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日本酒の聖地から〜
酒の道〜
こんにちは、パーソナリティの平田勝です。
この番組は、お酒にまつわるゲストをお招きし、
お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘っていく番組です。
引酒酒を目指す佐紀さんと共にお送りします。
佐紀です。よろしくお願いします。
お願いします。
さて、第1回目の初ゲストにもお越しいただいてますよ。
次第1回目は、東京23区唯一の酒蔵、江戸会場醸造元、
東京港醸造株式会社当時の寺澤善実さんにお越しいただいております。
寺澤さん、よろしくお願いいたします。
はい、寺澤です。よろしくお願いします。
寺澤さんには、北区から生まれた新しい日本酒、
比叡の開発にも大きく携わっていただいております。
それでは佐紀さんから、簡単に寺澤さんのピロフィールをご紹介いただきます。
東京港醸造株式会社代表取締役当時でいらっしゃいます寺澤善実さん。
1960年、京都府の生まれで、1979年に大手の酒造会社に就職し、
京都の酒蔵で20年。その後、東京の醸造所で働いた後、
2006年に若松屋の斉藤社長と出会い、その後、2011年に東京港醸造を設立。
現在は、東京港醸造の代表取締役当時として、
日本酒江戸会場など、東京ならではのお酒を作りつつ、
日本各地で小規模な醸造所の立ち上げに取り組むなど、
幅広い活動をなさっている日本を代表する当時の方です。
改めて本日はよろしくお願いします。
寺澤さんとは比叡の開発やツアーだけでなく、
実は王子の駅前で格内キッチンカーなどでも、
ちょっといろいろと面白いことを考えているんですけれども、
そちらの方でもご協力いただいております。
寺澤さん、ぜひ本日はよろしくお願いします。
はい、お願いいたします。
もともと、今回のお酒の前から、実は6、7年前から、
北区の北子伝というのがありまして、
その地方出展の時に東京のお酒を持ってきたかったりしたものですから、
それで江戸会長さんを使わせていただいたりだとか、
そういったこともいろいろと北区にはご縁がある寺澤さんなんです。
それは今日はたくさんお話をお伺いしなきゃですね。
ちょうど今、キッチンカーのお話をやったので、
少しキッチンカーの話をさせていただくと、
もともと私、始めたのがちょうど2011年くらいなんです。
お酒を作り始めて、なかなかそう簡単に売れないし、
それなら東京なんで、お祭りごとって月に1回とかあるので、
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それを目指して、いろんなところに自分の作った道具録、
それでいずれ作るだろうとしているお酒という部分を、
皆さんのためにというので、いろんな勉強をさせていただきました。
それを今回は平田さんのところに持ってきて、
私の作る江戸会長であったり、これから言えないんですけど、
いろんなものを出させていただいて、
それで江戸会長のアンテナの屋台に行って思っています。
そんなのがなんと五地の駅まで来るんですが、
この後は寺沢さんにまつわるあれこれ、いろいろ深掘っていければと思います。
まず京都でお生まれになった寺沢さん、
どんな街でどんな幼少期を送っていたんでしょうか。
ちょうど京都の山間部なんですよ。
近くには皆さん知っておられなかったマイズルとか、
若狭湾とかそういうところの最寄りのある山間部で、
兼業農家っていう、要は親子だけではなかなか家計が苦しいので、
それを二毛作であったり、いろんなものを作りながら幼少期を迎えていましたし、
大体ね、小学校から帰ってまず一番初めに遊びに行きたいところなんですが、
まずはおふくろとか親父に、今日の何かお手伝いありませんかって聞いて、
それが終わってからの遊びでした。
お米とか。
お米とキャベツにタバコ。
皆さんタバコってどんな形で作られているかってあまりご存知じゃないんですけど、
私の幼少の頃はタバコを作ってましたね。
借り入れた後、今度冬の間のお仕事で、
それを屋根裏の方に置いておいて、乾燥させたものを今度一つずつ作って、
乾燥させたものを今度一つずつ広げて、中でMとかLとかSっていうのをね、
一番初めに私、日本語より先にそれを書くことが自分の仕事で、
保育園に行くことにS、M、Lっていうのを書きなさいって言って、
その大きい少年ジャンプのちぎったやつにマジックで書いてたのを覚えてますからね。
だからタバコっていうのもね、結構私の中ではすごくインパクトがある。
幼少期から嗜好品に携わっているお酒もそうですね。
その後、学生時代はどんな感じで送っていたんでしょう?
農芸科学科っていう、要は先ほどのお役所というか農業の次の第二次産業の部分なんですけど、
その中で農芸科学っていうところの微生物、もしくは応用微生物っていう部分がすごい大好きで、
その中で工房であったり、工事勤であったり、今こんな風にして自分が全部扱っているものが、
すべて当時やっぱり興味を持ちましたからね。
だからその延長上でどんどん私の人生っていうのが成立していきましたね。
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高校卒業後、大手の手造メーカーに就職なされて、
どんな就職活動をなさりながらそこの会社に決めたとかってお伺いできますでしょうか?
ちょうどね、私昭和の54年なんですけど、
当時はどっちかって言ったらね、集団就職とは言いませんけど、
もう進路指導の先生がもう君はここねみたいにして決まっちゃうんですよ。
だからその中で私面白くなかったんで、
当時リクルートブックっていうのがすごい分厚い就職活動のその求人があってね、
それをもう持ち帰って、自分の好きなところを付箋をつけて、
電話をかけるのは私なんですけど、最終的に一人で行くわけにはいかないので、
親父について来ていただくことと、
その進路指導の先生からまずは一歩を入れていただいて、
大学の方ならそういう就職活動をするんでしょうけど、
すべてその頃からやってましたね。
それで手造会社に決めたと。
ちなみに日本酒を初めて飲んだ時の感想とかって覚えてらっしゃいますでしょうか。
当時ね、私らの時っていうのはもうとにかく浴びるように飲まされた。
本当にね、それはもう本当に浴びるように飲まされて、
覚えてるのは鍋の蓋あるじゃないですか。
鍋の蓋って必ず蒸気の穴があって、そこに指をこう押さえろって言われるんですよ。
押さえた瞬間上から一生瓶でダーッと入ってくる。
絶対手離せられない。
全部飲み切らなかったらこれを下ろすことができないという、
すごい温かい歓迎をしていただいて。
高知かどっかのおちょこでね、穴空いたおちょこってのも実はあって、
それもなんで離しちゃダメかっていうと、
飲み切らないと離せないから、っていうね。
こぼれちゃう。
あと、穴が空いてるんじゃなくて、下が三角形になってて、
置けないおちょこってありますよね。
倒れちゃう。
そんなのがあるんですか。
さきさんもね、ゆっくり色々と勉強していってもらえればいいと思います。
そうですね。新しい世界を知ってしまうかもしれないです。
ありがとうございます。
本当、寺沢さんの幼少期、お酒の道を進んだきっかけをお話しいただきました。
それでは次回以降、寺沢さんが京都の酒家に就職したお話からお聞きしたいと思います。
寺沢さん、次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
さあ、ここからはコーナーにまいります。
クイズどんどん答えて!
わー!
この台本、誰作ってるの?
私です。
これ、クイズどんどん答えてっていうコーナーなんでしょ?
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そうです。
さあ、どんどんが飲む飲むってなっててさ、
これ、夜中の何時頃考えたの?
これは、うーん、9時くらい?
9時くらい?やっぱ、ちょっと入ったでしょ、完全に。
そうですね。
降ってきました。
自分のためのですね、素晴らしい番組ですね。
ありがとうございます。
ということで、このコーナーは聞き酒師を目指すさきさんに、お酒にまつわる問題を答えてもらいます。
リスナーの皆さんもぜひ一緒に考えてみてください。
はい。私も頑張ります。
ということで、本当に私が問題を考えてきてまして、
実は台本に別の問題が書いてあるんですけど、
そんなのもう答えさせるかということですね。
ちゃんと問題を考えてまいりましたので、いきたいと思います。
まず、第1話目の問題はこちら。
日本三大酒どころはどこでしょう?
何県でもいいし、その県の地名でもいいし。
ちょっと待って、日本三大酒どころ、京都府。
京都府。
山形。
山形。
絶対違う、今の反応。
九州の方かな?
違うかな?
えー。
答えは何ですか?
京都府、正解。
京都の伏見。
大きな酒蔵さんがいっぱいあって。
2つ目、ちょっと惜しかったんだけどね。
兵庫県の名田。
聞いたことあります、名田、確かに。
あそこで白鶴さんとか、宝石さんとか。
逆に京都の伏見は木桜さんとかね。
大きいお蔵さんがあって。
最後もう1個。
もう1個?
えー、どこだろう。
3、2、1。
ちょっと待ってください、新潟。
うわー、間違えた。
広島県の東広島、西条というところがですね。
あそこも例えば大きなお蔵さんがあったりして、
その北区にあった醸造試験場の種類総合研究所の機能が全部、
東広島に移りました。
うわー、そっかー。
例えばなんで名田が3大酒ところかっていうと、
中学・高校時代、日本史勉強しました?
はい、しました。
タルカイセンテ、聞いたことあります?
はい、聞いたことあります。
あれは名田で作ったお酒を江戸城に献上するためのお船だったんです。
うーん。
お酒って水分だから、昔は陸上輸送なんかもう到底できないわけですね。
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確かに、確かに。
逆にたくさん作ってたくさん献上すると。
だから京都もそばにね、昔は都だったから、
作れるように京都の伏見に酒文化。
あと港が近い名田に酒文化が。
だからどちらかというと酒作りは西日本の方が活発だった。
そうなんだ。
だけど戦前は1万くらい以上日本中に酒蔵があったりして、
だからどの町にも酒蔵さんとか作り味噌屋さんとか作り醤油屋さんとか、
どの町にも市区町村ごとくらいに1個ずつはあったわけなんですよ。
そうなんですか。
それがいろんな理由でどんどんどんどん集約されて、逆には流通が良くなっているから。
うーん、そうなんだ。
いかがでしょう。
なんかやっぱ平田さん、いろんな知識を知っているので、
もう聞き酒師すぐ取れちゃうかもしれないです。
すぐ取れちゃいますよ。
ということでちょっとしゃべりすぎちゃったかな。
さて縁も竹縄ですが、今日はこの辺りでお開きにしましょう。
番組の感想はXでハッシュタグ酒の道で検索してください。
それではまた来週よろしくお願いします。
よろしくお願いします。