそんな感じで、まだまだ暦は秋やけど、体感温度はまだまだ熱中症に気をつけなきゃいけないっていうところで、対策はしっかり講じていきたいなぁと思う今日この頃なんですけども、
今日は何の話をしようかなと思ったんですけれども、自分の地盤が整うと、イエスとノーが決断力が結構エネルギーがいらないっていうようなお話をしようかなと思うんですけれども、
自己理解っていうふうに言ったらいいんですかね。何か新しい道に進みたいとか、ビジネスをしてるとか、そうでなくても会社とか仕事で結果を出したいとかいうときに、必ず通る道っていうのが多分自己理解という単語というか、自分のことを理解するということだと思うんですよね。
就職活動するにしても自己分析なんて言葉があると思うんですけれども、
自分自身はどういう人間かっていうのをきちっと、
掘り下げていくと、何か天気があったときに、その選択をするべきか否かっていうのに、割とエネルギーを使わずにパッと本能でというか、答えられるなっていうのを最近ちょっと分かった出来事があったのでお話ししています。
っていうのも、私自身のお話で恐縮なんですけれども、私には小さな夢がありまして、週末、週に1回ぐらいかな、
お家で、
漢方と生態を掛け合わせた自宅でサロンを開きたい。
自宅じゃないかな、レンタルスペースとかで開いて、来てくれる人を体と心を両方癒して差し上げたいっていうような夢があるんですね。
薬剤師の仕事も大好きなので、それもやりながら生態の腕を磨いていって、二足のわらじでやっていきたい。
今はそんな風に考えています。
この夢が、
今は、わりとはっきりと声に出して言えるようになったのが恥ずかしながら最近なんですよ。
最近っていつかっていうと、本当に2週間ぐらい前からです。
それまでは、やりたいなって思ってても、なんかね、自分の中で決意が甘かったのかな、声に出すのがなんとなく億劫だったんです。
怖かったんですよね、きっと。
ちょっとバカにされるんじゃないかな、みたいな。
なんとなくの恐怖心みたいなのがあったんですよね。
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同じようなセラピスト仲間さんには、もちろん言ってました。
やりたい、将来的にはこんなことしたい、あんなことしたい。
だけど、こういう風に声を台にして、特定多数の方に、私は漢方と生態を掛け合わせた、心と体を整えるサロンを開いてセラピストになるっていうようなことを口に出せなかったんですよね。
でも、最近、なんでかわからないんです。
それを徐々に勇気を出してみようって思って、まずは自分にそうなりたいんだよねっていう風に認めて、ちょっと勇気を出して、まずは声に出してみるとこから始めようっていう風に思って、それを声に出し始めました。
自分はこういう風になりたいっていうのをきちっと言語化する。
それをしていくうちに、なんとなく今は馴染んできたかなっていうような、その夢に向かって改めて一歩進んでるのかなっていうような感じです。
で、それを、
続けているうちに、とある出来事があったんですね。
っていうのが、私の古くからの知り合いで、それこそ柔道制服師の先生。
昔、生骨院で大阪に住んでた時にお世話になっていた先生なんですね。
その先生が、神経師の資格も持ってはるので、張りもできるし、体もいじることができるような先生なんですよ。
で、今も繋がりがあって、大阪の実家に遊びに行くときに、その先生に時たま体を見てもらうことがあるんですけれども、
その時に、以前から、妊娠する前、だから去年の春ぐらいから、いつかその先生もね、独立して、
漢方ができる人と一緒に手を組んで、共同経営者みたいな感じで、サロンをできたらいいなって思ってるんだけど、
一緒に、きなちゃんやらないかい?っていうようなありがたいお声をいただいていたんです。
ものすごくありがたかったし、同時にプレッシャーもありました。
こんな自分にできるんかなって。
ただ、妊娠して育児をしていて、それを子育てをしていくっていう風になった時に、
先生から改めて、もう一回ふわっとお誘いがあったんですよね。
で、その時に、当時の私だったらめちゃくちゃ悩んでたんです。
なぜなら、今の自分には、ありがたすぎるぐらい、またとない機会だし、チャンスだから、
こんな機会、つかまなきゃ損だっていうような状況だけで判断して、
目の前の流れてきた船に飛び乗ろう。
自分はね、割と向こう水なんで、そういうタイプなんですよね。
だけど、今回は、お誘いがあった時に、お申し出をはっきりとノーと断ることができたんですよね。
それは、先生のことが嫌いだからとか、そういうわけじゃなくって、
お互いの向いている方向が違うからっていうのが、腹落ちしてたから、それが即座にわかったんですよね。
先生は、しっかりとサロンというか、もう整骨院を開いて、治療して開けていきたいっていうようなところだったと思うんですけれども、
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私が目標としているのは、あくまで漢方とか、メンタルのケアも結構重視。
体のケアだけじゃなくて、メンタルのケアも取り入れて、
整体なので、どちらかというと、リラクゼーションサロンっていうような感じですかね。
で、それをして、先生は、お薬がわかる人が来てくれたらめっちゃいいやんっていう話をしてくれてたんですけど、
残念ながら私は、薬剤師の資格は持っているけども、売ろうと思えば確かに漢方薬の販売もできる資格はあります。
だけど、自分がやりたいって思っている、腹落ちした目標の中に薬の販売っていうのはないんですね。
やりたいって思わないんですよね。
自分がやりたいのは、漢方の理論を使ったメンタルケアと、
よく言って漢方茶を飲んでいただくっていうところまでですね。
どちらかというと、身近にある食べ物とか、ストレッチだとか、
そういうのを使って心と体を整えていく。
それが私の目標であり、信念というか、
それで関わる皆さんを笑顔にしたいっていうのがあったので、
先生の、私に求めることによって、
求めるお薬を出してっていうところで、向いている方向が違ったんですよね。
そして私は、週末にひっそりとプライベートサロン的な感じでやりたいから、
がっつりがっつり患者さんを入れて回してっていう風に、
今のところは考えていないっていうところで、
これは手をつないだとしても、きっとどの道向いている方向が違うから、
手を離すことになってしまう、そんな気がしたんですよ。
なので、それだときっとお互いのためにならないなって思って、
はっきりとお断りをすることができたんです。
先生は残念がってましたけど、でも確かにそれもそうだよねって。
それなら、向いている方向が違うから、
お互いそれぞれの場所でやれたらいいねっていう話をして、
その会は終わったんですね。
もし、あの時、自分の心の中がまだ地盤がはっきりと、
決まってない段階で、またお誘いが来てたら、
きっとよく考えずにやってたかもしれない。
それはそれで経験値として全然ありかなとは思うんですけれども、
私ちょっと悪い癖があって、せっかくのお誘いなんだからっていう、
相手のご好意をよく受け止めてしまって、
NOと言えないところがあったんです。
これって、
ちょっと考えたら、相手のためにならないこともあるんですよね。
これって全部YESにした方が、相手が喜ぶ、相手の顔色を、
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うかがいすぎるがゆえに、NOと言わないYESマンになりがちな部分があったし、
本当はNOかYESとは言い切れない、なんだけれども、
どうしようかなっていうところに、すっごいエネルギーを使ってたところがあったんですね。
でもこれ、今回の経験を踏まえて、時と場合によっては、
はっきりとNOと言った方が、自分だけではなくて、
むしろ相手のためにもなるんだなっていうのをすごく学びました。
なので、そこで自分自身が悩んで、相手にそれを付き合わせていても、
相手の時間とエネルギーも、もしかしたら消耗させてしまう場合もあるので、
自分を、
まずはよく知って、自分ってどういう人間なんだろうっていうのをきちっと腹落ちさせて、
目標があるのなら、勇気を出して、それを自分が声を出せるぐらい勇気を出して、
まずはちょっと言うだけで、ただなんでね。
で、その上で、何か新しいものっていうのが、何か舞い込んできたときに、
自分のフィルターがきちっとかかっていると、それを自分の体の中に入れるか入れないのかっていう判断に
は、そんなにエネルギーは使わなくても、イエスとノーの判断力つくんやなっていうお話でございました。
皆さんはありますかね。何か出来事があったときに、相手の顔色とか、とはいえこうだしなって思って、
自分ではなくて、相手様の気持ちを優先しすぎるがあまりに、ついついイエスと言ってしまうことないですかね。
もしそういうのがあるなという方は、今一度、私ってどういう人間なんだろう。
どんな時間なんかなっていうのを、ちょっと見直す時間作ってもらえたらいいんじゃないかなと思います。
でね、どんなふうに見直すのかっていうやり方はね、本当にたくさんあるかと思うんですけれども、
まずは、紙に書いてみることっていうのを、きなこ的にはおすすめするかな。
何かね、一人の時間が5分でもいいから、紙に書く時間もないよって方はスマホでも大丈夫なので、
自分が今どんなことを思っているのかっていうのを、とりあえず殴り書きにしてもらって、
それを、ちょっと外から自分の気持ちを眺めてみるような感じ。
それをすると、自分を第三者目線でね、客観的に見ることができるので、
ああ、私ってこんなことを考えてたのかっていう、新たな視点の物事が見れるかもしれません。
ゲームで言ったら、主人公をちょっと上から見てる感じ。
主人公目線で世界を回っているのではなくて、ちょっとね、ドラゴンクエストみたいな感じの上から見てる感じ。
あれで、ゲームってね、
ちょっと話が逸れるかもしれないけど、ちょっと俯瞰してゲーム進めてると思うんですよ。
完全に完全に主人公に憑依してるかって言われたら、そういうわけではなくて、
どっか第三者で見てる目線があるかと思うんですよ。
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なので、何かあった時に、結構ゲームの中だったら、イエスとノーの判断、選択肢がね、出ていた時にね、
〇〇は話しかけて欲しそうに、こちらを見ている、話す、話さないっていうやつの判断は割とできるかなって思うんですよ。
〇〇は話しかけて欲しそうに、こちらを見ている、話さないっていうやつの判断は割とできるかなって思うんですよ。
あれって、自分ってどういう振る舞いをするかっていうのを、どこかで決めてるんですよね。
だからそれに沿って、イエスかノーを判断してるけど、これが自分のことになると難しい。
でも何でかなって考えた時に、きっと自分の中で、私はこういう人間だっていうのを、はっきりと分かってるようで分かってない時に、そういう迷いが生じるのかなっていうのを思いました。
なのでね、一度ぜひ、自分ってどういう人間なんかなっていうのを、神にかき殴るだけでもいいので、迷うことが多いなっていう方は、ぜひやってみてください。
私は、こういう迷える子羊ちゃんたちを、ちょっと救えればいいかなって思って、心理学やカラーセラピーを勉強しています。
まだまだね、モニターさんを撮ってる段階なんだけど、これを聞いているあなたのどこかがね、救いになれたらなと思って、今日もね、授乳が終わったら勉強しようかななんて思っています。
今日もね、授乳が終わったら勉強しようかななんて思っています。
それでは今日は、そんなお話でございました。
今日もね、暑いので皆さん、熱中症には十分気をつけてお過ごしください。
ほな、またねー。