つながりから得られるもの
人との繋がりを通して得られるもの、みたいなお話を今日はできればなというふうに思っています。
いいですね。
はい。実はですね、私、先日、とある方の講演みたいなのを偶然聞きに行くことになったんですね。
偶然というか、自分で行くって言ったんで偶然じゃないんですけど。
はいはい。
タカノテルコさんっていう、70カ国ぐらい旅行した人です。
で、私、日本語のボランティアやってるって言ってたじゃないですか。
そこのボランティアの説明会みたいな、新しいボランティアの方を募集したいみたいな感じの企画ものをやってはって、そこの人たちが。
で、それでゲスト講演みたいな感じで来てはってです。
でも私登録してるんで、登録してる方はいつでも聞きに来てくださいねみたいな感じで、じゃあ行ってみようかなと思って。
なんかね、本のタイトルを20歳ぐらいの時に聞いたことがあったんですね。
ガンジス川。なんだったっけな。ガンジス川で泳ぐみたいな。ちょっと本のタイトル忘れちゃってすごいあれなんですけど。
映画化とかされてる方なんですね。タカノテルコさんで。
多分ね、聞いたことある方も結構いるんじゃないかと。
ダライラマに恋してとか、ガンジス川でバタフライっていう本を出されていてですね。
で、あの女優さんなんでしたっけね、お名前。
このガンジス川のやつが、映画化されててです。
長澤雅美さんの主演で映画化されているっていうような方の公演みたいなのを聞いてたんですね。
その方の話を聞いててすごく思ったのが、
なんでしょう、すごく人との繋がり、異業種交流をメインに話されてるんですよ。
その回の趣旨がそんな感じなので、八王子に住む異業種というか異文化の人たちと触れ合うためにボランティアしませんかってお支えのためにその回が開かれていたので。
なのでその旅をして自分自身がこういうことに気づいたとかこういうふうになっていったとか、もしくは自分にこういう呪いがかかってたんだけどそれが溶けていったみたいなお話をすごくずっとずっとされててです。
すごく私が面白いなと思ったのが、その方の話の中に観光地の話とかすごい景色とか、そういうのもやっぱり素晴らしいじゃないですか。旅行のひとつの醍醐味じゃないですか。
そうだね。
でもそういう話はあんまり出てこなくてです。やっぱり人とのつながり、その土地であった人たちだったりとか、普段自分たちが触れない文化で過ごしてある人たちだったりとか、そういう乗り物に乗っている、違う乗り物を運転してる人たちだったりとか、全く見たことない食べ物を食べてる人たちだったりとかっていう人たちとの交わり関わりつながりを通じて、
自分の中のその、その方は呪いっていうふうに表現されてたんですけど、制限って言うんですか。制限のことを呪いって言ってあったんですね。がすごくいろいろ溶けていったみたいな話をされてて、すごく面白いなと思ったんですね。
つながりが、人とのつながり、接点、会話、本当に一期一会じゃないですか。もう一生会わない人もいるだろうし、旅行なんか特にですけど、そのつながりを通して、こう、自分自身の中で何かがどんどんどんどん変わっていったんだみたいなことを話されてたんですね。だから旅行はすごくいいんだっていう。
で、そういう話を、なんか大学の講師をされてるみたいで、その大学でお話しされているときに、生徒さんから言われたことがあったそうなんですね。なんかこう、高野さんは結構、高野、テルコさんって呼んでくださいって言ってあったんで、テルコさんって言いますけど、テルコさんは結構そのつながりからもたらされるものについて、愛っていう言葉をよく使われてたんですけど、その授業の中で愛っていう言葉をたくさん使ってると、ある日生徒からです。
私、最初、先生のこと偽善者だと思ってました、みたいなふうに言われたことがあるっていうふうにおっしゃってて。でもその生徒さんも、こう、自分自身が今まで感じられなかった愛を感じるために旅行に出てみようと思いますっていうふうなことを後から言われるようになってすごく嬉しかったみたいなことも。
それはまあ本に書かれていたんですけど。なんか本当になんでしょうね、それはその生徒さんとこのテルコさんの出会いみたいな話なわけじゃないですか。
そうですね。
なんか面白いなと思ったんですね。
人間に影響を与えるものです。なんかもう基本人間が一番でかいんじゃないのかなみたいな。人と人は影響し合って生きてるっていうのは本当当たり前のことなんだけれども、その当たり前をまざまざと体現して生きてる人みたいな感じに見えて。
普段自分が他人から受けてる、例えば私なんか、倉園さんやセイコさんから絶大な影響を受けてますけれども、それについて気づいてるんだけども、そこまで意識したことがなかったというか、気づいてるんですけど。
もっと言うのであれば、もっと身近な人からたくさん影響を受けてるわけじゃないですか。毎日会う人だったり。でもそういう身近であればあるほど受けてる影響はあんまり自分自身で気づかなかったりとか。なんか面白いなと思ったんですね、本当に。
なので、つながりから人が得ているものっていうお話が、特に倉園さんなんかはその辺をすごく実感されてるんじゃないのかなと思ったので、お話ししてみたいなと思った次第です。
はい、わかりました。
では始めていきましょう。
人はそんなに悪くない
人はそんなに悪くない。
ほっこりするつながりを思い出そう。
人間関係、知恵と。
ゾノ。
それでは今日のお話、始まります。
知恵と。ゾノ。
つながりから得られるもの。
どう思いましたか?今のお話聞いて。
そうですね。呪いとね。何さんでしたっけ?
テルコさんですね。
テルコさんがおっしゃってるのは、僕がいつも偽りの自分のささやきと言ってるやつと同じかなって感じがするのね。
僕らはもう、こうしろああしろこうするのが正しいっていうことをいろんな人から教わりながら生きてくるわけじゃない。
それはもちろん、安全に生きる、安心して暮らす、幸せに暮らすためみたいな感じなんだけど、
自分以外の人が与えてくれる新しい視点
その通りでないことが多いわけですよ。
でもね、真面目な方だと思うんだよね。その方もね。
呪いと言うほどそれを心に刻むっていうのは、相当やっぱり親が教えてくれたこととか先生が教えてくれたことみたいなことをね、しっかりと守ってきたんだと思うんだよね。
例えば、ちっちゃな森にさ、10人ぐらいのグループが住んでたとするじゃん。そこをね、白にね。
食べ物がなくなってくるんだよ。そうすると外に取りに行くほうがいいじゃない。
でもその村にはさ、その村から一歩も出てはいけないと、たたりがあるんだって教えがあると。
10人とも出ていけないよね。そうすると困るわけよ。
その中に一人、その教えをね、そんなちょっと俺はあんまり信じてなかったんだけどね、みたいな奴が一人いて、ポーンと平気で、あーとかみんなが言ってるのに飛び出て行って、
そして外にいっぱい食べ物あったよっていうのがわかると、みんな救われるじゃない。
そういうことがさ、自分ではなかなか難しいわけさ。怖いしね、そこの一線を踏み越えるのがね。
でも自分以外の人が、そこに対して思い出もなかったり、信じてなかったり、あるいは信じてるんだけど、もう勇気を振り絞って飛び出すみたいな人がいつも自分の周りにいてくれるってことだよね。
そうするとこれが常識だったんだ、こうしなきゃならないんだって思ってたことをその人が覆してくれる。
これによって僕らは可能性を広く持てるじゃない。
だから自分ではどうにもならないことを自分では閉ざしてしまった可能性とかね、そういうものを、いやいやここにもいいものあるよとかね、いやいや僕らってこのぐらいのことができるんだよみたいなことを見せてくれる人たちがいつも助けてくれるんじゃないかなっていう、そんな感じが僕はしているんだけどね。
なんかこう、視野が広がるっていうとすごくなんかこう、よくある言葉なんで、なんかあれなんですけれども、でもそれって本当にこう、新しい、なんかこう、本当にもう新しい視点っていうよりもです。
なんかこう、天地がひっくり返るみたいな、なんていうか、あ、こんな、これでよかったんやみたいな話とか、こんなに世界って広かったんやとか、こんなに自分ってちっちゃいとこったんやとか、なんかいろんななんかがあるのかもしれないですね。
そうですね。だから視野はね、もともとは広いんですよ、多分。それを僕らが勝手に覆ってるだけなのね。
ここを見てはいけない。よくほら、家族でさ、テレビ見てるとさ、ちょっとラブシーンとか出てくると、ごまかしたりするじゃん、親が。チャンネル変えたりさ。
とか言って咳したりとかして。だから僕らには見せたくないものっていうのがやっぱりあるんだよね。そうするとそこの視野がパッと覆い隠されてしまって、本当は360度見渡せるのにさ、45度ぐらいしか見えなくなってるっていうね、それを取り戻す試みなんだろうなって僕は思うね。
つながりがあるんですか?
そう、その外を見た人がね、そこは怖くないよって教えてくれる。愛もそうだよね。愛というのは僕らが怖がってるものの筆頭なんですよ、多分。
制限に窮屈になった現代社会
愛することでいろんなことを失うと思ってるんだよ。自分のために頑張らなきゃいけない時に、愛によって人のために何かをしてしまい損をするんじゃないかみたいな、そんな感覚を持つのも愛じゃない?騙されるんじゃないかとかね。
だから愛というと偽善っていう反応をするのもその一つの修正の一つだよね。僕らのもともと持ってた心を愛を使わないように変な形に変えちゃってるわけよね。
それをテルコさんが、「いやいや、愛は全然そんな危ないもんじゃないよ。なぜならば。」みたいな生き方を通して教えてくれると、ねじ曲がってた奴がブイーンって元に戻って、「ああ、悪くないんだこれは。」みたいな風に感じられるんじゃない?
そうですね。それはすごくお話し聞いてて、漫談みたいだったんですよ。
関西弁ですごい、饒舌にペラペラと面白いおかしく話すような方だったので。
思い出したみたいな感覚はありました。聞いて。ああ、そういう風に思ってもよかったのかな?みたいな。思い出したというか、なんやねんやろなあの感じ。でもすごく面白かったです。その人の話は。
特に今の時代はそういう人がとても必要なんじゃないかなって感じはしていますね。
というのも、ある仕組みがそれなりに長い時間続くと、どんどん制限とかやってはいけないことが増えていくじゃない?
昔はここでなんとか革命とか明治維新とかが起こったりして、パパッパパッってそこをひっくり返して白紙にするチャンスがあったんだけど、もうだいたい固定してるじゃん、今。
人はこんな風に生きるべきとか、こういうのが幸せのモデルみたいなね。もうずいぶんそれが固定してるから、たぶんかなり今、窮屈になってるはずなんで。
だからといって、世の中の仕組みを変えるとか、革命を起こすとかじゃなくて、心の中に閉ざしてしまったものは何にも世の中と関係なく取り戻すことができるからね。
それを見せてくれる人たち。僕は大谷翔平君とかもその一人なんじゃないかなって感じがしてるんだよ。
彼はさ、この間最後にピッチャーにマウンドに上がった時に、運悪く3人の聖保守がみんな怪我しちゃって、マイナーリーグから急遽、もう控えの控えの控えの控えっていう人がやってきた。
そしたらやっぱり彼のスイーパーと呼ばれるさ、すごい曲がるスライダーを取れなかったのね。
それで負けちゃうんですよ、試合で。
でも彼はその後のインタビューで、このキャッチャーと組むんだったら何が最善かをずっと考えてましたって言ったのね。
普通、今までのわりと昭和のベランメイみたいな野球選手だと、あいつがクソだからみたいな風に怒ったりとか、グローブを試合中に叩きつけたりとかして、キャッチャーに怒りをぶつけるっていうことで気持ちを晴らそうとしたんだけど、
彼はそこで、今日ここにそのキャッチャーがいるということを受け入れてるんだよね。完璧に。
じゃあここだったらどうする?って言って、いつもあんまり使わないカットボールだっけな、いつも違わない球種を混ぜて何とかしのいだんですよ。
旅を通じて得た新しい視点
それも、外が変わってキャッチャーのせいでうまくいかないのをぼやいたり嘆いたり怒ったりするんじゃないやり方がここにもう一つあるんだなっていうようなことを、彼はあの年で身をもって教えてくれているじゃない?
そういうシグナルみたいなものがね、僕は今世の中にいっぱいいっぱいあるような気が実はするんですよ。
確かにその70カ国回るということができる人は限られているじゃない?
そうですね。
少なくとも僕と知恵さんはできないよね、今ね、70国回ってくる。
だからそれも彼女もテレコさんもその役割を果たしているし、そうじゃなくて例えば誰もが見られるテレビとかね、メディアとかそういうところにもいるしね。
だからそういうまさに可能性を広げてくれる?もしくは今までの思考体系というかね、考え方捉え方をそうじゃなくていいんだよって言ってくれるような他の人たちね、メッセージ、存在。
そこにちょっとアンテナを立てておくといろんなことが気づけるんじゃないかなっていうね、そんな感じがする。
これはもう本当に私の勝手な心象なんであれなんですけど、私今43でです。いろんな人とお会いしてきてです。
で、その中で私と同年代で全然そんな著名な方でもなく、テレコさんよりたくさん回ったという方、何人かお会いしたことがあって。
この方もたぶん趣味で行ってはったんやと思うんですけど、私と同年代の人たちも完全に趣味で回ってて。
で、すごい話とかすごい面白かったんですけど、聞いてて。なんかこう、話してる内容が観光の話やったりとか、そういうちょっとまた別のところにフォーカスが当たってるんですね。
自然を見に行きたくて回ってたみたいな子もいましたし。で、テレコさんは繋がりがメインやったんかなって勝手に想像してたりするんですけど、同じようにいろんなところを回った人でも全然聞こえてくる言葉とかそのものが違って。
自分に合った学び方を見つける
どっちが言い悪いとかじゃないですけれども、何が言いたいかちょっとわかんないですけれども。私がすごく不思議、ちょっと話飛びますけど、私がすごく不思議というか面白いな、不思議だと思ったのは、
例えば町内会の集まりとか、例えば学校行ってる人だったら学校とか、毎日行ってる会社とかの出会いとかちょっとしたこの話で、それはなかなか起きにくいなと思ったんですね。ここまでお話ししてきた内容って。
でもそれはすごく鈍感になってるだけなのかなというふうに思ってです。なぜ新しいとこだったりとか旅行に行ったりすると、そういう旅行に行ったりした時の繋がりって、そういう印象的なものになりやすいのかなっていうのがすごく不思議です。
どう思われますか、蔵野さん。日常の繋がりと非日常という言葉が適切かわかんないですけど、そういう時の繋がりって言うんですかね。
それはですね、要は今日のテーマはさ、教えてもらえるってことじゃん。自分がそうじゃないと思ってたことをいやそうだよとかね、逆にこれはいけないと思ってたことをそれでいいんだっていうふうに教えてもらうっていうことでしょ。
僕らはどんな形で誰にどんなタイミングで何を教えてもらいたいかっていう意思があるんですよ。だからテルコさんは旅行という方法を使って、しかも日本人ではなくて自分の知らない国の人たちにそれを伝えてほしいと多分そう思ってたんだよ。
それが先にあったの。だからそれを聞いて、そっか70カ国旅すればこの人のようになれるのかと思うのは実は違っていて、誰にいつどんなタイミングでどんな言葉で教えてほしいかっていうことを僕らは持ってる先に。
その心に従って素直に旅立ったのが多分テルコさんなんですよ。だから決してその新しいところに答えがあるとかね、そこに何かが待っているということではなくて、その人にとってはそれが一番いい方法だったってことなんだよね。
だからそれが家族だったり、逆にパートナー、一番身近な人から僕はその答えを聞きたいんだっていう人もいれば、あるいは僕は前音楽をやってたから、自分とお客さんとのつながり、このお客さんから僕はその答えを得たいんだっていう人もいるだろうし、
まさにバリバリにビジネスをしながら切磋琢磨する競争相手みたいな人との中でそれを学びたいっていういろんなパターンがあるんですよ。だから何をしなくてはいけないっていうよりも、自分がいる場所、そして付き合っている人たち、それから自分がこれからしたいなと思っている感覚を信じていれば、僕はその機会には十分に出会えると思うね。
千恵とション
クラズマさんとテレゴさんが喋ってるの見てみたいなってめっちゃ思いますね。なんかすっごい気さくな人で、またお会いできる縁がもしあればです、言ってみます。
なんかあんまりこう、すごいなんかこう、本買うときになんかこういろいろ話したりできたんですけど、すごい後ろに何か待ってはってです。なんかあんまりあれやったんですけど、もしそういう機会があればぜひぜひお願いします。
だから多分ね、何かを得ようとして行くところは多分何も待ってない感じがするんだよ。なんかもうそこに行きたいとかね、行かないわけにはいかないみたいな、何でかわからんけどっていうこの感じ、心の震えというのがね、それに従って動いているとそういう人が待っていてくれる感じがするね。教えてくれる人がね。
さてみなさん、今回の会はいかがだったでしょうか。
いやなんかね、すごくこう、私は今回こうやって蔵園さんとこのテレゴさんの声の話をして、改めて何かこう、周りを見渡すいい機会になったなと思ったんですね。
なんか不思議と、この方の話を聞いた後です。本人もおっしゃってたんですけど、いろんなものに感謝する気持ちっていうのが普段はすごい抑えつけられてるんだなって思ったりして。
なんかこう、ちょっとうまいこと言えないですけれども、なんかこうやっぱり、本当にこう人という、人種というか人という生き物がいて、種族がいて、でその種族が生きていくためにある一つのこう、何て言ったらいいんですか、仕組みっていうんですかね、が繋がりであって。
人間の繋がり
それがなくては私たち人間というのは生きていけないっていう、水、食料と同じぐらいのレベルの何て言うんですかね、ものであってみたいな。
なんかそれを改めて今日お話しして思いました。やっぱりそうなんやな。
一般にはね、その繋がりというのはやっぱりこう経済活動の中で語られるからさ、その相手が利益をもたらすのかとかね、あるいはその自分の親だったら年取ったら面倒見なきゃいけないちょっと損だなとかね、そういう損得感情なんだけど、それじゃないものがその人との繋がりの中にいっぱいあって、でそれがないと僕らは生きていけないということ。
そういうことじゃないかと思いますね。
さてこのポッドキャストではあなたからのご質問ご相談、こんなテーマ取り上げてほしいだったり、私みたいにこんなとこ行ってきたんだけどこう思いました、お二人はどう思いますかみたいな話だったりとかいろいろと受け付けておりますので、概要欄のお便りからお送りいただければと思います。
では今夜もほっこりした夜をお過ごしください。さようなら。
さようなら。