近藤淳也
じゃあ 梅澤さんですけども、
今回 2回目の滞在中ということですかね、アンノウに。
梅澤杏祐実
どんな滞在ですか、今回は。
どんな滞在?
ドミトリーで 4泊5日のウィクリーのプランで。
近藤淳也
なるほど。
志摩若奈
観光ですか、今回?
梅澤杏祐実
そうですね 観光みたいな フリーランスなので 仕事もしながらのつもりですが
ほとんど遊びになっている
近藤淳也
遊びになってる そうですか
ちょっと簡単な自己紹介を お願いしてもらえらしいでしょうか
梅澤杏祐実
ライター フリーランスで ライターをしております 梅澤といいます
普段は福井に住んでて、
ほぼ毎月ぐらい京都が好きで来てて。
近藤淳也
もともとですか?
梅澤杏祐実
そうですね。ここ2年か1年ぐらいは、
結構頻繁に来てて、
で、アンノーンも前から知ってはいたんですけど、
私と同じようなスタイルの人が
結構いるんだなっていうホームページで見て、
なんかね、そういう、なんか変な人、私ぐらいが変な人って言う。
近藤淳也
変っていうのは、変っていうのは何ですか?
仕事もないのに、通うみたいなことがあってことですか?
梅澤杏祐実
はい、別になんか、どっかね、観光というか、そんなわざわざ行くわけじゃないけど、
まあ、なんかパソコン持って、毎月京都、なんか大体数日ぐらいとか、2泊だったり、いろいろなんですけど。
近藤淳也
へー、それじゃあ、もうアンノーンに来られる前から 続けていらっしゃるってことですよね。
梅澤杏祐実
そうですね。
近藤淳也
京都に毎月来られて。
梅澤杏祐実
そうですそうです。
近藤淳也
それ、何されるんですか?
梅澤杏祐実
時々仕事、パソコンで。
で、時々ふらっと歩いて、
なんか京都トレイラー歩いてたこともあるし、
なんか本当に裏道ですよね。
観光の裏道、東山コースとか、
わざと観光地を挟みつつ、めっちゃめっちゃ裏山なんですよね。
近藤淳也
そうですよね。
梅澤杏祐実
そっちは僕も結構詳しいんですけど。
とか、わりと、なんかそんな感じで裏道を歩いてる感じですね。
近藤淳也
じゃあ、お一人で来て、仕事もちょっとするけど、
京都をぐらぐら歩いたり、みたいなことを ずっと定期的にされてるんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。気がついたら、
そろそろ京都に行きたいなとか。
志摩若奈
そういう感じじゃない?
呼ばれる感じなんですね。
そろそろやなみたいな。
梅澤杏祐実
なんか勝手に行きたいみたいな。
呼ばれてるかどうかわかんないですけど。
なんなんです?それって。
近藤淳也
たまにちょっと違う場所に行きたいみたいなことですか?
梅澤杏祐実
でも、多分物書きあるあるかもしれないんですけど、
なんかやっぱりちょっと、船いる場所よりも
ちょっと違う場所に置いて、なんか進めたいなとか。
仕事を、なんか、よくホテルにこもって、
仕事したいなぁとかっていうのとか、
ああいう感覚に近いのかなと思うんですけど、
ちょっと一旦、この、おいて、
普段の自分をおいて、もうちょっと客観的に、見たいなぁと。
志摩若奈
え〜、やっぱり、
それ今聞いて、思ったのが、
なんか、場所移動したら仕事の感覚とかって変わります?
やっぱ、違うなぁとかあるんですか?京都来たら。
梅澤杏祐実
あ~そうですね、なんか
電車で移動してる時点で
なんかちょっと気が楽になった感じがあって
なんか、あ、そんな重く考えなくてもよかったや
みたいな感じをずっと繰り返してて
志摩若奈
そうなんですね
近藤淳也
そうですか、何がそんな重いんですか
梅澤杏祐実
分かんない、気が付くと普段は
自分の中で足枷を作ってるのか分かんないですけど
なんかそういうの今思い出したら
フリーランスになったのが2019年なんですけど、
その時にたまたま知り合いから勧められて、
ライター道場というのに行ってて、
大阪でやってるんですけど、
福井から毎週大阪に帰ってたんです。
志摩若奈
すごい!タフ!
梅澤杏祐実
結構それきついなっていう、参加する時から、
とりあえず京都に友達がいたので、
ちょっと泊まらせてもらえんかなとか、
ていうのは おねがいしたりしてたんですけど、
まあでも、なんか意外と、
志摩若奈
毎週、関西に行くっていうのが 楽しかったんですよね。
梅澤杏祐実
どっかで きついときもあったんですけど、
でも意外と、客観的に、
近藤淳也
ふそとかの見られるみたいな感じがあって、
で、続いてるんですね。
梅澤杏祐実
そうですね。あの感覚が好きで、多分。
志摩若奈
へー ライター道場はライターを教わる教室みたいなものですか
初めて聞いたんですけど
梅澤杏祐実
ああなんかそういうことなんですけど
でもなんか道場っていうのをつけたのは
なんか道場破りをしてほしいらしくて
近藤淳也
ライターが道場破り?
梅澤杏祐実
どうやれば破ったことないですか
なんか一応教えるけどそこに来た人も
一緒に、なんか、なんて言うんですかね、
いや、なんか、もっとこう、討論というか、議論みたいな感じのことを、
狙ってたというか、思ってやってたらしいですね。
近藤淳也
教えるだけじゃなくて、来た人からも何かを吸収しよう、みたいな。
そんな感じの。
梅澤杏祐実
でも、実際は毎週、課題とか大変だったんですけど。
近藤淳也
じゃあ、結構ガチで教えてもらうって感じなんですね。
梅澤杏祐実
はい、そうですね。
まあ、今はもっと楽しかったですけどね。
近藤淳也
なるほど。でも、福井からだと、やっぱ京都は、隣です。
隣じゃないんか。
梅澤杏祐実
隣って、隣なんですけどね。
近藤淳也
一応、つながってはいるけど、市街を経由して、サンダーバードに乗ってやってくる。
梅澤杏祐実
そうですね。最近は、もう普通電車で。
近藤淳也
そうなんですか。
何時間ぐらいです?
梅澤杏祐実
2時間40分。
近藤淳也
2時間40分。
梅澤杏祐実
結構、意外と行ける。
近藤淳也
そうですね。
梅澤杏祐実
なんか、鶴ヶまで普通で行って、 鶴ヶ、鶴ヶ駅って福井にある所なんですけど、
近藤淳也
わかります、わかります。
梅澤杏祐実
そこから新海側、姫路行きの 行っていくんですけど、
近藤淳也
鶴ヶからもう新海側で 一本で来れるんですか?
梅澤杏祐実
そうです、今。
近藤淳也
姫路行きがあるんですね。
梅澤杏祐実
はい、そんな感じで。
近藤淳也
じゃあ、そんな遠くないですかね。
梅澤杏祐実
そうですね。
なんか、そうやって乗り換えしてると。
で、鶴ヶで最近本屋もできて、
なんかそういう待ち合わせ時間とかも わりと過ごせて、
20分なんでそこ行ってすぐ戻る みたいな感じなんですけど。
近藤淳也
なるほど。
じゃあそういう習慣があって、
で、最近アンノーンにも来てくださってるっていう。
梅澤杏祐実
そうですね、なんか。
志摩若奈
なるほどなるほど。
アンノーンに再来した決め手あったんですか? ここがいいなみたいな。
梅澤杏祐実
なんか、勝手がわかってるのが一番。
志摩若奈
そこで優しく聞いてあげる
厳しく問い詰めるようにじゃなくて
優しくどう感じてるのとか
どういう気持ちなのって聞いてあげたら
教えてくれるから嬉しいですそれが
近藤淳也
これでやってるのか知らないですけど
例えば僕、今日もちょっとあったんですけど、なんかちょっと元気なかったんですよ。
というかなんかしんどいなって思ってて、何かなと思って、ちょっとそういう時間を作ったら、
昨日ちょっと、とある方と話したときに、その方のちょっと態度が冷たく感じたのが結構引きずってたかなって、だんだんわかってきて、
で、確かにあれちょっとね、そんなに あっからさまな感じじゃないし、
全然パッと見、そんな横から見たら 何も起こってないようにしか見えなかったと思うんですけど、
僕はそのちょっとしたことが、ちょっと気になってたんだねっていうのを、
なんか一旦わかったら、結構お腹が高くなったりとかして、
へぇ~。
とりあえずそれでどうこうっていうよりも、
一旦ちゃんと、あれがちょっと冷たく感じたんだよね、多分とかやって、
わかってあげただけで、結構、もうそれで収まるのかなーっていうのを、
梅澤杏祐実
島さんとしゃべってから、やれるようになった。
志摩若奈
よかった。
近藤淳也
合ってるんですか、これで。
志摩若奈
もちろん、これが合ってる、合ってないっていうのもないですし、
そうやって、わかってあげるっていうのって、
例えば、目の前に子供がいて、その子供が泣いてたり怒ってたりしたときに、
なんか解決策が欲しいんじゃなくて
なんか悲しいんだよねとか
これで怒ってるんだねってわかってあげたら
落ち着くってよくあると思うんですけど
それと一緒で私たちも
もう子供の頃からその繊細さとか
なんか純粋さって変わってないので本来は
ただ大人になってなんか変わったように感じてるけど
生まれた時のあの感覚のままなので本来は
梅澤杏祐実
だから、わかってあげる当時作って、人間として、すごくナチュラル、自然なことだなって思います。
近藤淳也
だから、気を向けてあげるっていうか、本気でちゃんとそっちに興味を持って、気を向けてあげれば、意外とそれだけで言えるものがあるのかなって、ちょっと思っていて。
シマさんへの報告会みたいになってしまってる。
志摩若奈
いや、すいません。私、熱くなっちゃいました。
梅澤杏祐実
いいですね。ちょっと私もやってみようと思います。
志摩若奈
ぜひ、ぜひ。
梅澤杏祐実
なんか瞑想みたいなやったことは、 教えてもらったことはあったんですけど、
その時のこととか今思い出して、いいですね。 やっぱそういう時間は。
近藤淳也
島さんカウンセリング時間になってきてる。
梅澤杏祐実
本当に。
近藤淳也
梅沢さんの話をします。
梅澤杏祐実
お願いします。
近藤淳也
じゃあ、ちょっと梅沢さんの生き様を聞いていきますかね。
ありがとうございます。
どんなふうに これまで歩んでこられてるんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。京都市内で生まれて、
出身は京都の方なんですけど、今福井にいるけど、
桂川のあたりにいたんですよ、幼稚園の頃。
幼稚園が時輪のあたりで かなり離れた場所だったんですけど、
子供の頃の生活圏は、時輪と桂川のそこを・・・。
近藤淳也
じゃあ、もともと京都なんですね。
梅澤杏祐実
まあまあ、そうですね。親が北海道で、
北海道から、親が歴史がすごい好きで、父親が。
それで京都に移住して、というか、就職して、来て、
そのままそこで生まれて、という感じがあって、
私も子供の頃から、自社仏学、京都のすごい古いものとか、
子供ながらにめちゃくちゃ好きで。
志摩若奈
へぇ〜。
子供から?すごいですね。
梅澤杏祐実
なんかやっぱすごい好きなんですよ。
志摩若奈
だいぶ渋いですね。
梅澤杏祐実
なんか4歳か5歳ぐらいの頃とか、
たぶん神社の境内で農学とか、
農学って現代のものじゃないじゃないですか。
また、いわゆる文化財みたいなものとは 違うかもしれないですけど、
それとちょっと現代と違うものが すごい好きだった。
近藤淳也
え〜?4歳、5歳で?
梅澤杏祐実
はい、なんかめちゃくちゃ 見入ってた記憶とかがあって。
近藤淳也
だって、言葉がそもそも分からないですよね?
梅澤杏祐実
分からないから、余計になんかまた…
近藤淳也
あ、逆にいいんですか?
梅澤杏祐実
だったのかなぁと思って。
近藤淳也
え〜?あんなの子供って退屈じゃないですか。
志摩若奈
大人でもそもそも意味がわからなくて、 なんかね、寝ますけど、なんかね。
近藤淳也
でもなんかすごい好きあって、古いものが。
梅澤杏祐実
まあそれもあって、もうずっと、 小学校で福井に来てからも、
志摩若奈
なんかそのお年玉とかで、京都の神社とか、 お寺とか、何回か来たりしてたんですけど。
そんな昔から縁があったんですね、京都に。
梅澤杏祐実
そうですね。
近藤淳也
ちなみに、親御さんは、そういう歴史系のお仕事ですか?
梅澤杏祐実
いや、全然。
父は、大学、父が理系出て、理系なんですけど、
大学入ってから、こんな歴史ってこんな面白かったんや、みたいなのを気づいたらしくて、
本当はもっとこっちが入れたかったみたいならしくって、
で、じゃあ、たぶん京都に住むことにしたんでしょうね。
だから、わかんないですけど。
近藤淳也
じゃあ その思いちょっと引き継いだかもしれないですね
梅澤杏祐実
まあ たぶん引き継いでるんかなと思いますね 影響は
まあ でも私は私でまた違う感覚で好きというか
志摩若奈
うーん
梅澤杏祐実
たぶん
志摩若奈
えー じゃあ そのもう幼少期 死後歳で古いというか 現代じゃないもの興味持ってて
その後もその興味関心は続いたんですか 大人になるにつれても
梅澤杏祐実
そうですね。もうずっと、
なんか暇さえあれば、そういう歴史の本とか、
そういうのを、わからないなりに、
父がニュートンとか、雑誌の、
そういうのとかよく読んで、置いてあったんで、
そういう雑誌見てたりとかしてて、
でも大学は考古学勉強しようとかって思ってて、
志摩若奈
へー。
梅澤杏祐実
なるほど、なるほど。
近藤淳也
でも心理学に。
梅澤杏祐実
そうなんですよ。
近藤淳也
読学して。
志摩若奈
はい。
梅澤杏祐実
でも本当に、そうなるべくしてなったなっていう感じで、
なんか、多分私自身も、その、なんか、思春期の時から、
なんかこう、色々あったんですよね。
うん。
近藤淳也
なんか、
色々。色々とは。
梅澤杏祐実
その、シマさんみたいに分かりやすく上がり性とかはなかったんですけど、
ある時期から教室の中にみんなでいて、
志摩若奈
同じ方向を向いてじっとしてるっていうのが 耐えられなくなって、
窮屈な感じですか?
梅澤杏祐実
そうです。
今はあまり閉所が好きじゃないんですけど、 閉じられた場所とか。
その思春期ぐらいからそういうのがあって、
近藤淳也
何年生ぐらいですか、それは?
梅澤杏祐実
多分、中学校2、3年生ぐらいからあって、でもよくわからんなぁ、みたいな。
近藤淳也
その違和感みたいな感じるけど、どうしていいかわからない、みたいな。
梅澤杏祐実
そんな感じで、ずっと。
ずっとそれが、多分20代半ばぐらいまで。
結構長い。
近藤淳也
じゃあ、無理やり、なんていうか、アジャストしてるっていうか、現実に合わせて生きてる、みたいな感じですか?
梅澤杏祐実
そんな感じでしたね。
ずっと。
なんかはっきりとしてこれっていうのも、
梅澤杏祐実
これが苦しいってのもわからんし。
で、なんか、うん。
まあ、だからそういう意味で心のこと学べたのは、
なんとなくまあ、
志摩若奈
生きていく上でよかったなっていう感じでしたけど。
近藤淳也
確かに。
梅澤杏祐実
まあ、それでやっぱずっとしんどくて。
15歳ぐらいから、
10年間ぐらい。
近藤淳也
大変でしたね。
梅澤杏祐実
大学とかでも、講義みんなで受けてるのも なんかしんどいし、
で、大学卒業した後、 新聞記者になるんですけど、
福井の地方紙の入って、 新聞紙入って、
で、取材とかで講演会行くのも なんかしんどい。
部屋の中で聞いてるのも なんかしんどい。
近藤淳也
みんな同じ方向向いてね。 ここでもやっぱりそれかって感じですよね。
志摩若奈
確かに。
梅澤杏祐実
英語わかんないけど。
近藤淳也
へー。ちなみに、歩き待てたりとかしたら 楽とかなんですか、それって。
どういう感覚なんですか? ギュッて感じが嫌なんですか?
梅澤杏祐実
なんかうまく言えないんですけど、
みんなでじっと同じ方向みたいな。
割と私、駅とか人が行き交う場所は すごい好きなんですけど、
空港とか。
近藤淳也
じゃあ、群衆が苦手とかでは ないんですかね。
梅澤杏祐実
もともと人ごみとかは 苦手なんですけど、
ただ、それが流動的だと 紛れるんですよ。
志摩若奈
カフェとかだと ちょっと しんどいときあるとかですか?
梅澤杏祐実
でも、カフェだと、
でも、人が行き来してれば わりと楽なんですけど。
やっぱり、一方向向いて、
近藤淳也
しゃべってないのも あるのかな。
ガヤガヤしてたらまだもしとかですか?
梅澤杏祐実
いやー、でもそれもそこに閉じ込められるような、 なんかよくわかんないんですけど。
今はもうだんだん楽になったんですけど、
だから、取材中とか別に全然動いたりとか 写真撮ったりとかはできたりするんで。
動けないのがきついんですかね。
そうやってごまかしてはいたんですけど。
近藤淳也
でも授業中とかどうしてたんですか。
梅澤杏祐実
いや、本当にしんどかったですよね。
近藤淳也
こっそり動かしたりとかしてたから。
志摩若奈
動けることをね。
梅澤杏祐実
それ、本当に紛らわし方がなくて、
なんか本当にだから、中学、高校時代は なんかしんどいなぁと思いながら、
あんまり万全じゃない状態というか、 いつも心と体が。
近藤淳也
なんかもう、空想の世界に行ってみたりとか、 なかったんですか、その対処法は。
結構我慢って感じだったんですね。
梅澤杏祐実
そうですね。
まあ、そういうこともできたらよかったですけど、
たぶん、なんかしら、そういう、
逃げはしてたけど、ごまかせてるだけで、
そうですね、なんか本当に、
よくわかんないけどしんどいな、みたいな。
なんか、木晴らしで旅行とか行っても、
電車とかもなんかきついんですよ。
駅とかは好きなんだけど、
電車の中に、あの閉じられた空間で、
みんなこう、なんか、そういう、同じ方向向いてる。
志摩若奈
たしかに。
電車ね。
近藤淳也
まあまあ、新幹線とかね、同じ方向向いてますよね。みんな。
たまに席まわして、こう、宴会やってる人たちなんですけど。
梅澤杏祐実
あの人がいたら、じゃあ、いいですね。
志摩若奈
転換車が多かった。
梅澤杏祐実
そうそうそう。
志摩若奈
今はそんなないんですけど、
梅澤杏祐実
なんか昔はそれは苦痛やって 10年ぐらいあったね。
近藤淳也
なんかの方法で克服したんですか? どうされたんですか?
梅澤杏祐実
でもそれが、新聞社やってる時に、
なんかのきっかけで うつになっちゃったんですけど、
それこそ別にシマさんと多分一緒で、
なんか先輩の記者さんから 言われてすごく傷ついたりしたことがあって、
でも本当にそれはトリガーに過ぎなくて、そこから8ヶ月ぐらい休職させてもらったんですけど、
本当に不思議な感覚で、ちょっと生まれ変わってないかも分からないけど、ちょっと変わったような、休んでた時に、
なんかその年、確か瀬戸内芸術祭の開幕の年とかで、
2010年ぐらいだったんですけど、
リハビリというか、復職するために、
ボランティアに、アートのボランティアがあって、
それに行って、いろんな出会いとかあって、
なんかそういう作品、芸術見たり、いろんな出会いがあって、
で、だんだんそういう感覚が薄れていって、ちょっとずつ楽になって、っていう感じが。
志摩若奈
その、生まれ変わったような感覚に、その8ヶ月間でなったっていうのは、
なんか、そのアートの力が大きかったんですか?
それとも出会った人からの 言葉とか、そういうのがあったんですか?
梅澤杏祐実
でも、たぶん、やっぱり、それこそ、さっき おなかの話とかしてましたけど、
自分がすごい変わったんやと 思うんですけど、
いろんなこと、きっかけにしかすぎないと 言えば、そうですけど、
本当に、それこそ、ネタ切りみたいな 状態にやって、
もう一回そういうふうになっちゃったら。
で、3ヶ月ぐらいは 本当にもう、なんか、寝てたっていうか。
近藤淳也
それはご実家で。
梅澤杏祐実
そうですね、本当にありがたいことに。
それはお家族のサポートもあって、
志摩若奈
島さんみたいに、お母さんが 無理やり鍵を開けて入ってくるみたいな。
怖かったけど、でもありがたかった。
梅澤杏祐実
いいですね、あのエピソードで。
志摩若奈
いや、愛を感じましたけどね。
愛はあった。うれしい。
近藤淳也
もともと、ご家族が近くにいる環境だったっていうことですね。
梅澤杏祐実
そうですね、本当にありがたいですね。
本当に、私、地元離れたのって、
あと、新聞社を辞めて、大学院に入るんですけど、
その時だけなんですよね。
ほぼ ほぼ ずっと 地元に いることが 多いんですけど。
志摩若奈
うーん。
なるほど。
あ、ごめんなさい。
なんか その ちょっと 話が 変わっちゃうんですけど、
その 新聞記者さんに なろうと思ったのって どういう気持ち きっかけだったのかなって 思いました。
梅澤杏祐実
あー、なんか、その 大学が 2時間かけて 電車で、
それも 電車で 死んだことですけど。
そうなんですか。どこに?
県内の大学なんですけど、福井から武府っていうところに、
その電車自体は20分なんですけど、大学に行くまで2時間ぐらい、
合計でかかる時とかあって、めちゃくちゃ暇なんですよ。
志摩若奈
確かに。
梅澤杏祐実
で、駅とかで雑誌を読んでたり、 ひたすら本とか電車の中で読んでたりとかして、
なんかすごく雑誌って面白いなっていうか、 雑誌ってすごい好きだなっていうことに気づいて、
もともと文章を書くのも好きやって、 あと写真撮るのも好きやって、
志摩若奈
で、メディアの世界に入りたいなと思って。
近藤淳也
そうなんだ、その2時間の暇な時間の中で イタリアの軸が生まれてたんですね。
梅澤杏祐実
しかしすごいな、県内で2時間も逆にかけられるんだって。
本当に不便なところはありますね。
志摩若奈
京都とか来ると便利すぎてびっくりしますね。
梅澤杏祐実
バスも いろんなとこまで行きますね。
近藤淳也
どうでした? でも、その新聞記者の仕事は?
梅澤杏祐実
結構忙しくて、
それまで疲弊してしまった。
楽しかったんですけど、仕事自体は。
本当に、今ライターになるまでの ベースを教えさせてもらったりしたなっていうのがあるんですけど。
近藤淳也
何年ぐらいされてたんですか?
4年。4年ほど。
基本的なことは習得されて
梅澤杏祐実
わからないですけどね 教えてもらって
今も基本的なことできてるか わかんないけど
ちょっと勉強中ですけど
近藤淳也
なるほどね
志摩若奈
4年間記者されて
ちょっとハードな環境に 疲れたなっていうことで
そこからフリーランスになられるん でしたっけ
梅澤杏祐実
そうですね
その後 やっぱり子供の頃から好きであった
梅澤杏祐実
広告学の世界に入りたいなって言って、
で、じゃあ一旦辞めようってなって。
近藤淳也
それはその、まあ休まれていて、 一回復帰されたってことですか?
梅澤杏祐実
はい、一旦復帰はして、 数ヶ月ほど働くんですけど、働かせて。
近藤淳也
ちなみにちょっと言いにくかったあれで いいですけど、上司はそのまま?
梅澤杏祐実
あ、上司とかで…
近藤淳也
上司じゃないんですか?なんか。
梅澤杏祐実
はい。
近藤淳也
あー、違うんですね。
梅澤杏祐実
悩んでた感じじゃなくて、
本当にやっぱりその、結構やっぱり自分の内的な部分が大きかったかなって、
なんかその、ずっと15歳から、なんか、なんかよくわからない、
深度さんみたいなものを考えてきてたなっていう、
その、そっちの負担の方が大きかったかなって。
なんか、新聞社自体はすごくみんな、本当にいい人ばっかで恵まれてたなっていう、
まあ、いろいろ怒られたりとかはすごいしますけど。
近藤淳也
なんかね、言葉がわりとダイレクトなイメージは、
新聞社さんってね、そういうイメージはありますけど、やっぱそうなんですね。
梅澤杏祐実
まあでも、みんなわりと大変で忙しいん中にいるから、
仲間みたいな感じはね、逆にありますけどね。
近藤淳也
なるほど。
志摩若奈
なんか1個気になったのが、
今まで10何年くらい教室で過ごすのの違和感とか、
なんかそういうのがあった中で、さっきその8ヶ月間の中で
自分自身が変わったと思いますってお話あったと思うんですけど
なんかその外側はきっかけにすぎなくて
その自分が変わったっていうのは
何が変わったなっていう感じなんですか?
梅澤杏祐実
へーでも正直わかんないんですけど
まあでも本当になんていうかな
結構うつにな、うつというか
そういう経験した人特有の、なんか、なんかこう、
志摩若奈
なんか、本当にちょっとね、ネタ切りの状態やったりとか、
梅澤杏祐実
もう2時間活動するので精一杯やったりとか、
そういうのが結構数ヶ月ぐらいあって、
なんかいろんなことがすごくありがたくなってきたりとか。
志摩若奈
へぇ~。そうなんや。
梅澤杏祐実
なんか、まあわかんないですけどね、
志摩若奈
本当に、今までの生き方と ガラッと変わったんじゃないかなとは思いますけどね。
梅澤杏祐実
本当にしんどかった時は、 生きてることにめちゃくちゃ感謝というか、
今までは、これ自分できてないなとか、 ないないということに目を向けてたのが、
今もそういうこともあるんですけど、 本当にあるっていう方向にすごい向けて、
素敵だ。
でも、すがって生きてたんですよね。
志摩若奈
その時は。
梅澤杏祐実
とにかく、ありがたいな、みたいな。
近藤淳也
その8ヶ月のあとは、結構、その変化が ずっと続いているというか、
そこを起点にずっと変わった という感じなんですか?
梅澤杏祐実
すごい、ここっていうのは ないと思うんですけど、
でも、その前と後の自分は すごい違うなっていう、
志摩若奈
今までの生きづらさは、薄れていきましたね。
すごい、すばらしい話ですね。
近藤淳也
まあ、なんか、よくなかったかもしれないけど、でも良かったですね。
梅澤杏祐実
それはそれで、そういう機会があったことが、楽になったこともあるってことであればね。
たぶん、海を出したみたいな、そんな感じの期間だった気がしますね。
変わったというより、海を出したみたいな感じが。
志摩若奈
なんか、その海を出すプロセスの中でも、
なんか、感謝に目を向けるとか、あるものにフォーカスするっていう、
なんか、ずっとその人生の中でも、すごい大事になってきそうなとこに、
触れられてたっていうのも、すごくいいきっかけというか、
なんか、得られたものすごい大きそうだなって感じたんですけど、
旗から聞いてて。
梅澤杏祐実
でも、本当にそうですよね。
でも、当時は、本当にすがるような思いで 生きてたというか。
今、普通にこうやって生活してますけど、
当時は、本当にちょっと、人と2時間あったり、
女子というか、先輩がお見舞いに来てくれて、
近藤淳也
本当に?
いや、なんか、面白いなっていう意味で。
梅澤杏祐実
しかもその文化財博調査とかで検索すれば、
作業員の募集とかはたまにありますね。
その博調査の期間だけとかはありますね。
志摩若奈
楽しそう。是非、是非。
お互い営業し合ってますね。
ほんまや。
近藤淳也
でも、ちょっとなんか思ってたのとは違ったんですか?
梅澤杏祐実
そうですね。
なんか、それが契約、正社員みたいな形じゃなかったんで、
週4日勤務だったんですけど、
まあ、その時まだ20何歳、29歳ぐらいの時で仕事入った時が、
なんかもっともっとすごいなんか週5ぐらいで働きたいなぁみたいなとか思ってて
今もなんかすごい少ないんですけどフリーランスなんで
そんなにたくさん働いてたり働いてなかったりなんですけど
なんかそれでなんか違うことやりたいなぁとかも思ったりとか
まあいろんなその文化財のこと勉強したりとかしたんですけど
たまたま、よく読んでた雑誌とかフリーペーパーで ライターを募集してるっていうのがあって、
人づてに聞いて、じゃあ、ちょっとやってみたいな みたいな感じで声かけて、
で、こそっとというか、 副業みたいな形でライターの仕事を始めたら、
やっぱなんかすごい面白いなと思って、
それでそっちの方に。
近藤淳也
じゃあ思ってたと違ったっていうのは何ですか?
週3日だったっていうところがってことですか?
梅澤杏祐実
そうですね。
まあそうですね、なんだろう。
メディアの仕事をしてる人とか 仕事の方が面白いっていうふうに
どこかなってきたんですよね
近藤淳也
自分の興味が実は書くことは やっぱり好きだったんだなみたいな発見があったってこと
梅澤杏祐実
そうですね 書くことというかインタビューしたりとか
そういう緊張感がすごい好きだな みたいな感じになって
志摩若奈
緊張感が好きなんですね取材の
梅澤杏祐実
うんそうですねなんか
それこそなんか今もその教室が嫌みたいなんじゃないですけど
ずっとその新聞社に入ったのも
その何だろうなオフィスとかすごい苦手で
ずっとみんな同じ場所にいて
志摩若奈
それもやっぱり苦手なの?
梅澤杏祐実
今も苦手なんですけど
で、やっぱその発掘調査の仕事自体は楽しいんですけど、
その調査が終わって、冬の間とかは ひたすらずっと建物の中で図面描いたりとか、
いろいろそういう作業をしてるんですよ。
なんか、まあそういうのがやっぱ好きじゃないなみたいな、
教室の中にいるのが嫌だなみたいな。
志摩若奈
なかなかね、オフィスワーク多いですもんね。 どこかの中で働く仕事多いですもんね。
梅澤杏祐実
そうですね。なんかやっぱそれは好きじゃないんですよね。感覚的に。
なんか本当にその新聞記者とかも、ずっとその会社の中にいるわけじゃないし、
志摩若奈
なんか人とこうやって話を聞いて、2時間聞いて、どっか行って言語を書いたりとか、
梅澤杏祐実
そういうスタイルが好きなんですよね。
移動したりとか。
ずっと同じ場所にいるワークスタイルが好きじゃなくて。
近藤淳也
それはもう無理しなくていい。
梅澤杏祐実
そうそうそう。
本当に結構、
そうですね、しんどかった時はそれも認めてあげられてなかったのもあったんで。
そうそうそう。
志摩若奈
なるほど。
近藤淳也
じゃあ、ライターになられて、
はいはい。
それが今のお仕事ということでしょうね。
梅澤杏祐実
そうです。
近藤淳也
どんなライティングというか、
どんなことが多いんですか、今、お仕事としては。
梅澤杏祐実
今は、本当に色々やってて、
今、SEOの仕事。
あの時、やってなかったんだけど。
SEO?
はい、とか、やって、取材の仕事、
その、地元の、その、雑誌の、なんか飲食店の取材とか、
志摩若奈
そうですね、本当にいろいろですね。
なんか、フリーランスの働き方、すごい、なんか、向いてそうですよね。
その、いろんなとこに、行きたいとこに行けるから。
梅澤杏祐実
そうですね。
志摩若奈
なんかやっぱ合ってるなみたいなのあるんですか フリーライターのお仕事が
梅澤杏祐実
そうですねなんかやっぱ固定された人間関係とか 固定された場所とか
あんまりそういうのがやっぱずっと苦手なの
固定ね同じのがね
だからその白調査してた時も、なんか上司と自分と一対一とか、すごいつらくて、
なんか、雨の日とか。
近藤淳也
それは喋るのが、それとも空間的に?
梅澤杏祐実
雨の日とか、その白調査できない時とか、二人でずっとプレハブの中で、
なんか、一対一でこう話聞いてたりとか、
梅澤杏祐実
なんか途中から3人の現場があったら それでお願いしたいとかして
そうすると楽だなっていう
1対1だと向き合うみたいな感じで
ちょっと固定されてる感じだと すごい苦手だなとか
志摩若奈
そうか プレハブとか特にしんどそうですよね
梅澤杏祐実
密閉やし狭そうやし
近藤淳也
なんなんやろね それは
固定っていうのが出てきますよね ずっと
梅澤杏祐実
固定された感じが苦手っていうのがね
志摩若奈
でもすごいそれってなんか純粋な思いの一個ですよね
なんか多分みんな動きたい時に動きたいってすごい存在じゃないですか
梅澤杏祐実
まあ絶対動きたいね
子供とかね
志摩若奈
多分大人もみんなそうじゃないですか掘り下げたら
そこにそこをちゃんと感じてるがゆえのあれなんでしょうね
だから小学校とか学校とかは教室やからこれが当たり前って
なんかそれにこう飲まれすぎてたら そこにたぶん気づいてない人っていうか
梅澤杏祐実
なんか本当はそうなんやけど 感じてない人もたくさんいると思うけど
志摩若奈
でもそこの本当の気持ちを もう昔からずっとわかってあげれてて
からこそなんか気づいてるのかな とか思いました
なんかね 動きたい時に動きたいって素直な気持ちじゃないですか
とても。 気づきたい時に起きたら、あそらそうですね。
梅澤杏祐実
でも小学校の時は別に全然平気だったんですけどね。
あ、そっか。中学ですよね。
やっぱその自我というか、生まれて、
思春期になってから、そういう感覚が。
うーん。
逆に小学校の時、そういう落ち着きない子とか見て、何でだろうな、みたいな。
近藤淳也
そっちだったんですか?
いやいや、どっちかっていうとそっちの方が
梅澤杏祐実
素直に自分の気持ちを体現してたんやと思うけど
確かに
近藤淳也
そっちではなかったんですね
梅澤杏祐実
あんまそんな多動とかではなかったとは思うんですけど
近藤淳也
へぇ~
梅澤杏祐実
まあ今の方が多動かも
あんまりじっとコアキングスペースで 仕事してるよりその辺ブラブラ
歩きたくなったら歩いてみたいな感じかもしれない
近藤淳也
喜んでるわ、きっと。
志摩若奈
喜んでますよ、心がね。
梅澤杏祐実
でも別に、会社員とか働き方でも そういうのができるんやったら、全然いいなと思うし、
全然、どっちがどっちっていうもんでもないなと思うんですけどね。
近藤淳也
みんな意外と我慢してる人多いんかな
志摩若奈
そうですね
しかも幼少期からというか
10代とかから何か感じてたものがある人って
結構当時はそんな話みんな
友達同士でしないですけど
大人になって振り返って話してみると
意外といらっしゃったりしますよ
近藤淳也
なかなか急に動き出せないですもんね
なんか本当は動けるじゃないですか
こう今例えば
梅澤杏祐実
物理的には、別に何も縛られてるわけじゃないけど、
志摩若奈
本当に動くのって、むっちゃ難しいです。
近藤淳也
授業中いきなり立ち上がるとか、
志摩若奈
すごい頭で押さえてますよね。
自分で押さえてるのか、あれも。
梅澤杏祐実
だって、別に動け。
近藤淳也
それ言ったら、道路歩いてるときに、
急に逆向きに歩くとかも、めっちゃ難しくないですか?
志摩若奈
たまにでもいません?
近藤淳也
いません。僕はそれやるんですけど、
志摩若奈
やるんかい。
梅澤杏祐実
なんか「おい」って、なんか周りの人「え?」ってなるじゃないですか。
近藤淳也
なんか、あいのとかも意外とその、
みんな本当は「あっ」って思って、
すぐ後ろ向かなきゃいけないのに、
向かない人とかいるんちゃうかなってぐらい。
志摩若奈
確かにわかる。わかる。
なんか歩いてても、
なんか私結構、
その遠くから向かって歩いてくる人に 配慮するのが早いんですよ
なんかこうギリギリになって避ける人とか いろんなパターンあるじゃないですか
近藤淳也
避けない人とかね
志摩若奈
避けない人もいるじゃん
怖いけど
近藤淳也
なんで避けないのかって思うよね
志摩若奈
そういう人出会ったら逆に私も避けんとこう とかたまに思っちゃうけど
梅澤杏祐実
どんなタイミングで避けるやろなみたいな
志摩若奈
それがなんかギリギリな人もいるけど私ギリギリでわーわーってなるのがお互い嫌やから
すっごい前もって数十メートル先からこの人のそのズレというかどっちに行くやろなーって思って
私が思い切りわかりやすく私右行きますからねっていうのをわかりやすくやってお互いにスムーズに行くようにっていうのを考えているから
でも別に負担じゃないんですよ。
ギリギリでわーってなるの避けたくて、それをやるから、
多分みんな街中とか、普通に過ごしてる中でも、
無意識に調整してることあるんやろうなって思いました。
話聞いて。
梅澤杏祐実
なるほどね。
全然意識したことなかったですけど。
確かに。
近藤淳也
意外と何でも行動できそうで、
すごい頭でしばってることって 多い気がするので、
志摩若奈
多いかも。
梅澤杏祐実
確かに確かに確かに。
近藤淳也
あんまり自由じゃないなって。
梅澤杏祐実
自由じゃない。
近藤淳也
自由なら、自由なほど いいのかどうかは わからないですけれど。
梅澤杏祐実
別に我慢することが 悪いことじゃない気はしますけどね。
ほどよい緊張感だったりとか、 それはそれで全然ね。
志摩若奈
わかる、私。
梅澤杏祐実
心も体もスッキリするんですか?
志摩若奈
上澤さんの、これカットでも大丈夫ですけど、
Twitterを拝見したんですけど、
お腹の調子も良くなるんですって。
記事書き終わったらスッキリして。
近藤淳也
そうなんですか。
梅澤杏祐実
あまりみんな言わないと思うんですけど、
なんかすごいお通じが良くなって。
志摩若奈
へぇ〜
ツイッターに書いてるの?
そうそうそう
梅澤杏祐実
なんかそれがすごい
なんていうんですかね
ライフスタイルとしてもワークスタイル
近藤淳也
ライフスタイル?
志摩若奈
体にいいなみたいな
近藤淳也
そうですね
そんな体とやっぱでもつながるんですね
梅澤杏祐実
なんかスッキリしますよね
志摩若奈
お腹に関しては
共感実体験はないけど
でも、すっきりかわかります。 体もすっきりはわかります。
梅澤杏祐実
そうそうそうそう。
結構ね、海の苦しみとかも あるんですけどね、
余計にすっきりして、いいですね。
本当に続けていきたい仕事やな っていうのは、と思いますね。
近藤淳也
ちなみに、文字起こしは 1回はするんですよね。
生のインタビューされたら、
一旦は全部文字起こしをするものなんですか?
私は実は文字起こしあんまりやらなくて、
梅澤杏祐実
もともと新聞記者やったので、そういうこと自体、
近藤淳也
取材でメモ書いてみたいな感じですか?
梅澤杏祐実
はい。あまりそういう文化というか、
手法がなくて、もうすぐに毎日締め切りみたいな感じやって、
で、そんな難しい長い文章も 記事もそんなにないので、
基本的にはすぐに記事にする みたいな感じあったので、
志摩若奈
すごい!
近藤淳也
じゃあ、さっき島さんがおっしゃってた、
要は、組み替えるというか、 流れを一個作るみたいなのは、
もう脳内で記憶をもとに作るって感じですか?
梅澤杏祐実
どっちかというと、そうですね。
なるべく直後にすぐに、間違っててもいいから、結構やって、
それがやりにくい時もあるんですけど、
ある時期から、新聞記者やってた時に、
それこそメモ見ながらとかやってたんですけど、
ある時期から自分の脳で感じた、ここがすごい重要やなみたいな、
それをもとに、バーってやる方が、
早いし、わりと正確やったりするんかなって思って、
正確じゃないこともあるんで、
文字起こしも必要なんですけど、
基本は、だいたいまず記事にしちゃって、
そのあとで確認も含めて、文字起こしするみたいな感じ。
近藤淳也
じゃあ、記憶をもとに大事そうなことを、
梅澤杏祐実
言ったら、体でまず生み出して、
近藤淳也
その後で文字起こししたもので 事実確認するみたいな感じなんですか?
梅澤杏祐実
そうです。
志摩若奈
記憶力はんぱなくないですか?
インタビューって 1時間ぐらいはありますよね?
梅澤杏祐実
そうですよね。
志摩若奈
ですよね?すごい!
よく覚え…細かいところまで 言語化できるまでの記憶がありますね。
最初の段階で。
梅澤杏祐実
でも、掘り起こしてみたいな感じで、
こんなこと言ってあったなぁ みたいな感じでやって、
それが うまくいかないこともあるんですけど、
とりあえず最初に会って、例えば小石に会ってきて、
「こんなことやったんや」みたいな 言いたい時とかあるじゃないですか。
それをその感覚で、これ誰かに伝えるとしたら、
まず最初に何を言いたいやろうな、みたいな。
近藤淳也
でも確かにね、それ言うより、
今日僕が家帰って、きょうは梅田さんと話して、
「なんだよ」って言ったら、どうやった?って言われたら、
こんなことやってる人ですとか、なんか多分 一番印象のことから確かに言うんやろうなと思うから
志摩若奈
確かに
梅澤杏祐実
まあそういうことですよね。そんな簡単に言ったら失礼ですよね
ままでもそういうシンプルな感覚で、まずなんか
あ、これやったなみたいな感じでまず始めて
とりあえずそれの感覚をまず優先して
志摩若奈
いや、いいこと聞けた。いいですね
近藤淳也
全然じゃあスタイルが違うってことですか?島さんと
志摩若奈
ちがいました。
私は、文字起こしを 機械というか、AIでできるので、
結構、正確なんですよね。
近藤淳也
乗ったか、なんかですか?
志摩若奈
えっと、オートメモ。
梅澤杏祐実
オートメモ、そうなんですか?
志摩若奈
そうです。
を使って、結構、ちゃんと、丁寧に、正確に出るから、それを一旦して、
その後で、話題ごととかに この人が本当に伝えたかったこととか、
軸となるようなのをつかんでいって、 なんとなく頭でイメージしてから、
記事にまとめていくっていう感じなので、
最初から、梅沢さんの話を聞いて勉強になったのが、
自分の心に響いたことって、 最初に人に話したくなるから、
そこから書き始めるって すごいいいなって、
なんか、頭で考えるんじゃなくて、
残ってることを、心に残ってることを 一旦メインにするっていいなって思いました。
マネします。
近藤淳也
ちなみに、インタビューしてからの 期間みたいなのもあるんですか?
梅澤杏祐実
例えば、一晩寝かした方がいいとか、 すぐやった方がいいとか、
基本すぐですね。
近藤淳也
すぐなんですか? その日とか?
はい、もうその原稿化するのも取材と思って、
梅澤杏祐実
もうその時も自分は拘束されてるんだと思って、
絶対なるべく他の邪魔というか、入らないようにして、
すぐパソコン開いて原稿化できるような感じには、なるべくしますね。
まあ今まで本当にいろんな失敗があるんで、
一晩寝かしたりして、うまくいかなかったこともたくさんあるんで、
近藤淳也
まずは、はい。
ちょっとおもしろいですね。
志摩若奈
おもしろい。
近藤淳也
これ、いろんなスタイルあるんでしょうね。
たぶん、ライターさんによって。
志摩若奈
たしかに。
そうですよね。
梅澤杏祐実
なるほど。
やっぱり、なるべくすぐに 文字に原稿化したほうが、
そのときの生々しい感じだったりとかが、
ややすくはなるかなと思って。
近藤淳也
なるほど。
聞くのはどうですか?
人の話聞くのって。
梅澤杏祐実
聞くのはすごい好きっていうか、
それこそカウンセラーに興味を持ったのも、
どちらかというと、すごくそれまでは コンプレックスな部分があったんですけど、
うまく話ができないなとか、
友達と会って、気がつくと私ばっかり話聞いてるなとか、
近藤淳也
聞いてる?
梅澤杏祐実
聞いてる側。
志摩若奈
めっちゃここ言いたいのに、どんどん喋るなとか。
話しやすいんでしょうね。
近藤淳也
わかる、でも、ママってこうへんなって 聞いてるときあります?
梅澤杏祐実
まあね、そういう愛情とかいろいろありますけど、
まあ、なんかそういう、どっちかというと そういう特性があって、
利き悪になるっていう。
で、まあ、あまり意識してなかったんですけど、
まあ、そういう仕事にやってて、
梅澤杏祐実
その、ね、シマさんが上がり性だったっていうのが、私が教室が嫌みたいなとかだったり。
志摩若奈
ね、本当に、どうしたらいいかわからんっていうか。
梅澤杏祐実
確かに。
近藤淳也
改めてこの年になってそういうのを 振り返れるっていうのは
ちょっといいのかもしれないですね
志摩若奈
そうですね
近藤淳也
統合語の世界
志摩若奈
統合語の世界
いや、そうやと思う
みんな統合された県こそ話せますもんね
過去とこうでって
梅澤杏祐実
そうですね、本当に
近藤淳也
はい、じゃあ目沢さんちょっと 今後とかなんかありますか
これからやっていきたいこととか
梅澤杏祐実
そうですね
それこそそういうカウンセラリングみたいなお仕事が
そこに興味を持ったのも
インタビューってそれはそれですごい良いんですけど
やっぱりそれを記事にする負担とか
ジャッジしちゃうというか
それは自分が未熟な部分もあるんですけど
あの、なんていうのかな、
そうやって人の話をちょっとジャッジしちゃう部分とかが出てきちゃって、
本当にもっとその話を純粋に聞くとか、
なんかその人っていうものをもっと理解するとか、
そういうこともできるといいなっていうのは、
思いますね。
そういうことももし仕事とかできたらいいなっていうのは、
はい、思ってますね。
なんか、ままいつき京都には、声は、多いと思ってますけどね。
なるほど。
じゃあ、またお会いできる機会も、ありそうな気もしますし、
近藤淳也
なんか、シマさんとも、いつの間にか会ったりとかするかもしれないですけど。
志摩若奈
ぜひぜひ。
私も京都が好きで住んでるタチなので、一緒なので、会いましょう、京都でまた。
近藤淳也
ぜひぜひ。
ちなみに、ほかのとこにも行ってみたいな みたいなのあんまりないんですか?
京都。
志摩若奈
うん、確かに。
梅澤杏祐実
でも京都すごいちょうどよくって、
知り合いもいて、知らない人もいてっていうのが、
両方今の自分には楽しみやすいなっていうのは。
昨日それこそビアラボさん近くの飲み会行って、
仲良くなった常連さんと約束して一緒に行って、
近藤淳也
で、そこで外国人の方と、飲んでるうちに仲良くなって、2軒目行って、こんな感じで。
面白い。
志摩若奈
楽しそうですね。
梅澤杏祐実
なんか、楽しかったですね。
そういう知ってる人と知らない人を両方に出会えるっていうのが楽しいなと思って。
近藤淳也
なるほど。でも、移住とかでもないんですよね。
梅澤杏祐実
そうなんですよ。なんか、やっぱり一晩離れただけで、実家の猫が恋しくなりそうです。
そうなんや。
近藤淳也
そこですか。
志摩若奈
猫ちゃんがいるんだ。
梅澤杏祐実
そうなんです。
もう、それが、やっぱり数日だけっていう、だいたい数日で、もう、やっぱり帰りたくなって。
猫ちゃん。
志摩若奈
何歳ですか?
梅澤杏祐実
今、2歳ぐらい。
近藤淳也
結構最近ですね、じゃあ。
梅澤杏祐実
そうですね。一回前の猫が亡くなっちゃって、
で、またご縁があって、
志摩若奈
で、いつも布団の中入ってきて眠るんで、
かわいい。
梅澤杏祐実
だから、こっちに来て一人で寝るのが寂しくて。
そうか。
近藤淳也
なるほど。
梅澤杏祐実
でも、だんだんこっちにいると、
もっと人に会いたいなと思って、京都に来てって感じで。
近藤淳也
猫ちゃんだけなら、猫連れて京都に住むこともできますけど。
梅澤杏祐実
いずれね、そういうこともあれば。
近藤淳也
そういうのも一応ありえるんですかね。
梅澤杏祐実
はい、なんかご縁があれば。
今は別に、その島さんがおっしゃってたように、
なんかここに住みたいとか、
そういう具体的な場所があるわけではないので、
京都を楽しみつつって感じで、
まあ、そういう場所が見つかったり、いいところがあれば、
住んでもいいなーっていうのは すごい思ってますね。
住みたいなっていうのは。
志摩若奈
なんか、しんまさんから聞きたいこととか ありますか?
なんか、いっぱい、途中でも いっぱい入っちゃって聞いちゃいましたけど、
なんだろう。
じゃあ、これからの生き方的に、
今までのことでもいいですけど これを結構大事にして
ここは普段の生きる生活とかで これはいつも大事にしてますとか
これからもここは大事にして 生きていきたいとか
なんか心がけてることありますか?