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チョロっとラジオ、今回のテーマ、家族になるってどういうこと?の第2回目です。
チョロキュウさん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
前回ね、いろいろ話していただいて、今回聞きたいのが、チョロキュウさんが家族になったな、なれたなって思った瞬間ってありますか?っていうことなんですけど、
どうですか、里子の方が心を開いてくれたみたいな瞬間があるもんなんですか?
ほんとね、まず、私の方からの家族になったなというものは、1回目で話したんだけど、出会った時から自分はその感覚で行くから、その時からバイバイと別れする時まで家族なんだよね。
でも、子供っていうのは心を開かない限り、今まで自分にどんなことがあったのか、今抱えてしまった何かつらいことだったり、楽しいことだったり、そういうことを話してくれないんだよね。
やっぱり心を開かなきゃ。
開いてきて、ポンって話し出してくれた時に、一歩近づいたのかなって。
家族までっていうのは、ごめん、おこがましいから、里子の子にはなかなか思わない。
相手がどう思ってるとかは思わない。
なんでかっていうと、親がいるから、大人の私たちは家族として思っても、子供に家族として認めてもらおうと思わない。
っていうのが現状だから、里親と里子だとちょこっとずれてしまうのかも。
だから家族っていう単位っていうよりも、個人の距離がきちんと縮まったなっていう感じはある。
ある。でも意外と、私は経験上、縮まる時間って早いなって思うのね、家の中で過ごしていると。
外でただ会話をしている人と違って、やっぱり家の中でご飯を出したり、なんだかんだ小さな時間でも積み重ねていると、
自分の中で、本当今までこうだったのが、これがこうでつらくてこうなったんだっていうことを、誰かに本音は打ち明けたいっていうところをポンって、
これなら、この人なら言えるかもとか、打ち明けたいって思うようになる瞬間があるんだよね。
だいたい早い子はその日に言い出すし、だいたい3日もあれば話をしてきてくれる。
私から聞くことは一切ないから、子供からちゃんと自分の心を開いて話をしてきてくれる。
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家族っていう枠組みよりも、個人の距離感というか、個人の扱いで縮まっていくって感じがするよね、聞くと。
そうだと思う。まずは、衣食中、着るものがあって、食べるものがあって、必ずちゃんと安心して寝られる部屋がある。
そこで寝れる。何か、じゃあ誰かと私とその子供が喧嘩しようと、部屋にふんって言って帰ってベッドに転がって寝てればいいとか、
それでも普通の子供と同じように、自分だけのいられる空間がある。
それが安心できる空間だと思うんだけど、そこを安心と思えるようになったときに、初めて子供は心を開くようになる。
今、例えばビジネスなんかでも、よくマネジメントで言われる心理的安静性の確保だよね。
これは本当に、一回目で俺も言ったけど、例えば俳優の映像の現場でもコミュニケーションをとって、
それを家族役で、変な緊張感があったらいけないっていうのは、まさに心理的安静性だから、
それはやっぱり、家でも変わらないってことだよね。
それでも帰ってこなきゃいけない場所が、安全じゃなかったらってことだよね。
そうそう。それはつらいよね。
自分の親の家であろうと、他人の家であろうと、帰りたくない家は絶対嫌だよね。
それは思春期で親がうざいからとか、そういうことではなくて、
ここはだから、いわゆる物理的な安全性も大きいよね。
そうね。
あと、全然元に戻っちゃうと、
パパとママって、子供に対して家族になるときって、なんか若干違う気がする。
ママって、お腹に子供ができたとき、
あっと思ったときから、やっぱり愛おしい、それに変えるものは何もない。
自分よりも大事な本当の宝物。
その子供が、もうそのときから家族なんだと思うの。
でもパパって、なんだかんだ言って、子供が生まれて、一緒に過ごし始めて家族になるのかもなって。
そこは、永久にわからないじゃない。
絶対に我々男がお腹を痛めることはできないから、
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それはね、想像してもね。
そう。だからね、遅くなるのはしょうがないけど、きっとそこでパパとママの子供への家族って思いは、
お腹の中にいる頃からパパの思いもどんどん強くなるとは思うけれど、
やっぱり実際に出てきてから、パパはちゃんとした家族になるんだと。
でもなんかね、友達、俺は子供がいないから、子供が生まれる、できた、お腹の中にいる瞬間に、
なんかね、世界がね、見え方が変わったっていうやつが。
あの子も、あいつも、みんな昔子供だったんだ、赤ん坊だったんだっていう視点ができて、
俺の景色がすごい平和になったっていう人もいて、
そういう証拠みたいなこともあるから、割と男も認識変わるんじゃない?
へー、そうなんだ。
痛める、お腹を痛めるってことはないんだけど、認識はやっぱり、
多かれ少なかれ変わるんじゃないかなと思うんだけど。
そういう旦那さんだと奥さんも幸せよね。
そうね。
たまにいるじゃない?
そうか、奥さんに、ママになるって瞬間に、ある浮気しちゃった人とかっていうのがいるからさ。
あるでしょ、SNSの広告の漫画に上がってくるような、わかりやすいですね。
あるんだろうね、でもね、実際。
あるある、実際ある。
占い師をやってた時代もあるから、そんな頃に、そんな相談も受けた。
男が単純にビビるって話だったでしょ、きっと、その状況に。
というかね、人によるのよね、男の人、家族とまたちょっと脱線しちゃうけど、
そうやった他の女の人に行ってしまう人は、急に奥さんが女性として見れなくなった人もいたり。
あー、社会的な立場の認識が変わるんだ。
そうそう、男性のところの今の、そのなんだろうな、小松君の知り合いの男性の方、
素敵な視野の広がり方をしたけれど、その視野が違う方に向いてしまう人もいるんだよね。
ほんとその男性によって変わってしまうかも。
あー、なるほどね、なんか俺の女みたいなものから、家族に、そういう。
そうそう、家族は家族なんだけど。
違う意味で、ネガティブな意味の家族っていう社会的な枠組みになっちゃう。
そうなんだよね、それは女としては寂しいよね、ちょっとね。
ひどいよね。
ひどいよね、そうなんだよ。
でもあるんだろうな、そういうの。
まあ、大概はないけどね、少ないけどね。
そういう認識の変化なんだね。
でもそう考えるとやっぱり家族になるならない。
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3的には認識の変化なわけじゃん。
それの認識の変わり方って大きな出来事じゃないんだろうね、積み重ねなのかね。
うん、それが持って生まれたものなのか、
それとも生きてきた人生の中でそういう考え方に変わってしまったのかは人によって違うけれど、
ただね、もともともうそこまで生きてきて、その考え方になる人生を送ってきちゃったんだよね。
女性に対しての見方とか、自分に対しての価値観とか、
それによって奥さんに対しての見方も変わってしまったがために家族の形態がそれぞれの家で変わっちゃうんだよね。
そうだよね。
例えば夫婦間だって変わるわけだからね。
そうそう。
妻だったのが母になる、夫だったのが父になるって変化があるわけだから、
その変化を能動的に良心的に受け入れないと、いい家族っていう枠組みには変化していかないんだろうね。
1回目とかは子供ありきで家族って話をしていたけれど、今回は夫婦として考えたとして、
これもまた不思議なことがあるんだよね。
男性も女性も、今先男性がお腹に子供ができたときの考え方の違いを言ったけれども、
女の人も子供ができましたっていうときに、夫は男じゃなくパパとしていればいいっていう人もいて、子供が大事よっていう人もいれば、
それでも私を女としてちゃんと見てほしいっていう人もいるのよ。
そうね。
だからね、これはケースバイケース。
それで考え方の違いって言ってたまにどんどんずれて離れていってしまう人もいるけれど、
それは互いのそういう考えが違うところがあるから、うまくそれを分かって歩み寄れば一番いいのかなって思うんだけどね。
そうだよね。特に子供が家族に、子供ができるってすごくドラスティックな変化じゃない?
だから夫から父にっていう社会的なステータスの変化ってわりと分かりやすいじゃん。
これから父親として頑張らなきゃっていうのはわりと分かりやすく変化できると思うんだけど、
そうじゃなくて、相手の変化には気づきづらい。
そうね。
妻であり、かつ母なんだっていうところにはパッと分からない変化。
相手がどう変わったのかっていうのは見て分かんないもんね。
やってることは当然子育てが始まるからなし崩し的に変化が許容されていくと思うんだけど、
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俺全然想像で喋ってますけどね。完全に。
これは夫と父と妻と母と全然違うもんなんだっていうのを明確に認識しないまま言っちゃうと、どんどんずれていくよね。
そうね。一番肝心なのは、ちゃんと話をすること。
人ってきちんと心の中こう思ってるって言える人はいいけれど、言えない人の方が多いんじゃないかと思うんだよね。
ちょっとは出してもほとんどのものを食べ込んだままとか、そういう人ってすごく多いんだと思う。
だから自分発信って難しい。
だったら相手はどうしたいのかなって聞いてあげればいいんだと思う。
これこうしようと思うけどどう思う?とか、これこうしたいけど何が欲しい?とか、
何でもいいから聞いてあげると、じゃあこうしたいかな、どうしたいかなって。
何も考えられない人はたまに何でもいいって人もいるけど、
でも無表情で何でもいいって言うんだったら、まずその前にもう愛情が薄れていて何かがすれ違ってるんだよね。
そうしたら何で何でもいいのかを聞いていかないと、もっともっと人ってずれちゃうじゃない?
そうすると家族分裂性ね、ビリビリビリビリ。
あと忙しい、忙しさにかまけてというか忙しさに流されて、子育てなんて大変じゃない?
そうそう。でも暇なんてね、すごい良い世の中だと思うの。
じゃあ夫婦共働きで忙しい。
忙しいって言っても、じゃあ本当に忙しいんだったら休みの日1日、お掃除してくれる業者の人頼んで、
家の中ちょっときれいにしてもらってその間みんなでゆっくりしよっかとか、それもできるじゃない?
働いてるからそのお金出せるから。
そうじゃなくて、じゃあどちらかが専業で家の中にいる人だったら子供の面倒見ながらお帰りって昔の家みたいにあったかく迎えてあげることもできるし、
いろんな形態ができるんだと思うね。
全部自分たちでやろうじゃなく、いろんなものを使いながら、いいシステムを使いながらやっていくと自分たちにも余裕ができて、
笑顔もできて、ちゃんと会話もできる。そんな良い家族になると思うんだけどな。
やっぱ共同経営してる感覚持つといいよね。
そうだと思う。
家族経営ってすごく個人的なものだし、個人的な空間なんだけど、経営として捉えると別に経営者でもなんでもないんだけど、
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結局マネジメントしなきゃいけないっていう認識があれば、これ話すと長くなるし、
俺はそういう風にやってった方がいいと思う。
なんで余計そう思うかって、昔からよく言われてるのって、夫婦って顔が似てる人って、
もうだいたい性格もあっていて仲良くいくよねって言われるけれど、うちは全然顔も似てないし、
まあ考え方も違うし、性格も全く違うし、まあ誕生日も結婚祝いも何もしない人だし、
お金に余裕があった時にポンと私が何もくれないって文句ばっかり言うからプレゼントをたまにくれる。
去年なんかくれたものは、なんか髪のピン留め330円を2つくれたね、以上。
普通の人なんかそうしたら、まあ私なら離婚するって人いっぱいいるんだね。
そうですか。
はい。だけど何を良しとするか悪とするかだと思っていて、
それを全部言ってたらどうしようもないし、じゃあ欲しいものは自分で買えばいいじゃない?最悪。
その代わり、じゃあ全部ダメなのかって言えば、すごく真面目に働いて、お買い物行く時も一緒に動こうとする。
全部そうやって2人で一緒に動こうとする。
そういう旦那であるから、あ、私は思ってるんだなっていうその気持ちはわかる。
じゃあまあしょうがないか。
で、私は流す。100%受けようとしたって無理なのよね。
もうこの人はこういう人。だって自分が幸せであればいいって人なんだもんって。
相手の気持ちは考えられない人なんだもん。
はいはい、じゃあ私が全部、もう柔らかく全部受け止めてあげましょうっていう、私はもうそのスタンスになったから。
なるほど。
そうそう。人それぞれよ、私はこうして欲しいからって全部言っちゃうとダメだから、
お互いで情報し合うこと。
なるほどね。
あれだよね、お互いがやっぱりある程度協力する意識を持って家族は成立するよね。
そうなの。
やっぱりこの家族崩壊してもいいやって思って、その家族の一員ではいられないわけじゃん。
何らかの形でこの共同体を維持しようっていう認識が、それは年齢とか立場に問わずあるはずだよね。
だから親はうざいけど、別にぶん殴って、まあぶん殴るという話。
正正和時代ね。
なんて言うんだろうな。
いや、なんかスコアに落とし入れてやろうとか思わないでしょ。
そうね。
その親を不幸につけやろうっていうことにはおそらくならないはずなんだよね。
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反抗はあっても。
あのね、全然ちょっとずれちゃうかもしれないけど、今ぶん殴ってやるとか反抗で私が思い出すことは、よく預かった子供に言うことがあるんだよね。
それでも親に対して愛情を持っている人もいれば、中にはもう二度と会いたくないと思っている子もいるの。
でもその時に私が必ず言うことが、どんな憎しみがあるとか、今その感情を捨てようとも無理かもしれない。
でも大事に考えるのは自分の幸せだよって。
相手にもう憎しみがあって殺したいと思ったり殴りたいと思うぐらいなら自分で逃げろって。
やる前に逃げろ。
なぜかって言ったら何かを危害を加えてしまって、じゃあ警察にお世話になるかもしれない。
自分の心に大きな傷を受けるかもしれない。
相手に何かをやるぐらいだったらまず守ることは自分の心だ。
こいつといたら自分の心が傷つく嫌な思いをする。もっとドロドロした精神的に落ちていく。
その精神的に落ちていくものを防ぐためには今逃げろ。
そこをきれいにするためにもし私たちが必要だったら戻っておいでって私は言う。
それでいいと私は言うのね。
逃げることも大事だよって。何かちょっとずれちゃったけど。
家族の誰かをマイナスにしようとは決して思ってないよね。
だったら出てけばいいって話だから。
それはね、家族。父親母親であろうと兄弟であろうと若の他人であっても
そんなことがついして自分の心を怪我するぐらいだったら逃げろ。
逆説的に言うと、家族になるとかなろうとするってことは
少なくとも協力する姿勢は必要だよねって話になってくるよね。
そうそう。ほんとそう思う。
物理的なことじゃなくて、少なくとも成立させようっていう意識がないと
多分成り立たなくて、それってかなり積極的な意識だよね。
物理的な子供からするとお手伝いするとかそういうことではなくて
教育をするとかそういうことではなくて
もっとすごい生活の意識の、無意識の方に
少なくとも成立させるための協力はするっていうことがあるような気がするんだよ。
大人同士の家族はさっき私が言ったみたいに話し合えば何とでもなると思う。
子供を加えた部分での家族っていうのは
みんな特に兄弟として2人だ3人だお子さんを持ってると分かると思うし
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大人の立場と子供の立場と見る観点から全然違うんだよね。
大人って社会に出て大変なことも責任があるから
いっぱいある反面、自分の力でやっていけるじゃない。
子供は守られている反面、自分の力でやることは限られるの。
全てが自分でできるわけじゃない。大人の了承を得なきゃいけない。
まずそこも根本的に違うところで
親が大らかでいいよそれやってみたいなら全部やっていいよ。
お金にも余裕があるからやってもいいよって言うなら子供はすごいかもしれない。
でも逆にこれはやりたいっていう時にすごく古風な人であったり
怖いというものを感じる強い人であったり
これはダメだって抑えてしまった。
もしかしてそれを抑えられるものがとてももともと持っている性格で苦手な子であれば
反発心が生まれて反抗的になるよね。
じゃなくても思春期で反抗的になるところに余計ぶつかるから親子うまくいかなくなるよね。
それって子供に抑えろって言ったって無理なのよ。
何が変わらなきゃいけないと。
親がそこはこの子はこういう子なんだなって。
親が変わるっていう。
変わるしかない。
でもできない理由があるんだ。
ごめんってこれはこうこうでできないからって。
ちゃんとゆっくり怒らず話をするしかないの。
子供を変えようと思っても無理。
大人が歩み寄る。
家族の中でそれしか一歩一歩近づくのはできないなと私はいつも思う。
何となく親の立場じゃなく自分が子供の時のことを考えるとあれって思い当たる人もいるかもと思うんだよね。
そこまで家族になるって観点でいくと親の認識の方が大事?大事って大きい?
うん、と私は思う。
小松くんなんか家で見てるから犬と猫よくわかると思うけど
普通は犬やんちゃだけど言うこと聞いて猫の方が結構やんちゃに言うこと言わずにワーって走り回るとか思うかもしれないけど
うちを見てわかる通り猫は大人しいしいい子だし犬は言うこと聞かないし走り回るし
そんなもんでこうだってこうあってほしいって思ったって自分の性格と子供は違って当たり前?
真逆の考えを持ってても当たり前?そう思っていなきゃいけないんだけど
なんか私の子なのにこう自分の思った通りにいかないから可愛くないとか
なっちゃうからよりうまくいかなくなる。
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次回は親側、大人側の家族になるっていう意識が変わるっていうか
変わるために何が必要かみたいなことをちょっと聞いてみたい。考えていきたいなと思うんですけど。
はい、よろしくお願いします。
今回はこんなところでありがとうございました。
はい、ありがとうございました。