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2025-12-04 1:06:06

25_テクノロジー畑ではなかった私がブロックチェーンでコミュニティを作り始めた理由(ゲスト:株式会社Community Plus CEO:栗山友理さん)

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この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手がかりに、ジャンルを越境しつつ、これからの社会のかたちを探っていくトークプログラムです。

 

今回のゲストは、株式会社Community Plus CEOの栗山友理さん。幼少期から苗字が複数回変わるという経験を経て、「名前」と「自分」の結びつきへの感覚が揺らぐなか、人と人の距離感や関係性への意識が自然と育まれてきたと語ります。海外で苗字で呼ばれる文化に触れた際の感じ方など、日常の中にコミュニティ視点の原点が垣間見えるエピソードが出てきます。

 

現在は、海外のパブリックブロックチェーン「カルダノ」に関わり、社会実装や広報まわりを担うCommunity Plusを経営。技術者としての入口ではなかったからこそ、ブロックチェーンが「人と人のつながり」「場づくり」の上で機能していく点に関心が向かい、コミュニティが成立して初めて技術が社会の中で意味を持つという視点を得られたのだと思います。

 

また、暮らしの拠点を長野県・白樺湖にした理由についても語って頂きます。都市とは異なる環境で生活する中で、人の流れや関係の生まれ方を日常的に観察し、生活とテクノロジーの間に新しいコミュニティの可能性を見出しています。非テック畑から技術領域へ踏み込み、地域とオンラインを横断する視点が、栗山さんの現在地につながっていることが伝わる前編です。

 

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番組への感想や質問は、いつでも大歓迎です。
 

メッセージが採用された方には、番組オリジナルステッカー、もしくは「Living with Nature」特製ステッカーをプレゼント。

 

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サマリー

本エピソードでは、株式会社コミュニティプラスのCEOである栗山友理さんが、ファミリーネームやWeb3業界における男女比の現況について語ります。また、国際的な女性のブロックチェーンコミュニティの状況や、台湾・香港における女性の活躍にも触れています。栗山友理さんは、日本と台湾の女性の働きやすさについて話し、外食文化がどのように影響を与えるかを考察しています。彼女の子供時代の夢や社会的役割についても言及し、職業婦人としての意識やマスコミへの関心が芽生えた背景を説明します。栗山友理さんは、学業のプレッシャーや女子大学選びの背景について語り、公共経済学を専攻し、ゼミでの厳しいトレーニングを経て将来のキャリアに思いを巡らせました。大学時代の韓国留学の経験や、出版社での仕事の道のりについても話します。特に、韓国の文化や言語の習得、さらに出版業界でのキャリア形成における挑戦が印象的です。栗山友理さんは、メディアやIT業界でのキャリアを振り返り、コロナ禍での変化とブロックチェーンビジネスの成長に焦点を当てています。彼女の専門分野とSNSを通じた情報発信の影響について語り、家族との生活や新たな挑戦についても触れています。

ファミリーネームとその影響
名前は後から付ければいい。山本達也のUntitled、ホストの山本達也です。
この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手掛かりに、
様々なジャンルを影響しつつ、これからの社会の形を探っていくトークプログラムです。
本日の収録は、長野県松本市、ALPSシティスタジオからお届けします。
はい、ということで、今日はゲスト会ということで、月の初めですので、
ゲストの方に来ていただいて、いろんなお話を伺っていくという、そういう会になっています。
今日のゲストを早速ご紹介したいんですけども、
今日のゲストはですね、株式会社コミュニティプラス、代表取締役、CEOの栗山友理さんに来ていただきました。
栗山さんよろしくお願いします。
はい、皆さんこんにちは。株式会社コミュニティプラス、CEOの栗山です。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ずっとこう、友理さんって。
女性は本当に、性をね、ご結婚とかで変えられることとかっていうのもすごく多いというか、
多分この国では圧倒的に女性の方が変えるっていうことが多く、
栗山さんの場合も多分それに当たってるんですけども、
よく世の中の議論的に、これは選択的夫婦別姓にするのがいいとか、
でも別に仕事上はそれがわりと広く認められてるじゃないかとかっていろいろあるんですけど、
いきなりなんかこう、わりと重めの話題なのかわからないけど、
この辺の苗字問題というかファミリーネーム問題ってご自身の中でどんな感じに付け合われてるんですか。
そうですね、ファミリーネーム問題というと、私実はちょっと最初から重くもないかもしれないんですけど、
出生時の名前と結婚してからの名前と、結婚する前の名前と結婚してからの名前、3つ苗字が実は変わってるんですよ。
というのも、うちの父親が私たち子供たちが生まれてから、おばちゃんのところに養子に行きまして、
なので一族でもともと吉原っていう名前だったのが、一気に林っていう名前に変わって、そこから栗山に変わるっていう体験をしてるんですね。
なので、苗字に対する思い入れっていうのが、なんか物心つく前に、思い入れる前に変わっちゃってたので、
他の方の多分、20歳まで一緒に過ごしてきた名前みたいなところがあんまりなくて、
ただ仕事を始めてからは、やっぱりどう呼ばれるかっていうことが多かったので、前の仕事は林さんとか林とか言われていたので、
そこに対してご存知の方がなんか混乱するっていうのを避けたいなっていうくらいが、私の苗字に対するアイデンティティの捉え方なのかなと思っています。
Web3業界の現況
なるほど、そういう感じですか。珍しいというか、多分いろいろなパターンでいらっしゃるんだと思うんですけど、
なるほどね、そういう感じで。日本だと会社の仕事とかで下の名前で呼ばれるっていうのはあんまりないですよね。
外国というか、そんなにいろんな外国してるわけじゃないけど、多分英語圏みたいなところとか、割とヨーロッパの言語圏みたいなところだと、
割と下の名前を呼ぶケースとかっていうのもあって、そういうケースもあるから、その辺もありますよね。
多分日本で仕事していくっていうことを考えると、その辺が苗字でみたいなことがあるのかもしれませんが、
僕は勝手にゆりさんって思って。そんな形で、今日は栗山ゆりさんに来ていただいたんですけども、
出会ったというかね、これは前編と後編の方で、後編の方では、今、白樺湖のね、長野県に白樺湖っていう湖があるんですけど、
そこのね、すぐ近くに今お住まいだけれども、別に出身はそこっていうわけではなくっていうところで、
お話をね、後編の方では結構詳しくお伺いしたいなというふうに思っているんですけれども、
一般的にというか、自分の自己紹介みたいなのをなさるときに、コミュニティプラスの代表取締役社長、CEOの栗山ゆりです。
で、言った後の、割と簡単バージョン、自己紹介みたいなところをちょっといただきたいんですけども、お願いします。
現在は一般的にはWeb3と言われる業界を主なフィールドとしていまして、Web3.0っていう方も多いですかね。
主には海外のパブリックブロックチェーンと言われる、カルダノブロックチェーンというブロックチェーンを使って、
日本に実際の社会実装ケースとか、その広報であったりとか、そういったことを行っていくということをやっていく会社として、コミュニティプラスっていうのができました。
なので、一般的に言うとIT屋さん、Web3を実装できるIT屋さんみたいな形です。
なるほど。僕も大好物っていうか、非常に好きなジャンルでもあるので、すっごいお話しするのを今日楽しみに来ているというか、
来ていただいたのかな、アルプスシティスタジオに来ていただいたって感じで、松本の街までちょっと降りてくるくらいな感じの標高のところにお住まいなんですけども、
そんな形でWeb3の話で、結構やっぱり業界的に、IT全般もそうだし、たぶんWeb3周りとか日本で結構テック系の人って、なかなか男女の比率が半々ってわけにはいかなくて、
いろんな分野で男女比ってあるんですけど、その中でも比較的男性が多そうなジャンルじゃないかなと思うんですよね。その中に女性として会社の社長、CEOとしてやられてってなってくると、
やっぱり結構そういうのも含めて、今日お話しするのすごい楽しみなんですけど、ご自身の中でどうですか、そのお仕事されていく中の男女比で、一番初めに始められた頃とかからすると変わってきているとか、やっぱりまだ男性多いとか、その辺ってどんなふうに見えてらっしゃるんでしょう。
ウェブ3IT業界というところで言うと、ほとんど男性な気はしますね。9割型男性の社会かなというふうには思っています。ただ、私の場合はパブリックブロックチェーンということで、結構グローバルな方とのつながりもあるので、そういった意味で言うと、グローバルで働かれている方の女性たちがある程度ネットワークを作っていて、
日本の中にいるよりは女性があまり孤立はしづらいかなというふうには思いますね。
僕、いろんなポッドキャストを自分聞くのも、そんなにたくさん聞いてる経験があるかと言われるとちょっとあれなんですけど、僕、2022年にタイのバンコクに住んでいて、ちょうどその時は自分が研究休暇みたいな形で、自分の研究だけに専念していいみたいな恵まれた1年間だったので、少し時間もあったし余裕もあったんですよ。
その時にわりとポッドキャストをいろんな人の聞くようになって、そのうちの1人が今千葉工業大学にたぶんまだいらっしゃるのかな、伊藤定一さんってすごく元々MITとかもいらっしゃって、聞いてたんですね、そのポッドキャスト。
その時やっぱりずっとWeb3の話とかブロックチェーンの話とかずっとされていて、やっぱり彼も女性が少ないっていうことに対する問題意識とか、この分野にもっともっと女性が入ってくるっていう、実際の社会は男性と女性は半々なので、そういう意味ではこの世界にももっと女性がっていうのを応援しようっていうようなことで、確かWeb3周りの女性だけが集まる会議みたいなのを紹介されたりとかっていうのもあったんですけど、
そういう動きってあるんですか。
結構ありますね。私の場合は日本国内というところが実はそこまで強くつながりがあるわけではないんですけれども、国外で言うとブロックチェーンに関わる女性の団体みたいなのがあって、年に1年くらいですかね。
ウーマンズウィークみたいな感じで、みんなでツイッタースペースで女性のWeb3にいる環境についてとか、これから女性同士でやっていきたいプロジェクトについてとか、そういった話をずっとしていましたね。
じゃあやっぱり日本の中でももちろんあるんでしょうけど、世界の中でもやっぱりこの業界っていうのは世界的に見ても男性が多くてっていうようなところがあって、少し女性の人同士でつながったり女性のウーマンズウィークみたいなのがあったりっていうのはそういう動きがあるってことなんですね。
国際的な女性の活躍
かなりそこら辺は皆さん、特に海外の方の方が女性が少ないっていう発信もされていて、お会いすると珍しい、でも女性ここやっぱ少ないからねみたいなのが挨拶になるくらいですね。
で、結構そのウーマンズウィークに集まられている方っていうのも、西欧だけではなくてアフリカだったりとか、東南アジアだったりとか、アジア日本だったりとか、もうかなり全ての国の女性たちが集まってくるみたいな、範囲が少ないのでみんなで集まって、そのツイッタースペースも東半球、西半球でツイッタースペースをしあうみたいな、結構面白いコミュニティーができていたと思います。
なるほどなるほど。なんかアジアの国でもいろいろあるような気もするし、そして別にその厳密な統計とかっていうよりも普通に印象論で全然いいんですけど、日本以外の、多分もうなんかアメリカとかヨーロッパもいくつかはそれなりに存在感があるようなとこあると思うんですけど、
アジア圏とかで見たときに、このブロックチェーン界隈とかウェブスリー界隈で、特になんか女性とかっていうところで目立つ国というかなんとなくあるんですか。
そうですね。私がお話しして頑張ってたところで言うと、台湾、香港。ここら辺はすごい頑張られた感じがしますね。
台湾は台湾でやっぱりこの女性もすごくいろいろ頑張ってる。あと香港。
二つとも似通ったところもあるのかもしれないし、でも言語を共有できるとかっていうのも大きいんですかね。やっぱり中国語っていうのはどうなんですか。
そうですね。基本的にはグローバル水準で言うと、大概みんな英語で話し合うので、あまり言語のところは感じないし、必ずしも香港の方と台湾の方が仲良くてっていうのはあるわけではないんですけれども、
多分考えるにいろんな方のお話をお聞きしていると、中国、台湾の辺りのLINE、韓国もそうかもしれないですけれども、女性がお仕事されるの普通で、それを親御さんたちが相当手厚く見る。
その習慣がすごく浸透しているみたいなお話は聞いていて、なのでバリバリ働いていらっしゃる香港のCEOとかにお話を聞くと、全然子供を作っても大丈夫と。そしたら一族老党が、その子は香港で会社を立ち上げて日本にいたんですけど、日本にみんなで一回越してきて、子育てまでは全部面倒見るんだみたいな話をしていて。
そういったしたださいもあって、女性がある程度ITみたいな、男性が多い環境でも働きやすいのかなと思います。
いやそれ僕、そのIT業界の人と付き合ってっていうわけでないんですけど、台湾は台湾で、やっぱりその研究休暇をもらってたときには、台湾は僕の場合台南をベースにずっといたんですけど、それまでも通ってっていうのかな、行く機会多かった。
台湾の人もやっぱり家族ぐるみ感っていうのはすごいあるのと、やっぱり女性がすごくその社会の中で元気にというか生き生きといろんなタイプのお仕事、それはなんか本当に街で見るような、屋台とかの中で切り盛りしてるような方から本当に企業とか、それから研究者なんかでも女性の研究者とか、ものすごくやっぱり精力的に研究もされていたりっていうので、
社会全体として女性が社会の中で働くっていうことが非常に何か当たり前のようになっているっていう、そこがもう何か前提としてあって、その後の家族の関係とかパートナーとの関係とか、子どもの子育てとか学校のシステムとか、何かあるのかなっていうのをちょっと思ったんですよね。
日本と台湾の文化
だからそこはちょっともしかしたら羨ましいな、なかなか台湾いいなっていうか、日本もどっちが先なんですかね。なんかよくわかんないけど、こうよく鶏とか卵とか言われたりしますけど、何かもうちょっと改善してもいいですよね、日本もね。
そうですね、やっぱり台湾とかご旅行された方わかると思うんですけれども、朝ごはんは外で食べるが普通じゃないですか。外食がすごく普通の国って女性も多分働きやすいですよね。日本は都市部、東京はお金さえ持っていればね、すごく外食とかして女性が働きやすい環境は作れるかと思うんですけれども、
やっぱり所得がそこまで多くない場合って、女性が働くために必要な助けというか、今まで与えられてた社会的役割を果たさなきゃいけないとか、それを代替するためにすごくお金がかかりますよね。これをすごい私も感じていて。
とはいえやっぱり人口がかなり少なくなってきてはいるので、あとこれ聞かれてる方も男性か女性かわからないですけれども、多分今ご結婚するときに女性がお家に入って私働かないのって言われたら、ちょっとドキッとされる方も多いと思うんですよね。
なのでそういった意味でも少しずつ社会的な捉え方っていうのは変わってくるかなと思っていますし、私としては本来はね子供もいるのでご飯ちゃんと作ってあげたいんですけど、今日外食だったよみたいなのをできるだけ包み隠さず外に出していこうと思っていて。
そういうプレッシャーありますよね、日本で。
あるんですよ。
え、そんなに家でご飯食べてないのみたいなさ。
そうそう。すごく優しい方とかは、特にうちの母親なんかは、義理の母親かな。食材いっぱい持ってきなさいと。明日もご飯作るでしょって言われた瞬間に若干ジクッとする私もいるんですよね。明日の子供のお弁当は冷凍食品で済むつもりだったのにみたいな。
で、これ結構、お母さんとしても若干、若干というか私の中にも情けないなと思ってしまう気持ちはあるんですよね。ただ、それができる環境ではないことを少し諦めている私もいるので、この状況はぜひ発信していくべきだなと思っていて。
本当ですよね。
フェイスブックでも、いろんな方と会うときも、今日夜どうするのって言われたら、今日はスティア行きますみんなで、みたいなことを割と包み隠さず、恥ずかしい話なのかもしれないですけど、言えるようにしていくことが働きやすい環境を作ることかなと思います。
なるほどね。僕はずっとこの国で男性として生きてきちゃってね、今女子大学とかにいて、しかも女子大学の学長とかってやると女子大学の意義とか、やっぱり女性の社会に置かれた環境とかいろんなことってリアルな声とかもいっぱい入ってくるし、
なんか考えざるを得ないっていうか、そういう環境の中で、今のユイリさんみたいにその気持ちにさせてるというか、そういう気持ちって、男性でも持つ人いるのかもしれないけど、たぶんちょっとギルティー感みたいな。
ありますよね、ギルティー感ね。
だから圧倒的に女性の方に、あなたが勝手に持ってるんじゃないかって言えないような何かがやっぱりあって、うちの妻もずっと仕事しているし、今も向こう側でたぶん仕事してるんだと思うんですけど、やっぱりね、すっごくそれはあるみたい。
ありますよね。
あったし、今でもすごくそれがあって、またこれ僕がね、松本住もうとかって言っていいよって松本に住んでくれてるにもかかわらず、家にお前いないじゃないかとかいろんなところに行ったりすると、ワンオペ状態みたいなことがね続いたりとか、本当自分の周りでもそういうのがいっぱいあるから、この社会の中でやっぱり女性が活躍して、後でもいろいろ紹介していきたいですけど、やっぱりでもこれユイさんが、
コミュニティプラスでやられてることとかって本当にワクワクするし、これも男性女性関係ないのかもしれないけど、でもこの栗山由里っていう人が、こういう活動ができている社会だから、起こりうる面白いことっていうのがすごくいっぱいあるような気がして、そこを改善したいなっていうのと、今話聞きながらわかるって思ったのは、台湾の外食。
あれ本当、で僕台湾でもちょっと家探したことあるんですね、エアビー的なところで済ませちゃうか借りるかがちょうど微妙くらいな期間だったんで、1年2年ってなってくると借りちゃったほうが全然いいんですけど、でも一応ねちょっと台湾の友達に頼んで不動産屋の情報とか教えてもらったんですけど、
本当ねキッチン付いてないみたいなのが結構あって、キッチン付きだとこれくらいの値段になるよみたいな、だからそもそも超簡易的なものしかなくて、食事をそうやって外で取ったりとかテイクアウトとかもねすごくいっぱいあって、でまたみんながそれやるからあの値段でやっていけるっていうか、
日本で例えばなんかね朝食とかって言うとちょっとテナント料とかいろんなこと考えると高くなっちゃうけど本当になんかこう屋台みたいな感じで最低限のスペースでやって回転もむちゃいいし毎日のようにもお客さん来るから商売として成り立っていくみたいなね、あれあの環境はでも確かに仕事しやすいだろうなみたいな思いながら今聞いてました。
おかゆスタンドがあるって本当に素晴らしいなぁと思いながら、日本だとせいぜいなんか買うと言ったらコンビニでパン買っておいてみたいになるじゃないですか、なんでちょっとこう特にね皆さんこう義務感を果たせてないみたいな。
みたいなね、周りの目とかね。
なりますよね。
職業婦人としての意識
だいたい何が好きな子供だったんですか、どんなことに興味がある子供だったんですか。
そうですね、あのちっちゃい時は私はもうずっとお医者さんになりたくて、なので何がというわけではないですね、理科が好きとかではなくてお医者さんになりたい子供だったんですよ。
身近にいたんですかお医者さん。
いないんですよね。
ただ何がそれ私をそうしたかっていうと、先ほど少し父が自分のおばさんのところに養子に入ったっていうお話をさせていただいたと思うんですけれども、ここでそのおばさんのことを祖母って言いますが、祖母がやっぱり古い人間の人で、物心ついた時から男の子はもう後継ぎとして。
で女の子のあなたは職業婦人にはなっちゃいけないってすごい言われてたんですよ。
職業婦人っていうこの単語すごいですね。
皆さん死後だと思うんですけど。
職業婦人。
祖母は工場を祖父と一緒にやっていて、いろいろ経理とかもやってたんですよね。
なので経営を一緒にやったという意味でそこつらかったのもあると思いますし、もともと裁縫とかを習うそれこそ女子校でずっとやってきたのもあって、女の人は家事ができるのが大事だと。
裁縫とかをやって裁縫学部とかに入ればいいのにあなたはってずっと言われてきたんです。
ただ何故か私は職業婦人になっちゃいけないと言われてなんか最初から私の行く道が決まっていることを許せない子供だったのか。
なんとかこの環境を変えるためには相手が偶能でも出ない職業になるしかない。
すごく多分思ってたんだと思うんですね。
なので小学生の頃から誰もが納得せざるを得ない職業の一つとしてお医者さんみたいな。
だからお医者さんになりたいし、そういう意味でおじいちゃんおばあちゃんがこのまま公立の中学校に行って高校出て結婚すればいいのよって言われるのが嫌だったんで、すごい勉強も頑張った思い出があります。
なるほど。いろんなお医者さんになりたい理由って結構ポピュラーな子供の頃ね、何になりたいってなった時にお医者さんっていう人って少なくないっていうか。
僕も実際そう思った時もあったんですけど、でもその理由、人によって様々じゃないですか。
なるほど、職業婦人になるのに誰もが知ってて、それだったらみたいに思える仕事としてのお医者さん。
そうですね。
これは冒頭の働くっていうことともすごい関係してくる話で。そっか、それが小学校の頃そう思って、いつくらいまでそれだったんですか?
高校生くらいまではずっとお医者さんになりたかったんですね。
そうなんですね。
ただ残念ながら、すごい頑張ってお勉強したんですけれども、たまたまその思いが強すぎて高校生の時に少しプツンときてしまったんですよ。
プツンときて、今までだったら教科書を読めば頭に入ってくるはずが、一切頭に入ってこない時期があり、
そこから、私勉強の限界を感じているのかもしれないと思って、少し休むことにして、その時に今聞かれている方がどう言われるかわからないのでちょっと恥ずかしいんですけど、
その時、高校2年生くらいまでの学力でセンター試験を受けて、うかる学校に入ろうと思って、そこから女子大に入ったんですね。
その後も、やっぱり職業婦人にならなきゃみたいな思いは強かったので、お医者さんはもうここで医学部には入れないし、
その医学部を受験するという条件の中に、やっぱりおじいちゃんおばあちゃんいなかったので、うちは、行くのであれば国公立しかダメを縛りもあったんですよ。
おー、なるほど。
かなりハードル高かって、で、うちのお兄ちゃんだったらたぶん私立でも行かせてもらえたんですけど、行かせてもらえなかったと。
じゃあ次何かなーみたいな、弁護士かなーとか、そういうことを、とにかく職業婦人になりたいですよね。
なるほど。
マスコミへの関心
引きずっていた時期があって、で、最終的に大学卒業までの間くらいにマスコミに入りたいと思うようになって、
それは何が一番決め手となったかというと、その当時、流行ってた海外のドラマがあって、そのドラマが、セックス&シティっていうドラマだったんですけど、
そのドラマが日本で放送されて、日本人が、その今まで知らなかったマノブアニクとかいう靴であったりとか、
ジミーチューの靴が飛ぶようにブランドとして認知されて、売れるようになったのを見て、
何、マスコミって文化を作れるのと。
なるほど。
人の生活様子も変えられるの、みたいなことが、すごくすごく面白いなと思って。
で、就職の時にはマスコミに絞って、就職をして、で、マスコミ関連の会社に入ったっていう感じです。
なるほど。あの時期ですか、セックス&シティ、僕ほらニューヨーク大好きっ子だったから、ニューヨーク舞台で、アメリカので、
ずっと、アメリカのドラマから遠ざかってた時期があったけど、ちょうどあの時に見てたんですよね。
でもそれ配信がだからあったってことなんですけど、僕なんかビデオを借りたみたいなイメージがないから、あれってどうやって見てたの?
あれは、
DVD?
DVDと、多分あの当時、ワウワウかなんか見てたんじゃないかなと思うんですよね。
ワウワウ入ってないから、じゃあわかった、たぶんうちの妻がDVDをセットで借りてきたとかなんかそういう感じですよね。
そういう感じですよね。
そっか、まだネトフリとかそういうのないですもんね、たぶんね。そっかそっか、それで見てたのか。
なるほど、でもなんか一気に大学に行く前のそのなんか勉強した時なんですけど、小学校があって、中学とかあって、
勉強自体をやるのは割と家の中では奨励されてるっていうか、普通にそれを勉強は別に、その女性は勉強なんかしなくていいみたいな、そんなことはない?
いや、基本的には家の中ではやりたくないなら勉強はしなくていいっていう感じだったんですよ。
だってそもそもが裁縫学校に入ってほしいわけじゃない。
なるほどなるほど。
なので、なんか個人的にはもう見せる必要があって、毎回毎回。
勉強している姿を。
勉強のプレッシャー
勉強している姿というか、結果で見せなくちゃいけない。
なるほど。
っていう感じですね。結果で見せて、ここの結果が出るんだから、もうちょっと勉強で投資してもいいでしょみたいな感じで、それをずっとなんか小っちゃい頃から、本人意識してたのかどうかわからないですけど、プレゼンのように結果を出さなきゃいけないっていう感じではあったと思うんです。勉強するために結果出さなきゃいけない。
かなりのプレッシャーだ。高校は受験したんですか?
中学受験して。
中学受験して。
はい。
校は一緒だったんですね。
そうですそうです。
なるほど。でもそうすると、高校行くのは中学の点数をちゃんと取っていけるっていうことなのか。
だけど受験して入るからそれなりに学力がに通った人たちの間で競争しなきゃいけないわけですよね。
そうですね。
なるほどね。その結果は、まあまあ高2くらいまではなんとか頑張れた?
なんとか頑張っていて、多分お医者さんになれそうだったんですよね。なんですけど、ある日プッツンと。
その日のことって何か覚えてるんですか?その日になっちゃうのか、なんかちょっと乗らないなあみたいなことがあってなるんですか?
そうですね。多分、まあその時、今思ってもなんか本気でやったんだなと思うんですけど、大概学校18時くらいに帰ってくるのかな。18時に帰ってきて、そこから朝の4時まで毎日勉強してたんですよ。
へえ、すご。
もうなんか見せなきゃいけないんで。見せないと大学進学がなかったわけですよね。選択肢になんとなく。
だから絶対にこう納得できる大学に行かなきゃいけない。納得させられる大学に行かなきゃいけないわけじゃないですか。と思っていて。
なんでその、母親の成績だけではなくて、学校の通知表っていうのが毎回毎回出てくるから。
女子大選びの理由
出てきますね。
それほぼ全て10取ろうと思ってたんですよ。家庭科とか保健体育とかって別になんかそこの点数で10取る必要ないじゃないですか。
なんですけど、なんかそこら辺の容量悪いんですよね。全部100点取らないと気が済まないから。予習復習全部そこまでするんですよね。
なるほど。
うん。で、天才じゃないので見ただけで覚えられるとかではないので。そしたら、とある多分シューだと思うんですよね。だからなんか言ってることが頭に入ってこないなって。
ほう。
やってもやっても頭に入らないのはなぜだろうみたいになって、多分頭がオーバーロイドだったんですよね。
なるほど。わあ、すごい。4時にまでやって、朝は何時に起きるんですか、それで。
6時に、4時までやって、6時に起きて試作して学校行くんですよ。
わお。それは普通に考えてもまあまあ体に負担かかってそうですね。
そうですね。なんですけど、まあなんか意地のほうが勝っちゃって、その時ね。
それはすごいなあ。なるほど。そうだったんですね。
そこまでやったら初めて祖母も祖父も少しなんか嬉しそうだったんですよね。やっぱ高校の先生に言われて、こういう大学を受けたほうがいいよみたいなことを言ってもらったんですよね。
それも祖父母も知ってる大学で、もちろん若干職業不尽って言ったらそこまで行ったら嬉しいみたいな感じだったんですよ。
だから何としてでもって思いついたんだと思うんですよね。
わあ、そこでさあ僕みたいにさあ今大学にいる人からすると、まあでもその高2くらいの時にセンター試験だったですかね。
そうですね。センター試験ですね。センター試験でだいたいまあ、なんていうんですかね、取れる点数でどの辺の大学のコレンジを狙っていくのかみたいなのがあって、その中で結局女子大に選んだっていう話だったんですけど、そこはなんていうんですか、上のほうの、たぶん狙っていた大学ってあまり女子大がないじゃないですか。
その当時はね、そうですね。
ここが自分としてはもうちょっと違うと、ここじゃないところの選択肢でってなったときに、いわゆるだからその下のレベルで偏差値上ね、なんかこの中で驚愕に行きたくなかったとかっていうのあるんですか、それを女子大選ぶのはなんでなんですか。
それは、私が行ってた中高がたまたまカトリック系の女子高だったのもあって、センター試験でいろんな大学に出願したんですよね。で、そのときにどこの大学が、受かった大学の中でどこがいいかなって、たまたま私の先輩に相談したんですよ。
そしたら、トップのトップの教学に行くより絶対女子大に行ったほうが就職率もいいし、いいところに行けるよって言われたんですよね。なんかこうキャリア的にも、あ、お嬢様だったので多分進ませてもらえるみたいな。そっかと思って、あり。
女子大に行きました。
女子大に行った、なるほど。じゃあそういう意味では、中学とかからずっとその女子中高大みたいな世界だったんですか。
そうですね。
大学入ってどうなんですか、その普通に違和感なくスーッと入っていけたんですか、大学生活は。
そうですね。違和感はあんまり環境変わってる感じもなく、むしろ中高よりは、なんか中高ちょっとお嬢様学校でごきげんようみたいな感じだったので、なんか言いやすい環境ではあったかなと思うんですね。
大学通うこと自体はわりと楽しく通ってたんですか。
そうですね。楽しく通いながらも、アルバイトを始めたらなんか職業不自由になりたいんですよね。なんで、なんかどのアルバイトも本気でやる性格の子で、携帯売るバイトとかやってたんですけど、一番売れるのが嬉しいみたいな感じがあって。
あれでも結構時給いいんですよね、携帯売るバイトってね。
めちゃくちゃ良かったんですよね、その当時。なので、ほんと初任級の人以上言い回ってて。そういうのもあるんですけど、働くことが好きだったので、今の学生さんたちを見てると本当に真面目に勉強されていて、私もあの時、今思うと勉強していけばよかったなと思うことがいっぱいあります。
じゃあやっぱりその大学入って初めてアルバイトとかして、で、アルバイトも時間つぶしじゃなくて、これなんていうか職業不自由になりたい。
なんか大会ともなっちゃう。
しかも営業的なことがあったらとりあえず成績出しに行っちゃうみたいな。だからそういうなんていうんですかね、極端なというか突き詰めるみたいな性格はもう昔からなんですね、多分ね。
昔からどこかしらになんとなく反骨精神とか、誰かの肩にはめられたくない思いがすごい多分強いんだと思うんですよね。なので、今自分が母になって思うのは、この子が娘だったら大変だっただろうなってすごい思う。
今度でもはめちゃいけないしみたいなこととか思うんですか、自分のお子さんとかね、言ったら。まあ世代が違いますから。だって今の話も、そのおばあさまと2世代くらいだから違うわけじゃないですか、だからその世代が。で、この世代の常識感を違う世代に当てはめようとするとそれは無理があるよね。
まあそうですよね。
で、だんだん自分が大人になるとわかるんだけれども、なんか意外と親ってそこすごく一生懸命で、自分の時の価値観とかっていうので意外と子供に接しがちだなっていうのは、あのね、なんか女子大のオープンキャンパスで来るおじいちゃんおばあちゃんからお父さんお母さんまでいろいろいるんですけど、
いろんなタイプの人がいる中で、時代は変わってるけどなって思いながらっていうことがね、たまにあるので、でもまあなんかそういうのを見て、やっぱり自分の娘の世代とかにはやっぱ価値観ね、あの全然世代的にも時代背景的にもいろんなことが違うからなって思うようにはしてるっていう感じですね、僕の場合はね。
はい。
なるほど。そっか。じゃあ、大学時代ってなんかこうハイライト的なものってなんかあったんですか?今のところまだなんかこうIT系のものに出会ってないじゃないですか。
いや出てこないんですよ。全然出てこない。
ブロックチェーンとかも出てこないじゃないですか。
出てこないです。
ずっとプログラミング私やってましたとかっていう感じじゃないわけですよね。
はい、やってないですね。
そこは大学時代何勉強されてたんですか?だからそこはやっぱジャーナリストっていうかそういう感じのイメージだったんですか?
大学で専攻した科目に関して言うと経済なんですよね。しかも公共経済学をやっていました。
それゼミとかはそうだ。
ゼミが公共経済。
比較的リベラルアーツの大学なんでいろんな分野を取れるわけですよね。
ありますあります。なんで経済に行ったかって言うとやっぱりどこかしらで職業婦人になりたいからなんとなくそのなんていうのかな。
その時選べる中で私1年生の時に思ったのは法律家になるか官僚になるかみたいな。官僚になりたかったんでしょうね多分ね。
でちょっとじゃあ経済かなみたいな。ちょっとなんか法学部とかなかったんですよね。なので割となんか曖昧に選びましたね。
で公共経済学に進んだ理由はなぜかそのゼミの先生が大学のゼミの中で一番厳しいって聞いたんですよ。
でなんか私変な選択をしがちなんですけど、あの一番厳しいとか一番大変とかなんかそう言われるものに心が惹かれてしまって。
なるほど。
なんかサバイバー精神がこうメラメラと思えるんですよね。
試してみたくなっちゃうんですね。
試してみたくなっちゃったのでその先生のゼミに入りましたが結局後でわかったことはその先生は勉強はちゃんとしなきゃいけないっていうのは出しながらも結局はめちゃくちゃ優しい先生だったなと思いますね。
ゼミでの経験
なんでそういう噂になったんですかね。それはだから入らないとわかんないのか一見したらわかんないのかな外からと。
3年生のゼミが公共経済の経済教科書英語の教科書を文読していくみたいな感じなんですよ。
その時点でハードルちょっと上げちゃっていてゼミの出席は厳しい先生だったのでそれで結構厳しいみたいな。
なるほどそこの英語の文献に対するなんかちょっとハードル感みたいのもしかしたらみんなの中にあったのかもしれないですね。
当時チャットGPTとかもないし辞書片手にやらなきゃいけないみたいなところ。
だから伝統的な割とその大学の中でのトレーニングの方法は比較的そういうトレーニングをやってたから多分ご自身もそういうトレーニング受けたんでしょうねその先生もね。
多分そうだと思いますね。
自分もね思いますもん結局自分が受けてきたトレーニングと同じようなことをやってんだなっていう。
僕もなんかね入ったゼミはね大学の中でもむちゃくちゃ課題が多くてなんでわざわざみんなそんなところに行くんだって言われるところになんか行って。
で大体来てる仲間もそれは分かった上で来てるみたいなところがあったんでそれはそれは今でもすごく仲いいしその当時のねあのゼミの友達とか先輩後輩とかもすごくつながりが強かったけど。
特徴的なゼミっていうのはあるわけですよねそういうね大学の中でね。
合宿とか行ったりするんですかゼミ合宿。
ゼミ合宿も行きましたねえっと大学3年生4年生かな合同でゼミ合宿に行って結構面白いんですよねその文献を英語で読んで何が書いてあるかというのを自分の言葉に変えてロールプレイングでやりなさいとか。
プレゼンしてみなさいみたいな。結構あのゼミの合宿面白くて。
で私もなんかゼミ漢字をやってたのでYのYのみんなで楽しみながら厳しいからこそそれが終わった後がすごい楽しいみたいなのがあるじゃないですか。
なんかゼミ調的な。
そうですそうです。
似てますね僕もやってましたね。
それはそれは楽しいですよね企画してねいろいろねこう段取りをね撮ってとか多分はそういうのも今の仕事におそらく生きてるんでしょうねやっぱりね。
でもそう思うと何ですか小学校中学とかで割と生徒会長的なこととかそういうのやったんですか。
そうですね小学校の間はずっとそういう感じ。
やってたんだクラス員的なやつ。
そうですね。
ありますよねそういうのね。
いますね。
そういう感じです。
なるほどね。
大学時代の韓国留学
今までのところだとあんまりこう旅的なこととか出てこないけど結局どうだったんですか中高大とか振り返ってなんかどっか新しい国に行ってみるとかどっか旅に出たとかなんかそういうのって何かあったんですか。
私は大学時代に韓国に少し留学してたんですよね。
でその当時なので今だとね皆さん韓国身近だし行きたい人多いと思うんですけどその当時はまだ冬空が出る前くらいなので本当におばちゃんくらいしか行かない国みたいな感じだったんですよね。
確かに2000年代初めくらいですかね。
そうですね。
そうですねそうですよね。
そうなんですけどたまたまその職業婦人魂というかアルバイトしてたところの社長さんが韓国人だったんですよね。
で韓国からお客様がいらっしゃると韓国語で何かこそこそ話してるわけですよ。
これすごい興味湧いちゃって。
内緒の話だって韓国語でしてるわけですよ。
これ聞いてみたいなと思ってでたまたまあの学校の授業に韓国語が第三外国語とかで取れる学校だったので取ってみたら韓国語って思うよりすごい簡単日本語と似ていたのでこんな簡単な言語あったのかと思って。
それで少し練習して韓国行って聞こえるようになって帰ってきて何言ってるかわかるようになったぞと。
なんかそういうのを楽しんでました。
今でもその店長何話してるのか気になるけど何話してるんでしょうね。今ならわかるかもしれない。
お金の話でもしてたのかな何ですかね。
その時は店長というかその時はもうマスコミの会社をその方たちがやられていてそこに今で言うインターンみたいな感じじゃないですけど隙間でアルバイトしてたみたいな感じなんですけど話してたのはやっぱりちょっと日本で作る作品を一部韓国で作った場合のお金の話をしてましたね。
いくらで受けていくらでどうしてこうしてみたいなのを今思い返すとちょっと多分ずるいなみたいな話をしてたかもしれない。
そうですね。でもその当時ちょうど韓国政府も国策でその韓国のコンテンツをどんどんどんどん外に出していくみたいなちょうど時期も重なってるはずなんで。
多分だから冬ストラもそうですけど日本でその韓国で作られたコンテンツとかっていうのがたくさんたくさん出てくるちょうど走りの時期ですよね。
そうですね。ドラマとかが走りの時期でちょうど韓国にアニメスタジオとかができ始めた時期。国策としてすごい専門学校作ってみたいな時期でしたね。
その韓国滞在はどこだったんですか。ソウルだったんですか。
ソウルですね。
ソウル生活どうでした。
なんかこれも名前が私って韓国語で読みやすいんですよね。林だったのであの時はまだ結婚してないから。林ってイムさんじゃないですか。
でユリって韓国語でもよくある名前だからイムユリイムユリって言われて。
なんか韓国人のようにみんなに。地獄の人みたいな感じで。
親近感があったんだ。だからその名前的な。
名前であるし。あと何ですかね。なんかまだ当時その日本の若い学生で韓国に行って語学勉強してる子少なかったんで。
やっぱそういう意味でもなんかウェルカム感。日本人でこんなに勉強する子がいるんだみたいな感じで。
なんか非常に年上の方たちに可愛がっていただいて。韓国ってやっぱり今ちょっとわかんないんですけど全然行ってないから。
年上の人が絶対に年下におごるっていう文化があったんですよね。なので先輩たちにいろんなところに連れて行っていただいて。
お金ない学生なのに何から何までこう体験させてもらって楽しく過ごしました。
じゃあすごくいい経験。
いい経験ですね。いい経験なんですけどビジネスで使う韓国語というよりは楽しく楽しく先輩たちといたので。
ビジネス用語ではない言葉をいっぱい覚えてきた。
でもそれ結構大事ですよ。やっぱりね。なんだかんだ言って最後ビジネスでディールするときみたいなときってその辺の人間関係とかって意外と馬鹿にならなかったりとか。
その韓国の留学先は行かれてた日本の大学となんか提携があるとかそういう感じだったんですか。
ではなくてそこが初めて教学の語学堂って言って。要は語学スクールみたいなところですね。に行ってた感じです。
教学環境はどうでした。
そうですね。真面目な子でもそんななかったので。
女子大に入ったもののインカレのサークルとかにも入ってたからそこはそんなにあんまり変わらなかった。
最終的に振り返ってなんか女子大で良かったこととかってあるんですか。むしろ逆に女子大がもっとこうだったらよりいいのになって。
だんだんなんか自分のビジネスの方に興味も出てきちゃいましたけどどうなんですか女子大論的には。
私はそんな学生だったのでなんか決してすごい真面目な学生ではなければなんかその大学に入った理由も少し不純だったと思うんですよね。
なんですけどその女子大ならではの小規模なクラスあと厳しいと言われてた大学の先生がとても愛情を持って一人一人に接してくれたので。
そういった意味で最後までなんていうのかな。なんかこう諦めずに卒業をちゃんとし就職をちゃんとしっていうところに行けたのかなと思います。
なんかすっごい今わかる気がします。なんか教学のね大学だろうがかなりの程度教員のパーソナリティでも寄っちゃうんですけれども、教学の先生でも面倒見の良い先生はもちろんいるんですよ。
だけど比較的大きな大学になってくると結局先生の方からわざわざ声をかけに行くってことはやっぱりないんですよね。なので飛び込んでくる人に関してはいろいろ面倒を見てくれる先生っていうのはいるなって感じはあるんだけど今の話聞いてて思ったのは
なんかエルさん今ご自身でもそこまでなんか熱心に勉強っていうわけでもない。なんかちょっと中間くらいで行ったり来たり。この人たちを全員ほぼ全員見捨てないのは女子大カルチャーだなと思います。
この距離がある人でも最終的には包括してくれるような規模感とか、あと教員のメンタリティもそういうメンタリティになっていて、全員をちゃんとその大を卒業させに行くみたいな意識ってでっかい大学だったら留年勝手にしてくれいいって感じでルール通りポンポンポンと行きますみたいな感じなんですけど割と女子大の先生たちと話してると特にうちの大学もほんとみんな熱心なんで
誰が入ったのかっていうこととそのね固有名詞をねかなり共有してますね。だからもう学籍番号じゃないですよ。もう固有名詞であの子あの授業でこんな感じだったから多分大丈夫とか言って。なんかその感じはやっぱり女子大ならではだなっていうのは思いました。
そうですねなんで今でもまああの後ほど多分話したもんですけど今逆にこの全然離れたところから大学時代に勉強したものにちょっと近いところの仕事をするようになってきて、あの未だに教授にフェイスブックでメッセージを送れるっていうのはすごいなと思って。
たしかにたしかに僕もよくLINE来ますもん。それもねなんかね今松本に遊びに行ってますとかほとんどなんかそのなんていうんですか切発待って何かをアドバイスとか関係ないところでも割とできるしでも本当にアドバイスを求めたいみたいな時もね来たりを。同じようなのがだからあるってことなんですね。
そうですねなんかなんとなく本当に人として見てもらってる感心配してもらってる感みたいな。そこはすごく女子大のいいところだったなと思います。
たしかに。
女子大ってなかったら危なかったね。そのまま職業婦人に。拘束のままなってるかもしれない。
職業婦人としては確かにそうかもしれない。もうちょっとポッドキャスト聞いているみんなに恋を大にしていたいね。何が違うんですかみたいなこととかよく意味がわかんないみたいな感じになるかもしれないですけどでも確かに今の話はすごい思い当たるところがあるなぁなんて思ってました。
出版業界での挑戦
であの卒業されるわけですけれども初めはその出版に行かれるんですか。
出版社の関連でテレビを作ってる会社があるんですね。書いてあると思うんですけど小学館主役者プロダクションっていう小学館の子会社なんですけれども小学館が持っている判件を使って皆さんご存知かどうかおはスターとかポテットモンスターとかそういうコンテンツのプロデュースをやってる会社。
あとはグッズとかですねグッズの判件管理とかを全部やってる会社。でその当時アニメのコンテンツであったりとかあとおもちゃのコンテンツを使ってメディアミックスをするという言葉がすごい流行っていて。
で要はセックスアンドザシティでマノノブラウニックが売れたように私は子供版のそのおもちゃとかを番組を使って売りたいと思ってその会社に入りました。入りましたと言ってもこれはなんかもし学生さんが聞いてくださっていることもあると思うので伝えたいんですけどその会社が第一志望でそれ以外の会社すっごい狭めてたんですよ。
っていうの最終面接まで行ってたんでほぼもうこれはないて取れたもんだと思ってたんです。そしたら最終面接を押したんですよ。でもうここは全然行きたくないってなって。でもこういう性格をしてるのでなんとかそこはあのツテを探してその会社のさらに子会社に入ったんですよ私実は新卒では。
でもどうしてもその昇華歌手社プロダクションのメディア事業部というかテレビ企画事業部というところに行きたくてそのインターンでおいでというか研修でおいでって言われた期間毎日毎日企画書を1本ずつ書いて上司に渡してた。
そしたらその実際に新卒で入る4月の予定から入った昇華歌の子会社の子会社ですよね。から昇華歌の子会社の入りたかった会社に出向で行っていいよって言われて出向で昇華歌手社プロダクションに4月から勤め出すと。
なるほど。そうするとなんかすっげえ下世話なお金的にはその子会社の子会社から給料をもらう出向だから。だからその子会社の行きたかった会社の給与体系とまた別の給与体系ですよね。なんかなかなかの理不尽さとかいろんなことを感じたんですか新入社員の時から。
あーでも理不尽さはそんなに感じていなくて。というのは要は親会社というか普通にその小学生社プロダクションからは内定もらえなかったわけですよね。でもそこに出向で行かせてもらえてでそこから社員になる人たちも見てたんですよ結構。
だからもうそこを完璧に狙っていたので。ただ大丈夫かな。1年目のお給料が手取りで13万円くらいで大学生の時に職業婦人をすごい頑張ってた私としたら。
確かに携帯売ってるときね。
あれって思って。どうやってこの大学生の時の人とこの3分の1でどうやって仕事すればいいみたいな。どうやって生きていけばいいと思って。それがすごくカルチャーショックだったのは覚えてます。
メディア業界でのキャリア
なるほど。そんなのあって。でメディアの仕事をだからずっとされるんですよね。その間っていうのはだからどうなんですか。自分の中でこういろんな企画とかスキルみたいなものを磨いていく。なんか意識としては。だからある意味なんか本当に職業婦人になんか世の中的にも社会人って呼ばれるようななんかこうなったわけじゃないですか。なってみての感覚とか感想どうだったんですか。
いやもうそれこそやっぱり深夜2時に終わって朝4時半にスタジオに行ってみたいな生活だったんですけど。毎日が本当に楽しくて。というのはその当時の会社の上司ですよね。が進入、すっごい厳しい人で有名だったんですよ。厳しいからプロパーで入った人たちはあんまりその部署行きたくないくらい。
で今だとは怒られちゃうけどまだコンプライアンスとかがなかった時代という感じなんで。愛のあるお説教が本当に愛のあるお説教なんですよその人も。響き渡ってたんですよねフロアに。くらいの感じの上司で。
なんですけど、新入社員入ったばっかの子に、とにかく日本の一流企業の部長職の人たちと一緒に企画したものをプレゼンさせてくれたりとか、入ったばっかでやってくれるんですよ。だから毎日毎日が本当に楽しくて。
で自分の考えたことがやっぱり形になって番組で流れて、というのを見ていたらもう本当に毎日ドーパミンがドバドバ。楽しい楽しいっていう生活でしたんで。
そういうところで企画作っていったりプレゼンしたりとかっていうのはもう相当だからオンザジョブトレーニングで鍛えられていったって感じですよね。
あと営業のところも多分そうでしょうし。
なるほどね。でもやっぱりまだIT出てきませんね。なかなか。
すみません早くITを出したいですよね。
どこで出会うんですかね、それはと。
その後、今の主人と結婚して、主人が自営をやっていたので、自営の手伝いというので、彼の仕事を手伝うために一回マスコミの仕事というか入った会社を辞めているんですね。
で、第一子、二子、うち双子が生まれた次の年かな、コロナになったんですよ。主人がやってた事業っていうのが飲食店の経営だったので、コロナ大大撃を食らってたんですよね。
で、その時にたまたま投資っていうところで、主人がマンゴーシさん少し見ていたっていうのもあって、多分主人よりも私の方が一般のニュースとかもよく見てるし、そういうの得意そうだから、私にそういうことを色々調べてほしいみたいなこと言ってたんですよ。英語も一応できるしみたいな。
で、わかったと思って英語を調べているうちに、あ、そっかこれってみんなツイッターで調べたこととかをつぶやくと、なんかフォロワーができてちょっとお金稼ぎもできるっぽいみたいな感じで私も捉えたんですよね。
で、ツイッターで一生懸命発信していたところ、当時のWeb3というかブロックチェーンを開発企業の関連の会社とかからオファーが来るようになったんですよ。で、今はもうXにも翻訳機能ついてると思うんですけど、その当時はX翻訳機能ついてないし、JPTもまだあんまりないというか。
全然なかったので、ツイッタースペースとかも同時通訳で日本語と英語がなんか出てくるとかなかったんですよね。だから海外の人からしてみれば、ちょっとなんか通訳みたいなことプラスWeb3の技術のことも知っているから、日本にマーケティングしたいんだったらあいつに頼もうみたいになったんですよ。
で、そこから日本語と英語のツイッタースペースを開いたりとか、いろんなプロジェクトの日本と欧米をつなぐ架け橋、ブリーチングみたいな仕事をしているうちに、実際にIT企業として仕事を受けてくれないかみたいな話が出て、で、やっとIT企業を立ち上げると。
なるほど。で、これ今資料だと21年に活動開始っていうことなんですけど、このときに会社を立ち上げられるんですか。
21年に活動を開始していて、22年の秋くらいに。
20年の2月とかその辺が多分ダイヤモンドプリンセス号とかって話になってて、3月くらいで卒業式がバタバタなくなりみたいなのがちょうどあれが2020年でしょ。
それで、21年でもうロックダウンみたいなことになって、飲食とかってもう激変するわけじゃないですか。で、観光系のところもね、一気に人が動かなくなってっていう。そっか、だからそう思うと、じゃあユリさんが今のブロックチェーンみたいなのって、まあ回り回ってCOVID-19の産物だっちゃ産物みたいなところも大いにあるわけですよね。
そうじゃなければ、今もしかしたらご主人とともに飲食でやってる可能性がありますよね。そっか、でも面白いのは形を変えて結局そのおじいさまおばあさま2人で経営されたって。
家族との生活と新たな挑戦
いや、ほんとそうなんですよ。
事業を経営してるって意味では2人でやってるんですけど、事業っていうところはあくまで分けてやってる感じ。
そうそう。だからそこがなんかすごく良かったんじゃないかなって思って、もしこれCOVID-19いろんな大変なこともあったけど、それがなければもしかしたらご主人と2人で経営ってことだったかもしれないんですよね。
そのまま割と事業伸びていっちゃったみたいなことになれば、あんだけの劇編があって、たまたまちょうどその時にブロックチェーンとかっていうのもちょうど伸び始めていく時期だったって、その辺に重なってっていうことなんですね。
今でちょうどたぶん1時間くらいお話をして、なんとかこの前編でブロックチェーンの入り口くらいのところまで。
すいません。
僕がつい楽しくなっちゃって、いろんな教育のこととかやっぱり面白いので、その人のバックグラウンドみたいな、何をやってるのかってことはたぶんわかるし、
割といろんなメディアとかで取り上げられたりするので、今何をやってるのかみたいなことで取り上げられると思うんですけど、やっぱりなんか自分が教育の現場に、
全然別に教育学とか専門でもなんでもないんだけど、一応なんかその学生とか見てたりすると、どうしてこの人こういうことをやってるのかとか、むしろその人の根源的な突き動かす何かみたいな。
でも今のユリさんの場合はやっぱり型にはまりたくないみたいな、たぶんすごいデカかったりするし。
だし、なんかそのやっぱりなんか働くっていうことに対して、自分が働き続けるとか働くってことに対する強い思いがやっぱりあるんだなとかって、なんかそういうことをこう知ってから、ご自身が今やられてることを理解すると、すごくなんかより立体的になんか理解できるような感覚があって、つい前半でいろいろ聞いてしまうんですっていうところで。
お付き合いいただいてありがとうございました。で、今じゃあちょうど前編ここまでにして、ここでやっとブロックチェーンらしく、しかもそのブロックチェーンもどんなものなのかとか、いっぱいある中で特にこれみたいなところまでは今お話言ってないんですけども、後編ではその辺りから含めて。
そして今回冒頭で白樺湖に今お住まいだっていうことで、ずっと大学も東京の大学に通われていて、なかなかその白樺湖っていうところはそれなりに新しい場所なんだと思うんですけど、その辺の出会いなんかも含めて、そして今家族みんなでそこに住んでいる理由っていうか。
で、そこがなんか僕はすごく未来的なワクワクを感じるものがいっぱいあるので、その辺を後編では掘り下げてお伺いしていきたいというふうに思います。ということで前編はここまでにしたいと思うんですけども、前編どうもありがとうございました。
ありがとうございます。
はい。じゃあ続きは次週の後編ということで、後編もぜひお楽しみにしていただければというふうに思います。ということでまた次週お見にかかりましょう。
本日のアンタイトルドいかがでしたでしょうか。
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それでは今回のアンタイトルではこのあたりでまた次回お耳にかかりましょう。
番組ホストの山本達也でした。
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