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2025-04-04 09:27

その841、無意識をも掴みに行くみたいな

#無意識 #前意識 #夢 #次元 #時空 #パラレルワールド #ひらめき #気づき #思考 #プロセス #引っかかり #予言 #毎日配信 #関西弁
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サマリー

エピソードでは、無意識の現象や意識と夢の関係を探求しています。ジュリアとマリーの「ロリポップ」と始まる音楽が、自己の意識と無意識の境界を超えて何かを感じ取る機会を提供しています。

無意識の現象
2025年3月、4月、4日、金曜日、毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
あの、月またき、すぐ、いつも間違えるんですよ。もう3月だって言い慣れてるから、4月やのに、3月は言うてしまって、これ毎日くらい間違えて、
で、まだ最初のところやから、最初に巻き戻して取り直して、4月と言うてるんですけど、もう4日目、同じ間違いしたからね、もう今日このまま出しておこうかなと思います。
他の方もありがちなミスなんじゃないかと思ってます。 あ、みんな言うてへんか、別に日付とか。
4月絶好調ですとか言いながら噛んだり、鼻水出てたりしてますけど、
今日朝起きたら、起きた瞬間に、ジュリアンドマリーのロリポップの、
何ですか? あのリフレインみたいなところがずっと流れてて、僕の頭の中に。
ロリポップ、ロリポップ、ロリポップのところ。 あの、全くね、聞いてないんですよ。今日も昨日も一昨日もジュリアンドマリーを。
ジュリアンドマリーも聞いてへんし、ロリポップも聞いてへんし、でもなんか今日目が覚めてパッと。で、起き上がる瞬間からもそのロリポップ、ロリポップ、ロリポップが流れてて、
何なんこれと思って。 これ不思議じゃないですか。なんか急に出てくる。全くそんなこと触れてもいなかったのに、いきなりこのフレーズ流れてくるっていうのは、
まあ無意識のうちで何かに触れてたんかなと思うんですよ。 起きてる時の現実の自分と夢の中の
自分。 そのどっちが自分なんだろうみたいな。どっちが現実でどっちが夢なんだろうみたいな。
どっちも夢なんじゃないかなとか、どっちも現実なんじゃないかなとか、いろんな考え方あると思いますけど、 まあまあ普通に考えれば意識あるのがこの現実の状態で、夢の中っていうのはありえへんような
ことが起こったりするわけですから、 なんか
まあそれは夢なんやなって、現実ではなく夢なんやなっていう解釈が多いですけれども、 いやいや待ってそっちも現実じゃないとか、またパラレルワールド自分のその時間軸っていうものが
他にも存在していて、自分の人生が他にあるんじゃないとか、いろいろな考え方、スピリチュアル的な考え方もできるかと思うんですけれども、
なんかその自分一人の人生、肉体は一つですけど、 その意識の中というか
時間軸というか、だから無意識かで何か自分の意識のないところで行った行動やったり聞いた、
見た音楽、意識に残ってないけれども
思い出すことはできないけれども、なんかそういうふっと降りてくるとか、 なんかふっと気づくっていうのは、そういう欠片みたいなが残ってるんじゃないかなって
思うんですよね。で、なんか、うわっ
なんでジュリマリやろうと思って、でも好きやから、 もう今日は朝からジュリマリワープっていうね、アルバムに入ってるんです。ロリポップっていうのは最後の
アルバムですよ。で、これをとりあえず聴いて、 ロリポップ聴いたらなんか続きでそのジュリマリをずっと
聴きましたけれども、 なんかそういうことで、ちょっとその
全く自分の無意識の別次元にある自分の意識みたいなものを引き出せるんじゃないかなと思ってね。 きっとそこに触れてたわけやから、自分に今一瞬欠片が残ってたから
そこにもっと音楽聴いたりとかすることで、ちょっとそっちの別次元、別時空の自分に近づけるんじゃないかなと思って。
いや何言ってんのって話ですけど、なんかそういうことが面白いしロマンじゃないかなって僕は思ってるんですよ。
浮世離れした考えかもしれへんし、それ以上専門知識がないから突き詰めることはできないけど、
音楽と自己の発見
なんかそういうことを考えるのが好きです。 この間の花水の大冒険の話とかも、考えないですか?皆さんどうですか?
僕が変なのか、まあ変っていうか、いや真面目な話なんですけど、花水の大冒険、花水が出かかって吸い上げて、出かかって吸い上げてってずっとここ繰り返してるなとか、
そういうところに何か一つ疑問を持つとか、なんかそういう、そんな考えたこともないわって思われる方はもしかしたら多いかもしれへんし、逆にみんなが考えてるけどそんなこと言ったこともないわっていうことなのかもしれへんけれども、
そういうのが
自分的には面白い。自分の中でだけ思ってても、
いいか別に。別に人に言うこともないか。人に言って、考えたことあるわーとか言う話になったら面白いなと思うけど、誰もそんなことなかったし、
誰も考えてへんのでしょうね。でも人の考えはそれぞれですからね。僕はこんな考えてるでいいんじゃないですかね。
なんか3歩進んで2歩下がってずっと水前時休憩をこう状態なんですよね。僕の人生というか思考というか。
で、ミクロがあってマクロがあって、前にも言ってますけど超リアルがあって宇宙視点があって、みたいなことやから、なんかの
一貫してない考え。いろんな見方、捉え方ができるよねっていう、超中途半端で抽象的な考え方しかできないんですよね。
なんか断言できない、断定できない、物事を決めることができない、なんかそういうふわふわした中途半端な
意思、中途半端な気持ち、中途半端な
思考しかできんやろうなーって。なんか白黒つけたい人からしたら どっちやねんみたいな、なんやねんみたいな、はっきりせいや、みたいなことなかもしれないですけど
こういう不安定さが僕にはありますよね。
例えばGPTとかね、 あるじゃないですか、自分のチャットボットみたいなのができたとして、
タートルがいいそうなことみたいなのを質問した時に、人によってはね、
ズバッと、ほんまにその人みたいに返してもらえるみたいなことがあるかもしれないけど、僕のそれに聞いてもふわっとした答えしか返ってこないし、結局なんやねんみたいなことになりそうで
なんかね、
なんかこれと断定したくない、これと決めつけたくない、みたいなところがあって、それがね、最近ちょっと考えてて思い当たったところが、まだまだ途中の段階が僕は楽しいんやなって思ったんですよ。
何か決め、最終的にゴールするとか、なんか決めつけるというよりかは、そのそこのプロセスの段階でああでもない、こうでもないって試行錯誤してるのが
僕は楽しいなぁと思って、だからなんかずっとスポーツしてやってきましたけれど、あの学生の時とかね、でもなんか最終的に勝ちたい、優勝したいっていう気持ちは僕にはすごく弱くて、ただその試合の中でいいプレーができたらそこで満足があるみたいな
それは多分勝ったら嬉しかったんでしょうけれども、今でもバスケットの試合とか見に行く、自分がやるのはまあ趣味でやってるんで、勝とうが負けようがみたいな楽しんでやってるだけですけど、その自分がやってるバスケも見に行ってるバスケも、
人生の楽しみ方
なんかその自分応援している京都ハンナリーズのチームが勝とうが負けようが、なんか見に行った試合の中で、
応援しているチームであろうが相手チームであろうが、なんかいいプレーが見れたらそれでいいなっていうふうに思ってるんですよね。
だからその、まあそれこそ人生もそうじゃないですか。人生って始まってから終わりが絶対あって、それまでの途中の段階を今自分たちが楽しんでるわけですよね。
なんか楽しもうとしてるわけですよね。楽しむことを選択してますよね。どう過ごしてもいい中で、なんか嫌なことをしたりさせられたり、なんかわからへんけど全部自分が選択してる中で、その選択を楽しんでるわけですよね。
その選択肢がいろいろあるなっていうことを試行してるのが楽しいなっていうところで、言ってながらまあちゃんとそれなりに仕事はしてますし、
もちろん全部があれですよ、なんか決められないわけではないです。なんかそれなりの人生、決断をしてきて、
別にニートしてるわけじゃないんですけれども、そういうことが最近思ったなぁと思って。
だから、ああでもない、こうでもない、何も結論づけない、みたいな放送が多いかなって思います。
まあ、そう、そんな感じですね。言いたいこと他にもあるけど、言わないこともあります。以上です。また明日お話しさせていただきます。ありがとうございました。お気に入りでございます。失礼いたします。
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