中学生時代の思い出
絶望の窓際族
こんばんは、じょるのです。
このポッドキャストは、不登校やマラハラ、経済的虐待や転職失敗で人生積んだこのじょるのが、窓際族として転生し、生活の知恵や希望とユーモアをお送りする人生再設計番組となっております。
こんばんは、じょるのです。
今回は、おしかつ二次元ライフラジオというポッドキャスト番組をされている水城誠さんのポッドキャストイベント、ポッキャトークイベントに参加させていただいております。
このイベントは、出されたお題に対してポッドキャストを配信するというものになっております。
今回のお題は、中高生編です。
それぞれのポッドキャスターが中高生の時の思い出であったり、どんな生活をしていたのかというところをお話しするようなポッドキャストイベントになっています。
総勢37人くらいかな、かなりたくさんのポッドキャスターが参加されていて、中には僕のポッドキャストラボ福岡の仲間である、
和尚は逃げても寺は逃げないの、逃げたらのソットさんであったりとか、いろんな方が参加されているので、ぜひ気が向いたら聞いてみてください。
私についてなんですけども、この絶望の窓際族、聞いていただいている方はお分かりだと思うんですけど、私の人生って大体暗いんですよ。
だから中学高校も割と暗かったんですよね、出来事としては。暗いながらも教訓になるというか、面白い話というのを厳選してお届けしたいなと思っております。
恋愛の話とか、好きだったゲームの話とか、格闘技に目覚めた話とか、いろいろやっていきたいと思いますので、よろしければ最後までお付き合いいただければと思います。
それではテーマに沿って中学生の時の話からやっていきたいと思います。
中学生と高校生ってやっぱり全然違くて、中学生ってまだ自分の小学校の校区の拡大版というか、隣町の小学校の子たちと一緒になって中学生活を送っていくみたいな感じになると思います。
中学校の時の僕はどんな感じだったかというと、僕の自身の中ではやっぱりインキャのオタクというか、テレビとかアニメとかゲーム大好きな子で、
運動能力が中学生とか小学校後半ぐらいにめちゃくちゃ開花して、いきなり身体能力が伸びたみたいな感じですね。
何もしなくても学校で一番足が速かったですし、目がそんなに良くなかったので、今もなんですけどね、球技とかは苦手だったんですよ。
子供の頃から目が悪かったんで、やっぱり球技苦手で、球技苦手な子って僕も含めて割とインキャ多いじゃないですか。
僕らの年代って仲間多くて運動できる子って大体野球部とかだったんですよ。サッカーはJリーグがちょうどできたぐらいだったんで、そんなにいなかったんですけど、そんな感じでした。
僕はさっきも言った通り足が速かったんで、陸上部になりました。
僕らの年代って何かしら部活に入るのが当然みたいな空気感があったんで、入りました。
当然陸上部の中でも一番足が速いし、リレーでも一番活躍するみたいな感じでしたね。
僕らの年代ってまだまだヤンキーみたいなのって街中でも多かったんですよ。
ただ僕はやっぱり中身がインキャのオタクなんで、あんまりそういうの合わないタイプだったんですよね。
なのでつかず離れずやったりしてて、一番リーダー格というか強いやつとはまぶたちに一時期なったんですけど、
僕みたいなインキャのオタクだけど身体能力めっちゃ高い、一番ボスと友達みたいな感じになると何が起こるかっていうと、
その取り巻きというか周見の人たちって僕のこと嫌いになるんですよ。
またこれがね、これね自分で言うとちょっとなんか変な感じになっちゃうんですけど、
これ後でね、中学卒業したりしてからやっぱり言われたんですけど、何でしょうね。
何でしょうね。まあ思春期じゃないですか。
変にね、なんか女性からすごく人気があったというか、
廊下を歩いたり運動してたら写真を撮ってくださいとか撮られたりとか、
手紙をね、いっぱいもらったりとかしてたんですよ。
そんなやつなんだけど、やっぱりインキャのオタクじゃないですか。
やっぱりトップどころと仲良かったりすると、周りは僕のこと気に入らなかったらしくて、
あることないこと吹き込まれて、結局孤立するみたいな感じになったりしたこともありますね。
その中でね、やっぱり学校に行きたくなくなって、不登校になったんですよ。
身体能力の成長
不登校になった時にね、やっぱり何が救いだったかって、
僕は音楽が救いだったんですよね。
絶望の魔導家族の、どっかでも言ったことあるんですけどね、
ちっちゃいラジオでずっと音楽聴いてたんですけど、
ある日ね、おばあちゃんがラジカセ買ってくれたんですよ。
そのラジカセでずっとラジオを聴いてました。
不登校の日でもずっと布団にこもって、ずっとラジオとか音楽聴いてましたね。
音楽に本当に救われたなって思ってます。
当時はスト2とかもちょうどアーケードゲームで出てきた時だったんで、
学校をサボって、学校に行ったふりして、
デパートの屋上のゲーセンでね、一人で時間潰したりしてましたね。
なんせね、中学生なんでね、所持金もないし、行くとこも限られるじゃないですか。
今考えればもっとやり終わったんですけど、
行くとことかね、工夫すればよかったなって今思います。
でもね、とはいえ、今全然行かなくても卒業できるらしいんですけど、
僕らの頃ってね、先生とかもおせっかいな人多くて、
騙し打ちでね、学校に連れて行ったりするんですよね。
で、学校行った時に、その時に身体能力が異常に伸びてた時期だったんで、
できた話なんですけど、学校にね、呼ばれたんですよ。
呼ばれて行ったんですけど、ちっちゃい教室みたいなとこに呼ばれて、
そこで仲違いしてる子たちと会うみたいな、
もしくは自分が話せる子たちと会うみたいなのをね、
学校の先生に隠すんですよ。
そういうちょっとヤンキーの奴らというか、ヤバい奴らに囲まれたんで、
僕は2階から飛び降りて、すごいですよね。
2階から飛び降りたって言っても、直接飛び降りるわけじゃなくて、
校舎の正門というか玄関の前って屋根みたいなのがあるじゃないですか。
そこに着地して、そこからさらに地面に着地して、
ダッシュで逃げて行ったんですよ。
あの時って本当に異常に勘が鋭いし、
今よりも便称性とか多分すごかったなと思います。
ダッシュで逃げたりしてましたね。
足はね、速かったんで。
走行しているうちに、まあまあ手打ちじゃないですけど、
そんな手も出されないみたいな感じになって、
でも通り過ぎて行ったんですよ。
その時にね、つかみかかってきた人をボコボコにしたんですけど、
そこからやっぱりこいつに関わるとやばいなみたいな雰囲気になったんですよ。
それでもやっぱり学校に行きづらくなって、
行ったり行かなかったりしたんですけど、
行った時にやっぱりね、絡んでくるやついるんですよね。
そこでね、やっぱり、
やっぱり、やっぱり、
やっぱり、
行った時にやっぱりね、絡んでくるやついるんですよね。
そこそこ喧嘩もできるっていうのも知られてしまったので、
知られてしまったって言ってもね、
僕はやっぱりね、人を傷つけるのは向いてないと思うんですよ。
特に当時は。
今は、なんだろうな、傷つけるのも決意してしまえば躊躇なくやりますけど、
当時はね、やっぱり人の痛みがわかりすぎるっていうか、
自分が相手を傷つけたことが怖いし、
相手の母親とかも知ってたりするんで、
ずっとね、自分が喧嘩売られてしょうがなく殴ったんでずっと泣いてましたもんね、怖くて。
そんな感じでしたね。
でもそんなね、職人室の先生で、一人格闘技にすごい長けてる先生がいたので、
その先生との出会いがあって、格闘技の試合見に行ったりしたんですよ。
その試合がね、やっぱり今までも忘れられないんですけど、
今では考えられないと思うんですけど、
目突きとか筋敵とかズッツキありの何でもありの試合が、
普通にね、福岡の武道館とかであってたんですよ。
今のルールより過激ですよね。
ああいうのを見て、やっぱり自分も強くならないといけないなと、
他人に危害を加えられた時に、自分は対応できるようにならないといけないなっていうのは改めて思いましたね。
友人との関係
で、何回かね、学校に行った時にそういうピンチもあって、
先輩とか、先輩の女の子とかと特に仲良くさせてもらってたんで、
僕が絡まれた時でも、そういう人たちが見かけたら、
助けに入ってくれたりとか、
まあ、何だろうな、
ないことないことやっぱり、不意調する奴らってやっぱりいるんですよ。
そのヤンキーで調子になってる奴らって。
まあ、そういう人に限ってタイムアンティナできないわけなんですけど、
あいつが僕の文句、
僕がそいつの文句を言っていたみたいなありもしないことを言って、
そいつから喧嘩を売られたりするんですけど、
そいつも別に僕と喧嘩したいわけじゃないんで、
お前俺の文句言ったのかって言われて、
いや、言ってないよって。
で、十数人いたんで囲まれたんですけど、
誰か、やるのかいみたいな話になった時に、
普通に道開けてくれて、
僕は返されましたね。
それならもう構わないでほしいなと思いました。
だから、何だろうな、
本当に思春期というかそれぐらいの時期って、
他人に構われるのが本当に嫌でしたね。
ずっと一人でいたい、ゲームしていたい。
で、陰キャンの友達っていたんですよ。
同じオタクのね。
そいつの家に行って二人でゲームして、
みたいな感じで暮らしていました。
陰キャンの友達にも変なこと吹き込む奴がいて、
困りましたね。
後から聞いたらやっぱりやっかみみたいなのが
すごかったっていうのは聞きましたけどね。
で、やっかまれるぐらいだったんで、
いろいろあったんですよ。
ヤンキーの上層部の奴の彼女から、
バレンタインのチョコレートとかもらうじゃないですか。
もらうじゃないですかっていうのも変ですけど、
もらったら待ち伏せされるんですよ。
いや、あのさって、
その待ち伏せされるの分かってるんで、
俺に渡すなよみたいなのもあるし、
中学生だからしょうがなかったかなと思うんですけど、
ちゃんと襲撃されるの教えてくれたんで、
あのホームルームばっくれて、
ダッシュで帰りましたね。
囲まれるの分かってたんで。
で、他の子からもね、
バレンタインデーとかもらったりしたんですけど、
僕が初めてお酒飲んだのはね、
そのバレンタインデーに女の子からもらった
カルーアミルクですね。
僕らが中学生の頃、今でもそうなんでしょうけど、
まだまだ子供っていう子もいれば、
それなりに化粧をして、洋服もちょっと大人っぽいのを着ればね、
OLさんに見えたり、
女子大生とか女子高生に見える子も結構いるんですよね。
スタイルとかも発育してて。
そういうちょっと感じの子だったんで、
そういうお酒をくれたんですけど、
それを飲んだのがカルーアミルクで、
それが初めてお酒を飲んだきっかけでしたね。
アルコール耐性はある程度先天的にあるようだったので、
美味しくてしばらくはまりました。
今はそんなに飲まないですけどね。
アイスクリームにちょっとかけたりすると美味しいんですけど、
そんな感じの中学生活でした。
中学を卒業するときにどうするかって話になるんですけど、
暗い話はできるだけすっとばして、
面白いことだけ言いたいんですけど、
ちょっとディティールを少しだけ言うと、
僕は学校にあんまり行ってないじゃないですか。
だから成績がめちゃくちゃ悪かったんですよ。
中2の夏前ぐらいだったかな。
僕は多分偏差値30ぐらいしかなかったんですよね。
30ぐらいしかなかったんですが、
僕は昔からその時代から国語だけ得意だったんですよ。
なぜか。
学生時代の思い出
記憶にある限り現代文をテストで間違えたことが一度もないんですよ。
その学生時代。
小、中、高、大かな。
試験問題で現代文とかあるじゃないですか。
あれを間違えたことは一度もなくて、
国語の点数だけずっと良かったんですよ。
ただし漢字書けないんですよ。
なぜなら学校行ってないからそんなに。
でも本は読んでたので、読めるは読めたんですね。
なので努力して覚えて書けるようになれば点数が上がる。
もともと勉強というか好きだったんですよ。
勉強が好きって言ったら語弊ありますね。
好きな教科は割とパパッとやって、
偏差値倍ぐらいまですぐなったので良かったなと思いました。
子供の頃から電気とかが好きで、
小説も読んでましたし、漫画もめっちゃ読んでたんで、
本を読むのはすごい好きだったんですよ。
なんせ登校拒否だったから。
そんなこんなで、
高校受験ぐらいの時は結構いい新学校というかね、
ところに行くことができるという風になって、
いくつか選択肢があったんですけど、
やっぱり、
奮起したのは、
変な学校に行って、
変なクソヤンキーみたいな奴らに絡まるのも嫌だったんですよ。
ある程度の学校に行って自由にそれなりに過ごしたいっていうのが、
僕の希望だったんで、
そういった高校に行って、
自分が好きな学校に行って、
自分は幸せに暮らすんだと思って、
それなりに勉強頑張って。
やったのは、
オススメなのは僕、
中学から帰るじゃないですか。
好きなだけゲームするんですよ、まず。
で、
ゲームして、
何時だったかな、9時からか10時からか忘れてたんですけど、
そこから11時半とか12時まで集中して勉強する。
その代わりにあとは遊ぼうとか、
ひたすらやったんですよね。
それで、かなり偏差値もいいところに行けたので、
高校生の恋愛
まあまあ良かったなって思いました。
もちろんね、
卒業式で泣いたりしませんでしたね。
めちゃくちゃ嬉しかったです。
これで変なヤンキーにボコられることもないし、
逃げることもないので、
やったな、みたいな感じでした。
絶望の窓際、
高校入ってからはね、真面目に学校も行って、
まあそれなりに部活もやって、
みたいな感じだったんですけど、
まあやっぱり、
他のね、ポッドキャスターさんも言ってましたけど、
高校の時ってね、すごい恋愛しますよね。
高校生って、
中学生ごと子供でもないし、
主婦着て街を歩いて、
子供の時とか、
中学生ごと子供でもないし、
主婦着て街を歩けば、
下手したら大人に見られることが多いと思うんですね。
自分なんかは、やっぱり家が貧しかったけど、
結構特殊な家庭だったので、
お金もないし、いろいろ困ったんですけど、
その時ってね、本当に精神暗黒時代で、
早く死にてえとか、死ぬの怖いしなとか、
この世の中滅べばいいのになとかね、
マジで中二病みたいなことをずっと思ってたんですけど、
なんでしょうね、
やっぱりそんな自分に対して、
初めて、
ここに自分が存在してもいいみたいな感じのことをね、
言ってくれたり、思わせてくれる人と出会ったんですよね。
なんかその時の感覚っていうのは、
人生がね、モノクロだったので、
モノクロだったのがカラーになったぐらい衝撃でした。
人間っていうのは全部理工的なもんだと思ってたんですけど、
他人のために何かしたいとか、
初めて思ったのは、その人と出会ってからですかね。
でもね、陰キャのオタクで、
他の高校生よりもさらに金ないみたいな。
でも娯楽も少ないし、
そんな奴がね、やっぱり女の子に依存するわけですよ。
そこでグワッと。
でも彼女はね、みんなの人気者でね、すごい美人で、
何だろうな、本当に何でも持っているような感じの人だったんですよね、
僕からしてみれば。
会うわけねえよなって思いますよね。
一番良くなかったのはね、
初めてそういうものを見つけてしまって、
僕がその人だけが人生というか、
その人が全てであって、
僕自身はなかったというかね、
とにかく依存がすごかったです。
それでやっぱり上手くいかなくなってしまったんですけども、
それがショックでショックで、
高校生のくせにね、
高校生のくせにね、ご飯も食べれなくなって、
学校にも行けなくなって、
行けなくなったわけじゃないか。
行ってたけど、行ってすぐサボってどっか行ってたのかな。
そんな感じでしたね。
でも成績だけは悪くなかったんで、
まあまあ、普通に大学も入れるわけですけどね、その後。
そんな感じでしたね。
高校でも部活やったり、体鍛えたりはしてたんで、
まあ、高校はそんな感じかな。
薄いな、言うと。
いろいろね、言えることもあるんですけどね、言えないことも多い。
言えないことというかね、クソみたいに暗いことも多いので、
高校ではね、いじめられたり、はぶられたりすることも、
はぶられることはちょっとあったかな。
まあ、でもおおむね、友達もいたし、恋人もできたしね、
それなりの高校生活、今振り返ると高校生活だったんだなと思います。
ただ、本当に振られた時に、あまりにショックすぎて、
ご飯食べれなくなったり、勉強できないし、
いろいろ困りましたね、生活支障が出て。
今となってはね、もうそんなもんだなって思えるんですけどね。
でも、その出来事が自分のね、その後の人間形成というか、
女性との関わり方にね、すごく影響を及ぼしたなと思っていて、
そこからなんか、女性に依存するっていうことがあんまりなくなりましたね。
自己形成の経験
自分は結構、母親とも離れて暮らしたりしてたので、
どうしても異性にね、母性とか、そういったもので求めがちだったんですよ。
まあ、そういう種というか、本質みたいなもしかしたらあるのかもしれないですけど、
そこからなんか、恋人に依存するとか、
誰かがいないと自分が成り立たないみたいなふうに思うことが一切なくなりましたね。
なんかそれが逆に返って、
なんであなただけ冷静なのとかね、めっちゃ言われるようになるんですけど、
まあでも、それはそういう経験しちゃったから、
相手がいないと自分がダメになるっていう経験しちゃったから、
他人に依存しない自分に進化したと思ってて、
それはそれでしょうがないかなと思ってるんですけどね。
そこから普通に大学入ったり、いろいろしました。
すいません、なんかこんなんで、自分が今回はね、
あまりどうかな、一対多数の時の喧嘩の逃げ方とか、
人に依存しない生き方っていうのは少しお送りできたかなと思うんですけど、
あとは自分語りみたいでね、そこまでダメになるっていうところがね、
ちょっと薄かったかなと思いますが、
そういうテーマだったんでね、ちょっと今回はこれで配信させてもらいます。
今回の絶望の窓際族、いかがでしたでしょうか。
もしですね、少しでも面白いなと思っていただけたら、
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