1. チョロっとラジオ
  2. #22 愛着と執着③
2024-08-26 23:40

#22 愛着と執着③

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チョロQさんとぽかぽかおしゃべり、チョロっとラジオ〜。
今までは、愛着と執着について、いろいろお話ししてきましたけどもね、
前回で、僕が愛着を持っているものが何にもないという、
驚きの発言で。
発見されまして、なんだろうなぁと思ったんですよ。
前回も話したように、好きなものとか、大切にしているものはあるんですけどね。
ものとしてすごく愛着があるみたいなことはないなぁと思っていて、
なんでだろうなぁと思ったんですけど、
多分ね、僕、だいたい半径2メートルぐらいの物事にしか興味がないんですよ。
狭っ。
そう?
うん。
あ、そう。
うん。
そうですか。残念です。
だから、自分を含めてね、
例えば、政治を考えるとか、社会を考えるとか、経済を考えるということは好きなんですよ。
それが好きなんですけど、
それを自分の方から発信して、
東京都を変えてみせます!みたいな感じのエネルギーの出し方にはあまりなんなくて、
それよりはなんか、自分の考えだったり、自分の技術だったり、
みたいなことを改善していくことの方が得意というか、好きなんですよね。
好きっていうことは、そっちの方がエネルギー出やすいので、続けていられるっていう感じを持っているんですよ。
だからそういうのってすごくわかりやすく、個人差が出ることなんじゃないかなと思っていて、
例えば、世の中を良くするために会社を立ち上げますっていう人もいるし、
新しい技術を開発しますっていう人もいると思うんですよ。
そういう自分が得意な部分、得意な方向性、得意な範囲にエネルギーを出せるということを自分で認識していると、
それは前回言っていた、コントロールできない状態みたいなことになりにくくなるんじゃないか。
コントロールしやすくなるんじゃないかと思ったんですよね。
その辺どうですか。チョルキューさんはね、その里親をやられてますけど、
自分のエネルギーの出し方みたいなことを範囲に関して言うとどうですか。
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まず、範囲を意識したことは全然なくて、
そういうことよりは、普通に関係なくみんなが笑って生きられればいいのになって。
みんなってどの辺。
テレビで見てる世界の人でも、なんでこんな戦争が起きるのかなって。
みんな自己愛が強いんだなって。
自己愛が強ければ強いほど、自分の近くのものが大事になり、
そのものを守りたいってよく言えばなるのかもしれないけど、
守るために他のものを得ようとして、他を傷つけてしまう。
そうなったりする。
だから、自己愛が強い人が多いんだな、今はって。
そういう感覚で見てるから、なんでみんなで笑って生きられないんだろうっていう感じ。
あんまりだからね、距離感がないんだよね。
普通にみんなが、世界が、地球上でみんなが笑って過ごせれば幸せなのにって。
俺も別に認識として、世界平和を願っていないわけじゃないんですけど、
認識もあるんですけど、
実際、自分が良くしようとか、エネルギーを出す場合に、
どこまでを範囲として考えているかみたいなことですよね。
当然、家族には幸せになってもらいたいから、俺は何でもするみたいなことはすごくあると思うんですけど、
例えばそれは会社という組織で、どのくらいの会社全体を考えている方が得意なのかとか、
自分個人の技術を磨く方が得意なのか、みたいな感じのエネルギーの出し方っていうのは考えたことあります?
多分、立場によって違うのかな。
それこそ会社で考えたら、自分がひらしゃいみたいな感じであれば、
今自分がここにいるポジションでやれることをやるから、
じゃあ自分の上司のここのところがうまくいけばいいやとか。
でもその上司の立場になった時には、やっぱりそうじゃない、もうちょっと大きい、この部のところがうまくいけば。
でも部長とかになった時には、違う外との関係がつながってくるから、
自分の利益も必要だけど、あっちの利益も。どうやったら両方がウィンウィンできるかなとか。
なんか私、その立場で全部違うのかも。
例えば、ドラマの作成、制作かなとかだと、具体だと演出家がいて、映画とかテレビドラマだと監督とかいるわけですけど、
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一応なんか視野的に、レイヤー的にその立場になることはできるじゃないですか。認識としてね。
あっ、今演出家はこういうことを考えて、俺にこういうことをしてほしいんだな、
っていうことを肯定的に学ぶことはあって、そういう立ち位置で物を見るっていうことは必要だと思っているんですよ。
でも、別に俺は演出家になりたいわけじゃない。
それは俺がエネルギーが出る行為ではないから。作品全体を見渡してっていうことで仕事をしたいわけじゃないっていう感じ。できるんだけど。
短期間的にそういう能力を発揮することは可能なんだが、
長期的にそこの立場で社会と関わり合っていきたいわけではない。なぜなら俺はそこではそういうエネルギーを出せないからって感じ。
どちらかというと、役者として演技力を磨くみたいなことの方が継続してできるっていう感じなんですよ。
だからそこが違うと、我々だとそのポジションを行き来するって割合楽じゃないですか。社会的な制限がないから。
でも社会的な制限があるときはすごくポジションに、いくら俺社長の適性あるんで社長に乗らせてくださいって言っても、それは無理じゃないですか。
部長の適性あると思うんで、俺ちょっとこの部の部長やりますみたいなことできないわけじゃないですか。
そういう障害はたくさんあると思うんですけど、例えばリーダーシップを持ってるんだけど、そのポジションでは仕事はしない。
当然リーダーシップを持ってるからリーダーシップを発揮する立場の人の意見は分かるみたいなことはありますよね。
だからそういうポジションの、社会的なポジションの上下ではなくて、自分が一番エネルギーが出る社会との向き方とか、範囲の認識の仕方みたいなことはきちんと自分で分かっておいた方が楽に生きられそうな感じがするんですよね。
当然その家族ができたら、それは社会的にそこに注力しなきゃいけないから、でも例えば主婦の方が男のね、男性だけど家事の方が得意ですみたいなことだったら、それはそっちの方がいいわけじゃないですか。
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自分の得意な自由さも社会的に必要だと思うし、そこに俺はこれがそっちの方が得意だからって言えることって大事なんじゃないかなと思うんですよ。
それは大事だよね。
男だからとりあえず外で働いてこいみたいな風潮。
それは違うもんね。
縛られているっていうのはおかしいと思うんですよね。
そういうことを考えたんですよ。
ここはなんか執着って前回のね、エネルギーの出し方っていう捉え方をしたんですけど、どのポジション、どの範囲でのエネルギーの出し方が自分にとって一番いい出し方なんだっていうのを認識しておくのって
そういう愛着から執着にネガティブな方に行かないようにするための大事な視点なのかなと思いました。
それで言うと、私は多分そこは器用なのかもしれないけど、どこ行っても大きな立場であっても小さな立場であっても、私はどこに行ってもそれなりにポンと入れてしまう。
だから重宝されるんじゃない?
多分。
いろんな組織で。
見てて分かる通り、あんまり多分ダメってならないタイプなのね。
なんだけど、でも私はそこで自分でいつもつくづく思うのは、トップは合わないタイプ、トップの横にいるのはすごく合ってるタイプ。
自分がそれ分かってる。だからお父さんとお母さんいたらお母さんタイプがすごく似合ってる。
だからどこにいても、じゃあ同じ立場の部長やマネージャーでもなんでもいいと思うの。
いたとしたら、私は一番トップがいたらその横にいるタイプ。
あ、そうなんだって。その補佐をしながら、あ、じゃあこうねって周りのフォローしてあげるのが向いてるタイプ。
大きい組織でも小さい組織でも家庭でも、なんでもそういうところにポンと入っちゃうタイプ。
それはあるかも。だから大きい小さがないのかも。
だから、カモン!フォローミー!みたいな感じじゃないよね。
そうそう、全然。
ここ危ないよって言って、群れの調整をする方が向いてますよね。
なんか勝手に困ってる人来ちゃうから、あ、そうみたいな。
そこにこう、落とし穴みたいにこう。
ポコーンって私のどっかの蟻の巣に入ってくるみたいな感じ。
精神的に不安になってる人が迷い込むみたいなスポットになってるよね。
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どこ行ってもそうだから、あんまり何も考えない。
でもそれは別に苦にならないわけでしょ、チョロQさんにとって。
多分向いてるんだと思う。
そのポジションでいつも空いてるんだよね、不思議と。
めんどくさいからね。
なんかシール空いてるから、中そこにポンって、空いてるとこにポンって入る。
そういうのがさ、適正なんじゃないっていう感じがしますよね。
そうね、そんな気がする。
続けられないことってエネルギー出ないから。
でもそのね、別に体験することは大事だと思うんだけど。
これやってみて合わないわっていうのは大事なんだけど。
そうね。
やり続けられるってことはエネルギーが出てるってことだから。
やっぱそれは結果、いわゆる才能が発揮されてるみたいなことだしね。
小松くんみたいに自分発信でワーッと表現でガーッとやるのが嫌いなんじゃないのね。
歌歌ってたんだから、全部が嫌いなんじゃないけど、
じゃあ何が一番苦痛だったかってMCなの。
やったよ、楽しまなきゃいけないから周りも。
やったし、笑ってもらえるようにやったし。
でも苦痛は苦痛なんだよね。
だから向いてるかっていうと、そこに一番トップは向いてない。
誰か喋ってくれる人がいて、そこにチャチャを入れながらワッハッハーってやってるのが向いてる。
こういうお喋りも多分一人だとあんまりしないよね。
俺も別に、俺の適性も細かく言うと、別に自分で物語を書きたいわけじゃないですよ。
自我とかさ、表現みたいなところの欲求から出てると思うんだけど、その欲求はあんまりなくて。
なんかその物語の一部として携わりたいって感じなんですよね。
書いてみたりとかしたことはあるの?
なくはないですね。
でもなんかやっぱりどっかの、今までの集積の寄せ集めの真似事だなと思って。
ちょっと違う。
全体もやっぱりそっちに行ってきて、物真似から抜けられなくて、なんかあんまり面白くないかなって。
大変だなとは思いましたけどね。
やってみることは大事だよね。
それはトレーニングだったりすることで得られるものは大きいので、
意図的にトレーニングとしてやることは大事だと思うんですけど、
エネルギーが出ないものを無理やり続けることはないんで。
それがちょっと当てはまらないと思うかもしれないけど、
小松君にとって俳優というものが愛着の一つなんだよね、きっとね。
執着なのかもしれないけど愛着の一つなんだと思うんだよね。
他のこともどんどん一応やってみても、やっぱりスポッとハマって落ち着いて、
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やってもっともっとやりたいと思うもの?
これはね、俺はね、ネガティブなんですけど、
ネガティブなあれなんですけど、あえて呪いと言いたいんですよ。
呪い?
これは、いわゆる社会的な成功不成功も含めて、
僕はこの俳優だけど、例えば書いてあったのが、
ボクシングとか格闘技、好きで好きでたまらない、
俺にはこれしかないんだと。いくらでも努力できると。
でも、やっぱり才能の壁とか、
社会で食っていけないみたいな経済的な壁とか、
いうのがあっても手放せない。
これは、自意識的には執着なんですけど、
社会的に引いてみると、呪いなんですよね。
自分に課せられた呪いに思えてくるんですよ。
好きなんだけど、これでどうしても社会とうまく適応していけない
みたいなのめり込み方になっちゃうっていう感じ。
成功すればいいのよ。成功すれば才能があったねとか、
天才だねみたいな感じなんだけど、そうじゃないみたいなことって、
特にスポーツなんかだとそれが明確にはっきり、ある意味期間も
限定されてるからはっきり出ちゃうんで、
それは呪いと思いたくなるなっていう、
折り合いをつけづらい自分への執着みたいな。
でも私からすると、確かに呪いかもしれないけど、
本当に呪いってなっちゃうのって、どこかの、
ちゃんとした事務所だったり、劇団とかに入れなくて、
それでも辞められなくて、もがいちゃってずっとなってると呪いになると思うんだけど、
きちんとお仕事ができている立場にいる小松くんは、
やっぱりそういう立場からすると、もう一つの憧れなんだよね。
社会との折り合いつけ方だけなんですけど、
それで当然金銭的にも経済的にも、成功すればハッピーで終わるんですけど、
当然僕が好きだからって演劇やっても、
例えば趣味でやってもいいわけですよね。
その折り合いのつけ方が、うまく現代社会と適合できないというだけの話なんで、いいんですよ。
芸能に長けている人って、大体不器用な人多いからね。
社会と付き合うのが不器用ですよね。
この手先とかさ、人付き合いやっていうことだけじゃなくて、
当時の社会と適合するのが、語法とかね、そういうのがあるから、
当時の社会と適合ができないっていうのは、さっきも言ったように悲劇になるわけですよ。
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でもそれはさ、ピカソにとっても呪いだったと思うよ。
まあね、今になってみれば有名人だけど、その頃はだよね。
生きてる間、何にも報われなかったわけじゃん。
でも絵を描きたいっていう能力というか、渇望みたいなものは、本人はそう思ってないだろうけど、
やっぱ呪いに見えるよね、ある意味ね、側面から見ると。
全ての、ちゃんと自分の感情をぶつけられるのがそこしかないんだもん。
そう、だからそれをさ、じゃあ抑えたら幸せかっていう話になってくるじゃん。
それは無理。
じゃあ折り合いをつけましょうっていう話なんだけど、
それがなかなかうまく時代に合わないっていうことになってくる。
時代だけじゃなくて地域もあるんだけど、っていうのはあるんで、
いわゆる社会的な成功とか、社会と折り合いをつけるっていう部分では問題は残るんだが、
とりあえず自分がエネルギーが出る、好きだみたいなことに継続して、
努力ができるみたいなことに関しては、これなんだっていうことを認識しておくのは、
どんな人にとってもとりあえず有益なんじゃないだろうかっていう。
認識ですね。
最初に戻っちゃうけど、結局執着は持っていた方がいいね。
執着は持っていながら、自分の中で軸を見つめて折り合いをつける。
ちゃんとその方法を見つけてやっていく。
そうですね、だからエネルギーの、何度も言うけど、エネルギーの出し方の問題なので、
それをエネルギーが出ない人生よりは、あるいは出したくても出せない人生よりは、
生き方よりは、出せた方が満足感に近くなるじゃないですか。
納得感に近くなると思うんですよね。
もっと違う大きな意味になっちゃうけど、生きている意味、生きていく意味、そこに繋がっちゃうから、
やってることが多い人、楽しめてる人っていうのは執着心も強いし、
その人たちは楽しめるんだよね、辛くても。
でも無く生きてる人の方が、やっぱり心は滑水っていうのかな、辛い状態だと思うんだよね、やっぱり。
揉めることは少ないかもしれないけど、そこに生きている意味が見出せないかもしれないから、
やっぱりちゃんと執着心いいぐらいで持って、うまく生きていけるとみんないいよね。
そうですね。やっぱり時に立ち止まって、リセットするみたいな時間っていうのは、
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ショロキオさんがおっしゃってたみたいに必要ですよね。
小松くんにしても私にしても、こういった友人同士でちょっとあれ?と思った時に止めてあげるっていうのもいいのかもしれないね。
やっぱり自分一人では難しいんでしょうね。
ちょっとまた仏教の話に戻っちゃうけど、
みんなで修行している意味って多分そういうことなんでしょうね。
修行自体は、例えばヨガとか、ヨガね、ああいう修行って自分一人でもできるわけじゃないですか、やろうと思えば。
でも人とこに集まって、悟りをとかさ、みんなで規律を作って積み重ねるみたいなことって、
多分一人だったら難しいからこっちの方が効率よくねってなってると思うんですよ。
だからコミュニケーションの中で、コミュニケーションって言うとあれだから、
人との関わりの中でそういうのをうまくコントロールしていくことが多分、
良いというか、失敗しづらい形なんじゃないかなと思いますね。
あまりだからね、引きこもったりはしないほうがいいかなと思ったりしますけどね。
あたし?
あなたはいろいろな健康面とか、バイタル面とか。
ちょっと引きこもりだからね。
社会関係性的に言えば、俺の方が圧倒的に引きこもってるから。
誰とも合わないからね、何にもなければ。
っていうことができちゃうからね。
だから認識してればさ、気をつけようって、人と喋んなきゃなみたいなことができるからね。
ぜひ、人との関係性をうまく使って、自分のエネルギーを出すことができたらいいなと思います。
今回はいろいろ全体通して取り留めもなかったんですけど、
佐藤子さんがちょうど帰ってきたんでね。
そうですね。
そういう感じで、愛着と執着ですかね。
今回この辺で終わりたいと思います。
ご視聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
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