自己紹介とラグビーの始まり
それでは、podcastを撮っていきます。
みなさん、こんばんは。
今、夜なので、こんばんはから始めます。
今日は、簡単な自分のことを話していこうと思います。
追い立ちって言うほど、全てを話すわけではないんですけど、
そういえば、自分のことを全然喋ってなかったなと思ったので、
この辺りで撮ります。
僕は、大阪市に生まれて、育ちも大阪市。
大阪生まれ、大阪育ちですね。
1992年生まれなので、今年32歳になる年です。
というか、もうなりましたね。32歳になって。
なんか30歳とか超えたら、もっと大人なのかなと思いながら、
意外と10代、20代の時に思ってたよりも、あんま変わってない。
っていうのが、30歳超えた感想で。
で、もう一つあったのが、30歳超えると、
代謝が落ちて太りやすくなるとか、お腹に肉が付くとかっていうのを、
ちらほら聞いたりしてたんですけど、それが全くない。
これは、なんか嬉しい誤算というか、
最近、ほんとここ2,3年って運動も全然してないんですけど、
なぜか太らない。もともと太らない。太りづらい体質は体質なんですけど、
30歳になってもそれが変わらずという嬉しい誤算を感じてます。
血液型はAB型。なんかぽいと言われることもあれば、
見えないと言われることもあるので、隠すのが上手いのかもしれないし、
天然なだけなのかもしれないですけど、自分では結構気に入ってます。AB型。
家庭的にはすごく一般的というか、
母、専業主婦、父、働いてるみたいな家庭で弟が2人います。
男3人、兄弟の長男。
で、なんなんすかね、みんな地元の中学にラグビー部があって、
みんなそこでラグビーを始めるっていう共通点があるんですよね。兄弟3人とも。
なので、1個下と7個下なので、7個下とかはもうかぶってないし、ただただ可愛いって感じなんですけど、
1個下とはよく喧嘩しながら、しかも部活も一緒だったので、
すごい長い時間一緒に過ごしてたっていう記憶がありますね。
大阪市内は割とあったり、東大阪はラグビー盛んだったりするので、
大阪って結構中学でラグビー部ある学校がちらほらあったりするんですけど、
僕の地元の中学はラグビー部があって、
どちらかというとやんちゃなやつが集まる部活ではありました。
高校・大学でのラグビー経験
僕はあんまりやんちゃするタイプではなく、割と文部、領土をちゃんと勉強もするタイプだったんですけど、
同級生、先輩後輩含めて、確かにやんちゃなやつは多かったですね。
万引きがバレてみんなに坊主になったりとか、
連帯責任で朝、校門の前に立って挨拶させられるとか、そういうのがあったり。
でも、なんか知らないですけど、部活は真面目に来るみたいなところはあって、
ただ授業は来ない。
で、放課後部活だけ来るみたいなやつもいましたね。
それやると駒野先生がまた怒って、
授業出へんやつが部活くんのなんやねんみたいなのでめっちゃ怒られたような記憶もあるんですけど、
そんな中学時代を過ごし、
高校大学と僕はずっとラグビー部でラグビーやってました。
高校はスポーツクラスがあるような高校だったので、
それなりにしっかりラグビーやっていて、
大学はどちらかというと部活ではあったんですけど、そんなに強くない部活だったので、
のびのびとというか楽しんですごくラグビーをやってて、
やっぱり上手くなるとできるようになると楽しくて、最初痛くて怖いみたいなものだったんですけど、
後半すごく楽しくて、ただただ楽しくてラグビーやってたって感じですね。
大学の時に肩ケガしたりとか社会人になってもちょっとやってたんですけど、そこで足首骨折したりとかで、
社会人になってからラグビーやるのちょっとリスク大きすぎるなぁと思って、もう今はやってないですね。
やめちゃいました。やっぱり好きは好きなので、見るのもおもろい楽しいですし、
キャリアの選択と進展
未だにあんまり見なくなっちゃったんですけど、やっぱりラグビー見るとおーってなりますね。
久々にやりたいなぁと思いながら、ケガが怖くてやっぱりできない感じです。
僕大学、高校大学って理系だったのでバリバリ理系で、
あんまり勉強はしてなかったんですけど、大学の卒業研究はシリコンめちゃくちゃ冷やして光を断続的に当てて電子がどうなるかを
研究するみたいなのやってました。基礎物性って言うんですかね。すごく、なんかシリコンやらダイヤモンドやらにめっちゃ冷やして光当てるみたいなのやってました。
ちょっともう時間経ちすぎて、どんな研究やったかもううろ覚えなんですけど、
当時、物理が好きで、それでめっちゃ理系って感じだったんですけど、なんか大学生って理系より文系の方が楽みたいなのがあるじゃないですか。
僕はそう感じてたんですけど、あ、理系ミスったなーって。なんで理系選んでんやろうなーとかって大学生の時は思ってました。
結果、研究は大変だったんですけど、それなりに勉強、真面目に勉強してたかって言われると微妙なんですけど、勉強はしたなっていう。
もっとできたなとは思いますが、したなっていうちょっと感覚もあります。 大学卒業して就職するんですけど、
就活割と適当にしました。小さい会社、将来自分で商売やりたいなと思ってたので、小さい会社、
福利構成しっかりしてる大企業とかになっちゃったら自分の性格上辞めれないだろうなと思ったので、結構安易なんですけど、小さい会社に就職しようと思って就活して、
内定もらった会社、一社目でも決めて入っちゃいました。 それが
IT系の会社でプログラマー、職種的にはプログラマーで入社をして、 病院に電子カルテを作って
運用するみたいな会社だったんですけど、 半年で
3年目以下みんなリストラーみたいな、業績不審でリストラーに会うっていうのを一社目で経験して、 正直その当時
なんのコッチはわからなかったのと、まぁぶっちゃけ暇は暇だった。 やっぱりリストラーされるぐらいなんで仕事はないみたいな状況なんですよね。
なので研修的なことをやって、プログラムのテスト的な、こういうのを作ってくださいみたいなのを作って練習しといて、
でそれぐらい1人前になるかならんかぐらいでリストラーだったので、 プログラマーとしてバリバリ業務したかって言われたら、そういうことほぼなく終わったって感じでした。
そこで、若いうちにしんどいことをやっとこうと思って、次は不動産の営業に、
営業職になります。 どちらかというとまぁ
小さい、そこも小さい会社で本当に 10人いかないくらい
の規模だったと思うんですけど、 まぁゴリゴリテレアポしてアホ取っていってみたいな、最初売買仲介、売買の仲介だったので
物件を持っているオーナーさんだったり、その会社に電話して
アポ取るっていうのをやって、実際取れたら行くっていうのをやってたんですけど、 まぁ本当
期待してたようなゴリゴリの、ゴリゴリの営業会社で、 縛られながら
ブラーって言われながらやってました。 ちょうどその時に入社して本当1、2ヶ月で
大学のOB戦、ラグビーのOB戦に参加して、足首を骨折して1ヶ月入院するっていう、ヘタを犯し、
今もとはとんでもない新入社員だなーって自分でも思います。 で入院から開けるとちょっと売買仲介じゃなくて賃貸仲介ばれって言われて
オフィスの仲介ですね。 を
やる部署に移動して、移動と言ってもそんな大きな会社じゃないので、もう 上司が変わるぐらいだったんですけど
移動し、賃貸仲介。
物件が住居じゃなくてオフィスだっていうところで、B2Bなんですけど
をやってました。 そこで半年ぐらいですかね、しばらくして東京にも支店があって、そこ一人でやってたんですけど
東京に行ってくれって言われて、そこから東京に行って、 東京で1年も働いてないですかね、そこから半年から10ヶ月ぐらいの間で
そこの会社を辞めて、で 今、ウェブの広告代理店で勤めてます。
今の会社に入った経緯は、前職不動産時代のオフィスを紹介したお客さんに誘われる形で入りました。
なんだかんだキャリアで言うと、結構方向性を決めて、こう行こうっていうので道筋立てて計画的にやってきたかというと、全然そういうことはなく
本当に右を曲折、その場限り、その場限りじゃないですね、行き当たりばったりで決めてきたっていうようなキャリアです。
あんまりそこに対して後悔はなく、 20代決めてたことって仕事一生懸命頑張ろうだったんですよ。
将来何か商売自分でやるってなった時に、20代仕事してた方がバリバリ経験積んでた方がいいだろうなと思って仕事してました。
今思えばなんですけど、そのバリバリやろうっていうのは、とにかく時間を割いて体力の続く限りやろうみたいなニュアンスだったので
ポッドキャストの動機
そこはもっと、方向性さえ決めていれば必要な経験とか、逆算して立てれたなとは今思うんですけど、その当時そこまで考えてなかったので
とにかくやるかーみたいな、気合と根性で突き進んでいった感はありますね。 自分のパターンとしてまずやってみるっていうのはいいところとしてあるんですけど
そこに計画性だったりとか 逆算してこれが必要だから
今はこれ、みたいな計算が薄かったなっていうのはありますね。 ちょっと今もそれは若干ある部分あるんですけど見切り発車してしまいがちみたいなのはあるんですけど
そのパターンに気づけてるっていうのが進歩かなと自分では思っています。 今はそのウェブ広告の代理店で勤めていて、もうかれこれ6年目ぐらいですかね。
ある程度仕事も覚えて 自分のやりたいことを明確にしていきながら次どうするかっていうのを考えている
ようなところですね。 僕を語る上で外せないのがめちゃくちゃ甘いもの好きで特に本当にチョコレートが好き
中島に旅行行った時もチョコレートのお店、唯一調べて行ったんじゃうかなっていうぐらいチョコレートの店行ったりとか
大阪ももちろんチョコレートのお店、専門店もありますし チョコレートを置いてるカフェとかもあるのでそういうところ行ったり
リピートすることもあれば新しいとこ行ってみたいなっていうのもあるんでそういう直後起点で何か開拓するとか
めちゃくちゃやりますし やっぱりバレンタインの季節って百貨店で祭児場がチョコレートフェアになったりするんですけど
阪急、大阪だと阪急が一番規模大きいという、個人的には規模大きくて毎回毎年テーマが微妙に違ったりするんですごく楽しいなと思いながら行ってます
なんだかんだちょっとモニタリングしてるみたいになるんですけど5年前とかって本当に 女性8割カップル2割男性のみゼロみたいな割合だったんで行くの若干緊張してたんですけど
最近は全然そんなこともなく普通に 男友達同士で行ってる人もいれば男一人男性一人もいますし
もうなんかその比率が上がったなあっていうふうに思います これはなんか
そういう風潮になってきたのか甘いもの好きな若い人が増えたのか それか祭児場側、百貨店側の集客がそういうふうにシフトしているのかわからないんですけど
まあ参加してて意地割いてて裸で感じますねそれは しやっぱりチョコも年々増えていろんなコンセプトのビートバーもあれば
あの日本 とかあの他の
各国のものとかっていう特殊があったりとかして 年々楽しくはなってるなと最近はチョコレート時代が高くなってて
カカオ時代が高くなっててなんかその辺心配だったりするんですけどより美味しい チョコレートが今後も増えることを祈りながらって感じですね
なんか最後何の話やってなってきたんですけど 今はそんな感じで
やってます だから趣味って言われたら本当に甘いものって感じですかね
ざーっと なんか年表みたいな感じで自分のことをつらつら喋ってきて
このポッドキャストやろうと思ったのは もともと僕は
コロナちょっと前からですかね ポッドキャスト聞き始めて
聞き始めたのがきっかけがコテンラジオです これあるあるなのかよくあるパターンなのかわかんないですけどコテンラジオから聞き始めて
で 超相対セリアとか深井さんが出ている他の番組とか
あと日口さんがやっている他の番組 を聞き始めた
っていうのにどんどん広がっていきました なんか自分で撮りたいなーって思ったのはもしかしたら日口さんがあの
言ってたことちょっと正確には覚えてないんですけどどんな人でも自分の こと喋ったらおもろいやんみたいな
ポッドキャスト撮ってみたらいいねっていう話 をどこかでしてたのを見て確かになって思ったんですよね
でまぁおもろいかどうかは別にして一人一人が発信することで何か生まれたりするだろう し何よりそういう個人的な発信ポッドキャストで聞いてたらなんだかんだ聞いちゃうな
っていうのは経験としてもあったので1回喋ってみたいなーっていうのはあって実際喋って ます
なんだかんだ一人で喋ると喋ることなくなってくるなとか何喋ったらいいやろうってのは あるんで誰かと撮るっていうのが今は多いんですけどこんな感じで一人で
喋るっていうのもやっていこうかなというので一旦一人で撮ってみてます そんなところですかね
やっぱり 準備なくパって撮ってあげられる編集
最悪なくてもあげられる youtube とかと違ってあげられるのでそこめちゃめちゃいいところだなぁって音声コンテンツのいいところだし
でなかなか身近に感じるんですよねこういうの僕は聞いててそう思って気軽に聞けるし それが頻度多くなってきたら何となく身近に感じるみたいなのがポッドキャストはあって
なのでちょっと続けていこうと思っています って感じですね
本日は一旦ここまで以上で終わりたいと思います ここまでご視聴ご清聴ありがとうございました
甘いものへの情熱
ではまた次回お楽しみにお願いします ではでは