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チョロっとラジオ。家族になるってどういうことの第3回目ですね。よろしくお願いします。
前回も話してきて、今回は、親の方、大人の方の認識というか、
ちょっとさっき休憩時間中に話したんだけど、子育てって、我々経験してないんですけど大変じゃないですか。
そうすると、いわゆる目線が視点が親に固定されちゃうよねっていうのはあって、
そこから親と子っていう環境じゃなくて、個人個人とか、母と子じゃなくて妻と夫の視点もあるわけじゃない家族の中には。
そういう視点の固定化を変えていくには、どういうことに気を付けたらいいんだろうなっていうのをちょっと考えてみたいと思うんだけど。
今、それこそ昭和世代、平成世代、そして平和世代って言ってもまだみんな子供たちだから。
特に昭和世代と平成世代の大きな違いがあって、
昭和時代に子供だった子たちっていうのはやっぱり親という大きな存在が上にあって、
子供はちゃんと教育されて何とかしなさいって言われる時代。
でも今全員じゃないけどほとんどが、見てわかるかもしれないけれど、
特に母親と子供が兄弟みたい、友達みたいに変わってきてるんだよね。
話をする。上から物を言うだけじゃなくて、ねえねえって共有して何かを楽しんだり、
そうなんだって、そうなのって話を聞きながらやる。
で、時代が変わってきている。
だから昔みたいに親から上からわーっと言われて反発心で反抗期を迎える子が少なくなってきてるんだよね、現代って。
そうそう。実は昔より少ないの。
反抗期がなかったよっていう子供たちも結構いるんだよね。
へえ。考えられない。
そうなのよ。羨ましい限りで。
ずっと反抗期みたいな感じがあるけどね、俺の中ではね。
え、まだ?いまだに?
そうそう。
長い反抗期だね。
ずっと反抗してる感じは、別にアダボーとか文句言うじゃないんだけど、
それはさ、俺が俳優っていう仕事をしてるっていうのもあるんだろうけど、
反抗っていうか、やっぱり愛を入れないもんだなっていうのは、
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結局一回反抗期があって、やっぱり家族であっても過人なんだっていうことに気付く
ファーストステップなわけじゃない?反抗期って。
そういうのが明確にあるってことだと思う。
でもそれ親の側って、さっきの今回の3回目のテーマに戻ると、
親が割と柔軟にはなってきてるってことだよね。
柔軟にはなっている。
認識的に。
ただここでね、自分が大体27、8を超えた人だと、
なんとなーくわかるかもしれないけど、
頭の中で経験をしながら、
あ、こうしていこう、ああしていこうって臨機応変にやりながら生きていくことができても、
実は自分の精神年齢って27、8くらいから大人になってないような気がするって人多くない?
それは人に聞いてみないとわかる。
俺、10代のまま変わってない。
おお、10代か。
全然変わってない気がする。
でもね、きっとそんな気がするの。
形成はされちゃってるもんで、そこでね。
その中で、あと自分が経験していった中で、
あ、こうしたほうがいいんだ、ああしたほうがいいんだっていうのを覚えていって行動していく。
それがどんどんおじいちゃんおばあちゃんになっても、
それが行動に出てきて、笑顔の人になるか、
イライラする人になるかってどんどん変わってくる。
俺もボイスティーチャーって言って、一般の人に、
ボイストレーナーじゃなくて、しゃべりなんかを教えたりするんだけど、
やっぱりね、声の音とかあるじゃない?音とか高さとか。
普段出してる音が、だいたい固定化されていくんだよね。
だいたいこのくらいの音で、高さで、大きさで、
あとは音の音の音の音の音の音の音の音の音の音の音の音の音の音の音の音の音が
声の圧力でみたいなことが、だいたい固定化されていって、
イコールそれ思考、頭の思考が変わってないんだよね。
変わらないんだよね。
だから高い音とか弾く、要はさ、関西のおばあちゃんとか、関西に限らないな。
おばあちゃんがこう話してる、コミュニケーションを取ってるときって、
ものすごい賑やかじゃない?
あれってやっぱりこう、いろんな音を使ってるから、感情が動くんだけど、
声が引っ張ってるんだよね。
よく思うもんね。大阪の人に育てられるから、
子どもたちも同じようにあんなお笑い芸人さんみたいに喋りが上手になるんだなって思うよね。
それはあるよね。
ほんとすごいと思う。関東の人には無理だよね。
うん。なんかお笑いとかだと、いわゆるテレビなんかでも結局やってるから、
そういうの影響されて、均一化されてるような気がするけど、そうでもないのかね。
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どうなんだろうね。
全く家族と今ずれちゃったけど。
家族ってさ、冒頭のあれからずれるんだけど、声似てこない。
似てくるかも。
子どものうちのほうが声が高くて、少しずつ声が低くなっていって、徐々に似た声が出てくる。
特に電話とかだとよくわかりやすいよね。
そうよね。
俺ね、全然関係ない。ちょっと関係ない。
新宿にいたときなんだけど、新宿のデパ地下あるじゃん。
デパ地下の雑踏のドリンチの中で、
混んでるね。
混んでるじゃない。あれって大体地下2階じゃん、デパ地下って。
地下1階にいたときに、地下2階の父と母の笑い声を聞き分けて、
あ、親父がいる、おふくろがいるって思って、
耳良すぎない?
パッと言って、見て、何やってんの?
ウォウウォってなったことがあって、
あ、これ耳がいいんだって俺も一瞬思ったんだけど、
いや、違くて、たぶん一番聞いてる音なんだよ。
家族の声って。
そっか。
だから、結局声って周波数じゃないですか。
普段聞いてる周波数がパッと入ってきたときに認識できちゃう。
すごいね。
年月なんだろうけど、それは俺もびっくりした。
長年過ごすとこういうこと起こるのって。
すごいな。
今回のテーマとはずれるんだけど、
いやいや。
染み込みというか、擦り込みじゃないよね。
意図的じゃないから。
染み込んじゃってんだなっていうのはあって、
そういう経験がすると、
あーって思ったことがある。
声つながりって全く全然話が違うけど、
私は前に話したけれど、
里子の子が来たときに極力笑顔でいるとか、
そうじゃなくても小松くんなんかよくわかるかもしれないけど、
私結構笑ってる方だと思うんで。
その理由は小さい頃からの家の中での状況じゃないかなと思っていて、
私はね、母親の子は色に敏感なの。
電話でも、「怖っ!」とか、「今日機嫌がいい!」とか、
そういうのに小さい頃から左右されてたから、
一つ一つの声にピンカリになっちゃうんだよね。
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それはさ、すごく一番最初に言ったら心理的安全性にかかってこない?
たぶん。
やっぱりいつもさ、
疲れてて不機嫌そうな声を出す人より、
なるべく笑顔、ビジネスとかエゴエとか言うじゃない?
表情も当然あるんだけど、
そういう音のある空間の方が絶対心理的安全性は高いじゃない?
そうね。
やっぱり親が意識できるのは、少なくともそういう空間を演出するためにさ、
笑顔、表情とかさ、楽しい空気を作るための不機嫌そうな声を出さないとね。
そういうのはできるよなっては思ったね。
そうね。だから本当にそういう声一つって、
私が笑顔でずっといるようになったのは反面教師だと私は大人になってから思ったけど、
そういうのって必要なんだなって。
私が里子の子に笑顔でいるのは、自分が親にそういう気持ちになっていたからだと思うの。
お仕事に行っても、やっぱり職場の子に、自分よりも下の子にできるだけ自分が先に笑顔で、
おはようって声をかけるようにしていたし、
私は自分が極力嫌な思いをしてきたからしないようにする。
じゃあ親もそんなような気がするよね。
自分が今子育てでちょっと悩んでるよっていう子がいたとしたら、
その時にはいつも揉めちゃってるとはいえ、それでも固い顔してずっといると、
余計どんどん固くなっていっちゃう。
だから自分はいつでも、揉めてるのに笑顔は変だけど、
無表情でもいいから冷静な顔をまずする。
それが大事かなって。
じゃあ、おはようも何も言えないほど仲悪くなっちゃってる親子がいる。
相手が何を言おうか言う前が、まずおはようを言う。
おはようとか後姿にお休みって言う。
うちに来た子なんかみんなそう。
ほとんど9割以上の子が、おはようも言えない、お休みも言えない。
そしたら他のありがとうも言えるわけもなく、そこから始まる。
何があって足が見えたと思ったら、おはよう、おはようございますって声をかける。
寝る時もそのままお部屋に戻ろうとするから、おやすみなさいって声をかける。
ずっと繰り返していればその目をうちに言うようになる。
揉めてる子だってなんで言い出したんだって腹が立ってても、
1ヶ月2ヶ月続けてたらそれが普通になってくる。
おはようとか言うんだねってママが言っててそれに答えない子供がいたら
今度パパがねえねえおはようとかお休みくらい言ってあげなよって言えばいいんだよ。
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一人でやってるんじゃなくて。
みんながそうやってあげれば徐々に徐々に縮まっていくから。
死神期なんてずっと続くわけじゃない。そんなもんだ。
声がけってやつですかね。
そうそう。そこから徐々に広がる。まず一つ。第一歩。
声がけと言葉もあるけど単純に音を浴びせるって結構人間に影響を与えるからね。
本当にそう。
怒鳴り声を浴びせられるとストレスだもんね。
本当そう。
あと親が必ず心がけること。
知ってる人もすごく多いと思うけどたまに中に子供にごめんねとか言えない。あんまり謝ることができないって。
だっていつもあの子悪いことばっかりするんだもんっていうことを聞くこともあったんだけど
それでも自分が悪いことをした時ごめんねを言わないと相手も言えないね。
自分が背中を見せなきゃいけないからごめんねって言う。ありがとうって言う。
相手が子供だろうと自分が上から目線じゃなく同じ目線で話をする。
どんな時でも大変だけど親はそれが必要なんだよね。
それなんかほら社会に出ても謝んない上司とかいるじゃん。
いるいる。
俺組織に所属したことないから全然わかんねえんだけど。
いるいる。
ドラマでねやっぱやるから。いるじゃない。もうそれは謝れないじゃんそういう人って。
そうなんだよね。
実はこの俳優の小松君と私が知り合ったのも某職場でちょっと知り合ったんだけど
その時に見てて思うかもしれないけど
私は絶対に上に立つ人がエバってるのがおかしいと思って嫌いなタイプで
多分してこなかったと思うんだよね。
そうね。
する人はする人で他人様はどうでもいいの。
でも私はそうやってやること自体が好きじゃない。
なんでかって言ったら上の立場になって上からでもちゃんとごめんとか謝れる人はいいけれど
そうなってくると言えない人がたまーにいるのよね。
傲慢になる。
それって親も一緒。
実は職場で自分が働いてる人だったら考えてみて。
誰か後輩に物を教えたりとかする時と子供への教育の時と似たようなことをすることってあるから。
それを考えるとそうしちゃいけないって考えて
同じように家の中も職場も自分が上に立つんじゃなくて同じ目線で話す。
頭で考えなきゃいけないのは大人で考えなきゃいけないけど
大人であり上司でありで考えなきゃいけないけど
話す時には同じ目線で話すことも必要なんだよって。
家族に戻ると親と子っていう視点と夫婦の妻との取ってる視点と
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あと当然個人っていう視点が入ってこなきゃいけないから
少なくともその3つの視点を変えていかないといけない。
あと共同体っていうこともあるんだけど
子の視線をきちんとそこにいける。変化させていけるっていうことはすごく
意識的にやらないと難しいだろうなと思ったけど
今白雪さんが言ったようにそれをやらないと結局フラットに話すって
ポジションから降りるってことだから。ポジションを抜くってことだから
個人で話すことじゃない。子と子で話せばポジションなんかないんだから
そうするとそこに行くのは意識的にすごくやらなきゃダメだよね。
そうだと思う。
それですごく多分一般の人がすると怖いことなんだよね。
そうなのかな。
俺は例えば職業からいろんな立ち位置に客観的にそうやってやる仕事だから
割とできる意識があるけど、ちょろきょさんだってそういうふうに意識があるから
意識があればできるけど、そういう意識が。じゃあ芽生えましたと。
なるほど。ちょろきょさんの言うようにポジショントークじゃない
子で話してみようってなった時にどうすればいいってなった時にどうすればいいですかね。
あのね、すごい単純なんだけど、そういうふうな状態になった時って
揉めてる時だよね。何かがうまくいってない時だよね。家の中でね。
あ、やばいって上からちゃんと立っちゃう。
問題があるとかね。
相手が子供が何か言えない状態になっているとか、何かなってるよね。
その時って、やっぱりよく考えると、自分の立ち位置を変えないと
相手は同じように何も話せないとか、反抗するなりずっと反抗しっぱなしとか変わらない。
だから自分が立ち位置を変えなきゃいけないんだよね。変わらない時には。
もうよく変えなきゃいけない時には自分の立ち位置を変える。
それが今さっき言った一つみたいに、自分が上から物事を言ってしまっている人は違う。
聞く耳を持とうでいい。一瞬間を置いてちゃんと相手の話を聞こう。
カチンときてわーっと言ってしまう。
いや、まず自分で10秒間数を数えて、言ってることをもう一回何て言ったんだろうって自分の中で押さえて
ちゃんと心の中に受け止める。それから物事を話す。
相手じゃなくて自分の立ち位置を変えて物事を話し、接してみる。
まずそれをやっていかないと相手との関係は変わらない。
良くならない。
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子と子の話に持っていくって、親子関係だけで言ってもあれだけど、一般社会でもすごい難しいじゃん。
上司と部下、同僚でもさ。
じゃあいきなりちょっと子の話をしましょう。お前何が好き?とかいう話にならないじゃん。
例えば恋愛話とかをするとちょっとそこに近づくような導入になったりするから、別の一面が見えるみたいなことを言うけど
意識してお前はどう思うみたいなことってなかなか導入も難しいし、その場を作るのも難しいし
いきなり整体して整座して家族についてお前はどう思うみたいなこと言えないわけじゃん。
無理無理無理。
それをスッと導入するのはどうやったらいいんだろうな。難しいよな。
もう私なら単純なんだけど、もしママと子供が揉めていたら、そこにパパがどうしたどうしたって入ればいい。
そうじゃなく家族全員で揉めていて、子供がどうしようもないときには学校でどうなんだろうって学校の先生に聞いてみて
そこから学校の先生と相談しながら改善してうまくやっていけばいいとか。
全く第三者期間もあるし、いくらでも方法はあると思うんだよね。
俺今話聞いてて思ったのが、大元の家族になるってテーマあるじゃない。
家族、個人個人にはそれぞれの立ち位置があって、家族の中でも親子夫婦個人ってのがあって
当然社会に出れば別の立ち位置で活動してるわけじゃない。
そういうことなんだってことを認識することなんじゃないかなと思って。
親は俺の親なんだけど、母親と父親は夫婦なんだよな。
かつ個人同士なんだし、社会に出れば勤めたり、ママ友がいたりとかいう
いろんな立ち位置、肩書き、ポジションがある中で
ここは親子っていう関係性を認識すると結構家族の認識が強まるんじゃないかと思った。
そうだろうね。自分の視点からしか見ないから揉めるんであって
相手の視点から考えてあげれば変わってくるんだよね。
ちょっと次回その話をしてみようかなと思います。
はい。第3回目ですかね。ありがとうございました。
ありがとうございました。