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2024-10-17 17:39

がんばらなくていい社会の残酷さについて


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00:02
こんにちは、いわみです。
10月17日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
コーチは今日も27度ぐらい、全然半袖短パンで、
もう10月が後半に差し掛かっているのに、何だか価値観がバグりそうな感じですが、
皆さんのところはいかがでしょうか。
もうそろそろ暑いのに飽きてきたなという感じがあって、
半袖短パンは好きですけど、そろそろ長袖長ズボンぐらいはいいかなという、
たまに着たくなるって言ったら変な感触ですけど、
ロンティーぐらい着てもいいかなという気分になってきましたが、
まだその季節は、たぶん11月ぐらいまでこの感じだと来ないんじゃないかなという気がしますが、
だいたい季節の変わり目ってあれですね、
急に寒い日が来て、10度台前半みたいな日が1週間ぐらい続いて、
そこからまた戻ってみたいな、そういう気候が多いような気がしますが、
今年はどうなんでしょうか。
前にも話した、最近よく聞いているポッドキャストで、オーディブル限定なんですけど、
イエイリ・カズマさん、キャンプファイヤーを作った実業家というか、
起業家のイエイリ・カズマさんと、
源頭者のミノワ・コウスケさんがやっている、
本と人生というポッドキャストを最近毎日1話ぐらい聞いているんですけど、
だいたい洗い物とかをしながら聞いているんですが、
それで最近聞いた話に、たぶんこれ回数字で言うと第4回か5回なんですけど、
なぜかオーディブルの再生の履歴というか再生方法で、
新しい方からだんだん遡っていく配信になっていて、
たぶんやろうと思えば1から全部聞けるかもしれないですけど、
そんなに順を追って聞く必要はないなと思ったので、
その時一番新しかった16ぐらいからだんだん聞いてきて、
今5か4ぐらいまで聞いているんですが、
その最近聞いた話にちょっと面白いというか、
ちょっと今思い出した話があったので、紹介がてら、
自分の頭をまとめがてら話してみたいと思います。
基本的には2人でポッドキャスト、イエイリさんとミノワさんが喋っているんですけど、
最初の方にゲストみたいなのが出ていて、
1人は元投者のしだらゆうすけさんで、
ボイシーとかでフロスキタタミンラジオの野村さんと一緒にやっていた相方のしだらさんは、
ミノワさんとたぶん同じ会社なんですよね。
ミノワさんとあともう1人ね、僕は知らなかったんですけど、
03:02
無職の人が出ていたんですよ。
プロ無職みたいな、いい無職みたいなキャッチフレーズをつけて出ている人がいて、
なかなか面白い話だったんですけど、その中でこういう話があったんですよ。
誰が言っていたか忘れちゃいましたけど、
つまり別に無職であることは今そんなに珍しくないというか、
むしろみんなが無職の方向に向かっているよねっていう話があって、
今までは1つの仕事で3つの満たすべきものがあって、
それが全場の職業で、1つの職業ということで担当されていたんだけど、
今それがバラバラになっているって話だよね。
その3つが何かというと、まずお金を稼ぐこと。
これは分かりやすいですよね。
お金を稼ぐことと、自分が承認されること。
社会承認というか自己承認というか、承認されること。
あともう1つが成長すること。
本来これは全部別々の欲求というか、
この欲求自体は人が生きていくために必要なもの、
欲求というか要素といってもいいと思うんですけど、
お金を稼ぐこと、承認されること、あと成長すること。
成長はたぶんその中だと人によるものかもしれないけど、
特にお金を稼ぐことって生活すること、生きていくことと同義だと考えると、
お金を稼ぐことと承認されることはほとんど誰にとっても必要なものじゃないですか。
それで今まではそれが仕事と完全に結びついていて、
仕事をしていればお金を稼げる、承認もされる、
成長もできるとしたときに、
1つの仕事だけしていればだいたい満たされていたんだけど、
今はそういう時代じゃなくなっている。
これは2つの言い方ができると思っていて、
1つの仕事でそれが満たせなくなっているという、
お金は稼げるけど承認と成長は仕事じゃ満たせなくなっているという言い方もできるし、
別の言い方をすると、
その3つを仕事によって満たす必要がなくなってきているという話もしていて、
割と僕の主観というか捉え方が入っていますけど、
大まかに言うとそういう話だったんですね。
その3つを満たせばいいというふうに考えると、
それが人が生きていくための仕事だったり、
お金を稼ぐ手段があって、
もしくは別に稼がなくてもいいぐらいのお金を持っていて、
でもそうすると今までは基本的に承認が、
仕事をしないことで承認が得られないから、
割と精神が病んできたりとか、
06:00
元気なくなってきたりというね、
その引退した人とかまさにそうですよね。
年金でお金はもらえるんだけど、
承認が得られないから、
割と精神が病んできたりとか、
元気なくなってきたりというね、
年金でお金はもらえるんだけど、
承認が得られないから、
だんだん元気がなくなって、
病気になってしまうみたいな話はあったと思うんですけど、
じゃあその承認を得られる場所を持っている、
が別にあればいいじゃないかという話で、
それプラス成長というのもあるとすると、
だから必ずしも仕事をしていなくても、
生活できるお金があって、
その承認が得られるコミュニティとか、
人間関係があれば、
成長は多分自分次第というか、
考え方とかにもよると思うんですけど、
それがあれば、
ずっと働き続ける必要はないじゃないかというね、
そんな話をしていたんですよ、
そのポッドキャストで。
これは僕はとても納得にいく話というか、
というよりむしろ僕の話なんじゃないかと思ったぐらいね、
確かに僕は今そういう生き方をしているなと思ったので、
とても共感したんですね。
会社に勤めていないとはいえ、
仕事は毎日しているわけですよ。
それでね、
それで生活費が完全に賄えていない面もあるんですけど現状は、
でもまあいろいろやりくりして何とかなっているという現状は、
現状で、
経済的な面においてはまだ不安定さはありますけど、
ここはね、何とかできれば、
あとその承認の部分と成長の部分、
これは僕結構満足している部分なんですよ。
承認というのは人によって欲求の強さ弱さみたいなのがあると思うけど、
前にもどこかで話をしたことがありますが、
承認欲求ってね、
そんなに多分普通の人はあんまり強くないと思うんですよ。
僕の場合だけじゃなくて、
なんていうんですかね、この承認欲求が強い人っていうのは、
逆の負の力を結構浴びている人が多いんじゃないかなと。
負の力っていうのは承認じゃない、その非承認のね、
まあ簡単に言うと何でしょうね、
まあ批判されたりとか、
その仕事を認められなかったりみたいなね。
よく考えてみると、
そういう非承認をしてくる人ってね、
まあ暇な人が多かったりとか、
もしくはちょっと意地悪でやってる人が多かったりするんですけど、
大体その会社とか、
特にその大きな会社とかで働いていると、
多分何人かこういう人っているんですよね。
だからそういう人がもしいなければ、
別にそんなに承認をね、必要としないのに、
やったらその下に引っ張ってくる人がいるから、
逆にそれをね、ゼロに戻すために別の承認が必要になるみたいなね。
09:01
そういうマッチポンプ的な現象はね、
割と世の中にはあるなと思っていて、
で、そのマイナスに引っ張ってくる人と完全にそのね、
欠別できる環境にあれば、
人はね、多分そんなに承認をね、
必要としないんじゃないかっていうね、
仮説というか、
僕が今そういう状態なので、
そう思ったら、
あるなぁと思うんですよ。
そうは言ってもね、やっぱりあんまりその人と会わなかったりとか、
ずっと家で一人で仕事をしていると、
ちょっとね、あのね、都会に出たいなとかいう欲求が働くことはあるけど、
それも本当にね、
本当に2、3ヶ月に一遍ぐらいね、
ちょっとね、そういう刺激を得れば、
多分そんなに、何て言うんだろう、
バランスを保てるんじゃないかなっていう感じがね、
あってね、
やっぱりね、
うん、そんなに、何て言うんだろう、
バランスを保てるんじゃないかなっていう感じが、
今してるんですよね。
ちょっと話は飛ぶようですけど、
もしそのね、生活費をね、多分、
格段に下げることができて、
例えば今までのね、
3分の2ぐらいの生活費で過ごせるような、
普通に不満なく生活できる環境に置かれたとしたら、
その分その稼がなくてはいけない額が減るわけじゃないですか。
そうすると仕事に費やす時間が減って、
その分ね、ストレスも減ったりとか、
もしくは自分のやりたいことに充てられる時間が増えると、
その成長とかね、
その中にはその承認みたいなね、仲間と過ごすような、
しかもそれは別に仕事の仲間とかじゃなくて、
自分で選んだ仲間と過ごす時間が増えることによって、
多分人は精神的にも健全になるし、
ストレスもなくなるっていうね。
多分そのストレスがなくなると余計なお金も使わなくなるから、
多分それでね、生活費みたいなのも減ったりみたいなね。
まあこれはこういうのをまとめて、
多分脱成長って言うと思うんですけど、
まあね、その脱成長ってね、今多分ちょっと前に流行ったね、
多分あの斎藤光平さんとかね、有名ですけど、
そういう方が本でね、
書いたりとか、今そういうね、
一つの大きなテーマになっていると僕は認識しているんですが、
この脱成長っていうその理論というか、
その主張に関しては、僕は割とその懐疑的というか、
逆に言うと多分それしかすがるところがなくなったから、
なんかその自己正当化のためにね、
そういう論調が出てきたんじゃないか、
というのも最近は思うんですよ。
つまりその日本は今、経済的にはどんどん低迷していって、
人口も減って、成長はそんなに望めないようなね、
その社会的な成長はあんまり望めないような状態にあるから、
そこでね、がむしゃらに頑張るよりも、
もう成長しなくて、
もっと自分の好きなことをやればいいじゃないか、
というふうに思うんですよ。
でもそれもね、必ずしも全員に当てはまるわけじゃなくて、
多分それが嫌な人というか、
12:02
そこに抵抗したい人というのは、
必ず一定数いると思っていて、
そういう人たちまで、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
そういう人たちまで、
抑えつけるべきじゃないなと、
僕は思うんですよ。
この話も多分ね、
同じポッドキャスト、
イエリさんとミノワさんのポッドキャスターで、
確かね、話してたと思うんですけど、
本の紹介の中で、
人はなんだっけな、
働いているとなぜ本が読めなくなるのかってね、
ラジオでも紹介したことありますけど、
それについてね、ミノワさんは結構その、
ミノワさんの編集した本のね、
アンチテーゼっていうふうに捉えていて、
確かにその、
働いているとなぜ本が読めないのかっていう、
本の中にも前田さんのね、
松尾さんなんとかの松尾さんとか、
出てくるんですけど、
それのアンチテーゼ、
自己啓発書のアンチテーゼみたいな感じで、
その本はね、今すごい人気で、
言ってみれば、
脱成長を推進する、脱成長に推奨する、
脱成長に推奨する内容の本、
でもあると思うんですよ。
その頑張んなくていいですよっていうのは、
ある意味ですごく優しい言い方なんだけど、
あなたはそのままでいいですよっていう、
すごく一見優しいんだけど、
でもね、それは、
別の意味で捉えると、
何にもしなくていいですよっていうのは、
結構逆に残酷なんですよね。
何にもしなくていいですよっていうのは、
結構逆に残酷なことでも、
あるんじゃないのかっていう話をしていて、
一昔までの社会は、
結構ね、
社会人は若いうちにね、
一回その死ぬ気で働いて、
がむしゃらにやって、
それで一人前になって、
年を取ってからゆっくりするんだみたいなね、
そういう風潮があったとすると、
そっちの方はね、
まだ優しさがあるっていう、
捉え方もできなくはないですよね。
なぜかというと、
一回そのね、
がむしゃらにやって成長すると、
それなりにスキルとかも身につくし、
お金も手に入るから、
それによって、
老後というか、
晩年をね、
のんびり過ごせたりとか、
する面も、
なくはないというか、
確かにあると思うんですよね。
それがその若いうちからね、
もう頑張らなくていいよっていう、
もうそんなに成長しなくていいからっていうね、
働きかけというか、
そういう言い方は、
一見優しいようだけど、
でもその、
ずーっとねその、
もやもやした感じを、
死ぬまで引きずる、
死ぬまでか分かんないけど、
20代から30代40代、
60代ぐらいまでずーっとねその、
15:01
スローペースで、
上に上がらなくていいっていうね、
そういう社会的な風潮っていうのは、
逆に残酷なんじゃないかっていうね、
見方を、
提示してて、
まあそれも、
一理あるよなと思ったんですね。
その前の話に戻ると、
人はその、
仕事にね、
経済面と、
成長と、
その社会的な、
承認みたいのを、
全部預ける必要がなくなった、
もしくは預けなくて、
預けない方に、
意識が向いていると、
ある程度のね、
生活をできるぐらいのラインさえ、
経済的になんとかなれば、
あとの2つのね、
欲求みたいなそのポイントは、
要素は、
別のところでも満たすことができるから、
その分、
自由に、
生き方が選べるようになったっていうね、
面はもちろんあって、
それはとてもいいことだと、
思うんですけど、
でも必ずしもいいことばっかりではなくて、
それによって、
がむしゃらに頑張る必要がなくなった、
もしくは頑張る、
メリットがなくなったっていうことによって、
結構その、
看板にね、
ダラダラと苦しむ人が増えるんじゃないかっていうね、
そういう面もね、
割と認識しておいた方が、
いいんじゃないかっていう話、
について考えてみました。
皆さんは、
どう思いますか。
これはまあその、
生き方をね、
自由に、
生き方を選ぶ選択肢が増えたっていう一方で、
その、
強制的に成長する予知みたいな、
成長するね、
エンジンみたいなのが、
なくなったことで、
昔と比べると、
高く飛べなくなったというか、
飛行機がね、
高く飛ばなくても、
良くなったっていう面はあるけど、
自分でそんなに考えなくても、
飛行機が高く飛べた時代と、
何も考えないと、
本当に低空飛行しか、
できない時代になったっていうね、
そういう、
例えというか、
ことでもあるのかなと思いました。
これについても、
またもう少し考えて、
まとまったら、
別の回転も話してみようかなと思いました。
はい、それじゃあ今日は終わりにします。
お聞きいただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。
17:39

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