1. 近藤淳也のアンノウンラジオ
  2. #19 人々が「自分らしく輝ける..

今回のゲストは株式会社Credo Ship.代表の板井恒理さんです。板井さんは、教師になるという子供時代からの夢、野球部の部長、株式会社リクルートでの営業、NPO活動などの経験を通じて、人々が「自分らしく輝けるフィールド」を探していけるような活動を模索してきました。しかし一時期は50人ほどいた会社メンバーは、コロナ禍のあおりなども受け2人になってしまいました。板井さんのこれまでを振り返っていただくとともに、会社のこれからの展望について伺いました。

​株式会社Credo Ship.: https://www.credo-ship.co.jp/


【ホスト】 近藤淳也 株式会社OND代表取締役社長、株式会社はてな取締役、UNKNOWN KYOTO支配人、NPO法人滋賀一周トレイル代表理事。トレイルランナー。ときどきカメラマン。 2001年に「はてなブログ」「はてなブックマーク」などを運営する株式会社はてなを創業、2011年にマザーズにて上場。その後2017年に株式会社ONDを設立し、現在もITの第一線で働く。 https://ond-inc.com/

【UNKNOWN KYOTOについて】 築100年を超える元遊郭建築を改装し、仕事もできて暮らせる宿に。コワーキングやオフィスを併設することで、宿泊として来られる方と京都を拠点に働く方が交わる場所になっています。 1泊の観光目的の利用だけではなく、3泊〜1ヶ月以上の長期滞在される方にも好評いただいています。 https://unknown.kyoto/

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00:00
牛島悠紀
[音楽]
近藤淳也
近藤淳也の
アンノウンラジオ
板井恒理
はい、皆さんこんにちは。今日は板井恒理さんにゲストに来ていただきました。
近藤淳也
よろしくお願いします。
クレドシップという会社で社長されている板井さんですけども
なんとこの1月から
アンノウン京都のシェアオフィスに また戻ってきてくださったということで
帰ってきました
はい どうもお帰りなさい
お帰りなさい
板井恒理
帰りました
近藤淳也
はい お帰りなさいの収録です
板井恒理
ありがとうございます
近藤淳也
入居いただいたのがおととい
板井恒理
そうですね 7月でし8月じゃか
ここが始まったのは
近藤淳也
一番最初ですか
はい
一番最初に来ていただいたのは もう開業前でしたもんね
板井恒理
そうですね 前に来て
近藤淳也
ちょっと前倒しで
そうですね
別館の本池の中の
一番大きな部屋
二間続きで入居されて
もう9月末
板井恒理
ぐらいから入るってことで
近藤淳也
急遽準備して
本館の開業が
11月だったんですけど
9月末ぐらいからもう
入ってまして
牛島悠紀
そうなんですよ
近藤淳也
別館が先に
オープンしたっていう
板井恒理
(笑)
そうでしたね
近藤淳也
その後も
アンノウン入居者最大
勢力として
(笑)
クレドシップの皆さんが
日々オフィスに来ていただいて
本当に会業当初から
アンノウンを盛り上げていただいていましたけど
板井恒理
餅つきとかね
近藤淳也
そうですね
持ち付きもされたりとか
1回リモートメインになって
板井恒理
そうですね
近藤淳也
退去して
板井恒理
あれいつぐらいでしたっけね
本当コロナになってしばらくして
2、3カ月してもすぐって感じですかね
近藤淳也
はいですよね
また今年から
板井恒理
帰ってきました
近藤淳也
帰ってきていただいたということで
本当どうもおかえりください
ありがとうございます
板井恒理
嬉しいです
近藤淳也
こちらもとっても嬉しいんですけど
何があったんですか
牛島悠紀
いきなり突っ込むやつ
板井恒理
いやでも、何があったかっていうと、やっぱり会社うまくいかなかったっていう
近藤淳也
そうなんすか、やっぱりいきなり重めなやつきた
板井恒理
いやいや、思ったよりリモートにすることで、やっぱり色んなことが機能しなくなったっていうのはありますね、実際
そうなんですか
僕の会社ってもともとそもそもフルリモートの会社なんで、しかもここも来てたメンバーってやっぱり一部だから
一番多い時で50人ぐらいいて
アルバイトさんとか含んでね
50人になってたんですか?
近藤淳也
一時期
板井恒理
で本当にフルリモートなんで
北は北海道から
03:01
板井恒理
南はどこかな
沖縄はいなかったと思うんですけど
それも全国各地で
そもそも仕事してるんですけど
ここに入居した時のコアのメンバーは
基本ここにみんなが喜んで来てた
っていう感じですね
近藤淳也
結構10人ぐらい
出社されてる時ありましたよね
板井恒理
多い時で10人ぐらい常時出社してたりとかしてたんですけど
近藤淳也
だいたい玄関になんかもう靴が毎日ずらーって並んでるみたいなのが
結構本池中の日常って感じの時ありましたけど
板井恒理
そうですね
でまあ結局コロナでもそもそも出社するなっていう話にしてから
言ってもともとフルリモートなんで
まあ一回ちょっとオフィス自体なくしてみようかと
やってまあ、そうか、1、2年経ったんですかね。
僕自身があんまりその事業にタッチしなくなったっていう、この半年間ぐらいタッチしてなかったっていうのもあるんですけど、
半年ぐらいで結構業績がガーッと下がってきてですね。
あとはやっぱ、正直社内の雰囲気も悪くなりましたね。
そうですか。
というのもあって、新卒も採用してたんですけど、新卒もだから入社してずーっと家みたいな。
もちろんそういう形で人を育てるとかも、もちろん僕の事業としてやってるぐらいなんで、
リモートだから育てられないとかではないんですけど、やっぱりこう、単純に可哀想だなと思ったんですよ。
へぇー。
はい。
近藤淳也
うわ、なんかちょっと、そうか、大変だったんですね。
板井恒理
いやいや、それは大変でございましたね。
へぇー。
近藤淳也
そういえばすみません ちょっと急に話を振りますけど
アシスタントに来たら 牛島さんに
牛島悠紀
紹介してもらえるんですか
近藤淳也
そういえば声入ってるのに紹介しますね
牛島悠紀
ふわっと存在しようかな
近藤淳也
いえいえ 牛島さんに来ていただいてます
ありがとうございます
板井恒理
どうしようか
近藤淳也
ひとまず自己紹介からいきましょうか
板井恒理
急になんかそんな話しちゃったんですか
近藤淳也
核心部は後で詳しく聞くとして
牛島悠紀
だいぶ核心部になってきました
近藤淳也
伊太さんはどんな人ですか
板井恒理
遺体はそうですね、奈良県生まれなんですけど
近藤淳也
生まれから来た
板井恒理
長いですね
近藤淳也
奈良県やった?全然いいですよ
どっからでもいいですよ
板井恒理
奈良県生まれでずっと関西で
大学も関西で
最初に入った会社はリクルートという会社なんですけど
そこで関西配属されてもずっと関西で仕事してたんですけど
後々出てくるかもしれないですけど
1回目の結婚が京都の人だったんで
そこから京都に移行してきて
近藤淳也
ちょっと待ってください 振り返り始めましたね
板井恒理
じゃあいきますか 過去のことから
いきましょう
近藤淳也
じゃあちゃんと新卒からいきましょう
そっから行くんですか
わかんないですけど
リクルートなんですね
板井恒理
リクルート HR マーケティングっていう会社ですね
最初入ったのが
そこでざっといくと6年半働いて
その後プルデンシャル生命という
06:01
板井恒理
外資系の保険会社に行って
2年やって
最初保険の代理店で独立個人事業ですね
その後もうすぐ5ヶ月後ぐらいに
牛島悠紀
今のクレードシップを作って今に至ると
近藤淳也
ざっくり言うとそんな感じです
基本的にはなんか人材系とかの仕事が多い
板井恒理
そうですね
人材系ですもう
ずーっと人材系だと思いますね
近藤淳也
今はそういう仕事されている
クレドシップという会社の社長をされている
板井恒理
採用でございます
近藤淳也
はい
板井恒理
二人が目を合わせるから
余計に大丈夫かなという気持ちが
牛島悠紀
大丈夫大丈夫
近藤淳也
いやいやちょっと待ってください
聞きたいことが多い
板井恒理
逆にちょっと先に僕から聞いてもいいですか
近藤さん最近ラジオに熱を入れてらっしゃいますけど
なんで始められたんですか
近藤淳也
なんですか 何でか
なんでかな
それを言うと今ミシマシャっていう 出版社さんでitともりっていう
それもPodcastっていうか一応お金が 必要なんですけどお金を払うと
聞ける僕がずっと喋ってる番組っていう かコンテンツがあるんですよ音声
の いやちょっと待ってよ長いな
いやいいんすよ 長いなでそれをやり出したきっかけ
っていうのが本当は三島社さんから 本を書きませんかっていう話だったん
すよ ハテナの時に書いた本はあるん
ですけどその後のことが出てない から最近何やってきたかみたいな
を何か書きませんって言ってくだ さってすごい光栄なことなんで
ちょっと面白そうだなと思って たんですけどでも長い文章を書ける
自信がなかったんですよ そうなんですか
最近そういうのは文章って全然 書いてないなって思って
なるほど 本なんか書けるかなって思って全然
自信がなくて一方でちょっとPodcast とかは興味があったんですよっていう
のは最近よくランニングのとき とかにイヤホンでいろんなPodcast
とか聞くことが増えてきて自分も 本を読むより耳で聞く比率が結構
上がってたんでそれをやってみたい なって気持ちはあったんでそれで
じゃあすごい出版社の方にそんな こと言うのもすごい失礼かもしん
ないですけど僕がしゃべらせて もらってそれが面白ければその
内容をテキストにして本にする っていうこととかどうですみたいな
相談をさせてもらって そしたら 面白いですねみたいになって
最初はそれがきっかけで じゃあ 試しにちょっとやってみよう
09:02
近藤淳也
かなとか思って マイクとか買って 社内で録音とかし始めて遊び出したら
なんかPodcastがしたくなってきて 自分でも
そのITともりがリリースされた のは去年の末ぐらいなんですけど
結局買って色々やってる間に すぐに8月ぐらいからPodcastを始めて
しまったっていうのがまあ直接の きっかけです
始まりは 結局この機材は全部自分で買って
そうですよね 結局ミシマシタさんはミシマシタ
さんで後から買われたんですけど 結局すごい先行でいろいろ買ってる
うちにもっとちゃんとしたやつ が欲しくなってだんだんいいもの
板井恒理
に変えていってこうなってるって 相変わらず感じですね始まりは
近藤淳也
はいはいはい
板井恒理
今はどういう思いがあるんですか? このラジオに対しては
近藤淳也
思いですか?
いやでも、アンノーンは やっぱ面白い方多いんですよ
板井恒理
本当に日々いろんな方と出会いがあって
近藤淳也
で、なんかその方とお話する機会もあるんですけど
なんかすごい面白いんで本当に
だからこの面白さをみんなにちょっと
板井恒理
あ、なるほど
自体ですし、逆にラジオっていう形があるから、ちゃんと聴けるっていうか、例えば1時間半とか時間取ってもらって、すごいめっちゃ聴くのも、一応ラジオの収録ってことになると聴きやすいじゃないですか。
近藤淳也
確かに。
急になんか、ちょっと幼少期から教えていただいていいですか、みたいな。なかなか急には聴けなくなる。
板井恒理
そうですね、特に。飲みのばとかでは全然聴けない話ですね。
そうか、だから結構切り込む感じですよね、ちょいちょい聞いてるんですけど
近藤淳也
いやいやいや、ありがとうございます
まあそんなんで、だからちょっと宣伝になりますけど、三島社の方でITと森というのが
板井恒理
ITと森、皆さんITと森
近藤淳也
はい、ちょっと始まっておりますので、よければそちらもまた聞いてみてください
板井恒理
ぜひ
近藤淳也
そちら僕の話がずっとやってるっていう
全然あの、はい
板井恒理
全国の近藤ファンの皆さん、ITの森
ITと
ITと森
よろしくお願いします
牛島悠紀
それはもう始まってます
近藤淳也
始まってます
始まってます
牛島悠紀
始まってます
近藤淳也
インターネットITばっかりやってたのに 急に山とか走り出したんで
板井恒理
確かに
近藤淳也
どうなったんや どうなってんやっていう話です
板井恒理
うわ それもう既に聞きたいですね ちょっとね
近藤淳也
聞きたい
板井恒理
なぜか人は森に変えていくんですよね
ありがとうございます
近藤淳也
いやいや 引退さんの話を是非
じゃあもう振り返っていきましょうよ
板井恒理
じゃあ行きましょう
近藤淳也
昔から
板井恒理
いきなりあれですよね、ラジオで振り返ってくださいっていう、この中、ハラハラしますよね。
近藤淳也
どうやって生きてきたか教えてください。
板井恒理
じゃあ、生まれからいきます。
ういだ奈良県のね、伊泰三兄弟という、三兄弟の末っ子に生まれてまして、
なんか変わった三兄弟なんで、伊泰三兄弟とよく地元で言われるような、
近藤淳也
外からも言われてる名称だったんですけど。
12:01
板井恒理
だから兄二人は小学校で生徒会長やったりとかですね、放送委員長やったりとか、応援団長やったりとか、そういうタイプで。
近藤淳也
長男っぽい。
板井恒理
そうなんですよ。長男だけじゃなくて次男もそれなんですよ。
近藤淳也
次男もそれは珍しいですね。
板井恒理
そうなんです。長男、次男、それできたらもう三男もそうでしょうみたいなところから始まってるんで、
なんかこう頑張らなと思いつつも 生徒会長にはならず初期をやり
放送委員長にはならず給食委員長をやり 応援副団長になったりとかですね
近藤淳也
ちょっとサブ的なの?
板井恒理
いやいやそうですね でもある意味コンプレックスの塊だったかもしれないですね 上二人に対しては
近藤淳也
それはもうお父さんの教えとかが そういう男たるものみたいな感じなんですか?
板井恒理
あんまそういうのはないんですけど、でもそもそも生まれた時のことは覚えてないんですよ。
ただ後で言われたんですけど、男三人兄弟で、僕はもう3番目だったんで、女として生まれてほしいっていうところから始まってるわけですよ。
近藤淳也
そろそろ女の子欲しいなっていう期待感の中からの暗戦。
そうそう、男だったっていう。
板井恒理
なぜか髪型を妙に女っぽいオカッパみたいな髪型で、女の子みたいだねって言われる幼少時代。
近藤淳也
それはもうご両親がそういうふうに育てたってことですか?
板井恒理
いや、そこまでのことはないと思うんですけど、
まあ可愛くはね、育てようと思ってくれたんですかね。
近藤淳也
へぇ~
板井恒理
だからなんかこう、僕やっぱ兄二人に対しては
いろんなコンプレックスとかプレッシャーを、
まあそうですね、大学までずっと抱えてましたからね。
近藤淳也
へぇ~
板井恒理
なんかわかんないですけどね。
近藤淳也
はいはいはい。
それはなんか比較されて言われたりとかがあったってことですか?
板井恒理
そう、周囲がね、やっぱり上二人が、
まあ言うたらすごいっちゃすごいんで。
近藤淳也
う~ん。
板井恒理
すごい。
うん。
近藤淳也
なんで?
板井恒理
すごいってのを今後なんてよくわかんないですよね。
確かに生徒会長だったとか目立つみたいなのがあったんですけど、
ずっとそういう周囲の目を気にして幼少時代を過ごしてました。
牛島悠紀
そのお兄さんたちは卒業した後も活躍とか?
板井恒理
現在のお兄さんたちの行方をお話をしますとですね。
これも結構変わってるんですけども。
二番目さっき行くと、二番目は高校まで文系だったんですけど、急に理学部行ってですね。
今は東大の助教授をしてます。
お!すご!
いや、びっくりしますよね。
水銀のプロらしいです。
水銀のプロ?
だからよく美和校の水質調査とかしてます。
そっちの水銀か。
結構変わってるんですよ。一番上もっと変わってて、活動家なんですよね。
近藤淳也
活動家?
板井恒理
そうそうそう
いわゆる、最近ちょっとそれをね、本当に去年か一昨年くらいにやめ張って、まさかの結婚を去年したんで
絶対結婚なんか新品あるなっていう生活をしてたんで、千葉の千里塚っていうところにいてずっと活動されてたんですよ
近藤淳也
活動家って職業なんですか?
15:01
板井恒理
僕も職業と聞かれると難しいですね
いろんな人からいろんなお金が流れているという意味では
近藤淳也
職業というよりは活動なのかなと
板井恒理
稼いでるっていうよりは支援を受けてやってらっしゃったので
詳しくは知らないですよ僕は
何の活動?
そこは僕もわからないです
近藤淳也
個人の主義主張じゃなくて
どなたかの代理ってことですか?
板井恒理
いわゆる右とか左とかのやつですね
そういうやつですね
すいません
近藤淳也
全然世間知らずで
そういうことなんですね
牛島悠紀
でもすごい変わってありました
板井恒理
二人とも
そういう意味では自由に育てという家ではあるんですよ
親自体は自由に育て
でも周りからは尖ってる人たちだから
弟も何かやってくれんちゃうか
牛島悠紀
みたいな
板井恒理
そういう
牛島悠紀
すご
近藤淳也
二対三兄弟
板井恒理
これはもうラジオじゃなかった もっと深く話せるぐらい
牛島悠紀
まあね
板井恒理
はい
近藤淳也
伊達さん本人はどうなっていたんですか
板井恒理
僕はだからそんな中で
そうですね だんだん比較されるの嫌になってきて
違う路線を行こうとしだして
高校ぐらいから兄二人が行ってる高校と違う高校に行きだしてっていう
それはもう幼い頃の思い出ですけど
正直もうあれですよ、小学校から大学出るまでは野球しかやってないですね。
野球少年でしたね。小中高大、ずっと野球。
ちなみにポジションは?
ポジションは小中はセカンドで、高校からショートですね。
大学も?
大学もセカンドに戻りましたね。
内野手なんですね。
近藤淳也
うん、はいはいはい
板井恒理
という感じですね
大学行くときに、そうなんですよ
僕、高校野球で甲子園行けなかったんで
近藤淳也
でも、行っててもおかしくない?
板井恒理
いや、全然そんな高校じゃないですよ
面白い、目指してたってこと?
なんかね、不思議なもんで頑張ったら行けると思ってたんですよ
高校のとき、真剣に
だから毎朝、一番最初にグランドに行って練習して
毎日一番最後まで練習をして、一生懸命やれば行けるっていうのを盲目的に思ってて、高校の時。
高校3年生の8月まで受験勉強もせず、ひたすら野球に打ち込んでたんですよ。そんなに上手くないんですよ。
本当にそんなに上手くないのに。
近藤淳也
そのチーム的には行ける強さがある?
板井恒理
チーム見てなかったです、僕多分。
近藤淳也
えぇ!?
板井恒理
今思えばね、チームとかじゃなく頑張ればいけると思った。
近藤淳也
自分自身がとにかくめちゃくちゃ頑張れば 甲子園には行けるんだっていう
板井恒理
不思議ですよね
近藤淳也
今思えば不思議なんだ
牛島悠紀
すごい
板井恒理
めちゃくちゃ頑張ったんですよ
全然行けなくて
18:00
牛島悠紀
全然行けなくて
近藤淳也
何回戦ぐらいまで行けたんですか?
板井恒理
奈良県の予選2回戦の反対に入ったんですね
その時にもうすごい忘然自失ですよね
行けると思ってたんで
だから学校の先生になって 監督になって教室へ目指したい
近藤淳也
なるほど ちょっとだけ聞いていいですか?
板井恒理
どうぞ
近藤淳也
1年2年の時に気づかなかったんですか?
板井恒理
いやー気づかなかったですね
近藤淳也
2年生の時とかも試合に出たんですか?
板井恒理
僕ね 2年の時は出だしたんですけど
だしチーム弱いってことも知ってるんですよ もちろん
でもなんかいけると思って
牛島悠紀
これほんまなんなんでしょうね
板井恒理
いまだに僕の人生の役にも謎です
あんなに頑張れたのは謎
近藤淳也
でも頑張らなかったより
頑張った方が良かったんじゃないですか
板井恒理
いやもうそれはね
後悔は本当してなくて
頑張って良かったなと
ひたすら思ってますけど
でもやっぱだから
悔いが残ったわけですよ
いけると思ってた分
これはもう監督になって
行くしかないっていうところから
大学を選び始めた
近藤淳也
そういう感じなんですか
板井恒理
そうですだから一応
先生になろうと思って
高校のときは先生になろうと思ってたんで
最初あの先生の中でも
あの家庭科の先生になりたかったから
牛島悠紀
家庭科?
近藤淳也
え?体育じゃなくて?
板井恒理
家庭科大好きなんですよ
近藤淳也
え?
牛島悠紀
えぇ~
板井恒理
めちゃくちゃ好きですね
はい
だからあの裁縫とか好きだったし
当時
牛島悠紀
ちゃんと
近藤淳也
え、それは何?
3人目が女の子が良かったから
牛島悠紀
そうそうそう
3人目には裁縫を教えようみたいな
あるんかもしれないですね
板井恒理
なんかちっちゃい頃から手先が器用とかね
よくおだてられたりとかしてましたし
まあなんかそういうの好き
あと多分掃除とかね、部屋のレイアウトとかインテリアとか好きだった
近藤淳也
でも家庭科って高校とかもなくないですか?
僕存在しなかったですけど、男子生徒は
高校?
牛島悠紀
中学校も?中学校もなかったっけ?
板井恒理
いや、ありましたね
近藤淳也
ありました?
板井恒理
ありました
近藤淳也
あれ?
板井恒理
多分記憶にないだけだった
牛島悠紀
うん、多分興味がないから
板井恒理
よっぽど面白くなかったんじゃないですか
牛島悠紀
料理とか作ったり
板井恒理
あれ、そうかな?
牛島悠紀
裁縫も
近藤淳也
小学校は覚えがあるんだけど、中学校は男女別だった気がする。
男子は技術で、女子が家庭科だった気がするんですけど。
板井恒理
多分学校によっては選択できるところもあると思うんですけど、僕はもう大好きだったんで。
っていうのと、この辺はちょっとおかしいんですけど、男の家庭科の先生面白いやんって。
それは結構思ってたんですね。
男の家庭科の先生で、野球部の監督で講師に行く。面白いやんって。
(茅)それ面白い。なかなかいないですね。 (西)そこから高校、大学事件探し出して、先端試験終わった後に、僕、大阪一大目指してたんですけど、
(西)一大の生活学校行きたいんですって言うと話したら、数学がびっくりするくらいダメだから、絶対無理って言われて。 (岡田)へぇ。
21:01
板井恒理
そこから路線変更して、体育やったらいけるかなっていうので、
その大学に行ったという感じですね。
近藤淳也
じゃあ、もう高校の時にイメージとして、
板井恒理
男性家庭科の先生で野球部顧問というイメージを描いていたんですか?
描いてましたね。完全に描いてましたね。
近藤淳也
すごいですね、その具体的に。
高校時代。
板井恒理
なんか喋れば喋るほど変な子供ですよね。
近藤淳也
いやいやいや。
あの頃は。
いやでも、その子まで具体的に高校時代にイメージしてる人って少ないじゃないですか。
牛島悠紀
確かにそんなのね
近藤淳也
すごいと思いますけど
板井恒理
まあまあ野球です全ては
野球、甲子園
近藤淳也
甲子園ってやっぱ大きいんやな
板井恒理
いまだにテレビ見たら泣きますから
ああそうですか
感情移入とかじゃなくて
何なんでしょうねあの感覚は
近藤淳也
まあ辛さも染み込んでそうですけど
そうなんです色々
板井恒理
だから普通の人は野球を
だから普通の人はあれ、野球、高校野球とか見出したら、
試合終わって9時が泣きながら砂集めてる時にちょっとこう、もらっちゃうとかあると思うんですけど、
僕1回思ってんの「あー」で泣くんですよ。
近藤淳也
(笑)
板井恒理
早い早い!
牛島悠紀
「来た!」って言ってる。
早い!
板井恒理
なんかもう見れないんですよ。
牛島悠紀
なんだろう、もう始まる感じでもう、
板井恒理
「うぅー!」ってなっちゃう。
牛島悠紀
思いが溢れて、
早いなぁ~。
近藤淳也
すぐ出てきちゃうから。
そっかぁ。
板井恒理
見れないんですよ。
牛島悠紀
へぇ~。
ほんとに。
板井恒理
ぐらいですよ。
牛島悠紀
そんなに見たかったんだよ。
近藤淳也
僕はなんかそのめっちゃ頑張ったのに試合にも出れないみたいなのが嫌で団体競技のクラブは全部避けて生きてきてます
でも出れない時期も長かったですよ本当に
板井恒理
そんな高校までの人生でしたね
近藤淳也
大学行ってまた野球やりながら
板井恒理
でも大学はね不思議なもんでめちゃくちゃ野球部に入ろうと思ってたわけではなかったんですよ
そうなんですね
それはなんか僕はもう野球部に出て野球部の監督になるっていうことを
別にそんなにイメージしてなかったんで
せっかく大学キャンパスライフなんでとかいろいろ思ってたんですけど
気がついたら野球部の見学に行き
入部の意思を示してないのに1年のキャプテンに選ばれていて入部しちゃったっていう感じです
すごくないんですよ
ああいうのってちゃんと連絡も回しそうとか そんなレベルで決められてたんで
それで大学野球部門を気がついたら 公式野球部に入ってて
しかも1年の時にキャプテンって決められてて
なんか急に無駄な重たい荷物を 背負ってしまって
大学時代もほぼ野球しかしてないですね
近藤淳也
で、先生に…
板井恒理
そうですね、その辺が
でも、なかなかあったんですね
大学で野球部キャプテンやってたんですけど
僕は人生で唯一後悔してる経験があるとしたら
キャプテンやったことなんですよね
自分でやりたいと思ってやったわけじゃなくて
24:00
板井恒理
高校入って、大学入って
大学野球部の体育会のキャプテン
就職に演っちゃうかぐらいの感覚ですよね
要は、エライんちゃうかと
それはもしかしたら兄を追っかけてた
そういう感覚でやっちゃったんで、別に自分がキャプテンやってチーム引き居たいとかじゃないようにやっちゃったから、めちゃくちゃしんどかったんですよ。
しんどいですか? 全然野球も楽しめなかったし、特に監督とか大人がいないんで、大学の組織って。
合宿、どこ行くから、予算どうするから、試合どうするとか、スタメンバー誰やるかとかも、大体キャプテンとかその辺で決めていくんで、大変。
牛島悠紀
そんな色々キャプテンが
板井恒理
キャプテンだけじゃないんですけどね
幹部メンバーでやるんですけど
なんだろうあの詐欺にあったんですよ大学のとき
集団詐欺になったんですよ
近藤淳也
なにそれ
板井恒理
ちょっと喋っちゃうとね
要は大人がいない大学の野球チームなんですけど
結局やっぱり
甲子園を目指すように大学だと
神宮というのを目指すんですけど
神宮行くためにもっと良い指導者に教えてほしいって
メンバーは思うわけですよ
ある時、とある電車で出会った野球教えのうまそうなおじさんを
うちのメンバーがグラウンドに連れてきて
近藤淳也
ちょっと待って、いきなりあったんですか?
板井恒理
いきなりですよ、だから
そんな、結構ちょいちょいあるんですよ
でもなんかその人がすごいこうメンバーを改住していくわけですね
食事に連れてったりとかして
今のチームはこういうところがあかんのちゃうかみたいなこと言いながら
その人の能力を上げていくから
すごい支持されるわけですよ
支持されて、支持されて、支持されて、でも別に何の契約も結んでるわけじゃない人やから、
近藤淳也
ずっとグラウンド来てもらうのまずいんちゃうかみたいな。
板井恒理
で、なんか知らなかったんですけど、
まあ一向上の先輩が、その人に携帯の名義を貸してくれみたいな相談をされていて、
牛島悠紀
でもまあチームの中で結構重要な人物になりつつあるから、断れないわけですよ、その先輩に。
板井恒理
名義を貸しちゃって、その名義で何かいろいろされてたみたいな事件があったりとかですね。
近藤淳也
されてたってお金使ったり、そういうことですか?
板井恒理
そうですそうですそうです。
近藤淳也
携帯の名義で?
板井恒理
うん、まあ多分、多分だから悪い活動をしてるんじゃない?この名義によって。
だからこの携帯のお金自体は知れてるんでしょうけど、
そういうのなんか、まあ10万円を超える桁のお金がやられたと言ってましたけど。
近藤淳也
へー。
板井恒理
まあだからそういうのの責任も全部取らざるを得ないというかね
最後そのうさぎの人だってわかる前に
出て行ってくださいという話をするわけですけど
なんかもう2、3時間ぐらい携帯の電話の向こうで同活されてですね
大人をなおなおなもう電話で言うしかないと
とりあえずって言って
まあなんかどういう携帯か覚えてないですけど
もう3時間ぐらいずっと大人な目の殺すぞみたいな
僕たちのことをずっとされたりとかして、なんで俺なんやろうとか思うじゃないですか。
27:04
板井恒理
だからね、結構その大学野球自体は僕は後悔が多いんですよ。
もっと純粋に野球したかったなって。
近藤淳也
なんかしんどめな話多いな。
板井恒理
割と結構しんどめなこと多かったっすね、多分。
でもね、純粋にその中で4回生の時には卒論がめちゃくちゃ楽しくて、それが今のキャリアにも若干繋がってるんですけど、
僕は体育科なんですね。大学を体育で受験してるんで、体育科の中には、それこそ理系、運動生理学とかですね、
そういう理系のジャンルもあれば、スポーツ、技術学みたいな文系のジャンルもあって、
その中で僕は、舞踊学って言って、ダンスを専攻してたんですよ。
当時、哲学書の神体論っていう哲学書があって、
でもよく神神一元論とか二元論とかあるじゃないですか。
周りにやたら興味を持って書いてですね。
で、まあその舞踊学のゼミで卒論でその身体論に関わるテーマで研究をしてる時が
まあ多分その大学で野球やってる時期よりも一番没頭したんですよ
近藤淳也
ふ~ん
板井恒理
めちゃくちゃ楽しくてですね
で、これ話すと長くなっちゃうかもですけど
僕は大学の時にその小学校5年生の女の子が
掲示板上の書き込みに怒りを覚えて
隣のクラスの子を差し殺すみたいな事件があったんですよ
その時によく言われたのが、普段はそんな子じゃないのに、ネット上では全然違う人格だみたいな。
そういう事件って当時結構いろいろあったわけですよ。
ニュースで、普段はそんな人じゃないのに、みたいな人がやたらやるみたいなのが、
結構小学校とか低学年で起こってるのに、要はネットの掲示板とか、メールとか電話とかチャットとか、
こういうコミュニケーションツールはちょっと変わってきた時代なんで、
人が身体をかわさずにコミュニケーションを取ることって、
なんかいろんなリスクあるんちゃうかなみたいな。
少年犯罪とかそういう関心を持ち出して、
どうせ体育の先生になるんだったら、
その身体を返してコミュニケーションを取るとか、
身体を使うっていうことの意味ってなんなんっていうことを
ちゃんと極めたいなっていうふうに気になってきて。
で、卒論やったのがめちゃくちゃ面白かったですよ。
卒論は高校生のコミュニケーションツールがもたらす、
高校生の人間関係に関する、そういう研究をしたんですけど、要は普段のコミュニケーションの中で、
匿名性の高いもの、掲示板とか、あとは一応メールの中でも本人じゃなくてもやりとりができるものとかね、チャットとか。
これが、匿名性が低くなっていって、メールとか電話とか対面とかっていうふうに、そのコミュニケーションの種類をざっと分けて、
30:02
板井恒理
特命性の高いもののコミュニケーション 頻度が高い人と、
そうじゃないもののコミュニケーション 頻度が高い人で、
対人関係にどういう違いが出るのかみたいな。
へぇ〜。 こう、
色々アンケートを取ったりとかして、
性格調査とかしてやったら、
如実に、特命性が高いコミュニケーションを 好んで取る人は、
攻撃性が高く、自分に対する信頼感が低いという。
信頼感低いの? そう、自分と他人に対する信頼感がすごい低いと。
自分に対しても? 自分にも他人にも
板井恒理
へぇ~
要は二面性がそこで生まれてくるみたいですね
自分というものと違うバーチャルの存在を作り出すみたいな
そういう傾向があるという結果が出てですね
近藤淳也
特命的自分みたいなのがあるせいで
信頼がないってことですよね
板井恒理
ある意味そうですね 自分を偽ってるっていう状態かもしれない
そこまでは調査はしてないですけど
結果的なそういう結果にはなりましたね
近藤淳也
キャラ作りみたいなのをバーチャルの中でしちゃうから、それは結局偽物って自分でも分かってるみたいな、そういうことですか?
板井恒理
そう、どんどん自分を使い分けるけど、これは推論ですよ。
推論ですけど、自分を使い分けるからこそ人もそうしてんじゃないかって思うと、どんどんどんどん信頼感なくなっていくみたいなことが、高校生の間で結構如実に起こってるんだなっていう。
牛島悠紀
へぇ~
板井恒理
それすごい楽しかったんですよ。
近藤淳也
確かに確かに。
そういった原因と結果は逆ってことはないんですか?
要するにそういう考えの人はリモートとか バーチャルな方法を頼りがちみたいな
板井恒理
あり得るんじゃないですかね
それは
あり得ると思いますね
近藤淳也
はいはい
板井恒理
だからそういう初めて自分が研究とか好きなんだなっていう事に気づいたら
ふと兄貴を見れば二人とも研究職とか追求者みたいになってるんで
ようやく自分はそういう組織引き入るとかですね、リーダーになるとかより
好奇心探求の方が強いのかなみたいなことを感じたのが大学出る直前って感じです
近藤淳也
全然社長に繋がらなさそうな感じ
板井恒理
今でも社長のつもりは全くないです
近藤淳也
そうなんですか
板井恒理
なりたいと思ったこと一度もないし
近藤淳也
へー、なるほど
じゃあそこでなんすか、高校野球の監督諦めたところですか?
板井恒理
目的が変わりましたね。
高校生に行きたいから、先生になるというところから、
だんだん人の行動とか、進度とか、キャリアに興味を持つようになってきたんですよ。
これさっきの卒業の話とちょっとずれるんですけど、
大学の野球部が60人ぐらいのチームで、野球って言っても9人しか出れないじゃないですか。
ベンチ入り含めて18人とか20人なんで、
60人のチームだと、4年間そういうことやっても、
ベンチにも入れないみたいな。
まさに。
そこですよ、そこ。
集団スポーツのすごい大変なところがあって。
ましては僕らは国立で、別に甲子園ボーイがいっぱいいるわけじゃない中で、
33:03
板井恒理
その市学で甲子園ばっかり行ってるメンバーが集まってるチームと戦わないといけないみたいな。
そういう中で野球やってて、
僕は結構すごい記憶に残っているのが、
試合に出てる9人以外が活躍して 強豪校を破るっていうシーンが何度かあるんですよ。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
例えばね、これまぁちょっと手前みその話ですけど、
僕も試合に出てない時、ランナーコーチっていう役割をやってて、
ランナーコーチって分かります?
近藤淳也
(笑)
1類の横にいる人が?
板井恒理
そうそう、ダイヤモンドの横に1類と3類。
ここちなみに…
近藤淳也
手回してる人でしょ?
板井恒理
そうですそうです。
牛島悠紀
いや~分かりました。
板井恒理
大学野球とかレベルになると、 意外とこの辺の人大事だったりするんですけど。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
僕はそれでランナーコーチやってて、
今、大学出てからメジャーに行ったピッチャーの子がですね、相手チームにいて、
めちゃくちゃいいピッチャーなんで、打てないわけですよ。
どんだけそのチームで戦っても、1点取れるか取れないかみたいな。
大学野球とかだと、そいつのビデオをですね、
「偵察」って言って、一日中ビデオを撮って、
で物質に持って帰ってきて全員でそれをもう60人でわー見るみたいな
おー
やってるんですよ
でもやっぱりただビデオ見ててもそんな大した成果が出てこないんですけど
なんかある時そのピッチャーの本当にもう
穴が空くぐらいそのピッチャー見てたら
だんだんそのピッチャーの癖がわかってきた
でその部員全員で部屋でそのビデオ見てる時に次まっすぐ次カーブとか言ったら
牛島悠紀
全部100発100手打たれるんですよ
えっ
近藤淳也
へぇ~
すごっ
いやわかりやすい癖やったな実は
板井恒理
う~ん
めちゃくちゃわかりやすい
僕ラジオでは表現できないですけど
もうそのピッチャーのモーションが全然違うんですよ
近藤淳也
へぇ~
板井恒理
球の種類だったね
全然違うんですよ
要はスローカーブっていうのが狂って分かってたら
結局145キロで来る真っ直ぐと
本当に100キロ台で来るカーブの
近藤淳也
この簡単さっていうかね
板井恒理
それで打てないんで
これが分かっちゃったら勝ちなわけですよ俺は
そのもう全員が癖分かった状態で試合に行って
で、もう本当に9回まで、1点負けてる状態かな。
8回ぐらいかな、8回まで1点負けてる状態で、
ワンナウト2、3類とかで、
僕らもう癖わかってるってことを最初からモル出しにしたら相手にバレるって思ってたんで、
近藤淳也
ここを位置で使おうみたいな。
使わずにいったんや。
板井恒理
僕がランナーコーチをやってもいてるわけですけど、もうわかるわけですよ、1球1球。
その1アウト2サウンドのタイミングで スローカーブの癖が出たんですよね
多分あの時全員が来たと思ったんですけど
いまの時絶対誰も打てなかったスローカーブを しっかりバッターが打って2点取って勝ったんです
近藤淳也
へーすごい
板井恒理
もうね結局勝った時にめっちゃ嬉しいわけじゃないですか なかなか打てんびちゃん
近藤淳也
で勝ったーってなって普通打ったやつが 遠上げされると思うんですけど僕がされるわけですよ
二代さんが あーまあねその分析した貢献によってやもんね
36:01
板井恒理
そんなんは野球やつは初めての経験で
こういうのをよく僕たちは全員野球とかって言うんですけど
要は一人一人の個々の能力では絶対勝てないけど
何かチームでやった時に一人一人が活かされてくるとですね
近藤淳也
チーム力で勝てるってすごいあるんですよ
板井恒理
僕らのチームって気持ち悪いってよく言われてましたね
そんなに上手くないのに怖いと
近藤淳也
なんかみんなで
牛島悠紀
何してくるか分からないみたいな
近藤淳也
そういうのがじゃあいたいさん得意なのかな
板井恒理
その時はね、たまたま、それは僕の話なんですけど、その後、後輩のメンバーで、そういうことは全然上手くないんですけど、
一緒ですね、高校時代も僕と一緒なんですけど、誰よりも練習するやつがいるんですよ。
野球って、だんだん練習してても試合出れなくなったら、なんていうのかな、なんで俺のこと評価してくれんねみたいな、
スネモードになる人って結構いるんですよ。上はわかってないとか、最下位はわかってないとかっていう。
でまぁそいつも多分このままずっとこのまま練習頑張っても試合でやれへんなっていう感じだったんで
ある時あの僕キャプテンの時に
多分このままやってもレギュラーで試合でることは無理だと
そんな絶対言われたくないと思うんですけど
近藤淳也
でもバントはめちゃくちゃ上手いでと
板井恒理
バントリーダーやってみるっていう話をしたら
当然そいつはレギュラーになるために練習してるから最初はめちゃくちゃ嫌がったんですけど
一回やってみますよって言ってバントリーダーだったんですね
練習の時の彼を見る目が周りがすごく変わってですね
結局バントめちゃくちゃ上手いんで
レギュラーでもバント下手な子とか悩んでるから
そいつに教えをこいにくいのになったんですよ初めて
じゃあもう誰も俺のこと見てくれへんって腐った目で練習してる奴が
キラキラキラキラして出して練習で頼られるし
バント決めるし
そいつが初めて試合で出たのはバントのための台だんですよ
近藤淳也
うん
牛島悠紀
なるほどね
板井恒理
そんなんあるんですよ
でバントのための台でバントパッチンって決めたら
もうありえないぐらいチームが盛り上がって、これまた勝っちゃうわけですよね。
なんかそういうのをありがたい、この大学の野球ではいろいろ見させてもらって、
なんか野球ってレギュラーにならなければダメみたいな思い込みがすごい強いんですけど、
牛島悠紀
なんか勝つっていう目的のためにやれることって実はめちゃくちゃたくさんあって。
なるほど。
板井恒理
で、就活しているとき、まあ3回生でみんな就活するわけですけど、
なんかこう、そこそこの大学やから、いい就職をしなければ価値がないみたいな感覚が結構あるんでしょうね。
100件、200件取り出して、とにかく名だたるいい企業に行かなければいけないみたいな収穫するわけですけど、
実際いい会社に入っても3年以内に辞めていく人とか結構先輩でもたくさんいたし、
何がやりたくてその会社に入るんとかってあんまないわけですよ。収穫制の人たち聞いてても。
だから、盲目的に良い会社を目指す周りの就活をやっている人たちと、盲目的にレギュラーを目指しているその子って、結構僕の中でリンクして、
人生、社会人になってから40何年働くのに、ただただ人に認めてもらうために、一生懸命背伸びして就活をしたりとか仕事をしたりとかじゃなくて、
39:09
板井恒理
自分の中にキラッとするものというか いいなと思うものとかを
もっと世の中に発揮することで 価値を出せる方が楽しいやんと
だって彼の目はもう全然違うかったもん
で あったときに 真の指導とかって 間違ってんちゃうかなみたいな
言語大学 いい大学に行けしか言われなかったし
それに対しての意味を求めても 誰も何も教えてくれないじゃないですか
勉強しないとヤバイよしか言われないし
それはそれで一部あると思うんですよ。 全く嘘だとは思わないんですけど、
やっぱり一人一人の、あんたの個性とか才能って言ったらありふれた話ですけど、
キラッとしたものとか自分の好きなものを、
もうちょっとこういうふうに社会に発揮しようみたいなことを教えてくれる人って、
社会であんまりなくて、そういうの嫌だなってなったときに、
どうせったらそういう真の指導ができる先生になりたいというふうに、
大学の間に結構変わっていったんですよ、目標が。
大学4階で先生になろうと
近藤淳也
へぇ~
そのじゃあ打球部の経験大分おっきいですね
板井恒理
めちゃくちゃおっきいですね
近藤淳也
その方のバントリーダーという役割があるってのも知れなかったですけど
板井恒理
勝手に作っただけですけど
近藤淳也
そうなんですか勝手に作ったんですか
一般的じゃないんですね
板井恒理
全然ないですそれは
近藤淳也
もうあとそのそもそもランナーコーチの体験もあるんですけど
ちなみに、な話すると言いますけど、その打ったピッチャー、攻略したピッチャーは、癖直せたんですか?
板井恒理
直しました。
近藤淳也
メジャーでそれ分かったらヤバイですよね。
板井恒理
いやだから、その癖分かってから急に打たれるようになって、フォーム変わったんですよ。
近藤淳也
あ、変えてきたんですか?
板井恒理
変えてきたんですよ。
近藤淳也
それいたいさんがみんなに知らしめたんですか?
板井恒理
いや知らないです。
近藤淳也
公表したんですか?
板井恒理
さすがに。
近藤淳也
他でも同じように見破られたってことですか?
板井恒理
多分そうですね。
近藤淳也
へー。
板井恒理
だってあんな打たれるわけないものが打たれてるんでうちのチームにやったんだよ
多分そっからどっかも気づいたんでしょうね
近藤淳也
なるほどなるほど
そういう情報戦みたいなとこあるんですね
板井恒理
逆にそっからその理由は結構癖探り合いみたいになってましたよ
近藤淳也
へぇ~
板井恒理
他のピッチャーの癖とか結構見抜きましたけどすぐバレるし
あとはね、たまに言うことになりますけどサイン盗むとかもありますよね
ランナーコーチって相手チームのベンチ見えるんで
ずっと監督のサインとか見てるんですよ
わかるんですよね これもまた
近藤淳也
じゃあそれもそうか 対策して帰って行ったりするってことですか
板井恒理
帰って行ったりしますね
近藤淳也
うわ めっちゃ
板井恒理
そうだ 角になると
そのバックセンターの
後ろのそのバックスクリーンからビデオを撮ってて
近藤淳也
キャッチャーのサインとか見てるとかもあったりするんですけど
板井恒理
さすがにはダメなんですけどね
近藤淳也
それダメなんですか
板井恒理
そうそう
基本 サイン盗むとかはそもそもあんまり良くないんですけど
近藤淳也
そうなんですね
板井恒理
癖は全然良いと思うんですけどね
そういう世界ではありましたね
近藤淳也
なるほど
へぇ
じゃあその人なりの
42:00
近藤淳也
なんというか
個性というか
そういうところを見つけて
伸ばそうよみたいな
板井恒理
当時はね、だから
自分なりの役割やポジションを
生み出す力みたいに
自分の中で定義づけてたんですけど
なんかね、野球だったら
ポジションって誰かが決めてるけど
言ったら500万社ぐらい会社がある中で、自分の役割やポジションって見つけて生み出していけることは多分できんちゃうかと、バッドリーダー的に。
っていうふうに当時はすごく思いましたね。
近藤淳也
まあね、確かにそれ見つけるたら一番いいやんって思いました。
板井恒理
ありがとうございます。今近藤さんの目がキラーっとしました。
近藤淳也
僕はもうなんていうか就職活動時点でちょっと
板井恒理
この感じもう無理ってなってシューって引いたタイプなんで
あの意味感度が高いじゃないですか
僕みたいに周囲とずっと比較されてきた人間は
もうダメってなっても逃げることの方が怖かったりとかするから
この就活気持ち悪いわとかって思うことさえなかったんですけど
やってなかったですよ僕は先生を目指してたんでね
でも周りとか見ててもそういうもんやろうなって結構思っちゃってたんで
近藤淳也
うん
板井恒理
やっぱ確かに明らかに誰の目も輝いて
まあこれ言い過ぎかな
目は輝いてなかったなと
牛島悠紀
うん
板井恒理
私まあね
ちょっと正直
週末は馬鹿試合みたいになってるとこあるじゃないですか
近藤淳也
いやわかんないです
なんかもうその場所に立ってないんで
板井恒理
あそうですか
近藤淳也
はい
板井恒理
でも以前立ってらっしゃった時とか
選考とかされてなかったですか
近藤淳也
ああ
あの迎える側というか
板井恒理
会社側としてですね
近藤淳也
そんなことはあまり…どうなんかな?あるんかな?
わかんないです。僕はちょっと人を信じすぎなのかもしれないですけど
板井恒理
いやいやいや、僕、人を信じないと社長なんかできへんなという気はありますけど
まあやっぱり自分とは違う何者かをアピールするような就活する人って多いと思いますよ
牛島悠紀
うーん
板井恒理
それはなんかよくわかんないですけど、就活攻略講座みたいなね
就活塾とかあるじゃないですか
近藤淳也
してますね。 収穫を攻略するための塾があるんです。
板井恒理
僕も採用代行とかでよく新卒の面接とかやるんですけど、
本当に面白いですよ。新卒の面接の時期になったら、
バイトの副リーダーがめちゃ増えますね、世の中に。
私はスターバックスで副リーダーをやってました。
バイトリーダーかな、バイトリーダーと副部長がめちゃ増えるんです。
なんでそれやってたのかと聞いたら、人の間に立って潤滑湯のように立ち回ることが、みたいなことが。
近藤淳也
会社に好かれそうなの?
板井恒理
そうそう、だから世の中は潤滑湯だらけになってくるんですよ。
近藤淳也
ああ~。
板井恒理
やっぱり面接されたら思いますよ。みんな潤滑湯なんやねん。
近藤淳也
はははは。
それを言うとポイントが上がるっていうのが、
板井恒理
もしかしたらね。
近藤淳也
広まってるんですか。
板井恒理
まあよく学地下って言われるんですけど、学生時代に力を入れたことをいかに集活でPRするかみたいな。
45:00
近藤淳也
そうなった時に、別に何かに意志を持って力を入れたというか、結果的に力を入れたものをいかにしゃべるかみたいになると、バイトリーダーと副部長が増えるんですよ。
板井恒理
なんでそれやったん?って聞いたら、だいたい答えは出てこないんですよね。
なんか、それってもう僕は馬鹿試合やなと思ってて。
確かに。
近藤淳也
そんなことなってるんや。
板井恒理
そう、このさん意外と知らないですね。
近藤淳也
僕本当に就職活動って
僕が行けば絶対通ると思って
一車だけしか置けずに落ちたんですよ
かっこいいですね
しかもいわゆる普通の就職活動って
こういうふうにしゃべった方がいいみたいなのとか
板井恒理
何も知らずに
牛島悠紀
そんな行ってしゃべってわかってくれるやろみたいな感じで
近藤淳也
僕もそうやったんですよ
板井恒理
だからこれも就活の話しますけど
結局僕は学校生成になろうと思ってたんで
4回生の5月かな?に学校の公募が出るんですよ。
で、僕奈良県で先生になりたいと思ってたんですけど、
もう当時倍率すごい高くて奈良県とか体育の募集なかったんですよね。
どうしよう、どこの県で先生になろうかなって思った時に、
就活してた女の子から「あんた先生なんの?」つって「なんでなりたいの?」って言われて、
「いや、あの、振動指導したいねん」と。
だからその子が「あんた就活もしてへんねん、やろ」と。
「収穫したことない人間に 進路とか語られたくないわ」って言われて
近藤淳也
なるほど
カチンってきて
板井恒理
「わかった、収穫するわ」って 初めてなんですよ
僕の当時の5月とか6月とか ほぼみんな内定出た後なんで
あんまり残ってないんですね
収穫のことよくわからないし
とりあえず初めて見て 一番最初に言ったのが日本生命という会社なんですね
法人営業っていうのを やってみたかったんですよ
企業の会社さんのやりとりとかを見ると
その親友指導とかに役に立つんじゃないかみたいな
個人向けの仕事をするより法人向けの仕事とか営業した方が世の中知れるんちゃうかみたいなんで
日本声明言ったんですね
説明会で、まあそこは総合職の募集なんですけど
過去10年間女性しか採用したことありませんと
おおみたいな
なんでああみたいな思うじゃないですか
近藤淳也
保険レディー
板井恒理
結局そういうことです
でも法人向けの保険の営業なんで別に彼女もレディーじゃなくてもいいはずなんですけど
そういうところで、面接、じゃあ説明会で、説明会はいいか、面接行くわけですよ。面接で自己PRしてくださいとか言われるじゃないですか。
僕、そんな収穫対策も何もしてないんで、とりあえず野球部でキャプテンやってると。自分一言で言うと「なんですか」って言われて、「男ロマンです」とかよく分かる。
近藤淳也
なんかそこ面白いこと言いますね。
そうそうそう、よく分かんないこと言ったらもう、それ考えていったんですけど。
板井恒理
それはね、友達が僕につけるとミドルネームなんですよ。
元々「アツイ」と言われるタイプなんで、
「男ロマンです」って言って、なぜならって説明するんですけど、
牛島悠紀
言ってることが普通の収穫者じゃなさすぎて、
板井恒理
隣の子がこんなに見てるんじゃない?
近藤淳也
(笑)
牛島悠紀
何言ってんの?
48:00
牛島悠紀
この人なんか、ヤバい人来たみたいな。
近藤淳也
収穫?分かってるみたいな。
板井恒理
こっちはクソマジメじゃないですか。
「男ロマンです」とか言ってるね。
で、説明会でもお話しましたが、我々は10年間女性しか左右してませんけどみたいな話をされたら、
男性第1号のユニフォームを作りたいと思います、みたいなことを言うわけですよ。
真面目に。僕は結構本気で言うんですよ、そういう時。
なりたかったんで、隣の子は。
近藤淳也
あ、そっか、伊泰さんがそれ言ったってことね。
板井恒理
僕が言うんですよ、はい。
で、もう面接終わった後で、なんですか今の、面接はみたいな、隣の子に。
言われたんですか?
「すごいっすね」みたいな。
近藤淳也
「それどうると思ってるんですか?」みたいな感じですか?
板井恒理
私の知ってる間にやるにはなかったみたいな感じ。
確かに、横にいてはびっくりするかもしれない。
牛島悠紀
「男のマンです」とか言うてる。
近藤淳也
いや、わかるけどな。僕もそんな感じだったわ。
板井恒理
だから自分のことをちゃんと話せば、
ちゃんと評価してくれる人は評価してくれると思ってたんだよね。
だから今まで、試験とかもあんまり失敗しようとないのに、
初めて日本声明で落とされて、
こういうことなんやみたいな。
たまたま大学の野球部の先輩がリクルートっていう会社にいて、
僕は5年で辞めて先生になりたいと思ったんですね、当時。
さっきのカッチンから。
社会人経験つねが先生になるのと。
だから5年で辞めて先生になりますっていうことを野球部の先輩に相談してたら、
リクルートを受けてみるって言われて。
受けたときにもう男ロマンの話とかしっかりして、
5年で辞めて先生になるんですよ、しっかりして、
ちゃんと理解して、君だったら家で夢叶えれると思う。 4つで最後かって握手をして。
近藤淳也
男ロマン通じたんですね。
板井恒理
通じちゃいましたね。
近藤淳也
いいですね。
牛島悠紀
後々聞いたらもう本当は枠なかったらしいですけど。
近藤淳也
じゃあ逆にすごい良かったってことでしょうね。
板井恒理
ねじ込んでいただいたみたいな。
近藤淳也
男ロマンが良かったんじゃないですか。
板井恒理
男ロマンが良かったんですよ。
近藤淳也
だからあの時嘘ついてね、男ロマンの話とかせんか、 敵との話してたらこんな出会い多分ないと思うんですよ。
板井恒理
5年で辞めて先生になりたいと思うから 多分認めてくれたはずやけど
やっぱり今なによくそんなの正直に言いましたねって 言われるんですよね
普通だって5年で辞める人取らへんでみたいな
近藤淳也
ちょっと変わった会社ですよね リクルートも
やっぱり本音で話聞いてくれる感じは あるのかもしれないですね
板井恒理
だから学生の頃ってそんなの分からないから
結局いい出会いをするために やっぱりちゃんと自分の話をするべきだと思うんですよね
誰にでも合わせれる自分を演じて どっかに入れてもらうみたいなのを
後々考えたら恐ろしい話じゃないですか
近藤淳也
いやそうだと思いますよ
板井恒理
比較的こっちを教えられてますやっぱり
近藤淳也
今もそうですか
でもなんかそれ
僕が思ったのは
なんか大学受験もそういうとこあるじゃないですか
なんかもう何したいかよくわからんけど
板井恒理
めっちゃ行きたいことにして
めっちゃ頑張るみたいな
近藤淳也
でも本当は何したいっていうのは 誰もわかってないみたいな
なんかすごいあるけど
まだ世間知らずっていうか 世の中にこと全然わからないから
51:00
近藤淳也
とりあえず頑張っていっとけみたいな ギリギリなんかわかるんですけど
板井恒理
わかりますわかります
もうなんか22歳とかになってきたら
近藤淳也
いやちょっとそろそろキツないですかそれっていう感じが 僕はあった学生の時に
板井恒理
いやめっちゃそう思います僕は
近藤淳也
でしょ
板井恒理
うんめっちゃそう思います
それを未だにそうやってるんやってるのはなんか
未だにそうだったな
近藤淳也
大丈夫なんですかね日本は
板井恒理
大丈夫じゃないでしょうかね
そうなんですか
近藤淳也
そんな批判的な話になると思ってなかったけど
板井恒理
まあなんかそうですね
ポジティブな部分もあるけど
なんか個人を見たとき
僕は日本がどうとか世の中がどうかは
わかんないですけど
その個人を見たときには
それこそ大学までよく頑張ってきて
そっからまた自分を偽って生きていくんやみたいな
近藤淳也
そうですよね
しかも大学ってちょっと本音で生きれるじゃないですか
板井恒理
そうなんですよ あの時期はね
近藤淳也
自由な やっと自由が
自分の好きなこと好きにできるみたいな
タイムが来て、そのまま自分っぽく行くのかと思いきや、もう一回肩にはめて行くの?みたいなところが、
そうですね。
じゃあ伊泰さんもその辺が課題意識が。
板井恒理
その時だから、今の会社に繋がるんですけど、やっぱりそういうキャリアとか、就活とか、そういう意味で課題意識は結構持ちましたね。
で、リクルート拾っていただいて、入社するという、そんな流れです。
近藤淳也
やっと就職した
(笑)
板井恒理
喋り出したら長いです
近藤淳也
(笑)
板井恒理
それで
リクルートという会社に入ってですね
一番最初は営業をやるわけですけど
飛び込みの日々ですね
飛び込み営業
へー
入社して最初に
名刺を100万円くらい渡されて
町に出て
100人と名刺交換してこいと
近藤淳也
一番多く名刺交換したやつが勝ちだみたいな
本当にそういう感じなんや
牛島悠紀
名刺交換キャンペーンみたいな
近藤淳也
噂には聞きますけど
やっぱり本当そういう感じ
板井恒理
そうです
そこから半年一年ぐらいは
ずっと一日50件飛び込みして
100件テレアポ
へぇ~
やってましたね
近藤淳也
本当にそういう感じなんですね
板井恒理
扱ってたのがアルバイトの求人媒体だったんで
それこそアンノウに飛び込んできて
新さん行ってバイト求めてませんかみたいな影響をするわけですけど
だからね結構しんどかったんですけど
でもやっぱめちゃくちゃたくさんのオーナーさんとか社長さんに会えたんで
なんかね楽しかったっちゃ楽しかったですね
結局だからそれは社会人経験を積むためって言ってやってるわけですけど
1年目にまず僕はだから今まで大学でキャプテンやったりとか
収穫も言っても、認識制取り来るとしか 受けてないし、なんか調子に乗ってたんですよ。
で、なんか同期で入社した人も体育会の人いないし、 楽勝やなと思ってたら、全然売れなくて。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
いやもう1年目全く売れなくてですね。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
毎週毎週金曜日に「やめろやめろ」と上司に言われる。
54:03
近藤淳也
へぇ~。第三でも?
板井恒理
いやでも僕はそもそもしょぼいんですよ、ほんとに。
牛島悠紀
いやいやいやいや。
板井恒理
いやもうほんとに。
高校入った時もめちゃくちゃ下手だったんで、レギュラーになるまですごい頑張ったし、頑張ったっていうか、要はしょぼかったんですよ。
社会人になってもしょぼかったし、なんなら社会人の時はしょぼいことに気づくのに半年かかりましたからね。
牛島悠紀
なんか俺がしょぼいんじゃなくて、周りが運がいいだけって本当に思ってました、半年ぐらい。
近藤淳也
へー、そうなんすか。営業は上手そうですけどね。
板井恒理
いやだから、おかげさまでじゃないすかね。
でもこれも話すとまた長くなるんですけど
やっぱ最初の営業って
僕リクルートの時もプレデンシャンもそうなんですけど
まずは肩にはまるんですよ
いわゆる手張りの衆みたいなもんですよね
どんなパーソナリティだろうと
やり方は教わった通りにやれと
まあシンプルに教わった通りにやって成果出へんやったら
数を増やせ
教わった通りにやらへんやったら成果出せ
こんな選択できるやつなかなかいないじゃないですか
本当はいろんなやり方があるはずなんですけど
教わった通りにやって、他より数をやればいけるんだっていう世界でやろうとするから。
要はこの時でも個性もくそもない戦いをするわけですね。
この時はほんまに売れなくて。
何年かつって本音が出てこないというか、
求人広告なんて、例えば1Kサイするのにアルバイトで10万くらいかかるわけですよ。
その辺のコーヒーショップに飛び込んで、
バイトが「もうやめてもうたんや」って言われて、
じゃあ乗せましょう、フロームエンドって言ってですね、
4、5万の枠を乗せるんですよ。
でも、応募が来ると限らない。
だから1週間乗ってるときに、
「応募来てますか?」って出ましたら、
「伊太君、全然受けへんで」と。
乗ってる、ほんまに。みたいな。
で、1週間経っても、電話かけても、
「全然受けも、応募受けへんで」って言って、
掲載が終わってしまって、翌週行くじゃないですか。
伊太君を信用して掲載したのに、
5万円も払って、
「伊太君ね」と、
5万円払うためにコーヒー何倍売らなかんか知ってるみたいなことを1年目でいろんな人に言われるわけですよ。
マジで詐欺ちゃおうかなこの仕事って一時期思ってた。
思ってるけど売ってこいって言われるじゃないですか。
売らないと殺されるんですよ、簡単に言うと。
近藤淳也
もうなんか聞いてるだけでしんどい。
板井恒理
その時は本当に僕はもう詐欺みたいな仕事やと思ってしまっていたし、
その結果、成果も出ないし、お客さんも喜ばないし、で、売れるかって言ったらそんなに売れないし、
ほんまね、半年間たぶん鬱になりかけましたね。
しかも当時付き合ってた同期の女の子が先に鬱になってた。
近藤淳也
あらあらあら、同じ職場で?
板井恒理
そうですそうです。
うわー。
いや、もうだから1年目は地獄でしたね。
出社したら、顔がもう死んだ魚の目してるって毎日言われてました。
近藤淳也
え、それなんかその新卒で入った人の何割ぐらいそういう感じなんですか?
板井恒理
会社さんによると思いますけどね、当時のリクルートで僕はその同期が13人いたんですけど、魚の目になってたのは3人ぐらいですかね。
57:04
近藤淳也
あ〜(笑)
いやだから逆に他の子は意味とか意義とか考えずに結構スッといけちゃうわけですよ。
板井恒理
私シンプルに褒められるのはすごくて、やっぱりあの成果が出たら、赤ジャケット着て、団場の上に立って、インセンティブも何枚ももらって喋れるから。
近藤淳也
わかりやすいね。
板井恒理
めちゃくちゃわかりやすいんですよ。 人参がすごいんですよ。
僕もそれは理解ができるというか、 一時期そういう仕事もしてたんで、
人参作る側の仕事もしてたんで、 よくわかるんですけど。
近藤淳也
でも体育会系とか強そうですけど、
体育会系強そうじゃないですか。
他の人は何がもっと上手かったのかな。
考えないってことですか?
板井恒理
体育会の強いところって、 これ怒られるかもしれないですけど、
考えないことだと思ってますよ。
だってシンプルに決められたルールの中で戦うんで、考えること少ないじゃないですか。
僕が言うと、リクルートという会社は結構体育会の人が少なかった印象です。
牛島悠紀
うーん。
板井恒理
でもなんか僕は考える体育会だったな、逆に。
そうでしょうね。 考えすぎちゃう。
近藤淳也
そうなんでしょうね。考えちゃう。
板井恒理
はい、体育会だったんでしょうね。
近藤淳也
まあいいことですけどね、考えるのは。
板井恒理
まあね、でも、後でこの話するかもしれないですけど、
僕がそのリクル、まあこのシャメ出したら大丈夫かなって気がしてきましたけど
牛島悠紀
僕は大丈夫です
板井恒理
まあでもそんなね、ネット見たら分かる話やから
その営業戦略を作る仕事をしてた時には
いかに、まあ要はその時関西に3000人ぐらいのこの商品を売っている営業の人がいるんですけど
まあいかに3000人の人に頭を使わせずに仕事してもらうかやでと言われ続けていましたね
近藤淳也
へぇ
板井恒理
結構わかるっちゃわかりますね。
大きな事業をしっかりと動かしていこうってなった時に、
それぞれの方々がもう一個一個ものを考えて動くっていうよりは、
決められたことを全員が同じクオリティで同じ数やれる方がそこらへんよねっていう話だと思ってるんで、
必ずしもそれは僕は間違ってるとは思わないし、
それを知った上で我々が働く人がどう向き合うかやなって結構思ってて、
リーマンショックの時にやっぱ大リストラがあって
3分の2ぐらい退職
近藤淳也
へぇ~
牛島悠紀
そうですね
板井恒理
やっぱりその時に結構思ったのは
じゃあどんな人が辞めていくかって言ったら
トップセールスの人とかも
全然辞めさせられていくわけですよ
もちろん管理職になれる人とか
企画職になれる人とか
まあいったんですけど
人を動