1. タートルのべしゃりのネルチャン
  2. その842、シュミレーションす..
2025-04-05 08:22

その842、シュミレーションするのがすきみたいな

#育成 #育てる #シュミレーション #楽しい #わからない不確実性 #毎日配信 #関西弁
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6314af028b069b4d0f05a037

サマリー

植物の育成を通じて、プロセスを重視することで自己理解が深まっています。また、シミュレーションゲームへの愛着が育成に対する考え方と共鳴しています。

植物と育てるプロセス
2025年4月5日土曜日毎度、大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。朝の9時28分でございます。
だから植物が好きなんやなっていうことが昨日の放送でわかりました。自分のお話をしていて自己理解が進みました。
中間のプロセスが好きなんだということを昨日お話ししました。結果よりもプロセス。
だから僕は植物が好きなんだと。寛容植物をたくさん育ててるんです。
お花よりも植物の方が多いっていうのはそういうことなんやなと思って。
いや、お花もやってるんですよ。種からやる場合もあるし苗からもあるし、お花もやるんですけど植物の方が多い。
お花は結局一時なんですよね。儚いですよね。それは良さでもあり悪さですよね。
咲いて美しく楽しませていただく。でも枯れるとちょっと悲しい気持ちになって放っておくわけにいかないので、もちろんそれを摘んだりしないといけない。
終わりが来るっていうことですね。花には。植物は育ち続けるっていう。そこに魅力を感じてるんやなと思います。
お水を与えますよね植物に。その時に元気に育てようとか頑張れようとか声かけたりするわけですよ。おはようとか言って。
その時にそうなってほしくないことは言いませんよね。早く枯れろとか汚く育てとか絶対に思わないですよね。
だから意識として前向きな方向しかないっていうのがまた一つ良いんやなって僕思いました。
植物からしたら僕に育ててもらってるし、僕は育てさせてもらってるんですけど、
僕が植物の存在になった時に誰が僕を育ててくれてんやろっていうことなんですよ。
思ったのはね。それは誰が僕に水を与えてくれるんですかっていう。
その一個上の視点を持つっていうことが自分の成長には大事なんかなと思います。
もう一回話を戻して、植物を育てる時は植物はもう受け身でしかなくて、僕は植物のことを考えていろいろします。
基本的には水を与えるのみですよね。それに対してもっと肥料を上げた方がいいんじゃないかとか、
土が悪いんじゃないかとか、土を入れ替えた方がいいんじゃないとか、鉢を植え替えたらいいんじゃないかとか、
いろいろなアドバイスみたいのはありますけど、そういうことも自分で思いながらも水だけを与えているっていう。
方法論はいろいろ知っててあるけれども、まずは今この状態でやってて、
もちろん状態が悪くなってきたら他のアプローチをしてみるっていう。
これが育てられる側と育てる側の違い。育てられる側、植物はあくまでも受け身。
育てる側がいろいろ考えて育てるっていう。
だから僕を育ててくれる、僕に水を与えてくれている人がいるとしたら、
僕はでも人間やし、脳があるからいろいろ考える。自分でも行動できるし、考えることもできるんですよね。
そんな僕に対してどんな水を与えてもらえるんでしょうか。あるいは水だけなんでしょうか。いろんなことなんでしょうか。
それは特定の誰かがいるっていうわけじゃなくて、いろんな人からの僕に注がれる何か、水のようなものでもあるかもしれないし、
全然僕に対して向けてないけど、僕が勝手にそれをキャッチして自分のものとしてるっていうことも考えられますよね。
なので、自分に水を与えてくれる存在は特定の人はいないけど、
僕がこの人は僕に水を与えてくれている存在だなっていう風にただ感じ取るっていうことですね。
それが欲も悪くもなんですよ。
良いことを僕に吹き込んでくれたら、僕に水を与えてくれた人だなって思いますし、
僕に悪態をつく人は僕に悪態をついてくれる人だなって思うという風に思います。
この植物と植物を育てる人の関係って親子関係にも似てるなってここから思ったんですよ。
例えば小さいお子さんを育てていらっしゃる親子さんも聞いている中にはいると思うんですけれども、
子供にこうしなさい、ああしなさいとか、これはしたらあかんとか、
いろいろ注意することってありますよね。
子供は受け身ですよね。
自分からいろいろ動きたいけどそれを抑制したりしますよね。
それはしたらあかんとか。
それはなんでかって言ったら危ないからとか、そうしない方が都合がいいからですよね。
それは子供にとってもそうやし、親にとっても。
子供が怪我されたら子供は大変やし、それを処置したり病院に連れて行く親も大変やし、
いろんなことがあるからそれはやめとけという風になるんでしょうけど、
あるいはこうした方がいい、こうした方が効率よくなるよと。
なんでそんな無駄なことをするの?みたいなことにもなりかねないですよね。
この育てられる人と育てる人の関係性に一緒ですよね。
人か植物かの違いで。
でも対象物が植物、物を言わない植物なのか、
意識がある人を育てるのかで育て方は変わってくるだろうし、
育てられる人がどう捉えるかによって育ち方も変わってくるなという。
だからこそ面白いっていう、真ん中のプロセスが面白いっていうね。
終わってしまったら、花は枯れたら終わりやし、人間死んだら終わりやしっていう。
でも死ぬまでにどういう風に育つか、育てられるか、育てようとするか、
シミュレーションゲームの楽しさ
いろんな方向がありますけど、そういうことが面白いなと。
昨日の放送から思って、そんな気持ちで今朝も植物に水を与えるということをしておりました。
この育てるっていうのが楽しいとか好きやっていうのは今に始まったことじゃないなって思うのが、
ゲームを昔よくやってた頃に、やっぱ育成ゲームが楽しかったなって思うんですよ。
格ゲーとかシューティングゲームとかひととりはやりましたよ、もちろん楽しいから。
あれもこれもやりましたし、ロープレイもやりましたけど、
やっぱシミュレーションゲームっていうのが楽しくてね。
シムシティといって街を発展させていくゲームとか、
三国志系の信長の野望系のとか、半熟ヒーローとか、ファイヤーエンブレムとか、
ちょっとずつ、ガチャポン戦記とかめっちゃ楽しかったですね。
シミュレーション。ちょっとずつ動かしていって相手の陣地攻めていってみたいな。
同じシチュエーションにはならないですよね。
一回ゲームをやめて次始めたら、攻め方変わったら状況変わってくるし、
攻められ方が変わっても状況変わってくるし、みたいな。
そういうプロセスが楽しかったですね。やっぱりこうなるか、この場合はこうなるかってね。
ダビスタ、馬も育ててましたね。馬育ててこうなるかみたいな。
これとこれの配合でこうなるかみたいな。
だからシミュレーションゲームをたくさんやったなーっていう記憶があります。
やっぱりその育てるとか、中間のプロセスっていうものが大好きだなと思いましたということで、
今日はここで終わります。また明日お話しさせていただきますのでよろしくお願いします。
ありがとうございました。お気に入りでございます。失礼いたします。
ご視聴ありがとうございました。
08:22

コメント

スクロール