1. 酒の道〜日本酒の聖地から〜
  2. #21-1:赤煉瓦酒造工場はどう活..
2025-12-03 16:23

#21-1:赤煉瓦酒造工場はどう活用されていくべき?

■内容

トークテーマ:近代日本酒の聖地赤煉瓦酒造工場ってどう活用されていくべき?


10/29に開催された「―酒蔵ツーリズム赤煉瓦酒造工場の未来に向けてー第1回酒蔵と観光関係者の共同カンファレンス」に参加してきました!

今回はその後の交流会での取材回となります!
カンファレンスでのご感想や、実際に研修生として在籍されていたあのお蔵さんにもインタビューをしています!ぜひご拝聴ください!

 

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2025年12月1日~2026年1月4日まで行われる選考期間にて、ぜひ「酒の道~日本酒の聖地から~」と番組名のご入力をお願いいたします!

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サマリー

赤煉瓦酒造工場で、日本酒蔵ツーリズムと観光の未来に向けたカンファレンスが開催されています。カンファレンスでは、参加者が日本酒業界の未来について意見を交わし、次世代の日本酒文化を継承する重要性が強調されています。赤煉瓦酒造工場の活用について議論が行われ、地域観光資源としての可能性が強調されています。日本酒の文化的価値とその持続可能な発展が重要視されています。

カンファレンスの開催
こんにちは、酒の道アシスタントの佐紀です。
今日は、北区にある赤煉瓦酒造工場セミナールームで、
酒蔵ツーリズムと赤煉瓦酒造工場の未来に向けて、
第1回酒蔵と観光関係者の共同カンファレンスが開催されていました。
今、カンファレンス後の交流会に来ているので、
来場者の方やご登壇者の方にいろいろ取材していきたいと思います。
参加した人たちからは、「私は日本酒蔵ツーリズム推進協議会の常任理事をしております。
そして、日本酒スタイリストとして20年ほど、
日本酒文化の国内外でのPR活動をしてきております。
今日のこのカンファレンスでは、パシリテーターとしての役割をいただきまして
参加いたしました。
今日の会の雰囲気やコンシーカーも含め、
日本酒スタイリストの中でも、
いろいろな酒蔵さんや酒蔵さんもいらっしゃった中、
多業種の旅行会社出身の方などがいた中で、
赤レンガ酒造工場を今後どのように活用していったらいいか、
今日のご感想はありますか。
まず、121年の歴史を持つ赤レンガ酒造工場の活用について、
まずランダムホームで意見を出しあう場は、何と初めてです。
これは非常に画期的なことで、全国2,300ある酒蔵の人たちにとって
ここは大切な生地なので、それぞれたくさんの思いがあるんですけれども
それを今まで1つの声として発信する場というのはなかったわけです。
やはり、今現在、木隆さんは、ここをよりいい形で活用したいということで
いろいろ専攻して考えていらっしゃるということをお聞きした時に
これはやはりそれをこの歴史を作ってきた 酒蔵の業界の人たちの考えも
一緒にやはりそこに載せていかないと
決してそれは継承ということに 繋がらないということがあっての
この第1回のカンファレンスで
たくさんの方に限られた時間ですが ご意見をいただき
非常に意義がある時間だったと 私は思っております
次世代への期待
各業界 しかもこの場所のある地域が 入ったことによってより
今後の情勢が出来上がるんじゃないか という回に私も参加して
大変思いまして
僕も飲食店15年くらいやって 日本酒も10年ちょっと扱ってまして
日本酒イベントで倉本さんにお会いした時に
どこでやったの?
おうちのランチ 懐かしいねって
そうですね
今僕43歳 僕の同世代から先輩の方々なんですけど
おうちで2年くらい研修してさ
昼の研修 夜の研修の厳しい 今日もお話あったようにね
逆にすごい懐かしいんで 僕の話も聞いてくださったりだとか
それから僕も大変仲良い 坂川さんもたくさんできまして
逆に僕はずっと大地に住んでたんですけど
実は城戸市県反対側の堀船という町出身で
逆に子供の頃あそこにそんな施設が あることも知らなかったし
見て始めた時も実は日本酒のこと そんなに特化してなかったので
アルナーぐらいで
岐阜酒市のSSIさんもともと大地にありましたし
実はもう日本中のお酒の中心は 大地だったんじゃないかっていうぐらい
すごいことだったんだなっていうのを 徐々に気づきまして
また今日の会も素晴らしい会で
これがもっと未来に向けて進んでいけばなと 本当に形になれば
実はお話ししてもいいかな
以前我々の番組には出ていただいた
学上会のえっこさんのお母様ということで
そうなんですよ
あの施設も坂川さんに大変お世話になりまして
逆にああいった20代の若者が
日本酒を本当にやろうってこと自体が 素晴らしいことだと思っておりまして
というかやはり次世代に継承していくという意味では
今日本当にそれぞれの業界の
それぞれのそれなりの立場の方が いらっしゃいましたけど
やはり20代がこのことに関心を持って
自分たちの世代でこれをより有効に使っていこうというふうな
意識を持ってもらわない限りは
次はないので本当にやっぱり
その学上会だけではなくて20代の人たちによる
このプロジェクトへの意識の参加とか
そういったことは非常に大事だと思うので
それこそ渋沢くんFMラジオというのは
そういった声を吸い上げていく媒体として
私は非常に期待しております
ありがとうございます
そうだから私も今40歳過ぎて
その逆に彼らぐらいの年齢の頃
2000年代に20代になって
あの頃一番日本酒が嫌われてた
そうですね
90年代にも例えばサワーレイが
焼酎だカクテルだワインが流行って
もう月曜日だから日本酒飲まないという
お客さんたくさんいるんですよ
本当ですか
本当です本当です
月曜日だから飲まない
飲まないというお客さんいっぱいいるんですよ
日本酒やってて
いやいや言って例えばメガハイボールを3杯飲んだら
一緒だよっていう
もっと酔っ払うよっていうところなので
日本酒が悪者使いまだまだされてるし
日本で消費されているアルコール飲料の中で
やっぱり日本酒まだ5%程度まで
落ちちゃっているという現実があると思うので
それをどうにか6%7%10%に
漏れ消えてくる力が
本当に楽浄界だったり次世代だと
僕もすごい思っております
はい20年以上私はこの業界の進行のために
一緒になってやってるわけですけど
息子がこの楽浄界を自分で何か立ち上げた時に
言ったセリフは簡単じゃない
だってあんなにおじさんのウイスキーだったのが
この何年かでハイボールのブームで
あんなに若者たちが飲むようになったんだから
日本酒だって同じだよって言ったんです
もうウイスキーすぐできないから
でも日本酒すぐできますからね
すぐ飲めますから
それをもっと広めて
眠ってるお蔵さんも実は
200、300があるって聞いてますので
それはどうにかお力のある方々によって
いろいろ精度を変えなきゃいけないことが多々あるんですけれども
若者が飲まないんですよ
おじさんの方がお酒飲まなくなってるし
若者を飲むカルチャーもあるので
そこを是非一緒に我々もサポートしながら
盛り上げていければと
もっと引き続きどうぞよろしくお願いします
よろしくお願いいたします
また手島さんにも
番組の方にゲストに来ていただければ
是非親子でね
いえいえもう
親子で同時ゲストじゃないので
今後是非ともよろしくお願いします
そこでバトルしても大変なの
それがいいと思います
親子ゲームが始まるぐらいがね
僕も母親とお店やってますので
わかりました
じゃあそういった形で
視聴者の方々どうもありがとうございました
どうもありがとうございました
山形県の出羽桜というお酒を作っております
中野と申します
いつも美味しいお酒ありがとうございます
大好きです
ありがとうございます
今日はどうしてこちらにいらっしゃったんでしょうか
私も大地滝野川の浄土試験場で
大変お世話になった2年間
勉強させていただきました
私たちの日本酒メーカーとしては
そこは日本酒の聖地ですし
全国新酒官票会も
そこで開催されるというぐらいに
私はあのレンガの門をくぐると
ピリッと
背筋が伸びるぐらいのちょっと思いで
今日はその赤レンガをですね
有効利用しようということで
カンファレンスがあって
そこにお邪魔しました
ありがとうございます
私自身も大地で飲食店やってまして
実は滝野川の反対側
堀津寺というエリア出身で
子供の頃にあそこに
開いた施設があるなんて知らなかったし
店を始めて16年なんですけど
始めた当初も
日本酒あんまり扱ったからね
なんかあるなぐらいで
でも日本酒扱うようになって
日本酒イベントに行くようになって
お飯交換すると
大地みんな懐かしいねって
言ってくださるクロモンさんたくさんいて
あれ?これはちょっと
大地ってもしかしたら
日本酒としては危機な街なのかもって
そうですよ
っていう中で
観光協会ができたりですとか
ジョークシンキンさんが地域を
もう一回盛り上げようと
利活用していこうという中で
このカンファレンスも開催された
僕らで言えば学校ですから
母校ですから
そうですよね
主権者
みなさんそういうお話を
イベント行きますが
あそこでさ
あの時の先生がさ
もう本番は5時以降で
酒作ったそのまんまさ
これ飲んでいいのか
この酒みたいな酒をね
たくさん飲ませてくれたって話も聞いて
飲んだよりこっちの方が
思い出あるよっていう方も
普通はお酒は一升瓶か720かですよね
主権者は2リッターとか
3リッターのビーカーですか
ビーカー
三角グラスクですか
大きい
これあんまりいいですかね
昭和の時代の話ですからね
まあ今ね
大丈夫です昭和の時代です
キッシュとテイスティングと
あれですから
ですよね
人数多いです
人数多いんで
これちっちゃいじゃ足りないわけです
これちょっとマイクないとこで
いっぱい聞きたい話になっていきそうな気は
するんですけれども
でもそこで例えば出羽桜さんは
例えば90年代の銀序支部の
筆記役のお倉さんだと思うんですけれども
やっぱりそういった研究も
赤煉瓦酒造工場の議論
第4研究室というところが
飛鳥山という大銀床を作る
研究室になってまして
私はそこに配属されて
銀床師の神様と言われた
熊谷知恵子先生に僕は就いて
もう同じ山形出身だったんですけど
その先生に訓導を受けて
銀床作りを勉強して
日本史の福建の切り札は銀床師だという思いで
銀床師
あんまり知らないでしょこの話
取り組んでた
正直1回日本史が新潟に
丹麗唐口だってなった80年
それも大切です
あれがあった後に
次はやっぱりなんだっていう時に
飲みづらいお酒じゃなくて
キリッとしながら華やかでっていうところを
山形県から
今山形県もGIと取られて
地産地消ですね
地のものを取って
やっぱり産地が大切
そういったことも
旗振り役で日本全国で
先進的なさってるということで
県単位として一番早く取った
ですよね
今後山形県と大地
縁がなさそうであるようなところが
と思うこの大地を含めた
赤レンガ静岡を
どういった形で未来を
目指していったらいいと思うでしょうか
日本史の聖地ですから
日本史全体のために活動してほしいですね
それがあって山形があって
この蔵があると
やはり日本史これから発展するためには
日本史全体が伸びて
各地域僕で言えば
山形が伸びて各蔵が伸びると
将来豊かで明るい
それが日本史全体が沈み込んで
自分の蔵元だけいいっていうのは
いずれ喧嘩がきますから
試験場上等試験場
先生たちの厳しいのが大切で
そこをやっぱり復活して
日本史の本当の意味での聖地
やっぱ母校なくなっちゃう
寂しいですからね
母校は違う
いろんな意味での換役方があるので
ぜひ我が学び合わせですね
地域通信のせるように頑張りたいと思います
頑張ってほしいと
引き続きどうぞご協力お願いします
日本酒の文化的価値
ありがとうございました
浦霞浄蔵元株式会社サウラという会社で
社長しておりますサウラと申します
どうぞよろしくお願いいたします
本日は私も日本酒蔵ツーリズム推進協議会の副会長という立場で
このカンファレンスに参加をしています
ありがとうございます
今日の雰囲気まず率直にどんな感想をお持ちになったでしょうか
私も後援者の一人ということで
与えられた題名が
赤レンガ酒造工場の利活用をどうやっていくかという
その可能性についての話ということを
テーマにお話ししたんですけれども
私も昔あそこで講師を受けて
思い入れがある場所ですし
ぜひやっぱり日本酒の歴史においても
建物はぜひ残していっていただきたいなということを
強く思ってましたので
今日皆さんといろいろな多面的な形で
いろんなご意見をいただけたのも
すごく参考になったなと思います
これをきっかけに地域の観光資源としての活用は
ぜひ皆さんのお力添いもいただけたらと思っております
そうですねあの醸造試験所が東広島に移転して
もう30年近くなってますので
研修もやらなくなって
もう10年ぐらいですか
知ってる方が少なくなってきてるっていうのは
やっぱりその通りだと思いますし
でも本当に明治の名建築ということもあるし
この北区の周辺でも
明治時期の日本の近代化の産業で
非常にいろいろな重要な役割を果たした
そういう遺産があるので
その一つとしてやっぱり皆さんに知っていただいて
どうやってあれを活用していただくかというのが
特に日本酒に関わっている我々としては
非常に関心のあるところですし
ぜひお願いしたいなというところでもあります
ありがとうございます
実は私の祖父母の出身ルーツが宮城でして
今東松山本の辺り
ブルーインパルスの辺り
今思い出すと子供の頃
おじいちゃんが裏霞さん飲んでたなっていう話聞きながら
ちょっと思い出しましてですね
ありがとうございます
お話聞いて大変光栄でした
引き続きまた利活用の方
ぜひとも皆さんで各こういった酒蔵さんだったり
旅行会社さんでまた地域がこういったカンファレンス
なかなかなかったもの
これを継続しながら
一緒に盛り上げていただければと思います
引き続きどうぞよろしくお願いいたします
北区この周辺には素晴らしい
そういう遺産がいっぱいあると思いますので
ぜひそれを観念づけて活用していただいて
というふうに思いますので
よろしくお願いします
どうもありがとうございました
ありがとうございます
門司賢二郎と言います
今日どういった形でこの会にご出席なさったり
お話聞きたいんですけれども
私はイネスコ大使として和釈の登録の後から
日本酒の登録を訴えてきて
それがようやく実現しました
次は日本にいない日本酒博物館だと思ったところに
この動きをやって一緒になりました
今日は赤レンガ酒造工場に対する
様々な意見が出されましたが
私はやはり日本酒博物館ということが
最も素晴らしいんだと思っています
そしてイネスコに登録されたということは
日本酒が単なるアルコール飲料ではない
日本の文化であるということを
世界が認めたということになります
今日本酒は大変な危機にありますけれども
この機会を利用して
そしてこの赤レンガ酒造工場の活用も考えて
ぜひこれから日本酒を世界酒ということに
していくように努めていきたいと思っています
ありがとうございました
今回のカンファレンスに参加してみて
より一層赤レンガ酒造工場の
今後の発展がとても楽しみになりました
酒業界を盛り上げるための
ハブの場所になっていったらいいなと感じました
次回は酒の都と書いて
首都宣言の発案者でもある大林隆さんに
お越しいただきお話をいろいろ聞いていきます
ぜひ次回もチェックしてみてください
またね
16:23

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