1. 耳で旅する「みみ三重ラジオ」
  2. #4「東京からもっとも遠い熊野..
2024-11-15 39:33

#4「東京からもっとも遠い熊野が奏でるアンサンブル。素の自分でいられる"人生の踊り場" 熊野の音色」Guest:たなかなおこさん(こもりのくまの漫画ライブラリオーナー)【旅するラジオカー in 熊野市】

「みみ三重ラジオ」は、三重県の伊勢から熊野をみなさんといっしょに旅するように巡り、ゆく先々で出会う人や地域の声をお届けするポッドキャスト番組です。 毎月第一・第三金曜日に、Spotify、Apple Podcast、YoutubeMusicなどの音声配信プラットフォームで最新の番組を配信しています。 リスナーのみなさんからのお便りをお待ちしております。

▼お便りはこちらから https://mimimie-radio.studio.site

サマリー

このエピソードでは、東京から熊野に移住した田中直子さんが、地元の魅力や彼女自身の活動について話します。田中さんは熊野市にある小森の漫画ライブラリーを運営し、人々が素の自分でいられる場所を提供しています。熊野は「東京から最も遠い」場所として、自然に囲まれた環境で多様な人々が無私の時間を楽しむ「人生の踊り場」として魅力を発揮しています。また、田中さんは自身の経験を通じて熊野の音色の重要性について語ります。熊野市育成町では、自然と共に生きる贅沢な時間が広がっており、地元の人々は土や火の恵みを大切にしています。田中直子さんは地域の陶芸や食文化に触れながら、自身のライフスタイルの変化や人々との交流を語ります。熊野市の声を通じて、自然と人々のつながりを深める様子が描かれ、田中さんが熊野の魅力について語ります。

ミミミエラジオの始まり
みなさん、おはみえ。
耳三重ラジオスタートしました。
この番組は毎月第1、第3金曜日に配信しています。
三重県の南部地域に焦点を当てて、人や場所、物を紹介して、
みなさんと一緒に三重県を旅するようにラジオをお送りしていきます。
今回のお相手をするのは、私パーソナリティの玉置ゆり子です。
私は三重県の三浜町で地域おこし協力隊として活動して3年目になります。
同時に2拠点生活をしていて、
名古屋のZIPFMというラジオ局でレギュラー番組を毎週やりながら、
熊野鼓動が好きすぎるので、今、この熊野エリアに移住して、
毎週4時間通勤をしています。
この番組にもう1人パーソナリティがいて、
南伊勢町の桃ちゃんがいてくれまして、交代で番組を担当している形です。
今回は私玉置ゆり子がお届けするミミミエラジオ、
三重県の南部地域に焦点を当てているわけなんですが、
三重県南部地域と言うと、一体どの辺りのことなのか改めてご説明します。
三重県南部地域の形で言うと、下の方、南部地域、いわゆる和歌山寄りのエリアを指します。
伊勢島と東木州、この2つの地域を合わせて三重県南部と呼んでいます。
三重って言うと、伊勢の辺りまでで想像が止まってしまう方もなかなか多いんですけど、
忘れないでねと、もっと下にこんなに素敵な地域があって、
こんなに素敵な場所がたくさんあるんだよっていうのをお伝えできたらなと思っています。
そして、このミミミエラジオ、毎回三重県の南部のいろんな場所からお届けをしていまして、
今日は熊野市の育成町というところに来ています。
ここから先ほど丸山千枚田っていう小さい田んぼが山沿いにずらーっと並んでいる棚田を通ってきたんですけれども、
そこからだいたい10分、15分くらい細い山道をぐねぐねぐねぐねぐねぐねと通ってですね、
三重県の南部のいろんな場所からお届けをしていまして、
こんなところに本当に人が住んでいるんだろうかって、
少し不安になりながらたどり着いたのがこの育成町の集落なんですが、
今もしかして音が入っているかもしれませんが、
小民家の軒先で収録をさせてもらってまして、もうね風がすごい気持ちいいんですよ。
縁側に座って風鈴の音を聞きながら、
この外の緑と青空とのどかな街の風景を見ながら今収録をしております。
今日はですね、この育成町の魅力だったりとか、
この育成町で暮らす人の魅力を思いっきり探っていきたいと思うので、
どうぞ最後までお付き合いください。
田中直子の熊野での生活
さあ今日は熊野市育成町を旅しているわけですが、
今私がいるのがとっても素敵な平屋の小民家の軒先でございます。
今日はですね、こちらにお邪魔して熊野市育成町在住の田中直子さんにお話を伺いたいと思います。
田中さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
改めてなんですが、直子さんがどういった活動をされたりとか、
何者なのかというのを簡単に教えていただいてもいいですか。
はい、ありがとうございます。
東京出身なんですけれども、ちょうど20年弱前から、
私が住んでいる小民家の軒先でございます。
東京出身なんですけれども、ちょうど20年弱前くらいに熊野が大好きになって、
東京から20回くらい通いで旅行に来てたんです。
色々と好きすぎて、色々と見まくった挙句ですね。
コロナの始まった年に熊野市に移住してきて、今年で5年目になります。
東京にいる頃から、田中さんと同じように熊野大好きすぎて、
周りの人に熊野旅をお勧めしまくってたんですね。
大昔に、熊野の布教活動をしていた旅の天さんがいて、熊野美国って言うんですけれども、
熊野が好きになるうちに熊野美国のことを知って、
あ、これ私がやっていることと同じだなと。
旅のお勧めも布教活動には違いないということで、勝手に現代の熊野美国を名乗るようになりまして、
会社辞めてあちこち旅をしているうちに貯金がなくなったタイミングで、
ちょうど旅先で熊野でお世話になっていた民泊のおじさんから、
なあこちゃん3年熊野来ない?ってお声掛けいただいたんですよ。
あ、貯金なくなったから行きますって。ところでそれ何ですかと言ったのが、
熊野市観光協会の地域お越し協力隊の募集だったんですね。
ちょうどタイミングよくお声掛けいただいたのと、
そんな旅のお仕事ならなんとかできるんじゃないかなと、熊野大好きだしということで移住して、
その後地域お越し協力隊を卒業してから、熊野市の中でも大好きな育成町に今日構えて、
今ここで小民家を借りしてですね、小森の漫画ライブラリーという漫画の図書室、施設図書室をやっております。よろしくお願いします。
地域とのつながり
おーすごいありがとうございます。いろいろ聞きたいことがありすぎて、どれから聞こうって感じなんですけど、
じゃあまずは今収録をしているこの小森の熊野ライブラリーっていうのは、これナンコさんが立ち上げられた施設なんですね。
そうなんです。地域お越し協力隊の頃から妄想だけはしてたんですね。
実家にたくさん漫画を置いてきているので、いつか施設の図書室みたいな、私の書斎兼、よかったら皆さんもいらしてね、みたいな場所を作りたいっていうのと、
そもそも私も東京にいながら熊野大好きになったのは、やっぱりちょっと人里を離れて、日常を離れて、静かにこもっちゃうような、
そういう人に会わないで小森きりになれる場所という感じで熊野が大好きになったんですね。
人がいない森だったりとか山の上だったり、そういうところにいると、誰の人目も気にしないで、ここでは無理しない、その自分でいていいんだっていう感じがあったので、
熊野はこもりのって突然降ってきた言葉があって、それでこもりの熊野ライブラリーみたいな、そういうキーワードだけはあっためていたんですけれども、
じゃあ大好きな場所でそれをやってみようかなと思ってたら、このコミカをご紹介いただきまして、じゃあやってみるかということで、
今年の4月ゴールデンウィークあたりに整備を始めて始めたところです。
もともとこの家は人が住んでたお家なんですか?
えっとですね、住まなくなって結構なお時間が経ってたみたいなんです。ご紹介いただいた方の娘さんとかが、私がちっちゃい頃ここおばあちゃんが住んでたの覚えてます?って言ってたので、そのくらいの時代ではないですけど、たぶん10年か20年間人が住んでなかったみたいですね。
それをちょっといろいろ直して、いろいろ家具とかも持ってきて、それで今ライブラリーとしてオープンされてる。
ここを本当に最初は本当にこんなところで大丈夫だろうかと思ったんですけれども、地域の方に大工さんご紹介いただいたりとか、ご近所さんから本棚もう使わんやつあるからとか、お雛様の飾ってた棚をもううちも娘も嫁に行ったし、お雛様飾るわけでもないから捨てちゃうかと思ってたけれども、この棚だけでもいるって言って。
そしたら大谷さんがその棚を直してくださって、お雛様じゃなくて本を置くんだったらもうちょっと頑丈にせなあかんやろって言って、素敵な違い棚の本棚を作ってくださったのが、玉百合さんから見えてます。
なんかちょっと装飾がしてある感じというか、後ろにちょっと木が交差しててオシャレな感じですよね。
そういうような棚ではあるんですけれども、この場所にマッチするものを本当に頂き物で寄せ集めにしたような、そんなライブラリーです。
私たち今縁側に座って、ちょっと風鈴の音を聞きながら風を浴びてお話ししてるんですけど、座ってる座布団とかも頂き物っておっしゃってましたよね。
そうですよ。ちょうど大瀬から移住してしまうお友達が、お母さんかおばあちゃんのお嫁入り道具だったらしいけれども、全く使った形跡がないけど、南湖さんそういえばライブラリーするって言ったからよかったら使ってって言ってて、おそらくデザイン自体はすごく古びた青い縞模様のこれ。
おしゃれなんですよ。
だけどそのふかふかで、まるで新しく移られたみたいな。
本当です。またここの雰囲気にもぴったりですよね。色がすごい鮮やかすぎないんだけど、よく見ると色んな黄色とか深い青とか、綺麗な色が入ってて。
そうなんですよ。
いい品なのが座ってると伝わってきます。
そうだから、見も知らないどこかのお母様のお嫁入り道具も、ひょっとしたらこのお家にたどり着くことで、こうやってタマヨリさんに座っていただいて、使われることを待っていたお道具がこの場で生かされたんだと素敵だなと思って。
本当に。やっぱりどうしても高齢化していってしまうと住まなくなったお家もあるし、住まなくなったお家にはもちろん使われなくなった道具たちもあるし、そういうのって人がいなくなっちゃったらどんどん朽ちていってしまいますけど、こうやって新しい人が何かを始めた時に新しく命が吹き込まれる感じっていうか、今もこの座布団たちも棚もすごい嬉しそうに見えるっていうか、
生き生きして、今日も私たちスタッフみんな合計5人ぐらいでワイワイお邪魔してるんですけど、なんかちょっと喜んでくれてるのかなとか思ったり。
茉穂 本当にいいなと。この家始める時に、本当に最初に入った時は床を踏み抜いてしまうような腐った板床が張られてるような状態だったんですけれども、その真ん中にある柱にちょっと手を当ててみて、どうかしら、私がここでライブラリーを始めるのにこの家は付き合ってくれるかな、この家が喜んでくれるかなっていうのを真ん中にある柱に手を当てて、ちょっと考えて感じてみようと思ったんですけど、
大工さんに言わせるとその柱はちょっと歪んでるらしいんです。だけど触ってジーンって感じてたら、私の大好きな熊野の大きな木のそばで手を当てて、ただただ息をしてぼーっとすることが私もあるんですけど、その時と同じように落ち着く感じがしたので、きっとこのうち私にしばらく付き合ってくれるだろうなと思って、ここでお願いしますって大工さんにお願いしたんです。
大工さん、私のやりたいことに付き合ってくれますかっていうスタンスで、このお家とも物とも向き合っていらっしゃるんですね。
大工さん、ちょっとドキドキするけど、お家にプロポーズしたようなものかなって思ってます。
大工さん、素敵。プロポーズといえば、すごいさっきお話聞いてて気になったのが、熊野に20回以上訪れて、移住を決めて、育成長が大好きっておっしゃったじゃないですか。
大工さん、どういうところが好きになったんですか。
大工さん、そうですね、初めて育成長に来た時にはもちろん旅人で、移住とかは全然考えてなかったんです。
ただ、その時既に熊野山山とか、熊野の他のエリアは、どうかな、10回は行ってなかったな、7、8回ぐらい既に来てたところだったんですけど、初めて育成長に来た時に、大荷蔵っていう岩の絶壁のところに友達に連れて行ってもらって、
ここだって、それはもう何のロジックもなく、なんだ、ここが私を呼んでたのか、ここが私のお家のようなものだって直感的に思ったんですよね。ただ、岩の上はちょっと人が住める感じではないので、
熊野の魅力
本当に気持ち、体がなければ、ここが住みかでいいや、この岩に宿ろうぐらいの感じではあるんですけれども、いつか自分で住むところを選ぶ立場だったら、大荷蔵のそばに住みたいなと思いながら、3年間地域おこし協力隊をする中で、大荷蔵のそばで私みたいな変わった旅人を受け入れてくれるような集落があるかしらという中で、人のご縁をいただいたのが、ここの育成長だったんです。
そうだったの。じゃあ、直子さんにとってのおへそというか、一番芯はこの大荷蔵にあるってことなんですね。今も。
直子 そうですね。広い熊野の中でも和歌山も奈良もいろんなところに行かせていただいたし、それぞれに好きなスポットはあるんですけど、なんかホーム、お家みたいな、そういう感覚がするのが、私の中ではここ育成長なんですよね。
逆に気になっちゃったんですけど、東京にいらっしゃった頃はどういう生活をされてたんですか。
直子 そうですね。東京に行った頃は本当にいろいろだったんですけど、会社員をしたり、うつになって実家で療養をしたり、ちょっと元気になって旅をしたり、みたいなことを何回か繰り返してたんですけど、今振り返ると東京といってもですね、文京区本郷が実家なんですけれども、結構あそこって都立庭園とか大学のキャンパスとか、結構この森とか緑が多い地域なんですね。
なのでビルにつかれたら、そういうお庭とか、古い大学のキャンパスの大木、大きな木のそばなんかを散歩してたりしてたので、東京の都会ジャングルの中のちょっとしたオアシスみたいなところで、ほっと息をついてた。あれが本当の私だったんじゃないかなって思ったりしてますね。
向井 そうか。だからその都内に住んでた頃から、その片鱗はあったというか、そういう自然の近くに行くたびに、たぶんこれが本当の自分だってのはあったんだけど、こっちに住むようになってからもう常に本当の自分みたいな。向井 そうそうそう。向井 むき出しみたいな。
向井 そうですね。東京にいると、天のように私が安心していられる避難所があるみたいな感じなんですよ。で、熊野に行くと基本的には、古道でも森でも岩倉でも、私のほっとしていられる場所はたくさんあって、時々人にお話ししに行くみたいなハリのある舞台みたいなところに行ってお仕事させていただくみたいな、そんな天と面が入れ替わるみたいな、そんな感じですね。
向井 すごいなんか共感します、私も。なんか私もちょっと直子さんと似てて、何回も何回も熊野古道が好きになって、旅行で通ううちに大好きになっちゃって、いつか住んでみたいなって思ってたところに、コロナ禍でずっと愛知県で勤めてた会社が倒産しちゃったので、じゃあ住もう、熊野ってなってきた口だったので。
やっぱり愛知県にいた頃と今と比べてみると、よりすごい自分らしく過ごせてるなっていうのは思いますね。なんかあの頃は直子さんと同じで、愛知県に住んでてもちょっと山とかに出かければすごい開放的な気持ちになって、これがきっと本当の私って思ってたんですけど、こっちに来ると常に力が抜けすぎて、ゆるゆるで生きてるというか。
なんかほんとこの辺にいると、何だろう、充電につなぎっぱなしで常にチャージされてるみたいな感じが。東京に行くと時々チャージをしないと、エネルギー残量が足りないみたいな感じになってしまうみたいな、そんな感じですかね。
いいですね、常に充電器の上に暮らしてるみたいな。
そうそう、どこ行っても繋がれるみたいな感じが。
繋がれる気がします。
そうやって育成町に今住まれてるわけですけど、どうですか。今ここでコモリの熊野っていうのされていて、結構どんな方が遊びに来られるんですか。
そうですね、最初は本当にとにかく田舎って新しいこと始めると皆さんがなんだなんだって興味持ってくださるんですね。
なので、近所さんが何始めるとかって言ってたけど、ライブラリーと施設ライブラリーなんてなかなか馴染みがないので、
なあこちゃん漫画喫茶始めたんだって、いや違うんです、違うんです、飲食店許可とか取ってないんで違うんです、言ったりしながら。
今でいうとこのコワーキングスペースみたいなものでわかる方に言うんですけど、この辺平均年齢70代半ば以上なので、フラット休憩所だと思っていらしてくださいみたいなところを言ってますね。
お家の間口をちょっと広げた感じというか。
そうですね、あとはやっぱり市街地とか移住の友達とかが自分の住んでるエリアとかをちょっと離れたい時とか、飲食店されてる方が普段はお客さん対応されてるわけですけれども、
お客さん対応じゃなく自分の休憩の時間を持ちたいとか、静かな読書の時間を持ちたいって言ってきてくれる方もいるし、
あとは奥に電子ピアノをいただきものなんですけれども、もういらないっていう方が出ない音があるんやよとかっていうのを、
ご近所のおじさまが電気配線のことだったら、接触が悪いぐらいだったら直せるはずって言って直してくださったので。
そんなことできる人もいるんですね。
なので、うちの近くだと大音量でピアノ弾いて歌ってとかするのはちょっと気兼ねしちゃうから、ここだったら良かった良かった使って使ってって言って、ピアノ弾いて歌ってなんていうことをやるのに遊びに来てくれるお友達もいたりします。
楽しい。
ここだとお家とお家の間隔も結構離れてるので、音響いてもですね、
空き家で誰も住んでなかった寂しいお家から、あら、なんか素敵な音楽が風に乗って聞こえるわぐらいで、どなたにご迷惑になることもないので、その友達も楽しんでくださってるし、
実はここのお隣のうちも移住者なんですけど、そこはですね、山節修行をやりたいと言って移住してきたお姉さんが。
お姉さんが。
お姉さんが平日はフルリモートの会社員をやっていて、だけど朝晩かな、毎朝ですね、ホラガイが聞こえるんですよ。
すごい。
移住してらっしゃったばっかりの頃に、大丈夫ですかとかって言ってくれる。いや、私は目覚ましがホラガイだって友達に自慢してるんですよ。
最高ですよね。
そうなんですよ、こうって言って、朝だーとか言って。これもう決まった時間でもなくって、お姉さんが、今日は朝早いけどお出かけの用事があるのかなとかって会話しなくても、なんとなく思いながら、朝かー、でももうちょっと二度寝したーみたいなのを、ポーンと聞こえてくる。
山にね、ホワーンと山里に響くホラガイの音が目覚ましだよとか言うと、友達なんか、えーちょっとかっこいいそれ羨ましいとかって言ってくれて。
いいですよね。
そうでしょ。
ホケコッコーはよく聞きますけど、ボボボーで起きる人はなかなか。
いないですよね。で、そのお姉さんも、いやほんとなんかこうやって毎日ホラガイ吹いても怒られるでもなく、いいですねとか言ってもらえて、ほんと来てよかったですーなんて言ってくれるので、ここはそういう土地。
へー。
好き好きに過ごしてねーみたいな、好き好きに過ごしたいみたいなことを思ってくれるような人がここにはふらりと来てくれます。
でも、ちょっと私部署でホームページも何も作ってないんで、本当にGoogleマップで地点登録だけはしてるんですけれども、なんかそんな感じで口コミでとか人づてに聞いて来てくださる方がいて。
今はちょっと夏場、クーラーもない公民館なので、もう少し暑さが落ち着いたら再開しようと思ってるんですけれども、ちょっと夏場はお休みをいただきながら、今日は久々に人にお越しいただいたそんな状態です。
そうだったんですねー。いやでも、夏はクーラーないっておっしゃってたんですけど、さっきからすっごいいい風が吹いてて、気持ちいいんですよー。
そうなんですよねー。
なんかこう、昔の日本ってこうだったのかなっていうか。
まさしくまさしく。この辺りは朝になるとちょっと涼しいぐらいで、ここも数分降りればすぐそこに川が流れてるんです。
なので朝なんか本当に涼しいんですけど、最近朝起きた時に、いやでも私が小学生ぐらいの時、東京も夏の朝ってこんな感じじゃなかった?って思って。
思い起こしてみると、ラジオ体操に出かけるぐらいの時間はまだちょっと涼しいぐらいで、ラジオ体操してる間にも日が昇って暑くなって帰りは暑いぐらいの。
だけどこの温度がちょっとこんな風に感じるのおかしいかもしれないけど、懐かしいって思って。
確かに。
私ちっちゃい頃夏の朝ってこんな感じだったよって最近思うんです。
わかります。なんか私も幼少期におばあちゃん家とかに行って、やっぱり縁側に座って畑とか眺めてた時って、こういう風だったなって感じがして、すごい懐かしさを覚えてて。
初めて来た感じがだからしないんですよね。
だからなんかこう、移動したのは空間なんだけど、ちょっと時間移動もしちゃったみたいな感じで懐かしい旅なんですよね。
そうですね。もちろん空間もね、かなり東京から熊野ってなると距離も確かに移動してはいるんですけど、距離を移動したら時空まで変わってしまったかのような。
でもやっぱ時間の流れ方も違う感じがしますよね。
違いますね。やっぱりなんかここは東京から時間的に最も遠いと言われているエリアの一つなので。
やっぱりね、新幹線で京都でも大阪でも2時間ちょっとぐらいでね、現代は東京から行けてしまうんですけど。
ここは本当に東京から5、6時間、もう来るだけで半日以上使わないとたどり着けないような場所なので。
なんか不便だっていう方もいるけど、私にとってはそのぐらいちょっと日常を置いていきたい時によく来ていた場所でもあるので。
逆になんか昔の私みたいにちょっと疲れたなとか、人を気にしないでぼーっとしたいなとかっていう人にまた来てほしいなって本当そう思ってます。
無の時間の重要性
本当ですね。なんか子守っていう言葉がすごいしっくりくる感じがします。
ありがとうございます。
本当に表してるというか、尚子さんのね、してきたことも。
よかった。
だから子守さんにとってもそうであったように、もしね、この都会の暮らしがなかなか、都会で生まれても肌に合わないなって思ってる人たちもいると思うんで。
一度遊びに来てみるのもすごくいいんじゃないかなって思いますね。
そうですね。でやっぱりなんか、実は今ね、本拠地は東京じゃなくてもここにしようって思ったんですけれども、私たぶん根が旅人なんですね。
だからやっぱりこう、人生が変わる節目みたいな方っていると思うんです。私もいろんな節目を越えて今ここにたどり着いてるし。
だからなんかその節目の時って、今までの自分とはもうこれからの生き方違う気がする。
だけどまだどうなるかわからないなみたいな、そんなこう人生の踊り場みたいなタイミングの時って、やっぱり何にも影響されない無の時間みたいなのを持った方がいいかなって思う。
なんかその、私もちょっと鬱を3回ぐらいやったことがあるんですけれども、なんかそういう時って本当にもうネガティブな思考にしかならない時とかって、なんかもうこの地上のどこにも私の居場所ないんじゃない?ぐらいのことを思っちゃうことがあるんですけれども、
なんかこうそういう人にもですね、なんかもうあのどこにも行き場なかったらとりあえずどうぞみたいな。ここにいたら誰もあなたに何か期待することないからいいんですよ、好きにすればみたいな。
自然と触れ合う贅沢な時間
ここにいて、それこそ土地のお水、土地の食べ物を食べて、空気吸って、あー風が気持ちいいって、もうそれだけでいいんですよって、そういう時間を過ごしに、何をしにとかじゃなくてね、来てもらえた。
で、なんかでも何もしないのも不安だなと思ったら、それこそちょっと小道歩きに行ってみます、体力つけた方がいいしね、気持ちいいしね、みたいな。そういうことも何でもあるし、ここは川があるので、やっぱり川の恵みも川で遊んでもいいし、釣りをされるおじさまもいらっしゃるし、
で、陶芸の窯をやってる先生がすぐ近くにいるので、この土いじりなんかも本当にね、頭の中空っぽになってめっちゃいいんですよ。
思います。こっちで私も暮らすようになってから、皆さん遊び方がダイナミックというか自由というか、本当に自然が遊び相手で、川に行っても道なき道を歩いたり、川をひたすら登って行って、滝間で歩いて行っちゃう人とか、
自然と毎日遊んでる感じの過ごし方をしてる人もすごい多くて、それってすごい贅沢なことだよなって思います。
本当そうですよね。で、やっぱり畑にしても、例えば林業とか木こりにしても、なんかやっぱり自然から学んできた経験値を持ってる人たちのお話が私は本当に好きで、
で、陶芸の作品作ったりとか、その地域の方で協力して1週間ぐらいで焼き上げる、かまたきをお手伝いしてるとですね、そういう自然相手のお仕事してきた人たちと雑談で話してることがいや、めっちゃ深いよみたいなことがあって、
そんな遊びが好きで、私も最初はそのかまたきに通いできてるうちに、今の親さんと知り合いになって住むことになったので、この遊びめっちゃいいからみんなするといいよっていうので、今年も10月の末から11月の初め、文化の日あたりまでかまたきがあるので、またかまたきサポーターの募集というのをやっていこうと思っています。
かまたきサポーター、どんなことがあるんですか?
まあですね、この陶芸の釜をやってらっしゃる方がやっぱりちょっとずつ高齢化してきていて、地域の人たちだけだとこのかまたきを回すのが辛いということで、旅の方は家をシェアハウスに一時的にしてですね、泊まってもらって、ちょっとの時間でもいいからこの薪を釜にくべるお手伝いをしてくださいっていうのをここ数年友達とやってるんです。
木の薪だけで1200度の炎を作るんですね、その1200度を今年でいうとトータル5日間ぐらいキープするので、24時間を交代制でちょっとずつシフトを組んでやっていくんですけれども、その一部に地域の方とそうやって手伝ってくれる旅人とペアにしたり2,3人ぐらいでチームになってですね、地域の方から教えてもらいながら薪をくべるお手伝いをするっていうのをやってます。
火を囲みながらというか、火をお世話しながらいろんなお話ししますよね、そういう場面でも。
火っていう要素もすごいありますよね、この熊野ってこう、もちろん海とか川とかの水もそうですし、木もそうですし、土もそうなんですけど、火っていうのもすごいね、お祭りも火のお祭りがたくさんあったりとか、炭を焼くなりわいの方がいらっしゃったりとか、
火っていうものもすごい熊野のエネルギーを感じさせる一つの要素かなと思いますから、それを前にしていろいろこう、なんでしょうね、焚き火とかしててもそうですけど、人間って火を前にすると、なんか本音で喋っちゃうみたいなところありますよね。
そうなんですよ、そうなんです。なんか例えば、移住者だけど、地元の人と払わって話すって言っても、どうやって入ってけばいいんだろうみたいなのが、ここだと、窯のお手伝いをしてると、なんかこう作業をしながら自然と雑談になったりとか、そもそも薪のくべ方を教わったりとかしてると、なんていうんでしょう、この火の扱い、私たち言うてもガスコンロとか、
自分でこうすごく思い通りに温度を設定できるような暮らしに慣れてるんですけど、そのどのペースで薪をくべたらとか、あれなんで温度が上がらないんだろうとか、そういうことと向き合いながら、火をコントロールするのって難しいとか、逆になんかこう最近台風でも自然の気候条件でも、何でも人間の思い通りにはならないもんだなってことによく直面すると思うんですけど、
やっぱり畑仕事だったり木こりだったり、そうやって陶芸の窯だったり、自然相手ってそういうことなんだなっていうのをね、地域の人たちとお話ししながら感じると、あれこの感覚って本当に現代を生きるのに実はすごい大事なことなんじゃないの、でもそれがなんて貴重になってしまったんだろうって思って、そういうものにちょっと触れて、
で、都会の日常生活に帰るとまたその方の人生の彩りが変わってくると思うんですよ。私が変わったのでね、なんか本当にいろんな遊びもご紹介できるし、何も考えないでじっとすることもできるし、なんか本当に私がここで受け取ったいろんなものをね、ちょっと遊び自慢をしながらいろんな人にも聞いたり体験したりしていただけたらなって本当そう思ってます。
森 そうですね。今のお話で自然災害のお話もありましたけど、昨今は地震の心配だったり台風の心配だったりもある中で、やっぱり普段から自然の中に身を置いて、自然に逆に自分が合わせて生きるような暮らしをされてる方って、当然思い通りにならないことを知ってるから、何かあった時にもすぐに受け入れて作り直していくこともできるし、対応していくこともできるから、
こういう時代にこそそういう方々の生き方っていうのはものすごくいろんなことを伝えてくれるなって私も思います。
森 このあたりだと日当たりのいいところは基本的に田んぼがあって、日当たりがあんまり良くない山の際みたいなところにお家があって、このお家もまさしくすぐ裏手が山につながってるようなそういう位置関係なんですけれども、なんかやっぱり理にかなってるなって台風が来た時に思ってですね、やっぱりこの平らな今田んぼになってるエリアは風がものすごい勢いで吹き抜けていくんですね。
昔はこのあたりは杉川とかヒノキの川を屋根に置いて、それを石とか重石で止めていたような屋根の作りなので、風通しのいいところとか日当たりもいいけれども風がガチで当たるようなところに家建ててしまうとすぐに吹っ飛んじゃうわけですね。
田んぼはやっぱりお日様も水もすごく必要としているから川が近くにあって日当たりもいい位置になるんですけれども、そうかお米にはお米の必要とするものがあり人には人の必要とする場所条件があるんだなっていうことがあって、意外とこの辺は災害にも強いそうで最初は引っ越してきた時はやっぱりお家が吹っ飛ばないかとか水害のこととか心配だったんですけど、
すごいんですよこの辺の人たちの言うことは、この家とか大丈夫ですかって言ったら、もう流されるようなところは流され終わっとるさかって言うんです。
もうこれほど説得力のある言葉はないですね。
今の凍ってるお家は流せなかったということなんだなと思って。
だからもうこの集落そのものの記憶っていうのが今の姿にそのまま残ってるってことですね。
あとやっぱりこのぐらいの山里になると自然に逆らわない生き方で残った景色なんだなって本当にそう思います。
育成町のおかえり食堂
おかえり食堂。
じゃあナオコさんちょっと最後の質問になるんですが、おかえり食堂というコーナーをしておりまして、
ナオコさんがどこか例えば東京に行って帰ってきてこの育成町で何か食べて、
なんか帰ってきたなって思えるような味とかそういうお店はありますか。
この育成町は本当数えるほどしかお店がないんですけど、うちのお隣さんがですね、コミンカ茶屋なんですよ。
コミンカ茶屋の茶屋ってひらがなで茶屋って書く茶屋さん。
もう本当にこっちに引っ越してくる前から観光協会に勤めてる頃からですね、
なんかこうちょっと心細いな不安だなみたいな時に通わせていただいているコミンカ茶屋で、
そこも大阪から移住された、もう移住して20年になるのかな夫婦がやってるんですけれども、
そこでジビエカレーとかご夫婦がお野菜を炭酸込めて育てられたものでやってる、
その季節季節のこのぐらいの時期だと、まだあるかな、ジェノベーゼのパスタとかですね。
自家製の。
そうそう。
そういう季節のお手製のお野菜と一緒に作ってくださるご飯が本当においしいコミンカ茶屋さんをいつもあてにさせていただいています。
行きたいです。
本当ね、やっぱりジビエカレーが名物なんですけれども、ジビエカレーも茶屋の奥さんの初子さんが自分で作って焼いた、
この地域の鎌本で焼いた器で出していただけるので、本当にいろんな意味で癒されにいつもお邪魔させてもらってます。
なんかこの土地のいいところをもう食に落とし込んだらこうなりますみたいな。
本当そうですね。でまたそのお野菜にかけている自家製のドレッシングが、蜂蜜と柚子かな、甘めに作ったのをあれ食べると、あ、帰ってきたっていう感じですね。
ドレッシングで感じるんですね。いいかも。
その季節の、その時のお野菜で、本当にいつ行っても何だろう、素敵な、今の季節はこれかっていう、そういう感じですね。
楽しんでる季節を、もうおすそ分けしてもらえるような。
本当そうですね。やっぱりその、こういうところにいると、ご当地のお水、ご当地のお野菜、ご当地のお米。
で、なんかこうすごく、何だろう、土地からの力を食べ物を通じていただくみたいな、そんな気がすごくしてて、
それのおかげで今私元気なんじゃないかなって思うんですよね。
確かにもう直子さん、輝いてますもんね。表情が明るくて、本当に瞳もお肌も。
また初子さんがすごくその、何だろう、豪快、豪快というか繊細というか、すごくバランスのいい陶芸の作品にもお料理にもそれが現れて、すごくセンスのいいおばちゃまなので、
なんかお料理からも、お店の雰囲気からも、ご本人からも、なんかすごくその人らしさとかその土地らしさとか、これでいいんだなっていう感じがするので、
自分に迷っちゃってる時とかはやっぱり、はい茶屋の初子さんのお料理と空間を味わわせてもらうと、
あ、そうだったそうだった。無理して自分じゃないものになる人なんかなかったのに何をとちくるってたのかしらって思っちゃうような、
そうやってすぐふっと気が楽になるような、そんなお店ですね。
行ってみます。
ぜひ。
ありがとうございます。
ということで、今日ゲストにお呼びしたのは、小森のくまの漫画ライブラリーを運営してらっしゃる田中直子さんでした。
直子さんありがとうございました。
ありがとうございました。
さあ、というわけで、私、田中直子がお届けしている耳見えラジオ、今回は熊野市育成町からお届けしてきました。
いやー、直子さんのお話良かったですね。
育成町って、私冒頭でお話した通り、あんまり来たことがないエリアで、やっぱこう、この熊野エリアの中でも結構卑怯というか、山奥にあるところなので、
一体どんな場所なんだろうと、ちょっと半分怖い気持ちで今日来たんですけど、もう蓋を開けてみたら、何でしょうね。
本当にこう、ここでの暮らしを楽しんでいらっしゃる方々が集っていらっしゃる場所だっていうのが伝わってきて、やっぱその楽しみ方っていうのも、
皆さん自分の感性を生かして、食事、食べ物を作るのが得意な方は食べ物を作ったり、直子さんみたいに空間を作る方もいらっしゃったり、
熊野の魅力
あとホラ街服お姉さんがいらっしゃったりとか、それぞれの方法でこの熊野で暮らすっていうことを楽しんでいらっしゃるのが伝わってきて、
いや奥が深い場所だなと、なんかまだまだもっとこの育成町を知りたくなってしまった回でした。
さあ、ということで、次回もこんな感じでゲストの方をお招きしてお届けしていきます。
次回はももちゃんが担当してくれます。収録してきたおすすめスポットだったり、それから三重県の面白情報、番組の裏側なんかは公式のSNS、
インスタグラムとTikTokがありますので、ぜひそちらをチェックしてみてください。
この番組ミミミエラジオはSpotify、Apple Podcast、YouTube Musicなど主要な音声配信プラットフォームで、毎月第1、第3金曜日に最新エピソードを配信しています。
他にもリスナーの方からのお便りもどしどしお待ちしています。
番組の感想とか、あなたにとってのお帰り食堂はどこですかとか、あるいは方言の話題、これうちの周りでしか聞かないなみたいな方言もあったら、ぜひ送ってほしいです。
番組へのお便りや感想は番組の概要欄からジャンプできる番組ホームページにメッセージフォームがあるので、そこから送ってください。
というわけで、ももちゃん、次回はよろしくお願いします。
私、玉由里とは次の次の回でまたお会いできる予定なので、楽しみにしていてください。
というわけで、ここまでのお相手はミミミエラジオパーソナリティの玉置由里子でした。
この番組は、都領事務局がお送りしました。
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