土田祐治さんの紹介
酒の道 日本酒の聖地から
こんにちは。パーソナリティの平田勝です。この番組はお酒にまつわるゲストをお招きし、お酒の道を歩むストーリー、お酒のあれこれを深掘りしていく番組です。
アシスタントの佐紀さんとともにお送りします。佐紀です。よろしくお願いしまーす。 さて第17回目のゲストは土田酒造代表取締役
土田祐治さんにお越しいただいております。本日はどうぞよろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。今日はありがとうございます。お願いします。
本日はズームでのご参加ありがとうございます。 ありがとうございます。
それでは佐紀さん、簡単にゲストのプロフィールのご紹介をお願いいたします。 はい
土田酒造株式会社代表取締役土田祐治さん。 1976年4月7日生まれ群馬県沼田市のご出身です。
コンピューター総合学園春尾を卒業後、株式会社カプコンにご入社されます。 その後2003年に土田酒造へ入社後、6代目倉本となり
2019年全寮期も閉じ込みという方針へ舵を切り、お酒造りのスタイルを大きく変えられました。 それではどうぞよろしくお願いいたします。お願いします。
ご経歴を見るとコンピューターの専門学校に行かれて、ゲーム会社にご入社ですか? そうなんですね。ちっちゃい時からゲームが好きだったんで
卒業文書にもゲーム会社入りたいって書いてたらしいんですけど、このままうまく滑り込ませていただいて。
しかも90年代といえばストリートファイターとかカプコンさんがね。 そうですね。目の前というか違う部署ですけど作っていらっしゃったり。
ちょうど今流行りのモンスターハンターの初代とかが出るぐらいにいたのかな? 僕はかかってないんですけど。
逆にそこでどんなことなさってたんですか? ゲームプランナーといって企画を考えたりとか、皆さんをまとめてゲームの方向性をお願いしてこんな音にしましょうとか、こんな絵入れましょうみたいなのをまとめ役でした。
へー、すごい。 いやいやいや、本当はねプログラミングをがっつりできればあれなんですけど、やっぱりプロになることじゃなかったんで、プランナーの方に落ち着いちゃったって言ったら変な話ですけど。
で数年お勤めになってご実家に戻られる? はい、5年ぐらいいたのかな?で実家に戻りました。
逆にそういったことも今の酒作りに生きてたりするのか、いろいろとゆっくりお話をお伺いさせていただきたいんですけれども、
まずは土田さんにお越しいただいたその出演の経緯を佐紀さんご説明お願いします。 では私の方から。
ゲーム業界からの転身
実は酒の未来図という若者の日本酒コミュニティを運営されている学上会さんが主催の一堂一園の方でお会いさせていただいたことがきっかけでお越しくださいました。本当にありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。 その時もですね最高のコンテンツとたくさんのお酒を準備してくださって超幸せなひとときでした。
専門学校でコンテンツ作りの会社にいたからもうそのコンテンツがね。 確かに確かに。
その酒の未来図のお二方にも半年くらい前かな? 来ていただいてお話も伺ってて、僕も43になりましたので逆に酒の未来図には入れない。
なので佐紀さんにもその若者経済を見てもらっているんですけれども、その時どんなイベントだったのかちょっと教えてもらっていいですか?
その時は土田裕二さんについてでしたりとか、土田指導さんについてでしたりとか、あと結構いろんなプチュー聞きざけ体験とかもたくさんありましたよね。
どのお酒がどの米を使ったかでしたりとか、あと麹とかを作る時間によって味って変わるのかとか、それを当ててみてっていう聞きざけ体験もあったんですけれども、めちゃくちゃ難しかったです。
最初、とりあえずテイスティングの説明だけしてテイスティング食うっていうか、それじゃ多分面白くないんで、ゲーム会社だったんでゲーム性を打ち出したいですってお話で、たまたまやってたことが皆さんに伝わるといいなと思ったので、
なかなか実は麹を作る時間で味が変わるよとか、多分知らないと思いますし、そもそも時間を変えるのかっていうこともあるし、
あとその時は特定米国っていわゆる普通に流通しない、酒ぐらいではなかなか使わないくず米っていうので、すごくおいしく銀錠っぽいのができたんで、あえてこれがどんなお米かわかるかなと思って、やはり皆さん500万石の間違えてらっしゃったんで、すごくうちとしてはしめしめというか狙ったと思って、楽しかったです。
くず米っていう響きがね、最近話題の備蓄米も5年ぐらい経つと、くず米ってそういうことですよね多分。
もっとあれで、いわゆる食べるお米として市販されないんですよ。精米して崩れちゃったやつとか割れてるやつとか、あと青かったりするんで、一般のテントには並ばなくて、肥料とか飼料とか加工品になるもので。
投球つかなかったりとか。
そうですそうです。
シシーとか付いちゃうとかってことですか、シーカーになっちゃうとかってことですか。
農家さんもどこに行くかわからないようなお米なんで、近所の酒蔵がこんなお酒にしてくれて嬉しいという声をいただいて、皆さんにこれどんなお米かわかりますかって言ったら、ほとんどの人が当てられなくて。
めっちゃ難しかったです。
形がちっちゃかったりだとか、おいしく作っていただいてるの買わないわけですもんね。
そうなんです。だからお米って実はうち食べるお米ばっかりなんで、あまり関係ないんだよねってお見せしたくて、こう体験していただきたくて、そんなのあてっこしてもらいました。楽しかったですね。
めっちゃ楽しかったです。でもなんかたくさん飲んだので、正直もう最後らへんはもうちょっとわかんない状態だった。
お誘いいただいた時もかなり酔っ払ってました。
本当に申し訳ございません。
新しい酒造りのアプローチ
ちょぼつが申しんで本当にね。
真剣にベタっとついていただいたんで、これはもうぜひと思いました。
ありがとうございます。
全然大丈夫です。
そのイベントの時限定でなんか出してくださったお酒もありましたよね。
ありました。
はてなはてなはてなってなってましたけど。
実は今販売しまして。
そうなんですか。
はい。土田ライトFっていうお酒になったんですけど。
はい。
皆さんにテイスティングいただいて大丈夫かなと思った時に皆さんからこれを逆に一番好きかもなんて言っていただいたんで、自信を持って商品化できました。ありがとうございます。
そうだったんですね。すごい好きだったのでちょっと買いに行きたいと思います。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
そうやってなんか逆にイベントに来ていただいて、それでちょっとどっか自信なかったわけですよね。
そう。いわゆる普通の日本酒っぽくね、本当に白ワインみたいなテイストなんで、逆に日本酒好きな方々がどう思われるかなと思ったんですけど。
ありがとうございます。
はい。ありがとうございます。
ありがとうございます。
そのイベントに行って、楽場会の方がその土田主導さんのお酒を先に多分ご準備をしてくださってたんですけど、その時に常温保存でいいって言ってたのがすごいびっくりして。
ありがとうございます。
私、なんか日本酒とかって結構買ったら冷蔵保管っていうのがすごい多かったので、だから私の中の常識が覆された感じがしました。
よく考えると江戸時代はね、兵庫から船を使って江戸にやってたわけですから、本来は冷やさなかったら美味しいはずなのに、現代は冷やすんが多くなっちゃったんで、うちとしては多様な日本酒を味わっていただきたいんで、全然常温で。
だから僕なんか深海にいるとき、わざと船を一回開けて空気に触れて、車の中に3、4日放置してから持っていくとかあるんですよ。
へー。
まろやかになっちゃって。
そうですね。
はい。
そうなんですね。
その本当、飲み方というか、保存の仕方というか、すごい最新ですごい楽しかったです。
ありがとうございます。
今いい話。
兵庫から、那田からね、江戸城に献上していたお酒の話とか。
さきさんわかる?
はい。
その船の名前は?
なんとか海鮮。
すごい。
おしい、おしい、おしい。
ほら。
お酒は何に入ってる?
タル、タル海鮮。
素晴らしい。
おー、成長が見えましたね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ本編に、そろそろ。
参りたいと思います。
はい。
幼少期学生時代はどのようなお子さんだったのか、お伺いしていきたいんですけれども。
で、お父様が五代目倉本でいらっしゃって、子供の頃からお酒がそばにあったと思うんですね。
はい。
どういった思いで見てました?ご実家のお仕事とか。
周りが言うには、私4人兄弟で、兄さん、姉さん、姉さん、私で一番下なんですよ。
あ、末っ子さんなんですね。
はい。だから、その次とかどうか全然考えてなかったんですけど、他の人が言うには一番蔵に入って遊んでたらしいんですね。
確かに米が来る日上に登ってたり、よく怒られたんですけど、登るなとか。
工事を手伝ったり、お酒の配達を手伝ったなんとなく覚えてるんですけど、工事風呂に入ったり。
あと昔は新潟から10人ぐらいいらっしゃってたんで、当時さんたちと倉人さんたちが。
その中に、私は結構多く入って食事をしていたらしいんですよ。
親方の膝の上に座って、普通厳格な集団なんで、親方が食べるまでみんな食べないみたいな集団の中で、僕が行くと和むから。
みんなこう、よく来たよく来たって言うんで、構っていただいたらしくて。
だから、周りの声はこの子が酒食いをやると、よく来てくれてるからいいよねみたいなことは言ってたらしいんですけど、今振り返ると。
僕は全然そういうんじゃなくて、冬ばっかりおじいちゃんたちがまた来たみたいな感覚で遊んでたような。
子供の頃はそうですよね。
でも、倉人の方たちにとってはもうすごいムードメーカーみたいな。
みたいな感じでしたね。
じゃあ、お兄様方は全然違うお仕事なさっている現状?
そうです。兄は建築をやって、前は鉄道会社に入って駅のホーム、駅舎をデザインしたりとか。
で、また転職して。
クリエイティブな。
そうかもしれないですね。
ことに対してすごい造形なるご家庭だったのかななんで。
作るのが確かに好きだったのかもしれないです。
昔から小学生があんまりやらない、今はゲーム作るっていうのがあるんですけど、ゲームを作るようなソフトがあるんです。
そういうのをいじってたりとか。
あと、ベーシックって古い言語なんですけど、コンピューターの言語でゲーム作ったりとかしてたんで。
小学校からやってましたね、プログラムを。
すごい。
最近の子供、僕今近くの小学校で娘が4年生、6年生でPTA会長もやってて。
今はもう1人1台端末になってるんで今は。
プログラミングソフトとかも入ってたりだとか。
あとタイピングゲームでみんな遊んでたりとか。
だから逆に若い子の方がどんどんすごくて、みたいな話もありますよね。
本当にスマホで僕なんか長男が中2で、二男は同じく小6なんですけど。
スマホでこう画面とかどうやって設定してるんだって。
すごいです。だから若い子たちの方がどんどん早いんで。
そういううちの環境とかも若い子たちにどんどん合わせなきゃと思ってるんで。
かなりそこら辺は。だからうちは結構スマホを持って仕事もしたりとか。
情報全部スラックっていうツールでやり取りするんで。
持って動くっていうのが当たり前なんで。
例えば今日の仕込みは何の方法を使うかとかも全部書いてあるんですか?
そうそうそう全部。
朝礼では言うんですけどデータが入ってるんでそこを見直すとか。
なんだっけっていうのもすぐどうかホワイトボード見に行くんじゃなくて。
もうそれで通常どうですもんね。
じゃあ結構クラーの中でもすごいIT化が進んでるっていう感じですね。
そうですね。おかげさんで。
若き日の土田さん
まあまあまあ普通のIT企業と比べたらあれですけど。
工事の温度とかはさっき言ったスラックに飛んできたりとか。
だから見に行く必要がなかったりとか。
誰かがそこには温度を測りに行くんじゃなくて自動で?
温度計を挿すとそれがランで電波でWi-Fiで飛んで。
スラックの30分に1回温度がこれだよってくるんで。
どうしてもシビアな時は当然外れてないかとか心配なのに見に行きますけど。
通常の作業は全然それで見て。
すごいハイテクです。
ハイテクなのかって。
そういうふうに。
そういったことをちゃんと取り入れながら。
まあぶっちゃけ本当の大手はずっとそれやってるわけですかね。
そういうの若い子たちの働き方に合わせて簡略化できることはしてって。
残すべきとか残しておくみたいなふうに分けてますね。
ゲーム会社とかお勤めだからそっちに対してもアレルギーがない。
もうAIバリバリです。
AIなきゃもう生活できなくなっちゃいますよ。
いやすごい。
坂倉見学行ってみたいです。
全然お待ちしてますんで。
土田修道さん行ったことがないのに。
群馬だと2時間くらいだからね。
近いですけど。
高校は男子高校?
そうなんです。沼田高校っていう。
そこでだから男子世界だったんで。
女性の免疫が全くゼロになったんで。
そこで今の河童に移ったんですよ。
ちょうど高1の時に沼田で市街地再開発で
ショッピングセンターが立つんで
うちの市基地内でなるんでどいてくれっていうんで
全く知らない地域に行ったんで
引きこもりでは言わないんですけど
高校行って帰るような生活に。
帰宅部状態で。
空手部には入ってたんです。
すごいかっこいい。
部活はやってたんですけど
あんまり高校の記憶は本当にないんですよ。
空手やってたなとか。
そんなぐらいで土日って何やってたっけみたいなぐらい
友人と交わった記憶が薄いんですよ。
東京に?
大阪にあるコンピューターの専門学校の春だったんで
ゲームを作りたいんで
ゲームを作れる専門学校が当時3つぐらいしかなくて
その中で大阪行きたいっていうのが急にあって
そうだったんですね。
なんで大阪行きたいって言って
本当にそのまま専門学校で
関西の子たちにこんな面白い世界があるんだって
僕は一生あそこにいるつもりだったんですよね。正直言うと。
そうだったんですね。
ゲームとかアニメが好きっていうことで
ゲーム会社にも就職されたっていうことで
入社された時はいつか家に戻るというか
そういった思いは?
本当に0.000%でしょ。
お兄さんが継ぐみたいな話もなかった?
ないない。
うちの父母は本当にそれは誰にも言わなくて
自分たちが自主的に戻ってくるならありがたいけど
やれとは誰にも言ってなかった。
どんどんどんどん日本酒が下り坂の頃ですもんね。
誰かに渡すでもいいし
別に家の者がやる必要はないよって考え方だったんで
僕もお酒が全然飲めない
ビールもジョッキ一杯その当時は飲めなかったんで
日本酒も大印象ってなんとなく分かるけど
順番?普通酒?何それ?みたいな
興味もなかった。
誰もやらないだろうし
無くなるんだろうなぁぐらいに思ってました。
そこに哀愁も愛着もなかったし
っていうぐらいのレベルでした。
そうだったんですね。
いかにして土田さんが日本酒に興味を持たれたのか
という話も後々いっぱい
ねほりはほり聞いていきたいと思います。
ゲーム業界からの転身
ありがとうございます。
今回は土田首相の土田優次さんにお越しいただき
幼少期や学生時代のお話を聞いてまいりました。
次回は社会人時代について
や日本酒に興味を持ったきっかけなどを
お伺いしていきたいと思います。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
さあここからは大人気のコーナーに参ります。
クイズどんどん答えて。
イエーイ。
イエーイやる気なくない?
いつもなんです多分。
いつもやる気ないの?
あるんですけど心がこもってないように聞こえちゃうんですよ。
心はこもってるんですね。
こもってるんですけど。
本当ですか。
聞いてても思います自分でも。
本当ですか。そうです。心込めてください。
本当に。
ということですね。
このコーナーではお酒にまつわる問題を
佐紀さんが出題して聞きざけしてやる
私平田勝が解説していくコーナーです。
ということですね。
皆さんも一緒に考えてみてください。
はーい。
今日はこんな問題をお持ちしました。
酒造りの区切りとしての酒造年度があります。
ではこの酒造年度はどの期間のことを指すでしょうか。
A、7月1日から6月30日。
B、10月1日から9月30日。
さあどちらでしょうか。
Bの10月1日は日本酒好きな人は結構知ってる日付じゃないですかね。
皆さんこれ結構勘違いしがちなんですよね。
うん。
だからいいとこ持ってきたと思いますよ。
それ言ったら答えわかっちゃいますよ。
だいたいわかってると思うんですよ。
このラジオをわざわざ聞くような方は
そこそこ日本酒好きだっていうことで
これぐらい知っといたほうがより
どうしてこれがこうなってるのか。
どうしてこの時期にこういうことがあるのかということが
非常に覚えていただけると
よろしいんじゃないかと思うんですけれども。
それでは皆さん正解決まりましたでしょうか。
それでは正解発表です。
正解はAの7月1日から6月30日です。
菊酒市の資格を持つ平田さん、解説をお願いします。
酒造年度ブルバリーイヤー
ビンシールでBYとか書いてあったりだとか
2025年25BY
っていうのがこれから出始めるというような形です。
7月1日以降に絞ったお酒。
厳密に言うと絞ったなので
それ以前に仕込んでいるので
24なんじゃないかって考え
7月1日以降に絞ったお酒という考え方で
製造年月日でブルバリーイヤーを管理しているということで
毎年7月1日から翌年6月30日までの期間を指しますよと。
この制度は酒造が冬場に起こられている
伝統的な生産サイクルを考慮して定められたものです。
国税庁など統計を取る際にもこの部分が用いられており
酒蔵のBY〇〇という表記にも使われております。
これは昭和40年から現在に至るまで
それ以前は実は10月1日から9月30日に定められていたようです。
前までは10月1日だったけど
だから日本酒の日とかっていうのもしかしたら
酒造組合地方会とかで決めたのかもしれないんですけど
考え方こっちもいいんじゃないかと変わったということで
皆さんだから日本酒の元旦は10月1日と思いがちですか
7月1日ですよということですね。
なるほど。ありがとうございます。
縁も竹縄ではございますがこの辺でお開きといたしましょう。
番組の感想はXでハッシュタグ酒の道で検索してください。
それではまた次回。さようなら。