休むことの重要性
2025年3月26日、水曜日、毎度大きにタートルでございます。よろしくお願いいたします。
自分のために喋ってますとか言うて、誰かのためになったらいいなっていう欲を持っております。
今日も朝からいろんな人の配信を聞いてて、学びになるな、勉強になるなっていうことが多くて、
やっぱり人の話を聞くっていうのは、ほんまに吸収したい欲があるんでしょうね。自分のためになるなと思ってます。
今日朝聞いてていいなと思ったのは、高橋さんのね、休んでますかっていう話なんですよね。
休むイコール怠けるみたいな価値観というか、イメージみたいなね、昭和世代が持っていると。
でもそうじゃないんだよって、休むんは怠けてるんじゃなくて、休み方も人それぞれあるよっていうことを言ってありました。
例えば、肉体労働を毎日する人は、それこそ体を休めるっていう意味では、休日は体を使わないことが休むやし、
デスクワークでずっとオフィスで座ってパソコン叩いてる人は、休日に動く、スポーツするみたいなことがリフレッシュの休むにもしかしたらつながるかもしれんしみたいな、
なるほど、休むって人によってそれぞれあるんだっていう学びになったのと、
僕のメンター、カンさんが言ってたのはね、カンさん、ERC721やったか、720、その辺僕ちょっとわかりません、すみません。
僕もERC1155でいつもオープンシーでやってましたんで、そこのアドバイスはできません、すみません。
推薦逆行で、人付き合いの何たるかの話をしてありましたね。それもいつも通り学びになりました。
っていうのと、言葉の行き違いみたいなことを言ってたんですよね。結局言葉足らずなんやと、話が噛み合わないとか話がこじれるっていうのは、
だからちょっとうまく今言えませんけど、その話めっちゃ学びになったなと思いました。カンさんいつもありがとうございます。
昨日の話もね、ノリコンさんが心が折れた話をしたはって、スタイフやったりWEB3の人とリアルの地域の人の温度差は結構あるなみたいなことを言ったはって、
確かにそれ感じたことあるなと思って、スタイフとかって応援文化めちゃくちゃあるじゃないですか。
NFTとかもそうやったし、ファンパスとかもあったし、クラファンとかやったら協力しますみたいなとか、結構そこそこの金額でも応援しちゃうぜみたいなノリありますよね。
でもやっぱり地域の全くそういう応援文化とか、本当に何でしょうね、なんかちょっと温度差があるんですって。
すごくそれを感じて心折れそうになったけど、なんかその目標達成のために売り切るっていうね、あの力強さは感動しましたよね。
マズローの五段階欲求
そういう位置からもらえますね。あとイージーさんね、イージーさん天才ですってこの間言ったら、パンさんもねコメントでイージーさんは天才ですよねって言ったはって、
昨日のテトラクロマシーの話、色の三原色、光の三原色の話から感情にも三原色みたいな要素があってみたいな話したはって、
あれめちゃめちゃおもろい話やなと思って。三原色ってね、色の三原色やったら赤青黄って言って、これ混ぜて作れない色なんですよ。
もともともうそれでしか存在できなくって。その3つを基準にそれぞれを掛け合わせると中間色、セカンダリーカラーとか言いますけど、
そういう別の色がどんどん作られて彩られていくみたいな話。その三原色を感情に当てはめたら怒りと悲しみと何とか、
それが違うなみたいなことを自問自答したはって、その話めちゃめちゃおもしろいなと思って、ちょっと加わって話したいなみたいな思ったり、
自分がイメージしたら感情の三原色、混ぜて作れない。
例えば怒りだったら誰かの感情に引き寄せられてやっぱ何か怒りが帯びたりとか、喜びもいきなり歩いててフワって喜びみたいなんじゃなくて、
何か他者の何かしらがあってその喜びに感情が変換するものであるやろうから、単体としての感情っていうのは何なんやろうなって考えても、
なかなかちょっと思い浮かばないっていうのが自分のまだ至らなさ。でもこれを考えてるのが楽しいなと思いました。
いやー、ほんまいじるさん天才やと思います。ありがとうございます。
このようにね、他の方もね、聞いてて面白いなとか勉強になるなってことはもちろんありますよ。
ちょっと今頭に浮かんだのがこの4名の方かなって思ってます。
僕も何かそんな風に日常で、あ、そういえばタートルさんこんな言ってたなみたいなことを思っていただけたら何かちょっと嬉しいな、ふんわり嬉しいなって。
ほんでこれって伝えな伝わりませんよね。
日常でタートルさんが言ってたこういうことがありましたとかね、今僕が感想みたいな感じで言うたように、
あーみたいなちょっと言葉がむずいけど。
そういうこと伝えないとね、まあ伝えてもらえたら嬉しいなぐらいか。
そうかそうか、期待はしないということ。
切り離して考えてます。これ嫌われる勇気を呼んだあれですよね。
あとはあの何でしたっけ、課題の分離ですよね。
別に見返りを求めてるわけじゃないよって自分が発しただけやからそれに対してのフィードバック求めてない。
あなたがそう感じてくれたらそれでいいっていうマインド僕あるので、
昨日言った通りですね、もらえたら勝手にプラスになってるし、それをもらおうと思って発信してたらもらえへんかった分マイナスに感じてしまうっていう、
承認欲求と自己実現
なんかそういうことですよね。
今日はね、そういう人のたまたま感想をまず言ったことになりましたけど、
ちょっとあの承認欲求みたいな話を昨日一昨日としたので、改めてマズローの五段階欲求の話しようかなと思って、
こういう人間の欲求ってどういうことがあるのかなっていうのを学んだことがあって昔に、
そういうのって僕も学習期間で特別に学んだんで、学校で教えられたとか親から教わったということではないので、
もしかしたらみんなが知ってることじゃないかもしれないなと思ったので、
改めてマズローの五段階欲求っていうお話を今日はしようかなと思います。
エイブラハム・マズローなのか、アブラハム・マズローなのか、ちょっとその辺は名前はどっちかわかりませんけど、
要はマズローっていう人がね、その唱えた説なんですね。
欲求がありますよと人間には。それがピラミッド型になっていて、横線スパスパスパスパって弾いて、
その下から順番にその欲求の段階がありますよっていう話。それが五段階にありますよっていう話。
わかりますか?三角形をイメージしていただいて横線シャシャシャシャシャと三角形の中を弾いて、
下の土台となる部分、ここが一番根底になる欲求で、一個ずつ上に行くに従って狭くもなっていくし、
欲求が強くなっていくっていう。強くなっていくはちょっと違いました。
一番下はね、まず生理的欲求って言って、これは生きるのに最低限必要な欲求です。
眠たい、眠りたいとか、ご飯食べないと死ぬとか、トイレ行かないと膀胱炎になるとか、そんな感じです。
もう生理的な欲求、特に無意識で起こる欲求のこと、これ生理的欲求って言うんですけど、最低限の生活っていう感じです。
生きていくのに生命維持に必要な欲求ぐらいです。
だからここをあんまり現代の日本の人、日本じゃない、世界の人、世界は言い過ぎた。
日本においてはあんまり、いや、日本も言い過ぎた。
今僕の話を聞いてるスタイル、聞いてる人は多分この辺なんか、もう無意識にクリアしてる欲求やと思います。
飢餓地域、例えば戦争、やけの腹状態、生きていく生命維持が難しくなってきた時に一番必要になってくる欲求だと思います。
これが一番下、社会的じゃない、生理的な欲求。
一つ上の段階、安全の欲求って言ってね。
社から二つ目、安全の欲求って言って、家、屋根が欲しいなとか、壁が欲しいなとか、太陽の日光を防ぐなんかが欲しいなとか、
安全性を保ちたいなっていう、生きていけるようにはなったよと。
サバンナで水は確保したけど、今度ちょっと太陽から守りたいとか、猛獣から襲われるように守りたいとか、
安全を気にするようになるっていう、サバイバルしたくないなっていう欲求。
これも日常スタイフ聞いて生活してる人からしたら、特に無意識の段階でクリアしてる欲求だと思うので、ここも省きます。
安全の欲求ね。
安全の欲求ね。
下から三番目、これが所属とか愛情とか、集団、グループで痛い欲求って言うんですよ。
なんて言ったかな、社会的欲求か、社会的欲求っていう確かグループにカテゴライズされると思います。
社会的にっていうのは、集団の中にいたいっていうね。
さっきのサバンナで、水は確保できた。屋根ができて猛獣から襲われなくなった。
今度孤立してるから、ちょっと集団で生活したいなっていう、集団にいたいという欲求。
それは何かしらのコミュニティであったり、あるいは家族であったり、人と接する、個人じゃなく人と接する欲求みたいなことです。
そんな中で育み育まれみたいな、人を思う欲求ですね。要は人を欲するみたいなところでしょうか。
それが下から三つ目の社会的欲求。下から四つ目であり、上から二つ目っていうのが、これが毎日ここ最近言ってる承認欲求です。
またね、確か承認欲求で僕は習ってたんですけど、別の言い方で、言い方が解釈か。自尊欲求っていうふうに言われることもあります。
自尊です。承認欲求はその名の通りですね。承認されたいよと、私を認めてよと、いいねくださいよと、なんかそういうことですよね。
人から認められた自分でいたいっていう欲求。それと自尊っていうのも、ちょっと似て非なるところはあるけど、自分は尊いって書いて自尊ですから、
私は私でありたい、そしてその私を人が認めて欲しいということなんでしょう。
自分というものを確立して持っていたくて、自分を持ってていいねと言ってもらいたいみたいなところでしょうか。
それが下から四つ目の自尊欲求であり、承認欲求のところにあり、三角形、三角形じゃない、ピラミッドの一番頂点に達する欲求。
自己実現の欲求
これが自己実現の欲求で、自分が価値あるんだよと、そして自分が求めていたものになれたよという、自分の目標が達成できた欲求が満たされた時が一番上の自己実現の欲求と言います。
もう一回リピートしますよ。下から生理的な欲求、安全性の欲求、社会的な欲求、承認欲求、自己実現の欲求、こういう五段階になっていて、下から順番に満たされていくと。
満たされたものは、それが普通だと思ってしまう部分があるので、特に欲を求めるというか、無意識感になっていってしまうという、だからだんだん上の欲求、上の欲求を求めていってしまう。
でも、上の方に行ったら、今度は上に行ったり下に行ったりを繰り返すんですよね。
そりゃそうですよね。なんか承認欲求が満たされた時は嬉しくて、じゃあ唯一の自分でいるんだって自己実現のところにいたけど、また不安になって、ちょっと人にこれで当てるのかな、認められたいなということでもう一回下に降りてみたいな、この辺の欲求でフワフワするんだと思うんですよね。
一番下まで落ちてくることっていうのは、天変地異起こらない限り何か偉いこっちゃにならない限りそういうことにはならないと思うんですけど、そういうことも実世界にあるので、この先自分に降りかかってこないとも分かりませんが、上の方の欲求を財布聞いている人々は行ったり来たりしているんだと思います。
誰が唱えたのか分からないけど、この三角形の頂点の自己実現の欲求を超えた上に、自己超越の欲求っていうのがあると考えている哲学者もいるそうです。
自己超越、自分を超えていくっていう、ハイヤーセルフっていう高次元のことですかね。
その辺はちょっとよく分かりませんけれども。
そういう欲求が人間にはありますよということですね。
こういう欲求っていうものが人それぞれにあるっていうことはすごく当然のことで、それを生かしつつというか、読みつつというか、人付き合いをしていったり、教育っていうものをしていくんですよね。
会社とかで人を育てる、人材を育てるとかね。
学校、義務教育なんかは集団ですから、あんなテイチングにすぎませんけれども。
やっぱりパーソナル、よりパーソナルな部分でのお付き合いとか、育成していく部分では、こういう欲求に従ってそこを伸ばしていくというか、満たしてあげることで自己肯定感も上がっていくし、能力も上がっていくっていうような考え方がきっとあると思っていて。
例えば人を働かすときにね、昔ほら奴隷とかってあったじゃないですか。奴隷で人を働かすっていう。
あれは監修が監視してないとこいつらは働かへんっていう目で見てたから、見張りをつけたわけですよ。
お前ら働けよと。で、見張ってる人がいるから働かざるを得ない。
これ性悪説っていう方なんですけど、人は見ていないと働かないっていう。
それがその逆のパターンが性善説といって、どんどんこの人たちは放っておいてもやっていけるよと。
何ならこの人たちやからこそ放っておいてもどんどん自分たちで考えてやっていけるよねって、その方が伸びるよねっていうのが性善説っていう方の考え方で。
そういうマネジメントする側が、その性善説やったり性悪説を考えずに、今の人の育て方の考え方でいうと、この性善説、性悪説ではなくて、
さっき言ったマズローの五段階欲求の、その欲求に従って人を見て、管理していくって言ったら言い方悪いですけど、育成していく。
その欲求をだんだん満たしてあげることで校を伸ばしていくっていうような育て方、考え方っていうのがきっとあるんだと思うので、
そういう管理者の方とかね、よくそういうところを見てあげた方がいいかなというふうに思います。
そういうことを言いながら自分の欲求を満たすこのタイトルでございます。
人間関係と自己超越
僕なんかは結構自由気ままに日々過ごしているみたいなところがあるので、結構今満たされてるんですよね。
最近言ってますが、体も健康やし精神的にも安定してるしっていうのが結構今上の方まで、ピラミッドの上の方まで満たされてるなというふうに思うので、
自分がそうやって言ったらちょっとおこがましい言い方になりますけれども、自分が自己実現できてる人ほど、やっぱり他者を寛容に受け入れられるっていうところがあるんですよ。
これちょっと言い忘れました。
なんかわかりますよね。貧困な人ほど、まず自分がっていうところがあるじゃないですか。
多くはね、なんとなくイメージしてくださいよ。そんな人ばっかりじゃないっていう意見は今一旦なしにして、
ゆとりのある人ほど、やっぱり人に優しくなれるというか、巨大な富を得られた人ほどお金を配るみたいなそういうことでしょうか。
人に寛容になれるし、そういう人ってやっぱり魅力的に移ってくるんですよね。
お金がどうこうじゃなくて、やっぱり人のことを見れたり優しくなれたり、人のためを思うことができるから、人から魅力的に見られるっていうことにもなると思うんですね。
そういうことができる人ほど、もう一度意欲的に次の物事に取り組むから、
前循環が生まれて、いつまでも三角形の上の方の欲求を満たし続けるみたいなところでしょうか。
それから自己超越になっていくんでしょうかね。
というところで、ここまでなかなかとお聞きくださった方がいらっしゃいましたらありがとうございました。
本当にありがとうございました。
ではまた明日お話しすると思いますのでよろしくお願いします。
ありがとうございました。お気に入りでございます。失礼いたします。