2025-01-23 21:35

#33 夫婦の家事分担、どうやったらうまくいく? 円満のコツ

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33回目 今回も Yahoo知恵袋からピックアップ -----------臨床心理士の「ゆーこさん」キャリアコンサルタントの「ぼーちゃん」の二人が【だれせめ】を使ってお悩み、お困りごとの解決のヒントや元気になるメッセージをお届けしていく番組です。【ご相談のお便り募集中】ラジオネームでペンネームでこちらからご連絡ください。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSej9f6HBdva-IIjK4ld08I9PQ97jw_jxbxgTyh-66RLnPhmuA/viewform

夫婦の家事分担に関する悩み。今回は夫側からの相談です。どちらも自分が果たしている役割にパートナーがあたりまえだと思っていることに不満を感じています。ゆーこさんとぼーちゃんは 家事分担の正しい方法を探るより、まず考えなくていけない大事なことがあるんじゃないのかな? 今回も「だれせめ」をテーマに意外な解決へのヒントをおしゃべりしています。

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⁠⁠⁠#だれせめ相談室⁠⁠⁠ #家事分担 #家事育児 ⁠⁠⁠⁠⁠ #家事シェア #カウンセリング  #メンタルヘルス  #セラピー

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みなさん、こんにちは。だれせめ相談室のお時間です。
だれせめ相談室室長で臨床心理師のゆうこさんです。
ようこそ。
こんにちは。アシスタントで、キャリアコンサルタントのわおちゃんです。
この番組は、ゆうこさんとわおちゃん2人が、
だれも責めないコミュニケーション、だれせめを使って、
お悩み・お困りごとの解決のヒントや、元気になるメッセージをお届けしていきます。
今日のテーマはですね、
夫婦の家事分担について、お話ししてみたいと思います。
結構、これね、盛り上がる話題ですね。
もう、古今東西、本当にもう、こればっかりですよね。
なんか、Xとかインスタとか見ると、本当にこういう話題で、
溢れてますよね。
今日も知恵袋で。
ちょっと読んでみます。
夫婦の家事分担についてです。
我が家は4人家族、妻と子供2人。
子供は中学生になりました。
妻は最近パートを始めました。
週に2日、1日4時間程度ですが、
家事は妻がすべてしています。
パート代はすべて妻の小遣いで、
生活費についてはすべて私の給料からです。
パートを始めた妻の口癖が、
少しは家事を分担してほしい。
家事をやっているのを当たり前だと思わないでほしい。
家事をしていることに感謝されている感じがしない。
と言われます。
私は心の中で、
働いて生活費を入れてもらうのが当たり前だと思うな。
働いていることに感謝されている感じがしない。
と叫んでいます。
そもそも結婚約20年、
お互いに感謝の気持ちというか、
愛情がないのかもしれないですね。
私は簡単なごみ出しや、
たまに洗濯などしますが、
基本は家事は妻の仕事と思っているので、
方針を変えるつもりはないのですが、
やはり私の考えは古いのでしょうか。
家事は分担すべきでしょうか。
というヤフー知恵袋の投稿を見つけたので、
ちょっと読んでみました。
今のご時世を代表するような価値観というか、
いろんなものが詰まっている感じの投稿ですよね。
この手の話を聞くたびに、
私は一番に思うのは、
そもそも生きるってどういうことなのかというのを、
多くの人が彼方に忘れちゃっているというか、
例えば子どもを持って家庭を運営していくのって、
まさに生きることそのものじゃないですか。
子どもが生まれるのも生物の自然だし、
それに伴っててんやわんやする、
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あるいは食事の準備もね、
子どもが赤ちゃんの時から大きくなっていくと変わっていくとか、
生きることそのものなので、
それを家事という仕事というか、
作業として分けるっていうのが、
ちょっとどうなのかなっていうね、
生物学的に見ると、
人間だけおかしな方向に、
社会全体が行っているなというふうに思うんですよね。
だって仕事っていうのはね、
昔だったら狩猟採集とかで、
家族が生きていくための餌を取ってくる、
そこにはあんまり男女もなかったりしたし、
農業も男女もなく、
食べる糧を取ってくるっていうことがそもそもだったのが、
産業革命以降ですかね、
工場労働者として働きに行って賃金を得るっていう、
飯そのものじゃなく、
貨幣を取ってくるっていうふうに、
世界は変わってきたわけです。
その途端このような、
生きることそのものが、
仕事を稼いでくる、お金を稼いでくるっていう、
ある種の作業と同列に語られだしたっていう、
これちょっとね、学術的な言い方になるかもしれないけど、
なんかその辺からちょっとね、
人間だけ変な方向に行っているなっていうのはね、
私常に思うんですよね。
やっぱり専業主婦っていう専門家が、
生まれてから、やっぱり世の中ちょっとおかしい。
それもね、社会的に結果としてね、
一人働き手として、
力のある男が工場に借り出されるっていう、
じゃあその分、一人かけた分、
家で食べるものを取ってくるんじゃなくて、
お金を取ってくるために、
それ以外の家族メンバーが、
外からお金を取ってくる人を送り出して、
家庭のことはこっちに任せろみたいに、
結果として社会的に発生したのが、
その分担だとは思うんだけど、
生物的な側面にこの家事労働とか、
外に出て働いて稼いでくる労働っていうものが、
なんかちゃんとうまくフィットする組み込まれ方が、
してないままこの何十年とか百年とか、
100年とか経っちゃってるのかなっていう感じ。
だからこうやっていろいろ圧力ができちゃった。
しかもこんなこと、学校でちゃんと学ぶわけでなくて、
就職しましょうみたいな話は、
中学高校ぐらいから学ぶけど、
生きるとはとか、生活するってどういうこととかっていうのって、
意外に学校で教わらないしね。
学校でも当たり前として処理されちゃってます。
就職こそ大事みたいになっちゃっててね。
そうですよね。
だからそういう大きな背景があるっていうことをまず見て、
まずそこからの観点で私たちは物事を考えるわけなんですけど、
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そうするとこの投稿にあるような話は、
べき論ですよね。こうあるべき。
女はこうあるべきとか、家にいる主婦はこうあるべきとか、
働いてる方はこうあるべきとかみたいに、
なんか人間の生きていく自然よりも、
べき論の方がフューチャーされちゃって、
べき論対べき論で、
こうあるべきでしょ、こうあるべきでないでしょみたいに、
夫婦のすごい大きな背景のある話なのに、
個人的な夫婦の夫婦喧嘩の話に賄賞化されて、
みんなそれを賄賞化されてると思わずに喧嘩しちゃってるっていうね。
検索してみてみると、
夫婦の価値についてっていうので、
Yahoo!知恵袋の中だけでもものすごい数がヒットするんですけど、
そうで、その中でやっぱり話し話されてるのって、
いわゆる家族の中でのそういう仕事、家族、育児ですよね。
どっちが負担するべきかとか、
そういうところばっかりがこの話し合いの争点に、
相談ごとの争点になってるんですよね。
そうそう、もうなんか前提が共有されてないというかね、
今言ったようなでっかい背景の話、生きるということと、
稼いでくるっていうことは、全然フェーズというか、
土台が違うのに、そこがどっちがどうするんだみたいな、
なっちゃってるっていう。
でもそもそもね、家族を作るとか、
意図して作るっていうより発生していくわけだけど、
一緒に生活している以上、相手が、相手あるいは自分以外のメンバーが、
少しでも幸せであってほしいと思うのも人間の自然だし、
あとはあんまり困らないで元気でいてほしいとか、
普通に持っている相手メンバー、家族メンバーに対する思いみたいなものが、
ないがしろになって、どんだけ自分がこんな苦労しているとか、
そこに行っちゃってるのが、思いやりとか愛情とか、
相手を大切に思う人間関係、信頼関係の話はどこに行ってるんだっていう風にね、
こういう悩みを見ると思いますけどね。
そうなんですよね。この文章の中にお互い両方ともですけど、
愛が見えないんですよね。
愛情がないかもですねっていう風にご本人が書いてますもんね。
でもこれもなんかすごいもったいないというか、
ご本人たちがね、それを望んでそうなってるというよりは、
なんとなく自動思考的に、自動思考っていうのは、
なんとなくこう自分がパッと思い浮かんだことが事実だと思っちゃうように、
家事とか仕事、働きに出るとかっていうのは、ちゃんと分担するもんだっていう、
自動的にそう思っちゃってるだけで、別にそんな強固なもんじゃなくて、
解決策としてはやっぱり一緒に暮らしてる仲間である家族が、
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少しでもお互い穏やかに楽しく幸せにやっていくことの方を上位に持ってこないと、
解決はないですよね。
そうですよね。どっちの役割分担の、
例えば奥さんが多いとか少ないとかっていうので、
じゃあこの分の分担だから正しいとかって言って、
相手を打ちまかしたとしてもね、その時点で。
でもそこに愛がなければ困るじゃないですか。
本当ですよ。相手をねぎらったり思いやったり、
一緒に生きていくっていうね、
その作業じゃなくて生きていく方にシフトしていかなきゃいけないのに、
あくまでもこの作業論に徹していると、ちょっとうまくいかないよな。
あともう一つは、私は母親でもあるので、
子育てと外に働きに行く、会社員として働きに行く、
これ私同時に両方やってたんでわかるんですけど、
もうね、子どもの方が大変。
子どもとか家庭運営の方が大変ですよ。
だって命だし、絶対間違いが許されないし、
かつ、ちょっとした一言とかでとんでもない子ども、
あるいはパートナーの人生がとんでもない方向に行くんだけど、
仕事なんてね、話の伝わる大人しかいないし、
理論的な話は通用するし、
時間が来たらすいませんって帰ろうと思えば帰れるし、
なんか全然質の違うもので。
そうですよね。あと逃げ場がある。
仕事は究極その場から逃げることができるけど、
家族が逃げるわけじゃない。
そうなんですよ。もう待ったなしに命っていうのは、
もう今今目の前でね、こう危機に晒されながら、
特に赤ちゃんとかだと、もういつ何かが落ちてきてとかね、
こう、なんか事故があってってことで気が張ってるっていう、
あの感覚とかはもうね、仕事の日じゃないって思います。
そうですよね。そう休めないしね。
そう休みなくね、子供が泣いてると、
赤ちゃんが泣いてるのをほっとくわけにもいかないし、
その時にいくら社会的にね、例えば役所にあれ出さなきゃいけないとか、
旦那のね、職場に対してあれやらなきゃいけないとかって、
この社会の方のことなんてもう考えられない。
目の前でね、子供赤ちゃんが泣いてるとか、
何かわからない理由でおかしなことになってるとかになると、
そっちの方がね、100万倍大事なんで。
そうですよね。
そうするとね、そこで、いや俺は仕事さえやってりゃいいみたいなこと言われると、
もうなんか、住んでる世界、生きてる世界がね、
次元が違ってるっていうか。
違いすぎてね、生きるってどういうことっていうところにやっぱり立ち返んないと、
なかなかね、難しいかなって思います。
だからその経験値がないだけ、やっぱりそのイマジネーションっていうのがないっていうから、
やっぱり子供を子育てと仕事を同列にやっぱり考えてしまう。
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考えるんでしょうね。
でしょうね。
まあね、体感がないし、想像もできないとなると、
まあ限界はね、あるんだろうなと思うけど。
だからこそやっぱりね、そのわからないだろうと思う。
それはしょうがないと思うけど、せめて思いやりですよね。
そのね、想像力と思いやりですよね。
そのパートナーとか子供に対するね。
まあ子供がいない場合でもね、その相手方に対する。
まあここはね、まあ男女どっちもなんですけど。
当たり前だと思わないで欲しいって叫んで、
そう思っているその背景をもうちょっと詳しく、
互いに話さないと、ここで終わっちゃってると、
そうなんだよね。
イマジネーションも減ったくらいも理解もなく、
お互いぶつかったままで終わっちゃいますもんね。
だからね、カップルセラピーとか家族療法とかだと、
具体的な介入案としては、なんかこう、
喧嘩するよりも、あの喧嘩になりそうになったら、
なんか、腹が立てば立つほど、
ありがとうって言いましょうとかみたいなって、
面白おかしい介入をして、
相手を責めるとか、自分がいかに作業的に楽をするかとは、
逆の方向に行くようなコミュニケーションをね、
何かこうやってみてください。
ちょっとこうコミュニケーションのパターンを変えていかないと、
この悪循環はなかなか止まらないですよ、きっとね。
自分の方がしんどい思いしてて、
相手の方が楽してるっていうのにとらわれちゃうと。
ずるいって思っちゃってるじゃないですか。
お互いにね。
その感覚を持ち続けている限りは、
やっぱり平行線のまま。
どっちが正しいんだになっちゃってね。
でもそれこそやっぱりね、
どういう夫婦でいたいのかとか、
どういうカップルでいたいのか、
どういう家族でいたいのか、
本当はどういう関係性があると幸せなのか、
っていう風に考えると、
自ずとどう行動すればいいかっていうのは変わってくると思うんで。
それこそそういう時は家族療法とか、
そういう専門家のところに行けば、
そのきっかけがつかめると思うんだけど、
なかなか家族療法っていうのもそんなにメジャーじゃないしで、
悩むとね、やっぱりSNSとかで、
これって僕間違ってませんよねとか、
私間違ってませんよねみたいになっちゃって、
そうするとみんなも間違ってないぞとかってなるから、
白車がかかってね、その夫婦間の亀裂にね。
あとはね、もうこれはちょっと話が変わっちゃうんだけど、
夫はもうちょっと一旦諦めて、
いやいや話は変えるとね、
もうどうしようもない場合は、
もう一つの考え方としては、
我が子をね、
我が子が特に男の子であれば、
男の子、女の子でもいいんだけど、
家事とか水事とか、
自分で自分の身を立てるっていうことを教えていくっていうつもりで、
もう小学校中学校ぐらいからちゃんと料理を教えるとか、
自活の仕方を教えるっていうことで、
もう夫がダメなら子供たちにそういう経験をね、
15:00
どんどんさせて、
家のことも、
なんかね、昔は今でもそうかな、
お手伝いとかね言いますけど、
お手伝いじゃなくて、
お手伝いではなく、
あなたが生きるための術を家庭で教育してるんですよっていう体で、
ちゃんとあなたが一人でもう一生やっていけるように、
私は今からあなたにちょっと、
学校とは違う課題を課しますよっていうことで、
料理を教えたりね、
その皿洗いとかやらせたり、
お手伝いとか言うから、
なんか、
お客さんになっちゃうんだよね。
それはね、
お手伝いじゃない。
やっぱり生きる術っていうのを教えますってことですね。
そうそう、
本当、
昔だったらね、
それこそ火の起こし方とかね、
その獲物の仕留め方とかを、
やっぱり親から教わるわけですよね。
それを何か、
貨幣経済になった途端に、
その貨幣の稼ぎ方までは、
学校も親も言うけど、
生きていくね、
その、
例えば、
何だろうな、
本当に時代が時代ならね、
そこら辺の生き物を捕まえてきて、
占めてね、
自分でバラしてこう、
捌いて、
肉魚をね、
取って、
体に入れていかなきゃいけないっていうことだって、
今からだってその時代が来ないとも限んないしね。
そうですよね。
本当に、
そこら辺の草をね、
料理しなきゃいけないような、
食料危機が来るかもしれないですね。
かもしれない。
そう。
次世代はね、
特に、
この夫婦のね、
この作業の分担とか、
仕事の分担、
以前に、
やっぱり生きていくってどういうこと?
っていうのをね、
子供とは、
こう、
語れるといいですよね、きっとね。
そうですよね。
だから、
まあね、
よく、
お母さん一人で、
私頑張ってますっていうことあるじゃないですか。
けれど、
もしかして、
頑張りすぎてない?って思う時もやっぱり。
そうそうそう。
まあ、
結果としてね、
そう、
お母さんが頑張りすぎるから、
子供が無能のまま育っちゃうみたいなね。
無能のまま。
そう、
生きるっていう意味だよね。
生きるっていう方に、
お留守な子供がね、
勉強だけしてりゃいいんでしょ、
みたいに。
まあ、
その、
生きるっていう方が得意じゃない、
旦那の荷の前みたいになっちゃうから。
そう、
だから、
もしかして、
手伝ってくれない旦那に対して、
文句を言ってるんですけど、
頑張りすぎることによって、
そうね、
そう、
ジュニア育てちゃってるような気がする。
そう、
ジュニアね、
そうなんですよ。
お母さん、
何でもお母さんに頼っちゃうジュニアがね、
できないように、
やっぱりね、
そこはこう、
あ、ごめん、
私もうダメだわ、
みたいに、
そのね、
弱さをどんどん出してって、
まあ、
夫がダメなら、
やっぱりね、
子供たちにはちゃんとこう、
お母さん使えねえわ、
って思われるぐらいのね、
こう、
ダメ母親になるぐらいがちょうどよくて、
相互作用で見ると、
お母さん、
うちのお母さん全然、
すぐ疲れて、
横になっちゃうから、
僕がやらなきゃしょうがないんです、
みたいな方がきっとね、
長い目で見たら、
役に立つ、
ね、
その子の人生に役に立つ、
ね。
ですよね、
よく多分面倒を見て、
風邪をね、
全体的にちゃんと、
どうすればいいかっていうのを、
分かる夫になってくださるんじゃないか、
そうそう、
その子がね、
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そう、
だからね、
そう、
そう、
そう、
そう、
そう、
そう、
そう、
そう、
そうですよね、
そう、
だから、
もういまのときね、
だってね、
と、
だって、
えー、
だって、
あるんだから、
こういうときどうしたらいい、
あの、
鶏肉が手に入ったどうしたらいいとかっていうのも、
まあまあ本人がね、
考えれるようになることの方が、
おっ、
もうお母さんが頑張ることよりも、
大事だと思うんでね、
そこはなんかもう、
何だろう、
自分がサボってるっていうふうにお母さんも思うんじゃなくて、
いや、
してるのよぐらいの感じで、横になって鼻クソでもほじくってればいいんじゃないかって思うんですよね
例えば古い価値観の、もし旦那さんがそれを指摘してれば、私子供育ててるんだし
子育てに文句言わないで、私全部やってるんだから
言えるんじゃないかなって
そこからさらに言ってきたら、あなたね生きることってどうなのか知ってんの?みたいな
今のこの誰責めで聞いたことを受け売りで言ってもらってね
壮大な話に持っていっていただければなぁなんてね
そうですよね、そうすると細かい分担でどうのこうのっていうところよりも
別の方向で話が進んでいけるわけだから
もっと世知辛いこと言うと、本当にそういう俺の仕事じゃないとか言ってる男性は
ある日突然ね、家に帰ったら妻子が突然と姿を消してましたみたいなことも
やふちえ袋とかにもあるので、よく見ますよ
そうなる可能性だってあるので
そこはね、生きるとはどういうことかっていうテーマでもって
家族でね、たまたまなんかね、この時代に同時代に家族になって生きてるんだから
幸せにね、少しでも楽しく温かい気持ちで
短い人生ですけどね、100年いくかどうかのね
時間一緒にいる間なんで
なんとかそんな感じでやってもらいたいなっていうのはね
思いますよね
誰攻め的な回答として
そうです、誰も攻めなくてみんなで生きようっていうね
そうすれば今ね、お互い誰も攻めてない状況で
私たち解決策というか回答というかを
はみ出しましたね
ということで、今日のテーマは
夫婦の家事の文体についてで話をさせていただきました
誰攻め相談室ではお困り事を大募集しています
応募方法は概要欄にあります
ラジオネームでどんな小さな女の意味でもOKです
お待ちしております
では、次回も誰攻め
お楽しみに
21:35

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