1. 近藤淳也のアンノウンラジオ
  2. #20 十年来の悩みから脱出!コ..
2023-02-23 1:32:06

#20 十年来の悩みから脱出!コンプレックスを「特性」として活かせる仕事との出会い|フリーライター梅澤杏祐実さん

20 Comments spotify apple_podcasts

フリーランスのライターとして、移動を楽しみながらはたらく梅澤杏祐実さん。好きな仕事をされているように見えますが、かつては自分の特性に苦しむ日々が10年(!)ほど続いていたそうです。そんな梅澤さんがどのようにどのように気持ちを切り替えていけたのか、向いている仕事にはどのように出会ったのかを伺いました。

サブゲスト: 志摩さん(#09ゲスト

【ホスト】 近藤淳也 株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事。トレイルランナー。ときどきカメラマン。 2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。 https://ond-inc.com/

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サマリー

梅澤杏祐実さんは福井から京都に頻繁に訪れ、アンノウンラジオを聴くことによってアンノウンのゲストハウスの品のある雰囲気に魅了され、再訪のきっかけを得ました。彼女はオンラインでカウンセリングの勉強をし、資格取得後にカウンセリングの仕事を始めました。彼女は子供の頃から歴史や古いものが好きで、大人になってもその興味を持ち続けました。しかし、思春期から閉所恐怖症に似た違和感を感じ、どう対処すべきか分からずに悩んでいました。アートの力との出会いが梅澤杏祐実の苦しみを解放するきっかけとなった話も紹介されます。フリーライターの梅澤杏祐実さんが、自身の特性を生かせる仕事に出会い、長年悩んでいた問題から解放される様子について語ります。多くの人々が学校での授業に耐えることが難しいと感じる中で、自分の本能的な欲求と大人としての理性のバランスを取る必要性が考えられます。しかし、大人になっても自由な行動が制約されることがあり、統合することの重要性を実感することもできます。梅澤杏祐実さんはフリーライターであり、彼女の仕事は新聞記者としてのバックグラウンドを持ち、インタビューを通じて心に響いた出来事について記事を執筆しています。彼女は自身の聴く力を活かし、この仕事を続けたいと話しています。また、梅澤杏祐実さんは自身のコンプレックスを特性として活かせる仕事に出会い、それを生かして生きていきたいと考えています。彼女は人の話を聞くことが得意であり、周囲の人々にも好かれていると言えます。

00:00
梅澤杏祐実
♪~
近藤淳也
近藤淳也のアンノウンラジオ
皆さん、こんにちは。
志摩若奈
こんにちは。
近藤淳也
はい、アンノウンラジオ。
今回は梅澤杏祐実さんにお越しいただきました。
梅澤杏祐実
ありがとうございます。
近藤淳也
よろしくお願いします。
そして今日もアシスタントに、またもや志摩若奈さんです。
志摩若奈
はい、志摩です。お願いします。
梅澤杏祐実
ありがとうございます。
志摩若奈
しまさん、また今も滞在続いているということで。
そうです。まだいます。
梅澤杏祐実
まだ?
志摩若奈
まだ、全然ずっと。
近藤淳也
そして梅澤さんとかなり、ちょっとお仕事も近いのかなというところで、
梅澤さんも、ちょっとしまさんのラジオを聴いて、聴かれていたということで、
またもや、ちょっとアシスタントにお呼びしてしまいました。
よろしくお願いします。
梅澤杏祐実
お願いします。
梅澤杏祐実さんのアンノウンへの頻繁な訪問
近藤淳也
じゃあ 梅澤さんですけども、
今回 2回目の滞在中ということですかね、アンノウに。
梅澤杏祐実
どんな滞在ですか、今回は。
どんな滞在?
ドミトリーで 4泊5日のウィクリーのプランで。
近藤淳也
なるほど。
志摩若奈
観光ですか、今回?
梅澤杏祐実
そうですね 観光みたいな フリーランスなので 仕事もしながらのつもりですが
ほとんど遊びになっている
近藤淳也
遊びになってる そうですか
ちょっと簡単な自己紹介を お願いしてもらえらしいでしょうか
梅澤杏祐実
ライター フリーランスで ライターをしております 梅澤といいます
普段は福井に住んでて、
ほぼ毎月ぐらい京都が好きで来てて。
近藤淳也
もともとですか?
梅澤杏祐実
そうですね。ここ2年か1年ぐらいは、
結構頻繁に来てて、
で、アンノーンも前から知ってはいたんですけど、
私と同じようなスタイルの人が
結構いるんだなっていうホームページで見て、
なんかね、そういう、なんか変な人、私ぐらいが変な人って言う。
近藤淳也
変っていうのは、変っていうのは何ですか?
仕事もないのに、通うみたいなことがあってことですか?
梅澤杏祐実
はい、別になんか、どっかね、観光というか、そんなわざわざ行くわけじゃないけど、
まあ、なんかパソコン持って、毎月京都、なんか大体数日ぐらいとか、2泊だったり、いろいろなんですけど。
近藤淳也
へー、それじゃあ、もうアンノーンに来られる前から 続けていらっしゃるってことですよね。
梅澤杏祐実
そうですね。
近藤淳也
京都に毎月来られて。
梅澤杏祐実
そうですそうです。
近藤淳也
それ、何されるんですか?
梅澤杏祐実
時々仕事、パソコンで。
で、時々ふらっと歩いて、
なんか京都トレイラー歩いてたこともあるし、
なんか本当に裏道ですよね。
観光の裏道、東山コースとか、
わざと観光地を挟みつつ、めっちゃめっちゃ裏山なんですよね。
近藤淳也
そうですよね。
梅澤杏祐実
そっちは僕も結構詳しいんですけど。
とか、わりと、なんかそんな感じで裏道を歩いてる感じですね。
近藤淳也
じゃあ、お一人で来て、仕事もちょっとするけど、
京都をぐらぐら歩いたり、みたいなことを ずっと定期的にされてるんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。気がついたら、
そろそろ京都に行きたいなとか。
志摩若奈
そういう感じじゃない?
呼ばれる感じなんですね。
そろそろやなみたいな。
梅澤杏祐実
なんか勝手に行きたいみたいな。
呼ばれてるかどうかわかんないですけど。
なんなんです?それって。
近藤淳也
たまにちょっと違う場所に行きたいみたいなことですか?
梅澤杏祐実
でも、多分物書きあるあるかもしれないんですけど、
なんかやっぱりちょっと、船いる場所よりも
ちょっと違う場所に置いて、なんか進めたいなとか。
仕事を、なんか、よくホテルにこもって、
仕事したいなぁとかっていうのとか、
ああいう感覚に近いのかなと思うんですけど、
ちょっと一旦、この、おいて、
普段の自分をおいて、もうちょっと客観的に、見たいなぁと。
志摩若奈
え〜、やっぱり、
それ今聞いて、思ったのが、
なんか、場所移動したら仕事の感覚とかって変わります?
やっぱ、違うなぁとかあるんですか?京都来たら。
梅澤杏祐実
あ~そうですね、なんか
電車で移動してる時点で
なんかちょっと気が楽になった感じがあって
なんか、あ、そんな重く考えなくてもよかったや
みたいな感じをずっと繰り返してて
志摩若奈
そうなんですね
近藤淳也
そうですか、何がそんな重いんですか
梅澤杏祐実
分かんない、気が付くと普段は
自分の中で足枷を作ってるのか分かんないですけど
なんかそういうの今思い出したら
フリーランスになったのが2019年なんですけど、
その時にたまたま知り合いから勧められて、
ライター道場というのに行ってて、
大阪でやってるんですけど、
福井から毎週大阪に帰ってたんです。
志摩若奈
すごい!タフ!
梅澤杏祐実
結構それきついなっていう、参加する時から、
とりあえず京都に友達がいたので、
ちょっと泊まらせてもらえんかなとか、
ていうのは おねがいしたりしてたんですけど、
まあでも、なんか意外と、
志摩若奈
毎週、関西に行くっていうのが 楽しかったんですよね。
梅澤杏祐実
どっかで きついときもあったんですけど、
でも意外と、客観的に、
近藤淳也
ふそとかの見られるみたいな感じがあって、
で、続いてるんですね。
梅澤杏祐実
そうですね。あの感覚が好きで、多分。
志摩若奈
へー ライター道場はライターを教わる教室みたいなものですか
初めて聞いたんですけど
梅澤杏祐実
ああなんかそういうことなんですけど
でもなんか道場っていうのをつけたのは
なんか道場破りをしてほしいらしくて
近藤淳也
ライターが道場破り?
梅澤杏祐実
どうやれば破ったことないですか
なんか一応教えるけどそこに来た人も
一緒に、なんか、なんて言うんですかね、
いや、なんか、もっとこう、討論というか、議論みたいな感じのことを、
狙ってたというか、思ってやってたらしいですね。
近藤淳也
教えるだけじゃなくて、来た人からも何かを吸収しよう、みたいな。
そんな感じの。
梅澤杏祐実
でも、実際は毎週、課題とか大変だったんですけど。
近藤淳也
じゃあ、結構ガチで教えてもらうって感じなんですね。
梅澤杏祐実
はい、そうですね。
まあ、今はもっと楽しかったですけどね。
近藤淳也
なるほど。でも、福井からだと、やっぱ京都は、隣です。
隣じゃないんか。
梅澤杏祐実
隣って、隣なんですけどね。
近藤淳也
一応、つながってはいるけど、市街を経由して、サンダーバードに乗ってやってくる。
梅澤杏祐実
そうですね。最近は、もう普通電車で。
近藤淳也
そうなんですか。
何時間ぐらいです?
梅澤杏祐実
2時間40分。
近藤淳也
2時間40分。
梅澤杏祐実
結構、意外と行ける。
近藤淳也
そうですね。
梅澤杏祐実
なんか、鶴ヶまで普通で行って、 鶴ヶ、鶴ヶ駅って福井にある所なんですけど、
近藤淳也
わかります、わかります。
梅澤杏祐実
そこから新海側、姫路行きの 行っていくんですけど、
近藤淳也
鶴ヶからもう新海側で 一本で来れるんですか?
梅澤杏祐実
そうです、今。
近藤淳也
姫路行きがあるんですね。
梅澤杏祐実
はい、そんな感じで。
近藤淳也
じゃあ、そんな遠くないですかね。
梅澤杏祐実
そうですね。
なんか、そうやって乗り換えしてると。
で、鶴ヶで最近本屋もできて、
なんかそういう待ち合わせ時間とかも わりと過ごせて、
20分なんでそこ行ってすぐ戻る みたいな感じなんですけど。
近藤淳也
なるほど。
じゃあそういう習慣があって、
で、最近アンノーンにも来てくださってるっていう。
梅澤杏祐実
そうですね、なんか。
志摩若奈
なるほどなるほど。
アンノーンに再来した決め手あったんですか? ここがいいなみたいな。
梅澤杏祐実
なんか、勝手がわかってるのが一番。
アンノウンゲストハウスの魅力
梅澤杏祐実
一回来てて。
志摩若奈
あと、なんかやっぱり、品があるゲストハウスっていうか、
うまく言えないけど。
近藤淳也
うれしいですね。
梅澤杏祐実
大人なゲストハウスというか。
他のゲストハウスは全然悪く言うつもりはないんですけど、
やっぱり今まで色々見てきた中で、
どうしてもゴミ箱とか いろいろあるけど、
でもすごくきれいだし、
誰もそういうゴミとか、
わりと皆さん、お行儀よくっていうか、
志摩若奈
別にわざわざじゃないですけど、
お行儀の人が多い。
梅澤杏祐実
そうなるっていうか、
建物がいいし、すごくきれい、美しいから、
志摩若奈
いろいろタイルとか。
梅澤杏祐実
嬉しいですね。
分からんけど、そんな感じ。
近藤淳也
でも、その20代のバックパッカーばっかり みたいな感じではないですよね。
今、バックパッカーがなかなか 旅行できない時期っていうのもあるかもしれないですけど、
梅澤杏祐実
ちょっと確かに落ち着いた人が、普通に仕事したりとかしてる みたいな方が多いんで。
そういうので嬉しいですね。 そういう人向けのができて。
近藤淳也
姉妹さんに会いに来たんじゃないんですか?
梅澤杏祐実
会いに来て嬉しかったですね。
志摩若奈
嬉しいよ。優しい。
近藤淳也
そのラジオも聞いてくださってたんですか?
来る前に聞いてたんですか?
梅澤杏祐実
そうです。一回12月に利用した後に
Twitterでアンノーンさんのラジオを見て
どれから聞こうかなと思って
最初、一番とっかかりやすい20代の恋愛の
近藤淳也
そこからね。
志摩若奈
あ〜、犯人の。
梅澤杏祐実
そうそうそう。あれから聞いて、
なんか、いろいろ洗い物とか作業しながら聞いてて、
で、あ、シマさんってこの前会った人のあるやん、と思って、
聞いたら、面白くて、
うれしい〜。
ちょっと、私もカウンセラーになりたいな。
近藤淳也
なんかね、シマさんの話を聞いて、カウンセラーにも興味を持った。
梅澤杏祐実
はい、それからいろいろ調べて、でも、大変やな、とか。
近藤淳也
大変だった。大丈夫ですか?今、聞いてみたいこととか。
カウンセラーへの興味と道筋
志摩若奈
私、逆質問していいですか。
なんかカウンセラーの仕事自体は、元から関心はあったんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。利用してたこともあるし、カウンセリングを。
なんか心理学科出身で、大学。
志摩若奈
そうなんですね。
へえ、じゃあもともと大学行く前から
心理学科行くぐらい 心とかに関心があったってことですか?
梅澤杏祐実
全然そんなことなくて
大学行きたいところが 高校学をやりたかったんですけど
高校の時に でも結構難しくて落ちたんですよ
どこも行きたいなと思ってたところが
たまたま本当にその地元の次第の
高校の先生に受けるように言われて
そこしか受かってなかったっていうのが正直なところで
でも今はもっとすごく
行くべくしていったっていう感じで
私も実は島さんと同じように
一回打つというかそういうのを経験したことがあって
26歳ぐらいの時に
一回仕事を辞めたんですけど、
そういうこととかもあって、
志摩若奈
本当にあの時にいろいろ学んでよかったなっていう。
後から生きてきたんですね、学んだことが。
梅澤杏祐実
今も生きてる感じはします。
そうなんですね。
近藤淳也
そういうのもあって。
梅澤杏祐実
全然やりたいことではなかったんですけど、
でも今となった、
すごく、シマさんの話も聞いて、
自分の経験とか自分の特性みたいなものを もっと活かせないかなみたいなことをずっと考えてて、
興味を持ったみたいな感じで。
近藤淳也
ちなみにカウンセラーになるにはどうしたらいいんですか?
志摩若奈
どうしたらいいのか、うーん。
なんか私もすごい自然な流れで カウンセリングの仕事が始まって、
ライターの仕事はずっと新卒からやっていて
私もその過去の経験からずっと心のお仕事
関心があったんですけど
なんかすぐにカウンセラーになるって
なかなか道筋が見つからなかったので
そうなのでまずはなんか人を癒す仕事とか
ちょっと間口を広げた感じで仕事探してて
セラピストの求人とか受けてたんですよ
マッサージとかエステとか
そういう給付に受けていたら、ちょうどそこで ご縁があった会社さんが、
なんか、ちょうどオンラインの カウンセリングサービス始めるから、
カウンセリングの道へ
志摩若奈
カウンセラー、経験活かして やってみない?って言ってくれて、
梅澤杏祐実
そうなんですか。
志摩若奈
そこからその方に、民間の心理カウンセラーの お勉強をオンラインでしていただいて、
一応資格取得っていう形になってから、 実際にカウンセリングの仕事を始めて、
今セッションを受け、提供してるみたいな 偶然の流れだったので、
梅澤杏祐実
あんまり 道筋に詳しいわけじゃないっていう 感じなんです。
志摩若奈
偶然でした。
梅澤杏祐実
でも、ちゃんと行動を起こされてるというか、 その求人を受けてみるとかね。
そうですね。確かに。
今、何をしたらいいかなって、ちょっと調べてみるけど、 わからんなっていう段階で、
なるほどなんかやってみます
志摩若奈
めっちゃ進路相談みたいになってきてる
近藤淳也
でも結構本当に考えられてるんですね
梅澤杏祐実
本当になんかそのカウンセリング受けてた時も
なんかこうカウンセリングを言ってるとかっていう人に言ったら
なんかちょっと特別な感じというか
私そこまでじゃないみたいなね
別になんかねちょっとすごい悩んでる人みたいな感じだけど
もっとなんか普通にカンセリングが できるようになったらいいのになぁとか
志摩若奈
そうですよね
海外とかも本当ナチュラルに なんかカンセリング行きますぐらいの感じだから
広まったらいいですよね
近藤淳也
よくドラマとかでも出てきますもんね
幼少期の興味と違和感
近藤淳也
大体なんかカンセラーさんと喋っててとかって
志摩若奈
ありますよね
近藤淳也
喋ってるシーンとかよく海外ドラマとか多いですよね
志摩若奈
確かにそうですね
梅澤杏祐実
確かに確かに
夫婦で受けたりとかねよく見るけど
近藤淳也
確かに日本だと、ちょっとそんなに多くないんかな。
梅澤杏祐実
そうですね。
日本こそね、それが自然に軽い気持ちで受け入れるようになったら、楽になる人増えそうですけどね。
確かに。
そういうことも色々興味あって、ゆくゆくそういうこともできたらいいなと思いながら。
近藤淳也
なるほど。
それがちょっとアンノウンラジオもちょっときっかけになったってことですか?
梅澤杏祐実
そうです。あれからちょっと調べて。
近藤淳也
うれしい。
志摩若奈
届くんだ。
近藤淳也
人生に影響を与えてるじゃないですか 嬉しい
梅澤杏祐実
嬉しい シャリだって
志摩若奈
大丈夫ですか 大丈夫かな
近藤淳也
この影響力
ちなみに僕もあの収録の後から ちょっと瞑想するようになって
梅澤杏祐実
そうやってくださってましたよね そうですか
近藤淳也
自分と向き合う瞑想みたいなお話をされてて
志摩若奈
自分と繋がる瞑想ですね
近藤淳也
自分と繋がる瞑想 でその収録の時に嬉さんがおっしゃってたのは
目の前に鏡に自分が映っているようなものをイメージして、
それと自分と会話をしたりとかっていう話だったんですけど、
志摩若奈
それはうまくいかなくて、僕。
近藤淳也
目の前に自分ってどうしても浮かんでるんで、
これもしや普段から女性は鏡とかよく見るじゃないですか。
志摩若奈
化粧とかでね。
近藤淳也
僕全然そんな自分の鏡で自分の顔を見る時間とかめっちゃ短いんですよ。
梅澤杏祐実
もうなんか、全然。
近藤淳也
なんかもしかしてそういうことなのかもって思い始めて。
志摩若奈
確かに。
近藤淳也
どうやっても自分の顔が前に浮かんでこなくて、顔とか姿が。
で、なんかでもその、
まあそれも僕収録の時話してましたけど、
お腹の中になんか自分の心があるような感じがしてるんで。
梅澤杏祐実
そんな話もしますね。
近藤淳也
で、ちょっとそのお腹の中の自分の様子を、
よく見るとか、大丈夫?元気?みたいな感じで 会話する感じになったら、急に、
繋がっているのかどうか知らないけど、
やっぱり、すごい喜ぶんですよね。
うれしそう。
やっぱり、ちょっとしんどいなっていう時あるじゃないですか。
梅澤杏祐実
心がちょっとしんどい時って、
近藤淳也
ほったらかしにせずに、ちょっとそういう時間を持って、
本当に何がしんどいの?とかって、
ちょっと そこと向き合う時間を作ったら
なんかやっぱ向き合ってもらった側も喜ぶっていうか
志摩若奈
そうなんですよ
本当にそうなんです
教えてくれるんですよね全部
なんか結構悩みとかしんどいなっていう時って
その外側の目の前の課題とか
目の前にある出来事を見つめがちだと思うんですけど
なんか実際は自分の内側の心とか
内側の自分自身が全部どうしたいのかとか
何感じてるかとか全部の答えというか
全て内側にあるので
だから矢印を外じゃなくて内側に向けて
過去と現在のつながり
志摩若奈
そこで優しく聞いてあげる
厳しく問い詰めるようにじゃなくて
優しくどう感じてるのとか
どういう気持ちなのって聞いてあげたら
教えてくれるから嬉しいですそれが
近藤淳也
これでやってるのか知らないですけど
例えば僕、今日もちょっとあったんですけど、なんかちょっと元気なかったんですよ。
というかなんかしんどいなって思ってて、何かなと思って、ちょっとそういう時間を作ったら、
昨日ちょっと、とある方と話したときに、その方のちょっと態度が冷たく感じたのが結構引きずってたかなって、だんだんわかってきて、
で、確かにあれちょっとね、そんなに あっからさまな感じじゃないし、
全然パッと見、そんな横から見たら 何も起こってないようにしか見えなかったと思うんですけど、
僕はそのちょっとしたことが、ちょっと気になってたんだねっていうのを、
なんか一旦わかったら、結構お腹が高くなったりとかして、
へぇ~。
とりあえずそれでどうこうっていうよりも、
一旦ちゃんと、あれがちょっと冷たく感じたんだよね、多分とかやって、
わかってあげただけで、結構、もうそれで収まるのかなーっていうのを、
梅澤杏祐実
島さんとしゃべってから、やれるようになった。
志摩若奈
よかった。
近藤淳也
合ってるんですか、これで。
志摩若奈
もちろん、これが合ってる、合ってないっていうのもないですし、
そうやって、わかってあげるっていうのって、
例えば、目の前に子供がいて、その子供が泣いてたり怒ってたりしたときに、
なんか解決策が欲しいんじゃなくて
なんか悲しいんだよねとか
これで怒ってるんだねってわかってあげたら
落ち着くってよくあると思うんですけど
それと一緒で私たちも
もう子供の頃からその繊細さとか
なんか純粋さって変わってないので本来は
ただ大人になってなんか変わったように感じてるけど
生まれた時のあの感覚のままなので本来は
梅澤杏祐実
だから、わかってあげる当時作って、人間として、すごくナチュラル、自然なことだなって思います。
近藤淳也
だから、気を向けてあげるっていうか、本気でちゃんとそっちに興味を持って、気を向けてあげれば、意外とそれだけで言えるものがあるのかなって、ちょっと思っていて。
シマさんへの報告会みたいになってしまってる。
志摩若奈
いや、すいません。私、熱くなっちゃいました。
梅澤杏祐実
いいですね。ちょっと私もやってみようと思います。
志摩若奈
ぜひ、ぜひ。
梅澤杏祐実
なんか瞑想みたいなやったことは、 教えてもらったことはあったんですけど、
その時のこととか今思い出して、いいですね。 やっぱそういう時間は。
近藤淳也
島さんカウンセリング時間になってきてる。
梅澤杏祐実
本当に。
近藤淳也
梅沢さんの話をします。
梅澤杏祐実
お願いします。
近藤淳也
じゃあ、ちょっと梅沢さんの生き様を聞いていきますかね。
ありがとうございます。
どんなふうに これまで歩んでこられてるんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。京都市内で生まれて、
出身は京都の方なんですけど、今福井にいるけど、
桂川のあたりにいたんですよ、幼稚園の頃。
幼稚園が時輪のあたりで かなり離れた場所だったんですけど、
子供の頃の生活圏は、時輪と桂川のそこを・・・。
近藤淳也
じゃあ、もともと京都なんですね。
梅澤杏祐実
まあまあ、そうですね。親が北海道で、
北海道から、親が歴史がすごい好きで、父親が。
それで京都に移住して、というか、就職して、来て、
そのままそこで生まれて、という感じがあって、
私も子供の頃から、自社仏学、京都のすごい古いものとか、
子供ながらにめちゃくちゃ好きで。
志摩若奈
へぇ〜。
子供から?すごいですね。
梅澤杏祐実
なんかやっぱすごい好きなんですよ。
志摩若奈
だいぶ渋いですね。
梅澤杏祐実
なんか4歳か5歳ぐらいの頃とか、
たぶん神社の境内で農学とか、
農学って現代のものじゃないじゃないですか。
また、いわゆる文化財みたいなものとは 違うかもしれないですけど、
それとちょっと現代と違うものが すごい好きだった。
近藤淳也
え〜?4歳、5歳で?
梅澤杏祐実
はい、なんかめちゃくちゃ 見入ってた記憶とかがあって。
近藤淳也
だって、言葉がそもそも分からないですよね?
梅澤杏祐実
分からないから、余計になんかまた…
近藤淳也
あ、逆にいいんですか?
梅澤杏祐実
だったのかなぁと思って。
近藤淳也
え〜?あんなの子供って退屈じゃないですか。
志摩若奈
大人でもそもそも意味がわからなくて、 なんかね、寝ますけど、なんかね。
近藤淳也
でもなんかすごい好きあって、古いものが。
梅澤杏祐実
まあそれもあって、もうずっと、 小学校で福井に来てからも、
志摩若奈
なんかそのお年玉とかで、京都の神社とか、 お寺とか、何回か来たりしてたんですけど。
そんな昔から縁があったんですね、京都に。
梅澤杏祐実
そうですね。
近藤淳也
ちなみに、親御さんは、そういう歴史系のお仕事ですか?
梅澤杏祐実
いや、全然。
父は、大学、父が理系出て、理系なんですけど、
大学入ってから、こんな歴史ってこんな面白かったんや、みたいなのを気づいたらしくて、
本当はもっとこっちが入れたかったみたいならしくって、
で、じゃあ、たぶん京都に住むことにしたんでしょうね。
だから、わかんないですけど。
近藤淳也
じゃあ その思いちょっと引き継いだかもしれないですね
梅澤杏祐実
まあ たぶん引き継いでるんかなと思いますね 影響は
まあ でも私は私でまた違う感覚で好きというか
志摩若奈
うーん
梅澤杏祐実
たぶん
志摩若奈
えー じゃあ そのもう幼少期 死後歳で古いというか 現代じゃないもの興味持ってて
その後もその興味関心は続いたんですか 大人になるにつれても
梅澤杏祐実
そうですね。もうずっと、
なんか暇さえあれば、そういう歴史の本とか、
そういうのを、わからないなりに、
父がニュートンとか、雑誌の、
そういうのとかよく読んで、置いてあったんで、
そういう雑誌見てたりとかしてて、
でも大学は考古学勉強しようとかって思ってて、
志摩若奈
へー。
梅澤杏祐実
なるほど、なるほど。
近藤淳也
でも心理学に。
梅澤杏祐実
そうなんですよ。
近藤淳也
読学して。
志摩若奈
はい。
梅澤杏祐実
でも本当に、そうなるべくしてなったなっていう感じで、
なんか、多分私自身も、その、なんか、思春期の時から、
なんかこう、色々あったんですよね。
うん。
近藤淳也
なんか、
色々。色々とは。
梅澤杏祐実
その、シマさんみたいに分かりやすく上がり性とかはなかったんですけど、
ある時期から教室の中にみんなでいて、
志摩若奈
同じ方向を向いてじっとしてるっていうのが 耐えられなくなって、
窮屈な感じですか?
梅澤杏祐実
そうです。
今はあまり閉所が好きじゃないんですけど、 閉じられた場所とか。
その思春期ぐらいからそういうのがあって、
近藤淳也
何年生ぐらいですか、それは?
梅澤杏祐実
多分、中学校2、3年生ぐらいからあって、でもよくわからんなぁ、みたいな。
近藤淳也
その違和感みたいな感じるけど、どうしていいかわからない、みたいな。
梅澤杏祐実
そんな感じで、ずっと。
ずっとそれが、多分20代半ばぐらいまで。
結構長い。
近藤淳也
じゃあ、無理やり、なんていうか、アジャストしてるっていうか、現実に合わせて生きてる、みたいな感じですか?
梅澤杏祐実
そんな感じでしたね。
ずっと。
なんかはっきりとしてこれっていうのも、
苦しい感情と学び
梅澤杏祐実
これが苦しいってのもわからんし。
で、なんか、うん。
まあ、だからそういう意味で心のこと学べたのは、
なんとなくまあ、
志摩若奈
生きていく上でよかったなっていう感じでしたけど。
近藤淳也
確かに。
梅澤杏祐実
まあ、それでやっぱずっとしんどくて。
15歳ぐらいから、
10年間ぐらい。
近藤淳也
大変でしたね。
梅澤杏祐実
大学とかでも、講義みんなで受けてるのも なんかしんどいし、
で、大学卒業した後、 新聞記者になるんですけど、
福井の地方紙の入って、 新聞紙入って、
で、取材とかで講演会行くのも なんかしんどい。
部屋の中で聞いてるのも なんかしんどい。
近藤淳也
みんな同じ方向向いてね。 ここでもやっぱりそれかって感じですよね。
志摩若奈
確かに。
梅澤杏祐実
英語わかんないけど。
近藤淳也
へー。ちなみに、歩き待てたりとかしたら 楽とかなんですか、それって。
どういう感覚なんですか? ギュッて感じが嫌なんですか?
梅澤杏祐実
なんかうまく言えないんですけど、
みんなでじっと同じ方向みたいな。
割と私、駅とか人が行き交う場所は すごい好きなんですけど、
空港とか。
近藤淳也
じゃあ、群衆が苦手とかでは ないんですかね。
梅澤杏祐実
もともと人ごみとかは 苦手なんですけど、
ただ、それが流動的だと 紛れるんですよ。
志摩若奈
カフェとかだと ちょっと しんどいときあるとかですか?
梅澤杏祐実
でも、カフェだと、
でも、人が行き来してれば わりと楽なんですけど。
やっぱり、一方向向いて、
近藤淳也
しゃべってないのも あるのかな。
ガヤガヤしてたらまだもしとかですか?
梅澤杏祐実
いやー、でもそれもそこに閉じ込められるような、 なんかよくわかんないんですけど。
今はもうだんだん楽になったんですけど、
だから、取材中とか別に全然動いたりとか 写真撮ったりとかはできたりするんで。
動けないのがきついんですかね。
そうやってごまかしてはいたんですけど。
近藤淳也
でも授業中とかどうしてたんですか。
梅澤杏祐実
いや、本当にしんどかったですよね。
近藤淳也
こっそり動かしたりとかしてたから。
志摩若奈
動けることをね。
梅澤杏祐実
それ、本当に紛らわし方がなくて、
なんか本当にだから、中学、高校時代は なんかしんどいなぁと思いながら、
あんまり万全じゃない状態というか、 いつも心と体が。
近藤淳也
なんかもう、空想の世界に行ってみたりとか、 なかったんですか、その対処法は。
結構我慢って感じだったんですね。
梅澤杏祐実
そうですね。
まあ、そういうこともできたらよかったですけど、
たぶん、なんかしら、そういう、
逃げはしてたけど、ごまかせてるだけで、
そうですね、なんか本当に、
よくわかんないけどしんどいな、みたいな。
なんか、木晴らしで旅行とか行っても、
電車とかもなんかきついんですよ。
駅とかは好きなんだけど、
電車の中に、あの閉じられた空間で、
みんなこう、なんか、そういう、同じ方向向いてる。
志摩若奈
たしかに。
電車ね。
近藤淳也
まあまあ、新幹線とかね、同じ方向向いてますよね。みんな。
たまに席まわして、こう、宴会やってる人たちなんですけど。
梅澤杏祐実
あの人がいたら、じゃあ、いいですね。
志摩若奈
転換車が多かった。
梅澤杏祐実
そうそうそう。
志摩若奈
今はそんなないんですけど、
梅澤杏祐実
なんか昔はそれは苦痛やって 10年ぐらいあったね。
近藤淳也
なんかの方法で克服したんですか? どうされたんですか?
梅澤杏祐実
でもそれが、新聞社やってる時に、
なんかのきっかけで うつになっちゃったんですけど、
それこそ別にシマさんと多分一緒で、
なんか先輩の記者さんから 言われてすごく傷ついたりしたことがあって、
でも本当にそれはトリガーに過ぎなくて、そこから8ヶ月ぐらい休職させてもらったんですけど、
本当に不思議な感覚で、ちょっと生まれ変わってないかも分からないけど、ちょっと変わったような、休んでた時に、
なんかその年、確か瀬戸内芸術祭の開幕の年とかで、
2010年ぐらいだったんですけど、
リハビリというか、復職するために、
ボランティアに、アートのボランティアがあって、
それに行って、いろんな出会いとかあって、
なんかそういう作品、芸術見たり、いろんな出会いがあって、
で、だんだんそういう感覚が薄れていって、ちょっとずつ楽になって、っていう感じが。
志摩若奈
その、生まれ変わったような感覚に、その8ヶ月間でなったっていうのは、
なんか、そのアートの力が大きかったんですか?
それとも出会った人からの 言葉とか、そういうのがあったんですか?
梅澤杏祐実
でも、たぶん、やっぱり、それこそ、さっき おなかの話とかしてましたけど、
自分がすごい変わったんやと 思うんですけど、
いろんなこと、きっかけにしかすぎないと 言えば、そうですけど、
本当に、それこそ、ネタ切りみたいな 状態にやって、
もう一回そういうふうになっちゃったら。
で、3ヶ月ぐらいは 本当にもう、なんか、寝てたっていうか。
近藤淳也
それはご実家で。
梅澤杏祐実
そうですね、本当にありがたいことに。
それはお家族のサポートもあって、
志摩若奈
島さんみたいに、お母さんが 無理やり鍵を開けて入ってくるみたいな。
怖かったけど、でもありがたかった。
梅澤杏祐実
いいですね、あのエピソードで。
志摩若奈
いや、愛を感じましたけどね。
愛はあった。うれしい。
近藤淳也
もともと、ご家族が近くにいる環境だったっていうことですね。
梅澤杏祐実
そうですね、本当にありがたいですね。
本当に、私、地元離れたのって、
あと、新聞社を辞めて、大学院に入るんですけど、
その時だけなんですよね。
ほぼ ほぼ ずっと 地元に いることが 多いんですけど。
志摩若奈
うーん。
なるほど。
あ、ごめんなさい。
なんか その ちょっと 話が 変わっちゃうんですけど、
その 新聞記者さんに なろうと思ったのって どういう気持ち きっかけだったのかなって 思いました。
梅澤杏祐実
あー、なんか、その 大学が 2時間かけて 電車で、
それも 電車で 死んだことですけど。
そうなんですか。どこに?
県内の大学なんですけど、福井から武府っていうところに、
その電車自体は20分なんですけど、大学に行くまで2時間ぐらい、
合計でかかる時とかあって、めちゃくちゃ暇なんですよ。
志摩若奈
確かに。
梅澤杏祐実
で、駅とかで雑誌を読んでたり、 ひたすら本とか電車の中で読んでたりとかして、
なんかすごく雑誌って面白いなっていうか、 雑誌ってすごい好きだなっていうことに気づいて、
もともと文章を書くのも好きやって、 あと写真撮るのも好きやって、
志摩若奈
で、メディアの世界に入りたいなと思って。
近藤淳也
そうなんだ、その2時間の暇な時間の中で イタリアの軸が生まれてたんですね。
梅澤杏祐実
しかしすごいな、県内で2時間も逆にかけられるんだって。
本当に不便なところはありますね。
志摩若奈
京都とか来ると便利すぎてびっくりしますね。
梅澤杏祐実
バスも いろんなとこまで行きますね。
近藤淳也
どうでした? でも、その新聞記者の仕事は?
梅澤杏祐実
結構忙しくて、
それまで疲弊してしまった。
楽しかったんですけど、仕事自体は。
本当に、今ライターになるまでの ベースを教えさせてもらったりしたなっていうのがあるんですけど。
近藤淳也
何年ぐらいされてたんですか?
4年。4年ほど。
基本的なことは習得されて
梅澤杏祐実
わからないですけどね 教えてもらって
今も基本的なことできてるか わかんないけど
ちょっと勉強中ですけど
近藤淳也
なるほどね
志摩若奈
4年間記者されて
ちょっとハードな環境に 疲れたなっていうことで
そこからフリーランスになられるん でしたっけ
梅澤杏祐実
そうですね
その後 やっぱり子供の頃から好きであった
新聞記者になるまで
梅澤杏祐実
広告学の世界に入りたいなって言って、
で、じゃあ一旦辞めようってなって。
近藤淳也
それはその、まあ休まれていて、 一回復帰されたってことですか?
梅澤杏祐実
はい、一旦復帰はして、 数ヶ月ほど働くんですけど、働かせて。
近藤淳也
ちなみにちょっと言いにくかったあれで いいですけど、上司はそのまま?
梅澤杏祐実
あ、上司とかで…
近藤淳也
上司じゃないんですか?なんか。
梅澤杏祐実
はい。
近藤淳也
あー、違うんですね。
梅澤杏祐実
悩んでた感じじゃなくて、
本当にやっぱりその、結構やっぱり自分の内的な部分が大きかったかなって、
なんかその、ずっと15歳から、なんか、なんかよくわからない、
深度さんみたいなものを考えてきてたなっていう、
その、そっちの負担の方が大きかったかなって。
なんか、新聞社自体はすごくみんな、本当にいい人ばっかで恵まれてたなっていう、
まあ、いろいろ怒られたりとかはすごいしますけど。
近藤淳也
なんかね、言葉がわりとダイレクトなイメージは、
新聞社さんってね、そういうイメージはありますけど、やっぱそうなんですね。
梅澤杏祐実
まあでも、みんなわりと大変で忙しいん中にいるから、
仲間みたいな感じはね、逆にありますけどね。
近藤淳也
なるほど。
志摩若奈
なんか1個気になったのが、
今まで10何年くらい教室で過ごすのの違和感とか、
なんかそういうのがあった中で、さっきその8ヶ月間の中で
自分自身が変わったと思いますってお話あったと思うんですけど
なんかその外側はきっかけにすぎなくて
その自分が変わったっていうのは
何が変わったなっていう感じなんですか?
梅澤杏祐実
へーでも正直わかんないんですけど
まあでも本当になんていうかな
結構うつにな、うつというか
そういう経験した人特有の、なんか、なんかこう、
志摩若奈
なんか、本当にちょっとね、ネタ切りの状態やったりとか、
梅澤杏祐実
もう2時間活動するので精一杯やったりとか、
そういうのが結構数ヶ月ぐらいあって、
なんかいろんなことがすごくありがたくなってきたりとか。
志摩若奈
へぇ~。そうなんや。
梅澤杏祐実
なんか、まあわかんないですけどね、
志摩若奈
本当に、今までの生き方と ガラッと変わったんじゃないかなとは思いますけどね。
梅澤杏祐実
本当にしんどかった時は、 生きてることにめちゃくちゃ感謝というか、
今までは、これ自分できてないなとか、 ないないということに目を向けてたのが、
今もそういうこともあるんですけど、 本当にあるっていう方向にすごい向けて、
素敵だ。
でも、すがって生きてたんですよね。
志摩若奈
その時は。
梅澤杏祐実
とにかく、ありがたいな、みたいな。
近藤淳也
その8ヶ月のあとは、結構、その変化が ずっと続いているというか、
そこを起点にずっと変わった という感じなんですか?
梅澤杏祐実
すごい、ここっていうのは ないと思うんですけど、
でも、その前と後の自分は すごい違うなっていう、
志摩若奈
今までの生きづらさは、薄れていきましたね。
すごい、すばらしい話ですね。
近藤淳也
まあ、なんか、よくなかったかもしれないけど、でも良かったですね。
梅澤杏祐実
それはそれで、そういう機会があったことが、楽になったこともあるってことであればね。
たぶん、海を出したみたいな、そんな感じの期間だった気がしますね。
変わったというより、海を出したみたいな感じが。
志摩若奈
なんか、その海を出すプロセスの中でも、
なんか、感謝に目を向けるとか、あるものにフォーカスするっていう、
なんか、ずっとその人生の中でも、すごい大事になってきそうなとこに、
触れられてたっていうのも、すごくいいきっかけというか、
なんか、得られたものすごい大きそうだなって感じたんですけど、
旗から聞いてて。
梅澤杏祐実
でも、本当にそうですよね。
でも、当時は、本当にすがるような思いで 生きてたというか。
今、普通にこうやって生活してますけど、
当時は、本当にちょっと、人と2時間あったり、
女子というか、先輩がお見舞いに来てくれて、
学生時代からの悩み
梅澤杏祐実
ちょっと元気になってきた時とかに、
一緒にケーキ屋さんとか行って、 ケーキ食べに行ったりとか、
したこともあったんですけど、
でももう2時間ひとたうのでせっぱいなんですよ。
2時間活動するので。
志摩若奈
疲れますよね。
ね。
梅澤杏祐実
っていうようなちょっと特殊な期間やって、
もう本当に、あ、今日これができた。ありがたい。
みたいな感じの発想で生きてましたね。
近藤淳也
でもすごい大事な時間にはなってるんじゃないですか。
梅澤杏祐実
そうですよね、なかなかこうね、いろんなこと当たり前になってますからね、気がつくと。
うん。
まあ、そんなこともあって、生まれ変わったという、ちょっと海を出せたっていう感じやったのかな。
近藤淳也
その、じゃあ、工工学の仕事にそのままつかれて、でも、なんかそうやって社会に戻っていかれたんですね、割と順番に。
順番に
梅澤杏祐実
そうですね
全然別に社会に戻るとかそういう こと自体は抵抗はなくて
本当にいろんな出会いとか芸術 とかそういうものに助けられて
回復して
近藤淳也
高校学はどうでした
梅澤杏祐実
そうですねすごく好きだったん ですけど
やってみたらちょっと違った っていうので今ライターの世界に
いるんですけど
近藤淳也
何が違ったんですか?
梅澤杏祐実
なんか、その、あの、辞めて、で、大学院に、まあ、いきなり大学院に入るんですけど、奈良の方。
近藤淳也
まず大学院に入るんですね。
はいはい。
梅澤杏祐実
で、勉強して、で、もう一回地元福井に戻って、あの、まあ、契約職員みたいな感じなんですけど、そういう、あの、自治体に、あの、埋蔵文化財センターっていうのがあって。
で、そこで、遺跡の発掘調査の仕事を させてもらうみたいな感じで、
5年ほどお仕事させてもらって、 全部で7年ぐらい、その世界には。
近藤淳也
結構でも長いですね、それも。
梅澤杏祐実
気が付いたら長いですね。
遺跡の発掘調査の仕事
近藤淳也
遺跡の発掘っていうのは、本当に 土とかを掘る作業をしてたんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。その辺は作業員さんといって、
その時期間で雇ってもらった方にやってもらうんですけど、
私はどっちかというと、図面描いたりとか、
近藤淳也
図面?
梅澤杏祐実
はい、その意向とか出てくるんで、その後、図におこしたりとか、
近藤淳也
もともとこういう建物だったのかな、みたいな。
梅澤杏祐実
そうです。その後が出てくるんで、井戸の後とか、
本当に、明らかに 土の色が違うんですよ。
なるほど、なるほど。
そういうのを見て、はい。
近藤淳也
すごいな。
志摩若奈
すごい、おもしろい仕事。
近藤淳也
福井で?
梅澤杏祐実
福井で、主に。
奈良にいたときは、
でも、奈良にいたときも 福井に帰って、
大体白鳥さんさせてもらってもらっても。
志摩若奈
そうなんですね。
近藤淳也
福井も、結構遺跡は多いんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。日本全国遺跡は、すごい多いですね。
近藤淳也
なるほど、なるほど。
志摩若奈
それって、私、全然その業界詳しくないです。
近藤淳也
業界?業界ね。
志摩若奈
なんか、図を書いた後に、それをどなたに渡して、何に生かされていくんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。遺跡の発掘調査報告書っていうのがあって、
で、図書館とかに行けば、こういう分厚い、いろいろ薄かったりするんですけど、
そういう本がいっぱいあるんですけど、
そうやって各自治体が記録して、発刊してるんですよね。
志摩若奈
そのために、地域の記録というか、貴重な情報源として、
その図とかを提供するってことなんですか?
梅澤杏祐実
そうですそうです。そういう記録に残すっていうことをやってるんですよね。
各自治体の遺跡とか文化財のお仕事されてる方は。
近藤淳也
じゃあ基本的には、そういう行政の他のお仕事っていうか、
お金は国とか支持とかが出して保管していくみたいなことなんですかね。
梅澤杏祐実
そんな感じ。
なるほどなるほど。
へぇ~。
近藤淳也
なかなか知らない世界ですよね。
梅澤杏祐実
京都だとね、やっぱりたまに掘ってるね、出てきちゃったんで掘らなきゃいけなくてみたいなのがあるじゃないですか。
物価値を何とか保護保管、何かあるんで。
志摩若奈
出てきちゃうことがあるんですね。
近藤淳也
そうですよ。不動産買って、基礎とか作るために掘ったら、出てきちゃったら、
志摩若奈
買った人の費用負担で、発掘義務みたいなのがある。
発掘義務ある。
近藤淳也
その間、家は建てられないし、発掘作業の費用も出さなきゃいけないみたいな感じで、
志摩若奈
理不尽すぎん?
近藤淳也
そうなんです。
梅澤杏祐実
まあまあまあ、そうなんですよね。
志摩若奈
そうなんですね。
近藤淳也
そうなんですよ。だから、全然当たりじゃないですよね。その買った人からさ。
梅澤杏祐実
確かに。
近藤淳也
外れですよね、どっちか。
本当はお宝なんでしょうけど。
志摩若奈
自分のものにして販売とかはできないってことですよね。
お国のもの。
近藤淳也
なんか出たら?
志摩若奈
出ちゃうんだよ。
近藤淳也
どうなんですか、それは。
梅澤杏祐実
でも、たぶん、基本的には、そういう公共物だと。
近藤淳也
所有金はなしなんですね。
梅澤杏祐実
別に、自分で、例えば、私がこの前、山登ってたら、
末期って、古墳時代の土器が出てきたんですよ。
えぇ!?
近藤淳也
山登ってたら、土器が出てきたんですか?
梅澤杏祐実
ちょっとびっくりしたんですけど、
結構、山道のわかりやすい場所にあって、
志摩若奈
掘りながら進んでたわけじゃなくて、
近藤淳也
そんな山登りあります?
梅澤杏祐実
ちょっと私もびっくりしたんですけど
持ってったら多分雨とか
ドシャーとか崩れて
落ちてくることはあるから
って言ってたんですけど
あるのはあるんですよ
で、見る人が見れば
これ素敵だとか
何々時代の時だみたいな感じで
わかるんで
あるのはあって、それ持ってったら
どうしますか別に
持ってってもいいですよとかって。
じゃあ一応拾った人に所有権がある?
基本的にはそんなに、最終っていうんですけど、
掘って出てきたわけじゃない時って、
価値がないわけじゃないですけど、
何時代の、わかるみたいな感じとはまた違うので、
そういう記録に残すようなものとしては、
ちょっと出てきたっていうだけなので
近藤淳也
じゃあ売りにも売れないんですか
梅澤杏祐実
売ってるんかな
そうですね
なんかちょっとそういう闇の話も聞いたことがあるような
近藤淳也
そうなんですね
そういう裏で流通してるみたいなのもある
梅澤杏祐実
あるかもしれないですね
ちょっと分かんないですけど
結構ほんと出てくる時は
めちゃくちゃワンサカ出てくる
志摩若奈
面白い
近藤淳也
なるほど、なるほど。
梅澤杏祐実
みたいなんで、かまわととか掘ると、
もう、その、なんだ、でき損ないの時というか、
そういうのがめちゃくちゃいっぱい出てきて、
そこを勤めてた時とか、そこ、私は現場やったことはないんですけど、
めちゃくちゃ、そのコンテナっていうんですか、箱に、
すんごいこう、たくさん入ってたりとかして、っていうのがありましたね。
志摩若奈
そういう採集とか、図を書くお仕事とかって、
普通に求人として出回ってるんですか?
なろうと思ったらなれるんですか?
近藤淳也
どうしました?業界に調印を持ってきました。
志摩若奈
持ってきました。
ライターへの転身
近藤淳也
本当に?
いや、なんか、面白いなっていう意味で。
梅澤杏祐実
しかもその文化財博調査とかで検索すれば、
作業員の募集とかはたまにありますね。
その博調査の期間だけとかはありますね。
志摩若奈
楽しそう。是非、是非。
お互い営業し合ってますね。
ほんまや。
近藤淳也
でも、ちょっとなんか思ってたのとは違ったんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。
なんか、それが契約、正社員みたいな形じゃなかったんで、
週4日勤務だったんですけど、
まあ、その時まだ20何歳、29歳ぐらいの時で仕事入った時が、
なんかもっともっとすごいなんか週5ぐらいで働きたいなぁみたいなとか思ってて
今もなんかすごい少ないんですけどフリーランスなんで
そんなにたくさん働いてたり働いてなかったりなんですけど
なんかそれでなんか違うことやりたいなぁとかも思ったりとか
まあいろんなその文化財のこと勉強したりとかしたんですけど
たまたま、よく読んでた雑誌とかフリーペーパーで ライターを募集してるっていうのがあって、
人づてに聞いて、じゃあ、ちょっとやってみたいな みたいな感じで声かけて、
で、こそっとというか、 副業みたいな形でライターの仕事を始めたら、
やっぱなんかすごい面白いなと思って、
それでそっちの方に。
近藤淳也
じゃあ思ってたと違ったっていうのは何ですか?
週3日だったっていうところがってことですか?
梅澤杏祐実
そうですね。
まあそうですね、なんだろう。
メディアの仕事をしてる人とか 仕事の方が面白いっていうふうに
どこかなってきたんですよね
近藤淳也
自分の興味が実は書くことは やっぱり好きだったんだなみたいな発見があったってこと
梅澤杏祐実
そうですね 書くことというかインタビューしたりとか
そういう緊張感がすごい好きだな みたいな感じになって
志摩若奈
緊張感が好きなんですね取材の
梅澤杏祐実
うんそうですねなんか
それこそなんか今もその教室が嫌みたいなんじゃないですけど
ずっとその新聞社に入ったのも
その何だろうなオフィスとかすごい苦手で
ずっとみんな同じ場所にいて
志摩若奈
それもやっぱり苦手なの?
梅澤杏祐実
今も苦手なんですけど
で、やっぱその発掘調査の仕事自体は楽しいんですけど、
その調査が終わって、冬の間とかは ひたすらずっと建物の中で図面描いたりとか、
いろいろそういう作業をしてるんですよ。
なんか、まあそういうのがやっぱ好きじゃないなみたいな、
教室の中にいるのが嫌だなみたいな。
志摩若奈
なかなかね、オフィスワーク多いですもんね。 どこかの中で働く仕事多いですもんね。
梅澤杏祐実
そうですね。なんかやっぱそれは好きじゃないんですよね。感覚的に。
なんか本当にその新聞記者とかも、ずっとその会社の中にいるわけじゃないし、
志摩若奈
なんか人とこうやって話を聞いて、2時間聞いて、どっか行って言語を書いたりとか、
梅澤杏祐実
そういうスタイルが好きなんですよね。
移動したりとか。
ずっと同じ場所にいるワークスタイルが好きじゃなくて。
近藤淳也
それはもう無理しなくていい。
梅澤杏祐実
そうそうそう。
本当に結構、
そうですね、しんどかった時はそれも認めてあげられてなかったのもあったんで。
そうそうそう。
志摩若奈
なるほど。
近藤淳也
じゃあ、ライターになられて、
はいはい。
それが今のお仕事ということでしょうね。
梅澤杏祐実
そうです。
近藤淳也
どんなライティングというか、
どんなことが多いんですか、今、お仕事としては。
梅澤杏祐実
今は、本当に色々やってて、
今、SEOの仕事。
あの時、やってなかったんだけど。
SEO?
はい、とか、やって、取材の仕事、
その、地元の、その、雑誌の、なんか飲食店の取材とか、
志摩若奈
そうですね、本当にいろいろですね。
なんか、フリーランスの働き方、すごい、なんか、向いてそうですよね。
その、いろんなとこに、行きたいとこに行けるから。
梅澤杏祐実
そうですね。
志摩若奈
なんかやっぱ合ってるなみたいなのあるんですか フリーライターのお仕事が
梅澤杏祐実
そうですねなんかやっぱ固定された人間関係とか 固定された場所とか
あんまりそういうのがやっぱずっと苦手なの
固定ね同じのがね
だからその白調査してた時も、なんか上司と自分と一対一とか、すごいつらくて、
なんか、雨の日とか。
近藤淳也
それは喋るのが、それとも空間的に?
梅澤杏祐実
雨の日とか、その白調査できない時とか、二人でずっとプレハブの中で、
なんか、一対一でこう話聞いてたりとか、
学校での我慢と本能のバランス
梅澤杏祐実
なんか途中から3人の現場があったら それでお願いしたいとかして
そうすると楽だなっていう
1対1だと向き合うみたいな感じで
ちょっと固定されてる感じだと すごい苦手だなとか
志摩若奈
そうか プレハブとか特にしんどそうですよね
梅澤杏祐実
密閉やし狭そうやし
近藤淳也
なんなんやろね それは
固定っていうのが出てきますよね ずっと
梅澤杏祐実
固定された感じが苦手っていうのがね
志摩若奈
でもすごいそれってなんか純粋な思いの一個ですよね
なんか多分みんな動きたい時に動きたいってすごい存在じゃないですか
梅澤杏祐実
まあ絶対動きたいね
子供とかね
志摩若奈
多分大人もみんなそうじゃないですか掘り下げたら
そこにそこをちゃんと感じてるがゆえのあれなんでしょうね
だから小学校とか学校とかは教室やからこれが当たり前って
なんかそれにこう飲まれすぎてたら そこにたぶん気づいてない人っていうか
梅澤杏祐実
なんか本当はそうなんやけど 感じてない人もたくさんいると思うけど
志摩若奈
でもそこの本当の気持ちを もう昔からずっとわかってあげれてて
からこそなんか気づいてるのかな とか思いました
なんかね 動きたい時に動きたいって素直な気持ちじゃないですか
とても。 気づきたい時に起きたら、あそらそうですね。
梅澤杏祐実
でも小学校の時は別に全然平気だったんですけどね。
あ、そっか。中学ですよね。
やっぱその自我というか、生まれて、
思春期になってから、そういう感覚が。
うーん。
逆に小学校の時、そういう落ち着きない子とか見て、何でだろうな、みたいな。
近藤淳也
そっちだったんですか?
いやいや、どっちかっていうとそっちの方が
梅澤杏祐実
素直に自分の気持ちを体現してたんやと思うけど
確かに
近藤淳也
そっちではなかったんですね
梅澤杏祐実
あんまそんな多動とかではなかったとは思うんですけど
近藤淳也
へぇ~
梅澤杏祐実
まあ今の方が多動かも
あんまりじっとコアキングスペースで 仕事してるよりその辺ブラブラ
歩きたくなったら歩いてみたいな感じかもしれない
近藤淳也
喜んでるわ、きっと。
志摩若奈
喜んでますよ、心がね。
梅澤杏祐実
でも別に、会社員とか働き方でも そういうのができるんやったら、全然いいなと思うし、
全然、どっちがどっちっていうもんでもないなと思うんですけどね。
近藤淳也
みんな意外と我慢してる人多いんかな
志摩若奈
そうですね
しかも幼少期からというか
10代とかから何か感じてたものがある人って
結構当時はそんな話みんな
友達同士でしないですけど
大人になって振り返って話してみると
意外といらっしゃったりしますよ
近藤淳也
なかなか急に動き出せないですもんね
なんか本当は動けるじゃないですか
こう今例えば
梅澤杏祐実
物理的には、別に何も縛られてるわけじゃないけど、
志摩若奈
本当に動くのって、むっちゃ難しいです。
近藤淳也
授業中いきなり立ち上がるとか、
志摩若奈
すごい頭で押さえてますよね。
自分で押さえてるのか、あれも。
梅澤杏祐実
だって、別に動け。
近藤淳也
それ言ったら、道路歩いてるときに、
急に逆向きに歩くとかも、めっちゃ難しくないですか?
志摩若奈
たまにでもいません?
近藤淳也
いません。僕はそれやるんですけど、
志摩若奈
やるんかい。
梅澤杏祐実
なんか「おい」って、なんか周りの人「え?」ってなるじゃないですか。
近藤淳也
なんか、あいのとかも意外とその、
みんな本当は「あっ」って思って、
すぐ後ろ向かなきゃいけないのに、
向かない人とかいるんちゃうかなってぐらい。
志摩若奈
確かにわかる。わかる。
なんか歩いてても、
なんか私結構、
その遠くから向かって歩いてくる人に 配慮するのが早いんですよ
なんかこうギリギリになって避ける人とか いろんなパターンあるじゃないですか
近藤淳也
避けない人とかね
志摩若奈
避けない人もいるじゃん
怖いけど
近藤淳也
なんで避けないのかって思うよね
志摩若奈
そういう人出会ったら逆に私も避けんとこう とかたまに思っちゃうけど
梅澤杏祐実
どんなタイミングで避けるやろなみたいな
志摩若奈
それがなんかギリギリな人もいるけど私ギリギリでわーわーってなるのがお互い嫌やから
すっごい前もって数十メートル先からこの人のそのズレというかどっちに行くやろなーって思って
私が思い切りわかりやすく私右行きますからねっていうのをわかりやすくやってお互いにスムーズに行くようにっていうのを考えているから
でも別に負担じゃないんですよ。
ギリギリでわーってなるの避けたくて、それをやるから、
多分みんな街中とか、普通に過ごしてる中でも、
無意識に調整してることあるんやろうなって思いました。
話聞いて。
梅澤杏祐実
なるほどね。
全然意識したことなかったですけど。
確かに。
近藤淳也
意外と何でも行動できそうで、
すごい頭でしばってることって 多い気がするので、
志摩若奈
多いかも。
梅澤杏祐実
確かに確かに確かに。
近藤淳也
あんまり自由じゃないなって。
梅澤杏祐実
自由じゃない。
近藤淳也
自由なら、自由なほど いいのかどうかは わからないですけれど。
梅澤杏祐実
別に我慢することが 悪いことじゃない気はしますけどね。
ほどよい緊張感だったりとか、 それはそれで全然ね。
自分の野生的な一面と大人としての統合
志摩若奈
すごい、野性的になっちゃいますもんね。
全部本能で 秩序乱れまくるし
近藤淳也
そうですね
行動の読めない動物みたいな感じになっていきますね
志摩若奈
野生化しちゃうから
多少は必要かもしれない 人間だったら
近藤淳也
そうですね
梅澤杏祐実
でも今すごい思ったんですけど
大人になってかかっていて
その自分の中の野生と
その人間としての部分というのは
なんか統合していく部分なのかなと思って
その調整を 四旬期に やってたんかなっていうのは
今思うと そういうことか みたいな
志摩若奈
確かに 最初に 多分四旬期って その大人の自分というか
理性が働き始めるから 今までの本能的な 野生的な自分でいたのに
確かに確かに 理性が来てくるから
ちょっとわかんなくなっちゃったり 多分 大変な人が多くて
梅澤杏祐実
確かに確かに
志摩若奈
そこでいろんな壁を感じながらも自分の中で調整していて
大人になってからちょうどいいバランスというか心の感覚をつかみながら
っていう今おっしゃってた統合ってすごいまさにな感じですね
梅澤杏祐実
確かに
志摩若奈
なんかこのラジオで言っててそういうことかみたいな気づきました
自由な行動の制約とバランスの取り方
近藤淳也
順番が逆の人もいるかもしれないですけどね。
僕はどっちかというと、大学時代からドロップアウトっていうか、
大学院を中退したところぐらいから、
梅澤杏祐実
大学入ったぐらいから、もう完全にフリーな方に。
近藤淳也
高校までは教室に毎日いて、
ちゃんと勉強して、受験勉強して、大学受けるまでは頑張ってましたけど、
受かってしばらくしたら、もう授業も行かなくなってみたいなところから、
なんていうんですか、肩から外れちゃってるんで、
そのまま、新卒の就職もせずに、
起業してっていう感じなんで、
その大人の、なんていうんですか、
梅澤杏祐実
統合してみたいな。
志摩若奈
統合する方に、もう最初から入り口から 揃えていって、
本当だ。
近藤淳也
入ってないんで、逆に会社であって、
組織みたいなの自分で作って、
社員さんとか増えてきて、
志摩若奈
するとやっぱルールがいるんだなみたいな
そうか
近藤淳也
ルールなんかいらんやろって思ってたけど
いるんだなみたいな感じで
だんだんどうしても必要な方っていうか
そのみたいなものを
ちょっとずつ増やしてるっていうか
梅澤杏祐実
これはやっぱ必要だったんだみたいな
近藤淳也
順番な感じがします自分
志摩若奈
そうなんだそういう流れの順序の人も
やっぱいるんですね
近藤淳也
まあでも、確かに高校とか中学は きつかったっすね。
志摩若奈
結構。
梅澤杏祐実
へぇ〜。
近藤淳也
めっちゃ、なんか今もっと我慢してた気がします。
志摩若奈
本当に動き出したかったです。教室のとき。
近藤淳也
なんかすごい、窓際、高校2年ぐらいのときに、
窓際席だったときのことをすごい覚えてて、
志摩若奈
その窓を割りたい、すごい思ってて、
近藤淳也
こう、何かを持って今すぐ割るのは、できるじゃないですか。
志摩若奈
なんか持つ剣割るのは多分10秒ぐらいできますよ。
で、それをできるその可能性についてずっと考えてたのをめっちゃ覚えてます。
狂暴だった。
近藤淳也
ガーッて割りたいっていう。
志摩若奈
内に秘めてたんですね。
いや、ほんとでも結構ずっとそれ考えてたってこと。
梅澤杏祐実
そしたら空気も通って気持ちいいやらないやらない。
志摩若奈
そんな子がいたんだ、教室に。
梅澤杏祐実
でも何人考えてるかもしれないですよ、みんなね。
近藤淳也
みんな意外とね、
志摩若奈
怖い!みんな考えてたら怖い!
近藤淳也
誰かを気づけたいとかじゃないんですよ。
ただなんかその、この、この感じ、崩してやりたいみたいな。
梅澤杏祐実
わかる、わかる。
近藤淳也
わかります?
志摩若奈
あー、そっか。
えー、じゃあ意外と、なんかこうやって話してたら、
ほんと、いろんな葛藤というか、教室みんな、かしこまって、
おとなしくというか、いるような感じだけど、
内側の自分は、すごいことにみんな、なってたと思ってますね。
近藤淳也
だって、もともと元気な年代で、動き回りたいというかね。
梅澤杏祐実
ですよね。
志摩若奈
狭いですしね、教室も。密度高いというか、ギューって押し込まれて、ランダムに。
梅澤杏祐実
そうですね。
近藤淳也
あとは、こっちから喋らせてくれるなら、まだしもって感じですよね。
まあまあ指動かして、手動かして勉強するとかでもまだいいんですけど
梅澤杏祐実
ずっと話聞くってちょっとね
きついですよね
志摩若奈
確かに
しかも聞きたいって言った話でもないことですもんね
その授業を選んでるわけじゃないし
梅澤杏祐実
小学校、中学校とかって
志摩若奈
先生もこう、まあ縁があった人というか
自分でお願いして聞く人じゃないし
梅澤杏祐実
確かに確かに
志摩若奈
不思議ですよね
近藤淳也
ちょっと 不自然なんでしょうね、なんか。
志摩若奈
生き物的には。
梅澤杏祐実
ほんとに。
まあ、でも当時は 言語化できなかったですけどね、そういうことがね。
それこそ、ガラス割りたいって思ったことは ないけど。
近藤淳也
なにですか?
志摩若奈
すいません、ちょっと 暴力的すぎました。
つぼり合いで。
梅澤杏祐実
いや、めっちゃ 面白かったな、あたって。
面白すぎますね、それ。
近藤淳也
あ、そうですか。面白すぎますか。
なんか、特に、特に、小分の時間が無理でしたね。
無理っていうか、すごいなんかこう、イライラしてしまう先生がいて。
志摩若奈
ああ、そうなんだ。
近藤淳也
うん、なんか、丁寧すぎるんですよ、言葉が。
志摩若奈
で、嘘っぽいっていう。
丁寧すぎて嘘っぽいんや。
はい。
が、なんかそういうのが、我慢ができなくって。
近藤淳也
なんか時々思うの、あれ、僕、割ってないよな。
志摩若奈
割ってることを考えすぎてて。
これ現実じゃないよね?って。
よかった。
近藤淳也
いや、もう面白すぎますね、コントさん。
ありがとうございます。
志摩若奈
まさかそんなに受けていただけるとは。
大壺。
近藤淳也
まあ、そういう人いっぱいいますよ、きっと。
梅澤杏祐実
そうですね。
今は別にそういう自分を認められてるから
まあ全然なくですけどね
近藤淳也
それでもインタビュー
色々な雑誌とか
経営者のインタビューとかもされてるんですよね
色々ありますが
好きなやつとかあります?
これが面白いとか
梅澤杏祐実
へぇ
仕事での面白さと発見
梅澤杏祐実
正直何々専門のライターとかではなくて
毎回、全然興味がなかった分野とかの方が 結構多くて、
でも逆に、それがすごい毎回面白いなっていうのは 思いますね。
近藤淳也
じゃあ、知らない世界を知れて、 それがちょっと面白いみたいな。
梅澤杏祐実
そうです。
なるほど。
志摩若奈
なんか、その発見というか、 知らないことを知れた瞬間とかが、
今の仕事で面白いとか感じる時ですか?
梅澤杏祐実
そうですね。なんかでも、一番はすごい、
いろいろこうやって話をして、言葉にして、
それで、それを記事にしていくわけじゃないですか。
なんか、それを組み立てていって、
階段に登っていくような感じ。
で、階段から登っていって、
志摩若奈
「あ、景色が見えたな」みたいな。
近藤淳也
かっこいい。
景色が見えた。
それは作品としての記事が出来上がった、みたいなことが、
景色が見えたって感じですか?
梅澤杏祐実
それともなんか、話の内容が理解できた、みたいな話ですか?
とか、それをま、なんかこう、統合じゃないですか、こう合わせて。
感じで。
まあ、聞いてる時とかもね、ただ一心不乱に聞いてるんですけど、
で、後から全部合わせて、
なんかやって、
それを、いろんな行ったり来たりしてる話をまとめて、
で、これってこういうことなんかな、みたいな感じで言葉をまとめてって、
なんか、記事書くのすごい登山みたいだなと思って、
志摩若奈
なんか、すごいスッキリするな、みたいな。
なるほど。
記事作成の過程
梅澤杏祐実
出来上がっていく過程が頂上に向かって山登ってる過程みたいなが繋がる感じですか
なんかそんな感じですかね
なんか階段に登って景色が見えて綺麗だなって
なんかそこからまた降りなきゃいけないのがちょっと大変だったり
面倒くさいなって思う部分もありますけど
近藤淳也
そのなんか遂行したりするっていうか
それ降りるイメージなんだ
はいまた同じ場所というか同じ場所をこう見てっていう
ほんと登山っぽいですね
下り道もあるんですね
梅澤杏祐実
その下り道もありますね
へー
近藤淳也
島さんもそんな感覚ありますか
志摩若奈
うーんでも今聞いて確かにって思ったのは
なんかじわじわ形になっていくから
なんか取材の時とかって
本当に相手のなんか気持ちとか
考えてることとか
なんかその空気というか
抽象的な感じで深まっていったり
その場の展開で、言葉とかその時生まれる話が変わっていったりっていう 流動的な感じの時間があって、
その後にそれが文字起こしされて、形に一旦は形になったものを、
より伝わりやすい形とか、伝えたいことが伝わる形とかに、組み立てていったりとか、
お相手のその意図とか思いを、そのままできるだけ記事に反映できるような形で、
考えていって、言語化して、で、出来上がって、っていう、
確かに、過程はすごい分かりやすくあるというか、実感しながら進められる仕事やなっていうのは、
今お話し聞いて思ったので、なんか感覚は似てるなって思いました。
梅澤杏祐実
一つ、そうですよね、文章っていうものに まとめていくっていう意味では、形がちゃんとあるから、
近藤淳也
できた、みたいな瞬間があるってことですよね。
梅澤杏祐実
うまくは言えないんですけど、
そうやって一つの、やっぱり、一つの筋にしていくっていうか、
なんかまあ話聞いてる時はあっち行ったりこっち行ったりとか
交流動的やったりしていくものを
なんか一つのスポットライトを当てて筋にしていくっていうか
そうするとなんかすごいすっきりして
なんかこう流れるっていうか
志摩若奈
いやわかるな
その流れる、すっきりするみたいなのわかります
なんか通っていくというか
うんうんうん
梅澤杏祐実
あ、そうそうそう
志摩若奈
ね!
なんか雑談にその話題とか空気感とか
その時の言葉が ブワーってなってる、
なんか、文字おこしとかにしたら、
1万字とかを こえるようなものを、
なんだろう、この1つの その人が伝えたいすじとか、
なんか、ここやなっていうのを、感じながら、
そこを大事にしながら、言語化していって、
だから、道筋が見えてく感じとか、
なんか、クリアになっていく、
近藤淳也
過程みたいなのを すごい 共感します。
梅澤杏祐実
なんかすごいね、心も体もスッキリするって。
インタビューのスタイルと文字起こし
志摩若奈
わかる、私。
梅澤杏祐実
心も体もスッキリするんですか?
志摩若奈
上澤さんの、これカットでも大丈夫ですけど、
Twitterを拝見したんですけど、
お腹の調子も良くなるんですって。
記事書き終わったらスッキリして。
近藤淳也
そうなんですか。
梅澤杏祐実
あまりみんな言わないと思うんですけど、
なんかすごいお通じが良くなって。
志摩若奈
へぇ〜
ツイッターに書いてるの?
そうそうそう
梅澤杏祐実
なんかそれがすごい
なんていうんですかね
ライフスタイルとしてもワークスタイル
近藤淳也
ライフスタイル?
志摩若奈
体にいいなみたいな
近藤淳也
そうですね
そんな体とやっぱでもつながるんですね
梅澤杏祐実
なんかスッキリしますよね
志摩若奈
お腹に関しては
共感実体験はないけど
でも、すっきりかわかります。 体もすっきりはわかります。
梅澤杏祐実
そうそうそうそう。
結構ね、海の苦しみとかも あるんですけどね、
余計にすっきりして、いいですね。
本当に続けていきたい仕事やな っていうのは、と思いますね。
近藤淳也
ちなみに、文字起こしは 1回はするんですよね。
生のインタビューされたら、
一旦は全部文字起こしをするものなんですか?
私は実は文字起こしあんまりやらなくて、
梅澤杏祐実
もともと新聞記者やったので、そういうこと自体、
近藤淳也
取材でメモ書いてみたいな感じですか?
梅澤杏祐実
はい。あまりそういう文化というか、
手法がなくて、もうすぐに毎日締め切りみたいな感じやって、
で、そんな難しい長い文章も 記事もそんなにないので、
基本的にはすぐに記事にする みたいな感じあったので、
志摩若奈
すごい!
近藤淳也
じゃあ、さっき島さんがおっしゃってた、
要は、組み替えるというか、 流れを一個作るみたいなのは、
もう脳内で記憶をもとに作るって感じですか?
梅澤杏祐実
どっちかというと、そうですね。
なるべく直後にすぐに、間違っててもいいから、結構やって、
それがやりにくい時もあるんですけど、
ある時期から、新聞記者やってた時に、
それこそメモ見ながらとかやってたんですけど、
ある時期から自分の脳で感じた、ここがすごい重要やなみたいな、
それをもとに、バーってやる方が、
早いし、わりと正確やったりするんかなって思って、
正確じゃないこともあるんで、
文字起こしも必要なんですけど、
基本は、だいたいまず記事にしちゃって、
そのあとで確認も含めて、文字起こしするみたいな感じ。
近藤淳也
じゃあ、記憶をもとに大事そうなことを、
梅澤杏祐実
言ったら、体でまず生み出して、
近藤淳也
その後で文字起こししたもので 事実確認するみたいな感じなんですか?
梅澤杏祐実
そうです。
志摩若奈
記憶力はんぱなくないですか?
インタビューって 1時間ぐらいはありますよね?
梅澤杏祐実
そうですよね。
志摩若奈
ですよね?すごい!
よく覚え…細かいところまで 言語化できるまでの記憶がありますね。
最初の段階で。
梅澤杏祐実
でも、掘り起こしてみたいな感じで、
こんなこと言ってあったなぁ みたいな感じでやって、
それが うまくいかないこともあるんですけど、
とりあえず最初に会って、例えば小石に会ってきて、
「こんなことやったんや」みたいな 言いたい時とかあるじゃないですか。
それをその感覚で、これ誰かに伝えるとしたら、
まず最初に何を言いたいやろうな、みたいな。
近藤淳也
でも確かにね、それ言うより、
今日僕が家帰って、きょうは梅田さんと話して、
「なんだよ」って言ったら、どうやった?って言われたら、
こんなことやってる人ですとか、なんか多分 一番印象のことから確かに言うんやろうなと思うから
志摩若奈
確かに
梅澤杏祐実
まあそういうことですよね。そんな簡単に言ったら失礼ですよね
ままでもそういうシンプルな感覚で、まずなんか
あ、これやったなみたいな感じでまず始めて
とりあえずそれの感覚をまず優先して
志摩若奈
いや、いいこと聞けた。いいですね
近藤淳也
全然じゃあスタイルが違うってことですか?島さんと
志摩若奈
ちがいました。
私は、文字起こしを 機械というか、AIでできるので、
結構、正確なんですよね。
近藤淳也
乗ったか、なんかですか?
志摩若奈
えっと、オートメモ。
梅澤杏祐実
オートメモ、そうなんですか?
志摩若奈
そうです。
を使って、結構、ちゃんと、丁寧に、正確に出るから、それを一旦して、
その後で、話題ごととかに この人が本当に伝えたかったこととか、
軸となるようなのをつかんでいって、 なんとなく頭でイメージしてから、
記事にまとめていくっていう感じなので、
最初から、梅沢さんの話を聞いて勉強になったのが、
自分の心に響いたことって、 最初に人に話したくなるから、
そこから書き始めるって すごいいいなって、
なんか、頭で考えるんじゃなくて、
残ってることを、心に残ってることを 一旦メインにするっていいなって思いました。
マネします。
近藤淳也
ちなみに、インタビューしてからの 期間みたいなのもあるんですか?
梅澤杏祐実
例えば、一晩寝かした方がいいとか、 すぐやった方がいいとか、
基本すぐですね。
近藤淳也
すぐなんですか? その日とか?
はい、もうその原稿化するのも取材と思って、
梅澤杏祐実
もうその時も自分は拘束されてるんだと思って、
絶対なるべく他の邪魔というか、入らないようにして、
すぐパソコン開いて原稿化できるような感じには、なるべくしますね。
まあ今まで本当にいろんな失敗があるんで、
一晩寝かしたりして、うまくいかなかったこともたくさんあるんで、
近藤淳也
まずは、はい。
ちょっとおもしろいですね。
志摩若奈
おもしろい。
近藤淳也
これ、いろんなスタイルあるんでしょうね。
たぶん、ライターさんによって。
志摩若奈
たしかに。
そうですよね。
梅澤杏祐実
なるほど。
やっぱり、なるべくすぐに 文字に原稿化したほうが、
そのときの生々しい感じだったりとかが、
ややすくはなるかなと思って。
近藤淳也
なるほど。
聞くのはどうですか?
人の話聞くのって。
梅澤杏祐実
聞くのはすごい好きっていうか、
それこそカウンセラーに興味を持ったのも、
どちらかというと、すごくそれまでは コンプレックスな部分があったんですけど、
うまく話ができないなとか、
友達と会って、気がつくと私ばっかり話聞いてるなとか、
近藤淳也
聞いてる?
梅澤杏祐実
聞いてる側。
志摩若奈
めっちゃここ言いたいのに、どんどん喋るなとか。
話しやすいんでしょうね。
近藤淳也
わかる、でも、ママってこうへんなって 聞いてるときあります?
梅澤杏祐実
まあね、そういう愛情とかいろいろありますけど、
まあ、なんかそういう、どっちかというと そういう特性があって、
利き悪になるっていう。
で、まあ、あまり意識してなかったんですけど、
まあ、そういう仕事にやってて、
自分の特性を活かして生きる
梅澤杏祐実
それはすごいそれでよかったなと思って。
近藤淳也
じゃあ、結構聞くのも好きっていう。
梅澤杏祐実
そうです、そのほうが楽っていうか、基本的には。
だから、正直、このインタビューを受けたとき、しゃべれるかな、みたいな。
志摩若奈
めっちゃね、お話も上手っていうか、わかりやすいです。
梅澤杏祐実
あ、本当ですか。
近藤さんの聞き力がすごいから。
いやいやいや、なんで急に僕に来られても。
近藤淳也
僕もどっちかって言ったら、そうですよ。 聞く側になることが多いですね。
よく喋る人がいると、大体もう「あ、お譲りします」っていう感じで譲って、
梅澤杏祐実
でも、あまりにも来ないと、ちょっと「あ〜」ってなって。
なんか喋りたくなったりしますよね。
近藤淳也
そうですね。
梅澤杏祐実
まあ、なんかね、プライベートでは それがちょっとモンモンとするなぁって
フラストレーションというか 思ってたこともあったんですけど
逆にそれは今までよかったなっていう
逆にこれからもちょっと活かしたいなぁと 思ってるんですけどね
志摩若奈
得意が活かされてお仕事になるくらいだから
なんか、きっと、話しやすすぎて、みんなそうやって おしゃべりになっちゃってたんでしょうね。
周りの人たちが。話したくなるんでしょうね。
まあ、ならいいんですけどね、本当に。
梅澤杏祐実
すごい、自分のことは、そんな理解してもらわなくて いいとまで言わないんですけど、
なんか、人のことをすごい理解したいっていう 気持ちがあって、
なんか、よくわかんないんですけど、
なんか、何か理解したいなぁ、みたいな。
何なの、これ、みたいな。
嫌なことも、いいこととかも、
志摩若奈
昔から理解したいなぁ、みたいな。
近藤淳也
でも、それはちょっとわかります、僕も。
それなかったら、こんなこと、多分、やってもらえたら。
志摩若奈
確かに。
やっぱり、人、みんな面白いんで。
梅澤杏祐実
ラジオに出てくる方、面白いですよね。
そうですか。
近藤淳也
そうですよね。
そう思ってるんですけど。
でも誰でも面白いと思いますけどね。
梅澤杏祐実
ちゃんと聞いたら。
志摩若奈
うんうんうんうん。
ね。
それぞれの人生がありますからね。
毎日日々過ごしてきたっていう。
みんな。
近藤淳也
10年生きるとかっていうだけで、
大事業じゃないですか。
志摩若奈
そうですよね。
梅澤杏祐実
確かに。
近藤淳也
なんかあるでしょうみたいな、
そんな1時間、2時間ぐらい喋る内容はね。
志摩若奈
誰でも。
ありますよね。
梅澤杏祐実
なんか、本当にでも、その思春期って、すごい自分のオリジナルな部分っていうか、
オリジナルに生きていかなきゃいけないみたいな部分が出てきたりするかな、というのは。
自分のコンプレックスを受け入れる
梅澤杏祐実
その、ね、シマさんが上がり性だったっていうのが、私が教室が嫌みたいなとかだったり。
志摩若奈
ね、本当に、どうしたらいいかわからんっていうか。
梅澤杏祐実
確かに。
近藤淳也
改めてこの年になってそういうのを 振り返れるっていうのは
ちょっといいのかもしれないですね
志摩若奈
そうですね
近藤淳也
統合語の世界
志摩若奈
統合語の世界
いや、そうやと思う
みんな統合された県こそ話せますもんね
過去とこうでって
梅澤杏祐実
そうですね、本当に
近藤淳也
はい、じゃあ目沢さんちょっと 今後とかなんかありますか
これからやっていきたいこととか
梅澤杏祐実
そうですね
それこそそういうカウンセラリングみたいなお仕事が
そこに興味を持ったのも
インタビューってそれはそれですごい良いんですけど
やっぱりそれを記事にする負担とか
ジャッジしちゃうというか
それは自分が未熟な部分もあるんですけど
あの、なんていうのかな、
そうやって人の話をちょっとジャッジしちゃう部分とかが出てきちゃって、
本当にもっとその話を純粋に聞くとか、
なんかその人っていうものをもっと理解するとか、
そういうこともできるといいなっていうのは、
思いますね。
そういうことももし仕事とかできたらいいなっていうのは、
はい、思ってますね。
なんか、ままいつき京都には、声は、多いと思ってますけどね。
なるほど。
じゃあ、またお会いできる機会も、ありそうな気もしますし、
近藤淳也
なんか、シマさんとも、いつの間にか会ったりとかするかもしれないですけど。
志摩若奈
ぜひぜひ。
私も京都が好きで住んでるタチなので、一緒なので、会いましょう、京都でまた。
近藤淳也
ぜひぜひ。
ちなみに、ほかのとこにも行ってみたいな みたいなのあんまりないんですか?
京都。
志摩若奈
うん、確かに。
梅澤杏祐実
でも京都すごいちょうどよくって、
知り合いもいて、知らない人もいてっていうのが、
両方今の自分には楽しみやすいなっていうのは。
昨日それこそビアラボさん近くの飲み会行って、
仲良くなった常連さんと約束して一緒に行って、
近藤淳也
で、そこで外国人の方と、飲んでるうちに仲良くなって、2軒目行って、こんな感じで。
面白い。
志摩若奈
楽しそうですね。
梅澤杏祐実
なんか、楽しかったですね。
そういう知ってる人と知らない人を両方に出会えるっていうのが楽しいなと思って。
近藤淳也
なるほど。でも、移住とかでもないんですよね。
梅澤杏祐実
そうなんですよ。なんか、やっぱり一晩離れただけで、実家の猫が恋しくなりそうです。
そうなんや。
近藤淳也
そこですか。
志摩若奈
猫ちゃんがいるんだ。
梅澤杏祐実
そうなんです。
もう、それが、やっぱり数日だけっていう、だいたい数日で、もう、やっぱり帰りたくなって。
猫ちゃん。
志摩若奈
何歳ですか?
梅澤杏祐実
今、2歳ぐらい。
近藤淳也
結構最近ですね、じゃあ。
梅澤杏祐実
そうですね。一回前の猫が亡くなっちゃって、
で、またご縁があって、
志摩若奈
で、いつも布団の中入ってきて眠るんで、
かわいい。
梅澤杏祐実
だから、こっちに来て一人で寝るのが寂しくて。
そうか。
近藤淳也
なるほど。
梅澤杏祐実
でも、だんだんこっちにいると、
もっと人に会いたいなと思って、京都に来てって感じで。
近藤淳也
猫ちゃんだけなら、猫連れて京都に住むこともできますけど。
梅澤杏祐実
いずれね、そういうこともあれば。
近藤淳也
そういうのも一応ありえるんですかね。
梅澤杏祐実
はい、なんかご縁があれば。
今は別に、その島さんがおっしゃってたように、
なんかここに住みたいとか、
そういう具体的な場所があるわけではないので、
京都を楽しみつつって感じで、
まあ、そういう場所が見つかったり、いいところがあれば、
住んでもいいなーっていうのは すごい思ってますね。
住みたいなっていうのは。
志摩若奈
なんか、しんまさんから聞きたいこととか ありますか?
なんか、いっぱい、途中でも いっぱい入っちゃって聞いちゃいましたけど、
なんだろう。
じゃあ、これからの生き方的に、
今までのことでもいいですけど これを結構大事にして
ここは普段の生きる生活とかで これはいつも大事にしてますとか
これからもここは大事にして 生きていきたいとか
なんか心がけてることありますか?
自信を持って生きる
梅澤杏祐実
そうですね なんかさっきコンプレックス っていう話したんですけど
結構ずっと子供の頃から 自信がなかったというか
そういうメンタル的な部分に なったきっかけもあると思うんですけど
そういうコンプレックスだったり そういう部分があって自分の中に
志摩若奈
でも今は逆にそういう自分の特性を生かして もっと生きていきたいなっていうのをすごく思いますね
生かしていきたいみたいな気持ちなんですね 今は
そうですね。
すごい、それってすごいことですよね。
なんかそこを認めているし、
しかも前向きに活用したいっていう方も見てるし、
なんか受け入れ、
今まではそのコンプレックスっていう言葉になってるみたいに、
その受け入れにくかったことを今受け入れてるし、
しかもそれを活かしていきたいみたいな、すごい変化ですね。
梅澤杏祐実
そうですね、本当になんかいろんな出会いがあって
それこそシマさんのラジオ聴いていいなと思ったりとか
なんかいろんな出会いがあって
もっともっと自信がなくて
いろんなことが不安だったり劣等感とかあったけど
でもなんかそれって逆に強みになったりするのかな
っていうのを持って
そういうことを活かして歓迎できたりとか
自分の喜びに変えたりとかできたらいいなぁ というのも思いますね。
志摩若奈
素敵ですね。
近藤淳也
いや、その人の話ちゃんと聞ける人っていうのも そんな多くないですよね。
梅澤杏祐実
そうですか?
近藤淳也
こんなこと言ったらあれです。 自分もあれですけど、
さっきの聞く側だったっていうのも才能だと思います。
志摩若奈
才能ですよ、完全に。
そうですか。
だって話したくなる人って そんなみんなじゃないですか、人。
そのお友達も梅沢さんだったから 話しちゃうとかだったと思うから、
才能ですよね、完全に。
近藤淳也
そう思います。
梅澤杏祐実
そこそこそこ。
ならもっと才能を活かして生きていきます。
そんな感じですね。
近藤淳也
いいですね。
じゃあ、梅沢さんにとっての 幸せって何ですかっていうのを最後に。
梅澤杏祐実
ありましたね、それも。
幸せ。
本当にその心と体がすっきりすることと、
あと自然も好きだし、
そうやって居心地よく生きていることが幸せですね。
近藤淳也
自由に。
梅澤杏祐実
自由に。
志摩若奈
動きたくなったら動く。
近藤淳也
それキーワードですね。
動きたい時は動きたい。
梅澤杏祐実
めちゃめちゃ休みたい時とかね、止まりたい時は全然止まって。
近藤淳也
なるほどね。心と体と自然。
梅澤杏祐実
なるほどね。
近藤淳也
いろいろやっぱり統合ってありましたけど、
なんかこう、うまく調和してるというか、そういう感じなんですね、なんかきっと。
梅澤杏祐実
そうですね、本当に今はこれからもっともっと調和して生きていきたいですね。
なんか今まではいろいろ不安だったり、自信がなかったことをもっと自信を持ってやっていきたいなと。
近藤淳也
いやー楽しみです。
梅澤杏祐実
ありがとうございます。
近藤淳也
じゃあそんなところにしましょうか。
梅澤杏祐実
はい、ありがとうございます。
近藤淳也
じゃあどうも今日はありがとうございました。
志摩若奈
ありがとうございます。
さようなら
01:32:06

コメント

iPhoneだと、返信フォームが下の方に出て、気づかない問題に対応しました。 自動的にフォームが表示されるところまでスクロールするようにしたつもりですが、どうでしょうか?

コメントが付くとメールが来るようになりました! どうでしょうか?届きますか?

めっちゃ星くれるやん⭐️

リプライは書けそうですけど、まだ書けません😅 (上のやつはDBを直接操作😊)

スマホからも書いてみます。 スマホは、書こうとすると、テキストエリアが拡大するんですね。へえー。 改行したら、欄が広がった方が良いんでしょうか?

スマホからも書いてみます。 スマホは、書こうとすると、テキストエリアが拡大するんですね。へえー。 改行したら、欄が広がった方が良いんでしょうか?

jkondo jkondo

コメント欄、いっぱい付くと、どんどん長くなりますね。。

わ!ゆりさんだ! コメントありがとうございます!

jkondo jkondo

そうですね、ブログみたいな感じで、内容への感想とか、コメントを書いてもらう想定でした。 あとは、なかなか入らない(笑)、お便りコーナーとかにも使えるかな、と思ってます😊

jkondo jkondo

デフォルトさんアイコンが入っていなかったので入るようにしました😊

返事が来るとメールが飛ぶようになりました!

お返事くれてうれしいですー😭😭

いらっしゃいませ

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