和木さんが逆に人に影響を与えている存在の方じゃないですか。
そんなことない。
それについてはどう感じていらっしゃいますか。
逆に今。
完全にあなた影響されてるもんね。
されてますね。
今は田崎さんと同じ立場に立たれていると思うんですけれども。
とてもそんな田崎さんのようなお立場ということは全くないんですけれども。
ただ私もクラウツイで20年経ちますから。
どんどんどんどん若いプレイヤーがね。
今醸造家として新しく入ってきてますから。
そういう方たちに何かしか教えられればというふうに思っているんですけれども。
それはやはり千金の得意とする伝統的なね。
特に江戸時代の製法みたいなものはもっともっと皆さんやったほうがいいと思います。
何でかっていうと。
今の即浄っていう作り方。
近代的な作り方だと。
すごい再現性が高くて美味しいお酒できるんだけど。
結構個性を失いがちなんですよ。
それぞれの個性をやはり如実に出すには。
木本であったり。
さらには公募に頼らないお酒作りっていうのがいいかなと思います。
その辺を伝えていければと思ってますけれども。
ちょっとマニアックな話になっちゃったけどね。
土田酒造の土田社長さんが出ていただいたときだっけな。
例えば木本山肺。
木本の方が当然作業は多いし大変なんだけど。
でも山肺よりも木本の方が結果としていい結果が出るみたいな。
リカバリーも木本の方がしやすいっていう話も以前実はしてて。
そういったところにご意見いただけたらと思うんですけど。
千金の場合は山肺ってやってなくて。
それこそ20年近く前にワンシーズンだけ作ったぐらいなものですから。
あまり感触としてほとんど覚えてないものですからね。
あまり比較のしようがないんだけれども。
酒屋番流っていう言葉がありますから。
同じ木本でもそれぞれの酒蔵によって全然流派が違ったりやり方が違うんですよ。
ですから土田さんがどういうお作りされてるかってのはちょっとわからないんですけれども。
土田さんの醸造方法だとおそらく木本の方がいろんな意味で優位性があるんでしょうね。
作りやすいとかお酒が綺麗になりやすいとかね。
木本だとやっぱり一番最初にエッセイサイでやったのが
例えば第一の10何年前ですか。
飲ませていただいてで丸いてその後山肺で手に取りやすかったのは菊姫。
こんな酸っぱくできるんだっていうのが
日本酒に触れ始めた頃の印象なんだけど
今の木本だ山肺だなんてもうね
旨味と香りと柔らかさと
本当にこれあのお酒出しと同じ作りしてんのみたいな
そこらへんのほんとに技術がどんどんどんどん上がってんだなと思ってるんですけれどもいかがでしょう。
今ねお名前の出た山肺の菊姫さん
これは僕も25年くらい前かな東京に住み始めて
飲んで美味しいなと思った菊姫さんと
あとは天狗舞さんから山肺ってねラベルに書いてあって
なんて読むんだろうって最初思いましたけども。
坂倉ご出身でも。
今お名前の出た双倉って名前は石川県ですから
その野党当時のやり方スタイルなんですよ。
これどっちかっていうと熟成の軸に持っていくスタイルなんで
さっき平田さんがおっしゃった酸味とか
どっちかっていうとフルボディですごいコクがある作り方をされる。
でもこれ現代の作り方に置き換えると
綺麗に作ろうと思えばお酒はいくらでも綺麗になってくれるので
山肺とてクリアですごい軽くて
っていうタイプも作ろうと思えば作れるんですよ。
熟成期間を置かなかったり
出来上がったお酒をすぐに瓶に詰めるとか
あとは麹を使う量を減らすとかね
要はアミノ酸を減らすっていうことなんですけれども
軽くしようと思えば日本酒っていうのは軽く作れるし
重くしようと思えば重い設計で作ればそうなっていくと
ですからキモトとか山肺っていうよりも
どちらかというと最初のレシピかな設計図
これで重い軽いとかね決まっていくんですよね実は
そう今のお話も深く思い出すんですけど
僕も実は足立の柿沼さん実家が近くて
通い始めていろいろお酒今の柿沼寮社長にね
いろいろ教えていただきながら
例えば十四代広木自己温伝習とかって
プレミアムされてるような酒蔵と
何が違うんですかって聞いたとき
もう製造責任者のセンスだよね
やっぱり今おっしゃった設計図最初の
そこでどこに持っていくかっていうところと
あと多分ご自身のお蔵で使ってる水だとか
当然周りの鉱物だとかね
そういったことも含めて始め設計図をどう作るか
っていうことがやっぱ重要なんだなっていうのも
ちょっと今思い出したんですけど
そういうことですよね
そうですねお料理なんかもそうだけれども
今ほら世界中で健康志向というか
例えばフランス料理だって
バターをふんだんに使った
濃いフランス料理のソースって
今ほとんどないわけですよ
これはもうすごい重心が軽い
すごいライトな料理に
世界中のお料理がなってきてるわけで
これ要するにそもそものレシピっていうか
設計が変わってるわけですね
そうですね
日本酒も一緒です
使うお米とかそういうスペックよりもね
一番最初にどういうレシピを作るかということで
大きく日本酒っていうのは変わっていきます
そこに肉付けしていくんですよ
米をどれぐらい磨こうとか
アルコール度数何パーセントにしようとかね
ですからモダンなレシピを作れば
ちょっと今時っぽい酒になるし
未だに固くなりその30年40年前のレシピで
勝負されている酒蔵さんもいるわけで
そこにはそういうニーズも当然あるわけですから
ありがとうございます
こういう話なかなかね
そうできないですよね
ありがとうございます
ちょっと戻しますけれども
ワインスクールで講師を務める経歴も
終わりだとかかかったんですけれども
そうですね
日本ソムリエスクールというところに
大学を中退して
中退して
ワインにハマっちゃったもんですからね
ワイン沼にも
すぐに働きたくて
そもそもワインバーで働いていたっていうのもあって
これはもうワインで勝負しようっていうかね
ワインで生きていこうと思って
まずはその学校に入ろうと思って
日本ソムリエスクールというところに入りました
生徒として入ったってことですか
そうです
そしてそこを卒業して
そのままそこの会社に就職をして
日本ソムリエスクールの講師として
その後働いていくという流れになっていったんですね
何年くらいそれをなさってたんですか
3年
3年
23、4歳くらいまで
そうですね
でその日本収に戻るというか
下業を意識し始めたきっかけなんかも
聞かせていただけるとありがたいんですけれども
その当時の上司に
あの時代はね
本当に何でもありの時代だったんで
毎日飲みに連れて行かれて
嫌でも断れないんでね
ある日ね
それこそ北区東十条に
天ぷらの名店があるんですよ
そうですね
今ちょっと映っちゃいましたけどね
そうですね
今場所変わってしまいましたけど
そこに先輩に連れて行かれて
いいお店だから
せっかくだから
お前の実家の千金も何本かちょっと持ってこい
って言われまして
千金を持参して
そのお店の大将に飲んでいただいたわけ
そうすると
その大将首を傾けるわけですよ
あの顔はね
今でも忘れないんだけど
どう見てもまずいっていう顔してるわけ
そして
スッてその後に出してきたのが
福島県のヒロキという名酒ですね
当時ね
ほらワイン系統してましたから
日本酒は本当に実家のお酒ぐらいしか飲んだことなかった
あとは上京してから
石川県のね
山肺の
酒を出てた
はい
そういったお酒は少し飲んでましたけれども
ヒロキを飲んだ時に
実家のお酒とあまりにも違うので
日本酒ってこんなおいしいんだ
思いました
逆に言うと
実家のお酒こんなおいしくなかったんだ
なんでも比較ですね
比較しないとよしよしがわからない
ご自身でも自信を持って進められないような味だったということですか
はい
その当時の先金さんのお酒ってどんな感じのお酒だったんですか
酒質だったりとか味わいとか
コンセプトがあるようなお酒じゃなかったかな
どちらかというと
大衆酒と言いますかね
普通酒と呼ばれる
お値段がちょっと安めのね
そういうお酒が多かったんだけど
それがきっかけで
実家の今の状況みたいなのを聞いてみるとね
やっぱりあんまり良くないと
帰ってきてもらえるとありがたいという
父の言葉もありまして
ヒロキを飲んだ感動をきっかけに
実家に戻るという決意をここでね
するわけなんですけれども
やっぱりその天ぷら屋さんの対象の
悔しかったですか
いや悔しさというよりは衝撃だった
衝撃
ヒロキの美味しさと実家のお酒のまずさの
ダブルパンチが衝撃でした
逆にワインいろいろ飲んで
これは美味しいワイン