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チョロQさんとボカボカおしゃべり、チョロっとラジオ
パーソナリティの俳優、小松大介です。
この番組は、歌手、占い師、里親など、様々な人生経験のあるチョロQさんに、いろんなテーマでおしゃべりしてみようという番組です。
さて、今回は記念すべき第1回目です。よろしくお願いします。
記念すべき第1回目のテーマは、こちら。
家族になるってどういうこと?
家族?家族になるってどういうこと?
チョロQさん、スパイファミリーってご存知ですか?
知ってます、知ってます。
人気ですよね。あれ、疑似家族じゃないですか。
そうだね。
ドラマというか、そういう中にやっぱり疑似家族ものっていうのは一つあって、例えば万引家族とかね。
疑似家族なんですけど、疑似家族として本当の家族とは何なのかっていうことを炙り出す一つの装置として結構あるんですよね。
これ実際に家族になるってどういうことなんだ?
ちょっとその辺を聞いてみたいと思います。
まず大きく答えのように言ってしまえば、ただ一つの家で笑って過ごす。
それが血が繋がっている繋がっていないじゃなくて、たくさんの人間でも2人でもいいから、そうやって共に過ごしていく。
それが私は家族だと思っています。
なるほど。
例えばさ、期間が長い短いもあるじゃない?
例えばドラマだと期間限定で家族になる。
1年間とか1ヶ月とかそこで芽生えちゃうみたいなことがドラマの展開としてあったりするんだけど、
じゃあそれが期間が何年あればとかって決められないじゃない?
もうね、実際私はさっき小松くんに言ってもらった通り、里親っていうものをやっているんだけど、
里親ってね、他人の子供をお預かりして親御さんの代わりに家庭で育てていく。
でもそれって期間が決まっているわけではなく、もしかしたら1日かもしれない。
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5年かもしれない。
もしかしたら2歳くらいから来て18歳まで育てるかもしれない。
そのケースワイケースで全然違うの。
でも私は1つだけそこで決めていることがある。
まず知り合った時点。
こんにちはと言った時点。
じゃあね、バイバイと言うまで。
それはずっと家族なの。
それがたった1日であっても、それが5時間であっても、その間は家族。
私は家に属する人、家族だと思って、そこから私はずっと過ごす。
それを決めて毎日いるかな。
あまり家族ということってすごく堅苦しく考えるよりは、
私はもう皆さんに言いたいのは、よく親子でも気が合う人はいいけれど気が合わない人。
他人でも気が合う人、いろいろいるじゃない。
だからこそあまり何も考えずに、他人ってみんな違って当たり前。
家族であっても違って当たり前。
一つの家の中で一緒にいろんなことを属して暮らしていくことが家族だよって。
違って当たり前なんだよって言ってあげたいかな。
そういうのって新しく知り合ったこと違って当たり前。
好き嫌いも違うから今まで食べていたご飯すら出せなかったり、いろんなことが起きてくるけど、
でも家族だからしょうがないじゃない。
一人だけ違うものっていつも出せないから、
みんなで、じゃあ今日はこの人はこれだけどこっちにしようねとかするときもあれば、
じゃあここは食べれないからみんなで食べれるものを合わせてこれにしようねとか、
そうやって合わせながらやっていくのが家族。
小松君はどう思う?
これだから難しいんじゃない。
数値化できないから。
何をもってして家族なのかって言われて、これですって言える人は誰もいないと思うんだよね。
これすごい単純なことがあるんだよ。
じゃあ今世の中には犬でも猫でも爬虫類でもペットを飼ってる人ってたくさんいるよね。
でもそれって一緒に過ごしていくとみんな家族じゃない?
って言うよね。
そういうことなんだよ。
動物たちっていうのは血がつながってるわけじゃないじゃない。
一緒に過ごして、頭に狂うってこともありながら、
可愛い楽しいって時間を過ごしながら、
一個一個一つ一つの楽しさを一つ一つ分けて、
可愛い楽しいって時間を過ごしながら、
一個一個一つ一つの楽しい時間、辛い時間が家族になるってことなんだよ。
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今ね、チョロキオさん完全に猫と犬に挟まれて喋ってる。
今猫が膝の上、その猫を舐めまくってる犬がいるという。
おどけできないんです。
でもね、ペットも家族っていう。
だからどこまで家族かっていうのをすごく決めづらいじゃない?
疑似家族っていう、あえて別の定義を持ってくることによって、
いわゆる通常の家族っていうものがどういうのかっていうのを
炙り出す作り方になってると思うんだけど、
愛情が不可嫌いってわけじゃないですかね。
愛情でトラブルが起きるし。
例えばさ、社会的に家族じゃない人って、
家族じゃ思ってない人っていないわけじゃん。
どうやったって、父か母かいるでしょ?
生物的にね。
父母子っていう社会で必ず形成されてるから、
よっぽど特別なバイオテクノロジーで生まれてないから。
バイオテクノロジーで生まれてないからね。
ってことはその社会が最小単位が家族だから、
家族を持ってない人はいないと。
どういう関係性である、いいか悪いか。
だけどそれがいいかどうか、
いい家族関係か悪い家族関係かっていうのは、
認識が分かれるよね。
あのね、じゃあ一つ例題として、
最近あった事件、ニュースでいっぱい流れているけれど、
パパとママがいて、長男長女がいて、
4歳の子がもしかしたら親に殺されちゃったかもしれない、
っていう事件があります。
でもその子のたった4歳の4年の人生の中で、
私はそれを見たときに、
あ、一番この子が幸せだったのは、
児童相談所に預かってもらっているときだなって思ったのね。
もしかして親も可愛がっている時間はあったのかもしれない。
私たちには見えないから。
だけれど全く関係ない、血の繋がりがない、
全くの他人がおむつを買え、ミルクを与え、
あやしてくれて、それで笑える。
それってすごい楽しい時間だと思うの。
それがその子によって、その子にとって、
その時間が家族っていう言葉が分からないから、
あったかい、一緒にいる、大切な人って、
大好きな、あったかいなって守ってくれる人って思っていたと思うの。
それが一つの家族だと思うのね、赤ちゃんからしたら。
じゃあ4歳になりました。
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本当に親に殺されちゃったとしたら、
それが本当に家族だったのだろうかって。
他人様はそうやって一生懸命育ててくれたけど、
殺しちゃったらそれって家族なのかなって。
それは疑似家族とか本当の家族っていう前に、
家として成り立っていない。
それってどうなんだろうなって。
答えはどこにも誰にもないから、
その子にとっての幸せはないよねって思うんだよね。
だから家族ってすごい定義は大きくて難しいと思うし、
大変だと思うけど、何にも考えずに、
うちなんかもそうだけど、私は旦那と私と犬と猫、
全員血がつながっていない家族です。
でもそれなりに笑って喧嘩しながら楽しんで、
それが一番家族って幸せなんじゃないかなって思うんだよね。
だから血のつながりは関係全くないと私は思ってる。
だから家っていう場所に空間、
一緒に過ごすことが大事ってなってくると思うんだよね。
単身不倫とかあるしね。
ちょうど私は結婚しても30年になるんで、
ありがたいことに旦那の父も母もまだ元気でいてくれてます。
そうした時に30年経ったら人によって違うと思うんだけど、
私はもう自分の中で、
一緒には住んでいないけど、
30年経ってギリの父と母と思わないように、
私は自分の父と母と思って過ごそうと、
大体10年くらい経った時からかなと思うようにしてる。
じゃないと、病気になりました、何になりましたっていう時に、
本当に心から一生懸命献身的にお世話というか、
できないような気がして、それって悲しいから。
でもそれが家族になることなのかなって私はすごく思っていて、
実は私は自分の親とは全然仲は良くないし、
親ってこんなに温かいんだって教えてもらったのは、
ギリの父と母にだったし。
そういうの不思議だよね。
実の親にはあるんだけど、
岐阜、岐阜には思いを持って接することができるっていうこともね。
一緒に過ごしていなくても離れて、
すごい地方と本当にすごい距離があってるから。
だけどそれでも私にとっては父と母で、
今母がやっぱり高齢だからちょっと体調が悪くなったりっていうのはあるけれど、
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できる限りやろうと思って、
そうやってやっていくのが家族なんじゃないかな。
だがやっぱり血の繋がりじゃないんだよね。
ちなみにさっきからグーグー言ってるのは、
チョロキュウさんのお腹の音じゃなくて、
わんこのね。
たぶん入っちゃってると思うんだけど、音に。
グーグーっていうのは、犬が、
もう猫が可愛くて可愛くて、
もうグルグルしてて、
舐め続けてるの。
それで興奮してグーグーグーって。
チョロキュウさん、名誉ために。
お腹の音じゃないです。
僕のでもない。
人間じゃないです。
お若ちゃんのわんちゃんでした。
失礼しました。
そういう関係で撮ってますよって。
僕は俳優で、
わりとよくパパ役をやる人に、
幼稚園とか小学校、低学年ぐらいのお子さん、子役の子とね、
家族役をやったりするんだけど、
一つ考えるのは、絵的にね、
いわゆる芝居的に、
やるのは一つ、距離感。
友達の距離感じゃないし、
特に子供とだと、子供がこう、
ちょっと、
子供の距離感とか、
特に子供とだと、子供がこう、ちょっと、
遠慮してる距離感だと、やっぱり家族に見えないから。
ああ、そうだね。
そういうのをね、気にしないように、まずコミュニケーションって、
この子役の子と仲良くなるっていうのはやるんだけど、
遠慮がないっていう部分なんかは、
結構、明確に気持ちの中であるよねっていうのはね、
あるかなと思うんだけど、
遠慮をなくすの結構ね、
当然、子供と親の年齢にもよるんだけど、
遠慮のなさみたいなことを埋めるっていうのは、
多分あるかなってちょっと思うんだけど。
多分、俳優さんの子役の人と一緒に接するのと、
私なんかが里親として、子供を初めて会って、
数日こう過ごしていくときの緊張感と似てるのかなと思うんだけど、
私は極力、自分の中で決めているのは、
笑顔でまずずっと過ごす。
もう大体ね、3、4週間はほぼ笑顔。
何があってもほぼ笑顔。笑顔で話す。
もともと笑ってる性格なんだけど、
でもとにかく笑顔で話す。
こっちの心が開いてなければ、相手は開かない。
こっちも緊張はするけど、
開いたまま、どんなふうな話をしようと、
どんな行動をしようと、開いたまま受け止めてあげる。
相手が緊張してれば緊張はしてるのねって、
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ちょっと無言の空間を作りながら、
ちょっとした行動のどこにねえねえって突っ込んだ話をしてみるとか、
そうやって少しずつ距離を縮めながらやってる。
たぶん小松君も一緒なんだろうなって。
僕の場合は瞬間的だから、
瞬間で映像なりドラマを撮るっていう目的があるから、
でもその目的にはみんな、
僕以外の人も一緒だからいいけど、
実際ね、そういう里親っていうことだと、
そういうわけじゃない。
子供も、その里御さん、
望んでそこに来てるのかっていうのも、
なるんじゃない。
そうすると目的がずれてる場合に、
それは難しいよねっていうのは、
素人考えで思う。
そう、人間ってさ、大人でも子供でも、
みんななんだかんだ言って、
本当は笑って穏やかに過ごせるのが一番じゃない。
だから思うのは、
その子が我が家に来たときより、
うちから卒業するときに、
笑顔でいられればいい。
とにかく笑顔が増えて、
最初は挨拶できない子も、
おはようだったり、お休みだったり、
一つ一つがちゃんと言えるようになってればいいなって。
もうそれだけ。
でもそれって家族として必要じゃない。
顔見て、おはようとか言ってるから、
顔見て、おはようとか言ってらっしゃい、行ってきます。
でも血がつながっていても、
それができない家族もいるから、
やっぱりそうやって一つ一つがずっとできることが、
本当の家族になるんじゃないかな。
そんな気がするな。
例えばさ、一般的な自然な家族の場合、
自然に家族の場合って、
家族になったなっていう瞬間って、
認識しないわけじゃない。
最初から家族だ。
生物化的にね。
ちょっといい時間なんで、
次回は駿河さんが、
家族になれたなとか、
瞬間があるのかどうかっていうところを聞いていきたいんだけど。
了解。
第1回目はこんな感じで。
ありがとうございました。
また2回目よろしく。