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結局、こう、学校で昨日あのテレビ見たっていう世界から離れたはずなのに、結局同じ目にあってない?今、みんな?って思って。

確かに。離れてない。 嫌じゃない?
離れてないんだよ、たぶんその、そこから、たぶんずっと。

うん。それはあり続けてるんだ。 多様であろうぜ、っていう感じがあって。
同じところにみんなで行って、やっぱ共感しないといけなかったりするのかと思うと。
だから、これ以上増えられると困るんですよね。

まあ、増えるとそうだね、確かにね。増えると困るね。どれを見る、どれを見ない、あるからなあ。

ネタバレを気にして。やっぱインターネットと相性悪いんですよね、こういう、なんていうか、その、昨日あれ見た系。

確かにね。好きなタイミングでね、見たいからね。

だから、結局じゃあ、リア対するしかないってやつになるじゃないですか。
負荷が高すぎると思って。年1回M-1だけでいいんですよ、もう僕ら。

M-1はリア対するぞってなってんの?

そうするしかないんですよね。もうGoogleのサジェストする記事から、僕を殺しに来るんで。
あれM-1の放送時間帯って、ケンゴの住んでる地域だったら何時ぐらいになるわけ?
長いからな、夕方から始まって。だから夜12時ぐらいに始まって、結果が出るのが朝5時とか6時。

しんどいね。しんどすぎ。

今年は、今年じゃないな、去年か。去年は実家にいたので。

おー、そっかそっかそっか。

投資で見ました。

七つ星の流れの時期か。そっか。だからオリンピックとかと同じだね。
ワールドカップとかと一緒だね。開催地が遠いと、夜中に見なきゃいけなくなるのが同じか。

これから録画を見るぞって瞬間に結果が先に実家に入るみたいな。

最悪の体験だよな。

あったっけ?去年、コメディは逆に見るんで。
去年はキングオブコントが優勝が、ラブレターズっていうコンビだったんですけど、

うまくネタバレを回避して、録画をこれから見るぞっていうところに至った時に、

知人、こっちに暮らしてる友人が、一緒にいるスラックで一言、
いや、後輩がキングオブコントで優勝したんだよねって言われて。
誰かは分かんないんですよ。
誰かは分かんないんですけど、その人の出身地から消去法的に僕が割り出せてしまって、頭の中で。
反災勢が全員いなくなるみたいな感じになって。
分かっちゃったみたいな。

難しいね。

何からも逃げられないなっていうのを思ってしまって。
まさかその人にネタバレをケアしろって言わないといけないことになると思わないじゃないですか。
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そうだよね。いやー、現代人とネタバレって難しいよね。
だからそういうコンテンツに人がなびいてしまってるのは良くないんじゃないかと。

それぞれ思い思いに楽しんでしばらくした後、半年後とかに、
偶然持ち寄った方がいいんじゃないかっていう感じはある。

面白いね。ランダムに渡されたやつを見てね。
面白いね。

知らない方がいいんですよね。インターネットで知れちゃうんで。
誰かしか見てないあれっていうのを、後からその人から勧められてみるぐらいいいんですけど。
今はみんながこれをこれをって見てる様子を先に見せられちゃうんで。
自分も入って見ないとみたいな。
完全にさっきの話に戻るけど、昨日めちゃイケイケ見たと一緒です。

懐かしいね。小学校の頃そうだったよな。小学校、中学校行くあたりか。

そうだったね。
翌日には、笑う犬でやってたボケをもう先生が繰り出してました。
先生ひょうきんな人だな。
みたいなやつがそんな、だってそれ分かんなかったら相当きついですよね、その学校。
先生がそのボケをしてゲラゲラ笑う生徒がいるのと全く分からんでポカンとするみたいな。
あれが良くないんですよ。

そういう時代でしたよ。僕らが小中学生の頃って。

それを今、まさかタイプロがいつ結果出る出ないでそんな目に合わされてるような状態になってて。
ほんといいのかなと。
タイトルつけるとしたら何の話なのこれは。
昨日めちゃイケイケ見たじゃないですか。

そうかもしれないね。でも大変よね、ネタバレ。確かにな。
タイプロちょっと今日見るのかな。妻が夜ご飯外で食べたいって言ったから夜ご飯食べながら見ることにはならなそうだけど。
いや見よ。確かにネタバレあるからね。

ただリアタイはいいですね。
1個前のエピソードだけ都合がついて日本の配信で見れたんですよ。
それを見た上で人様の感想がポッドキャストで流れてくると全然視界が違うんですよね。

楽しそうじゃん。

全然視点を当てたんだみたいなのが、それ以外の視点を知ってるとか、この人は思ったよりこの辺を見ていないとか。
その差異が出るのでリアタイした方が楽しめるんだなっていう。
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さっきまで逆のこと言うんですけど。

だから乗れたら楽しいし乗れないとつまんないっていう話ですよね。

でも乗ろうとしないといけない状況が来るのは良くないっていう感じですね。

乗らない人がプラマイゼロだったらいいよね。乗らない人はゼロで乗ったらプラスでマイナスがないのがいいよね。
それはそう。

マイナスをないようにするにはそのコンテンツに興味を持たないようにするしかない。
虚無で暮らす。

何も思いませんってするしかないんですけど。

でも家の中に見てる人とかいて、ポッドキャストまでその話してきたら逃げ場ないよね。
普段聞いてるポッドキャストがそういう話をしてくるのに一番逃げ場のなさというか。
チャンネル変えれないんですよね。
人間たちの話を聞いてるのであって、その話題かどうかで選んでないので。
確かにね。

ポッドキャストも難しいよ。
生活が難しい話をしてる?

人間で聞いてる部分があるので。
飛ばしたりしないですよね。その話題が合わないからとか。
人間がこの日この時間ぐらいでこういうことを発している情報を得ようとしてるので。
別にタイプロの話をしてるからといって、それをネタバレなんでって言われて止める感覚にならないんですよね。
まあね、ビーズの話わかんなくても聞くもんね。

ビーズのね。
それはそうだね。
間ぐらいが難しい。全くわかんないやつはネタバレとかも何にも気にせず聞いて、楽しそうに喋ってるなって聞けるし、
自分がわかるやつもうんうんって聞くし、
間ぐらいの2週間遅れぐらいで見るかもってなってるやつが一番難しい。
ポッドキャストでこのエピソードを今度にしようかな、今聞いちゃおうかなっていうのが一番難しいなって思いますね。

そうするとポッドキャストの聞いてる聞いてないの管理がめんどくさくなっていくっていう。
自分のストリームをなんでそんなその都合のためだけに調整しないといけないんだみたいな。

ストレートに再生させろよっていう。

生きづらい現代人の代表みたいな方が喋ってるし。
インボックスゼロ派なんで、ポッドキャストも。

じゃあもう北順に処理すると。

で、基本そんなサブスクライブしないようにして、
個活ちょうどするぐらいみたいな調整をしてはいるんですけど。

なるほどね。
そんだけチューニングしてたら乱されたら嫌だね。
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そうだね。

だいたい全部聞いたしそろそろ足りないなって思うぐらいがやっぱ一番ちょうどいいんですよね。
耳8分。
それ以上入れるともうすぐにインボックスのカウントが100とかなっちゃって。

確かに確かに。
なんか自分はポッドキャストをまともに聞けない、本も読めない人間だみたいな気分になってしまう。
いや待ってよ、生きづらさの原因の半分はケンゴにあるかもな。

ケンゴの心の持ちようの話かもしれないな、今のを聞くと。
難しいですよね。テレビの録画とかをしたときに、見ないといけないとみたいなのって、録画した直後一番じゃないですか。

そうね。

それが過ぎたときに3,4週分溜まったときにそれとどう向き合っていいのかって。

あるよね。あるよね。全部時系列で聞くか、もう最新だけ見ることにしてあとは全部スキップするかみたいなのあるよね。
その飛ばしたやつってその後削除していいのかどうしよう。見るまで撮っておいた方がいいのか。見た気分になれる記事を読んだ方がいいのかみたいな。

向いてないですね。

ままならない気持ちを抱えて生きてるね。そんなに難しく考えなくて大丈夫だよ、テレビもポッドキャストも。

出されたご飯全部食べるみたいな感じですね。
ああ、残すと罰が悪くなっちゃうやつか。
でも別に出してんの自分なんですけど。

出されてんじゃん、注文してんだよケンゴが。

本当どうしていいんだよ。

そんな複雑な気持ちで生きてたの日々。
いや本当ですよ。今だから芸人とかライブ配信やるし、もうなんていうか、網羅できないんですよね。

もう網羅するスタイルじゃなくなってるよね、消費のスタイルがね。
いっぱいインターネット探して未発表の情報とかそういうのを全部コンプリートしていく感覚で生きてたのに、もう今なんていうか、ほぼ何も捉えられない。

すり抜けて。今はもう取捨選択する時代になっちゃってるもんね。供給型だから。

最初からフィルターされてるといいんですけど、どうしてもまだポッドキャストを公読するという概念上はどうしようもない。

そうね、確かに。

そうするとじゃあポッドキャストのこの部分を聞くみたいなつまみ方になってしまうけど、それをしてまで素人の音声をなんで聞かないといけないの?

また出た素人の音声問題。これ去年から変わってないじゃん言ってること、素人の音声問題はさ。
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そうなんですよ。
いや、ちょっと残り時間少ないので、でかい話題になりそうなんだけど、マジ素人の音声問題はあって、気づいたんですよ。
すごい気づいたことを発表するんですけど。
素人のやるポッドキャストの気持ち悪さみたいなのって、今こういう日記をいっぱい存在を知ったことによってわかりやすくなったんですけど、
ブログと何が違うって、誰かに向かって投げかけるのをポッドキャストってみんなしてるんですよね。

いやそうなの?それはすごいね。

え、だってその録音してる時に何かに向かって話してますよね。何かに説明を投げるように。
なんとかなんですけどとか。ブログになんとかなんですけどって書かないじゃないですか。

それはブログによるだろ。

自分が書きたいブログの状況っていうのが、誰かに直接届けるというよりはもっと内省する側面が強い。

あーなるほどね。

内省するために出してるので、どっちかというと自分が読むために自分が書いてるのがかなり近いので、
呼びかけたりしてないし、なんていうか、こんにちはじゃないじゃないですか。

いや知らない。

こんにちはなんとかですじゃないんですよ。
いやこんにちは。
それではまたとかじゃないんですよ。

こんにちは。

いらない、いらないんですよ。

アルファですって書いてあるだろ。

いやそういうブログはあるっていう話だよ。
望まないブログじゃないですか。

それは言語次第じゃない。望むか望まないか。
欲しいのは僕のその望むブログのポッドキャストが欲しいんだなって気づいて。

それはオーディブル的な話になってくる。

はいはい。自分の欲求に気づいたってことね。
いやでもそれを今小絵日記をやってる人たちがそれをして欲しいって思っている。
それはすごい欲求だね。

自分が撮るときもそうできないかっていうのは今かなり模索しているというか。

自分に返ってくる話でもあるんだ。

どうしたらできるんだろうっていうのは。

はいはいはい。

だから多分二人で撮ってるやつの方が気が楽なんですよね。
二人が会話してるっていうのは外に向けて投げてない可能性は割と出てくるじゃないですか。
人に向けて。

完結してる性質もあるだろうね。完全に完結してないとしても。

最初と最後の挨拶みたいなの削れば割と僕の望む世界というか。
こっちの存在を気にしないで欲しい。

エビの食べ方みたいな。
頭と尻尾を取ってみたいな。
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いやー、それをどうにかならんからね。
だからお便りを募集していますじゃないんだよみたいな。
誰に対して。
全般的に。

全般的にね。

ブログで書かないじゃないですか。

あーでも確かにね、ポッドキャストのなんか不思議な。

ご意見くださいみたいな。

えーってなる。

それはブログで言うとシェアボタンが置いてある相当じゃない?

それでいいんですよ。
置いてればいいんですけど置いてますって言わないでくださいぐらいの感じ。

なるほどね。だから面白かったらいいじゃんしてねって書くなっていう話か。
あ、ので多分YouTubeとかもわかりやすくそうじゃないですか。
ハローYouTubeが辛いみたいな。

なんていうか一方的に見たいのに干渉してくるみたいな。

ポッドキャストはそれが特になんていうか、そうじゃないものを見たことが、聞いたことがほぼないなっていう。

なんかラジオを踏襲する形になって。

そうそうそう、そのフォーマットになってて。

ポッドキャストが、多くの人気ポッドキャストとかがそうなった結果、それが文化として浸透したって感じなのかな。

逆方向ではあるんですよね。
エンタメの方からやってきたもの。
うんうんうん。
まあまあ、いやきっと文学もエンタメだったと思うんですけど。

まあね。

ちょっとフォーマットの性質上ちょっと他が模索できていないような。難しさがあるな。
ただ一人で撮るのってどう、どうやったらいいんですかね。
その誰にも向けない話し方ってどうやったらいいのかもしれない。

それは自分に返ってきてる問いとしてあるってこと?

難しいんですよね。
偶然誰かが聞いてるのは全然歓迎したい。
インターネットの文のスタイルと一緒ですよね。
うんうん。
誰かが偶然見たりとか検索してそれを探し当てたりしたときに
なんか視界に入って何か得て勝手に思ってくれる文にはいいんだけど
その人たちが来ることを想定した上での文を書くってなると
自分の文が歪むなっていう感覚っていったじゃないですか。

確かに。だんだん書けなくなるやつだ。

一応講習ではあるので、言葉を選んだりとかはするんですけど
その特定の誰かに何かを伝えるっていう意図ではない出し方って
ポッドキャストでできなくないっていう話です。

できないのかな。上手くいってる例があったら共有しよう。

そうそうお願いします。

これはいいんじゃない?
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この人一人の世界がたまたま録音されてるだけでいいんじゃない?みたいなのをやればいいのか。

そうすると多分朗読しかないんですよね。

あるいはもう本当に買い物用メモとかになるんじゃない?
自分が見たらわかるけど他の人には全然わかんないっていう
他者性の排除みたいなのをやると

本当にメモ書きみたいなボイスメモみたいなのになるかもしれないなと思った。聞いてて。
ブログのそれからは全く非なるものになりますよね。
文章の形は捨ててほしいってことか。
情報としては観測者は何かキャプチャーできるんだけど
観測者に干渉してこないようにはどうしたらいいんだろう?

これはブログとかポッドキャストじゃなくて

もう哲学の領域だね。今の問いは。

ナレーションはこういうことがあったなーって音声になるなーっていうのが今のところの答えです。
ナレーションみたいになるのかもしれないね。

物語の外側とか描写するとなるとそれってほぼ文の朗読に近い。
それを音声でやるって相当脳のスピードが必要になってくるんですよね。
伝える相手がいない形で言葉を発し続けるのってめっちゃ難しいじゃないですか。
頭の中にあるやつをずっと文にし続けるみたいな感じ。

今回タイトルむずいなー。