1. 近藤淳也のアンノウンラジオ
  2. #23 「書くこと」ひとすじ20年..

ライターとして四半世紀以上活動する中野さん。子供時代から大好きだった「お笑い」の業界にも長年携わります。

中野さんは先日まで不動産サイト「物件ファン」の編集長を務められていました。それは中野さんのライター人生では異色の経験だったそうです。今までとは全然違う仕事にどのように向かい合ってきたのか、そこから得た学びについて伺いました。

参考リンク:物件ファン(株式会社OND運営)


【ホスト】 近藤淳也 株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事。トレイルランナー。ときどきカメラマン。 2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。 ⁠https://ond-inc.com/⁠

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サマリー

中野純子さんは、フリーライターから物件ファンの編集長になるという節目の出来事について語っています。突然webメディアの編集長に任された中野さんは、20年間の経験とコミュニケーション能力を活かし、大変ながらも楽しい挑戦をしています。新体制では物件ファンがパワーアップし、引き続き良い記事が提供されることを期待しています。また、中野さんは20年間のフリーライターとしての活動の中で、不動産の知識も深め、古い建物にも魅力を感じるようになりました。中野純子さんは、家をテーマにした書籍の出版や大阪のお笑い芸人との仕事など、さまざまな活動に関わっています。大阪芸術大学を卒業後、中野さんはフリーライターの集団で働き、26歳で独立しました。紙媒体が減っていく中でも、中野さんは自然に受け入れ、楽しさを感じながら仕事を続けています。中野純子さんはウィケファンのツイッターの炎上案件を見てブルーになりましたが、自分のアカウントに戻っても得意な人がいないことに苦手意識を持っています。また、AIの進化によるマーケティングへの影響についても気になり、GPT-4の圧倒的な実力やAIが喋りだして人間らしくないことについて考えています。

00:02
近藤淳也
近藤淳也のアンノウンラジオ。
はい、こんにちは。
中野純子
こんにちは。
近藤淳也
今日は中野淳子さんの回です。
中野純子
どうも、初めまして。中野淳子です。
近藤淳也
はい、よろしくお願いします。
中野純子
よろしくお願いします。
近藤淳也
もう最初からライブ、慣れた感じのトークですけど。
中野純子
全然ですよ。何歌るんですか。慣れてません。近藤さんと喋るのに慣れてるだけで。
近藤淳也
そうですか。
中野純子
中野さんもマイクあるとか気づいたら、もうちょっと緊張してくるんで。
近藤淳也
そうですか。
中野純子
はい、いつも通りでお願いします。
近藤淳也
はい、こちらこそよろしくお願いします。
中野純子
お願いします。
近藤淳也
ちょっと紹介しますと、中野さんは実は音頭のお仕事でずっとお世話になっていて、
物件ファンの編集長
近藤淳也
物件ファンという物件のメディアの編集長を、かれこれ3年ちょっとですかね。
はい、そうです。
やっていただいていて。
今回ちょっと編集長を降りられて、1位ライターさんに変わるということで、ちょっと節目ではあったんですけど。
中野純子
そうですね、なんか大きい節目でした。
近藤淳也
はい、どっかで1回ぜひって言ってたんですけど、ちょっとね、環境も変わったんで。
そうですね。
お疲れ様でしたっていうのも含めて。
中野純子
いやもうほんとお疲れ様でした。ありがとうございます。
近藤淳也
ぜひ1回お話しましょうということで来ていただきました。
はい、よろしくお願いします。
一応じゃあ自己紹介お願いしていいですか。
中野純子
わかりました。中野潤子と言います。
ライターというお仕事をさせていただいてます。
フリーライターへの転身
中野純子
かれこれ、遡ること25年前から。
25年。
そうです。もう四半世紀ですかね。
長いですね。
やってますね。
大学を卒業してからすぐに双方って言うんですかね。今で言うところの。
なんかライターを育ててくださるっていう夫婦がいらっしゃって。
近藤淳也
夫婦。
そこにちょっと覇者って言いますけど、預けられてというか、紹介していただいて。
誰かから預けられたんですか。
中野純子
そうです。ちょっとすごい時系列めちゃめちゃになっちゃいましたね。
ちょっと整理して話すと、大学卒業してすぐに小さい編集プロダクションに入ったんですよ。
そこでめっちゃ忙しい会社やったんですけど、そこで5月ぐらいかな入って。
ちょっと君営業行ってきなさいみたいな感じで。
近藤淳也
4月に入って。
5月。
中野純子
すぐですね。
たまたま私その日スーツ着てただけなんですけど、自分ちょっとスーツ着てるから行ってきなさいみたいな感じで、
某情報誌の副編集長さんと会うことになって、ちょうど特集ってあるんですよ雑誌って。
開いた時に一番初めに来る特集をやる人たちをちょうど探してたからいうことで、やってみるかということで、お仕事いただけたんです、その場で。
いざやってみたんですけど、大学卒業して1ヶ月やから、右も左もわからんような感じあって、
その時に一緒にずっとやってくださってた編集者の方が本当に面倒見てくださって、それでなんとか乗り越えることはできたんですけど、
その打ち上げの時に、今の会社、ヘンプロどうなの?みたいな方に聞かれて、ちょっとね、全然持ち帰れないんですみたいな。
最初に入ったヘンプロの会社が残業とかが長くて。
残業っていうか、朝までずっとやって、本当に持ち帰れないような状態やって、制作会社やってそんなもんかもしれないんですけど。
近藤淳也
今もそうなんですかね。
中野純子
今はさすがにそんなとこないと思うんですけど、こういうふうなんですって言ったら、ちょっとそれはひどいなって、その編集者の人たちが言ってくださって、
ライターさんやったら紹介できるよって言って、そのご夫婦を紹介してくださって。
そこのヘンプロ辞めて、そこのご夫婦のところでお世話になることになって。
近藤淳也
夫婦にかくまわれた。
中野純子
かくまわれたんですね。そこは会社持ってないんで、ずっと全部自宅で。
自宅で言ったら、当時はまだファックスです。
ファックスと、あとCD-ROMとか、まだそんな時代です。
私が始まったとき、初めて、まだだまんもない頃ってそんな感じやったんです。
メールもそろそろやり始めてたみたいな感じ。
近藤淳也
だいたい都市がわかりますけど、市販、それが市販正規。
中野純子
そうですね、もう今年でね。びっくりする。
近藤淳也
そこは一応伏せておきますか。
中野純子
伏せてもらえるやったらね。でもそれが始まりでして、そこから。
近藤淳也
ライター一筋。
中野純子
そうですね、そこを独立まで4年ぐらいそこでお世話になってました。
近藤淳也
そのご夫婦のところ。
中野純子
そこからはずっとフリーのライターを押されてるっていうことですかね。
近藤淳也
はい、ですです。
物件ファンでの仕事とエピソード
近藤淳也
5年があって、物件ファンの編集長も3年と少し。
中野純子
そうですね、3年、3、4ヶ月ぐらいですかね。
2019年の12月に、年忘れ物件ファンみたいな記事をうろたえながら作っておこうと。
近藤淳也
急にね、入るなりね。
中野純子
怖がりってなんや。
近藤淳也
そこから。
中野純子
ハリってどこやとか、そんな感じでしたね。
何も知らなかったんで、本当物件のことは。
近藤淳也
結構怒涛の日々だったと思うんですけど、物件ファンの仕事どうでした。
中野純子
そうですね、初めは結構穏やかな感じってあれですけど、
初代編集長の森岡さんね、大学の同級生ですから、気兼ねなく。
本当に2人だけで記事を作ってはあげて作ってはあげてって、初めはそんなスタートやったんですよ。
近藤淳也
もともと大学が同じ。
中野純子
そうです、大学が一緒で。
芸術大学でしたっけ。
大阪芸大で一緒の、でも学科も違かったんですけど、森岡くんは結構目立つ人だったんで。
そうなんですね。
向こうは向こうで覚えてくれてたもんですから、覚えててくれてたから、声かけてくださったんですけど。
だから初めだから、ほんまに懐かしいなみたいな、森岡くん元気やった?みたいな感じでやってたんで。
初めは緩やかですけど、とはいえ毎日更新なんで、結構大変やなって思い始めてて。
そっからですね、3月か4月ぐらい、2020年の3月、4月ぐらいになってきたら、ちょっとコロナとかも出始めてた頃やと思うんですけど。
近藤淳也
ちょうどだから、アンノーンの歴史とほぼ同じですよね。
中野純子
ちょうど入っていただいた頃に、アンノーンが出来て来ていただきましたもんね。
本当にそうですね。出来たんですっていうので、行きましたんで。
でも森岡さんがその春ぐらいに、ちょっと一旦別のことを始めたいのでっていうので、物件ファンを離れられたんで、
そこからライターさんに力になってもらわないと、これはいかんということで、森岡さんに紹介してもらったお二人と、物件ファンに問い合わせしてくださった一人。
合計3人のライターさんと私っていう感じで、ぬるっとずっと。
近藤淳也
ぬるっとっていうか、ほぼ全力で最初から走るって感じでしたもんね。
ちょっと解説すると、森岡さんっていうのは、物件ファンの初代編集長で、マドリーズ・ナイトとか結構いろんな物件関連のアクティビティをされている。
中野純子
アグレッシブに、攻めて攻めてでやってはる方で。
アーティストさんですかね。
アーティストさんだと認識です、私は。
近藤淳也
かなりいろいろクリエイティブなことを手掛けられているというか、関われている方ですね。
そうですね。
が、入って3ヶ月4ヶ月で、ちょっと別のこと。
中野純子
別の旅に出てしまったので、もう本当に森岡さーんと思いましたけど、そこは止めるわけにはいかないじゃないですか。
やっぱり何かを始めようとしている方。
だから、やり始めたけど、そこら辺からが結構怒涛だったと思います。
気持ち的には。
近藤淳也
後ろがいないというか。
中野純子
そうですそうです。
近藤淳也
だったんですかね。
中野純子
今の編集長やけども、今の編集長のユリさんもその時お休みされてたから。
近藤淳也
そうかそうか。
中野純子
お子さん生まれて。
そうです、お子さんいらっしゃったんで。
近藤さんと結構マンツーマンでいろんなことを決めたりとかしてたけど、
大変ですよね、どうしたらいいやろうみたいな感じの私を、近藤さんも忙しいのにフォローしてくれたりとか。
そんないきなりで、そんな立場におかして申し訳なかったですけど。
でもね、今思い返せば、青春やったなーみたいな。
近藤淳也
青春感はありましたね。
中野純子
春やってんなーみたいな感じはありましたよね。
近藤淳也
青春の特徴としては、事件が起こるんですよ。
中野純子
びっくりするような事件ばっかり起きて。
私一番強烈に覚えてるのが、全然こちらがどうじゃなくて、ただの行き違いやったんですけど、
物件を掲載させてもらった、その物件は載せたらちょっとまずいんです、みたいな感じのことをやったんです。
初めにお問い合わせメールで来て、まず近藤さんに相談して。
近藤さんが大丈夫ですかっておっしゃってくれたんですけど、
私ここで一つね、超えていかなあかん壁や、みたいな。
使命感みたいな、なんかそういうのがあって、
私じゃあちょっと電話してみます、みたいな感じで電話させてもらったんですよ。
その時の状況が、私毛染めしてる時で、髪の毛に髪染め液ベタベタに塗ってラップで巻かれてる状態やったんですけど、
ここはもう一つ早め早めやと思って、その状態で電話して、
本当はめっちゃ長かったんですけど、どういうことですか、みたいな感じの話やったんで。
ちゃんとこちらも許可をいただいてやらせてもらってることなんで、
いう話をずっとね、ケープかけて、髪の毛にターバン巻きながら、
美容室の出たとこのエレベーターの前でずっと。
近藤淳也
美容室で染めてる途中に電話したんですか。
中野純子
10分くらい、30分くらい放置されるんで、全然いけるやろうと思って。
それはちょっと覚えてますけど。
近藤淳也
大丈夫だったんですか、毛は。
中野純子
大丈夫でしたよ、めちゃめちゃ綺麗に染まりました。
逆に時間がたっぷりかかった。
近藤淳也
それは結構覚えてるのと、トラブル他もいろいろありましたね。
ちょっと補足すると、一応いろんな不動産会社さんとか法屋さんから、
基本ちゃんと許可を得て、物件を紹介させていただいてるんですけど、
うまく伝わってなくて、物件の担当の営業の方が、
知らない、ご存知なかったので、勝手に紹介されていたみたいな感じ。
中野純子
ちょっと行き違いがあったっていう感じですね。
そんな後、何かしっかりまたお話して、
いや、こちらこそほんま、みたいな、お互いね。
いや、なんかほんますみませんでしたみたいな。
近藤淳也
超えてかなって思ったんですか。
中野純子
そうですね、その時はなんか一応、
おっさやしみたいな。
超ついたし。
超ついてあるし。
近藤淳也
そこは行くタイプなんですね。
中野純子
やっぱり一回とかんと、
次また任せすることになるじゃないですか。
近藤淳也
いやいやいや、そこの責任感ほんと強い。
編集長っていう役割をどこまでと捉えるかって結構ね、
中野純子
そうですね。
近藤淳也
曖昧なところというか、思いますけど、
中野さんはやっぱその責任感があって、巻き取っていくぞみたいな。
中野純子
そうですね、一応ね。
近藤淳也
どうでした?
中野純子
失敗して、訓練して、って泣きつくんですけど。
いやいやいや。
いじびにして、とかなるんですけど、
最初はね、一応こう言っとく自分でやりたいな、みたいなのはありましたね。
怖いな、みたいなのありましたけど。
近藤淳也
そういうのもあって、青春。
中野純子
そうですね、青春、青春やったわー、思ってね。
なんかガムシャラやったじゃないですか。
近藤淳也
そうですね。
その毎日更新みたいなのも初めてだったんです。
中野純子
そうですそうです、私は初めて。
週一ですよね、ほとんど。
初めてでした。
毎日かー、どうしよう、ってなって。
大変やなーって思いました。
みんなだから、なんか私が驚いたのが、
私が編集長で入らせてもらうタイミングと、
前の編集長がこう、お辞めになったタイミングの間に、
2ヶ月か3ヶ月くらい時間があったはずなんですけど、
その間、森岡さん毎日更新してはったんですよ。
毎日書いてたんやと思ったら、ちょっとびっくりして、
なんか私やったら、ほんまもう言うことなくなってくるなと思うんですけど、
やっぱりお好きやからね、なんか書けるんやろうと思うんですけど。
近藤淳也
それもまた一つのね、責任感というか。
頭やろうか、そりゃそうか。
森岡さんは、物件ファンのお父さんみたいなところもあるんで、
自分の子供みたいなところもあるかもしれないですけど、
ほんと立ち上げた時は、そもそも森岡さん1人しかいなかったので、書く人が。
中野純子
すごいわ。
近藤淳也
それで1日6件とか書いてる時がありましたからね。
中野純子
あふれ出る、あふれ出る、その物件愛。
はい。
すごい。
近藤淳也
すごかったんですよ。
なので、立ち上げの熱量もすごかったし、
それだけの熱量かけて、海落とした子供なんで。
中野純子
そうですね、確かに。
やっぱり、なんか。
途絶えさせてはっていう思いが、割れたのかもしれないですね。
それはあるかもしれないですね。
フリーライターから編集長への挑戦
中野純子
結構だから、それはやっぱり一番思いました、毎日更新の大変さと、
あと何やろうな、なんか結構ね、色々あったと思うんですけど、
割と楽しいことしか覚えてないはずなんですけど。
本当に?
みんなでほら、鎌倉行ったりとか。
編集部で、っていうかチームメンバーで1回ね、
鎌倉のエンジョイワークスさんとか、東京の不動産会社さんとか。
ちょっとご挨拶行かせてもらったりとか、したこととかけど、
なんか印象として、だからね、大変だったわっていうイメージはあるんですよ。
こんなに、こんなに水をこう、なんていうのかな。
バシャバシャバシャってバケツですくいあげて、
外に出しても沈みそうな骨ってあるのかっていうぐらい、
グラグラやったイメージなんですよ、私、初めはね。
すいません。
いやいや、初めはね、初めは。
でもなんか今はね、全然そんなことなくなったから、
よかったなって思いますけど。
近藤淳也
沈まない船にしていただいたんですね。
中野純子
なんとか、なんとかじゃないですけど、
私の1人の力だけじゃないですけど、
最初、あれなんでそういうふうに感じてたのか、ちょっとわからないですね。
なんでだったんだろう。
近藤淳也
初めてのこととか、実際体勢も今に比べたらね、人も少なかったし。
中野純子
そうですね、確かに。
近藤淳也
堪定してない部分があったの。
ライターさんもめちゃ今と比べたら、3分の1ぐらいしかいなかったですからね。
そんな3年間でした。
中野純子
そうですね、走ったわ。
近藤淳也
どうでした?大丈夫でした?
中野純子
大丈夫でした。
近藤淳也
楽しかったですか?
中野純子
そうですね、なんかホッとしましたけどね。
近藤淳也
今はね。
中野純子
今はね。
そうですね、それが一番大きいかもしれないですね。
毎日でしたからね、本当に。
毎日グラフ見て、なんやあの、アナリティクスですか?
なんやもうおいしいやつか?
おいしいやつ。
アナリティクスも知らなかったからね。
一体それ何?と思いながら。
毎日毎晩、何やったら記事が上がったらすぐ見に行って、みたいな毎日やったんで。
なんかあれ、せっかくツイッターに上がって、いいね少ないなと思ったら、
自分のアカウントからプチって押したりとか。
そういう草の根運動みたいなこともしながら、本当に毎日毎日やってたんで。
ちょっと今はもう、もちろんチェックはしてるんですけど、そこまで激しめではないですね。
ひとまず本当にお疲れ様でした。
本当にいい経験させていただきまして。
めったにこんな経験できへんと思うんで。
近藤淳也
中野さんのライター人生の中では、どんな位置づけになりそうなんですかね、これは。
中野純子
異職ですかね、異職。
全然違うんで、いつも自分がやってることと。
近藤淳也
どう違う。
中野純子
まず人とあんなにたくさんで動くってことをしてない、いわゆるチームでやってないから。
もちろん小規模なチームを作って、ちょっと大きめの案件を受けることはあるんですけど、
ライターさん今10人近くいて、中野人がいて、13、14人といっしょにいろいろやってるじゃないですか。
連携も取り合ってとか、いうのが全然これまでやったことないことですし、
あとそのライターさんとのやり取りみたいなのも、
あそこまで詳密に、人数も多く、
指示って言うとあれですけど、お願いすることとかはないですね。
私自分自身が取材して原稿を書いて、お届けするようなサイクルでずっと動いてたから、
そこがやっぱりこれまでやってきたこととは全然違うのをお店使わないかなみたいな感じでしたね。
どちらかというと得意?苦手?
嫌いじゃないけど、長く続くと飽きるなって思いました。
自分も書きたくなるとか。
そういうこととか、あと、ほんまに急に一切パソコン見たくない日とかあるんで、
そういうときはめっちゃ話しかけられると、ちょっと…ってなりましたら。
近藤淳也
パソコン上で原稿をチェックしてくださいとかっていうのがあると。
中野純子
できましたっていうのが来ると、あんまりでもこんなのあれか。
近藤淳也
体の反応なんでね、仕方ない。
中野純子
そうなんですよ。ちょっと待ってっていう。
近藤淳也
どうしよう。7本ぐらい溜まってきてる。
中野純子
ライターさんが悪いんじゃなくて、中野さんが要はパソコンを触りすぎてて、ちょっとパソコンさんと。
いわゆるデジタルデトックスですよね。今最近流行りの。あれをしたくなるんですか?あれわかんない。
流行ってるかわかんないけど、デジタルデトックスみたいな感じなのかな。
ずっとスイッチがオンなんですよ。
近藤淳也
ライター仕事してるときも記事はパソコンで書くんですよね。
中野純子
そうです。でもライターの仕事って、原稿を書いて納めれば一旦終わるじゃないですか。
そこで一息ついて、ちょっとカステラ食べたりとかするわけですよ。猫なぜたりとか。
次は何日取材やなとか。大体スケジュールで何日に取材っていうのが決まってますので、
次はじゃあこれあるからここまでは一休みできそうやなとか。
っていう感じで自分で勝手に、じゃあここで休んじゃえとかできるんですけど、
物件ファンがやってるときは基本ずっとスイッチオンにしてるっていうか。
近藤淳也
気が休まらない。
中野純子
サイトがずっと動き続けてるんでね。
そこで上手に休める方もきっといると思うんですけど、私は結構ずっと気になるっていうか。
一回返事しないと、永遠忘れるんですよ私。もうすぐ忘れるから。
だからすぐにレスしないと忘れちゃう。何回か忘れてしまったことありました。
近藤淳也
今スラックでライターさんが記事書いたんで見てくださいみたいな連絡が来ますけど、
あれをもう来たら忘れないうちに見なきゃみたいなのがずっとあったっていう。
中野純子
一応レスだけ先返してました。
原稿は後で見させてもらうにしても、見てますよっていうのをお知らせしたい方がいいなと思って。
自分がライターやから自分が編集者にやってほしいことをやろうと思ったんですよ。
原稿読んでくれた後に一言くれる編集者の人もいれば、何も言えへん編集者さんもいたり、いろいろなんですけど、
自分は読んでもらえたら嬉しいとか謎のタイプなんで、それやったら自分もやろうかなとか思ってやってました。
近藤淳也
そこが今本当にライターさんからも中野さんのコメントが嬉しかったですっていう声が結構届いていて、
本当にその決め細かくみんなさんの何回も伝わってきてるんですけど。
中野純子
でもなんかやってて良かったなと思いました。
自分がやってほしかったことやったからと思って自分軸でやってたことなんですけど、
みなさん喜んでくれてたんで良かったなと思いました。
近藤淳也
いやーすごい良かったと思いますし、
中野純子
やって良かった。
近藤淳也
お上手というか、こんなにみなさんが気持ちよく。
中野純子
そんなもうね、みなさんのおかげなんですよ。
近藤淳也
だと思うんですけど、ちょっと大変。
中野純子
そうですね、さっきの近藤さん聞いてくださったように、
これまで経験したことないような仕事だったんで、
身を見真似で全部はじめはやってました。
近藤淳也
今後そういう仕事またやりたいとかは?
今は顔が変わりましたけど。
中野純子
いやー、そうですね。
小規模やったら全然やりたいなと思いますけど、
やっぱ、なんかたくさんだと大変やなっていうのはありました。
まあね、ちょっとこのタイミングはね、一回休ましてくれっていう時期ですよね。
そうですね、やっぱりこう蝉の鳴き声聞いたり、
冬をもう一度感じたぐらいに、
もしかしたらまたそういうチャレンジしてもいいかなって思える日が来るかもしれませんけど。
近藤淳也
すごいしんどいやつの後は、ちょっとしばらく考えたくなくなるっていうのは、僕もよくあるんです。
中野純子
あるんですか。
またちょっとね、時間が経つと。
近藤淳也
なぜかいい思い出に変わっていくっていう現象があるんで、しんどいことって。
中野純子
なんか楽しかったなーみたいなね。
近藤淳也
そうなんですよ、レース運営とかも。
中野純子
ああ、そっかそっか。
近藤淳也
もうしんどすぎて、もう二度とこんなことしたくないってその時は思ってたのに、
中野純子
帰りのね、あのね。
近藤淳也
なんか半年ぐらいしたら、あれまたやろっかなーみたいな、なってくるのが不思議なんですよ。
中野純子
不思議なもんですよね。
近藤淳也
なんか人間はちょっとそういうとこあるのかもしれないですね。
中野純子
ね、欲しがってしまうんですかね。
近藤淳也
なんなんでしょうね。
中野純子
もともと好きなことやってるんですもんね。
近藤淳也
それはそうなのかもしれないですけど。
中野純子
どの頃かなー。
近藤淳也
まあひとまずはちょっと今は、はい。
まあなんとなくはい、その編集長交代のきっかけというか、
もう大体これでよくわかったかなっていう気がしますけど、
新体制の物件ファン
近藤淳也
ちなみに物件ファンの新体制はどんな感じかちょっと軽く紹介してもらっていいですか。
中野純子
そうですね。今新体制としては、
これまでユリさん、言ったら、私が編集長の時にプロダクトマネージャーとして、
物件ファンの全体を見渡してくださってた方が編集長になりまして、
私は編集長をおりまして、原稿を見たりとか、
あと記事を書いたりとかする立場に回りました。
プラス、私がずっとお仕事、20年前ぐらいから一緒にやってた岸田さんという、岸田由加さんという方に編集に入っていただきまして、
これまで一人でやってたことを二人で分けてやるようになりました。
近藤淳也
はい。
中野純子
という編集体制に変わりましたね。
近藤淳也
結果的にはちょっと逆にパワーアップしたというか、
中野純子
そうですね。
近藤淳也
パワーが増えたし、ちょっと分担とかもできるようになりそうなので、
中野純子
そうですね。
得た経験とコミュニケーション能力
中野純子
引き続き、物件ファンは大丈夫かな。
大丈夫だと思います。
岸田さんとか私が木をきれいに整えて、ユリさんが森を守ってくれるみたいなイメージですかね。
近藤淳也
うーん、なんか分かったよ。
中野純子
分かりませんか。
なんかそんな感じで、でも本当に、2馬力になりましたんで、良くなるんじゃないかなと思ってます。
近藤淳也
そうか。中野さんが個人的に得たものとか、面白かったこととかあります?
中野純子
コミュニケーション能力ですかね。
得ました。
近藤淳也
元々高いと思いますけど。
中野純子
いや、そんなこと出れないんで、元々は。
だってそんなたくさんの人と喋ることまずないですし、人をまとめるってこともないですし、
人にどうやったら、どういうふうに言ったら覚えてもらえるんだろうみたいなことばっかり考えてたんで、
その辺は結構筋力つきました。
近藤淳也
あ、そうですか。
それはライターさんに?
中野純子
ライターさんとか。
近藤淳也
温度車のメンバー?
中野純子
いや、温度車のメンバーの皆さんそんなことはなかったですけど、
でも、人にお願いをするときに、どういうふうに言えばみたいな、結構お願いする立場だったんで、私。
それは結構身につきました。
近藤淳也
コツとしては?
中野純子
会うと思うんですよ。会うと思うんです、この物件みたいな。
近藤淳也
あなたに?
この間もこういう物件書いてて、すごい楽しかったんで、またこれ書いてくださったの読みたいですみたいな感じで言ってましたね。
中野純子
ただただ頼むんじゃなくて、あなただから頼みたいと思ったんですっていうようなことをちゃんとお伝えするとか、
だから人と一緒に仕事するのってそういうことだろうなとか思いながらやってましたね。
近藤淳也
なるほど。さすが。
中野純子
え、なんで?
近藤淳也
いやいや、立場的には編集長からちょっとこの記事書いてもくださいって言われたら、書くしかないのかなみたいな、一般的にはあるじゃないですか。
中野純子
一般的にはね。
近藤淳也
そこをさらにその、記事を使われて。
中野純子
でもなんか編集長ってね、なんかやっぱ上の人こそ気づけなあかんじゃないですか。
なんか言いません?稲穂はこう、神戸を垂れるみたいなやつ、全く思い出せませんけど、
なんかそういう、なんかね、みんな私が言ったら断りにくいとかになるのが一番あかんなと思ってたんで、
もう好みに合えへんかったら断ってくださいねっていうのは言ってました。
エヴァとかいう感じじゃないじゃないですか。
エヴァってもう、編集長言ってるんでから書きなさいよとか、そんなね、そんな人いないじゃないですか。
書きたくもないですしね。
近藤淳也
まあね、それはしんどいけど、まあでもなんていうか、焦ってたりとかすると、自分もちょっと気をつけなきゃなって今聞いてて思いましたけど。
中野純子
え、そうなんですか?焦ってたりとかっていうのは?
近藤淳也
言葉じゃあれかもしれないですけど、その態度でね、ちょっと頼むわみたいな。
中野純子
ああ、お願いします。
近藤淳也
なるときあるじゃないですか、焦ると。
中野純子
ありますね。もう頼むわ、もうちょっと貸して、ちょっと貸して、やってあるので、やったりとか。
それは結構ね、鍛えられましたかね、習得できたような気がします。結構それは応用を聞かせてというか。
近藤淳也
まあこれからにちょっと募ったかもしれないですね。
フリーライターとしての経験
中野純子
そうですね。実際、ライターさんと一緒にお仕事分けてやるときとか、そういうときにやっぱり、前よりもすごい、なんか自分も楽しくなりました。
そういう頼み方したほうが、なんかワクワクしません?
近藤淳也
いいと思います。なるほど。
しかもなんか文が上手いだけあって、すごいその、なんていうんですかね、ちゃんと伝わってきますもん。
中野さんの文章。
スラックにこんなに気持ちがちゃんと揺れられて。
中野純子
短めにね、キュッとこうお詫びをしてるんですけど。
近藤淳也
スラックコミュニケーションみたいな。
中野純子
そうですね、スラック。
極めてきてるんじゃないですかね、結構。
そうですね、なんか初め使い方わからなかったですけど、随分とわかるようにはなりましたかね。
なんやろうな、身についたことは。
不動産の知識の深化
近藤淳也
不動産系っていうか、不動産物件についてはどうですか。
中野純子
そうですね、なんかね、仕組み的なことは、いまいちまだちょっと把握できないところはあるんですけども、
仲介がいてとか、両手でとか、暗号的に言葉だけ覚えてるだけですけど。
近藤淳也
ちょっと不動産流通が独特な部分があるんで、ややこしそうですね。
中野純子
あくまでもその物件の、なんでこういう成り立ちなんだとか、
あと、なげし、これ森岡さんに教えてもらったんですけど、
なげしが残っている洋室は元和室だとか、そんなのとか。
そういう歴史みたいなのとか、なんでこんなとこにこれがあるのかみたいなのはなんとなくわかるようにはなりました。
すいません、こんな編集長で。
近藤淳也
知識としては当然ね、詳しくなっていったと思いますけど、
家の好みとかって変わったりしました?
中野純子
そうですね、家の好み、なんか初め結構、かわいらしいマンションみたいなのが好きだったんですけど、
それこそほんまアーチ、アーチのアーチ、その向こうもアーチみたいな、ほんまそんなのが好きでしたけど、
今はやっぱりなんか、ちょっとレトロなね、やっぱり昭和とかの物件がいいなと思うようになったのと、
あと発見なんですけど、うちの実家が1970年代に建てられてるんですけど、
なんかめっちゃあるんですよ、かわいい要素。
うまめじタイルやし、外観のその下のとこが、アーチもあるし、シャンデリアみたいなのもあるし、もちろん片番ガラスもあるし、
よう見たらうちの実家もホロコじゃないっていうぐらい、それは物件ファンで気づきました。
めっちゃかわいいっていうか、えらいちゃんと、なんか大工さんに建ててもらっていいなんですけど、
なんかすごいやっぱり丁寧に作ってもらっててるなっていうのを今になって気づきましたね。
もう亡くなられてると思います、大工さんは。
それは気づきでしたがね、なんかもっと大事に住めばよかったとか思いました。
何も考えずに住んでたから。
近藤淳也
そこは数々の物件見ていく中で、実家が結構よかったなみたいな。
中野純子
好きな物件やんみたいな、逆にあれなのかもしれないですね。
ちっちゃい時から見てるから、そういう物件に惹かれるのかもしれないですけど、
どっちが好きかわかんないけど。
今は結構そういうかわいらしいのが好きかなっていう。
マンションももちろん素敵ですけどね。
近藤淳也
今後家を買ったりとか、借りたりとか。
中野純子
借りることはきっとあるけど、買うことはないんちゃいますかね。
でも買いたいは買いたいですけど、猫ちゃん2匹いるんでうち。
なんかあまり気兼ねなくね、住めたらいいなと思うんで。
ほんまにね、立派なキャットウォークとか作ってあげて、
なんかとかいろいろ考えはしますけどね。
近藤淳也
中野さんは猫ですもんね。
中野純子
猫ちゃんですね。
近藤淳也
名刺が、最初にもらった名刺が猫でしたもんね。
中野純子
あ、そうです。あの子は初代の猫ちゃんですね。
猫ちゃんかわいいなあ、言うて。
今日も猫ちゃんたちにちゃんと。
出てくるわなあ、言うて出てきましたんで。
はい、好きですね。かわいい。
近藤さん猫ちゃんは?
近藤淳也
僕自身はあれですけど、
同居人が好きで、買いたいな買いたいな、みたいな洗脳受けてるっていう。
猫はね、一番近くにいる小さな自然なんですよ。
中野純子
なんも言うこと聞かない。
なんも自分の言いようにならないんです。
好き勝手にファーって生きてるんです。
近藤淳也
なんか憧れますよ。
中野純子
憧れる?
近藤淳也
はい、猫には。
中野純子
犬は言うこと聞きそうだけど、猫ってなんか人間より上な感じしますよね。
なんかね、人間より上というよりは、そんなことも考えてないんですよ。
猫って上下も考えないし、あと言うことも聞かないんです。
近藤淳也
そこが私すごい魅力的やなあと思ってて。
中野純子
魅力的なんですか?
はい。私の言うことなんか全然聞かへんのですよ。
たまらんなあと思うんですよ。
それがたまらないんですね。
それが好きなんです。
聞かれたとてじゃないですか、だって。
なんて言うやろな、好きにやってくれてるのを見るのが好きなんだと思います。
近藤淳也
たまに寄ってきて、みたいな。
ちょっと似てるかどうかわかんないですけど、なんか僕はよく山とかに行くじゃないですか。
山とかもこっちでコントロールしきれない感じが好きなのかもなと思います。
その天気が荒れるとか、もうなんかどうしようもないじゃないですか。
中野純子
もうこっちはね、ほんまになんか手のほどおこしようがない圧倒的なね。
古い建物への魅力
近藤淳也
圧倒的なんですよ。なんかでかすぎて、なんかもうこっちでどうこうできるなんて。
すいませんって言って帰ってくるしかない。
中野純子
ごめんねって言うねえなりますよね。
どうにかしようと思ってたらこっちが悪かったってなりますよね。
ちょっと規模がすごい違いますけど、なんか似たような感じだと思います。
やっぱり大自然ですからね。
近藤淳也
なんかでもその古い建物とかも、ちょっとそういうところはあるような気はしてますけど。
中野純子
どういうと?
近藤淳也
いやなんかその新築で建てるって、ほぼなんか全部コントロールできるじゃないですか。
はい。
その素材選びから、形から。
中野純子
自分でね。
近藤淳也
一旦作る時点では、もうだいたい思った通りのものが作れちゃうんで、
なんとなくコントロールしてる感じになりますけど、古い建物ってなんか結構暴れますよね。
中野純子
大暴れしますよね。
近藤淳也
なんかもう、まあまあ雨漏りしてくるとかそういうのもあるけど、
なんか触れない部分と触れる部分っていうのがあるんで、
その触れない部分に関しては、昔建てた人とかそれまで住んできた人の意思というか、
みたいなのをある程度尊重するしかないみたいなところがあって。
なんかそういうのもちょっと似てるのかなって思った時はあるんですけど。
確かに。はい。
中野純子
ですね。そこは似てるのかな。古い家。
だんだんだんだんこうね、あの雨漏りのシミがファーって広がってきて、
何回屋根見てもどこからかわからへんみたいなね。
近藤淳也
なってるんですか?
中野純子
あの実家がそうやったんですけど。
やっと見つけてくれて、とある業者さんが。
それで直りましたけど。
そういうどうしようもなさみたいな。
割となんかそういうの好きです私も。
近藤淳也
そういうイメージです。
中野純子
あ、本当ですか。
まあでも物件ファンやってるとちょっとそうなるかもしれないですね。
なんかね、やっぱり完璧を求めすぎると、もう振動なるじゃないですか。
で、自分の言うこと聞いてばっかりいられるのも振動なるし、
こっちも自由でいたいなと思うから、なんかもうちょっと自分の責任で何とかみたいな。
近藤淳也
そういうことっていうか。
どっちかっていうとちょっと仕事手離れしてほしいみたいな話に聞こえるけど。
中野純子
いやいやいや、なんかそういうことないですけど。
近藤淳也
まあ僕はでも本当物件ファンずっとやってきていて、
もう自分の中では完全にすごい大きな大転換が起きていて、
やっぱ昔は新しい家がいいって思ってたんですよ。
基本家って新しいければ新しいものがいいみたいな。
中野純子
今もね、そういうのありますからね。
近藤淳也
世の中的には結構そういう考え方が、
日本では割と一般的だとは思うんですけど、
中野純子
なんか今は新しさ、新しい家が悪いわけじゃ全然ないんですけど、
近藤淳也
結構その時間がたった家とかも面白いなって、
結構それは何て言うんですかね、一時の流行りというか自分の中でのブーム的なことではなくて、
なんか広がったっていうイメージですね。
なんかずっと街の中にいて、山にいたら、街も山も知ってるみたいになるのと一緒で、
新しいものばっかり見てたから古いのをいっぱい見るようになったら、
新しいのも古いのも知ってるっていう、
何らかで古い建物にも結構興味がかなり持てるようになって、
結局近40年以上の建物を買って自宅にしたっていう、
なんか最近になったんですけど、
なんか自分自身はやっぱそこがすごい一番大きな変化だったなと思って。
中野純子
人生変わってますもんね。
近藤淳也
そうですね、結構変わってますよね。
中野純子
おじいまで買ってってなったらね。
近藤淳也
そうですね、物件本やってなかったら新しめのマンション買って住んでたかもしれない。
中野純子
私も気づけなかったところいっぱいあると思いますし、
あとやっぱりその一人暮らし時代に出会ってきたかったなと思いましたね。
なんかいろいろ住みたかったなっていうか。
近藤淳也
いろいろね、自由も利くし。
中野純子
そうです。
近藤淳也
何なら2年ごとに一個してもいいしみたいな。
中野純子
次はロフトのある家とかってできたかもしれないなとか。
考えると身軽な時にね。
あとやっぱりこの最初の一歩の家とか、
なんか私ほんまに普通のマンションに住んだんですよ。
駅から近い便利なとこだったんですけど、
なんか最初の一歩が例えばリズムさんみたいな家やったら、
なんかほんま人生変わってたんちゃうかなとか、やっぱ思いますよね。
そうですか。
めっちゃ可愛いなっていう。
そうですね。
なんかちゃんと床も、何ていうんですか、無垢台というんですか、あれ。
ヘリンポン屋とかですね。
こんな床に住んだらもうね、なかなか次普通のとこ戻れないかもやけど、
可愛すぎて、でもやっぱちょっと変わったやろうなとか思っちゃいます、今も。
そうですね。
近藤淳也
僕が学生の頃はああいう家はなかったと思いますし、
今でもちょっと大都市圏がメインかなと思いますけど、
東京のリノベーション系の賃貸ってかなり進化してますよね。
こんな家、賃貸でこの値段で入れていいの?ってちょっと思っちゃいます。
中野純子
ちょっとホレホレしますよね。
近藤淳也
ちょっと憧れはあります。
僕もああいうワンルームのかっこいいやつとか、
おしゃれなやつ1回住んだらどんな感じなんやろうって。
中野純子
もう今でも想像しますもんね。
今でもふわーって一瞬、熱いコーヒー飲んでる自分の顔ふわーって思い浮かぶというかね。
そういうのはやっぱりありましたし、今知ってよかったこともいっぱいあるんですけどね、もちろんね。
なんかもっと早く知っときたかったっていう気持ちはちょっとありました。
そうですね。
近藤淳也
なんか僕は本当その古いものでも結構面白いよっていうのが、
なんていうんですかね、森岡さんが訴えたかったことっていうか、
まあ訴えたかったことは違うかもしれないですけど、
僕が一番大きく受け取ったメッセージかもしれないですね。
なんかその立ち上げのときに、結構森岡さんとたくさん話してて、
これが面白い、これが面白いって、森岡さん本当にたくさん日本中で面白い物件作ってる人とかいっぱい知っていて、
いろんな方紹介してもらったりとか実際見に行ったりもしたんですけど、
なんかその、そこに共通しているものっていうのは、
一つはやっぱりその古いものをめでて、そこに愛情をかけて、
やっぱりちょっとこうクリエイティビティというか、
まあね、やっぱ古いんで一個一個一点物になるし、
その一点一点作るときにやっぱりデザイン性が高いものというか、
デザイン的に優れたものをちゃんとリノベーションで作っていくみたいな動きっていうのが起こり始めていて、
それが面白いんじゃないのっていうのは一個大きなメッセージだったのかなって気がしていて、
それがこんなに大きく広がろうとしているのかみたいなのが、物件版をやっていて、
僕が感じたその流れというか、だなって思うんですけど。
中野純子
確かにそうですね。
森岡さん、前西村さんと神戸ある不動産の西村さんと、
川端チャンネルの川端さんと、エンジョイの福田さんと、
トークし払ったじゃないですか。
あれとか聞いてたらなんかもう大喜利みたいな、
リノベーションのアイディアみたいなの出し合ってたと思うんですけど、
ほんまアイディアどんどん湧いてきはるし、
家をテーマにした本の出版
中野純子
家のことばっかりほんまに考えてあるから、ここまでアイディア出るんやろうなと思いまして、
実際本で作ってあるじゃないですか。
家にここまで情熱沿いでやってる人があってすごいなと思って、
屋根に穴が空いてからが本番みたいなこと言ってたじゃないですか。
西村さんでしょ。
近藤淳也
神戸ある不動産の西村さんもね、ボロケレはこれほどワクワクするっていうか、
できるだけ土に兼ねるところからがみたいな。
中野純子
かなり哲学的なことをおっしゃってて、
そういう視点で家見たことなかったなみたいなね。
あの方々こそクリエイティビティにあふれてるなみたいなふうに思いましたし。
近藤淳也
でも森岡さんも大阪芸大で、現代アートなんですよね。
中野純子
森岡くんは写真やってたんですかね、大学のときは。
近藤淳也
いろいろモダンアートの世界とかいろいろ詳しいと思うんですけど、
確かに物件一個一個がちょっとそういう体感型モダンアートみたいなところがあるじゃないですか。
実際体が入れて空間を感じれて何なら住めるみたいな。
結構その美術館で1時間だけ見るとかじゃなくて、
何ならそこにずっと暮らせるぐらいの体感ができるっていう意味では、
中野純子
結構面白い作品のジャンルなのかなみたいな。
そこに入った時点で自分もアートの一つみたいなイメージもあるしね。
アートは難しくて分かんないですけど、
情緒的なところで言うと、確かに一体になる感が分かるような気がしますけど。
近藤淳也
あと作ってる人たちが楽しそう。
中野純子
すごい楽しそうなんですよ。仲間に入りたいけど、知識なさすぎて。
近藤淳也
分かります。僕も面白そうって近寄っていくんだけど、仲の人にはなれないっていう寂しさはある。
中野純子
ガイアから話をずっと聞いておきたいけどっていうのはありましたね。
近藤淳也
本当に物件ファンでお付き合いしてるような物件を作られてる方々って、
すごい幸せそうな感じがして。
中野純子
楽しそうやしね。
近藤淳也
それは僕はすごい嬉しかったこと。今でも嬉しいことで。
結構いい仕事じゃないですか。物件作る。不動産会社とか。
ほんと、基本いい物件作ってる人たち楽しそうで、
実際作品的なところで言えば、自分の思いを込めて作品を何個も何個も毎年作り続けることができるし、
それがうまく伝わって住んでくれた人が喜んでくれると、
本当に人を幸せにできるし、ちゃんとお金ももらえるみたいな感じで。
中野純子
みんなが参考を寄せるやつですよね。
近藤淳也
結構、不動産、ああいうリノベーション、リノベーション限らなくてもいいかもしれないですけど、
不動産の仕事って幸せな仕事だなって見てて思います。
中野純子
なんかね、ダイレクトにやっぱり人の人生にも関わることですしね。
その時に自分が手塩にかけて育てたというか、手を入れてやった物件を選んでもらったりとか、
そこに住む人も幸せですしね。
それを縁結びみたいな形で物件ファンを使ってくださってたら嬉しいですよね。
そうですよね。
しみじみいつも、そんな思い持ってたんやったらちゃんと伝えないと、みたいなのを思いながら作ってましたけどもね。
そういうのね。分かる気がしますね。
近藤淳也
物件ファンはそんな感じかな。
中野純子
そうですね。
でもこれからも私、物件記事書いていきますんで。
本当にね、いろんな方が言ってくださったんです。
変わりますっていうご挨拶ね、メール入れさせていただいたんですけど、
その時にちょっとやっぱり、ライターで残ってこれからも物件ファンサポートしますんでっていうのは一応入れといたんですよ。
よかったですって返ってきてくださったりとか、
中村さんにまたうちの物件紹介してもらえる日楽しみしますとか書いてくださってて、
思いましたね。
ありがたい。
人の温かみを私、よく知ることができましたわ、今回で。
だってもうね、コロナとかで誰にもほとんど会えなかったんで、
なのにそんな風に言ってくれはるんやと思うと、嬉しかったです。
近藤淳也
おつかれさまです。
中野純子
ありがとうございます。今後どうもよろしくお願いします。
こちらこそです。
お笑いの仕事の増加
近藤淳也
物件ファン以外のこともじゃあ伺いたいんですけど、
最近どんなお仕事をされてるんですか?
中野純子
最近はもうライター業ですよね。
メインがメインというか、私がよく好きでやらせてもらってるのが、
そういういわゆるお笑いというか演芸というか、そちらのお仕事がやっぱり多いのと、
そうですね、でも今結構それが多いですね。
近藤淳也
なんかね、この前スイッチのお笑い特集で言いますか。
中野純子
あれでもね。
近藤淳也
中野さんの原稿が何個も載ってましたけど。
中野純子
見張ったんですか?
近藤淳也
はい、使わせてもらいました。
中野純子
ありがとうございます。だから私が言うのもあれなんですけど。
近藤淳也
いやいや、結構なね、無料で。
中野純子
結構ボリュームありましたね。
近藤淳也
何個も中野潤子って書いてましたけど。
中野純子
そうですね、あれ結構たくさんお話聞かせてもらいましたね。
近藤淳也
ああいうのは芸人さんにインタビューを中野さんがされて、
中野純子
そうです。
執筆されてるっていうことなんですか?
そうですね、まさにその通りで。そういうサイクルですね。
近藤淳也
なんでそのお笑いの芸人さんとかのお仕事が増えていったんですか?
中野純子
それはね、ちょっとお話戻るんですけど、
私が情報誌でお仕事させてもらってたときに、
お笑いのページがあったんですよ。
それでそこをちょっと一緒にやらないかって声かけてくださった方がいて、
それからお笑いのページを、なんか芸人さんの大喜利のページをお手伝いしたりとか。
近藤淳也
芸人さんの大喜利のページ。
中野純子
言ったら読者からお題が来るんで、それを芸人さんが答えて、
それをページにしていくっていうお仕事とか。
そういうのをさせてもらってたときに、大手お笑い会社の。
近藤淳也
大手お笑い会社って某工業さんですか?
中野純子
某工業さんですか。
某お笑い会社の方々のご担当の方が、当時雑誌を出して貼ったんですよ。
もう言ってしまうと、マンスリー吉本プラスっていう雑誌だったんですけど、
そこでもライターさんちょっと探してるんで、ちょっと中野さんどうですかって言ってくださって。
見に留まったわけですね。
そうですそうです。で、もうフリーだったんで、そのとき。
ぜひともお願いしますっていうので、それでずっとやらせてもらうようになったり。
そこがやっぱり一番の大きなつながりだったと思いますね。
近藤淳也
もともとお笑いが結構好きだった。
中野純子
好きでしたね。大好きで。
多分大阪やからかもしれないですけど、ちっこい頃からほんま好きでしたよ。
近藤淳也
お話し方がね、上がれるんじゃないかと思って。
中野純子
ないないない。もうね、すべりにすべってんの。びっくりですよね。
近藤淳也
いやいやいや。
中野純子
でもほんまね、ちっこい頃から好きでね。
近藤淳也
でもそれは最初から衝撃だったんで、僕たちは。
そうですか。
日本チームは基本IT系じゃないですか。
中野純子
そうですね。
近藤淳也
なんか静かな感じでしょ。
中野純子
あと英語多用ですね。
近藤淳也
横文字が多くて。
中野純子
多くて静かで。
近藤淳也
ロジカルな話し方をして。
中野純子
ロジカルもちょっとわかんないけど。
近藤淳也
ロジカル、なんていうの、理屈っぽい。
中野純子
理屈、そうなんかな。でも静かです。
近藤淳也
文章が理屈っぽい、論理的な正確性を求めているというか。
中野純子
難しいな。
近藤淳也
そんなところに中野さんが現れて、すごい賑やかになって。
なんじゃこの一緒に喋って楽しい人はみたいな。最初から。
中野純子
いきなりなんか、そうですよね。
なんか、なんやったんでしょうね、あれ。不思議なね。
近藤淳也
いやもう結構カルチャーショックでしたよ。
中野純子
本当ですか。
近藤淳也
こんなにミーティングが楽しいっていうか、盛り上がることがあるのかっていう。
中野純子
そうやったんですね。
はい、思いました。
でも私も気取りもなく喋ることができたから、初めから。
喋りやすい方々やなと思ってましたけど。
近藤淳也
みんな静かなんでね、番がよく回ってきますよね。
中野純子
それでかな、なんか。
なんかすごい、めっちゃ楽しいっすわ、みたいな感じでしたけど。
近藤淳也
大阪で生まれ育つと全員そうなの?
中野純子
どうですかね。みんながみんなこんなんじゃないと思いますけど。
なんやろうな、私は南の方なんですよ、大阪でも。
だからちょっときつめと言ったらあれやけど。
だからちょっと気をつけて喋ってますけど。
近藤淳也
気をつけないとどうなるの?
中野純子
なんかちょっと言い方がきつくなったりとかしちゃう。
なるんですよ。すぐには出なかったですけど、今。
まあ、ゆーたんね、それこそベタですけど。
もう小さい時からテレビつけたらネタ番組やってたし。
半身巨人さんとかも普通に見てましたし。
でも土曜になったら神奇劇見てましたし、みたいな。
ほんまにベタベタやったんで。
近藤淳也
やっぱりそこは英才教育っていうか、見栄育ちじゃなかったんですよ、そのカルチャーは。
中野純子
ですよね、でもそうですよね。環境によると思いますね。
テレビ番組がほんとにそんなんやったからやったと思いますね。
中学の時、小学校のダウンタウン好きで、みたいな。
ほんまにお手本みたいな。
高校入った時に天然蘇大っていう、99さんとかね、がすごい好きで。
近藤淳也
友達とかとしゃべる時も、こう突っ込んで、みたいな感じなんですか?
中野純子
いや、突っ込んでとかはないです。普通に会話してますよ。
なんていうか、ほんま普通の情報交換ですよね。
そうですかね。そうかな。
ほんまにお手本みたいにお笑いはずっと見てきてたんで。
好きですね。
じゃあ、お笑いのお仕事来た時は、やったぜ、みたいな感じで。
嬉しかったです。なんか結構、ムック本ってあるんですけど、
例えば私がすごい好きだったのが、日曜目劇場って昔あったんですよ。
若手の人が出る劇場で、その若手の劇場を一冊にまとめた、日曜目わちゃちゃブックっていう本があって。
日曜目わちゃちゃブック。
で、わちゃちゃライブっていうライブが開催されてたんで、そういうタイトルだったんですけど、
私それが小学校か中学ぐらいだったんですけど、買って、ほんまにめちゃめちゃ好きで、
ずっと宝物みたいに持ってたんですけど、
こういうマスコミ業界に入った時に、いつか自分もこういう本作ってみたいなって思ってたら、
そういう本を作ることになって、お手伝いさせてもらったりとかは、
それは超B級っていう、ベース吉本って昔またあったんですけど、今はまだ変わってないんですけど、
それもまた若手のお笑い芸人さんたちがそこで切磋琢磨してる劇場で、
そこにご出演してる方々の紹介したり、企画ページ、芸人さんがやりたいことを一緒に作っていくページとか、
一冊丸々やらせてもらったりとか。
近藤淳也
それはわちゃちゃ劇場じゃなかったんですね。
お笑い関連の本の制作
中野純子
それは超B級でしたね。ベース吉本っていう劇場の名前だった。
近藤淳也
それをちょっとお手伝いさせてもらったりときは、ちょっと感動しました。
子供の頃の夢の世界みたいな感じですよね。
中野純子
ずっとこういうの作りたいなと思ってたなとか思って。
多分私みたいに、今中学生とかの子もこれ見て、劇場遊びに来てくれるやろうし、
こんなの作ってみたいなって思う子がもしかしたらおるかもって思いましたね。
近藤淳也
すごい夢を叶えてますね。
中野純子
結構ね。それも結構覚えてますね。
近藤淳也
すいません、全然。
中野純子
全然、もうめちゃめちゃマニアックな話してると思うんで、今。
近藤淳也
これが多分詳しい人やったら、なんでそこ分からへんねんってなってるんやろなって思うんですけど。
中野純子
いやいや、もうそんなめっちゃ。なんかもうほんまに気にせんぞ。
近藤淳也
いや、もうなんか申し訳なくて。
中野純子
よくラジオ聞くって言ってたじゃないですか。
近藤淳也
結構お笑いの方のラジオ番組いくつかおすすめしてもらったんですけど、
内容がお笑いの芸人さんのこととか知らないと分からなくて、僕あんまりにも知らなくて、
誰々がさーっとこうやって喋ってるんだけど、それ誰々が分からへんから、結局なんか全然入れないんですよ。
誰のこと?
基礎教養からこれ勉強しないと、意外と聞けばすぐお笑いは面白い。
中野純子
コントとかだったらいいんですけど、なんかこれ結構勉強しないと。
その登場人物が誰かまずっていう。
近藤淳也
分かんないんですよ。で、あいつがこんなん言っててとかって言うんやけど、
中野純子
あいつが分からんし、こんなんも分からんしみたいな感じで、やばいって思って。
すみません、もう今からでもよかったらどんどん教えしますんでね。今の注目とか。
え、なんですか?
今の注目の若手とかね。
近藤淳也
あ、注目の若手。ちなみに注目は?
中野純子
私が今見といた方がいいのは、私が個人的に好きなのはカエル邸さん。
あ、カエル邸さん。ポッドキャストを教えてもらいましたね。男の方と女の方と。
そうです、そうです。すごいコント好きで。
近藤淳也
そうですか。
中野純子
本来は誰かな?
近藤淳也
カエル邸の女性の方とかすごいテンション低めじゃないですか。
中野純子
そうなんです。なんかいいんですよ、そこが。
近藤淳也
なんかポッドキャストは聞いたんですけど、こんなんなんやみたいな。あれがいい?
中野純子
実際ね、コントとか見たらすごい楽しいです。
あ、そうなんですか。
もうね、なんていうんかな、もう見事なんですよ。
ネタをね、口で説明しようとするとちょっと申し訳ないんで、面白くないような説明になってしまうと、ネタ元の人たちに申し訳ないんでしませんけども。
近藤淳也
まあ聞いてくれて。
中野純子
もうぜひ見てほしいなというのと、誰かな?でも一回聞いてもらえたら嬉しいですね。
今はちょっと私がカエル邸にはまってるから、カエル邸っていう。
まあイチヨシカエル邸っていう。
近藤淳也
だいぶ広がっちゃいましたけど、じゃあそれでとにかくお笑い系の仕事が始まって。
中野純子
はい、始まって。
近藤淳也
それがずっと続いてる?
中野純子
そうです、今までずっとありがたいことにね、ずっと続いてますね。
ほんまたくさんお話聞かせてもらいました、これまでも芸人さんたちには。
じゃあかなり吉本の芸人さんとかとはお会いになっている?
そうですね、今テレビ出てる大阪ご出身の方はほとんども取材してますね。
近藤淳也
向こうも覚えてる?
中野純子
覚えてる方もいらっしゃいます。
そうですか、すごい。
何回もやっぱり繰り返しお話聞くことがある芸人さんもいらっしゃるんで、そういう方は覚えてくださってますね。
近藤淳也
すごいですね。
中野純子
でも嬉しいですよ、売れると。
芸人さんがね。
良かったですねって言っちゃいますね、見てますよって言って。
近藤淳也
そこはほんとまた中野さんの得意なところというか。
中野純子
いやいや、もうほんまに、もう振り返ることあまりないんで、自分の人生を。
こうやって言うとね、たくさんの方にお話聞かせてもらったなとかね。
川崎バイクさんのお話も楽しかったよなとか、やっぱ思いますよ。
近藤淳也
なんかそのお笑いの関連のお仕事っていうのはちょっとまた違うんですか?
例えば物件ファンとかの違って。
中野純子
全然。
近藤淳也
どういうところが難しかったりとか面白かったりとか。
中野純子
そうですね、物件ファンとの違いはやっぱりあれですよね。
直接会ってお話聞いて、それをしっかりファンの方に届く予備みたいな感じで書いたりする感じですかね。
実務的にも全然違うというか。
基本的に私結構そっちがメインだったんで、これまでもずっと。
だからなんか違いと言われるとやっぱりそこかな。
インタビューも独特と言うとあれですけど、
なんかほんまに教えていただきますみたいな感じでいつも話聞いてます。
近藤淳也
なんかそのインタビュー記事は別にネタではないわけじゃないですか。
中野純子
はい、本当に普通に素で話して。
それで笑わせようとかっていうことではないんですよね。
近藤淳也
何を伝える?
中野純子
そうですね、大体雑誌って何かをやる時って1個テーマあるんですよ。
例えばあんまり言うとあれですけど、編集者さんが1冊の本を作るとしたら1本のテーマがあって、それに沿って聞いていくっていう感じですね。
ああいう本ってやっぱりファンの方が手に取って読み張るんで、
ここ最近のどんなお仕事されてたとか、振り返るとどうですかみたいなお話聞いたりとか、
そのテーマに沿って何々さんはどうお感じになりましたかみたいな感じの話を。
芸人さんみんなお話上手なんで、そんなに質問用意していかなくて、もうほんまに教えてもらえますかみたいな感じで聞いたら。
近藤淳也
質問していればどんどん出てくる。
中野純子
そうです。いっぱいお話してくださるんで、それをちょっと上手いことをまとめるっていう感じですかね。
近藤淳也
上手いことっていうのはどういうことですか。
中野純子
多分ここが一番言いたかったことじゃないかなっていうところは大事にして、キャッチにしたりとかして、まとめて言ってますね。
そこが評価されて仕事元大臣に続いてるんですかね。
いやでもほんまに、文章を書いてるのって、多分近藤さんも文章を書くの好きだと思うんですけど、好きじゃないですか。
近藤淳也
気が乗った時だけ。
中野純子
本当ですか。でも夢中になれません?無心になれるっていうか。
近藤淳也
これはどうしても書かなくなったら、わーって書きますけどね。
中野純子
文を書く作業が結構好きなんで、別にこだわりとかも特にないんですけど。
上手いこと、こんな感じでいいかなって。
私がその時に感じた、お話し聞いた時にすごいなーとか、かっこいいなーとか思ったことが上手くまとめられてるかなーみたいなのを見渡すみたいな感じですかね。
多いんで、インタビュー記事って文字数が多いから、バランスよくちゃんとできてるかなーとか、そんなのはちょっと見て。
近藤淳也
その人になりきるみたいな感じではないですか。
中野純子
でもないですね。あくまでも主役はあちらなんでっていう。私は聞きてみたいな感じでしたね。この間は。
もっと上手くなりたいですよ。
いつも反省してます。インタビュー終わった後とか。
一瞬帰りの電車の中でモヤっとしながら、降りる頃にはまあええかと思ってるんですけど、一応反省というか、今後の。
いつも毎日、毎回毎回こうしたらよかったなーとか思いながらやってましたけど。今もやってますし。
近藤淳也
なんかもう過去の話もだいぶしゃべってもらいましたけど、もう一回改めて振り返ります。
中野純子
何を。
近藤淳也
中野さんのこれまで。
中野純子
これまで。そうですね。整理して話してないですもんね。
フリーライターの始まり
中野純子
整理して話すと、大阪芸術大学を卒業して、小さいヘンプロに入りました。
で、そこから1ヶ月後ぐらいに、ちょっと君営業できなさいって言うので、営業を活かしてもらった時に、某情報誌の連載というかお仕事をもらえて。
で、そこで一緒にお仕事させてもらった編集者の方に、フリーライターを育てていく。
近藤淳也
さっきのご夫婦に。
中野純子
ご夫婦に会えて、お会いできて。
木平さんもそこ出身なんですよ。
そうなんですね。
その頃からね。
その頃に出会ってるんですよ。
で、そこで4年ぐらいやってて、その時は会社組織じゃなかったんで、フリーライターの集団みたいなチームで、
私みたいな人がいて、下に4人、5人ライターいるみたいな、物件班と同じ仕組みですよね。
それを4年やってたんですけど、4年ぐらい経った頃に、株式にするってなったんやったかな。
通勤スタイルにするって言われてたんやったかな。
通勤スタイルにするってなったんですよ。
それまではずっと自宅で仕事する。
で、集まる時に編集部の隅っこ借りて打ち合わせするみたいな感じやったのが、
ちゃんとした会社みたいにするってなって、それが嫌で辞めたんです。
近藤淳也
それが嫌で辞めたんです。
中野純子
いや、自宅でやりたいよ。だってできるものって思って、通勤せんでいいやんってなってて。
近藤淳也
毎日通勤するのはちょっと。
中野純子
そうですね。
で、それでその時に、でもすごい、ほんまいい人で、
私がもうちょっと抜けてフリーになりますって言った時に、一緒に取引先について行って、
こいつフリーになるんでよろしくお願いしますって、ご挨拶一緒に回ってくださったんですよ。
だからたぶん仕事も途切れずに、ちょっと滑り出すことができたというか、滑り出しが良かったというか、そうしていただいて。
近藤淳也
すごい方ですね。
中野純子
めちゃくちゃ懐の深い方ですよね。
近藤淳也
それが何歳ぐらいになったんですか。
中野純子
それがね、26とかだと思います。
フリーになったのはそんな感じでしたね。
近藤淳也
若いんですね。
中野純子
若かったですよ。
26で独立かな。
4年後は独立したから。
26に独立して、それと一緒に回ってくださったおかげで、ポロポロってお仕事をいただけるようになって、
その情報誌で、さっき言ったようにお笑いページの連載ちょっともたしてもらったり、
あとテレビ番組の連載ちょっともたしてもらったりしたりして、
プラス他の雑誌の、いわゆる某求人誌系のね、お仕事とかいろいろやらしてもらってて、
でもその雑誌が10年ぐらいで休館になっちゃったんですけど、
その時も、もうなくなるんですっていうのを、またお世話になった人たちにご挨拶してたら、
テレビ局の方が、じゃあちょっとこれやってみひんかみたいな感じで、
インターネット媒体への移行
近藤淳也
お仕事をくださって。
中野純子
という感じで、某お笑い企業の会社は、ずっと定期的にお仕事をくださっててみたいな感じで、
なんとかな、もう運と縁でしか私動いてない感じなんですよね。
近藤淳也
ね、やっぱお仕事の内容がいいからと思うんですけど。
中野純子
そんな感じでした。
近藤淳也
26歳でフリーで独立されてからは、そんなに大きく仕事のやり方変わらずというか。
中野純子
そうですね、いろいろ入れ替わってますけど、雑誌とか、あと媒体自体はいろいろ変わってますけど、
基本はそんなに、なんか突然みたいなのは、ほんと物基本だけです。
異色、異色ね。
そうです。
すいません、異色ぶっこんで。
異色ぶっこんでもらって、ちょっとやっぱ広がりますよね、私もまた。
近藤淳也
また広がりましたね、バーっとこう。
中野純子
なるほど。
近藤淳也
そうです、そうです。
中野純子
インターネットはどう捉えてたんですか、それまでは。
でも、結局、紙媒体自体がどんどんなくなっていってたんで、
近藤淳也
何もこう、あ、なんやウェブカーになるんや、ウェブワンになるんやみたいな感じで、結構自然と受け入れてましたけどね。
中野純子
それはじゃあ、物件ファンの前からインターネットの仕事も増えてきたし。
楽しさの変化
中野純子
もうほとんどインターネットだったと思いますね。
そうなんですね。
もう雑誌は何か、機関誌って言うんですかね、年に2回とか年に4回とか何かあるじゃないですか。
近藤淳也
ああいうのぐらいで。
そうなんですね。
はい。
中野純子
じゃあ今も結構インターネット、ウェブ系の媒体が多いんですか。
近藤淳也
音楽もメインです。
そうですか。
そうやって何か違います、紙と。
中野純子
なんか紙ってやっぱり限られたスペースの中で色々作るから、結構それが面白かったりするんですよね。
なんか漫画のコマ割り描いてるみたいなイメージ。
それで私、編集もやってたんで、自分漫画好きやからやりって言われてやってたんですけど。
近藤淳也
へえ。
中野純子
漫画も好きなんですね。
漫画好きな。
はいはい。
近藤淳也
で、何かここにじゃあこの面置いて、ここにちっちゃい何かチョコチョコ入れてとか、そういうの考えるのがすごい私結構好きやったんですよ。
中野純子
紙面の割り方も。
紙面の割り方考えてて。
ちゃんと考えてたんですか。
へえ。
近藤淳也
そうですそうです。
中野純子
そんなのされたんですね。
なんかインターネットないじゃないですか。
近藤淳也
まあね、べろーんってね。
中野純子
そう、べろーんって。
近藤淳也
どこまでも行けますみたいな。
中野純子
そうそうそう。
近藤淳也
広さ無限ですみたいな感じですもんね。
中野純子
そう、宇宙なんじゃないですか。
宇宙ない。
だからそこは結構もうね、なんていうか、うまくやればいいんでしょうけど。
私もあれですよ、適当にコンテで手でこうやって描いて、それをデザイナーさんに渡して、これ形にしてくださいみたいなことやってたんで。
ネットの世界でももしかしたらね、私がコンテ描いてやれば。
近藤淳也
ニスクローム目ぐらいでこれ見せたいんだけどみたいな感じ。
そうそうそうそう。
中野純子
チラッとこうチラッと見えるようにできるとか言うかもしれないですけど。
だから別にそこぐらいですかね。
基本的に文章とか、一番ちょっとストレス減ったっぽいのはやっぱり5食っていうかな、5時すぐ直せるじゃないですか。
印刷はもう終わりなんで、それやっちゃうと。
だからそれがちょっとネットは楽でいいなと思いましたね。
近藤淳也
そんなに楽しさとかも変わらない?
あんまり変わらないです、ずっと。
中野純子
気付いたら紙ないやんってなってました。
あれ、私雑誌なくなってない?ってなってましたね。
近藤淳也
さっきのね、ちょっとしばらくパソコンはいいかなみたいなこととかもおっしゃるんで、
ちょっと紙の方が落ち着くなみたいなのがあるのかなと思ったけど、
別にそういうわけではないんですかね。
中野純子
そうですね。そんなことはないですけどね。
なんかちょっとこの、やっぱりね、パソコンとかスマホもそうですけど、日常生活に近すぎるというかね、思いません?
なんか本って本棚に片付けてるじゃないですか。
なんかもうずっと一緒やから。
まあね、ついつい見ちゃうし。
そうそうそう、ついつい見ちゃって。
近藤淳也
なんかオンラインミーティングとかで人と喋ってたりとか、
オンラインミーティングとかで人と喋った気になってるけど、誰とも会ってないなって。
中野純子
たまにそういう気持ちになるときはありますけどね。
なんかその割にはなんか身近にあるから、
なんか、なんていうんかな、ツイッターとかもやっぱりチェックするんで、
中野純子さんの苦手意識
中野純子
ウィケファンのツイッターですよ、ちゃんと上がってるかなって。
そのついでにいろいろ見ちゃうじゃないですか、自分のアカウントに戻って。
ものすごい炎上案件とか見つけてしまって、すげえブルーになったりとか、
なんかそういうのがちょっと苦手かなと思って。
近藤淳也
まあそんな得意な人もいないかもしれない。
中野純子
みんな木と同じような感覚ですよね、木とね。
そばにいないとちょっと困るけど、近すぎてもちょっとしんどいなみたいな感じかなと思うんですけどね。
近藤淳也
まあでもちょっとその辺は本当、これからどうなっていくんやろって。
中野純子
どうなっていくんでしょうね。
近藤淳也
それこそそのAIとかが喋ってきてて、もうなんかね、人間ですらないみたいな。
中野純子
そう、人間ですらない何かと喋るってことですか。
近藤淳也
そうそう、とかも出てきてるじゃないですか。
AIの進化によるマーケティングへの影響
近藤淳也
実際僕もなんか結構その仕事で木いたりとかし始めてるんですけど、
なんか、いやーどこに行くんやろっていうか。
中野純子
どうなるんでしょうね。
なんかこの間ね、ちょっと撮影、自分で撮影せなあかんやつがあって。
で、8匹で張ったんですよ。
で、その後ろに許可を取ってない一般の方が写り込んでて。
で、あ、これあかんなと思って。
使いたい写真あったんで、ちょっとこう最近のアプリで写ってる人を消すっていうやつあるじゃないですか。
あれやったんです。
綺麗に消えたんですけど、あ、よかったと思って。
これやったら大丈夫やと思ったんですけど。
なんかね、ここにあった、その後ろに肩のところに写って張ったんですけど。
その写ってる人はすいませんっていう感じでちょっとカットしたら、
なんかその、え、それAIなんですかね。
なんかそのアプリが、そのハッピーの柄を背景と認識して、
なんかここから肩からね、こう、なんていうか炎のようにね。
近藤淳也
ハッピーが広がってるみたいな。
中野純子
広がってるみたいになっちゃって。
ちょっと使えなかったんですけど、結局。
あれとかね、なんかもっとうまくできるようになったら。
近藤淳也
もうでもやり方によってはその辺はもう。
中野純子
できるのかな。
近藤淳也
サクッとできるんじゃないですかね。
中野純子
ね。
もうそんなんとか昔あったら、だからもう、なんて言ったんやろ。
GPT-4の実力とAIによる会話
中野純子
その、あったんですよよくね、写り込みあったらダメじゃないですか。
そういう雑誌とかでも。
なんか今あったら余裕やったんやろなとか。
思っちゃいます。
近藤淳也
なんか中野さんね、それこそ物件ファンってインターネットのメディアなんで、
別に遠隔でミーティングとかもやろうと思えばできるはずなんですけど、
結構ね、毎月というか毎週1回くらい、実際オフィスに来てもらって。
中野純子
賑やかしいね。
近藤淳也
顔合わせてミーティングするっていうのをね、やらせてもらってて。
僕もなんかそこはすごい、なんですかね、なんか大切にしたいって思ってるっていうか、
なんかやっぱ会って喋るからっていうのが、なんかあるから信頼できるみたいなこととか、
なんか一緒にやってる気持ちになれるみたいなところがあって。
まあでもなんかそれでも、だんだんこう、どうでしょうね。
リモート増えてきましたよね、ミーティングとか。
どうなっていくのかなっていうのは。
中野純子
いやでも、正直ちょっとまた物件派の話に戻りますけど、
もうちょっとそろそろっていうタイミングって結構あったりしちゃうんですよ。
かつてね。
でもやっぱりね、来た時に落ち着くんです。
もうちょっと頑張ろうって慣れるんですよ。
みんなとお話しすると。
だから絶対いると思いますけどね。
私はね、私は言いました。
近藤淳也
そんなに何回ももうそろそろって思わせてすみません。
中野純子
違うでしょ。これはあの、なんて言うんです?
仕事動向とかじゃなくて、内容動向とかじゃなくて、
なんて言ったらいいんやろな。
なんか気持ち切れる時ってあるじゃないですか。
ぷつっと。
それです。
どっちかっていうと、毎日気張ってて、気持ち切れて、
もうあかん、もうあかん、もうあかんってなって。
近藤淳也
だいぶ言いましたね。
中野純子
そういう時に水曜日のタイミングがあって、
みなさんと会って喋ったら治るんですよ。
頑張ろう、頑張ろうって。
よし、言語チェックや!とか言って慣れるんですよ。
それはありましたね。
だから大事だなと思いますよ。
近藤淳也
なんかちょっと話ね、飛ぶみたいですけど、
トレランでね、すっごい長いレースとか走る時あるじゃないですか。
160キロのやつとか。
中野純子
むちゃくちゃすごいですね。160キロって。
近藤淳也
なんかやっぱり長すぎて、ちょっともうしんどくって、
もう無理ってなるんですよ、途中でだいたい。
中野純子
なるでしょうね。
1回、2回。
近藤淳也
もう無理ってなるんですけど、その途中で、やっぱりそのエイドステーションっていうのがあって、
そこで人が待っててくれて、あったかいご飯とかも作って待ってくれてるんですよ。
中野純子
そこに行って、人としゃべってたら、なんかわかんないんですけど、もうちょっと行ってみようとなるんですよ。
なるんですよね。
近藤淳也
結構ね、人間って、なんか一人で生きてるわけじゃない?って、当たり前なんですけど、
中野純子
気づける感じですか?
近藤淳也
なんか、そういうちょっとしんどい時にわかるっていうか、
人と接してなくて、人と接した瞬間に、
あ、なんか人から力もらって進めるんだっていうことを、すごいなんか実感として感じて、
なんかそういうのは、なんかあるんだと思うんでね。
中野純子
あると思いますよ、ほんとに。なんか力になるというかね。
そうですね。
そういうのはすごい思いますよね。
あったかい話ですね。
だってね、ギリギリの時にね、ほっかほかの豚汁がなんか用意してくださってるわけでしょ?
泣けますよね。
近藤淳也
いや、ほんとにね、すごい感謝できるようになります。
中野純子
ありがとうございますですよね。
近藤淳也
長いレースをすると、自分って何もできないんだって。
みんなのおかげで、住んでるんだって、生きてるんだなっていう、
なんか当たり前のことを、改めて実感する場所として非常に教育的だと思います。
中野純子
そうですね。おかげさまで、お顔を感じられる。
近藤淳也
ほんと感謝するようになりますね。
自然にも感謝するようになるし、今日はなんか走れる天候にしてくれてありがとうっていう気持ちにもなるし、
応援してくれる人たちにも、もうみんなのおかげで、やっと自分はゴールまで行けたっていう。
中野純子
背中を押してくださったっていうね。
いやー、なんていうか。
もうなんか私ね、近藤さんからね、もうトリラの話聞くたびにも、
ああ、一回やってみたいなとか思うけど。
でもね、やっぱりおじけづいた。
近藤淳也
いや、でもトリラやってるみたいだもんですよ。
3年間もっと長い。
中野純子
小さあ、高校小さあ。走ってました?私。
近藤淳也
ずっと走って。
たまにエイドステーションのミーティングにやってきて。
中野純子
新産で。
近藤淳也
中野さん頑張ってくださいって言って。
中野純子
カレー食べてね。ありがとうございます、言って。
やってたんですかね。ほんまですね。長かったな。
近藤淳也
今後、なんかやってみたいこととか。
中野純子
今後ですか?
仕事はずっとやっておきたいんですけど、
うーんとね、なんやろうな。
とりあえず、もうちょっとゆっくりしようかなって思ってます。
まずね。ぜひしてください。
あとはなんか、むっちゃ個人的なことですけど、
部屋の模様替えとかしたいです。
それこそ。
ぜひしてください。
近藤淳也
誰も止めないです。
中野純子
誰も止めないし、一人でやっておくようですけど。
近藤淳也
いやいやいや。ぜひ時間経っていただいて。
中野純子
やってやりたいですね。仕事はもう、なんかあれですよね。
なんて言ったらいいんやろな。
長く続けられるように整えてやりたいなと思いました。自分を。
自分の環境を。自分しかいないじゃないですか。やっぱ自分のことやれるのって。
結構なんか、ハードだったんで、
もうちょっとなんか、もし私が一企業やったら超ブラックなんですよ。
今で言うと。
自分自身。
私がもし企業だったとしたらね。
だからもうちょっと、うまいことね。
そんなにこう、無理せんでもいけるようにしとかんといかんのちゃうかなと思って。
身体持たなくなっていくと思うんで。
それを感じてます。
そんな偉そうなことも言えないんですけどね。
フリーランスなんで。
何でもやります。やらしてもらいます。やらしてください。
ぐらいな気持ちじゃないと分かるんですけど。
ちょっと年末がすげーハードだったときに、
ちょっとこれやかんなってなったんですよ。
夜ご飯食べて、10時ぐらいに寝て、
2時ぐらいに起きて、ずっと原稿書くとか。
近藤淳也
朝の2時っていうか、深夜の2時ですね。
中野純子
2時起きて、翌朝の10時、11時ぐらいまで原稿書いて、
ちょっとまた昼寝して、またパッと起きてみたいな。
黒柳哲子さんがそういう暮らし方を教えたみたいで。
それ聞いて、こういうのを私も実践してみようと思ってやってたんですけど。
でもそのときは本当に時間がなかったのでやってたんですけど、
ちょっとこれはーってなったっていうか、自分に引いた?
ちょっとちょっとみたいな。
そういうのはちょっともう、自分のために良くないなーみたいな。
忙しくて全然いいんですけど、もうちょっとこう、
近藤淳也
何て言ったんやろな。
中野純子
一回ちょっと、そうですね、って感じですかね、今は。
近藤淳也
中野さんの幸せとは?
中野純子
幸せですか?
家で猫ちゃんといるかどうですか?
幸せ、今は幸せの瞬間ですかね。
私の幸せは、やっぱ健康だとかかな。
今ですかね、でも。
今?
今は幸せです。
いろいろ考えたけど。
近藤淳也
結構身近なところに。
中野純子
そうですね。すぐ喜ぶけど、何でもすぐ喜ぶからね、私。
ほんまに軽いですよ、もう。簡単。
今はすごいでも幸せですよ。
こんなね、もうお時間割いていただいて。
近藤淳也
いやいやいや、面白かったです。
中野純子
いい話できたかなって心配ですよ、私はもう。
近藤淳也
はい、僕は幸せです。
うん?
僕は話ができて幸せです。
中野純子
本当ですか?今、Now?
Now、幸せです。
私もNowです。
一緒ですね。
近藤淳也
じゃあ、そんなところですかね。
中野純子
ありがとうございました。
また今後ともよろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。
近藤淳也
ひとまず、本当物件班はお疲れ様でした。
中野純子
ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
近藤淳也
では、今日中野純子さんでした。
どうもありがとうございます。
中野純子
ありがとうございました。
01:23:45

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