00:11
チョロQさんとぽかぽかおしゃべり、チョロっとラジオ。
今回は執着と愛着、前回ね、ちょっと話して、ちょっととちらかってしまったんですけど、今回はライトに。
愛着、ありました?
愛着、ありました。
今まで、愛着のあるもの、こと、どうでした?
一番ちっちゃい頃、さっき少し話出てた中の、ちっちゃい頃に買ってもらったぬいぐるみ。
抱っき枕ってあるけど、そんな感じの大きさの、本当に大きいぬいぐるみがあったの。
犬のぬいぐるみ。今考えると気持ち悪いんだよね、人型だから。
なんだけど、子供の頃可愛くて、もう綿が出るほど、いつもそれを縫ってもらって、ずっとそれを一緒にベッドの中に入れて寝てた。
もう愛着だよね。
わかりやすい感じだよね。
そう、そう、そう。
こういうの、俺はね、ないんですよね、特に。
あらま。
好きなジャンルみたいなことは、本とか漫画とかゲームとかそういうのもあるんだけど、
特別これといってずっとあったってないかな。
当然、薄ら使い続けてきたものとか、服とかそういうのもあるんだけど、
ぬいぐるみとかも持ってないし、オブジェ的なものもないし、
特にパッとないんですよね。
好きなものを割っていると、例えばやってる当然、芝居とかさ、演劇とかそういうのはあれだけど、
それものじゃない、ものっていうか、現物じゃないじゃん。
もっと逆に思いつかなくて、何かあるかなーと思ってるんですけど、
逆に趣味?
あ、でもものじゃないな、それ行為だな。
やたらシールを貼るっていうのは。
シール?
シール。子供の時に。
ベッドとかいろんなとこにベチャベチャ出てたの?
そうそうそうそう。こういう行為をしていた覚えがあって、
最終的には親が、そういうのは全部これにしなさいって言われて、
何かいらないゴミ箱を与えられて、
それにずっとペタペタ貼り続けてたっていうことは覚えてるんですけど、
03:03
何が楽しかったんだろう?
わからない。それが終わってたら、逆に、いつ終わったかわかんないけど、
小学、低学年くらいにはもうそういうのなくて、
逆にそういうペタペタ貼るとか貼られてるとかあんまり好きじゃなくなったんだよね。
逆に。
やりすぎたんだ。
難しかった。
そうそうそうそう。あんだけやってたのに、みたいな感じの転換はあったなっていう記憶があるんですよ。
だから、あんまり物にこだわりはない。こだわりじゃないですね。
物に愛着を持ったっていう記憶がそんなにないんですよね。
逆、私は別なのかな、捉え方が。
愛着が、物を手に入れたときに、本当に興味がないもの以外はともかく、
嫌だと思わないから、すべてある程度、すべてのものが大事なんだと思うんだ。
愛着まではいかないけれど。
いわゆる普通に好きなものと、愛着の差って何ですかね。
幼い時のあれだとさ、やっぱり理由なく好き。
可愛くなくても何か、みたいな感じは見て取れるんだけど。
そういうのって、最終的には説明できないと思うんですよ。
好きという感じを説明できないように。
でも、ある程度、立ったときにも、何となく愛着が湧くみたいなところの差って、何かあるのかな。
今、たまたま私の膝の上に犬がいるから、そういうペットで例を出すと、多分私にとってペットもそうなのかも。
私、毎日ね、それこそ今飼っているペットもそう。
でも、天国にいたペットにも、毎日をこう立てて、必ず名前を呼んで、みんなにおはようって、全員に言うのね。
でも、それだけ言うってことは、自分がやっぱり、もう頭に思い浮かべながら全部言うから。
愛情があって、愛着がないと多分言わないんだよね。
まずニコッと笑いながら、みんなにおはようと思っているから、多分それも愛着の一つなんだと思うんだ。
そうね。
当然ね、亡くなった人とか、人間にも行くと思うんだけど、
一段階越えているわけじゃないですか、好きっていう部分を。
捨てられないものってない?
あんまないな。
06:01
さっぱりしてないですね。
最大で、引っ越しの時に取っておこうかな、みたいなことはあるけど、
それはあくまでも向こうでも見返すとかいうのを前提にした上だから、
何があってもこれだけは捨てられない、みたいなことはあんまないんですよね。
亡くなったら悲しいものはありますけど、そりゃ。
じゃあ逆にさっき言ったみたいな執着みたいなものはないの?
お金かな。
あれはあれだけ嬉しいよね。
そこは困らないからね、っていうのはあれだけど、
物としてはあんまり、それはもちろんお金と一緒でいいものがあればあれだけ欲しいけど、
それは食べ物と一緒で、自分の胃袋以上は食えないし、みたいな感じで、
物としてこれだけはどうしても、みたいなことはパッとは思いつかないですね。
これ可愛いなとか、これなしにはやっぱり寂しいなとか。
物はないですね。
酒とか。
酒もいろんなお酒あったほうがいいじゃない。
裏気症か。
それは亡くなったら悲しいものはいっぱいありますけど、
いわゆる卒業写真的な、卒業アルバム的なものは亡くなったら悲しいじゃないですか。
それは亡くなってほしくないなと思うよ。
いわゆる思い出じゃないですか。
思いとか相手との関係性の象徴としてあるわけじゃない。
それは亡くなってほしくないし大事にしてますけど、
そういうのを超えた完全に個人的な思いだけで特別になってるみたいなものじゃない?
そのぬいぐるみとかって。
他の人には何も価値がわからないが、みたいなものは
特に俺には思いつかないかな。
私はさっきのクールでちょっと話したみたいに、
愛着の執着に本当は変わってしまう性格だから、
ペットの一つのものにしても、
じゃあ天国に行ったっていう時に着てた洋服とか、
1着2着だけ置いとくけど本当にあんなに可愛がってたのにっていうぐらい
即座に生理を始めるので。
私は執着しちゃうからギュッと。
それまでは全てが愛着なの。もう大事大事って。
一つ一つの欲がこれ着ると可愛いよねって思うんだけど、
それを手放さないでちょっとでも置いとくともう一生話せなくなる。
09:03
自分がわかるからもう話すようにするのでその場で。
前に市場を買ってた時の洋服は2着残ってる。
あと全て整理したの翌日に。
それぐらい自分の性格を理解してるから、
愛着を執着しないようにしてるから、
愛着って言われると私は過去のものを置いていくんだよねちゃんと。
だから卒業アルバムも見返さないタイプで。
もう過去は過去。前しか見ない。
別に俺も断るごとに見返すわけじゃないよ卒業アルバム。
かっこよかったなこの頃は。
ない。
一応捨てるのもはばかられる的な感じですよいわゆる。
逆に学校の寄せ書きとか卒業おめでとうございますって
後輩が一度寄せ書きにしてくれた色紙なんかはやっぱり忍びないじゃない。
なんかそういうのは取っておきたいなと思うんですよ。
さっきちょこっとこの間に、クールな間にちわ話をしてた時に
愛情って話を熊津くんがしてくれたけど
愛着っていうのは私たちにとって中途半端な
なんとも比喩しにくいものだから
じゃあ愛情ってどんなの?
愛情はだからね、休憩中に話してたことで言うと
愛情は愛と情に分かれますよっていう話で
あくまでも僕の創作上の、創作活動上の認識なんで
別に言語的な裏を取ってるわけじゃないんですけど
愛情という言葉は愛と情に分かれていて
愛は社会的な関係性の上に成り立つ感情
だから夫婦愛とか家族愛とか兄弟愛であって
友人愛とは言わないですよねっていうことですよね
情は逆というか
社会的な関係性のない関係の間に生まれる感情なので
情が湧くとか情が移るみたいなことで
その関係性の薄い部分に残る
残るじゃないな
ある生まれる感情というふうに考えているので
割となんかいわゆるドラマで使われるのは
この情の部分を取り扱ったりしますよね
行きずりの二人がみたいな
とか本当の家族じゃない疑似家族なんだけど
生まれる真愛の情みたいなところを描くわけじゃないですか
12:05
だからそういうふうに僕は考えるんですけど
だからあんまり
愛っていう言葉に
それこそ執着がない感じですよね
もうちょっと冷静に見てるって感じ
でも確かに言われてみれば
特に日本の古典的な考え
今は世界的には
婚姻とか結ばなくても
自由に子供を産み込んでも産んだりっていうのが
先進国だと多いけど
日本にはそうなってきてはいても
まだ古典的な考え方が強いから
恋人同士のその情が深まっていて
恋がどんどんどんどん深まっていて
愛になって夫婦になるっていう考えだもんね
そうですね
だからこれもさっき話してましたけど
色恋沙汰みたいなことを時代劇でやりますけど
色恋の部分って
もっと今のより全然ネガティブな
イメージだったわけですよね
いわゆる個人的な感情の恋愛で
初対応を持つなんて持ってのほかなわけじゃないですか
家で決めるわけですから
それで駆け落ちとか
いうのが反社会
反社まではいかないんでしょうけど
ネガティブなイメージで使われているわけですから
いわゆるラブというのを
愛に略して使われたのって明治以降なわけですから
ものすごく浅い歴史の概念の中で我々生きているという
だってほら
結婚もさ今でこそマッチングアプリとかさ
多いですけど
いわゆる恋愛結婚万歳みたいなことって
戦後から結構経ってからですもんね
そうかもね
さざえさんが結婚したのはお見合い結婚なわけですけども
さざえさんの作品の中に恋愛を結婚した
夫婦がいらっしゃるというので
珍しいので話を聞きに行ってみよう
そうなんだ
そういう回があるんですよ
そのぐらい恋愛結婚って
身近じゃなかったんですよね
ってことは
恋愛みんな下手なんです
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歴史的に見て日本人特に
確かにね
そうかもね
下手って言うとあれだけど
恋愛初心者
初級者レベル
みたいなことで
あると思うんですよ
だって
たぶん3、40年そこらで
上手くなるわけないって
そうね
恋愛結婚をした方が自由で幸せだっていう概念も
後から作られたわけじゃないですか
その
いわゆるお見合い結婚で
いわゆる社会的に形作られた
体制的なものっていうイメージあるじゃないですか
そういうのをぶち壊して
もっと自由にならなきゃだめだ
っていう
闘争があったわけじゃないですか
反体制的な
それの
なんか揺り戻しが今来てるよね
っていう感じがしてるんですよね
そうじゃなくって
なんか
体制というかシステムである程度
ぽんぽんぽんと
あって決めていくっていうのが
楽な人もいますよねっていう
感じじゃないですか
難しいこと考えるね
そう?
私も単純にさ
今はさ
真ん中に来たんだなと思うんだけど
うちらの時代って
じゃあ知り合いをきっかけがないと
合コンとか
はいはいはい
でもそれがだんだんマッチングアプリになったり
今バーチャルとかで
こう知り合って
そこでバーチャルでデートしながら
話して
結局リアルで会ってみて
合うかどうかって
なんか
全部が真ん中に来たんだな
お見合いとかのみたいな
なんか
恋愛って
何度も言うだけど
ドラマになりやすいわけじゃないですか
で
当然こう
ロミエとジュリエットあたりから
ドラマなわけですよ
あれも個人的な感情と
社会的な立場が
ねじれてしまうから悲劇なわけじゃないですか
そうね結ばれない2人とも
みたいなところから始まってるんで
そういう
基本的な部分を
我々こう
研究したりとか
勉強したり
じゃあ今どうなんだろう
みたいなことを考える機会は
多いのかなとは思うんですけど
とはいえ
よくよく考えてみれば
自由万歳じゃなくてもさ
ある程度決まってた方が楽な人もいるわけじゃないですか
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まあそうよね
自分がこう自由にしたいところは自由で
会ってほしいと思うんだけど
こう世の中が全部
自由だってなったら
結構めんどくさいじゃないですか
私なんか全部試せないわけじゃないですか
世の中のこう
全異性と付き合うみたいな
これできないわけじゃないですか
それ無理だね
その中から一番
適正の人と付き合います
その方が幸せになれる確率が高いです
みたいなことできないわけじゃないですか
っていうのに何となくみんな気づきだしたのかなみたいな
そうね
だから別にお見合いだろうが何だろうが
その恋愛的な話の深掘りをすると
取り留めもなくなっちゃうし
システム的な
原点方式の付き合い方とか
加点方式の
印象の付け方みたいなことをやってもしょうがないんだけど
愛着・執着に戻ると
割とその辺
執着をそこに求めるのってあんまり
歴史浅い話なのかなって思って
思うのはさ今時の男の子女の子
全部いいんじゃないと思うけど
男の子は昔からのそのまま引きずってると思うけど
女の子はカエル化現象っていうぐらい
バーンとすぐ冷めちゃうんで
愛着って
なんかちょっと軽くっていうか
薄くなってるような気がするんだよね
それは思い込みの強さっていうか
執着のエネルギーが強いと思うんですよ
コミュニケーションの取る
傾向として女性が持っている
コミュニケーション能力の高さ
というのがあるじゃないですか
これが相手を
いいなと思った時に
すごく強く働きすぎて
ある一面しか
前回言ってた
自分の立場に立てなくなるぐらい
強くなって
やっぱりコミュニケーション能力あるもんだから
別の側面が見えた瞬間に
エネルギーがスッと引くみたいな
厳密じゃん
っていう感じがする
厳密はすごすぎるもんね
飲んでる姿を見て
キモッと思ったとか
それで?と思うんだよね
自分の思ってたその人
でなかった時に引くわけじゃない?
そこに愛情はないよね
ないんじゃない?
21:00
だから自分の脳内にあるその人
幻想だよね
それは男性女性問わず
そもそもコミュニケーションで
そういうものじゃないですか
僕の見てるチョロQさんは
チョロQさんとして僕の頭の中にいて
現実にもいるんだけど
僕の理解してるチョロQさんって
僕の頭の中にしかいないんで
どんな風に理解してるの?
それを話すの長くなるでしょ
それを話すの長くなるでしょ
現実のチョロQさんは
僕の想像のチョロQさん以上の
生活を行ってるわけじゃないですか
わかんないけど
簡単に言えば知らない面があるわけじゃん
そうだね
僕旦那さんのお顔も知らないから
知らなかったっけ?
知らない知らない
そう?
だからそういうところを
知らない情報で僕の頭の中では
チョロQさんが出来上がってますよね
誰が何やってもそうじゃない?
それはホモサピエンスのコミュニケーションって
そういうものじゃないですか
100%を知るには
ニュータイプになるしかないじゃない?
知られたくもないと思うけど
その蓄積があると
実像に近くなっていくけど
100%では絶対にならないわけじゃないですか
っていうのが基本的な構造としてありますよね
自分の知らない一面を見た時に
それが全部吹き飛んじゃうみたいなことは
構造上ありますよね
本人じゃなくて理想に恋してたんだよね
恋に恋してるから
その人自身で恋してるだけじゃないよね
っていうことになるけど
最終的にはどこまで行っても
その路線っていうか
そのシステムの中で
人と付き合わなきゃいけないわけじゃないですか
やっぱり私そこ女の子じゃないんだ
そういう経験がないから
どうやって頭の中探しても
ぶち当たるところがゼロ
じゃあ女性のご意見お待ちしてます
そういう感じで
でもなんか
私は逆に何だろうな
旦那と結婚する前にも
付き合ってる男の人いたし
でもそういう厳密もないし
こんななんだ
24:01
これ嫌だけどそうなんだ
ぐらいなんだよね
でも絶対に反面のいいところもあるし
そこも見えてくるじゃない
それがいつも面白いなとか
楽しいなとか
思うことの方が強かったんだよね
その執着に対する
執着ってさ
許容していかなくなりますよね
その対象を
対象の幅を
愛着はどうなんだろうって
多少許容範囲があるのかもしれないけど
ぬいぐるみが多少汚れても大事とか
年季が入ってきてもね
あれってあるけど
執着に行くと
その許容が
ゼロになっていくイメージ
そうなのか
がしますね
あれですよ
アイドルを好きな
ファンがいるじゃないですか
成人派な
清らかなままでいてほしいみたいな感じ
実生活で誰かと付き合ってる
女性アイドルかとして
誰かと付き合ってるみたいなことを
見せないでほしいみたいな
男性もアイドルもそうだけど
そういうイメージを
言ってしまえば偶像なわけじゃないですか
アイドルって偶像だから
っていうのを
守ってほしいみたいな
ほら
そういうアイドルが結婚して
ギャーギャー
言うみたいなことを
メントで参見しますけど
そういうのに近いですよね
執着のあり方って
じゃあ例えばさ
追っかけしてる人
いろいろで待ちしている人
そこは愛着でいいのかな
度合いによるんじゃんそこが
愛着から執着に変わる瞬間
というか境目が
ありそうな感じするね
そこは家までついていっちゃったりとか
そうしちゃうと執着になるのかな
絶対に好きな人なんだから
そこはプライベート
ちゃんと置いておいてあげなきゃいけないのに
そこまで
行ってしまうこと自体
執着とか
常識的な範囲を
飛び越えてしまう
判断がつかなくなってしまう
っていうのは
執着ですよね
いいね
言葉で執着とか愛着とか愛情とか
言ってるとさ
執着点が見つからないね
そういう
言葉にできないものを
僕ら言葉にしようと
もがいてますからね
そういうのが
こういうことを
我々
特に僕が好きなのは
こういうことを
ああだこうだ言ってるうちに
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なんとなく輪郭がつかめてきたり
ぼんやりと
ここだなみたいな
ラインみたいなのが見えてきたりするじゃないですか
わかんないものだと
本当に愛着と執着と
言葉は違うけど
なんとなく同じもんでしょ
ってなるんだけど
こうやってああだこうだ言ってると
とかそういう話を
聞いてると
なんとなくこの辺かなみたいな
こういうことかな
っていうのがつかめたりするんですよ
それを物語を通じて
掲示してるのが
ドラマフィクションなので
僕はこういうのは
意味がないとは
思わないんですよね
家のこととかで
普通に思うとさ
いろんな家の中にずっと
使ってる長く使ってるものに
愛着を持っていて
大事に使っている
年を取っていった時に
それまでは自分も
就活とかきちんとしていこう
と思ったのに
実際自分が本当に高齢になってた時に
なかなかできなくて
生きることへの執着
生きることの
執着ってのありますね
先が短くなれば
なるほど
生きたいって
自分が感じていない生きたいって
気持ちが奥から出てきちゃうんだろうね
やっぱり
家で例えるとそうなんだろうな
と思う
自分たちも年を取り
親が高齢になり
いろんなことを見ていてそう思うよね
そうなんだなって
生きることの執着って
いうことも使うし
それがなかったら
死んでしまうし
病気に打ち勝てなくなるし
動物が
動物がちょっと食い悪くなって
人間よりも
頑張れない
亡くなってしまうのを
生死っていう境を知らないんだよね
なんかこう
墓場に行ったりするよね
自分からね
それこそ何かに
生きることへの執着とか
ないから
頑張れなくなって苦しいのって
亡くなっていっちゃうんだよね
人間はまだ子供が小さい
大人になって生きようとする
それ一つの執着だから
そういうことも
いいこともあるんだな
と思った執着って
基本的にエネルギーの
出し方の問題ですからね
それが
他の人に
いいかどうか迷惑になるかどうかの
違いだと思うんですよね
シチュエーション
シチュエーションと
状況というか
現象としては
いい方向に出ればそれは
愛着だったり
いいネガティブ
30:00
ポジティブなすごく
パワーなんだけど
その対象に
マッチングしていなければネガティブになる
っていうだけの話なので
そうね
程よく
力を抜いて
いい執着で
愛着だけだと目的に向かって
ガーっていくの無理だから
いいパワーでやっていくのも
エネルギーをコントロールすることは
必要ですよね
好きだからボーンって
言っちゃうと
まずいし
そのコントロールが
タガが外れるみたいな言い方をしますけど
その辺をコントロールができない状態というのは
社会的性を疑われちゃうので
っていう話になるからね
いい意味での
ちょっと相撲心がいいね
そうですね
コントロールがきかないとね
っていう話
ちょっと今回も
取り留めがない
深い話になりましたけど
今回はこんなところで終わりたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました